一瞬一瞬を大切に!

毎日を大切に楽しく過ごしたい

くにちゃんのお母さん

2007-08-23 19:27:08 | Weblog
 前にもお話しましたが、戦争中長野県のある都市に疎開していましたが、間借りしていた農家から駅に近い場所に引っ越して、戦後4年間そこにいました。
父は東京に仕事があり時々帰って来ました。暫くして、姉2人と兄は学校の問題もあり早くに東京に戻り、私と母、それに弟の3人で、姉兄がいなくなった、かなり広い家に残りました。テレビもない時代で、ラジオだけが唯一の娯楽でした。周りは田んぼばかりで、お隣と、裏に数軒家があるだけの寂しいところでした。ですから夜になると母は針仕事をしながら、私とラジオで落語とか、講談を聞いたものです。
 昼間学校から帰ると、近所の子供達と、メンコ、おはじき、こま回し、縄跳び、ゴムとび等して暗くなるまで遊びました。勉強なんてしたことなど殆ど記憶にありません。
遊び友達の中に、くにちゃんと言う少年がいました。ちゃんとした名前は覚えていませんが、私より歳下だったと思います。くにちゃんの家は私の家からちょっと離れた所にありましたが、今思うとかなり立派なお屋敷で、庭も広く今で言う資産家でした。よく一緒に遊び、家にも上がらせてもらいゲームをしたり、かくれんぼをしたりして遊びました。くにちゃんのお母さんは今思うと、小暮実千代(昔の女優さん)に似たかなりの美人でしたが、体が弱く、よく臥せっていました。それでも遊んでいる私達にいつもにこにこして、美味しいおやつを持って来て下さいました。
 それからしばらくして、くにちゃんのお母さんは病が重くなり入院したと聞きました。
ある時、くにちゃんの家の裏の道を通った時に、裏庭に面した部屋で布団の上に起き上がって、窓越しに道を通る人をじっと見ているくにちゃんのお母さんを見ました。
私はちょっと恥ずかしくて、にこっと笑ってその場を通り過ぎましたが、それがくにちゃんのお母さんを見た最後でした。今思うと手でも振ってあげればよかったのにと思うのですが、まだ子供だったのですね。
お葬式から戻った母にこの話をしたら、あんな立派なお家の奥様なのに、お座敷にでも寝かせてあげればよかったのに、と言っていましたが、私はその時も、今も思うのですが、くにちゃんのお母さんは、子供達の遊ぶ声や姿を見たかったのだと。だから、わざわざ道行く人が見える裏庭に面した部屋にいたのだと。
まだ30歳ちょっと過ぎだったと思います。本当に短い生涯でした。結核だったそうです。どんなにか、一人息子のくにちゃんの将来を、見届けたいと思った事でしょう。無念だったと思います。
 それからまもなくして、くにちゃんの家に遊びに行った時に、新しいくにちゃんのお母さんが、おやつを持ってきてくれました。とても背が高く、若くて、綺麗な、優しいお母さんだなあと、子供の私でも思いました。くにちゃんが、死んだお母さんや、新しいお母さんの事をどう思っていたのかなど、聞きもしなければ、聞くと言う事さえ私の頭にはなかったのですが、今思うと、くにちゃんはどんな気持ちだったのかと考えてしまいます。
その後くにちゃんは何処かに引越しして行ってしまい、それ以来会っていません。
 
 布団の上に起き上がって、じっと外の道を窓越しに見ていたくにちゃんのお母さんの姿を今でも時々思い出します。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。