

石垣島の「クラブメッド」に行ってまいりました。
部屋のべッドカバーは地元のミンサー織りでした。どうやってべッドカバーほど大型なミンサー織りが可能となったのか?その疑問を解くべく石垣市内のみんさー工芸館を訪ねました。ミンサー織りはもとより石垣島の歴史に詳しい久貝さんが一冊の資料を見せて下さいました。以下は「ミンサーで夢をつかんだ」と題されたテキスタイルデザイナーの新井淳一氏の手記の抜粋です。
事の発端は一本の電話からでした。1999年2月からの6ヶ月に及ぶ「大変」はここから始まったのです。翌日の午後冬支度のまま、石垣空港に出迎えられ、話し合いは始まりました。石垣島にリゾート木テルが建つという話はうすうす聞いていました。フランスのリゾートホテル「クラブメッド・カビラ」は数百の客室にレストランなどはもちろん劇場まであるというホテルで、その企画を知れば、多くの業者は鎬(しのぎ)を削って受注を争います。
「ミンサー絣をテーマとしてインテリアを飾る」 これはホテル側のフランス人デザイナーの必須要望として提示されたものです。まずは、べッドカバーからでした。私達の案は認められ、大変な仕事が採用されたのです。夢を実現するのは、手と汗にほかなりません。働く手が脳を助け、夢を進める。夢は脳によって手を動かす。
夢見ることが、生きることだ。とすれば、大変な仕事を成し遂げて、代償として得たのは、現代の手仕事の原点を現したことかもしれません。「夢は信仰を得て叶う」。そう思います。
ひとの心の奥底に『限りなく持ち続けているの・・・旅情・』がある限り、マイナス思考は全く的外れです。現に、この買い手市場でさえ、智恵を出し絞って、乗り切っている仲間がいるのですから・・・。
この海岸では、インド洋の夕日でできる影が世界一長いのです。(クッキリ50M以上になります)
夕刻に、数珠繋ぎのラクダが30頭ほども、どこからとも無く現れ、この夕日に向かって歩を進め、われわれ世界中の観光客は背中でゆられながら、一時間ほど波打ち際からその影を愉しむのです。