TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

思索空間アンシャンテ 遠藤周作文学館隣接

2023年04月04日 | お出かけ
長崎市外海町にある遠藤周作文学館、その存在は知っていましたが、先日初めて訪ねました。









文学館の展示物は、どれも興味深く見応えがあるものでしたが、それ以上に私が惹かれたのは、文学館に併設した「思索空間アンシャンテ」でした。



(Enchanteは「はじめまして」を意味するフランス語)

建物に一歩踏み入れたら大きな窓一面に広がる青い海が視界に飛び込んできました。




窓の外は角力灘(すもうなだ)
午後になると、部屋の中にもだんだんと光が差し込み、同時に海が輝きを増します。




ここは元は喫茶店だったそうですが、改装され、大きな窓辺に十分な距離をとって椅子が並べられています。
潮騒のかわりに館内には静かな音楽流れています。
(遠藤周作の遺品のレコード 木管楽器パンフルートの即興曲「グレゴリアンの調べ」だそうです)

椅子に座って海を眺めていると、とっても良い気持ちになっていきました。
目の前に広がる青い海、そして心地よい音楽。
心がどんどん浄化されます。

「思索空間」と名付けられたこの建物には、「忙しい生活から少し離れて、ゆっくり時間を過ごしてほしい」という願いが込められているそうです。しかも入館は無料です。

入り口にあった遠藤周作の奥様のメッセージ



館内にはソファーや本もありました。









本棚から本を借りて、この椅子に座って読書にひたる。


なんて贅沢な空間なんだろう!
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古川の桜 「昭和やったね」

2023年03月30日 | お出かけ
福山雅治さんが「名もないオイだけの名所さ」と「昭和やったね」の中で歌った国道207号線沿いの桜を見に行ってきました。








「昭和やったね」 福山雅治

207号線に春が
今年もやってきた
桜が綺麗に咲いとるね
菜の花 線路越しに
さざ波光る大村湾
子供ん頃から好きたい
母ちゃんの故郷へ
ドライブする道
名も無きオイだけの名所さ


福山雅治さんが子供ん頃からお気に入りだった「名もない名所」は、今では「古川の桜」と呼ばれ、多くの人が訪れています。




(古川は「ふるこ」と読みます)


古川のバス停周辺の桜が今満開です。









この207号線と並行してJR長崎線が走っていて、桜と列車を撮影しようという訪れる人多いみたいです。

2019年の新聞記事(毎日新聞)





バス停から線路に下りられるようになっていて






撮り鉄さん以外も線路脇まで下りていました。




そこには列車の時刻表がありました。


列車の通過時刻を貼っているのは事故防止のためでしょう。

撮影は安全な道路沿いから十分のようです。




今日(3/30)の新聞にも古川の桜の紹介記事が載っていました。
「諫早市多良見町の古川の桜が満開となった。歌の世界も楽しめ、多くの人が通り抜けに訪れている。見頃は今週末ごろまで」
(「毎日新聞」抜粋)
記事中の「歌の世界」というのは福山雅治さんの「昭和やったね」です。
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阿蘇神社の楼門 復旧

2023年03月11日 | お出かけ
阿蘇神社は2016年の熊本地震で被災しました。
このほど、倒壊していた楼門の本体工事が完了したということで、現場に掛けられた足場が残っている状態で一般公開されました。
ふだんは(完成したら)下からしか見ることができない楼門ですが、足場を撤去する前の今なら屋根を真横や上から見ることができるということなので見学に行ってきました。(3月5日のこと)


復旧した楼門の前で記念撮影(?)と思ったら


壁に書かれた絵でした。


遠くからは絵とは気づきませんでした。


今はまだ楼門全体が工事のための建物で覆われています。
下の写真の黄色い矢印がそれです。


(神社に設置されていたパネルに一部加工)

2016年の被災当時

(神社に設置されていたパネルに一部加工)

黄色の矢印が楼門です。
赤い矢印の倒壊した建物は拝殿ですが、こちらは2021年に再建を終えています。


さて、楼門見学ですが


足場の上から見学するのは「階上見学ツアー」といって申し込みが必要とのことでした。さっそく申し込みをしたのですが1時間待ちと言われました。
「どうされますか?」と尋ねられたのですが、「待ちます」と即答。
さらに「これを見るためにはるばる長崎から来ました」と付け加え、待ち時間を利用して境内や門前町の散策に出かけました。


楼門
下からは自由に見学可


見上げると


柱が部分的に取り替えてあります






そして時間が来て見学ツアーが始まりました。
(撮影スポットが決まっていたので、途中の撮影はできませんでした。)

いきなり扁額を見下ろす写真から



ふだんは見上げることしかできないものを間近に見られるのが今回の公開のいいところです。

屋根も目の高さです。




















ピカピカの屋根に違和感を覚えましたが、ガイドさんの説明で納得しました。
この屋根は銅板を使った「銅板葺」と呼ばれるものだそうですが、数年で酸化し光沢のある橙色から茶色に、そ緑青色に変化するそうです。

他の神殿が窓から見えていましたが


数年後はあの色になるそうです。


手前のは2年前に再建された拝殿で、まだ少し茶色がかっています。


屋根の垂木と組み物


垂木は扇状に並んでいて「扇垂木」と言うそうですが、これは高度な技術を必要とするそうです。


1階に下ります。

待ち時間で1階は見ていたのですが、ガイドさんの説明でより理解が深まりました。


柱の奥の黒いポールは補強材だそうで、前回と同じ程度の地震が起きても倒壊を防ぐためのものだそうです。
教えてもらわないと見落とします。





楼門はまだこの建物に覆われていますが、この建物も12月までには撤去され完全復旧するそうです。



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滝の観音

2023年02月25日 | お出かけ

2/25(土)
今日は諫早市美術歴史館主催の寺社巡りの日でしたが、今回は残念ながら抽選に漏れて参加できませんでした。ただ、気持ちが寺社巡りモードになっていたので、一人で以前から気になっていた滝の観音を訪ねました。

「滝の観音」説明板

(場所:長崎県長崎市平間町1646 霊源院境内)


入り口




石造りの門に「第一峰」と彫ってありますが、この字は長崎の崇福寺の第一峰門の字とよく似ています。

参考:崇福寺の門


ひょっとして、滝の観音のこの字は即非の字かも知れません。だとしたら大発見?
一人で盛り上がりながら進んでいくと、またもや門がありました。



ここには「水観世音」と


お地蔵様


通路に覆い被さる木


かなりインパクトがあります。

「伏樹門」と言うそうです。


別の角度から見ると


中は空洞になっていて


それでも横と垂直方向に幹を伸ばしているたくましい木です。

 


さらに進んで山門へ


仁王




山門をくぐると
歌碑


別の歌碑


その後ろには石橋


鐘楼


中国風の石像


お堂




木のレリーフ



お堂の裏手に回ると







蛇?

蛇と思っていたら「竜王様」だそうでした。

石の中に蛇、失礼、竜王様が浮かび上がっています。


ここにも石橋が


こんな山奥のお寺にも立派な石橋が架けられています。ここは黄檗宗のお寺なので、石橋を作るのは得意だったのかも知れません(長崎の眼鏡橋を作ったのも黄檗宗の僧黙子)。












この鐘は、昭和57年の長崎大水害の時の被害の爪痕だそうです。



「登り藤」 

諫早家と縁が深いようです。


お宝発見!


「木庵書」と!


木庵は黄檗三筆の一人です。
これで、最初に見た「第一峰」も、同じく黄檗三筆の「即非」の可能性が高まりました。
これは調べてみなければいけません。
ワクワクものです。


滝の観音の周囲


竹林



以上、一人静かに訪ねた滝の観音でした。

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北山ダムへ

2023年01月11日 | お出かけ
福岡の用事の帰り、41年ぶりに北山ダムを訪ねました。





ここの湖畔にあるキャンプ場には随分とお世話になりました。
夏合宿前のプレ合宿、現役引退後のオープンキャンプ、西九州合同ワンデリング等々です。

思い出のキャンプ場が見たくなり、そちらに車を走らせることにしました。


キャンプ場への分岐


通行止めの看板
キャンプ場は工事中とのことです。



残念ながらキャンプ場には入れませんでした。
2月いっぱい工事ということですが、ひょっとするとこれまでなかったオートキャンプ場も新設してリニュあるするのではと勝手に想像しています。


北山ダムに最後に訪れたのは41年前です。
その時は北山湖の水が干上がっていて、ダムに沈んだ畑や道などが現れていました。
貴重な機会だったので、サークルの仲間と見学に行ったのでした。

湖底に沈んだ村の様子










またあるときは自転車でぶらりと



41年ぶりに北山ダムを訪れ、こうしてブログを書いていると懐かしさがこみ上げてきました。
キャンプ場がリニュアルしたらキャンプに出掛けようと思っています。
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映画「あなたへ」のロケ地 薄香を歩く

2022年04月22日 | お出かけ
高倉健さん主演の映画「あなたへ」のロケ地の一つが平戸でした。
薄香という漁師町です。
ロケ地散策は予定にはなかったのですが、宿泊したホテルにあったパネルがきっかけで訪ねることにしました。



何の予備知識もなかったので、郵便局で「富永寫眞館」跡を訪ねたらすぐに教えてくださいました。
歩いてすぐでした。

この雰囲気。映画で見たような…


ありました!


映画と同じです。
写真館跡に映画のパネル?が貼ってありました。

パネル


これだ!


そして感慨深く見つめる健さん


その健さんのまねをしてみました。


町の様子は映画のままです。いや、映画が町をそのまま撮したのか…


坂を下ってたら


この小屋も映画のままです。

パネル


薄香のバス停


そして海





健さんが亡くなった奥さんの遺骨を撒きに行った海です。
そういえば、船長役の大滝秀治さんも名演技だったな…

旅から帰ったらすぐに映画「あなたへ」を見ました。
いい映画でした。
ただ、あれが健さんの遺作になったのが残念です。
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国東半島へ⑥ 国東の石仏

2022年04月18日 | お出かけ
60を過ぎたあたりから少し石仏に興味をもつようになりましたが、石仏については全くの素人です。
ましてや2,3日の国東旅行で、国東の石仏について論じるのはおこがましいと思いましたが、素人なりの気づきを述べてみたいと思います。

国東は「仏の里」と言われていて、多くの石仏があります。

有名な国東塔


いたるところで目にすることができる石仏








大きな塔(文殊仙寺:大宝篋印塔:9m)



そんな中、国東を巡る中で発見がありました。
それはレリーフ調の石仏の割合が多いということです。何となく多いとは感じていましたが確信に変わったのは、富貴寺の参道入り口に建つ石幢を見たときです。



左手の石塔は六地蔵石幢ですが


幢の六地蔵が、私がこれまで見たのとは違い、レリーフ調だったからです。
(「レリーフ」という言い方が適切かどうか分かりませんが、素人なので)

諫早の六地蔵(参考画像)


さらに富貴寺の参道を行くと、龕部が置かれていましたが


やはりレリーフ調です。
六面ではなく四面に、2体と1体を彫り込み、合計で6体の六地蔵です。

真木大堂の六地蔵





次に仁王像について



両子寺の仁王像ですが、ふつう仁王像はこんな感じです。ところが、旧千燈寺跡の仁王像はちょっと感じが違っていました。



レリーフ調なのです。
後ろや横から撮していないのが今思えば残念です。

このような仁王様は珍しいのではないのでしょうか。



役行者の石像
文殊仙寺の役行者は一般的な石像ですが


天念寺の役行者は


崖に彫られたレリーフです。


その隣の石仏もレリーフです。


レリーフと一般的な石仏のどちらが優れているというのでなく、私が言いたいのは、国東半島にはレリーフ調の石仏の割合が多いということ、そういう特徴があるということです。
半島全部を調べ歩いたわけではなく、専門の先生方からは、「ほんの一部分を見ただけで何を言っているのか」といわれるかも知れませんが、素人が感じた率直な感想です。

「国東にはレリーフ調の石仏が多い」
それは国東の独特の地形からレリーフが多く生まれたののではと考えました。

あまりにも有名な熊野磨崖仏はレリーフです。
国東のそびえ立つ岩峰や磨崖に畏怖の念じ、そこに仏を刻んだのでしょう。




不動明王と如来に目が行きがちですが、その間にも小さな仏が刻んであります。


岩峰と磨崖の多い国東の地形がレリーフを多く生み出したのではないでしょうか。
磨崖に仏を彫るのには危険が伴い相応なエネルギーが必要ですが、そうさせるだけの力を岩峰や磨崖に感じたのでしょう。

元宮磨崖仏







天念寺川中不動尊





名前は知りませんがレリーフ調の石碑




走水観音の裏にも



ついつい長くなりましたが、「仏の里」国東では、石仏の他にも心を癒やしてくれる風景がありました。

間戸の岩屋 


そこを流れる川岸の桜は終わりかけでしたが


川面を花びらで埋め尽くしていました。「花筏」です。



田染荘小崎地区の田園風景




田の区画は、1000年以上前の姿と同じで、世界農業遺産に認定されているそうです。

6回に渡り国東の山、史跡、石仏などを綴りました。それらは魅力あふれるものでしたが、今回紹介できなかった普通の景色、場面の中にも国東の良さは満ちていました。

-「国東半島へ」終わり-








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国東半島へ⑤ 史跡巡り・天念寺

2022年04月15日 | お出かけ
国東半島へは山に登るのが一番の目的でしたが、下山後は近くの史跡を訪ねました。
その中でも天念寺の阿弥陀如来像は強く印象に残っています。

天念寺


天念寺耶馬と呼ばれる岩峰群の下に寺は建っています。
この峰々も修行の道で、目を凝らして見みると



とんでもないところに橋が懸かっています(黄色の矢印)。
「無明橋」と言われている橋です。



あそこまで行ってみたい衝動にかられましたが、この日は両子山に登る予定だったので、下から見るだけにして寺を見て回りました。
寺の前を長岩屋川が流れているのですが、その川の中に磨崖仏がありました。



何ということでしょう、不動三尊のレリーフです。


さて、天念寺ですが、崖の真下に茅葺きの講堂があります。


その中


薬師如来と修正鬼会で使う香水棒


修正鬼会で使う巨大な松明


全て天然素材でできていました。




講堂の裏の崖には十六羅漢




本堂の左手の磨崖には役行者

レリーフです。

本堂には


釈迦如来像、左に月光菩薩、右に日光菩薩
(「追記」あり)

天念寺のすぐ隣に食堂を兼ねた資料館「鬼会の里」があります。
(写真右の建物)


そこの資料館で見た阿弥陀如来像の立ち姿には、あまりにも有り難く感じられ、なぜか目頭が熱くなりました。
館内は撮影禁止でしたので写真はありません。代わりにパンフレットに載っていた写真で紹介します。



例え写真が撮れたとしても、仏像が放つ空気感みたいなものは伝わりません。仏像との相性もあるのでしょうが、これまで3回ほど、仏像と対面したとき体の中を電流のようなものが流れるのを感じたことがありました(個人の感想)。今回はじわっとした温かさに包まれ、涙が出そうになりました。

この仏像の説明がパンフレットに載っていましたので紹介します。

「-途中省略- 天念寺本坊の国宝堂と呼ばれた建物に安置されていましたが、大正8年、当時の帝室博物館に飾置のため貸与されていました。それから、天念寺を襲った昭和16年の大洪水により流された本堂などを再建するために、当時国宝(旧国宝)であったこの仏像は昭和36年に埼玉県の鳥居観音に売却されました。その後地元民の悲願により、平成9年に市が県の補助を受け買い戻し、大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館(現大分県立歴史博物館)に預けられ、平成15年本施設設置により、実に42年ぶり(天念寺を離れてからは84年ぶり)のご帰還となりました。」(「歴史資料館 鬼会の里」パンフレットより引用)

この仏像は、偶然にも大水害の難を逃れ、水害後は再建の資金として寺を助け、紆余曲折を経て天念寺に戻って来た有り難い仏像ということになります。


【追記】
1971年に毎日新聞から出された「国東半島」(写真:堀内初太郎・文:戸井田道三)を読んでいたら、本堂の仏像のことが書いてありました。写真で紹介した「釈迦如来像、左に月光菩薩、右に日光菩薩」ですが、これらの仏像は昭和16年の大水の折に海まで流されたそうです。仏像を見知った人がいて「これは天念寺のものだ」と届けてよこしたそうです。
先の阿弥陀如来像だけでなく、平安朝の仏像が今日まで残るということはそれ自体が奇跡に近く、有り難いことだと改めて思ったところです。
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梅林浴?「虎馬園」

2022年02月23日 | お出かけ
今回も「梅」です。



雲仙の霧氷も気になっているのですが寒くて…
以前は、(寒さ)< (雪山) だったのですが、年のせいでしょうか、すっかり雪山出不精になってしまいました。

雲仙の霧氷見に来とひと云へど寒からむ往きがてぬかも
(吉井勇)


さて、今回は、長崎市松原町にある「虎馬園」の梅を見てきました。


虎馬園は「こうまえん」と読む個人の梅園です。
地域の魅力づくりにと、元自治会長さんが親族と一緒に拓かれたもので、150種、400本もの梅が植えられています。














梅園は道路をはさんで、道路の上と下にあります。
梅の香りを楽しみながら森林浴ならぬ梅林浴をしていたら、上側の梅園でステキなものを見つけました。

なんだ、なんだ?


方丈の庵?


窓から覗くと、テーブル、流し、冷蔵庫が見えました。
どうやら、食事をするところみたいでした。

さらに、




何ということでしょう!




お風呂でした。


満開の梅を見ながら梅林浴?
ステキ過ぎますが、ちょっと梅の時期には寒いですね。
ということは、梅林造りの作業後の汗流し用だったのでしょうか。
また、これだけの梅園を維持するためには年間を通して作業が必要になってきます。

冬場は使っていないようですが、なんとも風流なお風呂です。

このお風呂に浸かりながら中秋の名月を眺める…

風呂上がりは、先ほどの方丈の庵で酒を飲む…

除草作業の後に汗を流し、木のベンチに座って夕涼み。冷えたビールを飲みながら手入れした山を眺める。

なんと風流な‼️
このお風呂を見てあれこれ想像するだけでウキウキしてきます。
そんな風流人だったからこそ山を拓いて梅林を造り、広くみなさんのために公開(無料)されているのでしょう。

梅はまだ7分咲きといった感じでした。
3月にもう一度訪ねてみようと思いました。
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仁比山神社 忘れていた記憶

2021年12月01日 | お出かけ
前回の「紅道をゆく」の続きになります。
はるばる小郡市まで行ったので、その帰りに、大興善寺と仁比山神社を訪ねました。
今回は仁比山神社です。

仁比山護国寺・地蔵院(仁比山神社の隣)

六地蔵 

室町時代に建立されたそうです。

レリーフ「福徳地蔵尊」

こちらは新しい。

水子地蔵


この地蔵院の隣に石段があって


それを登ると仁比山神社の広い境内に出ます。








松尾宮


松尾宮にはお酒の神様を祭ってあるそうです。


境内にあった「見ざる・聞かざる・言わざる」


この三猿には見覚えがあるような…

後は境内の紅葉見学





























まだ新しいえびす様
手にしている釣り竿にはお神籤がいっぱい


えびす様と言えば小脇に抱えた鯛


ちゃんと尻尾まで彫ってあります。


だいぶ日も傾いてきました。


駐車場に戻ってきました。


帰る頃になって、遠い日の記憶が蘇ってきました。
「そうか…ここには20年前、子ども達と一緒に九年庵に来たとき、紅葉に誘われて立ち寄った所だったんだ…」

蘇る20年前の記憶

あの時には、東背振ICを下りたところから大渋滞だったこと。
神崎町役場に駐車して、そこから歩いて行ったこと。
入場整理券をもらうも長蛇の列
何時間(3時間以上)も待って、やっと九年庵に入れたこと。
人・人・人で立ち止まらないように促されながら見学したこと。
九年庵を出たら、隣の丘にも鮮やかな紅葉が見えたので、そちらに行ったら人はまばらで、ゆったりと九年庵にも見劣りしないほどの紅葉が見られたこと。
そこで子ども達はお神籤を引き…
そうだ!そこにあの「見ざる・聞かざる・言わざる」があったんだ…

ここがあの時、九年庵の後に立ち寄った所だったんだ…

「仁比山神社」
とてもステキなところなのに…
もうこの名前は忘れません。

最後に、神社にあった看板

宮司さんのお考えに、深い感銘を受けました。
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