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Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

ムーア人(モーロ)人の夢の跡

2001年05月24日 | スペイン
全ては1492年の出来事でした。1月2日にアルハンブラの無血開城。
この事件が、その後の世界にどんなに大きな影響を及ぼしたことか!!実はその前の年よりコロンブスは新大陸(その時点ではそうは呼ばない)への船隊の派遣をイサベルに請願していたのです。無血開城は結果論。モーロ人との戦いに莫大な戦費の負担を思うに付けイサベルはコロンブスの提案を受け入れられずにいました。

「立ち去るコロンブスを呼び止めて・・・・」は有名なフレーズですが、アルハンブラの落城とそれによるレコンキスタの完了よりも、かの1492年の大事件「コロンブスの新大陸への出発」と「新大陸の発見」の方が、歴史的にはむしろ、このアルハンブラの早期決着が生み出した副産物だったのかも知れません。

歴史の因果関係・・・・身震いします。
そしてその新大陸からもたらされる栄光はイサベルの娘ファナと結婚したハプスブルクのカール5世が一手に享受することとなるのです。スペインの栄光と影・・・
その後ハプスブルクはカールのスペイン系とその弟フェルディナンドのドイツ系に別れて発展してゆくことになります。

そのハプスブルクの黄昏を見事にその著「エリザベート」に描き、第24回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した塚本哲也先生(現在、東洋英和女学院学長)とお会いして、ハプスブルクから独立し、その後、数奇な運命を辿ることになった東欧諸国について懇談いたします。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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2001年5月22日 (Kaneko)
2007-05-19 01:10:08
旅程の最後はアンダルシアの『アルハンブラ宮殿』を入れました。いまや一日に7,500人の入場制限がある中で、ぼくはあえて午後4時の時間帯を密かに予約して、落日に染まるアルハンブラの神秘を参加者への贈り物として考えたのでした。

季節としては春が最高です。というのもアルハンブラの背景をなす『シェラ・ネバダ山脈』は冠雪をいただいていて、宮殿見学のあと、対岸のサクロモンテの丘(サン・ニコラス広場)へ向います。

夕陽を浴びて、それこそ燃え上がるように真っ赤に染まる城郭の石壁・・・。昔日のイスラム栄光をこの落日にしのばせて眺めると、自然と涙がでてくるほど美しい光景なのです。

それにしても何度訪れてもアルハンブラは素晴らしい。ここに無茶な攻撃をかけずに、辛抱強い交渉と兵糧攻めとで無血開城させたイサベル女王に、世界じゅうは感謝しなくてはならないでしょう。
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