鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

リフレッシュプラザ鷹泊の公園内のパークゴルフ場は復活

2018年09月30日 | Weblog

5年前にリフレッシュプラザ鷹泊の公園内にパークゴルフ場が造られているのに気付いた。ところが、2年前に訪れた時にはパークゴルフ場が使用されている形跡はなく、むなしく閉鎖されたと思っていた。ところが意外にも、パークゴルフ場は復活しているようだった。感激!パークゴルフは、子どもからお年寄りまで世代を超えて楽しめるコミュニティスポーツなので、人の少ない今の鷹泊でパークゴルフが行われているということはすばらしいと思った。

写真は公園内のパークゴルフ場の一部

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リフレッシュプラザ鷹泊の公園の千本桜は順調に生育

2018年09月28日 | Weblog

写真はリフレッシュプラザ鷹泊前の花壇。

リフレッシュプラザ鷹泊前の公園は、昔の鷹泊小学校校庭の北半分に相当する場所に造られている。東屋があり、花壇は整備され、きれいな花が咲いていた。

芝生部分の中には沢山の桜の樹が植えられているが、「千本桜の街鷹泊」を目指して鷹泊地域振興会が主体になって平成10年に植樹されたものである。

桜の寿命はエゾヤマザクラの場合70-90年とされているので、まだまだ若木であるが早20年を経過している。

桜の季節ではなかったが、花が咲き誇る時期には古くからある鷹泊神社の桜とマッチして見事な花盛りになっているのではと思った。

上の写真は公園内に植樹された桜の樹。

上の写真は昔の校舎と校庭:鷹泊小学校記念誌より。

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リフレッシュプラザ鷹泊の内部を拝見

2018年09月26日 | Weblog

写真はリフレッシュプラザ鷹泊の前から元の鷹泊小学校の門方向を見た。

 リフレッシュプラザ鷹泊は、二代目鷹泊小学校を改築したコミュニティセンターであり、併設された旧深名線資料室を含め、元は小学校の教室である。小学校が閉校になった年の12月から運用開始になっている。

その施設の説明には「地域住民のコミュニティー活動の中心施設として多目的研修室・交流ホール・体験工房・浴室等の設備を持った施設です。また施設内には、旧深名線資料室の展示室もあります。」とある。(入浴施設は現在使用されていないように見受けられた。)

住民の避難場所として使用されており、豪雨の時にここへ避難したという報道を見たこともある。2年前の「鷹泊入植120年の集い」もここが使用されており、だいぶ前になるが親戚の葬儀もここで行われた。

交流ホールは体育館のようでバスケットボールやバレーボールができそうな造りである。

 写真はリフレッシュプラザ鷹泊内の交流ホール。訂正:以前このブログで昔の体育館を利用していると書いたのは間違いでした。この交流ホールは昔の体育館とは別物です。訂正します。

写真は2代目鷹泊小学校。(鷹泊小学校記念誌より転載)

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はるか昔の深名線列車の思い出2

2018年09月24日 | Weblog

深名線は日本有数の赤字線だったが、代替道路未整備のため廃止が遅れた。しかし、深名線沿いを走る国道275号線が整備されたことで、ついに平成7年9月4日に鉄道深名線は廃止。しかしながら、ほぼ同じ時期に閉校になった鷹泊小学校の跡地利用でできたリフレッシュプラザ鷹泊内に旧深名線資料室が設置され、ありし日の深名線を思い出させてくれている。

鉄道本によると、蒸気機関車に替わってレールバスも何種類か導入されたが、その中でも耐寒耐雪機能がすぐれたキハ03形が使われるようになり、そのうち小型のレールバスでは間に合わなくなったのか、ディーゼルカーに置き換わり、本格的耐寒機能を持ったキハ22形ディーゼルカーが昭和41年から昭和61年まで使用され、以後廃線まではキハ53形気動車が使用されたとのことである。耐寒仕様車とはデッキを設置した車両で、デッキは客室への寒気流入を防ぐ構造である。

SLとして今持てはやされている蒸気機関車(9600形式SL)に関しては、走っている姿は迫力満点で、豪雪地での多少の降雪をものともしない力強さは頼もしかった。

蒸気機関車の思い出は、なんといっても列車がトンネルに入った時の煙である。夏場に深川近くの円山トンネルに列車が入ると、開けていた窓から(当然エアコンはない。)黒い煙が車内に入り込んでくるので乗客が一斉に窓を閉めていた。もちろん、煙による汚れを気にするほどのいい服を着ていたわけではなかった。

また冬期には客車の真ん中にダルマストーブが設置され、車掌が時々石炭をくべに来てデレッキでストーブの中を突っついたりしていたのは、今振り返るとなつかしい風物詩である。

写真は「深名線を走った列車」のパネル写真その2 2007年撮影

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「深名線を走った列車」の思い出

2018年09月21日 | Weblog

11年前に旧深名線資料室を訪れた時の保存写真の中に、「深名線を走った列車」のパネル写真があるのを見つけた。

写し方が悪く、列車の説明文字は小さくて判読が容易ではなかったが、なんとか頑張って読んでみた。それを見て、当時乗った列車を思い出すことにした。

その頃、蒸気機関車のことを汽車(今はSLと呼んでいるが)、それ以外のものをレールバスとかディーゼルカーと呼んでいた。

昭和30年に、それまでは蒸気機関車だけだった深名線に、初めてディーゼルカーが走るようになった。そのうち蒸気機関車に変わってディーゼルカーが増えていき、昭和40年代に入る頃は、蒸気機関車は上り深川行きは鷹泊発6時台と13時台だけだったように記憶している。下りはどの列車だったかよく覚えていない。

ディーゼルカーの中でも小型のものをレールバスと称したようであるが、レールバスは、運転手と同じ目線で前方が見えたので、小学生の頃は座席には座らず運転席の右後ろに立って進行方向の景色を見るのが楽しかった。

レールバスと称された簡易型気動車はパネル写真によるとキハ01、キハ02、キハ03形という形式に属する。当時はこのような列車に乗っていたのだなあと感慨深いものがあった。

写真は旧深名線資料室にある「深名線を走った列車」のパネル写真(2007年に撮影)

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旧深名線資料室を訪ねたが中を見られず。さてそれならば。

2018年09月19日 | Weblog

写真はガラス窓越しに見えた旧深名線資料室の内部。

北海道の鉄道が元気だったのは、昭和20年代後半から40年代とされている。このブログの表題は「昭和30年代鷹泊」であるが、昭和30年代は深名線が元気だった時代でもある。

せっかく深名線を走っていた列車の情報を得たかったがだめであった。ならばどうするか。

後日、11年前に旧深名線資料室を訪れた時の写真がパソコンに保存してあるのを思い出し、それを見直してみることにした。

この時のリフレッシュプラザ鷹泊の管理人は、私の子供時代を知っていた方で、「あら○○ちゃん、久しぶり。」と挨拶されてしまった。この年になってちゃん付けはちょっと気恥ずかしかったが、故郷ゆえの暖かい言葉をかけていただき嬉しかったことを覚えている。

 

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旧深名線資料室は見られずとも得るものはあった。

2018年09月17日 | Weblog

目的の旧深名線資料室は見られなかったが、得るものもあった。

リフレッシュプラザ鷹泊の玄関に入ったところの壁には大きな写真が飾ってあり、鷹泊小学校閉校記念事業記念写真(平成8年9月23日撮影)とあった。鷹泊小学校の閉校が平成9年3月なので、その前の年になる。閉校間近の2代目鷹泊小学校校舎の前で撮影されており、その後方に旧体育館も少し見えている。その写真には、小学生と思われる子供10人ほどを含め100人以上の姿があり、まだまだ鷹泊には人がいたことを思わせる。

平成8年の撮影で、それから22年も経っているゆえ、亡くなった方も何人か見つけた。写真の下に個人の名前が記されているので、照らし合わせると誰なのかわかりやすく、知っている方も少なからずいた。その集合写真を見るとその方の昔の顔が思い起こされた。

写真は反射で見づらい部分もあるが、リフレッシュプラザ鷹泊に掲示されている鷹泊小学校閉校記念事業記念の集合写真。

 

 

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リフレッシュプラザ鷹泊は開館していても旧深名線資料室には入れず。

2018年09月14日 | Weblog

リフレッシュプラザ鷹泊の入口ドアは開いていて施設内へ入ることはできたが、管理人さんをはじめ誰もいない。施設の中にある旧深名線資料室を見せてもらうはずであったが、その部屋の入口にはなんと鍵がかかっていた。今回はあらかじめ電話をかけて、開けてもらえるはずだったが、どこかで行き違いがあったようだ。

冷静に考えると、人が少ない鷹泊で職員が施設内に常駐していることには無理があり、このような不運な結果になることも当然ありうると自分を慰めた。とはいえ、目的の旧深名線資料室の前まで来ていて入室できないという結末になってしまった。ガラス窓越しに、信号機などの展示物が一部見えたものの、残念な来訪になってしまった。

写真は窓越しに見た旧深名線資料室。

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旧深名線資料室を目指してリフレッシュプラザ鷹泊へ

2018年09月12日 | Weblog

まずは鷹泊小学校の跡地利用で造られたリフレッシュプラザ鷹泊に開設されている旧深名線資料室を目指した。

昭和30年代に鷹泊から外に出る唯一の交通手段ともいえた鉄道。

昨今は鉄道ブームである。鉄道マニアではないが、深名線が華やかだった昭和30年代に鉄道を利用した者にとって、あの当時乗った蒸気機関車やディーゼルカー、レールバス(小型のディーゼルカー)の姿や、雪の多い深名線の列車運行に欠くことが出来なかったラッセル車、ロータリー車の迫力ある姿は子供時代のなつかしい思い出である。

旧深名線資料室は以前一度だけ訪れたことがあるが、もう一度資料室を見てみよう。今度は詳しくということで、楽しみにしてリフレッシュプラザ鷹泊へ向かった。

リフレッシュプラザ鷹泊は、集会とかが無いときは閉鎖されていることが多いようなので、あらかじめ電話をかけてOKを確認して訪れることにした。

写真はリフレッシュプラザ鷹泊の正面

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鷹泊の市街地の並木風景

2018年09月10日 | Weblog

国道沿いにある、この写真に写っている中鷹、下鷹部分の並木はいつごろ植えられたのだろうか。昔はなかった。見るたびに少しずつ樹の高さが増してきて並木として様になってきている。木々が成長するのはあたりまえであるが、11年前(2007年)に撮った写真と比べても明らかに高さ、太さともに大きくなっている。樹種は寒さに強い常緑針葉樹のアカエゾマツだろうか。同じく寒さに強いとされるトドマツは防雪林に使われても街路樹には向かないとされている。 数年前に来訪したときには、JR北海道深名線バス鷹泊バス停付近の道端に開設されていた無人野菜直売所はなかった。

 

写真は鷹泊の国道沿いの並木。今年の写真(左)と11年前の写真(右)。中鷹から下鷹方向を写したもの。

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