鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

人口は減っても鷹泊の田畑は維持されているように思えた。

2018年11月30日 | Weblog

鷹泊駅跡から南東方向の三号沢方向を見やると、ずっと遠くまで道が続いていた。道の周囲は水田が続いていた。今も周囲の田畑は耕作されているようだ。人口が激減した鷹泊であるが、見た限りは、水田からソバ畑に変わったところはあっても、地区によっては問題になっている耕作放棄地になったところは見当たらない。人口減少を1戸あたりの耕作面積増加でカバーしていると思われる。

目の前の田圃の周囲にロープ(に思えた)が張られていて、危険を知らせる黄色いタグがぶら下がっているのに気付いた。この田んぼの畔を通ると旭団体への近道だったので、昔は何回か通過した場所である。山の向こうには旭団体があり、そこでのイチゴ狩りに毎年のように出かけたことを思い出す。

写真は三号沢の水源方向を眺めて。旭団体は写真には写っていない右の奥にあたる。

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農協(JA)倉庫をみると、豪雪の鷹泊を思い出す。

2018年11月28日 | Weblog

写真は農協(JA)倉庫

昨年度(今年の2月24日)、お隣の幌加内で、積雪量が313cmとなり、従来の北海道記録(1981年の観測以降)を更新したというニュースが流れていた。観測データはないが、昭和30年代の鷹泊でも、そのくらいの積雪量は記録していたのではと思う。

あの頃、この農協倉庫の屋根が積雪のために下と繋がり、簡単に登れるようになった。3月の日差しを受けて暖かくなった鉄板屋根に座って、お尻で春の到来を感じた子供時代を思い出す。

写真は農協倉庫と元の鷹泊駅舎を線路側から撮影。

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JA倉庫に「多度志村」というなつかしい響きの表記発見。

2018年11月27日 | Weblog

鷹泊駅跡からは、近くにある農協倉庫(JA倉庫)が目に入る。この建物は石造なのか、コンクリート造りなのか、しっかりと残っている。今も使用されているのは間違いなく、倉庫の前には農業機械が置いてあった。今回初めて気付いたが、線路側の壁面に『多度志村農業倉庫 第6号』と白く書かれていた。シャッターが付いている面には、昔から丸い農協マークが付いていたのは知っていた。古さを誇示するような、『多度志村』の文字にはなつかしい響きがある。

鷹泊は、雨竜郡多度志村鷹泊だったのが1962年町制施行で雨竜郡多度志町鷹泊になり、1970年に深川市に編入され、深川市多度志町鷹泊になっている。戦後の昭和20年代にできた建物かなと推測するがどうなのであろう。

 

写真は農協(JA)倉庫の正面              線路に面した面 屋根のすぐ下の壁に多度志村農業倉庫 第6号の文字あり。

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廃線になって、23年が経った鷹泊駅跡

2018年11月25日 | Weblog

鷹泊駅跡にも当然ながら立ち寄った。

誰か管理している方がいるのか、駅舎だった建物はまだ残っている。しかし、鉄道の駅だったという雰囲気は消失し、外見上は物置そのものと言っても過言ではない。屋根が若干修復されたようには見えるが実際はどうなのだろう。窓にはベニヤ板が張られていた。

鉄道しか交通手段のなかったあの当時は、毎日多くの人が行き交った。寒い雪道を歩いて駅にたどりつき、駅の戸を開けると、暖かい石炭ストーブのぬくもりが体中に染み渡り、生き返ったような気分になったものである。深名線が1995年(平成7年)に廃線になって、23年が経ってしまった。この元の駅舎も、人の出入りがない状態で、駅舎の変貌は当然で、鷹泊の地で風雪に耐え、よく持ちこたえていると思った。

 往時の鷹泊駅  ふるさと鷹泊会記念誌から転載

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鷹泊×××番地とはどこ?鷹泊の住所表記はわかりづらい。

2018年11月23日 | Weblog

鷹泊墓地の住所は鷹泊790番地と書いてあってもどこなのか全くわかりづらい。

鷹泊ではいつ頃かはわからないが、地番を住所としているようだ。

地番とは、登記簿上の表記で、土地ごとに登記所が付する番号である。番号の数字の後ろに番とか番地を付けることもある。土地の売買をしない普通の人にとっては役に立たない住所表記のように思える。

昔の中鷹、下鷹、ヌップ、竜水といった呼び方の方がわかりやすく、鷹泊○○番地という住所表記はわかりづらい。

ちなみにリフレッシュプラザ鷹泊の住所は北海道深川市鷹泊530で、駐在所が鷹泊386である。地番からでは、住所の推測はまったく不可能である。

一方、現実問題として、戸数の少ない鷹泊なので、宅配や郵便配達で困ることはなく、住所の番地表記は目くじらをたてるほどのものではない。(大都市では、部屋番号まで記載しないと、宛先人不明で配達されないこともあるが、鷹泊では地番なしでも届くはずである。)

写真は鷹泊386番地の駐在所前の緩やかな右カーブ。(南から北方向を写した)

昔はカーブの中央は郵便局あたりだった。

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お寺のあった場所での、子供の頃を思い出。

2018年11月21日 | Weblog

市街地の真ん中にあっても、夜にお寺の前を通るのが怖かった。肝試しの場所だったことが原因だったかもしれない。あの時代、夜に学校体育館で映画上映が時々あった。座布団を小脇に抱え、懐中電灯を照らしながら、お寺前を恐々、小走りになった通過したことを思い出す。

お寺とか墓地を怖がるのは神聖なる場所に対して、あるいはご先祖様に対して失礼であるが、子供にはよくあることではないかと思われる。

深川市の墓地を深川市HPで検索すると、鷹泊地区には鷹泊墓地とヌップ墓地の2つが記載されている。

ヌップ墓地はわかるが、鷹泊790番地にあるとされる鷹泊墓地はどこにあるのだろうかとネットで検索すると、昔のお寺(大祥寺)があった所が該当するみたいだ。そういえば昔、お寺の横には確かに墓はあった。今は墓そのものがないようであるが。

写真はお寺のあった場所。今は木々が生い茂っていた。

写真は堤防からお寺があった付近を見たもの。

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お寺(大祥寺)があったあたりをながめて、当時を偲ぶ。

2018年11月19日 | Weblog

お寺があった場所を通った。お寺といっても、子供にとって宗教的な接点はほとんどなかった。お寺の前庭を遊び場に利用していたが、お寺(大祥寺)の本堂には数回しか入ったことはなく、親戚の葬儀と4月8日の花祭りに甘茶をいただきに入っただけだった。十年ほど前に通りかかった時に、お寺がなくなっているのに気づいたが、それよりずっと前の昭和60年に大祥寺は鷹泊から去っていたとのことである。数十年が経過し、お寺だけではなく周りの家もほとんどがなくなった跡を見ると往時が偲ばれ、時の流れをあらためて感じた。

昭和30年代、お寺の前は、毎年8月には盆踊りで賑やかになっていた場所である。その頃の記憶では、8月14日前後にお寺の前で大人と子どもの盆踊りが開催され、8月20日前後に学校の校庭でこども盆踊りが開催されていた。お寺の前で開かれた盆踊りには、多くの人が集まり、やぐらの上では太鼓が勇壮にたたかれ、盆踊りは鷹泊の夏の風物詩だった。

写真は堤防からお寺のあった付近を写したもの。

お寺の写真は鷹泊ふるさと会資料から転載。

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松澤商店閉店の情報元をやっと思い出せた。

2018年11月16日 | Weblog

Google mapで現在の鷹泊を見てみると、鷹泊神社、松澤商店、鷹泊郵便局、富岡産業の4カ所だけが施設名で表記されていた。この地図上ではまだ松澤商店は残っている。

Google mapで現在の鷹泊を見てみると、鷹泊神社、松澤商店、鷹泊郵便局、富岡産業の4カ所だけが施設名で表記されていた。この地図上ではまだ松澤商店は残っている。

自分の頭の中で、松澤商店は閉店したということを誰かに聞いたような気もしていたが、そうでないような気もしていた。すでに閉店しているのなら閉店したのはいつなのか、もやもや状態が続いていたが、急にひらめいた。

松澤商店閉店の情報は、2年前にこのブログを読んで下さり、2016年12月31日のこのブログに以下のコメントをいただいた元鷹泊の『向かいに住んでいた後輩』さんからの情報『M商店も12/31で店を閉めるそうです。これで鷹泊には商店がなくなりました。お酒を買う人もタバコを買う人も多度志まで出ていくことになるんでしょうか・・・・』だったのを思い出した。

情報をいただいた○○さん、あらためて有り難うございました。年をとると記憶力が悪くなるのを再認識させられた。

松澤商店の隣には軽油スタンドがあり、軽油だけを販売しているようだった。無人なので、松澤商店の委託販売のように思えた。以前はホクレンサービスステーションの看板があったが、今はなくなっていた。10年程前の写真と比べてみると違いがわかる。看板がなくなっただけでスタンドそのものも衰退しつつあるように感じてしまった。

 

写真上は現在の風景。              写真上は11年前に撮影した風景

 

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鷹泊に唯一残っていた松澤商店が営業をやめたようだ。

2018年11月14日 | Weblog

元の鷹泊市街地を歩いてみた。ちょっと見、数年前と変わってはいない。しかし、長年営業をしていた松澤商店がついにやめたようだ。自販機は以前と同様に置いてあったが、入口のシャッターは降ろされていた。

松澤商店は昭和30年にはあったので、少なくとも60年以上に亘って、店を続けてくれたということである。あの時代、鷹泊にはたくさんの店があった。

松澤さん(当時は商店を○○さんと呼んでいた)では、学用品、釣り竿、昆虫採取の網などいろんな買い物をしたが、食用油の量り売り(瓶を持って行って必要な量だけ入れてもらう)などがなつかしく思い出された。

買い物とは別に、テレビ放送が開始されたばかりの昭和30年代初めには、テレビを付けた商店に子供達が午後6時前後の夕食時間帯に、テレビを見に押しかけたが、松澤さんもその例外ではなかった。迷惑をかけた当時を今あらためて思い出し、御礼もうしあげます。

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雨竜川の川岸は、樹木・雑草で近づきがたかった。

2018年11月09日 | Weblog

この日は、雨竜川の水量が多くないように見えたので、昔を懐かしんで第三水泳場にあった大岩、小岩が見えたらいいと思って堤防を降りて川に近づこうとしたが、あまりに雑草が繁茂して接近不可能だった。草は木と違って半世紀経ったから増えたということではなく、草原を踏みつける子供がいないから草木が伸び伸びと育っているようである。とはいえ季節をずらせば、川面が見えるのは間違いない。

写真は、草木が生い茂って雨竜川に近づけない第三水泳場付近。

 

 

写真の突き当たり奥にある、第四水泳場も、同様にとても近づける状況になかった。

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