正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め” アメリカ農務省―1

2010-08-16 | 食事教育

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」ワシントンの意図 “余剰農産物小麦を売り込め”
アメリカ農務省―1
 20年前に皇太子ご夫妻を熱狂的に迎えたポートランド空港から、私たちは首都ワシントンに向けて飛び立った。あの“小麦のキッシンジャー”氏とのインタビューから、PL480が1954年にアメリカ議会を通過した「余剰農産物処理法」のことだと知った。その時の大統領はアイゼンハワーで、農務長官はのちに日本までキッチンカーの視察にやってきたベンソンであったという。バウム会長は「あのPL480の制定がなければ、今日の日本市場は生まれていなかっただろう」とまで言った。
 私たちのワシントン訪問は、このPL480の制定に関わった人物を捜し出し、当時のアメリカ政府がどんな狙いで「余剰農産物処理法」を通過させたのか、そしてバウム氏たちの民間の市場開拓の背後に、どんなアメリカの国家意志が働いていたのかを調査するためであった。
 私たちの乗った飛行機は、ロッキーの山並みを越え、途中でユタ州ソールトレイク・シテイにいったん着陸した。大塩湖とモルモン教の総本山があることで知られる町である。PL480を立案したベンソン農務長官はこの町の出身で、熱心なモルモン教徒であったという。
 実は当のベンソン氏は80歳の高齢ながら今も元気でこのソールトレイク・シテイに住んでいた。残念ながら、私たちはその事実を、アメリカ取材の最終日に知ったのである。30分ほどの待ち時間を空港内で過ごして、私たちはこの重要な時代の証言者がいる町を離れた。
 飛行機はアメリカ最大の穀倉地帯である中西部諸州を飛んで行く。雲の切れ目から臨む眼下の風景はどこまで行っても緑であった。
 1976年、アメリカが建国200年を祝った年に私はこの中西部の農業地帯を2か月にわたって取材したことがあった。北はモンタナ州でのカウボーイから南はオクラホマでの小麦農家まで、グレート・プレーンで会った農民たちは「アメリカを支えているのはわれわれだ」という自負を持っていた。カンサス州のセラーズという農民は、地平線まで届きそうな広大な畑を耕すために、徹夜でトラクターを運転していた。毎朝、穀物相場をラジオで聞き、自分の穀物は自分で販売の時期を決断する。ある時、セラーズ氏は「今日、これから、うちの小麦の三分の一を売るぞ」と言い、町の組合事務所に出かけて、われわれの目の前でポンと500万円相当の小麦を売却してしまった。その帰りに農機具販売店に立ち寄り、今度は420万円ほどの中古トラクターを買ってそのまま自分で運転して帰った。この時の取材で、私は底知れぬアメリカの農業パワーを草の根の現場から見せつけられた思いがした。
 アメリカは農業大国である。人口のわずか4パーセントの農民が、全アメリカ国民のみならず、世界の胃袋を満たしている。農産物が稼ぎ出す貿易黒字額は100億ドルを超え、巨額の石油輸入による赤字を埋め合わせる最大の輸出商品になっている。その中でも小麦はトウモロコシ、大豆と並ぶドル箱である。アメリカは自国で生産した小麦の約60パーセント(3000万トン)を輸出し、一国で世界の小麦貿易量の半分近くを占めているのである。そうした実績がアメリカ農民の自負と発言力を支え、大統領選挙に勝つためには中西部の農民票をおさえることが不可欠だとまで言わせる根拠になっている。
 アメリカ農務省は、こうした農民の利益を代表し、全世界をにらんで数々の政策決定を行ってきた。PL480(余剰農産物処理法)も、その中の一つであったにちがいない。


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