かねて読み進めていた平野啓一郎の「本心」を昨夜読了しました。
平野啓一郎と言えば、大学在学中に「日蝕」でデビューし、同作で当時史上最年少で芥川賞を受賞しました。
その流麗でやや難解な文章から三島由紀夫の再来とまで言われました。
私もその作品を読んで、とんでもないやつが出てきたと思った記憶があります。
しばらく平野作品を読まないでいたのですが、数年前「ドーン」という作品を読んで、違和感を覚えました。
擬古典的で美的な作品が、近未来SFみたいになっていたからです。
作家の興味関心は大きく変わり、人類はどこへ行くのか、ということをテーマにしているように思いました。
で、今回読んだ「本心」。
これも近未来を描いた作品です。
最愛の母を事故で喪った29歳の青年。
深い喪失感から、VF(ヴァーチャル・フィギア)を作成する会社に頼んでVFの母親を作り、毎日ゴーグルを付けて母と会話します。
VFの母親は会話を通して学習し、本物の母親に近づいていきます。
母親は事故で亡くなっていますが、自由死という制度を使った自殺を考え続けてきました。
安楽死ではありません。
尊厳を守るため、自らの意志で、医師の了承の元、静かに死んでいくのです。
母親が自由死を望んだ理由はたった一つ。
もう十分、だからです。
もう十分という言葉、小説のなかで繰り返し出てきます。
自由死を迎えるにあたっては、死の一瞬前に、最愛の人に手を握られて死を共有することが出来るとか。
また、仏教的と言うか、宇宙物理学的というか、あまりにも長い宇宙の歴史の小さな点でしかない人は、死後、宇宙そのものになるという縁起が語られます。
主人公は貧しい暮らしをしているわけですが、ふとしたことから大金持ちの年下の友人を持ち、彼に雇われる形で裕福な生活を始めます。
こちら側からあちら側に移るのです。
その時、元風俗嬢とルームシェアをしているのですが、彼女も年下の友人と仲良くなります。
この3人の微妙な関係性、主人公の出生の秘密、母親のVFとの会話、それによって知られる母親の過去。
それぞれに忙しく、ほろ苦い毎日を送っているのですが、誰の本心も語られません。
そもそも本心という物が存在するのか疑わしいと思わせます。
格調高い文体で、死、宇宙といった哲学的な主題が、主人公たちの切ない生活を通して描かれ、読者は自然と厳粛な気持ちになっていきます。
文庫本で475ページほどの長編ですが、読みながら、終わらないでくれ、と思いました。
永遠にこの物語の中にいたい、と。
こういうことは滅多にありません。
三島由紀夫の「鏡子の家」、小林恭二の「電話男」、恒川光太郎の作品群でそう感じた程度です。
食わず嫌いをしていた平野啓一郎の最近の作品にも親しんでみたいと思います。