TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

上山 なにげない風景

2014年09月29日 | 上山の四季
いつもの上山のなにげない風景です。

いつのまにか小さな蕾をたくさん付けていた椿。


あのときのユリですが、めしべをふくらませていました。 → 「上山で見つけたユリ…」


以前紹介していた大ミミズにまたまた出くわしました。一瞬、ヘビに見えドッキリです。私はヘビが大の苦手。


いつもの上山、いつもの散歩道での小さな発見でした。
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秋山の危険 身近な上山でも…

2014年09月28日 | 上山の四季
朝、新聞を取りに外へ。ひんやりとした外気に、秋の到来を実感します。この冷気にふれると、テント泊をしていた頃の山の朝が思い出されるのは私だけでしょうか。汗をダラダラ流しながら登った夏山とうって変わって、とても登りやすい秋山シーズンになりましたが、思わぬ落とし穴も待っています。身近な上山にも、注意を促す看板がいくつかあります。


まずは、マムシへの注意。100mそこそこの山ですが、山は山です。マムシがいてあたりまえです。ただ、マムシは積極的には人を襲いません。



次に、イノシシへの注意。まさか市の中心部にある山で…と思っていたら、いました。見かけたのは1年半も前のことですが確かにいました。しかし、ここ1年ほどは見ていませんので、もう駆除されたのかも知れません。


これは椿です。先日、実がごっそりとなくなっていてショックだったと紹介した例の椿なのですが、今度は葉っぱがごっそりとなくなっていました。「えつ!」と思いながらよく見ると…


いっぱいの毛虫です。チャドクガの幼虫、要注意です(^_^;)。直接触るのはもちろんですが、風に飛ばされたこの毛にふれるだけでかぶれてしまいます。服に付いた毛も同様です。

次の看板は多良岳のもので、スズメバチへの注意を呼びかけています。
9月、10月はスズメバチの繁殖期で、特に注意が必要なことは知識として持っていましたが…


  


実は、昨年の9月16日(敬老の日)に、この上山でスズメバチに刺されました、しかも3カ所も。私は常々、マムシと同じように、「ハチは自分からは人を襲いませんよ」と、人に言っていただけに、自分が刺されてショックでした。あの日の状況は次のようなものでした。

上山ですれ違った人から、「スズメバチが飛んでいましたよ」と声を掛けてもらっていました。折しもあの日は、諫早の「のんのこ祭」が近くの広場で行われていて、その音楽の大音量で、ハチの羽音やカチカチというハチが出す警告音が全く聞こえませんでした。異変に気づいたときには手遅れでした。頭に何かカサカサしたなと思ったら、腕やシャツに大きなスズメバチが何匹もとまっていました。興奮して暴れまくっているスズメバチの大群の中に、全く無防備な状態で入っていったわけです。ハチも人間に近付くなよと威嚇していたはずなのに、その音が「のんのこ祭」の音に消されて、全く聞こえなかったのです。手で払いのけながら走って逃げたのですが、頭、肩、腹と刺されました。なおもシャツにはスズメバチがへばりついているので、走りながら脱ぎ捨てました。実は、中学校のときにも一度刺されていて、あのときが2回目でしたので、アナフィラキシーショックが心配でした。山から下り、タクシーで自宅に帰り、すぐに休日当番医に行きました。そこは外科医でしたので、刺されたところに、外科手術用の麻酔を打ってくれました。そのおかげで痛みはスーと引きましたが、5分もするとジワッーと重い痛みがぶり返してきました。後は、我慢するしかありませんでした。痛みより怖いのがアナフィラキシーショックです。スズメバチに刺されて死ぬのはこのアレルギー反応ですので、外科医に尋ねました。「今回アナフィラキシーショックが出なかったので、私は体質的に大丈夫ですね」と聞いたところ、「2回目に出なかったからと言って、3回目が大丈夫という保証はありません」と言われがっくり。山で動物に襲われての死亡事故を見ると、熊の被害よりスズメバチの方がはるかに多いわけですから。
その後、ハチやアブの羽音はもちろんのこと、カナブンなどの「ブーン」という羽音にまで極端な防御姿勢をとるようになりました。他の人が見たら滑稽なまでに。

9月から10月にかけてはスズメバチの繁殖期で、ハチも巣を守るために過敏になっています。スズメバチがカチカチという音を発していたら要注意です。これ以上近づかないでと人間に警告しているわけで、危険だということは知識としては持っていたのですが…、不覚でした。

先日、アフリカンサファリの獣医さんから、この2つをしたら獣医失格という話を聞きました。動物を逃がすことと、動物に襲われることだそうです。この話を聞いたとき、ハチに襲われた自分の未熟さをあらためて思い知らされました。
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「旅と野宿は男の至福」 -屋久島サバイバル編-

2014年09月22日 | SUWV
「旅と野宿は男の至福」 (雑誌「風まかせ」の表紙に書かれていたキャッチコピーより)

「野宿」と同じくらいに憧れたのが「サバイバル」でした。サバイバルも男のロマンです。小学生の頃読んだ「ロビンソン・クルーソ-」や当時のアニメ「冒険ガボテン島」の影響も大きかったのだと思います。そのサバイバルに、大学2年生の春、屋久島で挑戦しました。

せっかくの屋久島ですので、合宿の前半は普通に屋久杉を見て、宮之浦岳や永田岳に登りました。










登山は、暴風雨に見舞われるなどいろいろとありましたが、下山してからが目的であったサバイバルの始まりです。

まず、残った食料を処分しました。(腹を空かして、後で後悔…)


ブス、ガソリンは使わないのでしまいました。


サバイバルに向いた土地を探し、島の中を移動しているところです。


これは、大川の滝ですが、そこから海岸に出たところにいいところを見つけました。いよいよサバイバルの始まりです。


海岸に、シートと流木で家を作りました。


次に、食料探しです。野生のバナナを見つけましたが…


これは青くてお腹をこわしそうだったので、パスしました。山の幸としては、ツワブキがいっぱいありました。海の幸も豊富でした。魚こそ釣れませんでしたが、トコブシ、ミナ、カメノテ、ウニなど。


食事を作っているところです。


トコブシなど新鮮な海の食材はとても美味しかったです。


夕日が海に沈み… 


潮騒の中、焚き火を囲み、酒を飲みながら語り合いました。




この時の合宿のことを、私は、部誌「木霊」に次のように寄稿していました。
(「木霊」第八号 「嗚呼!屋久島サバイバルパート」より)

「汀のさざ波、寄せる波。星空の下パチパチと燃える焚き火を囲んで、ワンゲルを、人生を語ればいつしか夜も更けた。河原で星を数えながら眠りにつく。枕元を流れる清流の音でか、潮騒でか、何度も目を覚ました。その度に星座の配置が変わっているのだ。西の空のオリオンを見つけては安心し、またまどろむ。」 -以下略- 

  
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「旅と野宿は男の至福」 -北海道サイクリング編-

2014年09月21日 | SUWV
「旅と野宿は男の至福」 (雑誌「風まかせ」の表紙に書かれていたキャッチコピーより)

このフレーズには、胸の奥底に眠っている郷愁を呼び起こしてくれる響きがあります。
今回はその原点ともいうべき、大学1年生の時の夏合宿のことを書いてみます。

初めての合宿は北海道サイクリングパートでした。サイクリングと登山を組み合わせて広大な北海道を味わおうというものでした。その時の計画書です。

      

一番左の、阿比留千代磨氏のPL所感です。


阿比留氏は「日常生活に近いキャンプではなく、少しでも自然にとけ込もうという形のキャンプ」を考えておられました。そこに氏のワンゲルとしての矜持があったのでしょう、自転車を使うけれども…という。
具体的には、直火が禁止されている大雪山でのキャンプ以外は全て薪を燃やして食事を作りました。ブス(ホエブス625)は装備していましたが、できるだけ使わないというものでした。「自然にとけ込む」という考えは登山にも表れていました。層雲峡からの大雪山(黒岳)を目指したとときも、当時でさえロープウエーとリフトで手軽に七合目まで行けたというのに、それを使いませんでした。ロープウエー下の登山道は利用者がほとんどなく結構ブッシュ化していたのを覚えています。藪こぎをしながら、また、クマの恐怖におびえながら「どうしてロープウエーを使わないのか」とぼやきながら登っていきました。あの当時はあまり意識しませんでしたが、薪を燃やして飯ををつくるなど、今思えばとても贅沢なキャンプでした。ロープウエーやリフトを使わなかったことも、ワンダーフォーゲル活動の根底に流れる「現代文明への挑戦」の精神を具現化しようとしたものでした。


【合宿の前半 羊蹄山を目指しました】
坂道の向こうに見えるのが蝦夷富士と言われる羊蹄山 ひたすらペダルをこぐ。


坂道を登り切ったところ? 羊蹄山への道のりはまだまだ続きます。


この日は、羊蹄山の麓にある半月湖に泊まりました。白樺の林の中、カッコーが鳴いていて絵に描いたようなきれいなキャンプ場でした。ただ、水場が遠くて苦労しました。次の日はあの羊蹄山の山頂に立つことになります。

山頂にて


山頂近くにあった避難小屋です。そこには管理人さんがいらっしゃって、次のような話をされました。
「北海道の本当の良さは冬に来ないと分からない。羊蹄山は冬の満月の夜が最高。雪で真っ白の火口に月の光が反射して、この世のものとは思えぬ美しさ」だと。一同「冬の北海道ね…」






【合宿の後半 大雪山を目指しました】
テーマが野宿なのですが、その写真はありません。三十年以上も前のことで、今のようにデジカメでなくフィルムの時代ですので、キャンプのようすを写す余裕はありませんでした。

荷物満載の自転車 先輩のシルクキャンピングに憧れる。(→「シルクキャンピングに憧れて」)


国道ですが、内陸部は未舗装の道路が多く残っていました。車が通る度に砂埃が舞っていました。


途中の休憩風景 空には夏の雲。


手つかずの自然が多く残っていました。


いよいよ大雪山登山。

苦労して登った大雪山系黒岳。その後、北鎮岳・旭岳とお花畑の中を周回しました。
黒岳石室のキャンプ場には2泊しました。さすがにこの時はブスでご飯を炊きました。2日目の夜は風が強くて大変だったそうです。私は疲れて爆睡し、何も気づきませんでしたが、夜中にフライの張り綱がきれたりしてその修理にてんてこ舞いだったそうです。





初めての雪渓に大はしゃぎ




今思えば、何も分からない1年生3人をよく面倒見てくださったなと阿比留さん、鬼塚さんの両先輩には感謝です。この時の合宿が私のアウトドアの原点です。

「旅と野宿は男の至福」のフレーズを目にしたとき、真っ先に思い出されたのがこの北海道合宿でした。
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「旅と野宿は男の至福」 

2014年09月20日 | 山にまつわる話
「旅と野宿は男の至福」

なんと素敵なフレーズでしょうか。これは、「風まかせ」というバイクの雑誌の表紙に書かれていたキャッチコピーです。これを目にしたときにはシビれました。




「野宿」という言葉だけで、眠っている男の冒険心がくすぐられます。
いくつになっても野宿は男のロマンであり至福の時です。
「男の」と断ったのは、どうもこの良さが女にはなかなか分かってもらえないからです、わが家だけのことでしょうか…
家族で旅行に行く場合、私は行き当たりばったりの旅が好きなのですが、女房子どもはツアーを好みます。コースも、寝るところも、食べるものも保証されたツアーは、確かに安心・安全・便利ではありますが、私はあまり好きになれません。そのツアーで北海道とか、黒部立山アルペンルートに行きましたが、その度に私はいつも満たされない何かを感じていました。漠然と「何かが違う…」と。その違和感は、ワンゲル時代のテント泊中心の旅スタイルとの違いからくるものでしょう。

野宿は、現地で泊まる場所を探すところから始まりますが、知らない土地への不安や心細さと同時にワクワク感もあります。そのワクワク感はワイルドな冒険心を満たしてくれますが、それこそが旅の醍醐味です。そして、そのスタイルがすっかりからだに染みこんでいるものですから、五十を過ぎた今でも野宿に憧れます。


【野宿風景~社会人編】
平成21年9月20日(ちょうど5年前!)祖母山の登山基地尾平鉱山「ほしこがINN」に泊まったときのようすです。久しぶりのテント泊で、装備はあり合わせのもので間に合わせました。食事もお総菜で済ませましたが、野宿スタイルで昔の山仲間と食べると、とてもおいしく感じられお酒もすすみました。


宿泊棟である「ほしこがINN」の玄関すぐ横にテントを張りました。棟に宿泊のみなさんが、私たちをうらやましそうに見ながら通っていったのを覚えています。






私たちの他にもう一組野宿をしている人たちがいました。それぞれにソロのテントを準備してあり、その装備からも結構野宿の旅に慣れているという感じがしました。


(補足)「ほしこがINN」にはまた行こうと思っていたのですが、現在は営業をしていません。残念です。


【アトレー君での車中泊】
一人で泊をともなう山行のときに便利なのが愛車アトレー君です。テントではなく車中泊ですが、男の冒険心を満たしてくれます。このワクワク感はホテルや民宿では味わうことはできません。









アトレー君の紹介 → 「究極の軽キャンピング
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おかげさまで二周年

2014年09月20日 | エッセイ


同期のTのブログに触発されて、おそるおそるブログなるものを始めたのが2年前です。途中インターネットが壊れ(?)中断していましたが、今年の1月17日より半年ぶりに再開しました。パソコン音痴の私にとって記念すべき第一号「天山ぼっか」をアップしたのが2012年9月22日のことでした。明日が満2歳の誕生日です。今後とも天山歩荷をのぞいていただければ幸いです。

PS:最近やっとリンクのはり方が分かりました。
PS2:リンクがはれてないことに今日気づき修正しました。(10/4)まだまだですね。
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多良岳の石仏

2014年09月14日 | 山(県内)

<法雲地菩薩> 悟りの境地に近づかれたご尊顔


久しぶりの多良岳です。8月は雨の日が多く一度も登れませんでした。
今回は多良岳の石仏を訪ねて、金泉寺から太良嶽神社上宮(いわゆる多良岳)、そして六体地蔵へとゆっくり周回してきました。

まずは、金泉寺から太良嶽上宮までの参道で見ることができる石仏とその途中に咲いていた花を紹介します。


<歓喜地菩薩>
「十地」と言われる如来になるための修行をしている菩薩の一つです。修行の段階が十あるそうですが、その一番目の段階の菩薩です。この歓喜地菩薩は、「仏法を信じ、一切衆生を救済しようとの立願を起こし、ついには自らも仏になるという希望を持ち歓んで修行する」(Wikipediaより引用)菩薩だそうです。
十地ですから本来は十体あるべきなのでしょうが、現在九体しか残っていないようです。第八段階の「不動地菩薩」が行方不明だそうです。また、十地はその修行段階から順番に並べて安置されるべきものでしょうがこの後の順番は入れ替わっています。明治初めの廃仏毀釈の騒動が原因とする説があります。
また、今回の山行では八体しか見つけることができませんでした。修行七段階目の「遠行地菩薩」は次回ということで…


<二丁石>
石仏ではありませんが金泉寺から上宮への参道に立てられた丁石。これも1丁(109m)毎に立っていたのでしょうが、現在はこれと六丁石しか残っていません。


<役行者座像> 
奈良時代の修験道の開祖。この像は1712年の作と説明文があります。


<観世音菩薩>
よく見ると首が取れた後があります。首から下と作風が違うので、お顔は後世のものか…。(違ったらごめんなさい)


<梵字の石碑>




<発光地菩薩>
修行三段階目 「精進の結果、その功徳として光を放ち十種の法明門を行う」(Wikipediaより引用)



<苔むした石仏>
全体が摩耗しており、遠い昔から山岳宗教の山として崇められた多良岳の歴史の深さを感じさせてくれます。


<法雲地菩薩>
修行最終段階、すなわち十段階目です。修行を重ね悟りの境地に近づかれたご尊顔が本ブログのトップの大きな写真です。
 


<十六羅漢>


<焔慧地菩薩>
修行第四段階 「精進波羅蜜を成就して修惑を断じ、智慧を熾盛に光らしめる位。個々の物に対する執着心を離れ、その功徳として四方を照らす」(Wikipediaより引用)私も物欲が少しでも減りますようにとしっかりお参りをしました。


<善想地菩薩> 修行第九段階


<難勝地菩薩> 修行第五段階


<離垢地菩薩> 修行第二段階 
国見岳と多良岳の分岐近くにあります。この分岐から上宮までの稜線上にはたくさんの花が咲いていました。帰りに金泉寺によって花の名前を教えてもらったのですが、下山したらほとんど忘れていました。








<現前地菩薩> 修行第六段階 上宮に登る階段の手前にあります






<太良嶽神社上宮> 「多良岳」と呼んでいるところです。

金泉寺からこの上宮までは普通は30分ほどで登るのですが、今回は石仏を探しながらゆっくりと登りました。石仏の名称につきましては、引地秀司氏の「多良岳の休日」を参考にさせてもらいました。

久しぶりの青空の下多良岳に登ったのですが、稜線上はすでに秋の風が吹いており、肌寒くてウインドブレーカーを着用しました。


秋の始まり? 色づき始めたモミジ

ここから前岳方面に向かい、途中の鞍部で下りて六体地蔵を見に行きました。


<ヒメシャラの木> よく見ると艶めかしいですね。

六体地蔵です。



<六体地蔵>

ここに立てられた看板には次のようにかかれています。








この六体地蔵が江戸中期、上宮への登りはじめにある役行者座像が1712年の作とあります。
途中にあった丸くすり減り苔むした仏像は多良岳開山の頃のでしょうか。だとすると奈良時代…?(これは私の想像です)



苔むし、ややもすると石と見まがう名もない石仏にロマンを感じずにはいられません。


最後に、金泉寺への登り口にニューフェイスの石仏が寄進されていました。多良岳信仰は現在も続いています。




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十六夜の月に… 幽霊を見た!

2014年09月13日 | エッセイ


中秋の名月を愛でた次の夜です。(9月9日)
私は大変な発見をしたとその夜は興奮しました。
深夜のことです。窓から差し込む月明かりに誘われてベランダに出ると、きれいな十六夜の月が出ていました。写真を撮っているうちに、月の後ろに見える青い物体に気づきました。肉眼では見えませんが、倍率を上げたモニタ越しに月の後ろに見え隠れします。月の衛星?それともあの青いのが月?ひょっとしたら大発見?いろいろなことが頭に浮かび興奮してなかなか眠れませんでした。






はたして結果は…

「ゴースト」ということでした。少しカメラをかじったことがある人なら知っているという基本的なことだそうです。この場合、月の光が強いために、その光がレンズ内面での再反射によっておこる現象だそうです。その名も「ゴースト」、幽霊です。
天体写真などこれまで撮ったことがなかったので、一人で盛り上がってしまいましたが、良い勉強になりました。

ところで、次の満月である10月8日は皆既月食です。午後6時過ぎから午後9時半頃までだそうですから、早めに仕事を片付けてじっくりと見る予定です。(東京で夜間中学校の先生をしている龍馬くん、ぜひ生徒さんと一緒にこの天体ショーを見てください。)

これまで皆既月食は2回見ました。満月が少しずつ欠けていき、最後は消えると思っていたら不気味な赤黒い色の月に変わります。英語ではブラッドムーン(blood moon:直訳すると「血の月」)と呼ぶそうです。ちなみに日本ではあの色を「赤銅色」というそうです。
洋の東西を問わず、古の人にとって皆既月食はまさに怪奇月食で、不吉なことが起きる前兆として恐れおののいたことでしょう。あの赤い月こそゴーストです。

前回これを見たのは、1997年の9月16日でした。あの日はなんと中秋の名月と皆既月食が重なるということで大変話題になっていました。しかもあの夜は雲一つなかったので、きれいな月食とあの不気味な赤い月を見ることができました。

さて、来月の月食が楽しみです。それまでに天体写真の勉強をしておき、きれいな月食の写真がアップできればと思っています。後は天気と腕次第です…
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置かれた場所で… (続)

2014年09月13日 | 畑・園芸・工芸・片付け


先日紹介しました、コンクリートの隙間に生えたアサガオの続編です。
この1週間毎日のように花を咲かせ続けました。そのけなげさに愛おしさを感じます。
実はこのアサガオですが、何度も私から生命の危機を浴びせられていました。
私は落ち葉を掃く際に、竹箒で掻き出そうとしました。その度に葉っぱは擦れましたが、茎はしぶとく離れなかったのです。そういうことが何度かあってそのまま放っておいたのが、他のアサガオが枯れる頃に一輪の花を咲かせたのが前回でした。
逆境に耐えて花を咲かせたアサガオくんに、今日はなんと種子まで見つけることができました。







コンクリートの隙間で展開される命の営みに感動しています。
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中秋の名月 2014

2014年09月08日 | その他


雨が多かった今年の夏でしたが、昨日、そして中秋の今日と二日続けてきれいな月を見ることができました。



タイトルに「2014」としたのは、2年前のブログをし始めた頃にも中秋の名月を投稿していたからです。そちらには学生時代の月見の思い出などを綴っています。よかったらのぞいてみてください。(→ 「中秋の名月」)

今回は自宅のベランダから静かに月を愛でました。きれいな月を眺めていると、心がどんどん澄んでいくような感じがしました。




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