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Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

サンチャゴ・デ・コンポステーラ

2002年11月20日 | スペイン
あさま号に乗っています。深くシートに背もたれて、レギュラーコーヒーを飲みながらメールを読む。かつてのゆとりの朝の記憶が蘇ります。

小川さん
サンチャゴ・デ・コンポステーラと聞いては黙っていられません。小川さんのご指摘の通り、キリスト12使徒の一人聖ヤコブの墓が置かれるこの大聖堂は、ヴァチカン、エルサレムに次ぐキリスト教の三大聖地のひとつとなっております。私も、安永さんや、松本さん、小川さん、フクちゃんのように還暦にして尚も壮健であったなら・・・・・旅の終着地として、必ず行こうと心に決めています。

自分の足で、ザックをしょって、ホタテ貝のぶら下がった杖をついて、「歓喜の丘」から大聖堂を眺める・・・・・ドイツの偉大な作家ゲーテは、「ヨーロッパを形作ったのはある意味でこの道である」と、その著書に記しています。

その大聖堂が見える丘に立って、永遠よりも長くそして一瞬よりも短い己の人生を振り返る時、そこには一体何が見えるのでしょうか?

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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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2002年11月20日 (康子)
2007-07-11 06:30:34
何か胸が痛い・・・・・。
taroさんの情景が目み浮かびます。
> 永遠よりも長く
> そして一瞬よりも短い己の人生を振り返る時、
> そこには一体何が見えるのでしょうか?

この言葉に反応する私は、反省ばかり。
残された人生、悔い無き行動、心がけて生きたいと心から願います。
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生きる (mamari313)
2011-05-26 12:10:07
神様は、その人に超えられない試練を与えないとおっしゃいます。でも次から次へと色々な試練を与えてくださいますね。
受け取り様で「幸せ」にも「不幸」にもなるのでしょうか?
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丘にたって見えるもの (ミキ)
2011-05-27 11:40:59
歓喜の丘に立つと心を奪われ、何も考えられないくらい素晴らしい事でしょう。私は画像だけで諦めましょう。
人間は考える生き物ですが、歳を重ねるにつれどうにもならない事もあるのに気付き、
考える事・悩む事は徒労だったと想うことがあります。自然体かケセラセラも必要でしょうか。
ネ mamari 受け取りようで「不幸ではない」にもなりますよね。
さ~て 同じ生きるなら”愉快に・・”でいきましょう!
(試練を超えるための努力が苦手な私 御容赦!)

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