文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

彼女は当然の事ながら参加した世界中のバイオリンコンテストで全て優勝。世界中の人たちが、皆、驚愕し称賛した才能だった。

2024年03月16日 23時23分25秒 | 全般

日本国民全員が必視聴!!!Aspen Online Concert "Save The Young Artists®" 原田幸一郎プロデュース Vol.7 村田夏帆(ヴァイオリン)Natsuho Murata, violin
Natsuho Murata wows Italy | Mozart: Violin Concerto No.3
Natsuho Murata wows Italy | Mozart: Violin Concerto No.3
Natsuho Murata:Tibor Junior Competition 2022 Final
ここでの「庭の千草」(The Last Rose of Summer)も絶品。

3月10日、私は、浜離宮朝日ホールで開催された能登半島支援チャリティーコンサートに出かけた。
2020年の大晦日に、YouTubeで、彼女を発見した私は驚愕した。
彼女は、当然の事ながら、参加した世界中のバイオリンコンテストで全て優勝。
世界中の人たちが、皆、驚愕し称賛した才能だった。
更に驚くと同時に、日本人として、これ以上誇らしい事はないと思ったのは、何と、彼女に続いて、幾つか年下に、吉村ひまりも出現していたからである。
勿論、Himariも、彼女に続いて参加した世界中のすべてのコンテストで優勝。
私が、本欄で、日本と日本人の素晴らしさ、優秀さを描き続けて来た事は、読者はご存じの通りである。
彼女たちは、私の論説が正しい事の、これ以上ない証明だった。

音楽界に、今、出現している、こんな奇跡の様な才能の演奏を、当日、私は、前から2列目の真ん中という、これ以上ない席で聴いていたのである。
彼女の響きの豊饒さ、力強さ、美しさ、全てが圧倒的だった。
私は、最初の一音から最後まで、彼女の音と一体になって聴いていた。
あれこそ至上の体験である。

私は、毎日、YouTubeでクラシック音楽を聴きながら本欄を書いているのだが。
帰阪後、実に久しぶりに、ベートーベンが音楽について語った言葉を思い出した。
若い時に、周囲の人たちに、何度か話した言葉である。
「音楽は芸術の中でも至上なのだ…」ベートーベンが、そう言った時代には、映画はなかった。
だから、その通りなのだと私は何度も話していたのである。
絵画、詩、小説…音楽だけが肉体を有しているからである、と。
音楽は響き、絵画は線、小説は文体、写真は構図と瞬間。
音楽だけが響き=肉体を持っている。

私は、今回の事を契機として、日本の音楽界の層の厚さにも気づかされた。
日本は、凄いのである。
政府は、下らぬ男女参画法や子ども家庭庁などに15兆円前後の巨額を無駄遣いしている暇に、これ以上ないほどに、層の厚い日本の音楽界に、十分な予算を投下すべきである。
村田夏帆と吉村妃鞠の立て続けの出現は、日本の音楽界の層が、世界一厚いからである。
つまり、紫式部と清少納言の伝統が、今に続いている素晴らしい国、稀有な国である事の証明なのだから。
日本政府は、そのことに気づいて、日本の音楽界が常に世界をけん引して行けるように、世界一の環境を構築しておかなければならない。
それこそが、日本と世界に対する、政治家の務めである。
ATMのように世界にお金をばらまいても、本当の尊敬は得られない。
芸術においても世界一であって、初めて、世界は尊敬するのだから。
本物の芸術は、民度の低い世界では生まれない、育たない。
日本の民度が世界最高だから、世界最高の音楽が誕生するのである。
村田夏帆は、アマティを使用しているが、今は、ストラディバリウスを弾きたい。
つまり、ストラディバリウスの響きが、彼女の才能の全てに呼応するものなのだろう。
政府は、速やかに、極上のストラディバリウスを購入して、彼女に貸与すべきである。
理由は、言うまでもない。
国会議員全員が、束になっても果たせない、日本と日本人に対する極上の称賛を、彼女は果たし続ける比類なき才能だからである。
至上の外交を、国威発揚を、彼女は一人で果たし続けているのだから。
しかも、後にHimariが続いているように、彼女たちの才能は、次から次と、次代の才能を呼び覚まして行くのだから。
愚劣で悪質な反日思想の持ち主たちに、巨額の公金チューチューをさせ続けている日本政府よ。
今こそ、成すべき事を為せ。
今すぐに出来る善政が、そこに在る事に気づくべし!

2024/3/10 in Tokyo




Top 10 real-time searches 2024/3/16, 19:23

2024年03月16日 19時24分17秒 | 全般

1

先般は料理が出てくるのを待っている間に「羅生門」を実に久しぶりに読んだ。昨日は、なぜか小林秀雄に手が伸びた。

2

Ich glaube, dass es in der japanischen Kultur eine Quelle der Größe gibt.

3

嵐山を我が家の庭にしている私が、やっと検索してみる気になったのが、以下の明治の人間である。

4

Ah, este deve ser o olho branco japonês, pensei imediatamente.

5

人間国宝を含む能の大御所たちが、流派を超えて集結し…写真が閖上のように思えたから検索してみた

6

Je crois qu'il y a une source de grandeur dans la culture japonaise.

7

Oh, ça doit être l'œil blanc japonais, ai-je immédiatement pensé en ressentant.

8

Oh, das muss das japanische Weißauge sein, dachte ich sofort in dem Gefühl.

9

Credo che ci sia una fonte di grandezza nella cultura giapponese.

10

トップページ

 

2024/3/10 in Tokyo


その事を証明しているかのように、朝日新聞下段の新刊広告は酷かった。

2024年03月16日 18時32分54秒 | 全般

2016/1/27

この日本を二流国の様に論じ続けて来た、実は二流の集まりでしかない事にも気づかず、自分たちが日本の優秀選手であるかのごとき、噴飯ものの態度で、日本を虐げ続けてきた思想と、似非モラリズムという偽善で、世界中に、日本の価値を落とすためのねつ造報道を続けて来た朝日新聞と、これに同調して来たメディアやいわゆる文化人たちは、実際はtraitorそのものだったのである。

その事を証明しているかのように、最近の朝日新聞下段の新刊広告は酷かった。

北新地で、遅くまで酒を飲んでいる事だけが取り柄の様な、元、証券会社勤務で現在は同志社大学の教授をしているおばさん…彼女が、今、世界中の全ての国が蛇蝎の如くに忌み嫌ている日本型の長期デフレを作った張本人の一人であり、6人に1人の子供たちが年収180万円以下の貧困家庭に育っている現実を作って来た張本人の一人であることは言うまでもない。

その彼女が、未だに円高論を唱え、20年超もかかって、やっとデフレを克服するための正しい政策を打ち出し、日本を元に戻し出している安倍首相の政策に対して、「アホノミクス」だなどと、関西の三流芸人しか言わない様なタイトルをつけた本を出版した。
これを朝日が嬉々として広告する。

これが、世界が全く知らずに来た、世界の何処にもない日本の希観である。

一方、香港では、全く当然の事を書いた正に愛国者たちが、次から次と失踪、拘束されている。

彼等を拘束している国と、朝日とこれに同調して来たいわゆる文化人たちは、極めて親和して来た事ももはや歴史的な事実なのである。

そのほかにも、これぞtraitorそのものと言っても過言ではない福島瑞穂と、朝日新聞におべっかを使う事で、自分の生計を成り立たせている様な人間である内田樹の対談本…
実に噴飯もののタイトルが付いた本…
一体、この二人は、どんな神経をしているのだと、まともな人間たちは皆、瞬時に感じたような本の広告を大きく掲載していたのである。

朝日の幼稚であるが故の、悪辣さは、極まっている。

朝日の購読者だからこそ、今回の甘利報道をもたらすような、下種な週刊誌と下種な情報法提供者などというものが、人口の2%は間違いなく存在しているのである。
彼らの悪にだまされる、690万世帯の朝日新聞購読世帯も、存在しているのだ。

2024/3/10 in Tokyo


普通のまともな頭脳を持っている人間になら、誰にも聞こえる声のことを、市場は正しいと言ったのである。

2024年03月16日 18時23分42秒 | 全般

2016/1/27

結局、市場は正しいと前章で書いたのは、市場が無条件で正しいと言う意味ではないことは無論である。
市場が、その時々に出しているサインは、正しいと言う意味合いの事だと言う事は、慧眼の士に、補注する必要はないと思うが。
ヘッジファンドなどが、為替先物で円高に振って、儲け、同時に日経先物では株安にかけて更に儲けるという、
自分たちが、売買高の7割を占めている事を利用して行う取引の事ではなくて、
世界経済の動向の中で、今の様な態様である時に、市場が発する声…大体、誰にも聞こえる声である。

朝日新聞などや浜のおばさんなどには、聞こえない声だろうが。
普通のまともな頭脳を持っている人間になら、誰にも聞こえる声のことを、市場は正しいと言ったのである。

その市場の声を聴くだけではなく、市場を導いてゆく、それが世界のリーダーである国の役割なのだと私は言っているのだ。
それは自分たちの国が冒した原罪を忘れて、…それこそが、永久に、世界の警察官であり続けなければならない理由であったことを、オバマは全く知らなかった。

そうして、まるで朝日やニューヨーク・タイムズ紙の似非モラリズムと全く一緒のような、見せかけのモラリズムの宣言…米国は、もはや世界の警察官ではない…をしたこと、
おまけに、この時の彼が後姿を見せて演壇から去ってゆく映像がまた、いわば世界の悪党を勘違いさせるのに格好の映像だった。

彼のあの演説の映像を観た後の、習近平や、プーチンの行動、ISの勢力拡大を見れば、私の論説の正しさは、歴史的に、いやというほど、証明されているのである。

2024/3/10 in Tokyo


At the time of the second time I came across this Popsicle.

2024年03月16日 18時08分04秒 | 全般

2016/1/26
Now, in my favorite place (Sunday, probably because of a slightly higher fee) on Sunday, one Popsicle is a free service. 
At the time of the second time I came across this Popsicle.
I knew by intuition that it best conveyed the greatness of Japan.
Immediately, shalt inform all over the world.
But, first, when I tried to identify the manufacturer, it was delayed one day.
The following is my editorial, notably part of the New York Times and Gerald Curtis, Carol Gluck, Alexis Dudden, etc. 
In the ridiculous protest advertising that the women had led on an issue by a pressure group, the humans who enter their name must read to hit home because this is true.
Moreover, this Popsicle is 50 yen per piece.
The whole was covered with ice cream, which was crowded, kneading genuine Uji powdered green tea.

When out to eat, the first occurrence is azuki bean paste. (Very delicious)

When eating more, the powdered green tea cream appears on the left side of the bean jam. (This is also very tasty)

When advancing more in the eating, all become powdered green tea cream. (Also, the mouthfeel is excellent)

When advancing more in the eating, the rice cake appears in what and this time. (This is also very tasty, and the mouthfeel is excellent).

It is one Popsicle, such as the above work of which only the art can no longer be said can make a Popsicle; it isn't possible to be in the people except the Japanese.
Moreover, it is 50 yen per piece in this.
This article continues

2024/3/10 in Tokyo

 


天国の門が、どちらに開かれているかは言うまでもない事だろうと私は確信しながら、このキャンディを食べたのである。

2024年03月16日 17時53分20秒 | 全般

2016/1/26
今、私のお気に入りの場所では、日曜日に(日曜日は、ちょっと料金が高いからだろう)アイスキャンディを一本、無料でサービスしてくれる。
二度目の時に、私は、このアイスキャンディに出会ったのである。
私は、これもまた日本の凄さを最もよく知らしめてくれるものだと直感した。
即刻、世界中に知らしめるべし。
だが、まずは、製造元をキチンと確認しようと、一日遅らせた。

私の、以下の私の論説は、特に、ニューヨーク・タイムズ紙の一部や、ジェラルド・カーチス、キャロル・グラック、アレクシス・ダデンたちや、
彼女たちが主導した噴飯ものの意見広告に名を連ねていた人間たちが、骨身にしみて読まなければならない、これぞ真実なのである。

このアイスキャンディは、しかも一本50円なのである。
全体は本物の宇治抹茶を練りこんだアイスで覆われている。

食べ出すと最初に小豆の餡子が現れる。(とても美味しい)

更に食べてゆくと、餡の左側に抹茶クリームが現れる。(これもとても美味しい)

更に食べ進むと、全部が抹茶クリームになる。(食感もとてもいい)

更に食べ進むと、なんと今度は餅が現れるのである。(とても美味しく食感も良い)

この一本のアイスキャンディの中に、このような、もはや芸術としか言いようのない完璧な仕事が成されているアイスキャンディを造れるのは、日本人以外には在り得ない。
しかもこれで一本50円なのである。

私が、冒頭の彼等こそ、私のこの論説を読まなければならないと断言するのは、
このような本当に見事な食品を作っている日本人は、一生働いて、最大500万円の年収に甘んじながら、最高を作っていると言う事実を知らなければならないからである。
しかも、そのような日本人の精神は、昨日今日できたものではなくて、それこそ有史以来、営々と培われてきた日本人の精神なのだと言う事である。
あるいは、そこにこそ、日本の文化の源が在るのである。

ビル・ゲイツは、日本政府が、坂村健が発明したトロンを心臓部に組み込んだパソコンを、全国の小学校・中学校に設置することを決めた時、
終には米国政府の力を動員して、日本に圧力をかけて、windowsで世界を制覇して、
一人の人間が持つことに何の意味もない、何十兆円という資産を作ったが。
その正反対に、日本が世界に誇っていた電機メーカー9社は、当然ながら苦境に陥り、リストラを始めだし、総中流社会だった日本も格差社会に転落した。
彼の先兵として執拗に関係官庁を攻撃し続け、後に日本有数の資産家になった孫正義のケースも全く同様である。

貴方たちが知らなければならない事とは、これほど見事な食品を作っている工員たち=職人たちは、
ただの一度も、ビルや孫の様に、無数の人間たちを、貧困に落としながら、
自分たちは天文学的な資産を作るなどという悪は、ただの一度も働いたことはないという事実である。

天国の門が、どちらに開かれているかは言うまでもない事だろうと私は確信しながら、このキャンディを食べたのである。

 

2024/3/10 in Kyoto

 


朝日に準じて来たが、朝日の様に、正体は晒されていないとでも思っているのだろうが、

2024年03月16日 17時43分05秒 | 全般

2016/1/26

以下は、今朝、発信した、「これが、世界が全く知らずに来た、世界の何処にもない日本の希観である。」の続きである。

今、私のお気に入りの場所の休憩所で、そこに在った京都新聞を読んで親友は待っていた。
私に下段広告を見せたのだが、そこにはサンデー毎日の広告が大きく掲載されていた。
トップバッターが、冒頭に書いた同志社大学の本当に幼稚な経済学の教授の事だった。
「アホノミクスを叱る」…。
毎日新聞の下劣、愚劣さは、子会社であるTBSの「ニュース23」の耐え難いほどの偏向報道や、「報道特集」の酷さ、(その出演者たちの、いかにも左翼崩れのような、顔相の酷さも含めて)について、何度も言及したように、この新聞社はレベルが低すぎる。
朝日に準じて来たが、朝日の様に、正体は晒されていないとでも思っているのだろうが、
今や、日本の偏向報道の王道を歩んでいる様な実態だから、さもありなんと思わせるサンデー毎日の記事である。

さて、当時の宮澤喜一政権が気付いていたことを闇に葬って、お得意の、似非モラリズムによる「正義感の大合唱」を作って、(朝日新聞を読んで育った人間が日本のエリートたちでもあったから)、当の銀行業界の首脳までが、宮澤喜一の慧眼による政策を、二度と日の目を見せないほどに闇に葬り、
不良債権処理のために、たった8,000億円の投下で、お茶を濁させたのが、朝日新聞の経済部の記者だった山田厚史である。

彼らは、自分たちが中国の共産党一党独裁政権のシナリオどおりに、南京大虐殺や、百人斬りなどなどのねつ造報道を繰り返して、世論を形成し、
嬉々として、中国に、国民の税金30兆円を支払わせさせながら、
宮澤喜一内閣が、日本国と日本国民を救済するために、10兆円~15兆円の公的資金を一気に投入して解決しようとしたことは、闇に葬ったのである。
そうして、今、世界中の国々が蛇蝎の如くに忌み嫌っている、日本型の長期デフレを作ったのである。

この山田は、私が仕方なくこうして登場した2010年7月16日前後にも、性懲りもなく、円高60円などという、本当に幼稚園児以下と言うよりも、
もはや、韓国などの情報機関に操られていたのだとしか言いようのない、阿呆な論説を張って、更に日本を弱体化させようとしていたのである。

この時に、本当にどうしようもない同志社大学の浜おばさん…私は、年間に数十回は京都御所に行く。
時々、烏丸通に面した同志社会館の一階に在るレストランで食事をすることがある。
そんな折に、彼女とすれ違ったこともある。
彼女が北新地で遅くまで酒を飲んでいるだけならご愛敬で良いのだが、ここまで酷いと、ちょっと許し難い。

ただ、だからと言って同志社大学の学生に対する影響は殆どないはずだ。
何故なら、同志社というのは、今でも、お坊ちゃん、お嬢ちゃんの通う大学というところがあって、
彼等は、左翼崩れや、金融関係崩れの人間たちの、おかしな思想に染まる暇がないほど、幸福な生活を送っているからである。

浜おばさんたちが過ごした全共闘世代とは、全く違う世界に、今の学生は居るのである。
私は、彼等のまっとうな現実感覚は、浜おばさんの害毒に染まるほど軟(やわ)じゃないと確信している。
貧乏ではない、豊かさの力というものは、とても強いのである。

2024/3/10 in Tokyo


子供の頃に毎日、眺めていた光景を、私は、いわば必死で撮っていた。

2024年03月16日 17時26分21秒 | 全般

2016/1/29

昨日、外を見たら殆ど快晴だった。私は親友に電話を入れて、すぐに京都に向かった。
いつもの様に我が庭である嵐山に向かう前に、大覚寺の大沢の池に向かった。
昨日、休憩所にいた私の目の前に現れた一羽のイカル彼らがきっといるに違いないと予感していたからである。
東洋一の植物園である京都府立植物園では、私が常に歩いた小さな森につがいが居て、頻繁にその鳴き声(なかなか美しいのだ)を聴いていたし、
かつてカワセミが居た池の側の木の上に、一団が止まっていたこともあった。

だが、昨日の様な光景に出会ったことはなかった。
私が、あっというまに50枚は撮ったことは言うまでもない。
何せ、昨日は、イカルとツグミのために約200枚は撮ったのだから。
おまけにツグミは中之島公園が曇天に覆われていた時に高い枝の上に居たから、背中がおかしくなったほどだった。

私の故郷である、素晴らしい閖上は、名取川が太平洋にそそぐ河口に面した港町だったから、川と海と田園に囲まれた街だった。
だから野鳥と言えば(カモメは別にして)浜千鳥か、ひばりしか目にしなかったと思う。

一昨年、大震災後に初めて閖上を訪れた。
タクシーを止めて、自分の家の在った場所を、記憶を元にたどってみた。
伊達正宗が開墾した貞山堀が名取川に面した水門一帯は、かさ上げ工事中だった。
子供の頃に毎日、眺めていた光景を、私は、いわば必死で撮っていた。
向かいの荒浜には、小舟に乗って、途中で飛び込んで泳ぎながら向かったものだった。
そうしているうちに、私の前に、つがいの浜千鳥が現れた。
私にまとわりつくように、ずっとそばにいた時、私は、胸がつぶれた。

一昨日は、きっと夢想国師が、いや嵯峨天皇が、或は空海が、イカルを私の元に寄越したに違いない。
そうして私は彼らに誘われるように大沢の池に来たのである。
ここでイカルを見るのは初めてだったにも関わらず、私は、ここに彼らはきっと居ると確信していたのである。

以下の写真を、わけても、閖上のみんなに贈る。

 


人間国宝を含む能の大御所たちが、流派を超えて集結し…写真が閖上のように思えたから検索してみた

2024年03月16日 16時56分37秒 | 全般

2016/1/27
一昨日の夜12時頃、NHKのWEBニュースにチャンネルを合わせていたら、閖上の名前が連呼された。
見てみると、人間国宝を含む能の大御所たちが、流派を超えて集結し、3月に上演すると言う事だった。
関係者が集っていた写真が閖上でのもののように思えたから検索してみた。

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201510/20151001_15018.htmlから。

<名取ノ老女>国立能楽堂で復活上演へ

ガイド役(左端)の説明を聞きながら閖上地区の日和山を視察する梅若さん(左から3人目)ら能楽師
東日本大震災から5年の節目となる来年3月、国立能楽堂(東京)で特別企画の能「名取ノ老女」が上演される。
熊野信仰を背景とする名取老女伝説を基にした500年以上前の作品。
明治初期を最後に上演が途絶えていたが、被災地の「祈り」をテーマに復活する。
出演する人間国宝で観世流シテ方の梅若玄祥さん(67)ら能楽師4人が30日、宮城県名取市内のゆかりの地を視察した。
4人は能楽堂のスタッフと共に高舘地区の名取熊野三山(熊野本宮社、熊野神社、熊野那智神社)や閖上地区などを視察し、作品のイメージを膨らませた。
梅若さんは「全てが失われた被災地を見て自然の恐ろしさを実感した。どういう思いでわれわれが能をつくれるのか、責任を感じている」と話した。
名取熊野三山は全国で唯一、紀州熊野を忠実に模し、中世から近世にかけて東北太平洋側の熊野信仰の布教拠点になった。
勧請したのが、信仰心の厚い名取老女だったと伝えられる。
年老いて紀州に参詣できなくなった老女に、夢で神託を受けた熊野三山の山伏が対面し、梛(なぎ)の葉を手渡す。
そこには虫食い跡でできた和歌が浮かんでいた-。

物語はそんな伝説を基に描かれる。
老女が閖上浜などを紹介する「名所教え」の創作も加えた。
国立能楽堂によると、「名取ノ老女」は能楽を大成した世阿弥のおいの音阿弥(おんあみ)が寛正5(1464)年に上演した記録があるが、明治時代初頭を最後に上演されなくなった。
能楽堂は「震災5年の節目に復活し、現代における宗教的救済とは何なのかを世に問いたい」と話す。
公演は来年3月25、26の両日。
毛越寺(岩手県平泉町)の延年「老女」を同時上演する。
連絡先は国立能楽堂03(3423)1331。

2024/3/10 in Tokyo


嵐山を我が家の庭にしている私が、やっと検索してみる気になったのが、以下の明治の人間である。

2024年03月16日 16時42分05秒 | 全般

2016/1/28
嵐山を我が家の庭にしている私が、やっと検索してみる気になったのが、以下の明治の人間である。

以下はウィキペディアより。
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。
千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。
幼名を亀吉、のちに哲夫と改名した。
筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 
田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。
詩、小説を書いたが、次第に小説に専心。
「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。
また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。
夏目漱石は、その短編『巡査』を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。
ロシア語などへの翻訳がある。
1871年8月30日、国木田貞臣(専八、文政13年10月19日生)、淡路まん(天保14年12月27日生)の子として、千葉県銚子に生まれた。
父・専八は、旧龍野藩士で榎本武揚討伐後に銚子沖で難破し、吉野屋という旅籠でしばらく療養していた。
そこで奉公していた、まんという女性と知りあい、独歩が生まれた。このとき専八は国元に妻子を残しており、まんも離縁した米穀商の雅治(次)郎との間にできた連れ子がいたとされる。
独歩は、戸籍上は雅治郎の子となっているが、その他の資料から判断して、父は専八であるらしい。
1874年、専八はまんと独歩を伴い上京し、東京下谷徒士町脇坂旧藩邸内に一家を構えた。
1899年には国元の妻と正式に離婚が成立している。
この頃、専八は司法省の役人となり、中国地方各地を転任したため、独歩は5歳から16歳まで山口、萩、広島、岩国などに住んだ。
少年期、学校の成績は優秀で読書好きである反面、相当な悪戯っ子で喧嘩のとき相手を爪で引っ掻くことからガリ亀と渾名された。
自らの出生の秘密について思い悩み、性格形成に大きく影響したとみられる。
錦見小学校簡易学科、山口今道小学校を経て、山口中学校に入学。
同級の今井忠治と親交を結んだ。
1887年、学制改革のために退学すると、父の反対を受けたが今井の勧めで上京し、翌年に東京専門学校(現在の早稲田大学)英語普通科に入学。
吉田松陰や明治維新に強い興味を持ち学生運動にも加わる。
徳富蘇峰と知りあい大いに影響を受けると、その後一転して文学の道を志し、この年に処女作「アンビシヨン(野望論)」を『女学雑誌』に発表するほか、『青年思海』などの雑誌に文章を寄稿するようになる。
さらにこの頃から教会に通うようになり、日本基督教会の指導者・植村正久を崇拝する。
1889年7月10日、哲夫と改名。
1890年9月には英語政治科へと転科した。
ワーズワースやツルゲーネフ、カーライルなどを好んだ。
1891年1月4日に植村正久より洗礼を受けた。
この年、学校改革と校長・鳩山和夫への不信のために同盟休校を行ない、間も無く退学した。
同年、麻郷村(現・山口県熊毛郡田布施町)の家族が移り住んでいた吉見家に身を寄せ、しばらく釣りや野山の散策をして過ごす。
月琴という弦楽器が上手で月夜の晩によく奏でていたという。
近所の麻郷小学校で英語の教鞭を執ることもあったようだ。
吉田松陰の門弟で狷介な老人として知られる富永有隣を訪ね、刺激を受けて廃校となった小学校の校舎を借りて波野英学塾を開設し、弟の収二や近隣の子供を集めて英語や作文などを熱心に教えた。
後に富永有隣をモデルとした「富岡先生」を著している。
8月に田布施町麻里府村に仮住し、石崎家に家庭教師として出入りするうち、石崎トミと恋仲となった。
翌年トミに求婚するがトミの両親に反対されて思いを遂げられず、後、失意のうちに弟と共に上京した。
独歩が余りにも熱狂的なクリスチャンだったことが原因とされる。
その後「酒中日記」や「帰去来」など田布施を舞台にした作品を多数発表している。
1892年2月から1894年の2年間柳井に居住。
1893年2月3日、没後出版されることになる日記『欺かざるの記』を書き始める。
同年、徳富蘇峰に就職先の斡旋を依頼。
蘇峰の知人でジャーナリストの矢野龍渓から紹介された、大分県佐伯の鶴谷学館に、英語と数学の教師として赴任し(1893年10月)、熱心に教育を行う。
だが、クリスチャンである独歩を嫌う生徒や教師も多く、翌1894年6月末に退職する。
佐伯滞在の初期に、独歩に同行して鶴谷学館に学んだ弟・収二とともに下宿したのは、館長・坂本永年の居宅であった。
1894年、『青年文学』に参加。
民友社に入り徳富蘇峰の『国民新聞』の記者となる。
この年起きた日清戦争に海軍従軍記者として参加し、弟・収二に宛てた文体の「愛弟通信」をルポルタージュとして発表し、「国民新聞記者・国木田哲夫」として一躍有名となる。
帰国後、日清戦争従軍記者・招待晩餐会で、日本キリスト教婦人矯風会の幹事 佐々城豊寿の娘・信子と知りあう。
熱烈な恋に落ちるが、信子の両親から猛烈な反対を受けてしまう。
信子は、母・豊寿から監禁された上、他の男との結婚を強要されたという。
独歩は、信子との生活を夢見て単身で北海道に渡り、僻地の田園地帯に土地の購入計画をする。
「空知川」はこの事を綴った短編である。
1895年11月、信子を佐々城家から勘当させることに成功し、徳富蘇峰の媒酌で結婚。
逗子で二人の生活が始まったが、余りの貧困生活に耐えられず帰郷し両親と同居する。
翌年信子が失踪し協議離婚となり、強い衝撃を受ける。
この顛末の一部は後に有島武郎によって『或る女』として小説化された。
一方、信子側からの視点では、信子の親戚の相馬黒光が手記「国木田独歩と信子」を書いており、独歩が理想主義的である反面かなり独善的で男尊女卑的な人物であったと記されている。
傷心の独歩は、蘇峰や内村鑑三にアメリカ行の助言を受けるが実現しなかった。
1896年(明治29年)、渋谷村(現東京都渋谷区)に居を構え、作家活動を再開。
同年11月、田山花袋、柳田國男(当時は新体詩人・松岡国男)らを知り、1897年「独歩吟」を『国民之友』に発表。
さらに花袋、国男らの詩が収められた『抒情詩』が刊行されるが、ここにも独歩の詩が収録された。
5月、小説「源叔父」を書く。なお、『欺かざるの記』の記述はこの頃まで。
1898年、下宿の大家の娘・榎本治(はる)と結婚する。
治は、後に国木田治子の名前で小説を発表し、独歩社の解体までを描いた「破産」を『萬朝報』に寄稿、『青鞜』の創刊にも参加している。
二葉亭四迷の訳「あひゞき」に影響され、「今の武蔵野」(後に「武蔵野」に改題)、「初恋」などを発表し、浪漫派として作家活動を始める。
1901年に初の作品集『武蔵野』を刊行するが、当時の文壇で評価はされなかった。
さらに「牛肉と馬鈴薯」「鎌倉夫人」「酒中日記」を書く。
1903年発表の「運命論者」「正直者」で自然主義の先駆となった。
 これらの作品はのちに、1905年に『独歩集』、1906年に『運命』と纏められて刊行され、高く評価されたが、作品発表当時の文壇はまだ「紅露時代」であり、時代に早過ぎた独歩の作品はあまり理解されず、文学一本では生計を立てられなかった。

1899年には再び新聞記者として『報知新聞』に入社。
翌年には政治家・星亨の機関紙『民声新報』に編集長として入社する。
編集長としても有能だったが、すぐに星が暗殺され、1901年に『民生新報』を退社。
再び生活に困窮して、妻子を実家に遣り、単身、その頃知遇を得ていた政治家・西園寺公望のもとに身を寄せる。
その後、作家仲間の友人達と鎌倉で共同生活を行った。
1903年には、矢野龍渓が敬業社から創刊を打診されていた、月刊のグラフ雑誌『東洋画報』の編集長として抜擢され、3月号から刊行開始する(龍溪は顧問)。
だが、雑誌は赤字だったため、9月号から矢野龍溪が社長として近事画報社を設立し、雑誌名も『近事画報』と変更した。
1904年、日露戦争が開戦すると、月1回の発行を月3回にし、『戦時画報』と誌名を変更。戦況を逸早く知らせるために、リアルな写真の掲載や紙面大判化を打ち出すなど有能な編集者ぶりを発揮し、また派遣記者の小杉未醒の漫画的なユニークな絵も好評で、最盛期の部数は、月間10万部を超えた。
また、戦争終結後のポーツマス条約に不満な民衆が日比谷焼き打ち事件を起こすと、僅か13日後には、その様子を克明に伝える特別号『東京騒擾画報』を出版した。
1905年5月の日本海海戦で、日露戦争の勝利がほぼ確実になると、独歩は戦後に備えて、培ったグラフ誌のノウハウを生かし、翌1906年初頭にかけて新しい雑誌を次々と企画・創刊する。
子供向けの『少年知識画報』『少女知識画報』、男性向けの芸妓の写真を集めたグラビア誌『美観画報』、ビジネス雑誌の『実業画報』、女性向けの『婦人画報』、西洋の名画を紹介する『西洋近世名画集』、スポーツと娯楽の雑誌『遊楽画報』など。
多数の雑誌を企画し、12誌もの雑誌の編集長を兼任した。
だが、日露戦争の終結後、『近事画報』の部数は激減。
新発行の雑誌は売れ行きのよいものもあったが、社全体としては赤字であり、1906年、矢野龍渓は近事画報社の解散を決意した。
そこで独歩は、自ら独歩社を創立し、『近事画報』など5誌の発行を続ける。
独歩の下には、小杉未醒をはじめ、窪田空穂、坂本紅蓮洞、武林無想庵ら、友情で結ばれた画家や作家たちが集い、日本初の女性報道カメラマンも加わった。
また、当時人気の漫画雑誌『東京パック』にヒントを得て、漫画雑誌『上等ポンチ』なども刊行。
単行本としては、沢田撫松編集で、当時話題となった猟奇事件・臀肉事件の犯人・野口男三郎の『獄中の手記』なども発売した。
翌1907年に独歩社は破産。
独歩は肺結核にかかる。
しかし皮肉にも、前年に刊行した作品集『運命は』が高く評価され、独歩は自然主義運動の中心的存在として、文壇の注目の的になっていた。
神奈川県茅ケ崎にある結核療養所の南湖院で療養生活を送る。
「竹の木戸」「窮死」「節操」などを発表するが、病状は悪化していき、1908年6月23日に満36歳で死去した。
絶筆は「二老人」。
葬儀は当時の独歩の名声を反映して、多数の文壇関係者らが出席し、当時の内閣総理大臣、西園寺公望も代理人を送るほどの壮大なものであった。
友人の田山花袋は、独歩の人生を一文字で表すなら「窮」であると弔辞で述べている。
なお、独歩の死後2か月後に次男が誕生している。
墓地は、東京都の青山霊園にある。
2010年3月1日発行の官報に無縁墳墓等改葬公告として掲載された。

2024/3/10 in Tokyo


先般は料理が出てくるのを待っている間に「羅生門」を実に久しぶりに読んだ。昨日は、なぜか小林秀雄に手が伸びた。

2024年03月16日 16時15分10秒 | 全般

2016/1/28
嵐山には美味しい店も沢山ある。
嵐山を愛している人たちは、皆、それぞれに好きな店があるのだろうと思う。
私が好きな店の一つに、とても美味しいスパゲッティと、これは、もう絶品と言うしかないパンを食べさせてくれる店が在る。
そこには、中学生から高校生の私が、購入して所持していた、例えば、筑摩書房の芥川龍之介全集などが置いてある。
先般は、料理が出てくるのを待っている間に、「羅生門」を、実に久しぶりに読んだ。
昨日は、なぜか小林秀雄に手が伸びた。
彼の言を借りれば、これも宿命だったのか。(笑)
冒頭のランボーを読んだ。
実に得難い発見だった。
若い時には気づかなかった事に、今、100%気が付いているのだろう。
これを読み進めているうちに、彼が、ランボーの詩を紹介している件で、私は突然…私の持ち歌の一つは、例えば、ランボーの詩を読んでいたから浮かんだものに違いないと思った。
だが、おおよそシンガーソングライターであることを生業にしているような人間たちが、古今東西の詩人たちの詩を読んでいないわけはないな、と思いもしたのである。
私の持ち歌の一つとは、井上陽水の「五月の別れ」と言うのである。
ある人は、陽水よりも、上手い、と言った。

2024/3/10 in Tokyo


Acredito que existe uma fonte de grandeza na cultura japonesa.

2024年03月16日 15時53分16秒 | 全般

29/01/2016
O seguinte continua: "Eu sabia por intuição que isso transmite melhor a grandeza do Japão."
Afirmo que aqueles que foram mencionados no capítulo anterior devem ler este meu artigo porque devem saber de que é composta a melhor comida, enquanto os japoneses que estão fazendo uma comida tão verdadeiramente excelente trabalham durante a vida e se contentam com o máximo de 5.000.000 de renda anual de ienes.
Além disso, está dizendo que a mente desses japoneses é a mente dos japoneses que foi cultivada arduamente ao longo da história, e não é aquela que foi feita ontem e hoje.
Acredito que existe uma fonte de grandeza na cultura japonesa.
Ao decidir que o governo japonês instalasse o PC para incorporar o TRON, que Ken Sakamura inventou, no coração da escola primária e secundária nacional,
Bill Gates, para acabar por mobilizar o poder do Governo dos Estados Unidos, político no Japão, sobre as pressões comerciais, foi abandonada a adopção do Tron ao Governo Japonês.
Então, ao conquistar o mundo pelas janelas, não faz sentido fazer com que uma pessoa gere ativos no valor de dezenas de trilhões de ienes.
Mas, como resultado, os fabricantes de eletrônicos (nove empresas das quais o Japão se gabava para o mundo) perderam o coração do PC; eles foram feitos para cancelar o excelente software que os japoneses que nasceram de dentro da tradição como a acima como o software no coração que move um PC fabricado nos EUA foram levados para a construtora do PC.
Eles são imediatamente expostos à concorrência da Samsung na Coreia, e assim por diante, e da empresa iniciante na China.
No entanto, estes países são, afinal, diferentes dos países que fizeram a concorrência leal.
Ao correr em competições de 100 m a 100 m, o grupo japonês de fabricantes de eletrodomésticos deve correr 150 m.
Como não existe o ser humano capaz de vencer tal competição, é natural que um grupo de fabricantes de eletrodomésticos no Japão também diminua.

Eles ficam expostos a essa concorrência, caem numa situação difícil e começam a iniciar a reestruturação.
É a força do Japão, e o Japão, como uma sociedade de classe média total, também era um bom lugar, e começou a caminhar em direção a uma sociedade de expansão de lacunas como os EUA.
Continua a atacar incansavelmente as autoridades preocupadas como a sua vanguarda, Masayoshi Son, que emprestou grande força à ambição de realização de Bill Gates, por sua vez, a NTT de classe mundial do Japão, pretende atacar incansavelmente, no final, os seus próprios. torna-se uma grande empresa que se estabeleceu na NTT, mas se tornou uma das ricas do Japão, é exatamente o mesmo neste caso.
Carol Gluck e Alexis Dadden e outros devem saber que existem tantos trabalhadores que são artesãos que fazem comidas incríveis.
Eles nunca fazem uma única vez, como o projeto de lei e o filho para incontáveis seres humanos enquanto caem na pobreza, ações que por si só geram ativos astronômicos.
Quando se abriu aquela porta do céu pela qual aquele ditado não seria necessário, comi esse picolé convencido.

2024/3/10 in Tokyo


Je crois qu'il y a une source de grandeur dans la culture japonaise.

2024年03月16日 15時50分23秒 | 全般

2016/01/29
Ce qui suit continue : "Je savais par intuition que cela traduisait le mieux la grandeur du Japon."
J'affirme que ceux qui ont été mentionnés dans le chapitre précédent doivent lire cet article parce qu'ils doivent savoir de quoi est composé la meilleure nourriture, tandis que les Japonais qui préparent une nourriture vraiment excellente travaillent toute leur vie et se contentent d'un maximum de nourriture. de 5 000 000 de yens de revenu annuel.
De plus, cela signifie que l'esprit de ces Japonais est l'esprit des Japonais qui a été durement cultivé tout au long de l'histoire, et ce n'est pas celui qui a été créé hier et aujourd'hui.
Je crois qu'il y a une source de grandeur dans la culture japonaise.
En décidant que le gouvernement japonais installerait le PC pour intégrer TRON, inventé par Ken Sakamura, au cœur de l'école primaire et secondaire nationale,
Bill Gates a finalement mobilisé le pouvoir politique du gouvernement américain au Japon face aux pressions commerciales et a abandonné l'adoption de Tron au gouvernement japonais.
Ensuite, en conquérant le monde par les fenêtres, laisser une seule personne créer des actifs valant des dizaines de milliards de yens n’a aucun sens.
Mais en conséquence, les neuf fabricants d'électronique dont le Japon s'était vanté auprès du monde entier ont perdu le cœur du PC ; ils ont été faits pour annuler l'excellent logiciel que les Japonais nés de l'intérieur de la tradition comme ci-dessus comme le logiciel au cœur qui déplace un PC fabriqué par les États-Unis avaient été conduits à l'entreprise de construction du PC.
Ils sont immédiatement exposés à la concurrence de Samsung en Corée, etc., et de la start-up chinoise.
Cependant, ces pays sont après tout différents des pays qui ont pratiqué une concurrence loyale.
Lors d'une compétition de 100 à 100 m, le groupe japonais de fabricants d'appareils électriques doit courir sur 150 m.
Étant donné que l'être humain capable de remporter une telle compétition n'existe pas, il est naturel qu'un groupe de fabricants d'appareils électriques au Japon décline également.

Ils sont exposés à une telle concurrence, se retrouvent dans une situation difficile et commencent à entamer la restructuration.
C'est la force du Japon, et le Japon, en tant que société de classe moyenne totale, était également un bon endroit, et il a commencé à se diriger vers une société d'expansion des écarts comme les États-Unis.
Il continue d'attaquer sans relâche les autorités concernées, tandis que son avant-garde, Masayoshi Son, qui a prêté une grande force à l'ambition de Bill Gates, à son tour, le NTT de classe mondiale du Japon, cherche à attaquer sans relâche, en fin de compte, leur propre Là, elle est devenue une grande entreprise qui s'est arrangée dans NTT, mais est devenue l'une des sociétés les plus riches du Japon, c'est exactement la même chose dans ce cas également.
Carol Gluck et Alexis Dadden, etc. doivent savoir qu'il y a tellement d'artisans qui préparent des plats époustouflants.
Ils ne font jamais, ne serait-ce qu'une seule fois, comme Bill et Son envers d'innombrables êtres humains alors qu'ils sombrent dans la pauvreté, des actes qui constituent en eux-mêmes des atouts astronomiques.
Lorsque cette porte au paradis s'est ouverte par laquelle ce dicton ne serait pas nécessaire, j'ai mangé ce Popsicle tout en étant convaincu.

2024/3/10 in Tokyo