鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

ヌップ開拓3号線は御料の沢への林道につながる道。

2020年10月30日 | Weblog

図は深川市道網図

ダム直前を左に分岐する道は、最初の短い部分だけが市道のよう。ヌップ開拓3号線というからには、鷹泊ダムができる前に、このあたりに開拓で入った方が住んでいたのだろうか。その先の道すなわち、ダム湖を右にみて御料の沢へ向かう道は市道ではなく一般人が通れない林道ということになる。

図はGoogle地図

その林道については、小学6年の時の最初で最後になった御料沢への自転車遠足を思い出す。(御料沢と呼んでいたが、御料の沢が正しいようだ)普段通行禁止で入り口に鍵がかかっていたが、あの時は特別の許可で入れたと思う。右手にダム湖が見える世が世なら観光道路になっていたかもしれない道がどこまでも続いていたが、営林署の方だけが車で通る道だったと思う。二度と行けない場所に、よくぞ生徒を連れて行ってくれたと当時の担任の先生に感謝感激。

図はGoogle航空写真。鷹泊湖(ダム)の左側に御料沢川へ林道が続いている。

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鷹泊ダムはゆっくり見たかったが早々に退散

2020年10月28日 | Weblog

鷹泊ダムには、小学校入学前を含め、何回も来たことがある。ダム堰堤の上の道を通って対面に行けたのであるが、今は立ち入り禁止である。堰堤の上からこわごわ下を覗いたことを思い出す。

下から見えるダムは、季節とともに移ろう周囲の景色とマッチして昔と変わらない姿を見せてくれている。

2年前の夏に鷹泊ダムでクマの糞とおぼしきものを見てしまったので今回ビクビクした気持ちの中でのダム来訪ということになった。

心配しすぎかもしれないが、警戒するに越したことはない。ということで、今回の鷹泊来訪の旅に出かける前にクマ出没情報をしっかり確認した。

その情報によると、実際私が見たのは一昨年8月5日であるが、昨年7月24日にも鷹泊ダムでクマの糞を発見とあった。どうもこのあたりはクマが出没しているようだ。

そのような情報を知ったばかりに、ダムでゆったりとした時間を過ごすことはできなかった。周囲を見渡して安全を確認してからダムの写真撮影をして、すぐに車内に戻った。

ダム見物に来た札幌ナンバーの車が一台あったが、ダムを一瞬見ただけですぐに立ち去ってしまった。

近くの鷹泊自然公園で、ダム湖の風景を眺めるという行動も今回は自粛した。残念。

写真は鷹泊ダム。

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昔は市道鷹泊ペンケ線、今はヌップペンケ線

2020年10月26日 | Weblog

鷹泊ダムへ向かう道(道道鷹泊鷹泊停留所線)の途中から、雨竜川を渡ってペンケへ行けるようになっている。この道が市道ヌップペンケ線だ。

平成17年(2005年)12月に協栄橋ができてからこの市道ヌップペンケ線もできたことになる。橋の手前にある碑(確か橋の設置に貢献した道議の名前が刻まれていたはず)は、季節によっては見えるだろうが(2007年11月に行ったが、あの時は橋が完成して2年経った時点だった)、今の季節は深い草に覆われており知る人ぞ知る状態。

昔は国道275号線から分岐する鷹泊ペンケ線を通っての行き来しかできなかった。協栄橋ができてからは、ヌップ回りで行けるようになった。

ペンケ集落は雨竜川と近く、川との標高差はほとんどない。明治時代に、雨竜川の水を利用して、鷹泊地区よりも先に稲作が始まったとされるがが、さもありなんと思えた。

昭和36年のデータで、ペンケだけで世帯数19戸、人口118人であった。

写真上は北方向。はるか遠くに坊主山が見える。

写真上の左手の道は市道鷹泊ペンケ線。国道まで通じているかは不明。

写真は市道ヌップペンケ線と鷹泊ペンケ線の交差部から協栄橋方向を撮影。

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ヌップへ行ってみた。道道だけではなく、市道にも名前があった。

2020年10月22日 | Weblog

ダムへ向かう道道693号鷹泊鷹泊停留所線(起点鷹泊貯水池、終点旧鷹泊駅)だけでなく左右に分岐する道に脇道にも市道の名前がついている。

深川市市道網図を見ると、番号と○○○○線との名前が書いてある。それぞれの名称に意味が感じられておもしろく感じた。

図は深川市市道網図

まず、道道693号鷹泊鷹泊停留所線から右に分岐する道のことを記載。

ヌップ川岸1号線、ヌップ川岸2号線、ヌップ川岸3号線があり、それぞれ道道鷹泊鷹泊停留所線から雨竜川の方へ分岐している道だ。 ヌップ川岸1号線の右手奥に1軒、ヌップ川岸2号線の左手に2軒の家があった。ヌップ川岸3号線は道そのものを発見できなかった。

写真上の道はヌップ川岸1号線

写真上の道はヌップ川岸2号線

昭和30年代にはたくさんの家があった地域である。同級生の家があったことを思い出す。

軒数は少なくなっても農地面積は変わっていないのではないかと思う。

昭和36年のデータでヌップの世帯数42戸、人口205人であった。

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鷹泊橋に来ると昔の鷹沼橋を思い出す。

2020年10月20日 | Weblog

写真は鷹泊橋から見た雨竜川の流れと浅羽山

雨竜川に架かった鷹泊橋からの浅羽山はビューポイントだ。

橋は舗装されている。位置もわずかながら元あった鷹沼橋(おうしょうばし)の少し上流側に設けられている。

鷹沼橋から見える雨竜川の流れは、川底の石が見えるほど渇水のこともあったし、水辺の柳の木が流されんばかりに水量が多い時もあった。

橋の下流の右手には、竜水の金毘羅神社があったことやその近くの第3水泳場として使用されていた所に大岩·小岩があったのを思い出す。(橋からはさすがに見えないが)

写真は鷹泊橋から見た下流方向。

鷹沼橋といっていた時代の木造橋を馬車、馬橇が通っていたあの時代。橋のすぐ下でのお祭りのばん馬競争で沢山の人が集まり、盛り上がっていた。人もたくさん居たし、農耕馬もたくさん居た時代である。

鷹沼橋の河川敷ではばん馬競争が行われていた。今は柳が繁茂し、その時の面影はない。今は堤防工事中。

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 雨竜川の堤防またまた工事中

2020年10月18日 | Weblog

鷹泊への旅のつづき

さて浅羽山のことで、何回か分を費やしてしまった。

鷹泊橋を通ってヌップ、竜水へも行ってみよう。

鷹泊橋を渡る直前の左右に広がっている堤防は、両サイドともに2016年に引き続きまたまた工事中だった。(過去のブログ参照)2016年が堤防の上の工事で、今回は堤防の横(法面)の工事のようではあるが、なぜ一度にできないのかとも思う。

しかし、最近は地球温暖化に伴う気候変動で想定外の豪雨が来ることもあるのでさらなる補強が必要と判断されたのだろう。

昭和30年代にできた雨竜川沿いの堤防では子供時代によく遊んだ。スキー遊びをしたり、雨竜川の水泳場へ行くときには、堤防の上を走った思い出深い場所である。しかし数年前の堤防工事で、堤防の上が舗装されたので随分雰囲気が変わった。以前の舗装されていない堤防の上の道が、昭和30年代と同じ雰囲気なので良かったと個人的には思う。

写真は工事中の堤防。左奥に浅羽山、右手の重機に隠れて鷹泊神社。

 

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 三角点名「浅羽山」「南浅羽山」から、考えること。

2020年10月16日 | Weblog

どうして、358m峰に二等三角点「浅羽山」ができて、552m峰に三等三角点「南浅羽山」ができてしまったのか。

その解答は前回記事の地図にあるように思えた。

再掲図

図(明治29年図)でわかるように、浅羽山山塊の北端の見晴らしがいいポイントのヌタプカウシペ(川曲りに包まれた平らな所の意味)に358m峰があったので、そこを二等三角点にしたのではないかと推測する。(三角点名をヌタプカウシペとでも付ければ問題なかったのだが)

100年も前のことをいまさらあれこれいってもしょうがないことであるが。 

図は浅羽山とペンケ、鷹泊ダムとの位置関係を示した昭和27年の5万分の1地図。ダムはまだできておらず、ダム予定地には中洲のようなものが見える。鷹泊ダムやペンケからは、358m峰は見えないと思われる。

近年は三角点めぐりの山登りとかも流行っているようだ。地図の教科書に載っている有名な山とは違い、地方の山の名前はその地方外の人の知るところではないので、山頂に三角点がある場合は、三角点名を山の名前と思うのもやむを得ないのかもしれない。

しかし、鷹泊出身者としては、浅羽山の頂上552m地点に「三等三角点 南浅羽山」の標識があろうとも、山の名前は「浅羽山」と言い続けていきたい。

鷹泊を代表する山は浅羽山ということで育ってきた者にとって、その山が他の名前で呼ばれるのは残念である。

写真は大ヌップ橋から見た浅羽山

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南浅羽山とは山の名前ではなく、三角点名ということか。

2020年10月14日 | Weblog

ではなぜ最近になって、浅羽山が南浅羽山と言われ始めたのか?

調べた限り、どうも三角点の名前が原因のようだ。

図は浅羽山付近の三角点を表したもの。(国土地理院HPから)

緑で囲んだ山頂552mに三等三角点南浅羽山があり、ピンクで囲んだ山頂358mに二等三角点浅羽山が記載されている。

三角点は地図製作の為に置かれる基準点の事で、 見通しが良い場所に設置されるが、必ずしも山の山頂に置かれるものではないので、山につけられた三角点名と山頂名が常に一致する訳ではないとされている。また三角点の名前は、国土地理院の測量士が決めた名前であり、地元の人が使っている山の名前と一致しないことはよくあるとのこと。

三角点名とは:三角点測量を行う際に、三角点の名称は地元での呼び方を参考にして測量を行った技術者がつけるとされている。

一等三角点は約40km間隔、二等三角点は約8km間隔、三等三角点は約4km間隔で設置される。

有名な山は、三角点とは関係なく皆に山名がおなじみである。

北海道最高峰の旭岳2291m頂上には一等三角点があるが、三角点名は「瓊多窟」である。この難しい字を読める人はそういないはずだ。旭岳と皆が呼んでおり、三角点名の瓊多窟をもじってのヌタック山だのヌタツク岳とかを使う人もいない。

鷹泊では知られていても、知名度が低い浅羽山は、地形図に山名が載っていないゆえ、南浅羽山という三角点名が山の名前とされてしまうのでないかと危惧する。

写真はふるさと鷹泊を代表する雨竜川と浅羽山(2016年)

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鷹泊小学校校歌にもある浅羽山の名前の由来

2020年10月12日 | Weblog

写真は鷹泊小学校跡にできたリフレッシュプラザ鷹泊の後ろにそびえ立つ浅羽山(2014年撮影)

鷹泊小学校校歌では以下のように歌われていた浅羽山

♫ 雲ながれ行く 浅羽山 かげろう燃ゆる 黒土や 

  故郷の地に 明けくれを 学ぶ 我等に 光 あり

 

まずは浅羽山と名付けられた経緯を調べることにした。

1.幌加内町史(発刊 1971年)によると以下のごとくである。

昭和26年度の村勢要覧によると、幌加内は明治時代に、浅羽靖一行が鷹泊峠(今の幌加内峠のことか)からホロカナイに一大原野のあるのを発見したのが始まりで、その後王子山林を1800ヘクタールを牧場として所有した。そして明治41年にあのあたりの山塊を浅羽山と名付けたとされている。

2.鷹泊入植120年記念誌(平成28年)によると以下のごとくである。

明治40年浅羽靖が日高・早来から種馬十頭をヌップに移入し、産馬改良を始めるが成功には至らなかった。幌加内峠にある山は、この人の名から「浅羽山」となる。

浅羽靖氏の業績の表現に違いが感じられるが、明治後半から浅羽山と呼んでいることが確認できた。南浅羽山という記述は古い資料には見られなかった。

3.幌加内峠近くにある山は浅羽山であるという記載

アイヌ語地名の研究4  山田秀三著作集(昭和57年刊行)に、明治29年と発刊当時の浅羽山付近の地図が載っている。

左の明治29年版には山のマークはあるが山名は記載されていない。右の図には浅羽山(南浅羽山ではない)がある位置に浅羽山との記載がある。

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鷹泊の名峰浅羽山が改名した?

2020年10月10日 | Weblog
ところで、ネットで浅羽山を検索すると、最近は登山やバックカントリースキー(ゲレンデではなく、コース外を利用)で注目されている山になっているようだ。残念ながら浅羽山に登ったことは一度もないが、あの浅羽山でバックカントリースキーをするなんて、最近の若い人はいいと羨ましくなる。
しかしながら、浅羽山のことを述べている記事内容にもかかわらず、浅羽山ではなく南浅羽山でとの記述がネット上で多く見られる。これは一体どういうことか。
今まで、南浅羽山などという山名は聞いたことがなかった。いつの間に浅羽山を南浅羽山と呼ぶようになったのだろうかと疑問を感じた。
国土地理院は山の名前は原則その地元で呼ばれている山の名称を使うとしている。
 
浅羽山に関しては、鷹泊小学校の校歌(昭和37年制定)、応援歌(いつ頃かは不明だが、校歌よりさらに前から使用されていた)にも浅羽山の名前が出てくるので、鷹泊では昔から親しまれ、使われていた山の名前である。
鷹泊小学校記念誌を読むと私より前の時代(昭和30年代よりも前)には、浅羽山でスキーをしたとか、堅雪遠足に行ったとか書いてあり、先輩達も浅羽山には慣れ親しんでいたと思われる。
写真は浅羽山(2007年)。山容に風格がある。
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