HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

軟弱な教育では無理。

2016-07-20 08:12:18 | Weblog
 先日、業界での鋭い考察で有名な某プロフェッサーのコラムに「販売員の心得」が取り上げられていた。(http://www.apalog.com/kojima/archive/1772)業界では販売員不足を解消するために、様々な意見やアイデアが飛び交う中、「おもてなしの精神論」では店舗運営には実効性を欠くとのご意見である。

 販売員という職業が少なくとも安定するには、報酬を上げなければならないわけで、そのためには「客数と売上げを確実に向上させることが不可欠になる」。これはある意味、当たり前のことだ。その心得として、4つをあげられている。

1.顧客の購買プロセスを誘導するVMDのセッティング

2.売場のみならず後方ストック、他店やDC(商品配送センター)の在庫の掌握

3.顧客の購買労働負担を最小化し、購買利便を最大化する配慮

4.顧客が快適に購買できるクレンリネスと身だしなみの徹底

 とのことである。業界コンサルの重鎮であり、プロフェッサーの称号を裏づける理論家として、明快で説得力のある見解と言えばそうだろう。でも、これを若者の夢を煽るファッション専門学校、販売員を採用するアパレルの小売り部門、大手チェーン店やセレクトショップが、教育の目標や就職の条件、指導育成や戦力化の目的として、切実にとらえているかである。

 また、筆者がルポを書いて来た業界誌でも、こうした心得をテーマとする特集は定期的に組まれている。しかし、それは経営者や店長レベルの購読に止まり、小難しい内容をペーペーのスタッフが学習し理解し、売場で実践して来たかと言うと、それほど多くないだろう。だから、販売員の地位が向上しなかったとも言えなくはないが、正論だからと言って全てに納得、理解されるとは限らない。学生から就活生、新人、2〜3年目、中堅&チーフクラスとそれぞれの段階で、最終目標であるこの心得をよく咀嚼して、わかりやすく教育していかなければならないと思う。

 では、具体的にどうすればいいのだろうか。まず、専門学校では用語の意味からして、18歳、19歳で学習意欲が高くない学生にはほぼ理解不能だ。現状の授業で行われているものも1ないし4の基礎の基礎くらいで、それも知識学習の域を出ない。おそらく2年間在籍しても、VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)とディスプレイの区別もつかないまま卒業しているはずである。プロフェッサーが解説するIP(アイテムプレゼンテーション)やLP(ルックプレゼンテーション)という用語すら、授業では取り上げられていないのではないか。ましてそれらを実践して、お客を誘導し購買意欲(デザイアー)を喚起する陳列方法を教育する授業なんて、知っている限りのファッション専門学校では見たことが無い。

 ある学校で学生に手持ちの服を持ってこらせ、数体のボディにトップからボトムまでコーディネートした授業課題を見たことがある。プロフェッサーがこれを見ると「全くLPになっていない」と酷評しそうなものだ。学生は自分の趣味嗜好で服を買っているわけだから、そんな手持ちの服でIPやLPを理解させようという講師、授業の方に問題があると言わざるを得ない。1を教育するには、アパレルや小売りとタイアップするなりして、実際の売場で販売する自分の嗜好と関係ない商品を使って、実践しないと無理である。

 4のクレンリネスは、美容系の専門学校が力を入れており、定期的に授業前の早朝に地域の清掃に取り組む姿を見かける。ただ、それが学生にどれほどクレンリネスへの認識をもたらしているかというと、いたって漠然としているだろう。まあ、インターンや見習いで店の掃除をやらされるのは、依然として徒弟制度が残る美容業界では当然だ。また、自分が美容師の仕事をするなら、店が汚くては話にならない。ただ、学生側はまだ「やらされている」という意識だろうし、きれい好き、ものぐさなど個人の性格もあることだからやらないよりも、やった方がいい程度のものかもしれない。

 ファッション専門学校では「クレンリネスの啓蒙」なんて、まず無いに等しい。掃除をさせる行為は、学生にとっては懲罰的な意味合いの方が強い。その程度の次元なのである。身だしなみのチェックにしても、せいぜい就職指導や模擬面接で行われている程度。これもかつては金髪でピアスをした学生が堂々と面接指導を受けていたし、学校側にも「学生の自覚に任せる」「そこまで深く指導しない」なんて妙な相互理解があるように感じた。最近はどうなっているかわからないが、就職指導における身だしなみチェックは、学校ごとでかなりの温度差があるのも事実。専門学校ではプロフェッサーが言うところの販売員の心得なんて、ほぼ習得させていないというのが実情ではないか。

 2、3はそもそも専門学校教育では限界だし、学生には理解不能と思う。

 では、業界ではどうなのだろうか。筆者は小売りの経験がほとんどないから、あくまで仕事で売場を訪れた時に触れたもの、経営者や店長との会話の中で見聞きしたことから、個人的な印象を述べてみたい。お客さんに商品を買ってもらうためのVMDは、百貨店や大手チェーン店での新人研修のカリキュラムには入っている。専門スタッフや担当部署でもキャリア教育として導入されている。それを社員募集のパンフレットやHPで訴えている企業も少なくない。

 しかし、一個人の教育目標としての販売員の心得で、ここまでを目指している企業がどれくらいあるのだろうか。どうしてもセールトーク偏重、売ることの能力や技術の教育に一生懸命で、VMDのセッティングは疎かになっているのではないかと思う。ただ、中堅企業や個店も同様にVMDに関心が無いかと言えばむしろ逆だ。指導に力を入れているところは意外に多いと感じている。3年ほど前にある企業の雑誌広告を制作したとき、そこの社長から聞いた話がある。数店舗を展開するセレクト業態で、クリスマス商戦の時にバイヤーが売上げ拡大を狙い、一気に商品を投入した。

 ところが、売場は在庫で溢れかえり、VMDはグチャグチャ。とても顧客を購買プロセスに誘導するような状態にはなっていなかった。たまたま店まわりをしていた社長は、それを見て激怒。「あんなに商品を詰め込んで、売上げや利益を得るのは目的なのか、手段なのか、どっちなんだ。12月はお客様の気持ちが一番華やぐ時だから、ウィンドウから人を楽しませてあげないと」と、店長やスタッフを叱咤したという。この話には続きがある。VMDのセッティングができない店があった一方、きちんとできていた店もあり、この社長はさっそく写真を撮らせて、VMD修正のために全店に送付させたそうだ。

 まさにプロフェッサーが言うところの基本原理は、店のお得意さんを買いたくなる過程に誘い、買おうという気持ちを起こさせる陳列なのである。それを自店なりの売場づくりの中で解釈し、商品分類をいかにわかりやすく安定的に配置していくか。店は一販売員にまでも会得させていくことが重要ということである。

 2の売場のみならず後方のストック、他店やDCの在庫の掌握は、大手チェーンではかなり浸透してきている。100店舗近くを展開するあるSPAは、商品の機会ロスをなくし、消化率のアップを目指すために売場単位でタブレットを導入した。これが販売スタッフのストックの棚割り整理、在庫把握にも貢献。何より接客中にタブレットを操作できることで、どこに在庫があるかわかり、客注は一番近隣の店舗から移動させている。お客に入荷予定が明確に伝えられ、時短にもつながっている。

 逆にお客からすれば、ネット通販を利用することで在庫状況の把握が当たり前になっている。「残りわずか」の情報が発信されると、購買に対するお客の切迫感を刺激する。こうした手法が良いか、悪いかは別にして、検索の時点でお客が在庫状況を確かめるのが当たり前になっていることを考えると、スタッフがストックや他店、DCの在庫までつかんでいるのは、販売におけるメリットだ。一方で、個店レベルでは取引メーカーとの在庫情報の共有がどこまでできるか。まだまだそれができるスタッフが多い状況ではない。機会ロス、販売ロスを低減し、消化率をアップするためにも、今後の課題になるのかもしれない。

 3の顧客の購買労働負担を最小化し、購買利便を最大化する配慮とは何か。購買労働とは店の中でのコーナー移動とか、フィッティングなどだろうか。セレクトはハイクラスではグルーピングが行き届いているから、それほどの負担には感じない。でも、ファストファッションはじめ海外ブランドの大型店舗、SPA化したセレクト、GMSの衣料品売場は結構商品を探すのに苦労する。特にGMSは在庫が多い割りに単品中心の配置で、スタッフも少なくサイズの適切なアドバイスを欠く店もある。そもそもがセルフサービスの売場づくりと「これください」的な対応だからしかたないと言えばそれまでだが、それならもう少し商品が探しやすい売場にしても良いのではないかと思う。これはグローバルSPAでも感じることだが。

 また、中国人旅行客の増加で売場では、置き引きの被害も増えていると聞く。かつて有名専門店では視線の配り方などかなり教育されていたスタッフが見受けられたが、最近は教育が行き届かず、無頓着な人が少なくないと感じる。百貨店では男性スタッフがフォローする光景も見られる。まさかお客の自己責任しているわけではあるまいが、もう少し注視することも必要ではないか。まあ、これもオムニチャンネルが浸透し、売場がショールーム化する一方、店舗の力を見せつけるにはそうした対応が行き届くところが求められるわけだ。やはりこれは指導教育の成せる技ではないかと思う。

 顧客の利便性という意味では、店舗のショールーム化、 ECサイトで販売している商品の試着、店舗受け取り、店舗購入の無料宅配などがあるだろう。顧客はすでにできるだけ手間とコストがかからないサービスを半ば当たり前のように感じている。これは販売員の心得というより、企業の方針、店舗の考え方になると思う。だが、服はまだしも、靴は試着をしないと、購入は難しい。こうした対応をしてくれるようなシステムが充実してくれば、オムニチャンネルも一気に浸透していくのではないかと思う。

 クレンリネスについては、ダメな店舗はあまり見かけない。たまにパッキンがそのまま放置されている店はときどき見かけるが、これはクレンリネスの問題とは違う。筆者が企画に携わるアパレルの取引先セレクトショップは、社長がクレンリネスを啓蒙している。定期的に抜き打ちチェックをして、気づいた点を自らレポートし、改善を促しているのだ。それを見せていただき、印象的だったのは、「ハンガーラックのパイプやバーまで奇麗に磨こう」という社長の指示。ラックのパイプはフックが接触して擦れ、光沢を失うからだろうか。拭くだけではなく、「磨く」という点がクレンリネスの奥深さなのだろうと、改めて感心した。

 身だしなみについても、洋服が好きで業界で働いている人がほとんどだから、不快にさせるようなら、周りのスタッフが先に気づくはずだ。筆者が業界に入った頃は、髭があまり快く思われなかった。それから20年くらい経って、百貨店でも髭のスタッフが増えて来たと、日経MJが特集した。最近の髭はあまり伸ばさないが、好感か不快かは接客を受ける方の価値観、年代でも違う。髪型も七三がトレンドになるなど、正統派が復活している。これらは企業側の指導教育というより個人の意識によるものではないか。そもそも売場が汚く、スタッフの身だしなみも悪い店は、販売員の心得以前の問題で、お客も寄り付かないと思う。

 昨今、ほとんどのアパレル企業、小売業で経営者はデジタルシフトを公言している。一方で、「店を鍛える」という観念論は聞こえてくるが、具体的にどうするのかは見えてこない。大手セレクトショップを訪れても、特段に接客、対応は変わっていないからだ。講演会やシンポジウムでは、ECをテーマにするところは枚挙に暇がない。それはぞれで時代なのだろうが、どうも真意は違ったところにあるのではないかとさえ感じる。

 売場のマンパワーに頼るビジネスはすでにコスト吸収が限界。だからいっそうのことそうした部分をカットし、デジタルに資源を集中して収益を上げた方が良い。 EC礼賛者の中には、そんな狙いがあるように思えてならない。でれじゃ、その分商品のクオリティが上がればいいのだが、お客は現物を見るわけでも試着するわけでもないのだから、その点はお客にはわからない。商品論が議論されないところをみると、コスト削減以外のどんな目的があるのかと問いただしたくなる。だからデジタルへの不信感は、くすぶり続けているのだ。

 これからデジタルシフトがどんどん進めば、当然、中途半端な販売員を抱えている店舗は駆逐、淘汰されていく。逆に店が生き残るとすれば、販売員の力によるところが大きいということだ。システム化、マニュアル化された販売員の心得を、自分の感性、能力で実践に移していけるか。アナログとデジタルを使いこなしていけるのは販売員という生き物にしかできないことだからである。
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実を取る決断の先には。

2016-07-13 06:51:19 | Weblog
 夏のセールも今イチ盛り上がりに欠け、秋物の第一弾を待つばかり。先日はユニクロがクリストフ・ルメールをアーティスティックディレクターに起用した「ユニクロU」を発表した。この新ラインはコラボレーションとは異なり、「あくまでユニクロのテイストで、デザイン、素材選び、縫製など、あらゆる面で既存の商品にない新しさを吹き込んだ」とか。そのため、シャツが2,990円、アウター3,990円〜1万2,900円と、通常の商品より多少高めの価格設定なのだという。

 ユニクロはここ1年ほどは値上げによる売上げダウン、その結果をみての値下げ、6月には業績を回復したものの、秋以降の売上げ動向がどうなるか、予断を許さない。今回発表のユニクロUにしても、デザインは「既存の商品にない新しさ」を謳うわりに、プレス写真を見る限りでは特に変わった感じはない。はたしてテイストはユニクロのままで、新しいデザインになるのか。現物を見てからでないとディテールまではわからないが、ジルサンダーとコラボした+J、滝沢直己をデザインディレクターに起用した2011年春ラインと、それほど差異はないと思う。
 
 もっとも、ユニクロがデザインで冒険すれば、縫製・加工で新たな技術を必要とする。そのため、既存の工場、技術スタッフが対応するには、それらを学習するか、新たにできる工場、スタッフを確保することが必要になる。これまで生産効率を追及して来たユニクロがそこまで深入りすると思えない。第一、ユニクロを求める大多数のお客は、奇を衒ったデザインなんて期待していないし、縫製もあの値段なら十分だと思う。素材はアイテムによってペラペラなものもあるが、レベルを上げたからといって急激に売上げが伸びるとは思えない。

 結果、テイストはユニクロのままだが、どこかに値上げする根拠が必要なことから、ユニクロUという新たなブランド、新たな価値創造ということではないか。陳腐化した既存MDを多少は活性化できるのかもしれないというのが本音だろう。効率優先というユニクロの遺伝子を考えれば、デザイナー入れ替えによる話題性とテコ入れしか、活性化の手だてはないような気がするのだ。

 ファーストリテイリンググループとしては、まだまだ売上げを伸長する目標を掲げている。しかし、ユニクロ業態でこれからどこまで達成できるのかは未知数だ。独立した別会社を作り、新規プロジェクトとして1からブランドを立ち上げる戦略。FR本社からすればできなくはないだろうが、単期で収益を上げないといけない上場企業として、成功が見えない冒険は許されない。結局、社内のデザインチームの人事をいじくり、多少の違いを打ち出すしかない。かといって、「ユニクロのテイスト」を大きく外すことも不可能だ。ディレクターとしては非常に難しいテーマで仕事に向うことになる。


 ただ、業界全体を見渡しても、そうそう思いきって「変化」できる環境にはない。大手企業の新規プロジェクトは、大半がメジャーブランドを活用し他メーカーとのコラボくらいに落ち着いている。スニーカーのダブルネームなんかがそうだろう。既存の「型」「デザイン」を活用して、ブランド名だけ変える程度のものだ。それで価格は上げられるのだから、ブランドバリュとは結構なものである。しかし、非上場企業とは言え、あまりにおざなりな企画ばかりだと、「ブランドって何」「もの作りの意味って」と思ってしまう。

 青山商事がこの秋にスタートするビジカジブランドの「モアレス」にもそんな一面を感じる。これは何といってもビームスのノウハウをもつ「ビームスデザイン」が企画監修にあたることだ。青山商事はこのブランドをSC向け業態の「ネクストブルー」、都市部の「洋服の青山」で販売するという。青山商事としてはスーツでは日本一の売上げを誇るが、少子化や人口減少などで需要が落ち込む中、ビジカジに舵を切り新たなマーケットを掘り起こす狙いのようだ。

 確かにド・カジュルな商品は履いて捨てるほどある。だから、チェーン店自ら新規に開発する意味はあまりないだろう。青山商事は「キャラジャ」という業態を展開しているが、リーバイスやコンバースなどのブランド編集で、他のシーンズショップなどと差別化できていない。店舗数も伸びないままだ。「ド・カジュアルではないが、スーツスタイルほどの型苦しさは必要ない」。マーケットはそんな良い塩梅のオケージョンの商品、テイストの服を求めているのは間違いない。ただ、青山商事が自社でブランド開発するのは難しいことから、若い世代に人気のあるビームスに白羽の矢を立てたということか。

 一方、ビームスは本丸ではないにしても、堂々とブランド名がつく子会社が参画する。自ら小売り業態を出店するわけではないが、相手方店のコーナー展開だろうから在庫や家賃の負担がなく、ビームスは一定のロイヤルティ収入が受け取れる。MDの基本路線はトラッドテイストだろうし、特別な企画・デザインのノウハウは必要とせず、ブランドバリュを背景にリスクを避けられると踏んだのだろう。当然、ファッション雑誌などは特集を組むだろうし、ネットメディアも食いつくはずだ。ただ、現時点では異色の組み合わせだけに、どう転ぶかは見当がつかない。

 従来なら郊外中心のスーツ量販店、特に価格破壊で規模を拡大した洋服の青山と、東京・原宿生まれで、インポート&国産の上質なブランドを仕入れてきたビームスがタッグを組むとは考えられなかった。量販店とセレクトショップは、そもそものコンセプトでも、販売スタイルでも接点はない。しかし、今の若い世代は洋服の青山をマイナスイメージでは捉えておらず、ビームスに対してもそれほどプレステージ性は感じていないのかもしれない。

 突き詰めて考えると、そんな時代になったというよりも、今回の協業は企業同士の思惑が色濃く出た結果だと思う。青山商事にすれば願ったりだっただろうが、ビームスにすればブランドイメージの低下から建前は協業したくないが、若者の服離れで既存業態が頭打ちの状況を考えると、背に腹は代えられない。セレクトショップのプライドもかなぐり捨てざるをえないわけだ。果たしてマーケットの反応はどうなのか。

 洋服の青山とビームスの提携は、戦略としては企業の本音が垣間見えるケースと言える。他にもブランドという体面は維持しながら、本音では売上げ重視を道を進んでいる顕著な例がある。パルコだ。同社が2017年2月期までの中期経営計画で掲げた事業戦略には「主要都市部での深耕」があるが、その戦術としての「都心旗艦店舗と周辺の開発推進」は、まさに売上げ重視を意図するものと言える。

 平たく言えば、店舗が古く情報発信機能が鈍化した渋谷パルコの建替えと、浦和や津田沼などの地方店のテコ入れを進めることと言える。渋谷店は日本で一番の尖った店として今後どんなテナントリーシングで、どんな情報発信機能を有していくのか。ファッション、服離れが深刻な中でいちばんの課題と言えば課題だ。一方、地方店は『ご当地初」などの冠を付けられるテナントが集めやすく、比較的リーシングは容易である。 牧山浩三社長が言う「若い感性を持つ人のスキルや力を活用した」福岡パルコ新館は別にしても、地方店では足下商圏にあったテナントを入れて収益を稼ぎ、それを原資に渋谷店に投資してチャレンジすると考えれば、戦略としてはわかりやすい。

 その証拠に浦和パルコや津田沼パルコのテナントを見ると、グローバルワークあり、ザラあり、カルディコーヒーファームあり、TKあり、ニコアンドありと、収益を稼げるテナントが目白押しだ。駅ビル系セレクト&ヤングブランドを除けば、郊外のリージョナルSCと、テナントは顔ぶれはほぼ共通する。戦略で謳う「主要都市部での深耕」とは、「RSCまでお客を行かせない」とも解釈できるのだ。

 とすれば、2012年にマーケットを賑わせたイオンによる敵対的買収の阻止は何だったのか。パルコは都市型ファッションビルとしてのブランドバリュを維持するために百貨店系のJフロント傘下入りしておきながら、売上げ伸張のためのマスマーケット攻略ではイオンと競合する。まあ、大株主のJフロントは脱百貨店を公言しており、パルコのビジネスモデルを喉から手が出るほど欲しかったわけだ。また、収益アップについてもシビアで、経営陣の交替すら容赦ないからわからないでもない。しかし、8.5%の株を所有するイオンとしては、ずいぶん舐められたものである。

 とどのつまり、ファッション販売に従事する全小売業、全てのデベロッパーがキラーコンテンツとなるブランド不足、混沌としたマーケットの中でパイの奪い合いを先鋭化させていると言える。そこではセレクトショップも量販店もファッションビルも無い。あるのは売れてなんぼ、利益がとれていくらである。ビームス+青山商事しかり、パルコの中のRSC系テナントしかり。仕掛ける側はブランドのロイヤルティ維持より、売上げという実を優先する。果たしてこうした経営判断の先にあるものとは成功なのか、失敗なのか。ここはアパレルがデベロッパーや小売りに振り回されるのではなく、本当に納得がいく商品をしっかり作る。そうした原点をじっくり注視していかなければならないと思う。
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三文イベントの陰に政争あり?

2016-07-06 07:20:29 | Weblog
 さる6月24日、東京ガールズコレクション(TGC)の実行委員会は、福岡県北九州市のホテルで昨年に続き「TGC KITAKYUSHU2016」を10月9日に、小倉北区の西日本総合展示場で開催すると発表した。会見には、出演を予定するモデルの他に北九州市の北橋健治市長、福岡県の小川洋知事も同席したが、この手のイベントが改めて行政とべったりで、公金頼みでしか収益が安定しないということを示すような会見だった。

 同日には福岡アジアファッション拠点推進会議も、オフィシャルサイトで来年の3月19日に開催する「福岡アジアコレクション(FACo)2017」の出展ブランド、デザイナーの募集を開始。要項には「福岡を拠点とするブランドと、FACoをプロモーションの場にしたいデザイナー」に参加を促す旨が記されているが、これまでのFACoを見る限りでは地場ブランド、デザイナーが増える様子は一向に見られない。

 FACo自体が終日近くダラダラ続くのだから、尺を埋めるためのNB(ナショナルブランド)もフリーパスで多数参加している。イベントプロデュースにあたるRKB毎日放送は、そうした姑息さに触れことはなく、福岡県をはじめ福岡市、福岡商工会議所からも多額の補助金をもらっているため、便宜上「福岡ブランド」を強調しているに過ぎない。実に白々しい限りである。

 ところで、北九州市がTGC KITAKYUSHU2016を支援するのは、別の見方もできる。大袈裟に言えば、北九州市と福岡市の対立、福岡県知事と北九州市長の政争である。俯瞰して見ると、両者の構図は先鋭化する。TGCに代表されるガールズコレクションは、モデル崩れのタレントなどを起用した「客寄せ興行」だ。代表的なものでは他に関西を拠点にする「神戸コレクション」がある。現在、TGCはキャラクター制作のディー・エル・イーが商標権を持ち、神戸コレクションはテレビ局のMBS毎日放送が主催者を成している。つまり、コレクションを謳っていても、アパレル、ファッション業界が主催するクリエーション発信の場ではないのだ。

 主催者側はそうしたビジネスフォーマットを「町おこしイベント」「賑わいの創出」として、全国の自治体に売り込んでいる。福岡でも2009年から福岡アジアコレクション/FACoが開催されているが、これも神戸コレクションを下敷きしたものだ。プロデュースするRKB毎日放送はMBS毎日放送の系列会社であり、広告収入に限りが見えているローカルテレビが、新たな収入確保のためにこの手のイベントを「事業」として指南されたと見れば、実にわかりやすい。

 そこでは自治体から公金を拠出させるために、「地元ファッション産業の振興」「情報発信」「人材育成」という公共事業としての大義が打ち出されている。福岡の場合は、2008年のスタート時は麻生渡知事が県の首長で、事業を推進する福岡アジアファッション拠点推進会議も県知事主導、福岡商工会議所が参画する形になっていた。こうした事業構造も神戸コレクションが前例なっている面を見れば、背景ではいろんなことが画策されていたようだが、コピー事業の詳細は(株)ぜんまいT社長のSNSを見れば、なるほどと思える箇所が随所に出てくる。福岡県と福岡商工会議所は事業開始から3年間はメーンの支援者として年2,000万円程度の資金援助したが、「その後は独自で事業化しろ」と、事業実行者であるRKB毎日放送に伝えていたのは、多くの関係者が語るところだ。

 ただ、ガールズコレクションは客寄せ興行だから、メーンの収入はチケット代になる。あとはスポンサーに頼るしかないが、これにも限界がある。RKB毎日放送として事業利益をひねり出すには自治体からの継続支援が欠かせないわけだ。そこで救いの神となったのがタレントの顔を持って福岡市長となった高島宗一郎である。就任後、福岡市の経済観光文化局の予算のうち、「コンテンツ関連産業の振興」費を使えるように、FACoの他、これもRKB毎日放送が事業実行者になった事業に、年2,000万円弱が振り向けられた。

 コンテンツとはいったい何か。コレクションと言っても客寄せ興行だから、「観光インフラ」の一つと位置づけたようである。ご当地タレントなんかと並んで、「福岡に集客するコンテンツ」とでも言いたいのだろう。まあ、こじ付けでしかないのがよくわかる。その証拠に福岡県では堂々とファッション産業の振興、 情報発信、人材育成を目的とした公共事業と位置づけて公金を拠出し、今も助成を継続している。それに対し、福岡市は全く別の目的で事業予算を出したということ。一つの事業なのに税金の使い途としては全く違うのである。

 言い換えれば、RKB毎日放送からすれば、縦割り行政をうまく活用して事業資金を確保できたのだから、高島市長誕生はまさに渡りに船だったと言える。まあ、FACoのスポンサーには福岡市の税収源である「福岡ボート」がついた年もあった。福岡市の事業だけで予算を確保するには限界があるから、高島市長が市の息がかかる公営ギャンブルの販促費を振り向けさせたと言っても不思議ではない。つまり、RKB毎日放送がやることは、どんな形でも行政から事業費を引き出す。それがFACoを自社事業として継続していくカギとなるわけだ。福岡県が事業の大儀、目的にした地場アパレルの振興、人材育成など全く眼中にないのがよくわかる。

 一方、こうした客寄せ興行が町おこしイベントとして行政のお墨付きを得ると、今度は自治体同士のせめぎ合いという構図も生まれてくる。それが北九州市がTGC KITAKYUSHU2016の開催を始めた理由と言えるだろう。福岡県が福岡市のFACoに対して予算的に一歩引いたとは言え、補助金を拠出し続けている点は変わらない。北九州市の北橋市長、市の関係者からすれば、福岡市ばかりが福岡県の恩恵を受けるのは面白くないはずである。

 それ以上に福岡県知事と北九州市長の間には二代に渡って同じ学閥出身者が就任するという対立軸がある。麻生渡前福岡県知事は京都大学卒、末吉興一前北九州市長は東京大学卒。現在の知事と市長も同じ大学出身なわけで、京大のライバルである東大卒の北橋市長が小川知事に噛み付かないわけがない。ソフトな言い方をすれば、「北九州市の町おこしイベントにも福岡県は支援すべきだ」と、言い出すのは想像に難くない。

 北橋市長は兵庫の甲陽学院高校から東京大学に進学。1986年に北九州市がメーン地盤の旧福岡2区から衆議院議員に出馬し当選した。当時の所属政党が民社党ということを考えれば、新日鉄労組などの支援を受けたわけで、東大エリートの中に一定層はいる社会主義思想の一人であるのは間違いない。一方、 小川県知事は名門の県立修猷館高校から京都大学に進学した。同世代の東大入学組には東京都知事を辞職した舛添要一、急逝した元法務大臣の鳩山邦夫など錚々たるメンバーがいる。時は70年安保闘争が盛んなりし頃で、小川県知事は東大が全共闘にジャックされている最中に受験を迎えた。そのため、政済界では東大を避けたのではと目されているほどだ。

 だから、革新系の北橋市長が保守系の小川県知事と真っ向対峙しているかはわからないが、東大卒の北橋市長からすれば自分が年下でも学歴は上だと、首長の力を誇示したい気持ちは無きにしもあらずだ。結果、「福岡市で開催されるFACoが3月の開催なら、北九州市のTGCは10月に開く。春夏、秋冬とイベントが重ならないから町おこし、集客などで競合せず文句はないはず。北九州市にも県から補助金を拠出してほしい」。両者の間でこうした談合、いや密約が交わされたと言っても不思議ではない。でなければ、わざわざ北橋市長と小川知事がTGC KITAKYUSHUの記者発表に同席する必要はない。両名がカメラの前で並立したという点から、メディアも何らかの手打ちがあったと推察していると思う。

 もっとも、FACoとTGC北九州の分離開催には続きがある。FACoの元になっている神戸コレクションと本家の東京ガールズコレクションの提携話があることだ。神戸コレクションを主催するMBS大阪毎日放送は、「神戸コレクションは、関東では『東京ランウェイ』という同様のイベントを企画してきたが、同様のファッションイベントが同じ地域でいくつもあることに、非効率を感じるようになり、互いの力を結集させれば、ビジネス含め、更に新しい展開ができるのでは考えた」と、企画提携の理由を語っている。



 これはFACoと言おうが、TGC北九州と付こうがイベント内容はほとんど変わらないと、主催者が認めたようなものだ。両者が春夏、秋冬開催に分かれたのは、単に出展、登場する商品のシーズンで分けたと言うこともできる。そこで問題となるの当事者の利害だ。TGC北九州はTGCをそのまま持ってくるだけだから、北九州市の関係者がプロデュースする立場ではない。しかし、FACoは違う。RKB毎日放送の収益事業になっている。冠につく「福岡アジア」は行政から公金拠出を受けるための手段で、本家の神戸コレクションがTGCと企画提携しても、自分たちの利権を守るために是が非でも、名前は残したいはず。だからこそ、福岡アジアファッション拠点推進会議のサイトで「福岡を拠点とするブランドと、FACoをプロモーションの場にしたいデザイナー」に参加を呼びかけているのである。

 地場からアパレルやデザイナーの参加者がなくNBだけで開催すれば、福岡アジアの冠は意味を持たない。行政は補助金を減額することも考えられる。RKB毎日放送としてはそれは何としても避けなければならないわけだ。問題は他にもある。FACoはTGCを始動させたゼイヴェル運営の通販サイトを真似て、楽天市場にオフィシャルショッピングサイト「MODEL STREET」を出店し、外部企業に運営委託している。サイトを運営する企業は地場でTGCなどに出展するNBの通販を一手に手掛ける某社で、 MODEL STREETで販売する地場ブランドは、リンクイットの「ブージュ・ルード」くらいしかない。



 アパレルメーカーは卸売りが基本なので、商品は小売店を通じて販売される。業界の不文律からしてSPA化しない限りは直販できない。しかし、昨年度のFACoに出展した地場ブランドはたった5社6ブランド。そのうちSPA化して小売り機能を持っているのは、レディスハトヤが出かけるラトカーレ、サリアくらいだ。O'sps.Creativeのプリパルプリは、独自のプリーツ技術を生かした商品を販売している。だが、母体のOEMメーカーオザキプリーツはスタッフの給料遅配があるなど厳しい経営環境にあり、他社サイトまでの商品供給には疑問符がつく。ロイヤルチエはファー系のプレタブランドなので、MODEL STREETの客層とターゲットが違いすぎる。小売り機能がなければ単なるPRしかできないのは当然だが、他はすべてNBが顔を揃える中で卸が地場ブランドとして情報発信することに何の意味があるのか。しかも「15万円もの費用を負担しろ」というのだから、唖然とする。

 いったいMODEL STREETがどれほどのアクセス率があり、コンバージョンレートはどれくらいなのか。そうした媒体資料さえ公開していないのだから、サイトの価値はたかが知れているだろう。運営会社にとっては自社サイトが主力だから、MODEL STREETはプラスαくらいにしか思っていないと思う。第一、MODEL STREETのアップされているブランドのほとんどが自社の通販サイトを持っており、イベントの来場者以外がわざわざアクセスして、購入する理由などない。ブランドのファンならなおさらだろう。地元ファッションなどMODEL STREETでは埋没してしまいかねず、ファッション情報の発信力などほとんどないと見る方が妥当だ。

 RKB毎日放送を含めた利害関係者は、FACo事業に福岡県や福岡市、福岡商工会議所から毎年数千万円もの公金を拠出してもらいながら、委託先企業がサイトを運営しているとは言え、FACoは地場のアパレルからは堂々と出店料をせしめようとする。本来は資金力に乏しいアパレル関係企業を支援するために税金が事業に投入されたはずである。オザキプリーツはその典型だろう。

 福岡市が予算拠出する「コンテンツ事業」を見ても、いつのまにか利害関係者によって都合の良いように事業がねじ曲げられているのがよくわかる。まあ、来年のFACoにどれほどの地場アパレルが出展し、フリーのデザイナーが賛同するのか。昨年の参加デザイナー8名のうち2名ほどは北九州市で活動する人間だった。この両名がTGC北九州に参加すれば、秋冬とは言えFACo、TGCの関係が問われることになる。あの企画運営委員長はFACoとTGCの「連携」を口にするかもしれないが、これこそご都合主義でFACoに中身がないことを言っているようなもの。ファッション業界から失笑を買うのはいうまでもない。
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ライセンスで回復は難しい。

2016-06-29 07:31:44 | Weblog
 三陽商会が2016年6月中間期の純損益見通しを15億円の赤字に下方修正した。昨年6月にバーバリー社との契約が切れたため、同年12月期決算では売上高が12%減の974億円、 純利益も対前期比59%減の25億円まで落ち込んだ。本年度も売上げ回復の道筋は立たないようで、立て直しのために全従業員の2割弱にあたる約250人の早期退職者を募集する。さらに複数ブランドの廃止も打ち出すというから、バーバリーを失った後遺症は経営陣の思惑を超える深刻な状況と言えそうだ。

 そもそも、三陽商会はバーバリーを失うことで、売上げ減になるのは想定済みだった。それを少しでも緩和しようと、英国のマッキントッシュ社とライセンス契約を結んで昨年秋には「マッキントッシュ ロンドン」を立ち上げ、主軸ブランドに位置付けた。またバーバリーのセカンドラインでも、新デザイナーに三原康裕氏を起用しヤングレディス向けのブルーレーベルを「ブルーレーベル・クレストブリッジ」に、メンズのブラックレーベルを「ブラックレーベル・クレストブリッジ」に転換した。その他、マッキントッシュフィロソフィー、ポール・スチュアート、エポカなど、7ブランドを基幹ブランドと位置づけて育成・強化するなど、矢継ぎ早に対策を打っていた。

 しかし、実際にはバーバリーの穴を埋めるどころか、すべてが輪をかけて凋落の一途を辿りそうな様相である。根本原因はいったい何か。やはりアパレルブランドのライセンスビジネスが時代、マーケットに合わなくなっているのではないか。マッキントッシュフィロソフィー、ポール・スチュアート然りである。経営陣は「百貨店との取引を継続すれば、ある程度売場を維持できる。あとはブランドさえ確保すれば、バーバリーファンの受け皿にはデザインをそのまま踏襲し、ライセンス生産でも十分行けるだろう」との目論見ではなかったかと思う。だが、中間決算をみる限り、あまりにお客を甘く見ていたことになる。

 なぜなら、ブランドライセンスという手法がすでに前近代的だからだ。バーバリー社が三陽商会との契約を解消したのは、「本物」を本社直轄でグローバルに展開し、ブランドバリュを確固としたものにしたいからである。その意味では、ライセンスは本国からすれば邪道であり、ブランド価値を下げる意外の何ものでもないのである。

 そもそも、ブランドのライセンスビジネスがなぜ生まれたか。発展途上にあるアパレルブランドがグローバル展開を試みる上では、店舗展開や広告投資など莫大な資金を要する。またサイズや志向の違いなどで各国、各人にきめ細かく対応することは難しい。だから、地域別で市場を知るアパレルや商社とライセンス契約を結び、ライセンシーにはその市場にあったブランドに焼き直させたのである。こうして本国のブランド側はライセンサーとしてロイヤルティを徴収して資金が潤沢になり、ビジネス展開が容易になるのと並行してブランドの知名度を世界中に浸透させていったのである。当時はお客の側にしてもブランド品に手が届くのなら、ライセンスでも構わなかったのだ。日本におけるバーバリーはその典型だろう。

 ところが、ブランド側が名実ともに実力をつけ、ビジネス展開に必要な資金を証券市場から調達し、コングロマリット化するようになると、ロイヤルティでちまちま稼ぐ必要は無くなる。グローバル戦略をしっかり構築し、商品政策から店づくり、広告展開まで一括して行った方が効率が良いし、何よりブランドバリュは上がっていく。特に市場、お客が成熟した地域では、何よりそうした戦略が有効になってきた。要はお客がカネを持てば、皆が「本物」を求めるようになるから、ライセンスなど必要ないのだ。

 マッキントッシュは真逆のケースを辿ったのである。このブランドはもともとアパレル商社の八木通商がインポート商品として開拓し、専門店、いわゆるセレクトショップと一緒になって日本市場に浸透させた。販売拠点がセレクトショップだから、売り方は百貨店とは全く異なる。代表的なゴム引きのコートは価格が20数万円もする。確かにクオリティは高いが、単品そのままでは売りづらい。だから、バイヤーはキーアイテムに位置付けながら、別ブランドのインナーのニットやボトムのパンツ、ブーツまでコーディネートすることで、アイテムそのもの良さを際立たせたのである。これは単品組み合わせの編集力をもつセレクトショップだから、成せる技だったのである。

 つまり、マッキントッシュが日本市場で売れ、浸透したのはこうしたセレクトショップ、バイヤーの地道な努力があったからだ。現在ではこうした市場もすでに成熟し、リピーターは親から子に移っている。コアなマッキントッシュのファンからすれば、マッキントッシュはインポートであって、ライセンスではないのである。コートはマッキントッシュロンドンが発売されるはるか前に某SPAによってコピーされた商品が出回り、こちらも一定のボリューム市場はつかんでいた。だから、なおさら「本物」の価値は際立ったと言える。

 三陽商会はこうしたマッキントッシュが売れた背景を細かく把握することなく、単にブランドネームが浸透したことだけに着目したのではないか。「うちのコート縫製の能力、販路としての百貨店ルートがあれば、ライセンスでも十分行けるだろう」と踏んだのだと思う。マッキントッシュ社がライセンス契約に応じたのは、日本の八木通商が経営権を握っているからに過ぎない。同社にとってはロイヤルティが入ればいいからである。

 しかし、ふたを開けてみると違った。バーバリーの顧客はライセンスでもバーバリーを好んだ。ところが、トレンチやステンカラーのデザインをコピーし、マッキントッシュで焼き直したところで、ロンドンはバーバリーではないから、バーバリーファンは簡単にはなびかない。逆にマッキントッシュのファンからすれば、ロンドンのコートは紛い物でしかないのである。

 もっとも、バーバリーはライセンスと言っても、アイテムはポロシャツ、子供服までに広がって一定のマーケットを作り上げ、売りやすい方向ではあったと思う。ワンポイントマークもブランド好きな中国人の爆買いを誘ったわけだから、契約解消前には駆け込み需要となったのは当然のことだ。しかし、それは伝統あるブランドの力があればこそだ。コアなファン以外知らないマッキントッシュになると、百貨店を拠点にしたところで、成熟した日本の市場を簡単に開拓できるとは思えない。

 ましてマッキントッシュロンドンがバーバリー同様にアイテムの裾野を広げたところで、こうしたMD戦略は従来通りのやり方で目新しさは感じない。アパレルお得意の効率主義が裏目に出てしまったということでもある。それはマッキントッシュフィロソフィー、ポールスチュアートにも言えることではないか。フィロソフィーは本家マッキントッシュとは全く異質なものだから、ショップやコーナーだけで完結してしまって新規客は呼び込めないし、ポールスチュアートもファンが歳をとればブランド離れしていく。

 マッキントッシュのコアなファンとライセンスであるマッキントッシュロンドンの客層は異なる。これは八木通商も三陽商会の承知の上で、スタートしたはずである。ただ、ロンドンが苦戦しているのは、ライセンスという中間層を攻略して来たビジネス手法がすでに通用しなくなった面もあるだろう。時代、市場の変化を三陽商会の経営陣は見間違ったのだ。同社を良く知る人の話では、経営の実権をプロパーの人間に代わり商社出向組が握っていることもあるそうだ。ゼロからもの作りを行うアパレルではなく、でき上がったものを買い付けて卸すだけのノウハウしかなければ、ブランドもアイテムもあり溢れている今のマーケット攻略では非常に厳しいのはわかる気もする。

 他のブランドにしても、メーン販路は百貨店のハコだ。店づくりはフラットで、品揃えもセレクトショップのように奥行きがない。トップスからボトムスまで揃っていても、単品がハンギングか、たたみで展開されるだけで、編集力からしても今の嗜好には合致しない。それが若い客層を呼べない根本的な要因だろう。 商品力のカギとなる素材や縫製についても、原価率の圧縮から低下は否めない。大人の洋服好きから見れば、いい加減辟易している。もし、マッキントッシュファンがロンドンのコートを見ると、一目でクオリティの低劣を見抜くはずだ。それほどお客の目は肥えているのである。

 三陽商会はコートづくりでは歴史もあるし、独自の縫製ノウハウをもつ。ならば、これを生かして独自の企画でブランドを作るか、デザイナーにノウハウを提供してコラボレーションに注力すべきではないか。その意味で、クレストブリッジは実験的な取り組みなのだろうが、バーバリーセカンドレーベルの受け皿にするには、あまりに無謀すぎる。メーンターゲットの若者はカネを持たないから価格的に手が出ず、逆にカネに余裕のある大人からすればデザインが若すぎで安っぽい。バーバリーのセカンドレーベルが軌道に乗ったのは、バーバリーチェックというデザインアイコンとブランドバリュの浸透があったからだ。業界人以外はほとんどその名を知らない三原康裕氏には、あまりに荷が重すぎるのである。

 どちらにしても、売上げ回復が図られなければ、リストラは今後も続くはずである。そして百貨店アパレルの一角としての存在すら危うくなっていくかもしれない。

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垂直連携のバリエーションを増やそう。

2016-06-25 15:22:30 | Weblog
 「ファッション業界の再建のカギは、産地?クリエーター?それとも若者?」について、コメントしてみたい。

 先日、経産省の施策についてのコラムでも多少触れたが、筆者はファッション業界再建のカギは産地、クリエーター、若者といった断片的なものではないと考える。

 業界は川上の産地から川中のアパレル、川下の小売りまでが上手く機能して成り立って来た。ところが、景気低迷による消費不振やグローバル競争の影響を最初に受けるのは小売りだ。そんな小売りが売上げ不振で喘げば、仕入れ先であるアパレル卸にも波及する。さらに卸が利益をとれなくなると、影響は製造現場にまで及んでいく。このようなバーチカルなビジネス構図を考えると、どこか一端だけが革新し覚醒すれば、ことは解決するものでもなさそうだ。

 そもそも、ファッション業界がここまで衰退したのは、景気低迷や競争激化もあるが、それを根本原因にして皆がリスクを取らなくなったこともあるのではないか。例えば、小売りの代表格である百貨店は、デフレで低価格な商品が売れなくなっても、粗利益だけは確保したいからアパレルに歩率の積み上げを要求した。

 もともと、委託販売や消化仕入れでリスクを取らない商売を長年やって来ておきながら、売上げが低迷すれば取引業者に高圧的な態度で臨む。また販売管理費を下げるために人時配置を見直すLSP(レイバー・スケジューリング・プログラム)などを取り入れたものの、結局、売上げはメーカー派遣社員の販売力に左右される。収益回復はそんな簡単ではないとわかると、数字の論理に走らざるをえないのだ。あまりに虫が良すぎると言わざるを得ない。

 取引するアパレルとて、百貨店に要求されると、業者の立場から飲まざるを得ない。だが、今度はそのしわ寄せが素資材メーカーや下請けの縫製業者にかかっていく。大元が作った大きなツケを末端の弱い事業者が背負わされているだけで、誰かが責任を放棄しているだけに過ぎない。こんな不条理なことはないだろう。

 元来、日本のファッション業界は各事業者がもつ専門性のもとで仕事をし、それ以外のカテゴリーには乗り出さずにやってきた。皆があまりに良い時代を知っているだけに、良く言えば餅屋は餅屋に徹する、悪く言えばガラパゴス化していたのである。ところが、時代が移ろい、環境が変われば、嫌が上でも皆に自己変革を求められる。ただ、各自がバラバラのベクトルで変わろうとしても、実効性はないと思う。

 だから、川上から川下までの事業者が変革について一つの方向性を共有化し、パートナーシップを組んで(膝を突き合わせて)取り組まなければならないのではないか。そのヒントはマーケットにあると思う。業界が衰退し始めた根本原因は、皆が右に倣えしたことだ。同じシステムのもとで、同じようなテイスト、同じ価格帯の商品を販売すれば、競争は激しくなるし、価格は下がっていく。何より商品が同質化、陳腐化すれば、客離れが進む。

 であれば、今の市場にないような商品、お客を惹き付ける商品とは何かを考え、皆で作り出し、マーケットを開拓しなければならないということである。テイストや価格帯が似通ってきたことの反省に立てば、解決の糸口はテキスタイルなのか。素材感なのか。それともデザインなのか。それらすべてが関係する企画なのか、である。

 デザイン感性が若くても価格が高いと若者には手が出ない。でも、お金に余裕がある大人からずれば、デザインが若すぎると買うのに二の足を踏む。かといって野暮ったい従来のデザインでは物足りない。つまり、企画によって生み出される商品価値と価格とのバランスを見直すことではないか。考えられるケースをパズルのように組み合わせて検討してみる。それが企画であり、出て来た答えを具現化するのがクリエイティビティであるはずだ。

 筆者はDC世代の人間だが、当時から奇抜なデザインを好んだわけではない。テキスタイルがもつ可能性を最大限に生かしたデザイン。素材の持ち味を最大限に引き出すパターンが良かったから、というか店頭で見た時にそれらを瞬時に感じられたからこそ、好んで着て来たのである。ところが、今のマーケットを見ると、往年のデザインや素材感で培われた大人の感性にフィットする商品がほとんどない。あれだけ百貨店がブランドを入れ替え、SCが開発され、駅ビルがリニューアルしようともだ。これだけ客離れが起きていることを考えると、筆者だけが特別なのではないと思う。
 
 別に毎日、毎月、服を買うわけではない。1シーズンにコレってアイテムを1着買えば良い方だ。それだけなのに、そうしたウォンツにさえ応えてくれるアイテムがほとんど見当たらない。特にメンズファッションを見ていると、彼女や奥さん、娘さんはお洒落でいてほしいのだろうが、それを演出するアイテムのバリエーションがあまりに少なすぎる。もう少しテイスト、価格帯、そしてグレードを広げてもいいのではないか。その辺に閉塞した業界が再建するヒントがあるのではないかと思う。

 ファッション全体にも言えることだが、マーケットを冷静に分析して、どんなテイスト、どんな価格、どんな素材、どんなデザイン、どんなグレードが必要なのか。それに基づいて、川下から川上までがひとつのサプライチェーンを構成し同じ企画軸でもの作りを考えていく。同じベクトルの企画軸により川下のターゲット設定、川中にある与信力、川上がもつ技術や特性で垂直連携を組めば、いくつかのサプライチェーンが生まれるはずだ。それがバリエーションになっていくし、個性になるのではないか。そうすることで、お互いが自らの仕事の範囲内で、「責任」と「リスク」を分け合う。自らのカテゴリーで生じたツケは決して他社に負わせない。互いが切磋琢磨することで、業界全体に抵抗力がついていくと思う。真の意味の「協業」であって、強いと思い込むところが無理強いする「強要」ではない。

 少なくとも、こうしたビジネスモデルがよりブラッシュアップされることで、中間業者が入る余地がなくなるかもしれない。無駄なコストがカットされれば、仕事量にそった利益が責任とリスクをもつところに配分されていく。 個人的には原価率を45%程度までにあげていけば、今の市場にないクオリティと感度の量産服が生まれるのではないかと考える。体力がつけば、最初は点でしかない市場でも、それを線にし、さらに面へと広げることができるかもしれない。

 当然、資金力に限界があるだろうから、どこをセーブし、どこでリスクを取るのか。派手なイベント仕掛ける。広告に金をかける。展示会や地道な営業にマンパワーを割く。とにかく実店舗を出す。店はビルインか、路面にする。キャリーバックや包装資材の質は落とさない。これらは原材料や縫製、企画デザイン以外では当たり前のことだったが、どこかを削ぎ落として服づくりそのものの、素材や縫製、仕様にコストをさかなければ、変革はないと思う。すっかり陳腐化してしまった言葉だが、真の意味で選択と集中で個性を際出させないと「変わったな」と思えないのではないか。

 今までは一人で一つの仕事で済んだだろうが、特殊性がない部分では2つ3つは掛け持ちしないといけないかもしれない。例えば、企画担当者ができる範囲で営業に参画するとか。労務管理の問題も絡んでくるので難しいことは十分承知だ。

 最近、ファクトリーダイレクトSPAというシステムに注目が集まっている。アパレルメーカーを抜きにしてダイレクトに卸、小売りに取り組むものだ。一見すれば、産地や職人の技に注目する画期的な仕組みとしてメディアも礼賛しているが、それはアパレルメーカー分の利益がカットされるだけで、営業費や配送、売れ残りロスを考えると、工場出荷の原価は小売価格の33〜35%に抑える必要があるとの意見もある。確かに地方発を謳っても、銀座にショールームを設けてたんでは相当なコストがかかるのは当たり前だ。

 つまり、どこかをセーブし、カットし、リスクを取らないと、原価率は上がらないし、商品の魅力もアップしない。最初はキツいかもしれないし、我慢もしなけれなならない。となると体力とやる気がある若手(若者という意味ではない)がチャレンジする価値はあるだろう。ただ、経験がある大人が人任せにしていいわけがない。従来のビジネスフローにメスを入れ、コスト管理というか精査を行って、クオリティの高い商品づくりに取り組まなければならない。キツいことは十分承知だが、「いい商品だね」と言われるためにもやらないと変わらないのだ。
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製造卸の福音となるか。

2016-06-22 07:27:18 | Weblog
 先週の金曜日、読売新聞のネット版が「アパレル業界の不合理な商慣習、改善を」との見出しで、経済産業省の「業界救済策」?について報道した。

 「衣料品の国内市場が縮小する中で過剰な供給と安売りが続き、産業が衰退する懸念がある」ため、「アパレル業界に見られる不合理な商慣習を批判し、経営の改善を促す」もので、6月17日には報告書で課題を示し、(業界に)対処するよう注文をつけるという。

 6月も後半に入り、夏のバーゲン開始を見計らったようなタイミングだ。セールの後ろ倒しも定着したのか、意味をなさないのか、今年は話題にも上がらない。ただ、実店舗にWEBサイトが加わる商品の供給過剰で、安売り(低価格)は常態化している。それが更なるコスト削減の圧力を生み、アパレルの設備投資や人材育成への投資を停滞させ、商品の陳腐化による客離れを引き起こしているのは、紛れもない事実だ。
 
 単純に日本の市場規模を考えても、オーバーストア、在庫過多は否めない。そこでは経済原理が働くから、価格は下がっていく。加えて海外生産や流通の効率化、情報整備などのイノベーションが進み、中間コストは削減されて値ごろな商品が次々と生まれている。消費者とってそこそこお洒落な商品が低価格で出回れば、飛びつくのはいうまでもない。そこまでは良かったのである。

 ところが、ビジネスの宿命として、収益があがるモデルには皆が「右へ倣え」する。結果、競合が増えて競争が激化。川下の小売りが利益確保に走るあまりに、その分のしわ寄せはアパレルの原価圧縮、さらに製造業者の工賃値下げを強いていったのだ。

 とどのつまり、こうした不毛なビジネス競争を変えていかなければ、産地もメーカーも小売りも消耗していくばかりである。ただ、霞ヶ関という中央省庁の「声明」に対し、業界からは「ここまで衰退すれば、カンフル剤にもならない」「百貨店は委託販売の是正が求められると潰れるところも出てくるのでは」と、冷めた意見も聞かれる。

 でも、医学界ですら、カンフル剤の効果を求める対症療法では、根本治療にはなりえないのは承知の上だ。また病気の症状は自分を守るために体自身が発しているもの。人の体は一部の治療して済むものではなく、食生活、生活習慣、環境、 メンタルヘルスまでの総合ケアがあって健康を維持できるのである。

 ファッション業界も然り。「産地や職人を救う」「百貨店の委託販売を無くす」「コスト管理を明確にする」などの断片的なものではなく、業界構造を俯瞰で見て、川下から川上までのすべての段階にある問題点に切り込み、どこから手を付けていくか。こうしたことは我々のような利害が関係してミクロでしか考えられない人間より、業界をマクロで捉える能力をもつ東大出の官僚さんの方が適任かもしれないと、筆者は思う。

 ただ、経済産業省が公権力の行使として、ファッション産業に携わる企業、団体に対し、委託販売や消化仕入れ、発注商品の買い取り拒否などの商慣習について是正するには、「法令」に基づかなければならない。つまり、それらを現実のものとするには、法に明らかに抵触していることが条件で、グレーゾーンなら新たな法整備や法改正、それを補う省令が必要になる。

 衰退の歯止めが待ったなしという点では、法律や省令に基づかない行政指導という手段もあるが、これとてどこまで実効性があるか懐疑的だ。ここからは少し専門的な話になる。筆者が大学時代に学んだ行政法、行政手続きの解釈、フローとして、どのケースが何に該当するのかを考えてみたい。

 現状、ファッション業界が取引上で関係する行政法規は、独占禁止法の「私的独占」や「不当な取引制限」「不公正な取引方法」の「禁止」である。また「不当表示防止法」だろうか。私的独占とはまさにマーケットを独占的に支配して他を排除する行為だ。不当廉売はその代表的なものではないか。商品を著しく安く販売することを指すが、これだけデフレが浸透すると、どこからが不当廉売に当たるのかの判断は難しい。

 例えば、大阪のバッタ屋のように元値がわかるブランドをタグを切り取ったとは言え、90%オフと認識できるような価格で売れば「廉売」には当てはまるだろう。だが、価格設定は小売りが自由に決められるわけで、私的独占として違法となるのは同じエリア内でかたやプロパーで販売している店舗の営業の継続を困難させるような場合だ。つまり、地域に溶け込んでいるバッタ屋なら、「不当」には当たらないのである。

 バッタ屋はどこからか商品を仕入れているわけで、間に卸業者が介在する場合もある。倒産したメーカーや問屋が在庫処分に窮している時、バッタ屋や卸業者が買値を叩いて安くさせる場合があるかもしれない。この場合もバッタ屋や卸業者が優越的地位(在庫処分の事業者より強い立場)にないと法規制には抵触しない。売る方と買う方がフィフティフィフティ、ウインウインの関係なら何ら問題はないのだ。第一、大阪のオバちゃんは「安く買えるから、ええやないか」と、公正な取引なんて眼中にないはずである。

 不公正な取引は低価格業態に限ってではなく、プロパー販売の現場でも行われているかもしれない。これが百貨店のケースだ。バブル崩壊以降、売上げダウンに直面した百貨店は、減少分を荒利益をかさ上げして埋めようと、取引先の百貨店系アパレルに歩率の積み上げを要求した。そこでは歩率が1994年から2002年まで8%程度も高騰したと聞く。こうしたケースが不公正な取引(公正な取引とは価格、品質による競争を意味するから、それを阻害する行為はグレーゾーン)とは言えないまでも、今回の是正の対象にはなるかもしれない。

 現に百貨店系アパレルはそのコストを吸収するため、この間には原価率を平均で33%から25%まで低下させたと言われている。当然、アパレルは自社の利益を確保しなければやっていけないので、下請けには素資材のコストダウン、工賃値下げの圧力がかかったわけだ。百貨店が自店の利益を確保するために、その影響が下請けにまで波及したのだから、お役所が法律に基づく是正や行政指導に動くのは当然と言えば当然と言える。

 アウトレット場合はどうだろうか。施設数が増えたことで、売れ残り在庫や廃番商品、B級品が確保できずに「アウトレット専用品」が堂々と売られている。だが、POPなどでその旨を告知していれば、レアなブランドのオフプライスと誤認させるような「不当表示」には当たらない。

 でも、問題はそこではない。リテイルアウトレットを展開するような大手セレクトショップがアウトレット専用品の販売で粗利益を確保するがために、アパレルや商社に商品の卸値を下げさせるケースだ。それが縫製工場にまで遡って値下げ圧力となっているのなら問題だろう。アパレル、産地、工場に負担を強いているのなら百貨店のケースと同じく、是正しなければならない。経済産業省にとっては、これらが法改正や省令、行政指導で取り組むべき要諦と言えそうだ。

 一方、メーカーが展開するファクトリーアウトレットについても、そのメーカーのブランドを売っているFC店やセレクトショップ(仕入れ専門店)、いわゆるプロパー業態の営業の継続を困難にさせるようでは問題だ。

 アウトレットとは安売りが目的ではなく、在庫品をいかに消化して現金化、いわゆるキャッシュフローを進めるかのものだ。だから、アパレルメーカーがファクトリーアウトレットをプロパー店と近接させれば、直営店はもとより、仕入れて販売する小売店といった正価販売に影響が出ないとも限らない。そこで、欧米では50マイルや70マイル規制(80km〜100km圏)を設けてきて、両業態を近接させず競争を防止する施策を打ってきた。今でも最大50kmは距離を置くのが成立のカギと言われる。

 米国ならマンハッタンからバスで1時間以上の郊外、イタリアならミラノから遠く離れたアルプス山中というような場所にアウトレットは存在する。でも、国土が狭い日本だと東京からアウトレットを遠ざけても、今度は静岡や長野にあるプロパー業態がじわりと影響を受けてしまう。カニバリゼーションにならないとも限らないわけだ。

 そもそも、なぜ日本でアウトレットモール、そしてショッピングセンターが増えていったのか。それは円高是正=外圧による内需拡大、国内市場の開放がある。また規制緩和に端を発した定期借家契約導入で出店の初期投資が下落したこと。さらに大規模小売店改正に伴い郊外店が開発ラッシュとなったことだ。

 アウトレットに限って言えば、「独占禁止法の運用強化」がある。これによりメーカーは小売店に小売価格の統制ができなくなった(販売価格は小売りが自由に決めて良い)。 独禁法ガイドラインは、メーカーの価格規制のすべてを禁じており、小売店の不当返品も禁止している。だから、在庫が思うようにはけずダブつけば、メーカーも小売りもそれを消化せざるをえなくなるのだ。

 デベロッパーも器を作れば、テナントを埋めなければならない。アパレルメーカーにはとっては出店依頼を受けても、都市部のプロパー店と競合できないことから、低価格、低付加価値の業態の開発、出店に行きつく。専用品を販売するアウトレットもその一つだ。それでも、器が増えると当然業者間の競争に陥るわけで、結果的に自ら収益構造を狂わせしまったのではないかということである。

 またアパレル商社が輸入し、大手セレクトショップが販売したパンツが「ルーマニア製」だったにも関わらず、「イタリア製」と表示したことが「原産国の不当表示」に当たるとして、商社1社並びにセレクトショップ5社に公正取引委員会から「排除命令」が出された。公正取引委員会は日本繊維輸入組合に対しても、傘下組合員が同様な行為を行わないように「表示の適性化」について要望を出したことは記憶に新しい。

 しかし、その後もセレクトショップの1社は「ウール製」のマウラーを「カシミア」と偽って販売している。この手の「虚偽」「偽装」が続いているわけで、行政庁の命令や指導程度で本当に効果があるのかと疑いたくなる。もしかしたら、売場ではスタッフが「この商品はバイヤーがロンドンで作られたものを買い付けてきました」と言いながら、本当は商社丸投げのアジア生産だったりするのかもしれない。

 あくまで行政法の範疇だから、強行法規のような処罰とまではいかない。しかし、価格競争が激化しているからこそ、「自店の商品をいかにも価値があるように見せかける」わけだ。そこでは安売りだけでなく、不正行為が堂々と行われていたということになる。お役所の実態調査だけでは限界があるし、内部告発をしやすい環境づくりも不可欠と思う。やはりきちんと強行法規を法制化するなり、現行の刑事罰を適用するなどの対応に踏み出さないと、事業者には堪えないのかもしれない。

 しかしながら、法整備に踏み出せば、規制緩和や族議員と衝突することになる。「価格を下げて販売する」ことが常態化した一つの要因は、大店法の改正という規制緩和によって低価格業態の出店が容易になり、オーバストアで競争が激化したことがある。つまり、それを是正するには、アウトレットモールやショッピングセンターといった大型店の出店を抑えることも必要になってくる。

 となると、デベロッパーや建設会社を票田とする建設族の国会議員さんが黙っていないだろう。「規制緩和というアベノミクスに逆行する行為だ」「何のための大店法改正だったのか」と、経済産業省を吊るし上げるかもしれない。御殿場、鳥栖などプレミアアウトレットを運営する三菱地所・サイモン(旧チェルシー)には、米国資本が入っているので、「市場開放に逆行する」と再び外圧がかかることも予測される。
 
 そもそも大型店の出店を規制する「大規模小売店法」が制定されたのは、中小零細の個人商店や商店街を守るためだ。1960年代、米国では郊外で次々と大型店が開発され始めた。日本でもダイエーが安売りのスーパーを出店した。これらが日本に上陸したり、多店舗化したりするのを予測した当時の通産(通商産業省、今の経済産業省)官僚は、個人商店や駅前の商店街はひとたまりもないと、思ったはずである。そして、自民党の「商工族」に働きかけて、大規模小売店法を成立させ、規制を強化したのである。

 つまり、法律とは何か、規制とはどうして生まれるか、である。それはその時々の「弱者」を保護するためだ。独占禁止法は弱い立場の小売業者、競争力に乏しい問屋、メーカーを保護し、大規模小売店法は個人商店や商店街を守ったのだ。でも、そうした事業構図は時代とともに変わっていく。一方で、日本は米国のようにメーカーと小売りというシンプルな流通構造にはなってない。地方ごとに産地があり、産地卸があり、仲買人がいて、小売りがいるという具合に複雑だ。また、商品を購入しても、すべて現金払いというわけではなく、掛け売りというシステムも存在した。

 そうした中で百貨店が商品を買い取らず委託で販売する「商慣習」も醸成されたいったのである。良く言えばそうした不文律の中で、メーカーも問屋も小売りも儲かる共存共栄が育まれていったのだ。

 景気が良い時代には、アパレルメーカーが卸先の商店主や百貨店関係者を海外旅行に招待したり、ゴルフ接待でもてなしていた。それだけ経費をかけても有り余る収益が上がったからだ。受ける側もそれが規制による保護であることを忘れ、自店の力だと錯覚していた。駅前商店街や百貨店はじっとしていてもお客さんが買い物に来てくれ、自ら商売に注力しなくてもフランチャイズや歩率家賃でも、十分に食べていけたのである。

 しかし、時代が移れば、環境も変化する。グローバル化で競争が国境を超えて進み、大型店や新業態、画期的な流通システムが登場すれば、お客の購買意識や消費行動に現れる。そうして中小零細の商店や商店街はジリ貧になり、百貨店は低迷するようになって行った。言ってみれば、商業という川下の低迷、不振が川中のアパレル、川上の産地、工場にまで波及し、日本のファッション産業全体が空洞化し、構造不況に陥ったとも言えるのだ。

 こうした業界の光と陰を見れば、必ずしも自由競争が良いとは思えない。また海外旅行にもゴルフにも全く縁のなかった製造業者や匠の技を持つ職人さんといった弱者が疲弊していくのを見過ごしていいとも思わない。ただ、現行の法規制ではとても効力を発揮できないのは確かだ。かといって、あまりおカネにならない業界を考えれば、商工族の国会議員さんが立法に一生懸命になることもないだろう。第一、今の自民党や民進党を見渡した時、霞ヶ関の官僚を超えるようなファッション産業の政策通は見当たらない。

 ともあれ、現行の法律では最小限の規制しかできないから、業界が疲弊している状況では、新たな規制を設けなければならないのである。そこで経済産業省も重い腰を上げ、ようやく省令という法規範、法規命令、行政指導に取り組もうということなのだろう。

 お役所仕事、省益優先、族議員の台頭、省令の乱発など、とかく官僚主義に対する批判は少なくない。だが、誰か、どこかが手を付けなければ、業界がますます衰退していくのは間違いない。「業界内部から変革していく」。言うは易しであるが、固定観念や利害をもつ人間たちが蠢く中で、簡単にできることではない。

 まずは行政庁が声を上げるというのは=構造改革に乗り出すということで順当ではないだろうか。経済産業省はファッションという繊維産業を所管することに代わりがないし、ここが現状の問題点を冷静に分析し、改善の方向に変えていくと表明したのだ。筆者は業界が健全な方向に向かい、製造卸への福音になればと、好意的に受け止めたい。

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教える側の意識変化は。

2016-06-15 07:31:44 | Weblog
 先日、服飾系専門学校の2016年度の入学者が「増加した」との報道があった。少子化で高卒後に進学する学校は、学生確保に窮している。そのような状況下に服飾専門学校の入学者が増えたのは、学校側の募集策はもちろん、学生側の「しょうもない大学に行くくらいなら、手に職をつける方がいい」との期待もあるのではないか。

 と言っても、専門学校を目指すくらいの若者?だ。将来の目標や展望、産業や社会の変化に対し、明確な知見や判断力を持ち合わせて決断したとは言い難い。高校生の場合、在籍した学校で偏差値や学力が向上していれば別だ。そうでなければ、進学先は一様に落ち着くわけで、その中で学生を奪い合う構図が揺れ動いてだけに過ぎないと思う。

 服飾専門学校を目指す若者は、自分のテリトリー内で得た情報をもとに「自分で服をつ作りたい」「将来、自分のブランドをもちたい」など、多くがデザイナーやクリエーターへの夢をもっている。しかし、学校側にすればそれだけでは学生の確保はままならないから、「ビジネス学科」を併用するところが少なくない。ただ、仕事で専門学校の卒業生に接する人間からすれば、ビジネス学科に進学する学生の「意思」「意識」がデザイン学科に比べると、いたって曖昧でないかとの印象をもつ。

 今から10数年前、日本社会ではリストラの嵐が吹き荒れ、学生にも就職氷河期が訪れていた。だからではないが、専門学校生の間でも「会社勤めしているとヤバいようだから、独立して自分のブランドやショップを持とう」という意識が浸透していた。学校にとっても「セレクトショップを経営しよう」「バイヤーになって世界を巡ろう」と若者を煽れば、ビジネス学科の学生を募集しやすかったはずである。

 ちょうど裏原ファッションのブームと重なり、次々とストリートブランドが登場していたため、専門学校に通う若者がそれを扱いたいと思うのは、ごく自然の流れだった。しかし、ブームが去った昨今、専門学校生が「自分のショップをもちたい」「ブランドを立ち上げたい」と声高に叫ぶ姿は影を潜めたように感じる。それは学校教育の成果というより、学生が身を置くファッション環境が大きく変化したからではないかと思う。

 学生の多くがアルバイトをして小金がたまると服を買うだろうが、すでに大半が気軽にネット通販を利用しているのではないか。クレジットカードを持っていなくても、代引きや先払いを利用すればお目当てのブランドは買えなくはない。ショップで買うより安い場合もあり、ポイントが貯まるなどのメリットもある。購買環境として実店舗が減り、WEBサイトが増えつつあるのは、自らも実感としてあるだろう。だからと言って、学生が買う側としてWEBを理解できても、売る側として理解できるほど簡単なものではない。

 デジタル社会は服飾専門学校生の意識はもちろん、進路までも大きく左右している。しかし、こうした環境変化の中で、ビジネス学科への進学目的がハッキリしているとは言い難い。それ以上に学校側が学生に対し進路、その先にある仕事のポジションを明確に伝えられ、指導できているか。意識を変化させているのかと言えば、大いに疑問である。

 アパレルメーカー、小売りともにデジタルシフトを明確に打ち出した今、服飾専門学校こそデジタル、WEBの知識、技術の習得に真剣に取り組まなければならないのではないか。それはビジネス学科に止まらず、デザイン学科然りである。筆者が知るパリやニューヨークの学校ではデジタルデザインには積極的だし、東京の服飾専門学校でも強化され始めている。ところが、地方では未だに洋裁学校の延長線で教える学校やおばさん先生により、アナログどっぷりの授業が延々と続いている。

 もっとも、ファッション教育だけでに止まらず、すべてのジャンルでデジタル化は浸透している。言い換えれば、あらゆる専門職のスキルとして、デジタル、WEBの知識、技術は不可欠なのだ。ヘアメイクも、ネイリストも、グラフィックデザイナーも、カメラマンも、イラストレーターも、スポーツトレーナーも、声優も、タレントも、マンガ家も、将来の独立を考えると程度の差こそあれ、インターネットを活用したWEBサイトを運営し情報を発信していかなければ、取り引きのきっかけにはないからである。

 料金を徴収する課金システムまで整備すれば、プログラムの知識、技術まで身につけなければならない。それはプロ、ビジネスを行う点では共通だからである。特にファッションビジネスにおいて、ショップを経営する上でWEBサイトの制作・運営はどんな個店でも不可欠だ。それを制作するにしても、まずはIllustrator、Photoshopの基礎から学ばんでおかなければならない。時空を超えて商品が動いていることを考えれば、いちいちWEBデザイナーに外注しているほど、ビジネスは悠長ではない。

 ところが、デジタル、WEBの知識、技術を重要視すれば、専門学校の全学科の授業が似通ったカリキュラムにならざるを得なくなる。だから、教える講師の認識は、「デジタル、WEBは専門学科で学ぶもの」なのだ。しかし、それは言い訳に過ぎない。

 というか、化石化している講師たちが食い扶持を守るため、既得権=自分たちのコマを死守しようとの意識が露骨だからだ。本当は自分たちこそ専門学校に通ってデジタルデザインなり、WEBなりを勉強しなければならないのに、そうした投資をせずに手っ取り早く昔取った杵柄で、ギャラを稼ごうという思惑が随所に見えている。

 その割に2年の修学期間でアパレルの企画職につけなかった学生には、「あなたならできるわよ、頑張りなさい」と、無責任極まりない言葉を平気でかけていく。すべては自分たちのパフォーマンスと保身であって、そのツケを学生と業界に回しているに過ぎないのである。

 服飾専門学校では、その名称から感じられるスペシャリズムが一人歩きしすぎて、あまりに崇高なものと誤解されている。多くの卒業生に接してきた人間からすれば、決して彼らの専門的な能力が高いとは思えない。

 特にビジネス学科の授業実態は、コレクション発信のトレンドや専門用語を教え、スキル醸成の欠片も感じない接客技術をレクチャーし、誰でも受かるビジネス検定資格を取得させ、とどのつまりが雑誌の切り抜き帳のようなアナログマップか、それをスキャニングしただけのパワポのプレゼン。借りて来た服によるファッションショーでジ・エンド。せいぜい良いところ、担当者のコネでメーカーや小売りのインターンシップにさせてもらえるか、三文ファッションイベントのフィッターくらいが関の山だ。

 そんな授業内容で、専門的な知識、スキルが身につくわけがないし、今のファッションビジネスにはとても通用しない。だから、就職先はデザイン学科を卒業生でさえ、駅ビルやSCに出店するSPAの販売スタッフが良いところだ。

 就職しても業務は品出しや商品整理、売れた商品の補充、ストックからのピッキング、棚卸し、レジ打ち、袋詰めになる。1日のうちに純然たる「接客」は賞味1時間もあるのか。その程度の「作業」なら、専門学校を出てなくても十分できる。結局、親にとって投資分の教育コストは回収できないわけで、当の本人はオーバーストアで四苦八苦する企業側に使い捨てられるだけである。

 ファッション業界がデジタル時代に突入した中、専門学校生をあえて採用するならデジタルデザインのスキルをもつ若者の方がいいのかもしれない。ビジネス学科の卒業生を売場に配属しても、初任給応分の生産性がないのだから、その選択の方が賢明な選択と言える。というか、マーケットが縮小する中でオーバーストアも限界に来ており、これ以上人を配置しても人件費が嵩むばかりで、売上げは上がらないだろう。売場要員なら新卒ではなく、既卒のパートでも十分こと足りるはずである。

 前にも書いたが、今のファッションビジネスで食べていく=高額な商品を売り切るには、優れた接客技術と確かな販売力が欠かせない。それは三ツ星ホテルマン並みの会話術やホスピタリティ精神がないと務まらない。それが服飾専門学校、ビジネス学科の中途半端な授業内容で培われるわけがないのである。

 まあ、デザイン学科にしても、旧態依然としたスタイル画やドローイングの「アナログ技術」がどこまで実際の企画現場で必要とされているか。服作りのファスト化、ローコスト化を考えると、ペンタブレットやペイントツールといったデジタル技術の方がが即応性があるし、それを使いこなせることで、その先の作業フローまで一環してシステム化されていく。それがファッションビジネスの最前線というものだ。

 デザイナーにとっても独立すれば、売上げや利益、経費といった数字の知識が欠かせないと言われるが、まずは仕事を覚えていく前提としてデジタルの知識、技術はもっていても有り余るものではない。営業職なら企業勤務、独立を問わず、ネット通販のノウハウ取得は言うまでもないことである。だったら、デジタルやWEBの教育を積極化した方がはるかに実効性、就職にも結びつくというものだ。

 筆者はかつて業界向けにデジタル技術を駆使した「バーチャルコレクション」「模擬バイイング」のシステムツールを企画したことがあるが、こうした教材による授業こそ今のビジネス教育には必要ではないかと思う。

 さて、服飾専門学校の入学者が増えたからと言って、業界が期待してるかと言えば、本音は「否」ではないのか。相手は専門学校生。特別な知識や技術、技能がなければ高校生と同じで、教育研修を施さなければならない。再教育?に膨大なコストがかけられるほど、今の業界、企業に余裕はないだろう。

 一方で、デジタルに対応する知識や技術を持てば、大学、専門学校を問わず企業に必要とされるのも事実だ。それが真の「手に職」ではないのか。大事なことは実店舗からWEBサイトに切り替わっていく中で、本当に必要なヒューマンスキルとは何か。デジタル化が浸透したファッションビジネスにおいて通用する人材とは何か、なのである。

 それらを考えれば、専門学校に必要とされるビジネス教育の答えは、誰も持たない高度な接客、ホスピタリティ能力をもつ人間を育てるか、デジタルの最前線を陰で支える技術スタッフの育成かに大きく二極化されていく。新しい技術はすぐに古くなるとの反論もあるが、今必要な技術無くして就職もクソもない。講師は「学生を育てたい」なんてモラトリアムな戯言を吐く前に、現実に即した指導を行い、結果を出すべきなのである。

 服飾専門学校がいつまでも中途半端なビジネス教育を行っているのでは、業界はもちろん、社会からも必要とされなくなるのは時間の問題かもしれない。
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被災商品は売れるのか。

2016-06-08 07:21:48 | Weblog
 4月14日、16日の熊本地震から間もなく2ヵ月が過ぎようとしている。全国的な報道は、罹災証明の申請から仮設住宅への入居と、被災から復興へと変化しつつある。

 地元ファッション業界では、震災直後からすぐに営業を再開する店舗がある一方、ショッピングセンターなどの器が甚大な損害を受けて、営業再開までにまだまだ時間がかかるテナントも少なくない。

 深刻なのはイオンモール熊本(旧イオンモールクレア)とゆめタウンのはません、サンピアンの両店。イオンモールは16日の震央にほど近い嘉島町にあり、被害は甚大だ。約22万4000平方メートルに立つ2層の店舗は、直営部門の2階フロア(衣料・雑貨、アミューズメント)と西側のテナント棟が天井落下などで再開の目処がたっていない。

 テナント棟には1階に無印良品やザラ、2階にはユニクロ、スポーツオーソリティなどの大型店が入っており、店舗当たりの損失はバカにならないと思われる。もちろん、GMSが苦戦を続けるイオンにとっても、衣料品コーナーが再開できないのは遅々として進まない改革にも水を差す。泣き面に蜂とはまさにこのことだ。

 ゆめタウンはませんは全館を閉鎖。サンピアンも全館、全テナントが休業している。サンピアンからほど近い菊陽町のゆめタウン光の森は、4月28日にいち早く再開。両店に代わって顧客の受け皿になっているようで、平日でも休日と遜色ない集客がある。

 もっとも、はません、サンピアンの両店がニコニコドーの経営破綻に伴い、イズミに譲渡された居抜き店舗なのに対し、光の森はイズミが独自で開発したフォーマットだ。施設は本館が4階建、南館が3階建の多層構造で、本館は3階以上、南館は1階が駐車場で、建築基準でもそれなりの地震対策は取られていたと思う。

 今回の地震は余震、本震とも夜間に発生し、人的な被害はなかったようだ。しかし、ここでも天井や柱の一部に落下や亀裂が生じており、その部分を応急処置した上での営業再開となっている。

 店舗中央の吹き抜け、エスカレーターを囲む2階部分の柱は、6月に入ってもシートで覆われたままで亀裂や破損が生じた箇所はわからない。もし週末の営業中に地震が発生し、階上の駐車場が満杯だったらどうなっただろうか。おそらく1500台以上の過重が2階部分に一気にかかるわけで、想像を絶する被害になったかもしれない。

 イズミ本社では、はませんとサンピアン両店について11月を目処に営業再開したいと発表した。だが、今回の地震でスーパー各店は天井に設置した防煙壁のガラス板が割れて落下したり、スプリンクラーが破損して流れ出した大量の水で売場が冠水したことが、長期休業を余儀なくされた要因と言われている。

 SCとは店舗の規模が違うので、一律で耐震基準を論じることはできないが、イオンやイズミはスーパー以上に営業再開に向けた耐震補強には破格の投資が必要であり、それらを含めて本年度業績における減損は、相当になると覚悟しなければならないだろう。

 テナント各社についても損害は程度の差こそあれ、半年以上も休業すれば売上げの減少はかなりにおよぶはずだ。イオンモールの場合はほどんどが全国展開のテナントで、全社的な損失率は分母が大きい分(店舗数が多い)だけ低くなる。スタッフについても緊急避難的に近隣店舗に異動させ、シフトを調整して業務に従事させられるし、店長は転勤や部署の配置転換ができなくはない。各社の人事はすでに対応していると思われる。

 ところが、規模が大きくないチェーンやFC店にとって休業は、1店舗でも堪えるはずだ。売上げ減少はもちろん、固定客が減っていく可能性もある。それでもなくてもECが急激伸びていることを考えると、長期休業は実店舗の存在価値をますます薄れさせる。

 なおさら、スタッフは雇用の確保もままならない。おそらく自宅待機を命じられているはずで、社員ならハローワークで失業給付の申請をする時期ではないだろうか。営業再開の目処が立ったにしても、再投資が厳しければ閉店、撤退になる可能性は高い。スタッフは転職せざるをえないことになる。

 過去20年間、5年周期で都市部を地震が襲っている。この間、有店舗から無店舗販売、さらにオムニチャンネルと、販売スタイルが大きく変わった。そんな中で、各店舗は震災リスクとどう対峙して来たのか。ハード面は耐震基準にそってデベロッパーなどに整備してもらえる。でも、店頭における震災対策になると、そうそう野暮ったい器具を取り付けられるはずもない。

 一旦被災すると店舗の営業再開までにはタイムラグがあるわけで、今回のように器であるSCが長期休業に追い込まれると、いかんともしがたい。そうした有事に際して、ソフト面でどう対応していくか。

 テナント出店している場合に店舗に立ち入れず、商品を持ち出せない時はどうするのか。仮に持ち出せても什器転倒によるキズ、天井の落下による汚れが生じているとどうするか。仕入れた在庫はどう処理するのか。SCのような器が閉館した場合、どこかで営業を続けることはできないか等々。デベロッパーとの出店契約の中に規定されている部分もあるだろうが、商品の所有権はあくまで店側にあるのだから、考えておかなければならないことはたくさんある。

 念のために説明しておけば、一般住宅が地震保険に加入していれば、衣服がハンガーごと床に倒れたとか、衣服にコップの水が少しかかったなどの場合、見た目にはほとんど損害が無くても保険金は支払われる(被害程度で区分はあるが)。店舗の場合は地震保険の対象にはならないが、保険の観点からすれば商品が地震でちょっと埃を被ったり、ハンガーからフロアに落下しても、「災害による損失」と解釈できるのである。つまり、被災商品となるのだ。

 一方で、これだけユーズド市場が確立していることを考えると、商品に多少の「瑕疵」が生じても、商品自体にブランド価値があったり、販売するショップにロイヤリティがあれば、お客にとって購入は吝かではないと思う。

 震災が発生する度に、「ご当地の商材を購入して支援してほしい」とのキャンペーンが持ち上がる。確かに食材などではそれが可能だ。衣料品については本社や経営者の判断に委ねられると思うが、被災したB級の衣料品の後処理をどうするかについても、業界全体で議論してもいいのではないか。

 1996年の阪神大震災時には、被災したブランド店の商品を目当てに火事場泥棒が横行し、自警団が結成されたという報道があった。そうした状況を考えると、合法だろうが非合法だろうが、ブランド価値があるものは瑕疵が生じても売れるし、買いたい。これがマーケットの共通認識とみて間違いない。だからこそ、被災した商品を買ってもらうことで、被災地の店舗を応援するということにもつながるはずである。

 今回、被災した鶴屋百貨店は、2~6階を占める衣料品フロアの再開に1ヵ月以上を擁している。報道には、「古い建物で増築してきており、つなぎ目部分の壁が剥がれたり、天井が崩落したり。エレベーター塔も被災し使用不能で、補修や点検に時間がかかった」とあった。

 ただ、肝心な商品の状態については、全く公表されていない。百貨店だから商品は買い取っておらず、売場に並んでいる時点ではメーカーや問屋の所有である。また、被災した商品を仕分けし棚卸しを行わないと、損害額を算定することはできない。だから、詳細は公表できないとの理屈も成り立つ。

 しかし、信用を大事にする百貨店が被災した商品を全てチェックし、見た目に瑕疵がないからといって営業再開後にそのまま販売するだろうか。クレームなど万一のリスクも考えるはずである。被災した、被災していない商品を声高に叫ぶことなく、メーカーにこっそり引き取らせるのは容易に想像できることだ。

 今回のケースでは地震発生が4月半ばだから、売場に並ぶ商品の大半は春物である。現在は6月なので通常ならほとんど夏物に切り替わる。長期休業したことで、逆に商品の入れ替えには好都合だったということもできる。

 だから、営業再開に時間がかかったのは、こうした問題でメーカー各社との調整に手間取ったと考えられなくもない。それが結果的には時間稼ぎになったわけだが。メーカーにすればそうした商品をファミリーセールで販売したり、まさにアウトレットで現金化するなどの後処理は、当然のこととして考えるだろう。

 しかし、その時点まで来ると、お客は被災した商品とはわからない。ならば、1ヵ月以上の休業期間に何らかの対応をしてもよかったのではないかと思う。これはビルインで被災したテナントの方が切実に考えなければならない問題である。

 余談だが、今回の地震で被災したあるディスカウントストアでは、棚や什器から落下したり転倒したりで一部が損傷した商品を「半額」で販売していた。これがよく売れていたから、やはりお客は価格には敏感ということである。

 業界系メディアには、「新品と古着、消える境目」「2次流通の可能性とは」なんて見出しが踊っている。古着に対するネガティブな考えが変化し、堂々とマーケットができ上がっていることを暗示させる。穿った言い方をすれば、多少の汚れ、キズ、煙草の臭い、体臭があろうと、売る側はノークレーム、ノーリターンを堂々と掲げて販売し、買う側は自分の好きなアイテム、ブランドなら気にしないことが常識化したとも言えるだろう。

 それについては「若者の認識だから可能」という意見もあるだろう。しかし、被災地を支援する気持ちは大人も変わりない。多少の瑕疵があっても、着ることに十分足りるなら、購入は吝かではないはずである。大事なことは、被災した商品をいかに現金化して、キャッシュフローを増やし、復興への道筋をつけることではないのか。

 現在ではアウトレット用に製造した有名ブランドがあからさまに流通している。プロパー店に並ぶ商品の中には被災したと言っても、真性のレアブランドもあるだろう。震災が起きなければ堂々と正価で売られていた商品である。震災が頻繁に発生していることを考えると、古着云々だけでなく、こうした商品をどう処理していくかについて、業界での議論があってもいいのではないかと思う。
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コートが売れないわけ。

2016-06-01 08:57:37 | Weblog
 秋冬の展示会がラストになっている。昨年は暖冬でアウター、特にコートが非常に苦戦した。でも、専門店系アパレルは目新しいデザインなら売れると踏んだのか。各社とも「秋冬のアウターはコートよ」と、ばかりにいろんな商品を打ち出している。

 アパレル側が企画に力を入れると、この時期よりさらに前に生地を調達し、そこからイメージを仕上げ、サンプルを作って展示会に臨むことになる。だから、季節変動に対応しにくいアイテムだ。小売りのバイヤーにしてみると、この時期に自分は「これ、イイね」と思っても、オンシーズンになって売場に展開するとなると、いろんな外部要因が影響して思い通りにお客が動くかどうかはわからない。売れると数字は伸びるが、外すと在庫になって非常に売りにくい商品だ。

 そして、アパレルも小売りも、翌シーズンを迎えると、一応前年のデータに触れるものの、前年のことは忘れたかのようにまた企画に打ち込み、展示会に出かけていく。一昨年も昨年も今年も、そして来年も再来年も、ずっとその繰り返しを続けるだけ。皆が成功も失敗もいろいろ経験してはいるんだけど、秋冬アウターが一番リスキーなことに変わりはないのである。

 そんなことを思いながら、各社のアウターを巡って見てみた。今シーズンのイチ押しといっても、全く新しいデザインを起こしたものは少ない。過去にヒットしたいろんなアイテムのディテールを上手く取り入れて、今年風にアレンジしたものが目立った。

 昨年にリバイバルしたボンバージャケットを長めにしたものを発表したところもあった。果たして売れるのだろうか。昨年、ボンバージャケットについて書いた時、一家言をもつミリオタやボンバー心酔の諸兄が書き込みをしてきた。自分のカテゴリーだから意見したいというメンタリティは、やはりメンズ特有なものだろう。

 しかし、レディスに関しては単なる一過性のトレンドにしかなりえない。他社が全く発表していないシーズンなら毛色が変わって面白かっただろうが、今年はどうだろうか。中高生の街着って言われないとも限らない。

 今年風ではシルエットで見せるというより、テキスタイルで変化をつけようと言う企画が見られた。昨年は太めやトラペーズラインのシルエットで、ポンチョを押し出すメーカーもあった。今年は幾何学模様やブランケット柄を使って大胆に主張するアイテムが登場していた。



 アウターは防寒アイテムだから、長時間の外にいるということを前提にする。それなら、地方の車社会ではそれほど必要とされない。だから、ちょっとコンビニに出かける時に羽織ってほしいという打ち出し。その点は昨年同様かもしれない。

 一方で、かちっとしたテーラー風の仕立てで行くにしても、もともとアウターは無地が主体だから変わり目がしない。そこで、フラットにならないように同素材で色違いのパーツを接いだもの、グラデーションダイの素材を用いて変化を出すなどの工夫も見られた。やはり色柄、素材が変わると新鮮に感じるから、バイヤーもじっくり検討しているように感じた。



 あとは、ここ数年のコンテンポラリーテイストに見られたエフォートレスやミニマルも健在のようだ。若干、後追い企画のような感じでもないが、SPAのようなコストダウンしたコピーではなく、質感をキープした素材使いで差別化したアイテムもある。レディスのトレンドはヤングから浸透し、やがてミセスに波及する。

 とすれば、今年は中高年にバルーンっぽいコートが受けてもいいはずだが、太って見えるという抵抗感をいかに打ち消す着こなしやコーディネートがカギになると思う。



 専門店系アパレルがつくるアウターは、SPAのような知名度、ブランド力はないため、企画力や素材感で勝負するしかない。ただ、価格的にこなれていないと、市場に出た時になかなか勝負できない。世界的なコスト上昇で、原材料費は高騰している。アパレル側は合繊混紡や新素材を投入できるような素材調達力も持ち得ない。

 テキスタイルメーカーやコンバーターが提案するものの中から、選んで企画するしかないのである。それがオンシーズンの1年前なのだから、企画スタッフにはリスキー以上の辛さがあるだろう。アウターのサンプルを見ていると、そんな葛藤のもとに商品が生み出されているのではないかと、感じられた。そこがアパレルの正念場でもあるのだが。

 コートになると、暖冬がもろ売れ行きに関わってくるから、薄手の素材を使うところも少なくない。ところが、そうなると「落ち感」が関係する。昨年も書いたが、この落ち感をどうクリエーションにするかが企画の妙だし、デザイナーのセンスでもある。日本人が外国人に比べると体型が平板なので、アウターにはボリュームを出したくなる。

 でも、それが引力の法則で落ちでしまえば、着物のようにストンとしてしまう。切り替えや接ぎをどうするか、どこにダーツを入れるか、ウエストマークなどをどう駆使するか。その塩梅がアウターの企画には現れてくる。決してテキスタイルだけでは解決できない課題でもあると思う。

 しかし、気候だけにはアパレルも小売りも勝てない。今年も暖冬になれば、羽織系を除いてはなかなかお客の心をつかむとまでは行かない。 いい加減、ライトなダウンジャケットは陳腐化しているはずで、今さら新規に買う人も少ないだろう。 その辺の暖冬対策を考えた結果、コットンギャバなどの厚手の生地に加工を施したもので、冬を飛び越え春先まで引っ張るほうが無難になる。

 ただ、そうなると、フラットで定番的なデザインになってしまう。やはり、コートが売れない理由を暖冬のせいするだけでなくて、固定観念の洗い出しをすることが不可欠なのではないか。サンプルを見て考えたキーワードを挙げるとすれば、

●暖冬→合繊

●オーバー→ライト

●無地→柄、組織変化

●生地ありき→生地開発

●足し算→引き算

など、だろうか。

 コート=上質という考えはあるが、繊維の質が上がっていること。数年で買い足しを考えると合繊もありかなと思う。柄や組織変化を考えるなら、ポリエステルジャカードなんかの柄出しも面白い。ライトなコートならボリとビスコース、アクリルの混紡、ウールポリの混紡など。染めや柄で遊ぶなら生地開発から取り組む必要もありだ。

 ヘビーにならないデザインもある。袖無し、襟無しのジレだ。ジレはベストのような前開きを想像するが、プルオーバーにしてスリットを入れるなど工夫すれば、変化がでると思う。ここまで来ると、アウターというよりルームウエアの延長線だろうか。
 
 個人的には今年はガツンと寒くなって、颯爽とコートを着たカッコいい女性が街を闊歩する姿を見たいものである。それはアパレル、バイヤーにとってはなおさらではないか。ただ、数を売ろうとか、高い商品を売ろうとすれば、失敗するのは目に見えている。あのお客さんなら着てくれると、具体的に顔と人数が浮かべば、それを適性規模として品揃えに反映すればいい。

 さて、アパレル各社はどれほどの発注を受けたのだろうか。答えは冬の街が教えてくれる。
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米国ブランドの限界点。

2016-05-25 07:35:58 | Weblog
 ギャップ社は4月19日、海外市場で展開するオールド・ネイビー、バナナ・リパブリックを閉鎖すると発表した。うち日本国内のオールド・ネイビー53店舗を、2017年1月末までにすべてを閉鎖するという。2012年7月の日本上陸から5年を待たずに完全撤退となるのだから、ギャップ社としては日本での多面的な展開は容易ではないと、改めて認識したのではないだろうか。

 バナナ・リパブリックについては、全世界で76店舗を閉鎖する。こちらはクロージングを含めたビジカジ系のブランドだが、価格はギャップよりさらに上のゾーンとなる。価格はブラウスで7,000~8,000円程度。創業が1978年と比較的若いブランドだから、イヴ・サンローランやクリスチャン・ディオールといった欧州ブランドほどのバリュー、価格帯ではない。それでも日本市場の現状からすれば、あの程度のクオリティでは決して安くないと言える。

 筆者の事務所近く、バーニーズ福岡の裏手にも、数年前にオープンした。しかし、いつ見てもそれほど集客があるように見えず、採算は取れていないと思う。ギャップ本社のアート・ペックCEOは、「バナナリパブリックにとって日本は重要な位置づけにあることは変わりない」としているが、76店舗の中に日本における不採算店も何店舗かは含まれているのかもしれない。

 オールド・ネイビーは、言うなればギャップの廉価版だ。米国市場はざっくり言うと、一部の富裕層と大多数の低所得者で構成されるが、ギャップのようなジーンズで70ドル、Tシャツで20ドル以上する商品は中流層以上でないと買えない。だから、ビジネスとしては中流以下を捕捉するマーケティングを行い、格下のブランドも開発する。そうして生まれたのが、コストを下げて価格を安くしたオールド・ネイビーというわけだ。

 米国では11月の大統領選本選挙に向け、中流層から支持を集めた共和党のドナルド・トランプが同候補内定を確実にした。背景には中流層が没落する格差社会が日本より深刻なところがある。穿った言い方をすれば、「オールド・ネイビーまで落としたくない」「アバクロとは言わないまでも、せめてギャップは着ていたい」気持ちの表れなのかもしれない。

 日本でも中流層の没落は確実に始まっている。なのにオールド・ネイビーが全店閉鎖されるのは、全く皮肉な話である。振り返れば、2006年、ファーストリテイリングが「g.u.」を発売した時の記者会見では、メディアの中に「ギャップで言うオールド・ネイビーの位置づけですか」と、 ユニクロとの対比で質問するところがあった。これに対し、柳井正社長は不快な表情を浮かべて、否定したと記憶している。

 その後、g.u.は日本流のマーケティングでユニクロとは違った市場を掘り起こし、ロゴマークGUに替えるなど独自のブランドポジションを確立した。一方で、オールド・ネイビーは日本市場には通用しなかった。この違いが何を意味するのか。

 言ってみれば、ギャップグループのような同じテイスト軸、感度軸で、グレードだけ変えるマーケティングは、バーチカルで効率はいい。しかし、それが米国市場には通用しても、日本には通用しないということである。

 では、なぜ、オールド・ネイビーは日本で求められなかったのか。日本でもバブル崩壊後にデフレが続き、ディスカウントストアからファストファッションまで低価格業態が一定の市場をつかんだことは、確かだ。

 しかし、一方で低所得者層が全く高額なブランドを買わなかったかというと、そんなことはない。フリーターの中には健康保険料や国民年金は払えなくても、セレクトショップのTシャツは買っていたものがいるはず。また100円ショップで代金を出す財布は、百貨店で購入したコーチやグッチという女性も一定数は存在するだろう。

 そうでなければ、平成不況の直中にあって、ユナイテッドアローズやビームスがあれほど業績を伸ばすはずはないし、欧米ブランドが日本市場からぞろ撤退したというニュースも聞かない。つまり、社会保障や食事にかける費用は我慢しても、浮いたお金で高額なブランド品は購入する。それが日本におけるファッション市場の一端でもあるのだ。

 2002年には同じく米国のウォルマートがスーパーの西友を傘下に収め、日本市場に参入した。03年、佐賀市に開業したSC、モラージュ佐賀の店舗は、EDLP、Rollbackを打ち出すなど本家ウォルートを彷彿させるもので、経済紙誌、ビジネス系メディアはこぞって「黒船上陸」と煽り、その脅威を大々的に報道した。

 しかし、佐賀という全国的にみると所得が低い地域にも関わらず、2010年西友モラージュ佐賀店は撤退した。西友傘下のスーパー、サニーもウォルマート流の販売スタイルをとってきたが、2015年には11店舗を閉鎖している。これには08年に鳴りもの入りで開店した南熊本店も含まれる。オールド・ネイビー然り、ウォルマート然り、米国流のマーケティングによる低価格業態は、日本市場では中々受け入れられにくいということだ。

 思い起こせば、ギャップが日本で本格展開を始めたのは1995年だった。東京・銀座の数寄屋橋阪急に店舗がオープンした時は、業界人が大挙して押し寄せ、チェックする光景がそこかしこに見られた。また、業界系メディアでも商品から展開方法、販売スタイル、プロモーションまでを褒めちぎった提灯記事が少なくなかった。

 ギャップはオールド・ネイビーより格上のブランドであり、日本人には品質を含めてモデレート級として認識されている。しかも、シーズン途中のマークダウン、セールでの50%OFF、商品によってはさらに値引きされることから、ブランド品を安く買いたい消費者にとってこれほど好都合なものはない。消費者心理としては同じテイストなら最初から安いオールド・ネイビーより、ディスカウントされたギャップの方を買いたくなるからだ。そこがギャップが日本で継続される理由だと思う。

 一方、オールド・ネイビーが日本に上陸する時も、業界メディアでは日本社会に格差が広がっていたことから、ある程度は受け入れられるとの論調が多かった。しかし、5年を待たずに完全撤退である。原因はいったい何なのか。

 一つは消費者のブランド=高級高額品志向。裏を返せば、安かろう=悪かろうという認識が根強いこと。現にオールド・ネイビーの商品を見ると、日本人の感覚からすればとても質が良いとは思えない。これならディスカウントストアのノンブランドの方がよほどいい物がある。

 ニつ目はデフレで低価格品が市場に浸透し、安さだけを売りにするものはすでにいくつもあること。だが、クオリティへの一定の要求は当たり前で、同じ価格なら消費者は質のいい方を購入する。こうした市場特性にコスト削減とブランド戦略による米国の低価格商品は通用しないのである。

 三つ目はまさにこうした市場特性に合致した商品に修正できなかったこと。母体はギャップだから、ビジネスも同じやり方になる。とにかく大量に作ってコストダウンし、売場に大量に投入して売り捌いていくだけ。売れなければ、マークダウンやセールにかけるしかない。端から日本で売れる商品を作ろうなんて発想はない。

 出店先はSCを主体にしており、歩率家賃が取られてしまう。 低価格商品といっても、日本企業が手掛けるものはシーズンを細かく分けて、適確に投入していくから売れ行きも違う。そんなMDの遺伝子が大ざっぱな米国ブランドにあるはずもない。売上げが上がらない、坪生効率が悪いとなると、採算は取れないというわけだ。

 四つめは前出の通り、若者を中心に健康保険料や年金は払えないけど、プレステージ性のあるブランドを着たいとの欲求が強いこと。日本におけるブランド品を取り巻く蘊蓄は凄まじい。「オールド・ネイビーって、米国では貧乏人が対象だって」「俺はそこまで落としたくないよな」という会話が繰り広げられているのは、想像に難くない。

 ただ、日本でも格差社会は確実に進行している。皆がどこかで生活費を切り詰めていることに変わりないのだが、ことファッションブランドとなると、「あまりに低価格商品は着たくない」というのが大半の消費者心理なのではないか。

 ネットでは撤退を惜しむ主婦層の書き込みが多いようだ。あの胸元のロゴプリントがいかにもアメリカっぽく他のブランドにはない感性だから、わからないでもない。しかし、如何せん質が良くないのだから、子供たちに着せるにはコストパフォーマンスが悪すぎるはずだ。ブランドは他にいくらもあるわけで、すぐに慣れていくのではないかと思う。
 
 これからまだまだアジアのSPAが日本に上陸する話もあるし、日本企業がM&Aで低価格ブランドを傘下に収め、展開を狙う計画も進んでいるだろう。しかし、オールド・ネイビーのケースを見る限りでは、アメカジ系のテイスト&感性軸で切った価格訴求型を一律に日本市場に持って来ただけでは、市場攻略は難しいと思う。

 これまで日本のファッションビジネスを引っ張って来た方々は、60年代の米国ファッションに影響を受けた人たちが多かった。自分たちがそうだったから、多くの消費者にも肩肘張らずに着こなせるアメカジを受け入れやすいと思ったはずだ。実際、マーケットではその通りに反応し、多くのアメカジ系ブランド、それを日本流に解釈した業態が成立した。

 しかし、オールド・ネイビーの完全撤退を見ると、潮目が変わったようだ。もはやアメカジ系であっても、単なるマスプロブランドでは、日本のマーケットは攻略できないということである。というか、マス市場自体が完全に飽和状態ではないか。それでも量を売って売上げを稼ぎたい企業や商業者は後を絶たず、次から次にブランドを仕掛けていくと思う。

 それに再開発を含めて商業開発はこれからも続くし、デベロッパーから「スペースを埋めてほしい」との要求は、ファッション事業者以外まで取り込む状態が際立っていく。

 だからこそ、マーケティングの論理からすれば、既存の市場、そこにあるパイを捨てたところに新たなビジネスがあるのではないかと思う。現状ではマスではないかもしれないが、点を拾い集めて面にしていくことは可能だ。ECから出発してアフィリエイトやフェイスブックといったSNS活用でブランディングし、じっくり市場を切り拓いた後に店舗展開をすればいいからだ。

 そう考えると、市場開拓のキーワードはいくつかある。飽和度を考えるとイノベーションという大それたことではないにしても、ビジネス構想を立てる価値はあると思う。
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