Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

卒業式

2000年03月26日 | 名言
上智大学卒業式

会社を一日休んで子供の卒業式に行ってきました。幼稚園の運動会と中学の入学式以外、全く学校の行事に参加できなかった私も、これが最後の卒業式かと思うと、これまで大して親らしい事もできなかった事に対する罪滅ぼしという気持ちもあって、戸惑いながら一人会場に向かいました。

早めに会場に着くと、開演までの時間、大学のオーケストラが演奏をしてました。曲は大好きなワーグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」。さながらちょっとした演奏会です。こんなことならもっと早く来ればよかったなどと思っているうちにいよいよ式典の始まりです。

聖書の朗読や聖歌隊の合唱などで心が洗われた気分のうちに、学長や理事長などのご挨拶。皆様の声の良いことに驚かされました。やはり、人の上に立つ人は声がいいのだなと感心いたしました。ヨーロッパのどんな片田舎にも教会があるのは、キリストの教えもさることながら、ステンドグラスや絵画などの視覚効果に加えて、このまさに天の声とも言うべき荘厳な声と聖歌とが織り成す音響効果のせいなのだなと納得してまいりました。単純で影響されやすい私は、その後聖イグナチオ教会まで足を延ばし、卒業記念ミサにも参加してまいりまた。

ウィリアム・カリー学長の挨拶の要旨と、会場の写真を添付いたします。


ウイリアム・カリー学長の言葉


歴史について次のように語った人がいます。「歴史とは、重要な期日から成り立っているものではない。むしろ、歴史を成り立たせるのは、その期日の間に起こる出来事である。」

皆様は大学に入学したときの入学式の期日を覚えておられるでしょうし、たぶん卒業していかれる今日の期日も思い出されるでしょう。しかし、大切なのは、その間に何が起こったかということです。とりわけ今日は、皆様の一人ひとりがこれから作り上げていく歴史を待望する日です。最近私はアメリカ人の歴史家カトーマス・ケイヒルが歴史について書いたものを読みました。彼は次のように述べています。

「我々は普通、歴史を破局に継ぐ破局、戦争に継ぐ戦争、暴虐に継ぐ暴虐として考えがちだ。あたかも歴史が人類の次から次へと起こってくる苦悩の物語りであるかのように。確かにこれは、しばしばあたっている。しかし、歴史はまた、恵みの物語りでもあるのだ。誰かが他の誰かのために何かをし、命を救い、贈り物をし、要求された以上の何かを与えたという、その祝福された、説明のできない出来事の物語でもあるのだ。」

私は今日、皆様がこのように「他の誰かのためになにかをし、命を救い、贈り物をした」、そういう人々の一人となられるように願っています。この人々こそ、人類の歴史を変える偉大な人々です。。」


何かクリスチャンになってしまいそうな一日でした。


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