TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

名もなき丘と思っていたら… 

2020年09月30日 | 諫早
諫早の家の近所に木の生い茂った丘があります。
標高は20mに満たないのですが、なんとなく鎮守の杜といった雰囲気を醸し出している丘なのでずうっと気になっていました。

こんな感じです


この場所から反対の左側を見るとそこにも丘が


その丘には興味があったのですが、丘の近くには住宅が建ち並んでいて、よその敷地に入って行くみたいだったので一度も近寄ったことはありませんでした。

先日、職場の同僚がそこを知っていて、
「子どもの頃よく遊びに行っていた」
「頂上に祠があった」
「あの頃は『茶うす』と言っていた」
の情報をくれました。
さらに、その数日後に、「頂上に行く道はまだ残っていましたよ」と手書きの地図を書いてくれたのです。

瞬間的にスイッチが入り、その日の夕方さっそく行ってみました。

「ちゃうす」への入り口


すぐに「茶臼山」の標識!


さらに進むと


かなりの竹が倒れたままで寂れた感じがします。なんとなく恐い…


確かに祠がありました。


首が傷んだ石仏(廃仏毀釈の名残?)




この不動明王は新しいようです


標識あり


諫江八十八ヶ所霊場の一つに選ばれた地でした。


諫江八十八ヶ所霊場は四国八十八ヶ所に習って諫早領内に八十八体の弘法大師が祀ってあります。
祠の中の弘法大師像


実はここはゼンリンの地図には「墓地」、上の大師を祭っている祠は「納骨堂」と記されていますが、それは間違いのようです。

「諫江八十八ヶ所」のキーワードで検索をかけたらこの地の歴史が分かりました。
ここ茶臼山は西郷氏が伊佐早を治めていた頃の砦跡で、龍造寺に変わってからもしばらくは砦として使われていたといいます。

そういえば「西郷神」の文字も


これは鳥居の額のようです。西郷神(社)があったのでしょうか。



さらにネットで調べていたら、「新道弘法山から見た茶臼山」というタイトルの写真がありました。角度からして撮影場所の「新道弘法山」こそが左手に見えていたもう一つの丘ということになります。

さっそく出かけました。











ここも諫江八十八ヶ所の一つで、弘法大師が祀ってありました。


ここからの眺めが、ネットで見た写真と同じです。


向こうのこんもりした丘が茶臼山です。
ここが「新道弘法山」ということになりますが、それを示す標識が何もありません。
ただ、ここも諫江八十八ヶ所の一つだったので、そこから調べてこの地が「新道弘法山」と呼ばれていたことが分かりました。
ここが茶臼山と同じく「砦」という記述は今のところ見つけられませんでしたが、ここも茶臼山と同じく伊佐早の南からの攻めに備えての砦ではなかったかと想像します。


名もなき丘には茶臼山、新道弘法山という名前がありました。
乱世がおわり平和な江戸以降は砦の役目を終え、領内安穏・子孫繁栄を静かに祈る「諫江八十八ヶ所」の霊場になったようです。
コメント

もうすぐ十五夜です

2020年09月29日 | 上山の四季
もうすぐ中秋の名月ですが、今年の十五夜をどこで見るか迷っています。
今年は少し趣向を変えて、島原の実家か上山山頂の展望台かと考えています。

今日は十三夜ですが、いつものように上山に登ったら大きな月を展望台から見ることができました。



見えている山は雲仙です。時刻は日没前の17時42分。
周囲はまだ明るいのですが、それでもクッキリと分かるほどの明るく大きな月が昇っていました。
明後日の十五夜への期待が一気に高まりました。
さて、どこで見るか。考えるだけでウキウキしてきます。




明日は月見用の酒を買いに行きます。銘柄も決めています。
コメント

長崎県にある吉井勇の歌碑

2020年09月28日 | 吉井勇
長崎県内にある吉井勇の歌碑は8基と思っていました。
これまでに7基訪ねていたので、先日の平戸行きで県内の吉井勇歌碑巡りは終わりだと思っていました。
ところが、9基あると書かれた書籍を見つけました。
「島内八郎めもあーる」という本です。



昭和52年に出版された本で、筆者の島内氏は吉井勇と長年交遊のあった方です。
島内氏が紹介されている9基は次の通りです。(順番は私が訪ねた順に変えさせてもらいました)

① 古賀の行仙岳詠
② 長崎のじゃがたらお春詠
③  〃 稲佐岳詠
④  〃 道ノ尾蓬莱池詠
⑤  〃 黒龍詠
⑥ 諫早の蛍塚詠
⑦ 雲仙の湯元詠
⑧ 平戸河内峠の平戸詠
⑨ 多良岳の狙仙の猿詠

①~⑧までと思っていたら、なんと多良岳にもあると書いてあるのです。
「狙仙の猿」詠は、

  多良嶽の摩尼の山路のゆきかへり狙仙の猿に会ふよしもがな

ですが、この歌碑があるとは知りませんでした。
多良岳にはよく行っているだけに、「灯台もと暗し」とはこのことです。

島内氏がご存命ならお尋ねもできるのですが、残念ながら昭和58年に亡くなられています。
ひょっとしたら碑ではなく、多良岳広域林道沿いに立っていた案内板のことかなあと思ったりしているのですが。
でも今はその案内板はありません。(間違いが多かったからでしょうか…)

ひょっとしてこれのことでしょうか?



多良岳の歌碑は今後調べるとして、長崎県に9基、全国で100を超える歌碑が建てられています。
歌碑が吉井勇の全てではありませんが、歌碑の一つ一つは吉井にとっては意義深いものであり、碑が建つその地は吉井と関係の深い地です。その地に行けば吉井の感動の追体験や吉井とその土地の人との結びつきが発見できます。そういった意味で吉井勇調べの第1弾として長崎県内の吉井勇歌碑巡りをしているわけです。第2弾で「五足の靴」、第3弾で四国・瀬戸・九州の「大歌行脚」のそれぞれの足跡を訪ねようと思っています。

コメント

スマホに変えました

2020年09月27日 | SUWV
長年愛用したガラケイをスマホに変えました。
2022年には今のガラケイが使えなくなると聞いていたので、そろそろ変えなければとは思っていたのですが、その日は突然訪れました。

ある用事でワンゲルの先輩Sさんにお会いしたのですが、その足でそのままAuショップに連れて行かれたのです。
その先輩からは、以前から「スマホに変えろ、変えろ」と言われ続けていたのですが、一向に私が変えないものですから、ついに業を煮やされたのか「今から近くのAuに行くぞ」と連れて行かれました。
あいにくその日のAuショップは予約客でいっぱいで受け付けてもらえませんでしたが、店の前で先輩から、「会の幹事をするのに連絡をするのも、集約をするのもLINEの方が断然早い。何もかも時代に合わせろとはいわないが、時代についていくところはついていかんば」と意見をされたのです。

この年になったら、本気で意見してくれる人はそういません。そこはやはりワンゲルの先輩だなとありがたく思いました。
そこまで心配してくださるのならと、翌日店に行ってスマホに変えた次第です。
ガラケイからの切り替え割や貯まっていたポイントを使い、手出しなしでスマホを手に入れることができました。しかも毎月の使用料がガラケイよりも安いのには驚きました。


今まで自分が使った携帯を並べてみました。




初代はトランシーバー型でしたが、そのうちに二つ折りのものに変わりました。2代目のグリーンのが割と早く壊れたので、3代目に変えたのが2008年の10月で、それを先日まで13年間使い続けたわけです。
ところが、3代目のガラケイのメーカーはそれを2020年を越えて使うことは想定していなかったようです。内蔵のカレンダーが2019年12月31日までしか組んでありませんでした。

これまでのガラケイ



さて、遅まきながらのスマホデビューです。
まだ使い方をあれこれ研究しているところですがスマホは便利です。
またもや新しい世界を勧めてくださった先輩に感謝です。
「またもや」とことわったのは、学生時代にワンゲルに誘ってくださったのもこの先輩でした。
コメント (4)

平戸・生月へ

2020年09月21日 | お出かけ
日帰りで平戸と生月島に行ってきました。
久しぶりのドライブです。
平戸は20代の頃に一度行ったことがあり、その時の「遠いな」というイメージが残っていたのですが、今は高速道路が佐々まで延びていて1時間半で行くことができました。
川内峠に建つ吉井勇の歌碑を訪ねるのが目的でしたが、時間に余裕があったので他にもいろいろと見て回ることができました。

平戸の手前にある田平天主堂が最初の訪問地です。




ここで一つ失敗をしました。この田平天主堂を見学するには事前の連絡が必要だとのことでした。お願いをして外だけ見学させてもらいました。


そして平戸大橋(今は無料! 昔は高かった…)


平戸で真っ先に訪ねたのは川内峠

どっしりと建つ吉井勇の歌碑(後から写したもの)


これについては吉井勇のカテゴリーで詳しく取り上げます。
(ここで書くと長くなりそうなので…)

丘の上からの眺め



 山きよく海うるはしとたたへつつたび人われや平戸よく見む  吉井勇


「麗しい」海を求めて根獅子の浜へ 





隣にある人津久の浜


ここも海水浴場なのですが、秋の風が吹いていました。
特に今年はコロナの影響で桟敷も出なかったそうです。

今年は出番がなかったという桟敷


来年の夏は賑わいが戻ることを願いながら、次の目的地である世界遺産・春日集落を目指しました。

小春日のバス停にて 「バスの終点ばい ケロケロ」


なお、このバス停の前には集落で唯一という飲み物の自販機が設置されていました。

春日集落と言えば棚田です。さっそく棚田へと向かいました。


途中に見えた小高い丘は「丸尾さま(山)」で、平戸市春日地区探索マップには次のように書かれています。、

「丘の上には春日の人が大切に守っている石の祠があります。古いキリシタンの墓も埋まっている歴史ある場所。丘には登らず、離れたところから大切に眺めましょう。」

そのことを知らないのでしょう、丘のてっぺんに立っている人が見えます。 

そして、美しい棚田 春日地区の稲は早場米らしく、もう収穫が終わっていました



馬洗川 少し奥まったところは深くなっていて、そこで馬を洗っていたそうです。



次は生月島です。
生月と言えばワンゲル後輩のY島のふるさとです。
学生時代に、彼から生月島のことを聞いていたので期待のボルテージが高まります。

生月大橋は7月の大雨で崖が崩れ一時通行できませんでしたが、今は片側通行ながら通れました。


橋を渡ったところで昼食
時間がもったいないのでコンビニ弁当で済ませます。
買ったのは Family Mart 生月大橋店ですが、ここには、お弁当と同じようにお刺身のパックがズラリと並んでいました。買おうかなと思いましたが、パブロフの犬みたいに、ビールが欲しくなるのでやめときました。


ハンドルに簡易テーブルを取り付けてのランチタイム


そして目の前には生月大橋



昼食後、最初の見学地
山田教会



ガスパル様(クルスの丘公園)
 

ここからは信仰の聖地・中江ノ島を間近に見ることができます。



そして島の最北端に位置する大バエ灯台へ
灯台のすぐ近くまで車でも行けますが、岬道を300m歩いて登りました。


初めのうちは景色がよかったのですが、途中から林の中に。「車の方がよかったかな…」と思い始めた頃、視界に灯台が飛び込んできました。


灯台からの眺め  西に五島列島


北に対馬や壱岐 写真左手に見えているのが壱岐


何よりも水平線を遮るものが少なく、地球が丸いことを実感できます。
ここの案内板にも
「ここ大碆鼻(おおばえばな)は生月島の北端に位置し、海と空が溶け合う雄大で素晴らしい景観が眺望できます」とありますが、まさにその通りです。

「空と海の調和」




帰りは西海岸「生月サンセットウェイ」を走り、生月島を後にしました。
平戸島に戻り、オランダ商館跡とザビエル記念教会を見学しました。

オランダ商館跡の展示物


オランダ船船首木像(船の守り神だそうです)


地球儀と天球儀



この日最後の見学地、ザビエル祈念教会


ザビエルと言えば、以後よく(1549年)来るようになった、あのフランシスコ・ザビエルで、そしてオランダ商館は元祖オランダ貿易の拠点地だったことを知りました。
ということは、南蛮貿易もキリスト教も長崎(市)よりも平戸の方が歴史が古いことになります。私が知らなかっただけか。勉強になりました。

夕日に染まる歴史の港


「寺院と教会の見える風景」 夕暮れ + 逆光でぼんやりしていますが…じぃ~んときました。




駆け足で平戸島と生月島を見て回りましたが、他にもいっぱい史跡が残っているので、今度泊まりがけでじっくりと見て回ろうと思いました。
コメント (2)

虫たちの楽園Ⅱ

2020年09月15日 | 畑・園芸・工芸・片付け
「虫たちの楽園」は先日もアップしましたが、あの時はまだ人と虫との共存といった感じでした。ところが、今はちがいます。イチジクの木は虫たちに完全に乗っ取られ、どうにも手に負えない状態になっています。







アシナガバチまでならまだ何とかなるのですが…
問題はコイツです。


スズメバチです!


こうしてカメラを向けるだけで


おお恐~っ! 目で威嚇してきます。
「これは私が育てたイチジクです」と説明したところで話の分かる相手ではありません。


数年前、スズメバチの大群に襲われ刺されて以来、私はスズメバチ恐怖症になりました。
あの時3箇所も刺されたことで、私の体内には抗体ができていています。今度刺されるとアナフィラキシーショックと言われる過剰反応を起こしかねないのです。
そのこともあって、スズメバチがいると恐くて近づけません。



遠巻きに観察していると、虫の中にも序列があることが分かりました。
わが物顔でのさばっているのはスズメバチです。
アシナガバチはスズメバチが来るとすぐに飛び立ってスズメバチに熟れた実を譲ります。
同じ実にカナブンとスズメバチが一緒にいることはありますが、カナブンがじゃまなときには体当たり一発でカナブンを蹴落とします。






イチジクもほぼ終わりなのですが、熟れすぎた実は除去してやった方が木の為にいいかなと思うのですが、虫たちに占拠されて近づけないのです。








裏の畑一面に熟れたイチジクの甘い香りが漂っています。
その匂いに誘われてたくさんの虫がやってきます。
わが家のイチジク園は虫たちの桃源郷と化しています。
心優しい畑の主は、残りの実を虫たちに分け与えることにしたのでした。
- おしまい -


コメント

大雨の爪痕 上山の登山道

2020年09月13日 | 上山の四季
9/12は、深夜から降り出した雨であわや大惨事となるところでした。
諫早市では、わが家のすぐ横を流れる半造川が避難判断水域を越え、未明に避難勧告が出されました。短時間に時間あたり76.5mmの大雨が降ったとのことでした。
幸いなことに午前7時には雨はやみ、午後からは青空が広がりました。
そして夕方、いつもの上山に出かけましたが、大雨の爪痕がいたるところに残っていました。
特に、南口からの登山道は車道を雨が激流となって流れたらしく、ところどころ道が鋭くえぐられていました。

水の勢いでなぎ倒された草


道の脇は川になって水が流れていました(ふだんは流れていない)


この南口からの登りは、高校の陸上部がよく走っているのですが


これでは足を挫きそうです


表面の土が流されていますが…


人工的に作られたこの道の下には、平らな石が敷き詰められていました。





大雨の爪痕は山頂まで続いていました。









そして山頂
大雨が嘘だったかのような青空が、少しだけ秋の気配を感じさせながら広がっていました。




おまけ
7月1日より始めた「ぶら下がり健康木」でのトレーニング


上山に登ったときは毎回この木にぶら下がっています。






ぶら下がり健康木の利用は、本日で27回目でした。(27/73日)
少しずつ腕力が戻りつつあります。



コメント

一難去ってまた一難 危機一髪「内水氾濫」

2020年09月12日 | その他
「一難去ってまた一難」
「災害は忘れた頃にやってくる」

台風10号接近にあたっては厳戒態勢で臨みましたが、前もって言われたほどではありませんでした。そのせいで気が緩んでいたのでしょうか、昨夜の雨については全く無警戒でした。

天気予報で大気の状態が不安定だとは言っていたようです。たいして気にも留めませんでした。
そしたら朝起きてビックリです。
夜中に雷鳴は聞こえていましたが、「寝耳に水」の事態が起きていたのです。

早朝、表が騒がしかったので出てみると…



何これ?

道路が冠水しているではありませんか。
これでは車が出せず出勤できないと、ご近所で騒ぎになっていました。
確かに…

道路と反対の川を見てみると


何これ?
一晩で溢れんばかりに太っていました。

幸い、7時頃から雨はやみこれ以上水位は上がりませんでしたが、あと半日雨が降り続けたら大変なことになるところでした。

ところで、表の道路冠水はいわゆる「内水氾濫」です。
川が溢れて氾濫しているのではなく、急激に降った雨水を川に流すことができずに溢れているのです。7月に久留米市を襲った水害などがこれにあたります。
そのときの毎日新聞では次のイラストで内水氾濫を説明していました。


(2020 7/15 毎日新聞)

川の水が上がると、川からの逆流を防ぐために水門を閉めます。
それまで川に流していた水はポンプでくみ上げて川に逃がすのですが、そのポンプの処理能力を上回る雨水が発生した場合に雨水があふれ出して低い土地が冠水するわけです。

樋門横のポンプを見に行きました。


あれ?
パイロットランプは点滅しているけど、稼働していないような…
私の勘違いでなければ全く水を汲みあげていませんでした。



水が排出されていない…


7月にも大雨が降りましたが、そのときは

(2020 7/10)

確かに排水していました。

ちなみに、この排水溝は樋門の上にあります。


おっと、カエル君はエラい! 冠水に備え朝顔の支柱に避難しています。



雨が上がって2時間後は、道路の水は完全に引きました。



最初の写真と同じ所です。


鳴り物入りの台風10号をやり過ごし、あまりにも油断していました。
一つ間違えば大変なことになるところでした。
昔の人はいいことを言っています。

「油断大敵」
「災害は忘れた頃にやってくる」





コメント

台風10号去りし朝

2020年09月07日 | その他
台風10号が遠ざかりつつある。風はまだ南寄りで、時々うなるような音を立て吹き荒れている。

ここ諫早では大きな被害は出なかったが、夜中から停電となった。仕方がないと思ったが、大きな道1本はさんだ向こうの家々の窓には明かりが点いている。ラジオの情報だと、現在長崎県の19%が停電中だという。我が家は停電した方の2割の方らしい…

庭に目をやると、終わりかけの夏の花壇に朝顔が花を咲かせている。暴風雨を言い訳にせず、精いっぱい命を輝かせている姿がいじらしい。






電気は止まったものの、水とガスは生きているのでそこまでは困らない。水はふんだんに使えるので山小屋よりはいい。ただ、停電が長時間続くと冷蔵庫の中身が心配になる。(こんなことを書いて、被害を受けられた方には申し訳ない…)

テレビがつかないと静かなものだ。雨戸をあけた窓越しに風になびく樹木は見えるが風の音はあまり聞こえない。テレビやネットが使えない分ほかのことができる。山だったら、悪天候を理由にテントの中でまったりと過ごしたり骨休めをする「沈殿」といったところだ。

今度の台風10号は、はるか南方海上にある時からこれまでに経験したことのないような甚大な被害をもたらすとてつもない台風だと喧伝されていた。そのおかげで(?)本日のお仕事はあらかじめ休みである。


風が西寄りに変わりつつある。あと数時間で天気が回復しそうだ。風がおさまればすぐにでも島原の実家の方に行きたい。備えはしていたものの被害がなかったか気になるからだ。

おっと、突然テレビがついた。電気が復旧したのだ。天気が悪い中、九電の皆さんのご努力に感謝である。冷蔵庫もだが、これでウォシュレットやシャーワーが使える。風呂はガスなのだが、その装置が電気仕掛けなので停電だと使えないのだ。今の便利な生活がいかに電気に頼っているかを、こんな時に思い知らされる。
アントニオ猪木先生の名言が思い出される。
「電気があれば何でもできる」…、ちがったかな?

昨日、新聞のチラシの中に最近では珍しい手書きのものが混じっていた。今日の朝刊の配達についての店主からのお願いだった。



毎朝届けなければという使命感もだが、明日は配達員の命に係わる厳しい状況であることを理解してほしいというものだった。手書きの書面からは店主の思いがよく伝わってきた。

風がおさまり晴れ間が見えたかと思ったらまた風雨がぶり返してきた。しばらくは動かない方がいいみたいである。午前中は「沈殿」と決め込む。


そのうちにお昼となった。今日のメニューはラップに包んだおにぎりとカレーで、非常時(幸い、嵐はやみそうだが)に備えていたものだ。



お皿の上でラップを広げ盛りつけるとお皿が汚れない。


食べ終わるとこのラップを丸める。


油分の多いカレーでもこんな感じで、断水時には役に立つ。




太陽が顔を出す時間が増え風も徐々に弱まりつつある。もう大丈夫だろう。腹ごしらえもできたので実家の様子を見に出発することにした。島原も無事であることを願いながら。
コメント (3)

虫たちの楽園

2020年09月04日 | 畑・園芸・工芸・片付け
裏の畑はにはイチジクの甘い香りが漂っています。
その香りにつられて、虫たちもいっぱい集まってお祭り騒ぎです。

パックリ割れたイチジク



さらに割れた実には


色がカブって見にくいですが、カナブンです。


樹上で熟し過ぎたイチジクは大変なことになっています。



おっと、ピントが… 手前のイチジクです



ハチもいます。




どさくさに紛れてこんなカップルも





イチジク園は今、虫たちの楽園です。



コメント