浄土九品の事(全集六九五ページ)
昭和五十年代の御書全集と比較済み。
昭和二十九年再版時の御書全集は旧漢字です。
線引きが修正されています。
サムネイル画像
創価学会版 御書全集「浄土九品の事」が霊艮閣蔵版からの盗用かは不明です。
「浄土九品の事」「浄土九品之事」
遺文名を要再調査 昭和定本と霊艮閣蔵版と類纂高祖遺文録(大正版)
-------170206-------
追記修正
◯原文 漢文
◯真蹟 西山本門寺
◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。
本文先頭ページ数(該当ページ数)
学会版 編年体(昭和四十九年) 一四一六(一四一六と一四一九)修正済
霊艮閣蔵版 続1_百九十(百九十一)
行道文庫版(昭和五九年) 七六〇(七六一と七六四)修正済
行道文庫版(昭和七年) 七六〇(七六一と七六四)修正済
類纂高祖遺文録(大正版) 無し
昭和定本 3−二三〇六ページ
-------170206-------
学会版御書全集、昭和定本、行道文庫、昭和新修、霊艮閣版、細かいですがどれも線引きや改行が皆異なります。
但し、線引きや改行が異なっても「浄土九品の事」は大体の意味は、学会版を含めどれも通用します。が、明らかな誤記があるのは二十九年再版です。
明らかな誤記というのは、上品上生と六念が線引で結ばれている点で、これは二十九年再版だけです。
(昭和定本にも2ページ目の六念に大きな間違いがある?)
先の記事で、稲田海素さんの解釈があるのでは?と書いたのは、「浄土九品の事」に限れば行道文庫版が信徒向けにわかりやすく書いてあると思ったからです。
学会板を除くと、手元にある遺文の年代は新しい順に日蓮宗の昭和定本(平成十二)、行道文庫版(昭和五十九)、浅井要麟の昭和新修(昭和三十年代?)、霊艮閣蔵版(昭和四十二の版だが実際は二十年代か三十年代?)。
昭和新修(昭和三十年代?)、霊艮閣蔵版(昭和四十二の版だが実際は二十年代か三十年代?)は昔のまま変わってないと聞いています。
それぞれ表記が異なるため、「浄土九品の事」だけは学会版をある程度は擁護しないといけないかな、なんて考えていたのですが、学会以外の遺文を調べたら、やっぱり明らかな間違いが一つだけあるなんて、
つくづく学会って福運が無い。
そう思いました。
なお、日蓮正宗大石寺刊行の「昭和新定 日蓮大聖人御書」は昭和定本の盗用なんだそうですね。
●大事なことを改めて再度書いておきます。
日蓮正宗は学会員や正信会、顕正会を切り捨ててきましたし、学会も除名した事例が幾人もあります。どの日蓮正宗系教団も色々な人を傷つけてきました。
日蓮宗はJSCPRに関わったり、脱カルトの勉強会、現代宗教研究所が存在したりしています。日蓮の教えが絶対でないことを明言しています。現代宗教研究所は元々、学会対策の部門です。
過去記事を読めばわかりますが、私が脱カルトの勉強会に参加したときに、お坊さんから「日蓮の教えの全てが現代には通用しない。でも勤行や唱題の意味はあります。」(主旨)と教わりました。
日蓮宗から学会批判用に、日蓮の問題点と学会の問題点を併記した書籍が出版されていたりします。この書籍は学会員にはやや難しいので紹介するのを躊躇しています。
また私の場合ですが、日蓮さんの批判や間違いの指摘はしても、正宗系を除いた日蓮宗、日蓮系から誹謗中傷や悪口を言われたことはないですね。
以上
昭和五十年代の御書全集と比較済み。
昭和二十九年再版時の御書全集は旧漢字です。
線引きが修正されています。
サムネイル画像
創価学会版 御書全集「浄土九品の事」が霊艮閣蔵版からの盗用かは不明です。
「浄土九品の事」「浄土九品之事」
遺文名を要再調査 昭和定本と霊艮閣蔵版と類纂高祖遺文録(大正版)
-------170206-------
追記修正
◯原文 漢文
◯真蹟 西山本門寺
◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。
本文先頭ページ数(該当ページ数)
学会版 編年体(昭和四十九年) 一四一六(一四一六と一四一九)修正済
霊艮閣蔵版 続1_百九十(百九十一)
行道文庫版(昭和五九年) 七六〇(七六一と七六四)修正済
行道文庫版(昭和七年) 七六〇(七六一と七六四)修正済
類纂高祖遺文録(大正版) 無し
昭和定本 3−二三〇六ページ
-------170206-------
学会版御書全集、昭和定本、行道文庫、昭和新修、霊艮閣版、細かいですがどれも線引きや改行が皆異なります。
但し、線引きや改行が異なっても「浄土九品の事」は大体の意味は、学会版を含めどれも通用します。が、明らかな誤記があるのは二十九年再版です。
明らかな誤記というのは、上品上生と六念が線引で結ばれている点で、これは二十九年再版だけです。
(昭和定本にも2ページ目の六念に大きな間違いがある?)
先の記事で、稲田海素さんの解釈があるのでは?と書いたのは、「浄土九品の事」に限れば行道文庫版が信徒向けにわかりやすく書いてあると思ったからです。
学会板を除くと、手元にある遺文の年代は新しい順に日蓮宗の昭和定本(平成十二)、行道文庫版(昭和五十九)、浅井要麟の昭和新修(昭和三十年代?)、霊艮閣蔵版(昭和四十二の版だが実際は二十年代か三十年代?)。
昭和新修(昭和三十年代?)、霊艮閣蔵版(昭和四十二の版だが実際は二十年代か三十年代?)は昔のまま変わってないと聞いています。
それぞれ表記が異なるため、「浄土九品の事」だけは学会版をある程度は擁護しないといけないかな、なんて考えていたのですが、学会以外の遺文を調べたら、やっぱり明らかな間違いが一つだけあるなんて、
つくづく学会って福運が無い。
そう思いました。
なお、日蓮正宗大石寺刊行の「昭和新定 日蓮大聖人御書」は昭和定本の盗用なんだそうですね。
●大事なことを改めて再度書いておきます。
日蓮正宗は学会員や正信会、顕正会を切り捨ててきましたし、学会も除名した事例が幾人もあります。どの日蓮正宗系教団も色々な人を傷つけてきました。
日蓮宗はJSCPRに関わったり、脱カルトの勉強会、現代宗教研究所が存在したりしています。日蓮の教えが絶対でないことを明言しています。現代宗教研究所は元々、学会対策の部門です。
過去記事を読めばわかりますが、私が脱カルトの勉強会に参加したときに、お坊さんから「日蓮の教えの全てが現代には通用しない。でも勤行や唱題の意味はあります。」(主旨)と教わりました。
日蓮宗から学会批判用に、日蓮の問題点と学会の問題点を併記した書籍が出版されていたりします。この書籍は学会員にはやや難しいので紹介するのを躊躇しています。
また私の場合ですが、日蓮さんの批判や間違いの指摘はしても、正宗系を除いた日蓮宗、日蓮系から誹謗中傷や悪口を言われたことはないですね。
以上