TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

天山から眉山へ(最終回)

2023年04月14日 | その他
拙ブログ "tenzanbokka78" を、長いことお訪ねいただき、ありがとうございました。
おかげさまで、ブログ開設から10年あまり経ち、アップしたブログは1000を越えました。

セカンドライフが始まったのを機に、"tenzanbokka78" に一つの区切りをつけようと思っています。

そこで、心機一転の新規移転!
「まんやま独歩」という新たなブログを開設することにしました。

「まんやま」は故郷のやま「眉山」のことです。
青春の山「天山」から故郷の山「眉山」を冠したブログに移行し、セカンドライフの歩み(老境)を綴っていこうと思っています。


長い間、tenzanbokka78をご訪問いただきありがとうございました。
新しいブログ「まんやま独歩」もよろしくお願いします。
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「待て、しかして希望せよ!」

2022年01月28日 | その他
「年賀状出さずにいたら死亡説」(「シニア川柳20選」より)

思わず吹き出しました。
まてよ、私もしばらくブログを更新していないので「死亡説」とまではいかなくても、「コロナ説」が流れるかも知れないと思い、あわてて更新しています。
私はいたって元気です。

ところで、年が明けてオミクロン株が急激に増えています。一昨日(26日)長崎県でも「まん延防止等重点措置区域」が県内全域に拡大されました。それにともなって、義父が入っている施設でも面会ができなくなりました。
去年もしばらく会えない時期がありましたが、コロナが下火になってからは積極的に会う機会を増やしました。天気のいい日には、何度か外にも連れて行きました。

鍋冠山展望台


90過ぎの義父が私たちに、長崎の街や山の名前を説明してくれているところです。
コロナが収まり久しぶりに会ったときには、義父は私のことを忘れていましたが、何度か会ううちに思い出してくれました。今年はもっと面会の機会を増やし、いろいろなところに連れていこうと思っていたのですが…

我慢の日々が続きます。


近所の施設で、あるものを見つけました。


施設の庭にニョキニョキと生えているのはキノコではありません。


我慢の日々、ある方の工夫の跡です。
その方は入所している家族に、何とか刺激を与えようと、歩道から部屋に向かって手を振って励ましていました。そして、訪れた日には、日付を記した手作りのプレートを、窓から見えるように立てているそうです。




このプレートに私も励まされました。
我慢の日々、制限された生活が続きますが、希望をもって進んでいこうと思います。


タイトルの「待て、しかして希望せよ!」は、今読んでいる本で見つけたフレーズです。(山内義男訳「モンテ・クリスト伯爵」)
このフレーズの前には「人間の叡智はすべてこの言葉に尽きる」とまで書いてありました。

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今宵の月

2021年09月22日 | その他
昨夜はあいにくの天気で中秋の名月は見られませんでした。
そして今宵、きれいな月が昇りました。



ズームイン

(絞り:8、シャッタースピード:1/100、ISO400、三脚なし)


息子からも写真が送ってきました。
長崎の夜景と月です。



昨晩できなかったので、今宵の月を愛でている人は多いのではないでしょうか。
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手術を決めた理由

2021年09月07日 | その他
白内障の診断を受けたのは昨年、2020年の3月末でした。
ショックでした。
自分自身が白内障はお年寄りの病気だと思っていたからです。
しかも、手術をした方がいいと言われたのです。

白内障の初期…
でも、日常生活での困り感はなかったので、手術をするのをためらいました。

別に今のままでも困ってはいない。
もっと進んでからでいいのではないか。
何よりも、目にメスを入れるのが怖い…




手術は、これまで2回しました。
そのときは、病気が日常生活を苦しめ、この痛みから解放されるのであればと、進んで手術を受けたのでした。

今回の白内障は、癌などのように命に関わるような病気でもないし、自覚症状や困り感もなかったので、手術をしてもしなくてもいいような感じでした。

診断された1年半前は、コロナ感染の広がりもあり、病院に行くのを控え、そのままにしていました。


今年の3月、年に1回の特定健診の折、内科医の問診で白内障であることを告げたら、「眼科医が手術の話をされたのであれば、手術は早いほうがいいですよ」と言われたのでした。
理由を尋ねると
「若い方の方が(目の)組織も柔らかく手術がしやすいことと、白内障を放置しておくと、網膜が光が入らないことになれ見る力が弱くなり、手術をしても視力が回復しない場合があります」とおっしゃったのです。

「白内障が始まっているのであれば、いつかはしなくてはならない手術、早いほうがいいですよ」と。

特定健診で白内障の手術を勧められるとは思ってもいませんでしたが、親身に私の目のことを心配してくださった内科医の先生のお話で手術をする決心したのでした。

手術を終えての感想ですが、思い切って手術をしてよかったと思っています。
近視がひどく、入浴するにも眼鏡が必要だったのが、眼鏡なしで室内生活を送れるようになりました。運転時には眼鏡をしますが、度の軽いレンズです。

長年染みついた生活習慣で、朝目覚めると、枕元の眼鏡を探そうと手が動きハッとします。
その度に、もう眼鏡はいらなくなったんだ…と、手術後の新しい生活スタイルに嬉しさを感じています。
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白内障…

2021年09月05日 | その他
昨日のブログは3週間ぶりの投稿でした。
実は8月の後半に白内障の手術を受けて、しばらくおとなしくしていました。

8月18日に左目、25日に右の手術です。

白内障というとお年寄りというイメージがあるのですが、自分もその領域に入ってきたということでしょうか、職場では病名を勝手に「若年性の白内障」だと言い、見栄を張っていましたが。

その白内障のパンフレット


使われているお年寄りのイラストに抵抗があったのですが、他人から見れば私もこのイラストの人と大差ないのかも知れません。

さて、白内障の手術ですが、身近なところで耳にするのでたいしたことないと思っていました。ところが、いざ自分が受けてみるとそれはそれは大変でした。
眼球は麻酔をしているので痛くはないのですが、あまりの眩しさに苦しみました。目薬で散瞳(瞳が開き光がマックスに入る状態)した上に、まばたきができないようにテープやら器具で固定され、目の真上でライトが点灯するのです。
思わず声を上げました、「この状態でですか?」と。
執刀医の「そうです」の答えに、おののきました。
麻酔をしているのは眼球だけ、意識はしっかりしているので、それはそれは恐怖の時間でした。

逃げることのできない眩いばかりの光の中で、ぐるぐる回る銀河のようなものが現れては消え、そしてまた別の銀河が現れるのでした。目の中で大変なことが行われているのが自覚できるのです。手術が終わったときには汗びっしょりでした。

3日入院しました。
ベッドで安静です。入院生活の楽しみといえば食事です。


味付けは薄めですが、おやつ付きで充実していました。

入院初日の夜にお刺身が出たのですが…


刺身を見ると条件反射的にお酒が欲しくなるのですがお酒はつきません。このとき改めて入院しているということを実感しました。目にメスを入れているので、血管が開くアルコールは厳禁です。
刺身をおかずにご飯を食べて、しみじみと病人である事実をかみしめました。

翌日に眼帯が外れました。
恐る恐る目を開くと、眼鏡なしで見えることに驚きました。しかも世の中が明るいのです。
困ったことといえば、3日間、入浴はもちろん、顔洗いや洗髪ができないことでした。夏場に風呂に入らない、入れないというのは常念山脈縦走以来のことでした。

1週間が無事に過ぎて、8月25日。
今度は右目の手術です。
2回目なので要領は分かっているのですが、要領が分かっている分あの気持ち悪い手術をするのかと思うと気が滅入ります。早めの昼食を終え、手術までの時間を紛らわせてくれたのが甲子園(高校野球)でした。ちょうどこの日は地元の長崎商業の3回戦が午後1時20分プレイボールでした。一進一退の緊張したゲーム展開に手術のことも忘れて見入っていました。



5回の攻防が終わったときに病室のドアがノックされ、手術の順番になったことを宣告されました。
ついにきたか…

試合の続きが気になったのですが、結果はニュースで聞けばいいやと気持ちを切り替えて手術室へと向かいました。

あの眩しさは何度やっても慣れるものではありません。動物は眩しいものを見ると思わずまばたきをします。反射的に瞳孔をすぼめ目に入る光を減少させます。その2つの防衛機能を強制的に奪われた白内障手術はある意味拷問です。

「終わりました」のドクターの声で解放され病室に戻りました。
テレビをつけると甲子園の続きがあっていました。しかもまだ6回の裏でした。

ああ、長い時間眩い宇宙空間をさまよっていたと思っていたら、わずかの時間しか経過していなかったのです。


この後はベッドに横になり、耳で試合を観戦、いや聴戦しました。


激戦でした。
終盤に2点取られ勝負あったかと思ったら取り返し、9回裏には1アウト満塁の絶体絶命のピンチを乗り越え、延長10回に1点勝ち越すもその裏に逆転サヨナラという熱闘でした。
地元の長崎商業は敗れはしましたが、すがすがしさが残るいい試合でした。

例によって、翌日眼帯が外れ、両眼で見られるようになりました。
退院し、デスクワークも再開しました。
1週間後の検査も順調で、もう少しすれば軽い運動もできるようになります。

この後久しぶりに、実に久しぶりの上山を歩きに行きます。








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リハビリ散歩で見たものは…

2021年05月05日 | その他
さあ、これから連休というときに腰を傷めて悲しい連休となりました。
昨日くらいから歩けるようになり、杖をついてとぼとぼと散歩に出かけました。

腰痛の原因となった植物

怨めしくもあり、可愛くもありです。
名前を調べたらオオタニワタリというようです。痛い思い(植物も私も)をしたのだからしっかり根づいて欲しいです。

サイクリングロードに出て見ました。


移植していたイチハツの横の方に小さなイチハツの花が顔を出していました。


びっくりするくらい背丈の低いイチハツです(5㎝ほど)。
はかり知れないほどの困難を乗り越えて、小さいながらも子孫を残そうと必死に花を咲かせたのでしょう。
腰痛で暗かった心がパッと明るくなりました。

少し歩くと



鯉のぼりです。
そうか、こどもの日なんだ。
大空を泳ぐ鯉のぼりを見て、今度は晴れやかな気持ちになりました。

歩いた距離はわずかでしたが、歩けたことと、心踊る発見に満足して戻ってきたら、一気に谷底に落とされた気分になりました。

もう一度あの小さなイチハツを見て家に帰ろうとしたら…




ほんの数分の間に踏まれているではないですか。
これはショックです。
おそらく犬の散歩で、犬が木の根っこにオシッコするとき、飼い主が無意識に踏んだのでしょう。
一輪でも花が咲き実を結べば、その種からイチハツは増えていくのです。

サイクリングロード沿いに移植したイチハツは受難続きです。
移植してすぐに、3株移植して2株は持ち去られました。
残った1株がやっと花を咲かせたと思ったら花を切って持ち去られました。
花からの増殖はあきらめていたのですが、奇跡のような希望の一輪に出逢えたと喜んだ矢先の今回の無惨な踏み潰しです。

ショックです。
しょんぼりして帰った私に連れ合いは、腰が悪化したのかと心配するほど私は落ち込んでいました。

暗い話で申し訳ないです。
今年の連休は踏んだり蹴ったりでした。
ただ、腰の方は思ったより回復は早く、若干痛みは残るものの、明日からの仕事には行けそうです。





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闘病記

2021年05月02日 | その他
腰を痛めて二日目。

今日は一人でお風呂に入ることができました。
数年前にリフォームした時に取り付けていた手すりが役に立ちました。手すりを使うのはもっと先のことだと思っていたのですが…

湯船では正座をしていました。
ちょっとでも曲げたりひねったりすると激痛が走るからです。

腰を傷めたら何をするにも背骨を垂直に立てていなければなりません。
風呂上がりに服を着る時も同じです。シャツ類は割と簡単ですが、パンツやズボンをはくのはそうはいきません。靴下にいたっては一人ではとても無理です。

歩く時はカニの横ばい状態です。普通に前へ歩こうとすると、腰のひねりの動作が加わるので痛くてとぼとぼとしか歩けません。

腰が悪い時に一番気を使うのがトイレです。我が家のトイレには手すりが付いてないので、便座に腰を下ろすのが一苦労です。腰を立てたままゆっくりとスクワットしなければなならないので、かなりの脚力が必要です。失敗すると粗相につながりますので…

少しずつ動けるようになっています。腰痛との付き合い方も分かってきました。明日には治るといいのですが…

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家庭内料理教室

2021年04月16日 | その他
ブリの照り焼きを作りました、いや、正確には作らされました。
「簡単だからあなたが作りなさいよ」と、半ば強制的に連れ合いから作らされました。

「まずブリの切り身を醤油につけて30分ねかせます。」


「その間にタレを作るのよ」
醤油、みりん、砂糖を混ぜ合わせます。


「フライパンに油を引いて焼きます。」
「はいはい」
言われるままです。


「焦げ目がついたら裏返して」
「はいはい」


「さっきのタレを絡めるのよ」
「オッケー」



おおっ、いい感じ。そして、いい匂い。

「お皿に盛りつけて」


おお、それなりにできた!



「ね、簡単だったでしょう。」と.。
連れ合いは私が料理できたことに、そして私は自分でも作れたことに満足しました。

「これからは男の人も料理ができないと困るでしょう」

確かに、いつまでも二人とも健康でいるとは限りません。
将来、私が一人残されても困らないようにと家庭内料理教室が始まったのです。




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断食記

2021年03月28日 | その他
健康診断のため絶食を強いられた。2日間で食べたのはたったの2食だった。
検査は、一日目が特定検診で、二日目が大腸の検査だった。

一日目
朝、特定検診のために絶食。血液検査で空腹時の血糖値を調べるための絶食だった。
昼、ご飯と具のない味噌汁。おかずは卵焼きと煮魚。野菜など繊維質のものは一昨日より制限されていた。
夜、翌日の検査のために絶食。

二日目
朝、絶食。
空腹のせいか、いつもより早く目が覚めて、時間をもて余す。

8時半、病院着。
午後からの検査に備え個室があてがわれた。



ラッキーなことに特別室だった。
その部屋で、9時半より15分間隔で胃腸をきれいにする薬を飲まされた。1回の量は500mLで、このうえなく不味い!この薬には下剤成分が入っているので、そのうちトイレ通いが始まった。
飲む、出す、飲む、出す…を延々と3時間繰り返した。


3時間で6Lも薬を飲んだことになる。それを全部下から出したので、体力もかなり消耗した。

午後2時過ぎから検査着に着替えベッドに横たわった。こうなったらもう「まな板の鯉」である。いつしか不安や羞恥心は消えていた。
点滴で鎮静剤を入れられていたので、気付いた時には検査は終わっていた。

そしてドクターからの説明。
「異常なし」の検査結果にホッとする。
「これで後10年は健康でいられるかな」とか、「夜は美味しいものをたらふく食うぞ」など考えながら家路を急いだ。

検査から2日たった。
それまでは、食べるのは当たり前だとしか思っていなかったが、今は一食一食に、食べられことの幸せをしみじみ感じ、感謝しながら頂いている。
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ピンチ、パソコンが吹っ飛ぶ!

2021年03月09日 | その他
今朝のこと、昨日の多良岳登山をアップしようとパソコンに向かっていたら、突然電源が落ちました。
中古のノートパソコンでしたが、メモリ16GB、ハードは新品SSD256GB、爆速起動で使い勝手がいいものだっただけにショックでした。
スマホでいろいろと調べた結果、メモリの抜き差しをすれば解決しそうだったので、早速実行しました。









このあと、一度は立ち上がったものの、再び電源が落ちました。
メモリの抜き差しを3回繰り返しましたが問題は解決しませんでした。

こうなると原因は別のところということになります。
以前から、このようなメッセージが出ていたので、バッテリーを別のと替えてみました。(同機種を持っていたので)





解決しました。
バッテリーの異常でした。

バッテリーは消耗品なのでしょうがないか…

朝の、出勤前の貴重な時間がパソコンの修理にとられてしまいました。

このブログはスマホで作成したものです。

近いうちに、多良岳のマンサクをアップします。


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