鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

過疎の鷹泊。また1軒、2軒と少なくなっている現場を確認。

2018年10月31日 | Weblog

写真は国土交通省発行の鷹泊地図。

鷹泊散策といっても、狭い地域なのであっという間に回り終えてしまう。

その昔に竜水会館が建っていたT字路(ちょうど地図の真ん中あたり)には、前回に訪れた時には民家が建っていたが、その家はなくなっていた。T字路のいい場所にあった家が跡形もなくなり、見とおしがよくなっていた。また鷹泊橋の近くの家は表札も残っていたが、数年前に引っ越したと聞いているので、無人の館である。また1軒、2軒と消滅しているのを確認することになった。

 

写真はその昔に竜水会館が建っていた場所(今は何もない)と無人の住宅

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ソバの白い花がきれいな畑と黄金色の稲穂が揺れる田圃

2018年10月29日 | Weblog

地球温暖化は、北海道の米作に好都合とされ言われているが、昔は今と較べてそんなに寒かったのだろうか。

昨年3月、札幌管区気象台は、地球温暖化の影響で北海道内の平均気温が過去100年間で約1・6度上昇したとする報告書を公表した。季節別では、夏(6~8月)の1・2度に対し、冬(12~2月)は2・0度上昇したとのこと。

100年で1.6ないし2.0度上昇ということは、半世紀前はその半分の1度位今より寒かったということか。もっと暖かくなったように感じていたが、そんなわずかな変化なのかと思うのが実感である。

技術革新で北海道米が美味になったのに、日本人が米を食べなくなり、昭和40年代半ばからの減反政策で鷹泊では米とソバが半々位になっているようだ。

鷹泊を散策して、収穫前の田畑を眺めると、白いソバの花も黄金色の稲穂もどちらもいい風景である。

写真は竜水地区のソバ畑

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昭和30年代の鷹泊の稲作の思い出

2018年10月27日 | Weblog

稲は本来寒さに弱い植物とされている。あの頃は、北海道の気候には合わない寒さに弱い品種だったのか、品質が本州米より劣り、かつ3年に一度程度の冷害に見舞われていた。初雪が早くて刈り取り前の稲を雪の下にしてしまった年もあり、いもち病(カビが原因)、黒蝕米(カメムシが原因)騒動等々深刻な状況が例年のように続いていて稲作農家は大変だった。

しかし、その後の米の品種改良や農業技術進歩で、米作りは楽になり、北海道米は新潟米をしのぐほどのおいしさになり、時代は変わった。

超不作の時、学校児童に、通学支援対策なのかノートなどの義援品をいただいた。衣類も学校で配られたこともあったが、衣類が必要な程は困窮していなかったと思う。昭和30年代後半にコッペパンと脱脂粉乳の給食があったが、これも凶作に対する義援対策だったよう。子供は大人ほど凶作を深刻に考えていなかったと思うが、援助は子供心に有り難かった。

写真は、水田越しに見た鷹泊神社

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ヌップ・竜水の田圃の稲穂を見て、豊作を確信したが、報道では今年の作柄見込みは不良とのこと。

2018年10月25日 | Weblog

鷹泊散策をしていた日は暑く、今年も北海道の米は豊作間違いなし思っていたがその後の水稲作柄見込み報道では、全国平均は平年並みだが北海道は不良と発表され、今年は不作になりそうだとのことである。水稲作柄見込みが「不良」になるのは、8月の時点では15年ぶりで、9月の時点では9年ぶりとのこと。 原因は、6-7月の低温、日照不足のせいでないかとされている。

直接関係のない立場とはいえ、鷹泊出身者として米の作柄見込みのニュースは気になる。

写真はヌップの水田

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実り豊かなヌップ・竜水地区の水田を見て思い出すこと

2018年10月23日 | Weblog

実り豊かなヌップ・竜水地区の水田を見て思い出すこと。

写真は小ヌップ橋付近から見た、浅羽山をバックにした水田風景。

田畑の大きさが昔に較べてずいぶん大きくなっている。稲作だけだった地域にソバ畑が混在している。道路も未舗装だったところがアスファルト舗装になっている等々、昔とは違っている。

鷹泊に無関係の人がこの周囲の田畑を見ても、あたりまえの風景で特別感動するようなものではないとは思うが、その昔この鷹泊でこの風景を見た者にとってはノスタルジア感覚が、記憶の糸をたぐりよせる効果もあってか、大いなる感動が得られるものである。

この小ヌップ川にしても、ただの小川であるが、その昔川の上流(細○さんや天○さんのあった付近)から雨竜川にいたるまで下ったりして遊んだ者にとっては、当時の風景が蘇るなつかしい思い出の場所である。

写真は小ヌップ川

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大ヌップ川付近の風景

2018年10月21日 | Weblog

ペンケにちょっとだけ立ち寄った後、鷹泊市街地への道へ戻った。周囲の田畑は、稲作とソバ畑が半々のように見えた。

大ヌップ橋付近でストップ。

昭和30年頃、道道から西に少し入った山側は造田工事の最中だった。原野から造田しつつあったのか、畑地を作り替えていたのかはわからない。当時は、国の米作保護政策で、鷹泊全体の水田面積が増えていた時代だった。

大ヌップ川は、もう少し川幅が広く水量も多かったように思うが、川が変化したのか子どもの時の記憶が不確かだったせいかはわからない。

今は大ヌップ川沿いに砂が高く積まれて、地元の業者による砂利採取が行われているようである。作業のじゃまになりそうで近づくのは遠慮した。

 写真は大ヌップ川沿いに西に向かう道

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ペンケへちょっと寄り道。

2018年10月19日 | Weblog

写真は国土交通省 地図・空中写真閲覧サービスによる地図。

少々怖い思いをした鷹泊ダムからの帰路に、ペンケに立ち寄った。昭和30年代にペンケへ行くには、右下に見える幌加内方面の道から分岐した山沿いの道からであった。

その曲がりくねった山道を通って(この地図を見るとそんなに曲がっていないように見えるが)、ペンケ集落のはずれにあるペンケ神社へ遠足や神社のお祭りの際には毎年のように訪れた。

5月の遠足の時には、ペンケ神社境内の満開の桜だきれいだったのを覚えている。あの桜をもう一度見てみたいと思って、10年ほど前に行ってみようと思ったが、ペンケ神社はもう無くなっていて、神社跡に登ることもできなかった。

昭和48年に、ペンケから鷹泊ダムからの道に繋がる協栄橋ができたがこの橋を利用して鷹泊ダムからの道に繋がる道ができ、鷹泊市街部へ簡単に行けるようになった。

同じ年にペンケ神社(別名 雨竜川神社)は鷹泊神社(別名 御嶽神社)と合祀となり、ペンケから神社がなくなっていた。

ペンケ地区は雨竜川の水が利用しやすい位置にあり、昔も今も稲が豊かに稔る地域である。

昭和36年の人口統計ではペンケ地区は19世帯で人口は118人だった。(この時鷹泊全体で239世帯、1144人)今はペンケ地区にどれだけの方がいるのだろうか。(今は鷹泊全体で32世帯、73人)。

写真は協栄橋からペンケ地区を見て。

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鷹泊でのクマの出没情報を再確認

2018年10月16日 | Weblog

ここ数年、全道的にヒグマの出没情報が多い。ヒグマの数が増えたという説や、気候の関係で木の実などのエサ不足になって、人里へ降りてくるせいという説もある。2年前11月に開催された鷹泊ふるさと会の席上で、「3日前に鷹泊にクマが出てちょっとした騒動になっている」というお話を聞いたが、この時のクマの出没地点は切替橋の北100m だったとのこと。切替橋というのは、雨竜川の対岸に鷹泊岩が見える付近にある。それよりも100メートル鷹泊の市街地寄りである。鷹泊岩もおちおち見物できないのかも。

さらに深川市のクマ目撃情報位置図によれば、昨年(2017年)8月19日には鷹泊自然公園付近?でクマが出たようである。鷹泊自然公園とは記載されていないが、位置図を見ると鷹泊自然公園の近くと思われる。

写真は深川市のクマ目撃情報位置図

昭和30年代の鷹泊では、人の住んでいる近くでのクマが出たなどという話はなかった。秋になると、恐れることなく山の中に入り込みヤマブドウやスモモ採りなどをしたものだった。

ただ当時も、ダムの奥の御料沢にはクマが居た。親戚の伯父さんが、御料沢でクマを仕留めてその熊肉をいただいたことがあった。牛肉、豚肉も入手しづらい時代で、貴重な蛋白源として熊肉は有り難いはずであったが熊肉は硬くおいしいとは思わなかった。また、熊の脂がやけどに効くといただいたが幸か不幸か使用する機会はなかった。

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鷹泊ダム周辺での少々驚いた出来事。足もとの黒い物体は?

2018年10月14日 | Weblog

写真は鷹泊ダムのすぐ下を流れる雨竜川。

 鷹泊ダムの下の雨竜川の水の色は対岸の樹木の色を反映するのか、水深が関係しているのかはわからないが深緑色であった。人里はなれた静かな場所で、ゆったりとした時間の流れを楽しみ、周辺の写真を撮っていたところ、足もとに黒っぽい物体があるのが目に入った。これはなんだ。とっさにクマの糞だと思い、景色どころではないとすぐさま車の中に退散した。

帰宅してから、インターネットでヒグマの出没情報を見たが、今の時期、鷹泊でのクマの出没情報はなかった。イヌの糞だったのだろうか。それにしては量が多すぎる。ウシの糞?こんなところにウシがいるわけない。となるとやはり・・・・? 慌てていたので写真に撮るのを忘れてしまった。

おまけに、クマそのものを見たわけではないので届け出るほどのものではない。

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変遷著しい鷹泊でも鷹泊ダムは不変

2018年10月12日 | Weblog

無人の鷹泊自然公園からは早々に退却して、鷹泊ダムを見にいった。この日のダムは放水していなかった。昔はダム堰堤の上を往来することが可能だったので、そこに行ってみたいと何時も思うのであるが、いつからなのかそこは立ち入り禁止のままだ。小中学校の遠足の時は、堰堤を通って対岸の小高い所から、ダム湖を眺めるのが当たり前だったのに残念である。

写真は鷹泊ダム

もう1句。

『門扉みな閉ざして夏の湖静か』  細田長知著「格に入て」昭和63年発行より引用。

ダムは昭和28年から稼働しており、今なおその役目(発電と農業用水確保)を果たし続けている。

水力発電所は北海道にたくさんあるが、そのうち道営電気事業の水力発電所は8カ所ある。その8カ所のうち一番最初にできたのがこの鷹泊ダムである。北海道の電力供給の一端を担い、北電へ電力を供給しているとのことである。出力5700kWで10700世帯分の電力供給可能とのこと。

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