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創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

305.親子間の人間関係について

2010年05月02日 10時02分34秒 | 創価学会
 数日前、母方の親族が亡くなり実家に帰っていました。

今まではいつものことだったのですが、帰ればたいていは両親と喧嘩する一時がありました。
ところが今回は両親と喧嘩も全くせず、親から不健全な会話(要求みたいなもの)もありませんでした。
実家での会話はごくごく自然な会話だったかと思います。
私からも両親の持病を労るような自然な会話が口に出てきました。

今回の記事は過去記事を裏付る様な形になると思います。

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263.入信者には親よりもカルトメンバーに信用がある!?(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/6a702f53c623d3db2dc765a033d3277b

>今振り返ってみると、私への親の会話は小言ばかりで、 ”ありきたりの日常会話” に欠けていたと思います。
>ようやく最近になって親との会話が普通になりつつ?あるのかもしれません。
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以前からそれとなく時々書いてきたので、心理学や患者とその家族の言動が書かれている書籍(カウンセリング学ではない)を読書した人や一般の人でも人間に対する観察眼に優れている人にはわかると思うのですが、私や私の両親には不健全な心理構造が見え隠れしています。
もちろん私も親も100%不健全の固まりだとは言いません。
当然、健全不健全の心理は日常において言葉や態度というアウトプットとして現れます。
親の不健全と日々接するのが私の日常だったわけです。つまりは両親の健全不健全が ”自然”や”当然” だったのです。
一家に血縁でない2組の夫婦がいるとか普通はありませんし、比較対象もありませんでした。
私が感情や情報などを操作されるマインドコントロールを受けてしまい、学会を信じるより他になかったとはいえ、私自身が池田大作氏や末端学会員、日顕氏の不健全さを見抜けなかったという事実があるわけです。
創価学会をセクト、カルトとレッテル張りをするかどうかは本記事では別問題です。

見抜けなかったということ、つまり親の不健全から影響を受けた私の心理や人格
これと
池田大作氏や末端学会員、日顕氏や法華講員の不健全さ
これらは共通項があるようです。


●問題があると私が思う不健全、不自然な要求

 では共通する不健全とはどんな内容でしょうか?

創価学会員の親兄弟から不健全、不自然な要求があると思います。

新聞読みなさい、勤行しなさい、活動しなさい、信心しなさい、先生について行きなさい、
新聞啓蒙しなさい、公明を応援しなさい

これらは信心や信仰による功徳を得て境涯革命により祈願したことを叶えることが出来る、
つまりは
幸せになることが出来る
というものです。
幸せになることが出来る、だから○○しなさい。

私の両親も
◇◇◇になることが出来る、だから○○しなさい。
という要求が実に多い親でした。(一応過去形にしておきます。)

 価値観の違いと言ってしまえばそれまでですが、ネットを見てもわかるとおり盲信というかMCというか信じ切っちゃっています。

●では、私の両親はどうして変わったといえるのか?

 A1.まぁ、なんというか、年をとって丸くなった。。。。
 A2.両親から私に対する過去の失敗をある程度は認めるようになり諦めた。。。。

 親族が亡くなる数日前に父方の親族から両親に問題ある要求があり、ややショックだったみたいです。それで今まで両親から私への要求に問題があったことを再度、少しだけ?自覚出来たのかもしれません。要求する側か?される側か?という点も興味深いです。(B1) 
他者を責める側だったのに学会から責められる側になった矢野氏福本氏と一緒かな。w(あの二人も責任の取り方があると思います。)

○私は具体的にどんなことをしてきたか?

 「◇◇◇になることが出来る、だから○○しなさい。」という要求があると次のようなことをしてきました。

 A3.「○○しなさい。」という要求の際、言い方の問題や怒りの感情があるように見受けられます。言い方の指摘をした。
  過去の経緯を考えると、仕方のないことだとは私自身が理解していますが、親側の言い方はやや自分中心、自分勝手さが見え隠れするのです。心配のある子供よりかは心配のない子供の方がいいに決まっていますので、仕方ないといえば仕方ないのですが。
 「子供の幸せとは何か?」これを考えたり私に具体的に質問するよりも「親側が納得できる子供の幸せ」「親側が安心出来る子供の幸せ」だったりするので、やや自分中心、自分勝手なわけです。
 親が10怒ってきた時に私は3,4,5,6,7,8と押さえて怒るようにはしてきたつもりです。(笑)(^^;)
 20、30という風に倍返ししたら駄目かと思います。
 両親から私への言い方がだいぶ変わってきたのは事実です。
 A1に関連しているかもしれませんが、小さな子供を躾のため叱るかのような接し方を私が大人になっても親が続けてきたせいかもしれません。これは私の推測ですが叱り方もケースバイケース、TPOが必要なのかもしれません。

 A4.上記の2については私から親に対して過去を振り返ってもらう要求をしています。(→A2)
  「あの時、あなた達はこう言ったよね?」「あの時、あなた達はこうしたよね?」

 A5.失敗の回復(リカバリー)を私から親に要求しています。(→A2)
  もちろん私自身、その要求が無理であることは重々承知しています。時を戻したり人生のやり直しが出来れば別ですが無理なことです。
  今まで喧嘩になった場合、全て私が悪いかのような前提に立って話が進み「○○しなさい」という要求を受け入れるのが当然の様な雰囲気があった為、仕方なく要求しています。おかしな要求や怒りを向けられたり、親が被害者であるかのような愚痴がありますが、愚痴を言いたいのはこっちなので(笑)。こういうのはゴメンですから。

 私は親との会話が嫌でもおかしな会話でない限りは「普通に」受け答えするようにはしてきました。

●他にもある共通点。

 ここまで書けば読んでいる人の中には気のつく人がいても不思議ではないと思いますが、日常生活において、私自身に問題ある心や感情のスイッチが存在するのはしばらく前から気がついています。
他にも2,3あります。その結果として、記憶や過去や人などの整頓の仕方の問題、他にも様々な点で考察の順序に問題があるようです。クセみたいなモノですから問題ない場合もあるのですが、このあたりの過程や内容を説明し出すと自分の人生を全て書くぐらいの必要性があるでしょうし、なんとなく理解して頂ければ良いと思います。

親から私に問題ある駄目だしみたいな意識とか問題ある(全否定ではないですが)否定的(拒否的)意識があり、これと関係があるようです。学会員のそれらとは違いますがよく似ているわけです。

 物事や人に対して駄目だしや否定はどこにでもあります。
同様に喜怒哀楽は誰にでもあり、依存も善し悪しがあり、なおかつ世の中のどこにでもあります。説得も世の中のどこにでもあります。健全不健全も”MCのようなもの”も世の中のどこにでもあります。どの組織にも良き人悪き人がいるのと同じです。その割合は違うでしょう。
日本仏教的に言えば 世の中というのは雑多な人がいるだけだ。つまりは雑多な苦悩なんてどこにでもある。(死も誰にでもある。) っていう悟り?みたいなものでしょうか?禅ぽいかもしれません。
日蓮がした四箇格言のような宗教的な否定も似たような否定は歴史的に古今東西どこにでもあるでしょう。変に特別視しないことです。(地獄論の過去記事を参照。創価、正宗がする否定は問題外です。)

 過去記事において、子供が問題団体(カルト)へ1世として入信した場合、やんわりと親にも問題がある、そう書いてきました。私と親の人間関係が改善に向かっている中で考察すると、子供が不健全な人や物(宗教)に共感や魅力を抱くのは親にもその原因がある可能性が高いことはまず間違いないだろうと以前よりも思うようになりました。不健全な人を見抜けないのも同様かと。

 私の父親には未だに親族に必要以上な期待と妄想、甘え(依存)がある気がします。(これは後日の仏教ネタ。B1)父親と親族間の人間関係なので私から(必要以上とは言えても)問題があるとは言えないのです。学会を例にとると池田氏と末端の人間関係は問題大ありで人間関係ですらなく、マトモではないのは明らかです。

 親の不健全言動が無ければ、何より私が冷静であったり不安よりかは安心、安全(健全)なわけです。

 例えばですが、鬱病など心理的な問題がある親が子供を育てると子供に病気が無くマトモでも、不健全の能動側が親で受動側が子供です。
不健全の受動だった子供は日々、そのままそれが”自然”や”当然”として育ち、鬱病などの不健全を能動として持つ異性を好きになったり求めたり、結婚しやすい可能性がある、こう私は考えます。もちろん、正反対の不健全の受動側なパートナーを好きになる可能性もあります。
子供が反抗期などをきっかけにして親の問題や不健全に気がつく場合などは話がだいぶ変わります。
私は医者やカウンセラーではなく素人ですし統計もとれませんが、本屋さんで売られている心理学系の事例を読んで上記のように推測や考察が「容易に」出来るポイントだと思います。
(やはり私は一般人と学会員の結婚はどちらかといえば賛成です。もちろん状況次第ですが。健全さの証拠でもあり未活や脱会の可能性が高くなる。)

●事実としての経過

 パッと思いつきで時間の経過をメモしておきます。

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213.富士門夏季合宿 覚え書き その1 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/1cfb0d92b57c19bf23d73c3834b73b73
2007年09月26日
>□創価学会幹部によると「過去や歴史を振り返らない」
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☆JSCPRの勉強会で、創価学会は過去を振り返らない点を明確に文章に記載したのは2007年09月。
過去の教義と食い違う点はわたしのブログでもくじ1の頃から指摘済み。

もう一つ注意点として「過去や歴史を振り返らない」という不健全を持つ学会であることや、心理学の不健全を勉強したのでだんだんと共通点に気がついて私自身の認識や言動が変化していった点です。JSCPRに「自身や親の過去を振り返りなさい」と命令されたことはありません。
☆心理学に本格的に興味を持ったのがはったり特急が荒れ始めた頃'06年末以降だっけ?
(みれいさんBBS、みれい:2007/03/20(火) 12:50:55 )

263.入信者には親よりもカルトメンバーに信用がある!?(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/6a702f53c623d3db2dc765a033d3277b
この記事を書いたのが
2008年06月15日頃。

☆A3.言い方の指摘をした。
心理学的な意味に気がついて指摘したのは、一年~二年程前?

☆A4.上記の2については私から親に対して過去を振り返ってもらう要求をしています。(→A2)

ボソボソ言えたのは4、5年前くらいから?2000年頃の親の失敗を部分的に言ってはいたのではじめたのはもっと前か?
心理学的な意味に気がついて、しっかりと言えるようになったのは、ここ1,2年?

☆A5.失敗の回復(リカバリー)を私から親に要求しています。(→A2)
ここ2、3年前くらいから?

一年の内に実家に帰るのが2度3度。そのたびにする喧嘩はこの10年弱ぐらいは特に酷かったような。
TELは時々、さすがにTELなので喧嘩はあまりなかったはず。

なんにせよ、自分の言いたい本音や気持ちを100%しっかりと言える自分形成出来るまで物心ついてから30年程かかったということか。
自然な形で自分で自分をコントロールできる、理解できるという意味です。
親からの不機嫌不満のような抑圧ともいえる 「日常の、普段の」 アプローチがあり、これに気がついたのはここ数年だったような。

ちょいとまとめると、、、、
2世3世の人は私よりも大変なはずだけど、数年単位でゆっくり時間をかけてくださいな、、、ってことです。
普段一緒にいた方がいいのか別居がいいのかはケースバイケースだと思います。

親子間の不健全は創価だけでなく一般人だった私にもあり、どこにでもあります。
池田氏、日顕氏、浅井氏など教団や取り巻きがどうしようもない人たちなので被害者から見て余計な問題になっているのは事実ですが。

●注意点

 上記に書いたとおり、私の場合は親に向かって不健全だよ、とか、機能不全家族だよとか、精神的な病気じゃないの?とか人格障害だろ?とかのキーワードは言っていません。
「子供の嫌がることをするのか?」「子供を愛していると目を見て言えるのか?」などは言ったことがあります。
もちろんある程度話が通じている時で「冷静に」言うわけです。
「”あなた(子供)の幸せとは何?”これを親から子供側に具体的になぜ質問しないのか?」でもいいでしょう。

私の親は年が年なので心理学の解説をしても無駄でしょうし、性格はもう変わらないでしょうから。しかし、どうしても駄目なら、カルト(セクト)、JSCPR、心理学などをかいつまんで話す覚悟はありました。
もちろん、比較的若い親だとか、ケースによっては理屈を話してもいいと思います。本人が話して、更に医者に連れて行って医者から同じ話をしてもらってもいいでしょう。
あくまでも参考にしてください、ってことです。

●ほんのちょっと嬉しいこと、ちょっとの希望?

 心理学の勉強を続けているわけですが、私にとっていつか心理学も不要になるとうれしい、、、、
そう思っていたけど、少しは早くなるかもしれません、、、、?

今までは少なくとも親が死ぬまでは必須かも?と思っていたのでね。
自分の言いたいことは言えないといけないので、今度の夏にまた親と喧嘩するかもしれない(笑)けど、今まで自分から喧嘩始めたことは一度もありません。
私にとっては今回、親と色々と「自然な形でごくごく自然な会話」が出来たのは良かった。
いつか不要にしたい心理学、という草稿記事もアップすることがないと思う。w

 仏教同様、心理学の本なんて専門家か患者かその家族でもない限り、みんながみんな必須としているわけではありませんから。
心理学なんて勉強しなくても人間関係を普通に築いている人が大半です。
もちろんネットを見ていて、学会員であってもなくても
「この人は周りに思いやりや愛情ある人がいないのかな?思いやりや愛情を与えられなかったのかな?」
「この人は心理学を勉強した方がいいのでは?」
そう思うことはしばしばあります。恋愛や人間関係で度々感情的につまずく人とかも必要かもしれません。

それと、ずいぶん前のことですが私の親のことで相談に乗って頂いた学会員さんがいました。
もうこのブログを読んでいないかもしれないけど、改めてここでお礼を書いておきたい。

「どうもありがと~。(^^)/あなたの助言無しに私の親子関係はここまでに至らなかったと思うよ~。ほんとにアリガト。私にとっては助言頂いたことも今回のことも大きな出来事でした。」

以上。
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22 コメント

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Unknown (そううそ)
2010-05-03 20:20:12

私にとっては大きな出来事でした。

私にとっては助言頂いたことも今回のことも大きな出来事でした。
返信する
悩み事 (ブリッジ)
2010-05-04 00:11:56
そううそさん、ご無沙汰してます。
ブリッジです。
創価関係のサイトをしばらくずっとROMしてました。
こんなにも問題がある組織なのに、あれから私は何一つ、友人に思うことを伝えていません。
向こうも私には創価の話をしないようになってますし、黙って見ているだけしか出来ないのが歯痒くてなりません。
選挙が近くなったら、チャンスがやってくるのでしょうか。
友人家庭は「いい加減な信心」と義理母さんが言っておられ、ひどい活動家ではないようですが、少し話してみたときにやはり私は思考や論理に違和感を感じました。
何で簡単な間違いに気付けないのでしょうか…。

私は今、公立学校の教師をしています。こんな仕事を選ぶ性質上、私自身が相手を見下す癖があるのかも知れない、とも思います。
「いずれわかってもらおう」
「いずれわかってもらえる」
とお互いに思いあってる光景は、離れてみたらかなり滑稽ですよね…
知ってるのに伝えないで付き合うのは、不誠実かなぁ。
でも何も知らないで、疑うより信じたいと願っている友人をあえて傷付けたくない。

すみません、今日の朝日新聞の一面広告を見て嫌悪感いっぱいになってしまい、ちょっと愚痴りたくなりました。
返信する
Unknown (そううそ)
2010-05-06 22:18:43
こんばんは。御無沙汰しています。>ブリッジさん
コメントが遅くなりすいません。

>こんなにも問題がある組織

問題だらけですよね。

○ご友人の学会に対する問題認識度が未だに不明です。

>友人に思うことを伝えていません。
>選挙が近くなったら、チャンスがやってくるのでしょうか。

LibraさんのHPや富士門流信徒BBS(日蓮法華)などは読んでくれたんでしょうか?
ご友人の感想があれば教えて下さい。
問題認識がある程度あればネットで日蓮法華BBSとか来てもらうのはどうでしょうか?
私の所でもOKですが、最終的、あるいは最初からJSCPRあたりが良いのかもしれません。

>友人家庭は「いい加減な信心」と義理母さんが言っておられ、ひどい活動家ではない

一家全体でも熱心ではないのですね。

○性別が不明です。

ブリッジさんは男の方だと推測しますが、同姓なら他に友人を作るのは無理なんでしょうか?
共同事業をしたいとか漫才とか歌手とかでご友人の才能が必須のような職業で
二人コンビでないと無理なのでしょうか?理由が私には分かりません。
同姓であれば、特に理由がない限りゆるやかに距離をおくのが良いと思います。
来れば拒まず、去れば追わず、でどうでしょう?

異性の方であれば、難しい問題かと。
(○年齢も不明です)

●本論

女性の年齢にもよりますが、自分と親と共通する幸福を夢見ているとか、
期待があるのであれば難しいのかもしれません。

以前、華さんの旧ブログで女子中学生の学会員が反論コメントをしてきたことがありました。
ネットは世代間の壁がないとはいえ、あの雰囲気、あの場に中学生の子供が
反論しようとすること自体に無理があると思います。
しかし、ここでは空気が読めていないなどの問題は除外して想像して下さい。

女の子が持っていそうな希望や欲求をちょっと勝手に我々で想像してみましょう。
中学生であれば、例えばお嫁さんになりたい、とかの希望を持っても良いと思います。
普段からはっきり口にしていてもいいし、潜在的でも、ぼんやりでもいいです。

その希望に+αとして、”親にも祝福されて”、っていうのがあるとするとどうでしょうか?
中学生の女の子は、LibraさんのHPや富士門流信徒BBSの記載内容で
信心の理屈や教学を否定されても、意地になって認めない可能性があります。

彼女の希望が潜在的であればあるほど、一般人やアンチの意見は通らないと思いませんか?
また、学会問題を議論していてアンチや一般人の側から、

「学会員でも幸せになっていい。」
「学会員でも幸せになりたいと希望を持っていい。」

これを学会問題議論中に相手に誤解を招かない様、同時に説明するのは大変です。
現実の幸福や希望、それらと信心の希望を分けて説明するのは至難の業です。
ですから、当人のプライバシーや心の深い部分
(今回の場合は親に祝福されて結婚したい、という願望、欲求)まで素人が
聞き出し、お互いの理解や同意を得て、学会員の問題ある願望、欲求を
切り離すのは困難だと思います。
(一応、私はある程度は意図して書いているのですが上手く書けていないのは
ごらんのとおりです。)

ここまで理解させるのであれば、安全度の高い専門家のほうがいいでしょう。
当人のプライバシーや心の深い部分を扱いますから、クローズドである必要があるでしょう。

しかし過去記事に書いてきたとおり、素人には素人の説得方法があるわけです。
これは可能な限り、退会者の体験を通してオープンな形(メールなどでクローズドでもOK)
で相談や、”あくまでも簡易な”説得は可能です。しかし無責任な素人です。

●人は人を救えない、人を救えるのは人だけ

>「いずれわかってもらおう」
>「いずれわかってもらえる」
>とお互いに思いあってる光景は、離れてみたらかなり滑稽ですよね…

この相反する感覚が必要なのかもしれません。

>知ってるのに伝えないで付き合うのは、不誠実かなぁ。

うーん。どうなんでしょうね。
ただ言えることはLibraさんBBSや富士門流BBSを見ても分かるとおり、
MCされた人は、言われても読ませても理解しようとしない、更に原典を読もうとすらしない。

普通の人でも読むか聞くか(言われる)して始めて理解できるようになります。
人間はエスパーではありません。

>友人をあえて傷付けたくない。

傷つけたくはないですね。
しかし、正宗系信徒会員が日本人の政治や心の成熟度や
自立など、これらの足を引っ張っているのは事実だと思います。

>朝日新聞の一面広告を見て嫌悪感いっぱい

ため息出ちゃいますね。

私のブログの意図や期待する理解度など、他にもあるのですが、
とりあえずここまでとしておきます。

そううそ
ではでは

返信する
Unknown (そううそ)
2010-05-06 22:33:04

”親にも祝福されて”

”学会員の親にも祝福されて”

学会員の親に祝福されたいのですから、
自分は否定されても親は否定されたくない、親だけは否定されるわけにはいかない、そんな前提が仮にあるとします。

この場合、幸福を共有したい対象である「親」は池田氏や日蓮、諸天善神に置き換えることもできます。
返信する
Unknown (そううそ)
2010-05-06 23:46:46
> 仏教同様、心理学の本なんて専門家か患者かその家族でもない限り、みんながみんな必須としているわけではありませんから。
>心理学なんて勉強しなくても人間関係を普通に築いている人が大半です。

心理学「なんて」
ここを誰かが変に指摘するかな?と思っていましたが、やっぱり理解していない人がいました。

なぜ、「なんて」なのか?
それは親から与えられた物心つく以前からの 健全と不健全、この両方を見直して
自分の好きなように変えようとしているからです。変えなくても良いのです。

ですから、心理学だけでなく、様々な学問や様々な人から「良い」人間性を学ぼうと思っています。
様々な人は学会員である、ないは関係ありません。見分けることすら練習の一つです。
学ぶ必要性ではありません。学ばなければならない、つまり、○○しなければならない、でもありません。
心理学を学ばなければならない、ではありません。でも学んでも良いのです。

色々な人、色々な学問、しかもそれを机上ではなく、ネットでもリアルでもどんな日常でも自由なのです。
目標なんかなくていいのです。ずーーっと最後まで死ぬまで自由なので。

だから、沢山ある学問の内、たかが一つの学問でしかない心理学「なんて」なのです。
30年以上自分にしみついた親から与えられた物心つく以前からの 健全と不健全、です。
親から与えられただけでなく、自分で求めた不健全もあります。(例えば池田氏や学会)

「なんて」っていう覚悟や心構えがない限り、変えるのは至難の業だと思います。
だから、「なんて」なんです。

お?オチた?(笑)
返信する
お返事ありがとうございます (ブリッジ)
2010-05-08 00:28:07
そううそさんへ
あまり状況の説明せずに書き込んでしまいました。スミマセンm(__)m

まず、私の性別は女性で友人も女性です。
近所のママ友ってヤツです。
彼女は私より一回り年下で、幼い頃に母親を亡くしている学会三世になります。
母親がなくなったあと親戚に預けられるという「見捨てられた」トラウマがあるせいか、心の病を持っています。
母親自体熱心な活動家だったらしいのですが、なくなったことで宗教に疑問を持ち、一度は距離をおいていたそうです。十代で子どもを産み、結婚相手の両親が活動家だった、と。
同居の自宅で会合をしたりしているので、そこそこ活動しているように思います。義理母に大事にされ、創価に誘われ、活動しはじめた、という経緯です。
家の宗教として、信じたい。
家族のぬくもりを知らない彼女には、創価批判は家族の亀裂を生むものなんです。
ちなみに彼女のご主人はその両親に「マインドコントロールされてる」と言ってるので、おそらく未活になります。彼はもともと人付き合いを好まない性格もあり、今は心の病を持っているらしくニートに近いアルバイト生活なんです。

私は彼女の子どもが私になついていてよく遊びに来ることもあり、彼女自身も彼女の子どもも、ほっておけない気持ちになっています。

心の病を抱えている人に、宗教が麻薬(痛み止め)となるならば、黙って見守ってあげたいんですが、逆に悪化させているような気がしてならず…
返信する
Unknown (そううそ)
2010-05-08 07:07:39
おは!です。
ブリッジさん

>私の性別は女性で友人も女性です。
>近所のママ友ってヤツです。

ブリッジさんは女性の方だったんですね。失礼しました。
友人だと社会的問題もないでしょうから、
ブリッジさんから積極的にJSCPRに相談しにくいですね。

>彼女のご主人はその両親に「マインドコントロールされてる」と言ってるので、おそらく未活

このへんが唯一の救いですね。

>同居の自宅で会合をしたりしている
>彼は(中略)ニートに近いアルバイト生活なんです。

ご友人の夫婦を学会の家庭が多少かある程度、面倒をみているのかもしれませんね。

>そこそこ活動している
>義理母に大事にされ、創価に誘われ、活動
>家の宗教として、信じたい。
>家族のぬくもりを知らない彼女には、創価批判は家族の亀裂を生むもの

義理母に大事にされているのはよかったですね。
学会の家庭が多少かある程度、面倒をみている?かもしれないので
コメント記載のような形で、創価批判は受け入れられない可能性があるかと思います。
創価批判が家族の亀裂を生むという意見に私も賛成です。

>「見捨てられた」トラウマがあるせいか、心の病を持っています。
>家族のぬくもりを知らない彼女

そうでしたか。。。。。

>彼は(中略)今は心の病を持っているらしく
>心の病を抱えている人
>逆に悪化させているような気がしてならず…

悪化させているのは同感です。
ネットの学会員、法華講員などを見ていれば(ブリッジさんであれば)一目瞭然でしょう。
創価学会の活動の内容は大学のサークル活動と変わりないレベルですが
悪影響としては一流でありカルトといえると私は考えています。

子供に問題が起こったら、全日本青少年育成協会(以後AYDA)を紹介するか
宗教的問題が起こったら旦那さんにJSCPRを紹介するしかありませんね。
AYDAは私のブログのリンク集を見てください。

医療分野は我々では手が出せません。

○せめて出来ることはないのか?というと。。。。

せめて仏教学だけでも少しでも修正できるといいのですが。。。。

近くにLibraさんみたいな感覚の人とかJSCPRに関わっている日蓮宗の人とか、
富士門流信徒BBS(日蓮法華)の方々の様な人がいれば、いいと思うんですが。。。。。
他の仏教宗派でも良い人が関わってくれればいいのでしょうけど、まず無理でしょう。
(日蓮宗の人でもJSCPRに否定的だったり金儲け主義の人はいます。)

学会教学に疑問を持たない限り、彼らのHPやBBSを読まないでしょうし。
池田大作批判なんて友人のご家庭では以ての外でしょうし。

学会批判は一切、口にしないで、
”安心感や心が豊かになるような”日蓮の実像や正しい経文解釈などを
ブリッジさんが教えるしかないと思います。例えば、

「日蓮さんは愚痴を言っている人だったんだよ。高木豊さんの本にも書かれているよ?」
「愚痴を私(ブリッジさん)に言ってもいいよ?」
「法華経は他人を大切にすると教えている経文だよ。」

そんな感じでしょうか?
(摂受(しょうじゅ)、折伏(しゃくぶく)などの学問的な話はどうでもいいと思います。馬鹿馬鹿しいので。)
我々はカウンセラーではありませんから、あくまでも友人として関わってあげるのが一番だと思います。
関わり続けるか、ブリッジさんから距離を置くかはご自身でゆっくりと長い時間の中で決めて下さい。ブリッジさんに時間や精神的な負担がなければ友人として関わるのは善いことだと私は思います。
○私事ですが、、、

 彼女のご家族の誰かが問題言動をして人間関係のトラブルがあれば、お医者さん紹介だけでなく、心理学の解説とか本の紹介でもいいかと。

私事ですが、法華経や日蓮、諸天善神も私の親子問題を解決してはくれませんでした。
本尊への祈りも本尊の所持なども、です。
学会員である誰かが「私が積極的に関わって解決しましょう。」なんて誰も言ってくれませんでした。無慈悲なモノです。せいぜい無意味な「祈ります」ぐらい。
他人のために祈ることは悪いことではありませんが、自己満足としての無意味な祈りです。
他人のために祈ることは善いことであると断言せず、「悪いことではありません」です。

それが、ここ数年での心理学などの勉強で、自分を見つめ自身の言動や意識を変えることで、
親子間の会話内容が変わり、私は少しずつ安心感を得られるようになりつつあります。

原始仏教や立正安国論、そしてカウンセリングも会話であることが改めて認識させられます。

ではでは
そううそ
返信する
Unknown (そううそ)
2010-05-08 07:20:08
>他人のために祈ることは悪いことではありませんが、自己満足としての無意味な祈りです。

問題ある学会員がする祈りを指しています。
返信する
アドバイスありがとうございます (ブリッジ)
2010-05-08 13:37:53
そううそさんへ
素早いお返事ありがとうございます。
具体的なアドバイスのおかげで少し気が楽になりました。
私はリアルでも「おっさん」と言われてますので、文章にもにじみ出ていたのかもしれませんね(笑)

私は一昨年からこの仕事をしていますが、その前は暇が一杯あったので(笑)、
そううそさんのサイトで紹介があったLibraさんのサイト、原始仏教や加藤諦三の一連の本、『毒になる親』などの本など、おかげさまでかなり勉強させていただきました。
子どもと関わる、教科を教える、のどちらにも心理学はかなり役立っています。
私の専門は美術ですが、学生時代から心理学に興味があり、一時、進もうか迷いました。
心理学に興味がある時点で、私も自分の心をもてあましていたんですよね…。


原始の美術は「祈り」「まじない」から興っています。「祈らずにはいられない心」は人間にとって普遍的なんだろうな、って思います。そして「願い」を形にしたいという「思い」は、決して「宗教」ではないと思います。
私はそんな切り口で友人と話してますが、彼女が落ち込んでる・悩んでるのを見るにつけ、早く気持ちを楽にさせてあげたいと焦ってしまうんですよね…
返信する
Unknown (そううそ)
2010-05-08 21:38:28
こんばんは。
ブリッジさん

>原始の美術は「祈り」「まじない」から興って
>「祈らずにはいられない心」は人間にとって普遍的
>「願い」を形にしたいという「思い」は、決して「宗教」ではないと思います。

すごくいいテーマを書いてくれますね。

私は原始キリスト教や原始仏教、つまりはキリストや仏陀に「願い」「思い」はあったと考えています。
問題ない期待や希望としての「願い」「思い」です。

ではそれが現代に正確に伝わっているんでしょうかね?
現代人がイメージする仏陀への欲求と現実の仏陀は異なると思います。

若い人やこれからの日本人には創価や正宗、顕正会など、おかしな人や悪意ある人には騙されないようにしてもらいたい、
そんな「願い」や「思い」は私にだってあります。

もちろん勤行唱題とかの儀式なんて一切していませんが、祈るような気持ちであることも事実です。

>「願い」を形にしたいという「思い」は、決して「宗教」ではないと思います。

誰にでも「願い」や「思い」や「祈り」があるであろう点とこの一行は矛盾せず、
’「宗教」ではない’というのは、現代人から見て当たっていると私は思います。

「ブッダ 遺言 怠りなく」で検索すると、遺言の日本語訳が出てきます。
「比丘(びく)たちよ、別れをつげよう。もろもろの現象は移ろい行く。怠りなく努力せよ」
「わが亡き後は、私が制定した法と律を師として怠りなく励め」

後者の方はこんな形で言ったのか私には非常に疑問です。
仏陀とその弟子の間には仏陀から弟子に対して、教えた通り修行をつんで欲しいという「願い」や「思い」や「祈り」みたいなモノはあったと考えます。
無常、無我と矛盾するようですけど。

修行を怠りなく積んで無常、無我などの悟りを得て解脱しなさい。

つまりは弟子の修行の完成を「願って」いますし、弟子に対して「思って」いますし、「期待して」(希望)もあったかも?これを祈りといって良いのかは私にはもうわかりませんが。

話を元に戻して現代のような形としての「宗教」と
人にメリットある「願い」や「思い」や「祈り」が自然な形で結びつくのか?
これは学会員を見ていれば滑稽としか言えないと思います。
というわけで、
「願い」を形にしたいという「思い」は、決して「宗教」ではない
に賛成なのです。
学会員の場合、池田氏や本尊や題目への依存や池田氏や歪んだ日蓮の弟子である自己満足でしかないでしょう。

日蓮系だけでなく他宗派などの経文や本尊や題目、念仏などを通してでもマトモな教えであれば、
それなりに信仰者になり人格形成を得ると思いますが、実践できる人が皆無なので地方から廃寺になっていくんだと思います。
(日蓮系の教学であれば現宗研とか日蓮法華とか多少は期待できる人はいるようですが。。。。。どうなることやら。)

>私はそんな切り口で友人と話してますが、彼女が落ち込んでる・悩んでるのを見るにつけ、早く気持ちを楽にさせてあげたいと焦ってしまうんですよね

厳しいことを書けば、私自身、親が死ぬまでは健全への第一歩をスタートできないかもしれない、そういった覚悟はしていました。ご友人にも家庭内で喧嘩しない程度に学会批判の目線を持って欲しいですね。
やはり活動家であることが第一の問題であり、心配ですね。

ではでは
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