歩行記録 2014-11-30(日)
歩行時間:4時間15分 休憩時間:1時間05分 延時間:5時間20分
出発時間:9時25分 到着時間:14時45分
歩 数: 、歩 GPS距離16.1km
行程表
天浜線戸綿駅 0:45> 蔵雲橋 0:35> 天宮神社 0:40> 大洞院 1:00> 小国神社 0:45>
遠州一宮駅 0:30> 円田駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e1/e89347debddf4be3fa0cff31a7aff3ae.jpg)
天宮神社 修復されていた社
天宮神社の場所
月1回の近所の人達のウォーキングで、遠州森町の大洞院と小国神社の紅葉狩りに出かけてきました。
紅葉の名所の大洞院と奥の院だけでは距離が短いので、最初に太田川に架かる潜り橋の延城橋を渡ってから
天宮(あめのみや)神社に向かったのですが、これが大外れ。
延城橋の橋板は橋桁から外れ、流れの中に------- まさに潜り橋の状態でした。
仕方なく更に1km上流の蔵雲橋まで足を延ばす事になってしまい、直接天宮神社に向かえば1.5kmで済むのを
4.5kmも余計に歩いてしまい大不興を買ってしまいました。
3年前に寄ったとき社は台風の被害を受け、本殿屋根には青いシートが被さっていたが今は綺麗に修復されて
いた。倒木や斜めに傾いていた木も切断され境内は以前より明るくなっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b8/bca202790dfb832d3efcae8dd7623397.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/7e/94422fa0f8403c6263ff315c938983c1.jpg)
大洞院の場所
大洞院の紅葉はすでに終盤に入り、枝の先は既に落葉し裸の枝を見せていた。
その落葉が地面を覆い、斑模様や黄色一色の厚手な絨毯模様を見る事ができた。
公孫樹の木の下には、その落ち葉が散る状態を写真に撮ろうと、何人ものカメラマンがカメラを構えていた。
私は余り土産を買う方ではないが、去年ここで買った「山クラゲ」が好評だったので3束千円と奮発して買って
しまった。酒のつまみにコリコリした歯触りは最高だ。
大洞院から小国神社はゴルフ場経由の車道ではなく、橘経由の林道で行く予定だったが、大洞院の先に
「この先 全面通行止」の立看板が立っていた。
この様な表示は一番悩む。全面通行止とは文字通り車も人も全てなのか、それとも車のみなのかが分からない。
一人歩きなら判断ミスは自分で背負うだけで良いが、今日は近所の人も一緒なので一応皆の意見も聞いてから
進むことにした。
橘集落を過ぎた西宮神社の所に、今度は「車両通行止」の看板が立っていたの一安心。何故大洞院横の看板は
「車両」の一文字を入れないのだろ? 立てた人はウォーキングなどしないので気が回らないのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/7c/57ee9d1f43b33b31634b0a10f31d17b9.jpg)
何だろうこれは? 黄色く色ずいたカエデの下に細い管状の物が垂れ下がっている。???
顔を近づけよく見れば、カエデとは別物の、そうあれだ。それにしてもうまい具合に引っ掛かったものだ。
神社の境内地に入ると川に沿って遊歩道があるので、林道と別れて遊歩道に入る。この辺りはまだ紅葉狩りの
人は少ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/5d/45ba2f3f4ab51e5116ef89e43776329f.jpg)
と思っている間もなく行楽客は増えてきた。そして赤い橋が見えてくれば右に小国神社の拝殿がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/46/a7361c029123a7e1523e643e37abcc8b.jpg)
遠州一宮小国神社
小国神社の場所
各地にある一宮神社は、その国の中の一番大きい神社なので、当然一つの国に一つしかないと思っていた。
それが遠州日坂の事任(ことのまま)神社へお参りに行ったとき神社の人が
「本来事任神社が遠州の一宮だが、ある時期事任神社が小国神社に疎開した事がある。その時以来、小国神社も
一宮と称するようになった」 と説明してくれた。そんな事があるのかと調べてみると
「全国一宮一覧」 には間違いなく、この二つの神社の名前が載っていた。
更に 「一宮とは、旧国内で最も有力(社格が高い)とされる神社のこと。平安時代~鎌倉時代にかけて
成立した。その起源には諸説あり、各諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力をもち、
自然に生じた序列に従い決定したとする説が有力」 だそうだ。と云う事は権力者が指定したのではなく、
人気の高い、云わば参詣者が多い神社が一宮になったと云えるだろう。
それを現在に置き換えるなら、圧倒的に小国神社に軍配が上がる。花菖蒲、紅葉と手間暇を掛けて名所に育て
上げるなどして名前を売り、初詣客は遠州の神社の中ではトップになっている。
一方事任神社は平安時代には清少納言の「枕草子」に取り上げられたり、鎌倉時代には吾妻鏡、江戸時代には
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に「願い事が叶う神社」として登場したなどと過去の話題しか出てこない。
これでは遠州一宮は小国神社だけと思われても仕方ない。
小国神社から遠州一宮駅に向かう道は、車が大渋滞で新東名まで数珠つなぎに連なっていた。
そんな横を歩くのは中々気分が良いのだが、今から行っても陽は陰ってしまい綺麗な紅葉は見れそうもないと
少々可哀そうな気もする。
一宮駅の目の前で電車が走りだしてしまった。フー次は1時間待ちの3時1分しかない。店屋も無いこんな
ところで1時間もつぶすのは堪らない。そうだ次の円田駅前にはコンビニがある。それなら・・・・・・
強引に皆を誘って円田駅に向かってしまいました。
歩行時間:4時間15分 休憩時間:1時間05分 延時間:5時間20分
出発時間:9時25分 到着時間:14時45分
歩 数: 、歩 GPS距離16.1km
行程表
天浜線戸綿駅 0:45> 蔵雲橋 0:35> 天宮神社 0:40> 大洞院 1:00> 小国神社 0:45>
遠州一宮駅 0:30> 円田駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/f7/3a6859de0cf6a03d62b3205b69535f71.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e1/e89347debddf4be3fa0cff31a7aff3ae.jpg)
天宮神社 修復されていた社
天宮神社の場所
月1回の近所の人達のウォーキングで、遠州森町の大洞院と小国神社の紅葉狩りに出かけてきました。
紅葉の名所の大洞院と奥の院だけでは距離が短いので、最初に太田川に架かる潜り橋の延城橋を渡ってから
天宮(あめのみや)神社に向かったのですが、これが大外れ。
延城橋の橋板は橋桁から外れ、流れの中に------- まさに潜り橋の状態でした。
仕方なく更に1km上流の蔵雲橋まで足を延ばす事になってしまい、直接天宮神社に向かえば1.5kmで済むのを
4.5kmも余計に歩いてしまい大不興を買ってしまいました。
3年前に寄ったとき社は台風の被害を受け、本殿屋根には青いシートが被さっていたが今は綺麗に修復されて
いた。倒木や斜めに傾いていた木も切断され境内は以前より明るくなっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/de/707641f547ca97c5c5b289a797e310ca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b8/bca202790dfb832d3efcae8dd7623397.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/be/5d9b522cb57300149fdfb00b8c249ab6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/7e/94422fa0f8403c6263ff315c938983c1.jpg)
大洞院の場所
大洞院の紅葉はすでに終盤に入り、枝の先は既に落葉し裸の枝を見せていた。
その落葉が地面を覆い、斑模様や黄色一色の厚手な絨毯模様を見る事ができた。
公孫樹の木の下には、その落ち葉が散る状態を写真に撮ろうと、何人ものカメラマンがカメラを構えていた。
私は余り土産を買う方ではないが、去年ここで買った「山クラゲ」が好評だったので3束千円と奮発して買って
しまった。酒のつまみにコリコリした歯触りは最高だ。
大洞院から小国神社はゴルフ場経由の車道ではなく、橘経由の林道で行く予定だったが、大洞院の先に
「この先 全面通行止」の立看板が立っていた。
この様な表示は一番悩む。全面通行止とは文字通り車も人も全てなのか、それとも車のみなのかが分からない。
一人歩きなら判断ミスは自分で背負うだけで良いが、今日は近所の人も一緒なので一応皆の意見も聞いてから
進むことにした。
橘集落を過ぎた西宮神社の所に、今度は「車両通行止」の看板が立っていたの一安心。何故大洞院横の看板は
「車両」の一文字を入れないのだろ? 立てた人はウォーキングなどしないので気が回らないのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/14/9895911e1f0609382f948e2d609dbe3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/7c/57ee9d1f43b33b31634b0a10f31d17b9.jpg)
何だろうこれは? 黄色く色ずいたカエデの下に細い管状の物が垂れ下がっている。???
顔を近づけよく見れば、カエデとは別物の、そうあれだ。それにしてもうまい具合に引っ掛かったものだ。
神社の境内地に入ると川に沿って遊歩道があるので、林道と別れて遊歩道に入る。この辺りはまだ紅葉狩りの
人は少ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/ab/a2b60820d703f34efd2654bf3200f989.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/5d/45ba2f3f4ab51e5116ef89e43776329f.jpg)
と思っている間もなく行楽客は増えてきた。そして赤い橋が見えてくれば右に小国神社の拝殿がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/46/a7361c029123a7e1523e643e37abcc8b.jpg)
遠州一宮小国神社
小国神社の場所
各地にある一宮神社は、その国の中の一番大きい神社なので、当然一つの国に一つしかないと思っていた。
それが遠州日坂の事任(ことのまま)神社へお参りに行ったとき神社の人が
「本来事任神社が遠州の一宮だが、ある時期事任神社が小国神社に疎開した事がある。その時以来、小国神社も
一宮と称するようになった」 と説明してくれた。そんな事があるのかと調べてみると
「全国一宮一覧」 には間違いなく、この二つの神社の名前が載っていた。
更に 「一宮とは、旧国内で最も有力(社格が高い)とされる神社のこと。平安時代~鎌倉時代にかけて
成立した。その起源には諸説あり、各諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力をもち、
自然に生じた序列に従い決定したとする説が有力」 だそうだ。と云う事は権力者が指定したのではなく、
人気の高い、云わば参詣者が多い神社が一宮になったと云えるだろう。
それを現在に置き換えるなら、圧倒的に小国神社に軍配が上がる。花菖蒲、紅葉と手間暇を掛けて名所に育て
上げるなどして名前を売り、初詣客は遠州の神社の中ではトップになっている。
一方事任神社は平安時代には清少納言の「枕草子」に取り上げられたり、鎌倉時代には吾妻鏡、江戸時代には
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に「願い事が叶う神社」として登場したなどと過去の話題しか出てこない。
これでは遠州一宮は小国神社だけと思われても仕方ない。
小国神社から遠州一宮駅に向かう道は、車が大渋滞で新東名まで数珠つなぎに連なっていた。
そんな横を歩くのは中々気分が良いのだが、今から行っても陽は陰ってしまい綺麗な紅葉は見れそうもないと
少々可哀そうな気もする。
一宮駅の目の前で電車が走りだしてしまった。フー次は1時間待ちの3時1分しかない。店屋も無いこんな
ところで1時間もつぶすのは堪らない。そうだ次の円田駅前にはコンビニがある。それなら・・・・・・
強引に皆を誘って円田駅に向かってしまいました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます