文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization on September 2016

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

ツイッター。

2010-07-23 16:09:15 | 学ぶとは何か
僕が初めてブログの形で、こうなれば、歩きながら書くしかないと決心したのは、
これまで時には1年に2日しか休まず…形容すれば馬車馬のように働いて…様々な形で170億円超の納税を為し、今でも、大阪市に毎年1,000万円超の固定資産税を払っているのに、これほどの阿呆な事が白昼堂々と為されている事に対する心底の怒りからでした。

昨日、第1章は書き終えたと思い、歩きながら書いたにしては、我ながらよくやったと思いもしたのですが、昨日(結果は、僕の推測通りだとしても)TVのスポーツニュースで、
日本案、好感…等と流れて来た時には、本当に嫌に成りました。

中略

けれども親の庇護が必要な若鳥や子供ライオンでも静かなねぐらが必要。
能力に見合った感受性を備えた少年には平和の喪失は見合った分だけ耐え難い物に成る。

後年、エンゲルスの「僕はマルクス主義を学校で学んだのではない、自分の家を通して学んだのだ」を目にして、時代を変革する人間とは、そう言う物なのだと。

釈迦(ゴータマ・シッタルダ)だって同様でしょう。キリストもそうだと僕は思う。

学校で学んだ知識でお金儲けは出来ても時代を穿つ事、変える事、歴史を作る事は出来ない…前述した高橋和己の「いつの時代にも、時代を造り、変革して来たのは、身に一物も持たない寒士たちだった」と言うのは、そういう意味です。


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