文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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毎日新聞が問題視する「頭を下げないこと」や「呼び捨てにすること」は、問題の本質とは全く関係がないことです。

2018年04月24日 10時29分24秒 | 日記

以下は前章の続きである。

議員として不適格な言動 

「人格に訴える論証」と言えば、毎日新聞2018年3月13日記事も【集団ヒステリー】を誘発する稚拙な人格攻撃と言えます。 

〈毎日新聞「麻生氏の言動、反発増幅 陳謝で頭下げず」 ……麻生太郎副総理兼財務相の尊大とも取れる態度が反発を招いている。麻生氏はこれまでも物議を醸す発言があったが、改ざん問題を巡る記者会見などでも不用意な発言が目立っており、世論の反発を増幅する一因となっている。(中略)12日に記者団の取材に応じた際には、「深くおわび申し上げる」と陳謝したが、頭を下げることはなかった。また、「佐川の国会答弁に合わせて書き換えたのが事実」などとして、国税庁長官を9日に辞任した前財務省理財局長の佐川宣寿氏を呼び捨てにした。そのため、野党からは「何回も呼び捨てにし、佐川さん一人を悪者にするかのような会見だ」(立憲民主党の福山哲郎幹事長)など、批判が出ている〉 

毎日新聞が問題視する「頭を下げないこと」や「呼び捨てにすること」は、問題の本質とは全く関係がないことです。

「呼び捨てにすると佐川氏一人が悪者になる」という原理は理解不能です。

1・3 概念 

演繹的推論では前提となる概念から結論の概念を導きますが、今回の野党の追及では、その概念が曖昧であったり混同されていたりする言説が散見されます。 

そもそも、今回の森友問題に一部の野党やマスメディアが飛びついたのは、2017年2月17日の衆議院予算委員会における安倍首相の発言中の「関係」という言葉の曖昧性に起因しています。 

「私や妻が関係していたということになれば、これはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」 

発言後に、一部野党やマスメディアは、安倍首相の関与を徹底的に追及して証拠がないとみると、他者から忖度を受けたことも「関係したことになる」と主張し、安倍首相に辞任を要求しています。

これは、言葉の意味を自説に都合よく解釈する【言葉曖昧の誤謬verbal ambiguity】というものであり、次の例と大差がない極めて低次元な主張と言えます(笑)。

例1) A「嘘をつけ!」

B「嘘をつけって言ったから嘘ついたんだよ~」         

例2)A「なめるんじゃね~!」

B「なめてないし!」

例3) A「お前にそんなこと言う権利はない!」

B「言論の自由は憲法で保障されているよ」

例4) A「自分はアホか!」

B「そのとおり、テメーはアホだ」(Aは関西人、Bは関東人)

例5) A「お前、バカじゃないの!」

B「そのとおり、バカじゃないよ」 

しかしながら、このことが行政のボーンヘッドを招き、行政文書の書き換えの主要因になった可能性もあります。 

他者からの忖度は不可避であり、安倍首相の「関係していたら」の意味は、「首相あるいは国会議員としての権力を使っていたら」の意味であることは自明ですが、この意味を行政が誤解釈することも可能性としては十分あり得ると言えます。野党議員の勘違い 

ところで今回の議論では、「書き換え」と「改ざん(改竄)」を混同した主張も散見されます。

この違いは行為者の悪意の有無によります。

たとえば、「誤謬」という言葉は論理的誤りのことですが、そのうち言説の論者が悪意をもって誤ったものを「詭弁」と言います。 

また「誤報」という言葉は誤った報道のことですが、そのうちマスメディアが悪意を持って誤ったものを「虚報」と言います。

このようなコンテクストと同様に、「書き換え」という言葉のうち悪意を持って行ったものを「改ざん」と定義することができます。 

今回の事案においては、仮説において「改ざん」という言葉を用いることは妥当ですが、事実認定において「改ざん」という言葉を用いる場合には根拠が必要です。

合同ヒアリングにおいて、野党議員が「改ざん」を事実として連発するのは、悪意を印象付けるための【レッテル貼」labelling】である可能性があります。 

「行政文書」とその一部である「決裁文書」という言葉についても混同して使われがちです。

「行政文書」のうち「決裁文書」は、「行政機関の意思決定の権限を有する者が押印、署名又はこれらに類する行為を行うことにより、その内容を行政機関の意思として決定し、又は確認した行政文書」と定義されています。  

さらに、「実行責任」と「結果責任」という言葉も分けて考える必要があります。

たとえば、麻生大臣が書き換えの指示を行っている場合には、事案に関与しているので「実行責任」が問われ、事案に関与していなくても管理者としての「結果責任」が問われます。  このうち「結果責任」の認定は必ずしも簡単でなく、たとえば事象が予見困難で管理者としての事態回避が困難な場合には、懲罰を最小限に留める必要があります。

日本社会にありがちな「黙って早く責任を取る」という行為は合理的でなく、社会をアンフェアにします。

いずれにしても、議論では明確に定義された言葉を用いる必要があります。

この稿続く。


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