Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

持ち帰れなかった甲子園の土

2010年08月22日 | 雑学
友愛の碑に埋め込まれた小石は野球場を模って並べられている

高校球児の夏が終わりました。
第92回全国高校野球選手権大会決勝は8月21日、興南(沖縄)が東海大相模(神奈川)を制し、全国4028校の頂点に立つと共に、史上6校目となる春夏連覇を達成しました。深紅の優勝旗は史上初めて東シナ海を渡りました。普天間基地の移設問題など、何かとストレスの多かった沖縄県民にとっては今年一番の嬉しい話題となったことでしょう。

そんな沖縄県勢の全国制覇を伝える報道の中で、こんな感動の秘話が紹介されておりました。

それは昭和33年(1958年)夏の大会でのことです。沖縄県勢として春夏を通じて初めて首里高校が全国大会に出場したときのお話です。1回戦で敦賀(福井)に敗戦した首里のナインは、涙を飲んで甲子園の土を持ち帰ったのです。ところが、当時まだアメリカの統治下にあった沖縄では本土の土は外国のものとして持ち込みが許されず、その土は検疫官によって船上から沖縄の海に捨てられてしまったのです。

それを知った日本航空のスチュワーデスだった近藤充子さんが、石なら防疫法に引っかからないだろうと、桐の箱に甲子園の小石を詰め、首里ナインに贈りました。そのモニュメント「友愛の碑」は、沖縄代表チーム初出場の記念として今でも同校庭に飾られています。

もう一つ8月15日のことです。
ご存知のように、この日の正午には日本武道館での終戦記念日式典に合わせて甲子園球場でも黙祷が行われます。今年は第二試合(興南vs明徳義塾)の直前でした。戦後65年目となる終戦記念日の黙祷に沖縄代表チームが居合わせる偶然に不思議な因縁を感じました。「甲子園は昔を思いださせてくれ、野球ができるありがたさを感じる」と語った興南・我喜屋(がきや)優監督(60)の言葉が印象的でした。

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