今はまだまだ人生を語らず

温故知古、古きを訪ねて古きを知る

US盤ツナ

2020-08-29 21:14:03 | ツナ引 TUG OF WAR
日本盤のTUG OF WARを予約して待っていましたが、多分1度くらいは当初より伸びたのかな。4月の中下旬にアメリカ盤が池袋のオンステージ山野に入荷しました。大量にではなく、ビートルズの棚に1枚だけ。なので数枚だけ入り、1枚ずつ餌箱に入れたのでしょうか。

1980円、いやもっと高かった気がします。あと数週間待てば日本盤が手に入るので待ちました。ジャケットに色合いが濃すぎたのと、当時のアメリカ盤の価格からすると1割程度高かったのも記憶に有ります。

ここからはアメリカ盤の話。

アメリカ盤のマトの打ち方は
A 1st cutting; B 2nd; C 3rd; D 4th; E 5th; F 6th; G 7th; H 8th; J 9th; K 10th; L 11th; AA 12th; AB 13th; AC 14th; AD 15th; AE 16th; AF 17th; AG 18th; AH 19th; AJ 20th; AK 21st; AL 22nd; BA 23rd; BB 24th; BC 25th; BD 26th; BE 27th; BF 28th; BG 29th
です。

なので、
AL 37462-1A が初回マトになります。
AL 37462-1AB が13番目のマト。

マトというのは、原盤=ラッカー盤の製造順番。カッティングマシーンで音をテープから彫った盤です。ラッカー盤は柔らかいので(って触ったことはありませんが)、そこにメッキを流しメタルマザーを作成(凸)、メタルマザーからマザーを作成(凹)、マザーからスタンパーを作成(凸)、スタンパーからレコードを作ります。多分、そうなはず。

よって、最初のラッカー盤をカットする時に、その国々で好まれるだろう音を作っているのではないか、と思っています。事実、アメリカ盤のTUG OF WARはとっても力強く、派手な音に聴こえます。とはいえ、実はUK盤もUS盤もSteve Guy(SG♡)というアメリカのカッティングエンジニアの手によるもので、US盤とUK盤がどうして音の印象が違うのかは、奥が深い何かがあるということで。

で、以前調べたマト研。
ここで注目なのは、コイコイさんが所有のピットマン工場のC/Eが手書きだっていうことです。

で、ピットマン工場のテスト盤を久々に手にして聴いて見ました。これはA面がマトD、B面がマトBで、A面は手書き、B面は活字。ピットマン工場製のレギュラー盤でB面のマトBは活字なので、C,D,E,Fあたりだけ手書きな気がします。

肝心の音ですが、Take It Awayで痛恨の針飛び。これが原因で手書きマトDは採用されなかったのかもしれません。しかし、音がUKテイストなんです。USもUKもSteve Guyがカットしているから当然かもしれませんね。

UKマトはA面もB面も6Uからスタートで、アメリカ盤もカッティングに相当苦労しているようです。3つの工場の手持ちのディスクを全部調べてみました。ついでにUSマザーを利用しているカナダ盤も。

キャロルトン(でっかくGの手書き文字あり)工場は 
AA/A   AJ/AA  AA/K  AC/AE  BA/AF  AA/AE  BA/AG 
とかろうじてB面にマトAがあるだけであとは全部2桁マト。

テレホート(でっかくTの手書き文字あり) 比較的TUG OF WAR の初期ディスクを生産(なぜなら1982年工場閉鎖)。
J/G J/H J/H AB/G J/H J/G J/G K/G J/G   
ここから、成功カッティングのマトは A面J、B面Gだったのではないかと推測出来ます。

そして鬼門のピットマン。NYに近いからここでテスト盤をプレスしたのかもしれません。TUG OF WARの場合はT、Gが刻まれていないものがピットマン工場製と考えて良いでしょう。
手持ちのマトは、
H/A  G/B  H/A、そしてコイコイさんの手書きのC/E、テスト盤のD/B。
たくさんあるTUG OF WARの中古盤なれど、本当に見つかりません。

カナダ盤は、全部二桁です(バンクーバーとトロントのツナを買い占めました)。 初盤 AG/AC AF/AB AF/AC AF/AB AF/AC 
2nd AG/AB AF/AB AG/AC 
プロモ(カタログ番号はTCXではなくTC番号です) AG/AC

A面のマトA、マトB、それから手書きマトのUS盤、お持ちの方いらしたら 教えてください。兄弟アルバムのPIPES OF PEACEはUKの初回1U/1U、USのA/A、いとも簡単に見つかるのに不思議です。それくらいTUG OF WARのデジタル録音を初めてラッカー盤にカッティングするのは難しかったのかもしれません。

なお、Steve Guy氏についてもよく詳細が残っていないので今後要調査です(ビートルズ関係では珍しい)。そして、今まで思っていたUS盤もUKでカッティングされたのかということも。

で、このアルバムは1982年11月にデジタル録音した甲斐がありCD化されるのであります。

1990年

2020-08-23 10:04:34 | サラリーマンつぶやき
ツイッターでこんなのを見ました。

日本って90年くらいまでは義務教育とか、ほとんどの要素が世界トップクラスだったんだよ。貧困率や格差も低かった。今見ると殆どが先進国ダントツ最下位で世界的にも下から数えた方が早い。しかも多くはここ十年以内に見る影もなくなってる。誰が一番悪いかは明白だろ?


昨日、友と1990年の東京ドーム公演のブートを買いに西新宿に行ったんですが、そんなに1990年までの時代ってしあわせだったかな、私の人生は。

別に日本が先進国から外れても、経済的に廃れても自分は今の方がしあわせだと感じています。私が教育を受けていた昭和という時代は、土地と不動産を持っているものが頂点に君臨し、個人が努力をしても性別や年齢(年功序列)の壁が相当ありました。計算ドリル、漢字練習帳、校庭で整列、行進、結構苦痛でしたし、個人個人の個性や能力を犠牲にして集団や組織を構成するということが徹底されていました。

やりたいこと、やりたかったことを沢山諦め、社会の歯車になる。よく留学生に言われたには、極めて優秀な学生が、サラリーマンになって家電作るんだから、そりゃあ世界中で売れるよ!っていうことでした。

きっと、個人個人がしあわせを追求し、個性を活かすという社会を作るよりも、社会の歯車を大量生産する方が国の経済にとっては良かった時代なんでしょうね。1990年までは。で、そういう世界じゃなくなったので今は日本が落ちぶれただけなんだって思います。初めて海外に行った1990年前後、あの日本の繁栄はハリボテだって感じました。

あの1990年までの成功体験をまた再現しようとしている私を含めた40代、50代以上は本当にしょうもないなあ、もう口出ししない方がいいんじゃないかって思うわけです。


ポールの昔の辣腕マネージャーを見ながらそんなことを考えました。私はこれからも「生きる力」が必要なんだって思いますよ。支援前提、助けてもらって当然じゃなくて「自分で何とかしていく」っていうこと。

お金で布団の上げ下げから食事まで全部やってもらっていた豪華客船のお客様とは正反対な生き方の方が結局はしあわせに生き残れるんじゃないかと


本質的な事以外残らない

2020-08-17 08:34:45 | 私は今日まで生きてみました

自分の身を削って自分の分身を創るアーティストだからこそ、時空を超えてその創作物が残るわけで、いや、その逆で時空を超えて残る創作物を生み出すためにはそれ相応に犠牲というか痛手を負うというか。

だから、サラリーマンの私は、いかにサービス開発や商品開発しても、そんなもの残らないわけです。いいところ作れるものは消耗品。それを作る人は、チューインガム。味がなくなったら「っぺ」、あれ逆か「ぺっ」、それでいいんだと思っています。

トイレ以外は不要不急。人生は自分自身も含めてやる事なすこと消費活動。
本質的な事以外残らない。

ただ一つ言えることは、本質的な事を残すことが幸福かといえばそうではないこと。不要不急の中にしあわせって沢山あるわけで。

世の中がこんなに荒んでいるのは、不要不急、消費活動が否定されつつあるからなんだろう。そんな風に思いました。

youtube配信

2020-08-17 08:27:22 | nekorock4レーベル
とにかく「楽しんでいただけるか」不安だった配信ですが無事1回目が終了。収録、編集、配信、全てが初めてだったのもあり、安堵しています。しかし、やったことないことをやりますと宣言するのは健康によろしくありませんね。

今晩は多分技術的にはもう大丈夫と思いますので、リンクを貼っておきます。よろしければ。8/17 21:00スタートです。

三夜連続(2/3) ポール・マッカートニー研究会 Paul McCartney Japan 7' Singles Vol.2

しあわせって何だっけ?

2020-08-16 10:58:53 | 人生を語らず


フレパイのダウンロードファイルを聴いてます。ツナやビートルズは本当に聴き込んだのでちょっとしたリマスターとか音をいじると途端に嫌悪感を感じるのですが、パイはそこまで聴き込んでいないのでへっちゃらです。

しかし、ハイレゾ系の巨大ファイルは音が詰まりすぎなのか、MacBookと安ヘッドホンだと厳しいね。あのジェフリンサウンドの軽さが。って、あの軽さが嫌いな私なのに。


こうやってポールの物体に触れているとしあわせだなあと思います。でも、しあわせって何だっけ?何だっけ?って追求するのは良くないですね。自分探しと同じです。

昔、中間管理職の1割がメンヘルで出社できないという部署で働きました。最後は一般社員から自殺者が出て、それで病んでいる中間管理職が更に締め付けられて。その時、すでに祭り上げられていた事業部の長が、「会社は生活の糧」だって言いました。でも、その何年前からか、思ってたのですよ。

「しあわせって何だっけ? じゃなくて、しあわせの為に というのが人生の一丁目一番地だって思わないといかんなと。」

しあわせに暮らすためには、それなりのお金はいる。だから、そのお金を得るためにはプライオリティは仕事や会社になるかもしれない。でも、それ以上というかしあわせに暮らすため以上のお金を得るために仕事や会社を一丁目一番地にしたら無理が出る。

結構、この一見シンプルなプライオリティ付けが出来ないんだよね、人間って、特に自分のことになると。

ハゲタカNHK版を見て、鷲津が
「お金は単なる紙切れ、でもその紙切れの為に首をくくる人もいる」
というセリフ。

サラリーマン仕事なんか、お金以上でも以下でもないのかもしれなあいくらいに思っているといいかもしれません。