言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

桑田のジェントルマンシップ

2009年05月10日 | スポーツ
巨人で活躍し、米大リーグのパイレーツにもいた桑田真澄さんが、早稲田大学のラグビー部のプレーヤーたちを前に講演をしたというニュースが出ました。
その講演でのキーワードの一つが「ジェントルマンシップ」だったそうです。

巨人は、創設者の正力松太郎氏が、遺訓として「球界の紳士たれ」という言葉を残しています。
桑田投手もかねてから、選手としての努力はもちろんのこと、挨拶をしたり、ゴミをすすんで拾うなど人としての生きる姿勢を大切にと心がけていたといいます。
早大ラグビー部は今季、史上2校目の大学3連覇を狙う名門チーム。
「ジェントルマンシップ」を磨くことも掲げるチームです。

スポーツ選手にジェントルマンシップという言葉は似合います。
もともと「ジェントルマン」は、イギリス紳士の精神を表す言葉で、人として優しく弱いものいじめをしない正々堂々とした姿勢のことです。
古くは中世の騎士道の伝統を受け継ぎ、19世紀にはスポーツマンシップと密接に結びつきながら、イギリスの男性の理想像として語り継がれてきました。

かつて日英文化交流に尽力したトレヴァー・レゲット氏は、英国の紳士像と日本の武士道とを比較して興味深い論を展開しています。
武士道は、新渡戸稲造によってまとめられた「宗教を持たない日本人のモラルの原点」ともいえる美意識や道徳規範のことです。

レゲット氏は、同じように歴史ある島国のイギリスと日本は、紳士道と武士道という類似した精神構造を持っているとしながらも、両者の微妙な差を論じでいます。
レゲット氏いわく、
(イギリス)紳士は、芸術的創造性は何か男らしくないものと考える傾向がある。
日本人の侍が詩歌や生花に長じているというのを読むと、イギリス人は今でも驚異を覚える。

つまり、日本人だと男でも自然にたしなむ茶道や和歌といった芸術的なたしなみが、イギリスでは「男のものではない」と捉えられるというのです。

この違いには、歴史上の日本の武士のおかれた立場の特殊性があったように思います。
江戸時代、武士階級は士農工商の上位に位置づけられながらも、もっとも存在意義を失った階級でした。
徳川幕藩体制の下、世界史上でも珍しい安定的で平和な社会が長期にわたって続いたため、元来「戦うこと」が職業のはずの「武士」が本来業務を失い、代わりの存在意義を見つけるために文化的な営みにも長じるようになりました。
読み書きをよくし、学問を修め、古典や和歌、茶道などの礼儀作法を習得しました。
文化教養は、戦うことを忘れた当時の武士階級の専売特許だったのです。
そうした時代に醸成された武士道ですから、男が「詩歌や茶道」をたしなむことが含まれているのはごく自然なことでした。

むしろ明治以降、茶道が女子教育の一環として取り入れられるなど、文化芸術的なたしなみが女性に偏っていく傾向が見られるようになります。
世は文明開化の時代。
「ジェントルマンシップ」を基調としたイギリス的な価値観が取り入れられた結果かもしれません。

以来100年あまり。
「ジェントルマン」という言葉は、日本人にもすっかり定着した精神になっているようです。



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