HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

健康はアパレルを救えるか。

2016-08-24 07:05:52 | Weblog
 リオデジャネイロ五輪が閉幕した。日本人選手の活躍には目を見張るものがあった。心から賛辞を贈りたい。ただ、公式ウエアのデザインや発注方法には不満も残る。主要国は母国のデザイナーやブランドがデザインに当たっているのに、日本のそれは発注先が百貨店だ。デザインや製造のノウハウを持っているわけではないのでメーカーに外注せざるを得ない。ならば、直接頼んでもいいのではないか。水面下でいろんな利権が蠢くオリンピックである。その辺の改革も2020年の課題ではないかと思う。

 アパレル分野ではスポーツメーカーが携わる素材や構造設計に話題が集まり、オリンピック後の商戦に影響を及ぼすことは少なくない。高いパフォーマンスを発揮した選手と同じユニフォームを着たいアスリート心理は、五輪ほど強くなる。ミズノやアシックスはアジアでも人気を集めているし、日本人選手の活躍により親日国ではさらに販路が広がりそうだ。

 ところで、スポーツとアパレルとの相乗効果。また経営面でのノウハウ共有。ビッグイベントがある度にスポーツはアパレルに深く影響を及ぼしてきた。そんなことを考えていると、あるスポーツ系企業がアパレルのM&Aに積極的なのを思い出した。「結果にコミットする」とのコピー、会員の利用前利用後の変貌ぶりで、話題を集めたトレーニングジムの「ライザップ」。ここを運営する「健康コーポレーション」のことだ。

 同社は、今年4月には4℃ホールディングスの婦人服SPA「三鈴」、補正下着メーカーの「マルコ」を立て続けに子会社化した。それ以前にもマタニティ&ベビー服の「エンジェリーベ」、インターネット通販の「夢展望」、ヤングブランドの「アンティローザ」、ミセス向けの老舗アパレルの「馬里邑」、首都圏にインテリア雑貨店を展開する「イデアインターナショナル」、郊外向け雑貨業態の「パスポート」、美容関連、化粧品の製造販売を行う「ジャパンギャルズ」などを傘下に収めている。

 トレーニングジムとアパレルや雑貨、化粧品。素人目には何の関連性もないように思えるが、同社は「自己を変えるために、自分に投資する」事業という点では共通と見ているようだ。だから、あえて大量消費で代替が激しく、価格競争に陥りやすいコモディティ、いわゆる日用品の分野は対象としていない。 それぞれの事業が共通の目標で動くと考えるからこそ、投資先としては価値ありなのだ。

 一般的に買収や経営統合の案件に上がる企業は、業績不振など経営的に不安定なところが少なくない。三鈴も競争激化のヤングファッションの中にあり、馬里邑は顧客の高齢化で事業の方向性が見えづらくなっていた。またパスポートとイデアインターナショナルは東証ジャスダック、マルコは東証2部の上場企業だ。これらはみな経営面で新しい血を必要としていたということだろう。

 それ以上に産業界の構造変化の中、成長が見込まれる分野に資源を投下することで、 新たな価値創造と持続的成長を目指す時代だ。そのためのプラットフォームとしてグループ経営という枠組みが見直され、戦略的に活用されるようになっている。それは美容・健康産業にとっても、マクロ的な意味でアパレル、雑貨も組み込めるのではないかということだろう。

 グループ本体の事業が安定し、資金が潤沢であるなら、銀行筋やコンサルタントがいろんな案件をもってくるだろうし、相手企業が非上場であれば第三者割当増資という手法もとれる。経営観が凝り固まったアパレルファッションの業界だからこそ、新しい経営発想が不可欠という点で、経営統合や業務提携の案件に載せやすいのかもしれない。

 被買収、被統合のアパレル企業側からしても、内需への依存度が高いだけに少子高齢による消費の先細りで、成長戦略が描きづらくなっている。多数の店舗を持っていたり、多くのスタッフを抱えていれば、M&Aの受け入れでそれらの存続、雇用の維持できるのでひと安心だ。

 健康コーポレーションとしては、トレーニングで体の内側から美しい肉体を作り上げるのも、補正下着で体の外からプロポーションを見違えるようにするもの、同社が目指す「人は変われることを証明する」という点では同じなのだ。そのことは企業サイトにも瀬戸健社長の言葉としてしっかり明記されている。

 マルコとの資本業務提携は、健康コーポレーションが携わるトレーニング、コスメティックといった美容・健康事業と、マルコがもつ補正下着の開発力、50万人にも顧客基盤は相乗効果があると見たようだ。その先に理想型のボディメイクが成し遂げられれば、アパレルやコスメティックという新たなニーズが生まれ、さらに市場が広がる可能性がある。経営者としてはグループのシナジー効果を追求する狙いだろう。

 健康コーポレーションは、トレーニングジムのライザップで一躍有名になった。耳に響く重低なSE(効果音)で始まるCMは、ダイエット訴求の鉄板表現、利用前利用後の「激変」を明確に訴求した。キャラクターにはほとんど会員を起用するもので、福岡に本社をもつ投資系企業の社長も出演を打診されたと語る。

 CMを制作しているのは、電通だ。スポンサー担当の一人も博多の名門高校、早稲田大学とラグビーで鳴らした屈強なスポーツマンだそうだ。代理店に入社すれば、趣味でラグビーを楽しむよりゴルフ接待の方が主体になる。だが、クライアントがライザップになったことで、こちらにも出演オファーがあったとの話も洩れ伝わってくる。

 ただ、当初は会員がキャラクターになっていた路線も、次第にタレントが登場するようになっている。俳優の赤井英和、経済評論家の森永卓郎、AKBの峰岸みなみ等々と、代理店が電通だけにタレント起用によるブランディングの王道は、ここでも変わりない。

 一方、CMが集中投下され始めた頃から、ダイエットにありがちな虚構論も浮上した。筆者の知り合いのスポーツトレーナーも「あそこは徹底したカーボンカットのスタイル。会員はかなり無理なダイエットを強いているようだ」と語っていた。つまり、トレーニングと並行して食事での「糖質制限」をさせて、体中の脂肪をエネルギーに変えていくもの。二週間程度で痩せるには、炭水化物を一切摂取できないことになる。

 このやり方がダイエットの正攻法か否かは別にして、会員の不満やトレーナーの労働条件の悪さが週刊誌のネタされるなど、新興企業にありがちなバッシングも受けている。ダイエット産業の市場規模は2兆円とも言われるから、いろんなカラクリがあるのは当然と言えば、当然だ。だからと言って、同社のマネジメント能力が劣るかどうかは別問題と言える。

 さて、健康コーポレーションは、傘下に収めたアパレルや雑貨の企業をどう立て直していくのだろうか。各社の企業概要を見ると、経営陣はそのままというところもある。グループとしてのシナジーを追求する場合、傘下企業を異業種間で切磋琢磨させるような人材交流が不可欠になる。分社型経営のままでは、組織や考え方が縦割りで視野が狭くなりがちだからだ。

 こうした弊害を補えるような人材の流動化をはからなければ、これまでの業界慣行を打ち破るようなビジネスモデルやイノベーションは創出できない。 また人材交流は将来的なグループ経営幹部育成にもカギになる。グループ経営には事業の投資・撤退判断など極めてダイナミックな舵取りが要求される。これらの能力はアパレルや雑貨といったキャリアの延長ではとても形成されない。グループを俯瞰でみるような視点や判断力を鍛えるためには、傘下事業を横断的に経験しておくことが必要なのだ。

 そのためには子会社の要職に柔軟に配置できるような人事基盤の整備と、中核であるスポーツ企業が人事権を発動できるのかが課題になる。結果的にすべてのグループ企業において業績が好転してこそ、グループのシナジー効果も見えてくる。親会社として外部から経営のプロを招聘して改革するのか。中核会社、大株主としてもバランスシートを精査し、売上げ、利益、経費などの見直し、商品や業態の開発や人材育成などについて、注文を付けなければならない。

 三鈴は昭和38年に創業した婦人服の専門店だし、 馬里邑はさらに古く戦後まもなく産声を上げたミセス系アパレルだ。どちらも高度成長期の成功体験を引きずる悪習が経営を硬直させた元凶かもしれない。これにどうメスを入れていくのか、である。ただ、成長、拡大のみを求めていろんな施策をうったところで、飽和したアパレルファッション市場では限界がある。

 漠然とはしているが、健康コーポレーションがグループ理念に掲げる「全ての人が、より健康に、より輝く人生を送るための自己投資産業」をビジネス領域として、「世界中から必要とされ続ける商品・サービスを提供し続ける」こととは、何なのか。それを経営者は具体的に考え、実行していかなければならない。

 つまり、社会が経済成長を絶対的な目標とせず、十分な豊かさや少しの幸福が達成されるのを求めるのであれば、それに合致するもの作りやサービスの提供にスライドしかなければならないのだ。成熟した消費市場の中で、消費者が健康で理想的なボディを手に入れれば、次はどんなウエアや雑貨をウエルネスライフの中に求めるのか。その答えを探し出した時、アパレルファッションは一歩進化するはずである。
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自社ビルは何のために。

2016-08-17 07:59:13 | Weblog
 8月も半ばを過ぎ、アパレル各社の決算発表が気になるところだ。ヤマトインターナショナルは決算発表を前に重要なIR情報をリリースした。アウトドアブランドの「エーグル」とのライセンス契約が2017年2月末で終了し、それに伴う早期退職者の募集などで特別損失を計上するというものだ。さらに16年8月期決算では33億円の最終赤字になる予定という。同社にとってエーグルの売上げは全体の25%に当たり、三陽商会同様にライセンシーを失うことが、アパレルメーカーにとっていかに厳しいかを物語る。

 しかし、ヤマトインターナショナルともあろう企業が、ブランドライセンス頼みの戦略にもっと早く手を打たなかったかである。同社は戦前にシャツ製造業として創業し、戦後は大阪で専業メーカーとして事業を展開した。社名もヤマトシャツに改め、日本のシャツ製造を牽引して来た老舗アパレルだ。筆者も一時期、ヤマトシャツはよく着ていて、その良さは十分に認知している。

 その後、東京にも進出し、87年には大田区平和島に社名の通り巨大戦艦を思わせる奇抜な東京本社ビルを完成させた。当時はバブル景気の絶頂期で同社の業績は右肩上がりだったと思われる。株式市場も大証2部から1部に指定替えし、株価は高騰。財務が安定して信用力が増し、ビル用地の確保も容易だったのかもしれない。何より銀行が「有形の資産取得」を口述に融資を受けてほしかったのだ。完成したビルは威風堂々としつつ、物流倉庫が建ち並ぶ湾岸エリアでは異彩を放っていた。先進性を訴えたかったアパレルにとっては、成功の証しとなったのではないか。

 一方、ヤマトインターナショナルはシャツ専業メーカーだったこともあり、総合アパレルへの道のりは平たんではなかったと思う。アイテム拡大もブランド開発も中途半端で、エーグルを除けばクロコダイルくらいしか知名度のあるブランドはない。それもいつの頃からか、量販店の売場に並ぶブランドになってしまった。売上げも2008年くらいから200億円半ばを低空飛行し、15年8月決算では219億8500万円まで落ち込んでいる。

 アパレル関係者の話によると、売上げが低迷し始めた10年ほど前から、東京本社ビルの一部を切り貸しして不動産収入を得ていたようだ。さらに今回の特別損失の発表において「東京本社ビルに占める同社の東京本社使用比率を総面積の30%以下にする」と公告している。つまり、東京本社ビルでは7割以上を他社に貸し出すことになる。不動産オーナーになったと言えば聞こえがいいが、ヤマトインターナショナルにとって、ビル建設の時点で規模に見合う事業拡大が見込めたのかとの疑問も残る。もちろん経営陣は目論んでいたのだろうが、バブルが弾けたことで、攻めの経営ができなかったのも事実だ。

 そこで考えてみたいのが、アパレル企業にとって自社ビルは必要なのかである。もちろん売上げ規模、利益、財務、ファイナンス、資産、創業者の出自など、いろんな条件で変わってくると思う。例えば、登記簿上の「本社」は創業の地に置き、ビジネス上の本部を東京の都心部に置くケースは少なくない。その場合、本社または本部のどちらかを賃貸オフィスにするか、また自社ビルを取得するかである。もちろん、取得には莫大な資金を必要とするし、自己資金で賄えなければ銀行からの借り入れが不可欠になる。


アパレルにビル1棟は不要かも

 一般論として経営戦略が軌道に乗って少しずつ組織を拡大し、スタッフが増員されていけば、オフィスが手狭になるから広いスペースに移らなければならなくなる。それでも自社ビルか、賃貸ビルかはやはり経営者の考え方次第だと思う。

 スキームとして「アパレルは水ものだから万一に備えて資産を持ち、そこからの現金収入を得られる=キャッシュフローにも目を向ける」という考えがある。これも自社の土地に自己資金でビルを建設すれば別だが、借金して物件を取得した場合、自社だけが利用するオフィスなら返済のみで収入はない。その分の売上げまで確保できないと経営は厳しくなる。自社ビルの一部を賃貸するにしても、返済額以上の賃料収入がある=利回りが良くないと運用は上手くはいかない。それに不動産は立地や地名などで資産価値に影響が出る。条件が良くなければテナントが集まらず、家賃を下げなければならないリスクも付いてまわる。

 アパレルの多くは産地や問屋が生まれた大阪や名古屋から発展した。全国展開をする上で、東京は情報を受発信する上で拠点を構えざるを得なくなったのだ。ただ、自社ビルを取得するということは別問題である。バブル景気という追い風を受け、銀行が融資をしてくれたまでは良かったが、好景気の終焉で土地神話も崩壊。資産価値が下がり、自社ビルは売れず不良債権と化したケースは、アパレルにおいても例外ではない。

 その後、台頭して来たIT関連の有名企業は、六本木ヒルズやミッドタウンにオフィスをもっている。しかし、これらにも1フロア数千万円の賃料を払ってまで高額なオフィスを借りる必要があるのかと思う。働いているスタッフは1年ごとの契約社員で、昼食には380円の弁当を食べているものもいるからだ。経営者はステイタスのつもりだろうが、雇用されている社員の状況とはあまりに格差があり過ぎる。

 まして収益性が低いアパレルが自社ビルをもっても、相当厳しいはずだ。組織的に見ても、メーン部署は企画デザインと卸営業である。素材はすでに外部から調達しているし、製造はアパレル工場に外注する。自社工場であっても都市部で用地確保は無理だし、物流網の発展から本社近くにある必要はなくなっている。MDの部署も必要にはなるが、ここも出張が多くなるから、オフィスの使用頻度は下がる。1か所にそれほど大きなオフィスをもつ方が必要な機動力が阻害されるのかもしれない。ましてITの時代である。生産性がない部署は、コストが安い地域に置くという経営判断があっても良いはずだ。ならば、アパレルはビル1棟なんて不要だと思う。

 DCアパレルのビギグループが代官山に本社を移した時は、場所柄から多層ビルを建てられない規制もあり、ブランドごとに小さなオフィスを建設した。旧山手通りに面する東京バブテスト教会裏手にあったビギ本社ビルは安藤忠雄の設計で、地下が倉庫、1階が営業部、2階が会議室、3階が社長室だった。周辺の猿楽町や南平台、目黒方面に下った青葉台にも関連会社やブランドのヘッドオフィスがいくつもあった。すべて歩いて行き来できる距離で、どれもこじんまりとしたビルだった。

 そこには大楠祐二代表の「会社は小さくなければならない」との経営哲学があり、会社ごとに経営陣や社員の競争心を煽り、業績を争わせる狙いもあった。企業規模が小さいからこそ、こうしたマネジメント術が結果につながったとも言える。ビギグループは分社経営をグループ躍動の原動力にして、成長軌道に乗せていった。言い換えれば「ビッグオフィスに象徴される大きなヒットブランドをもつより、いくつかの小ヒット商品を持つ」という戦略がアパレルとして見事に奏効したとも言えるだろう。


自社所有で何を産み出すかが重要

 筆者は独立するとき、故郷である福岡の大名に建つマンションに事務所オフィスを構えた。中心部天神の隣街である。東京で言えば、京橋や恵比寿といった立地だろうか。隣に雑居ビルがあった。1、2階が店舗スペースで、3階からがオフィスになっていた。不動産会社の話ではうちのマンションより後に建ったらしい。

 ところが、筆者が賃貸契約をする時、隣のビルは裁判所の競売物件になっていた。旧オーナーはアパレルメーカーだったという。銀行融資を受けて建て、資産運用から賃貸ビル経営にも乗り出したようだ。福岡は東京よりバブル景気が弾けるのが遅かったが、93〜94年にはこのアパレルもビル購入などの負債が重なり、倒産したようである。経営判断が甘かったと言えばそれまでだが、店舗を必要とする小売りならともかく、アパレルにとって都心部の大名にオフィスをもつ必要はない。単なる資産運用、財テクで乗り出した不動産ビジネスは、中小アパレルにとってはあまりに荷が重過ぎたということだ。

 ビル自体は競売後も転売されている。場所柄、1〜2階の店舗スペースには焼肉店、日本料理店、居酒屋、ピザ屋など入れ替わり立ち代わり入居したが、どれも2年と続かず退店している。構造上1階と2階が螺旋階段でつながり、2フロアまとめて借りなければならないことから、どの業態もコスト的にペイしなかったようだ。バブル期におけるビル設計がいかに実需とかけ離れたものだったのかと思い知った。数年前には取り壊された。ビルとしてはわずか20年程度の寿命だったようだ。後にはワンルームマンションが建ったが、それとて全部は埋まっておらず、1階のテナントもいつまで続くかは疑問である。

 ヤマトインターナショナルの東京本社ビルに話を戻そう。外観を見る限り砲台や防御甲板、風筒を思わせるようなパーツを積み重ねた造りだ。内部を見てないので何とも言えないが、これらの一つ一つが部屋になっているのだろうか。それなら切り貸しはしやすいのかもしれないが、幅が狭いフロアをズラしたような部屋ではかえって使いにくいのではないか。まあ、オーナーにとっては大きなお世話だろうが。

 ただ、ヤマトインターナショナルの決算、本社ビルの賃貸施策を見る限りでは、経営戦略のゴールはしっかり定まっていないように見える。自社所有の土地建物がどんな果実を生み出してくれるのか。それが本業にどんな効果を与えるか。その辺のスキームがアパレル業界ではいたって漠然としているように感じる。
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論争再来となるか。

2016-08-10 06:56:00 | Weblog
 8月2日、ファッション系メディアに配布されていたプレスリリースが有効となった。ジル・サンダーのクリエイティブディレクター、クリスチャン・ディオールのアーティスティック・ディレクターなどを務めたラフ・シモンズが、カルバン・クライン社に移籍することが正式発表となったのだ。

 カルバン・クラインは自らデザイナーとして1968年、ニューヨークでレディスのプレタポルテコレクションをスタート。70年代初めにはスポーツウエア、化粧品、フレグランスを手掛けてブランドビジネスの骨格を固めた。そして76年に発売したカルバンクラインジーズンは、「デザイナージーンズ」という新たな市場を切り拓き、ブランドを一躍世界的な知名度に押し上げた。



 その後、アンダーウエア、セカンドラインの展開と順調に売上げを伸ばしていくが、90年代後半になる次第に売上げは下降線を辿り、会社をフィリップ・バン・ヒューゼン社に売却。本人も2003年にはデザイナーを退任した。04年、後任のデザイナーにはレディスにフランシス・コスタが、メンズにイタロ・ズッケーリが就任するも、ブランド全体を統括できるディレクター不在が響き、ブランドバリュウ、売上げともに低迷が続いていた。

 新任のラフ・シモンズはチーフ・クリエイティブ・オフィサーのポストで仕事を引受けたという。コレクションライン、普及版のプラティナム、ジーンズ、アンダーウエアといった傘下ブランドを一つのビジョンで統一する職責に当たるようで、長年のビジネスパートナーであるピーター・ムーリエがレディス、メンズウエアのクリエイティブ・ディレクターに就任するそうだ。

 カルバン・クライン社のスティーブ・シフマンCEOが「ラフのディレクションのもと」と語っているところを見ても、グローバルブランドとして蘇らせるには、ラフ・シモンズがチーフ・クリエイティブ・オフィサーとしてしっかりとブランドビジネスに必要な「3要素」を打ち出せるかにかかっていると言える。

 一つはクリエイティブワークだ。全ての商品における普遍のコンセプトと方向性の設定、ショップイメージの組み立てなどになる。2つ目はコミュニケーション。メディア向けの広報業務から広告戦略、ショップのVMD、新しいロゴマークやCI等々まで、基本的なアイデンティティーを構築しそれにそってまとめ上げることだ。そして、ビジネスである。製造から販売までの全てを管理管轄し、コントロールしていかなければならない。

 ピーター・ムーリエはシモンズが固めたコンセプトにそって、レディスとメンズのプレタポルテをデザインしていくことになる。またバッグや靴、小物、アンダーウエア、フレグランスのパッケージングなどでは黒子のデザイナーも必要だろう。ラフ・シモンズが設定するコンセプトをしっかり理解してくれ、一を言えば二も三もの表現をしてくれる優秀なスタッフ=職人の存在である。

 幸い、ニューヨークにはカルバン・クライン自身が卒業したFITがあり、デザイナーを夢見る若者が世界中から集まっている。人材には事欠かないはずだ。即戦力にしても、育成にしても新しいカルバン・クラインの元で働けるアシスタントという経歴は、将来のデザイナーデビューにとっては箔が付く。

 もちろんラフ・シモンズ自身には、カルバン・クラインを再びグローバルブランドに蘇らせるために、説得力を持ってスタッフの腑に落とす手腕、高いコミュニケーション能力が求められる。ブランド再生のためのコンセプトを、カルバン・クライン社という組織の中でマネジメントしながら、スタッフを一つにまとめていく「求心力」が何よりも重要になるのだ。タレント崩れの代表代行が幅を利かすどこかの政党なんかには、足下にも及ばない重責と言えるだろう。

 言い換えれば、カルバン・クライン社はラフ・シモンズの考え方を理解し共有し、社内に浸透していける社内体制なのかである。グッチを再生したトム・フォードの例を挙げるまでもなく、ラフ・シモンズ個人と彼の考えをスタッフ全員が理解し共有すれば、ブランド企業としては軸がぶれず、高度なビジネスが展開できるのは言うまでもない。そのための環境づくりがブランド再生のカギを握るということである。

 一方、カルバン・クラインの歴史を振り返ると、そのブランドを作り上げていく過程では、常にcontroversy、いわゆる「論争」を巻き起こして来た。70年代にはそれまでの常識を覆すデザイナージーンズで革命を起こす。80年代にはわずか15歳のブルック・シールズをモデルに起用し、放送禁止ともなるコピーをリップシンク。さらに85年のフレグランスキャンペーンでは正体不明のモデルに胴体、裸の腕や脚を惜しげもなくさらさせた。

 「Do you know what comes between me and my Calvin?」のコピーは、日本語に直訳すれば何ともない。だが、ティーンエイジャーが発言するには意味深な内容から、放送コードが厳しい米国で「好ましくない」と、物議を醸したようである。だが、こうした過激ともいえるマーケティング戦略は、90年代にはアンダーウエアのキャンペーンでも踏襲され、タイムズスクエアのビルボードにはフリーフ1枚で上半身は裸という男性モデルのビジュアルが堂々と登場した。



 カルバン・クラインの広告キャンペーンは、ここに登場したキャラクターをインキュベートさせる側面も持っていた。ブルック・シールズはもちろん、悪童ラッパーのマーキィ・マークは今やハリウッドを代表する俳優マーク・ウォルバーグとして改心。また痩せこけてセクシーとは言い難く、何となくうつろな眼差しだったケイト・モスは世界中のブランドからオファーが舞い込むスーパー・ウェイフ・モデルに成長した。



 ただ、その後もモデルの性的な曖昧さや拒食症につながる問題、子供を起用した下着キャンペーンが児童ポルノを連想させるとの強烈な抗議など、論争が絶えることはなかった。しかし、これがカルバン・クラインがカルバン・クラインたる所以で、ブランドが受け継いで来たDNAと言ってもいいだろう。

 ラフ・シモンズは、フレグランスの名前にもつけられたobsession=強迫観念ともいえるブランドの系譜をそのまま引き継ぎながら、いかに新しいエッセンスを加えていくのか。米国ブランドではマイケル・コースがカルバン・クライン的な戦略で一歩リードしているが、クリエーターズファッションで注目されたナルシソ・ロドリゲスは内紛でリズ・クレイボーン社に買収された。陳腐化気味のニューヨークコレクションでは若手の台頭はあるものの、レジェンドを起こせるビジネスエンパイアが待ち望まれているのも事実だ。

 ファッション業界におけるM&Aやデザイナー交代劇は、珍しくない。LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)、ケリング(旧ピノー・プランタン・ルドゥート)といったコングロマリットが資本の論理でブランドを次々と傘下に収めると、効率優先の全天候型経営に陥らないとも限らない。実際、ケリングはグッチの成功例で気を良くし、傘下に収めたイヴ・サンローランのリヴ・ゴーシュまでトム・フォードに任せた。すると、デザインがグッチと何となく似てきてしまったのが典型例だ。これでは面白くも何ともない。

 またケリングの一角を占める小売り企業のルドゥートは、米国内から撤退したckカルバン・クラインをフランス国内で堂々と販売している。ckのロゴマークはすでに古くさく、ブランドバリュウは失われている。グレードはバジェットライン、日本でいう量販ルートまで落ちてしまった感じだ。もはや国際的なブランド発信力はないに等しい。

 往年のカルバン・クラインは、トラディッショナルでコンサバ色が強かったニューヨークファッションに、「アメリカンミニマリズム」という流れを吹き込んだ。デザインでは余分な装飾を排し、シンプルで流れるようなラインを作り上げた。ちょうど「シェイプアップ」がトレンドとなっていた時期と重なり、「自分の体をセルフコントロールできない人間はビジネスでもサクセスできない」との風潮から、ジムに通うワーキングウーマンが増加。カルバン・クラインのミニマルなスーツやドレスは、そうした女性たちのボディラインをしっかりと包んだのである。

 一方、ラフ・シモンズはどうだろう。ベルギーの出身でアントワープの王立美術アカデミーでファッションを学ぶことも望んだが、ファッション学科ディレクター、リンダ・ロッパに「うちで学ぶ必要はない」と、独学で服づくりを学んでいる。アン・ドゥムルメステール、ドリス・ヴァン・ノッテン、ウォルター・ヴァン・べイレンドンクとちょうどベルギーファッションが日本でもクローズアップされ始めた頃だ。

 ラフ・シモンズが1995年に発表した最初のコレクションは、英国学校の生徒からヒントを得たようなタイトで流れるようなシルエットの作品だった。それから精力的な活動が続いたわけではないが、ベースにあるミニマルな服づくりはジル・サンダーの系譜とも合致し、クリエイティブディレクターを務めるまでになったのである。そこでは余分な装飾を排するジル・サンダーの遺伝子を見事に受け継ぎ、自分の世界観を表現した。言うなれば、デザインに凝らず、ファッショニスタに媚びない姿勢がLVMHの経営陣に認められ、ディオールのディレクターに就任できた理由かもしれない。

 今年6月には イタリアのメンズ見本市「第90回 ピッティ・イマージネ・ウオモ」にゲストデザイナーとして登場している。若かりし頃の革新性は影を潜めたが、それでもアートからインスピレーションを得るという手法は変わっていない。そうしたデザイナーが大西洋を越えて、ニューヨークの地でどう輝くのか。シンプルとミニマルは似てても非なるものだ。余分な装飾は捨てても、確固としたラインは描かなければならない。シモンズ自ら「洋服そのものは、確固とした美しさをハッキリと映し出す媒体」と言うように、ニューヨークのワーキングウーマンの審美眼を育むような服を提案してほしいと思う。



 ラフ・シモンズにはあんまり小さくまとまって欲しくはない。彼にラジカルでアバンギャルドは似つかわしくないとしても、論争の火種ぐらいは大いにもたらしてほしいものだ。それをニューヨーカーや往年のカルバン・クラインファンは期待している。もし、ラフ・シモンズがカルバン・クラインブリーフをリニューアルしてくれるなら、ぜひ穿いてみよう。「どこにお洒落ですか」と聞かれた時、「下着です」と答えられるから。
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キャリアの解釈もいろいろ。

2016-08-03 07:11:05 | Weblog
 業界人向けのファッション誌「WWD」のタブロイド版8月1日号が「進化するキャリア服を追え!」のタイトルで、働く女性向けのブランドやショップを取り上げている。そこまではいいのだが、サブタイトルに書かれたブランドの顔ぶれを見ると、筆頭にオンワード樫山の「ICB」、次がワールドの「アンタイトル(UNTITLED)」 。東京スタイルの「ナチュラルビューティー(NATURAL BEAUTY)」と続く。まさにNBとの広告タイアップ企画のようで、他にブランドはないのかと思ってしまう。

 ICBは当初から世界で売っていくブランドの位置づけで、筆者がNYにいた頃はマンハッタンではビルボードが掲出され、現地でのプロモーションにはかなり力が入っていた。2011年にはネパール出身のプラバル・グルンをチーフデザイナーに起用。彼が航空会社の制服を手掛けたことで、コレクション向けの商品もチラッと紹介されたのを見た。色、デザインとも日本にはない感性で、欧米向けにはかなり力が入っていることを伺わせた。



 そうした戦略が作用しているかはわからないが、日本で売れているアイテムは働く女性向けのジャケットスーツのようだ。男性に交じって会議からプレゼン、交渉ごとまでで「できる女」を見せるには、やはり凛々しさを醸し出せるジャケットスタイルなのだろうか。

 ただ、あまりにプレーンだとリクルートスーツのように見えてしまう。適度に女性らしさを強調するシルエットを増やしたというから、それが好調な理由なのかもしれない。この秋は工場と素材のグレードを上げた7万円のジャケットやゲストドレスを発売するそうだ。ワールドワイドに活躍するキャリア層を狙うのだろうが、売場が百貨店では少し不釣り合いな感じがしないでもない。

 ワールドのアンタイトルも、百貨店のハコで長らく一定のポジションをキープしていた。近年はブランドの陳腐化が激しく、他との差別化が図られていないと感じていた。10年からは女子サッカーなでしこジャパンの公式スーツにもなっていたが、2011年にワールドカップ初優勝で注目が集まり、13年にデザインが刷新されたのは記憶に新しい。資金力がない日本女子サッカー界にとっては朗報だったと思う。

 しかし、筆者はブランドのロイヤルティ向上、イメージアップへの貢献ではピンとこなかった。なでしこの選手はごく一部を除き、お世辞にもルックスが良いとは言えない。外国人選手に比べると上背もないし、スポーツ選手特有の筋肉の発達もある。スーツの既成パターンでは少し厳しかったのではないか。佐々木監督以下、勢揃いした選手による広報写真を見ても、 似合っているとは言い難い印象だった。

 実際、お客がそれを見てどれほどスーツを購入しようと思ったのか。外国人モデルのプロモ写真を見慣れているお客からすれば、これが自分が着たとしても現実?、私の方が少しはスタイルが良い?と、テンションが下がったのではないか。まあ、ワールド側もそれは認識していたと思うが。

 ブランドと人員の大量リストラを断行するワールドにとって、基幹ブランドであるアンタイトルのテコ入れは必至だ。秋冬シーズンからはエグゼクティブ・キャリアをターゲットにしたライン、「エッセンシャルクルー」をスタートするという。東京・松屋銀座の売場を30坪強に拡大し、新ラインもフルラインナップする旗艦店にするようだ。

 ブランド存続は既定路線だったとは言え、はたして40代の女性管理職、重役陣がグレードアップしたとの触れ込みで簡単に飛びつくのか、それとも大して変わらないと感じるのか。ワールドが置かれている状況を見ると、いろんな服を着こなしインポートブランドまで知り尽くす真のキャリア層のハートをとらえるのは、懐疑的と見ている。

 サンエーインターナショナルが開発し、東京スタイルとの共同株式移転によるホールディングス化で、現在東京スタイルに継承されたナチュラルビューティー。ナチュラルビューティー・ベーシック、Nナチュラルビューティー・ベーシックと派生ブランドが登場していく中で、源流ゆえに一定の顧客層はつかんでいたと思う。ブランド戦略の宿命としてコア客の年齢が上昇するに伴い、予備軍を捉まえるためのスピンオフは不可欠だ。

 でも、売り上げ効率に走るために「スタンダード」がなおざりにされている面はそこかしこに見られた。例えば、ナチュラルビューティー・ベーシックはヤング狙いとは言え、中国製の安い商品が売場のワゴンに堆く積まれ、売れ残りが著しい部分を見るにつけ、これでは同じ名前がつく本家のロイヤルティにも影響があるのではと思っていた。

 そうした懸念材料をはね除けるように合成皮革エルモザレザーのジャケットは、秋冬の鉄板アイテムになっているようだが、フェイクレザーで本当にキャリア層をつなげ留めていけるのだろうか。アベノミクスの影響で為替が円安に振れ、国内生産を売るための仕掛けにする向きもあるが、海外ブランドの情報が豊富なキャリア層にとって本当に有効な戦術となり得るのか。

 ナチュラルビューティーにはブランドの普遍性、時代に流されない上品さがあるとは言っても、目が肥えている彼女たちからすればコンサバとは一線を画するデザイン、生地感や色合いで目新しさも求められるような気がする。

 働く女性向けの商品を売るハコ、またそうしたショップをリーシングする器は、駅ビルや百貨店がメーンになる。今回はルミネ有楽町やアトレ恵比寿、西武・そごうを取り上げている。ルミネやアトレは種々雑多な駅乗降客を意識し、これまでカジュアルから雑貨までてんこ盛りだった。でも、場所柄を考えれば銀座や恵比寿の一般OLをターゲットにした方が確実性があり、客単価も上がると戦略を修正したようである。

 彼女たちは今は管理職ほどの給与ベースではないから、セレクトショップの仕入れ商品には手が出ないが、そのテイストには近づきたいとの思いを組んだようである。いわゆるトランスキャリア戦略とでも言うのだろうか。彼女たちの中から何割がキャリア層まで昇りつめるかはわからないが、将来のためには青田買いも重要との思いが滲む。

 百貨店は前出のアパレルの出店先だから、あとは編集をどう組むかの問題になる。唯一、西武・そごうが登場しているのは、自主開発「リミテッドエディション」をもっているからだろう。このブランドも50代向けからクリエーターバージョン、パンツ、そしてOL向けとバリエーションがある。リリースでは「選び抜かれた素材にトレンドを捉えたデザイン、そしてリーズナブルな価格を実現した」との触れ込みの割りに、商社ODMの域を出ず商品レベルは百貨店PB止まりだった。

 この秋には働く女性向けの「リミテッドエディション@オフィス」を刷新するという。百貨店を御用達にしているOLは、スーツも百貨店で購入したいとの要望をもち、品質向上やポケットなどの機能性へのニーズも高いことから、これらを十分に取り入れたリニューアルになるようである。

 駅ビルを運営するデベロッパーは物販テナントをリシーングし、ターゲットに沿って、MDを修正してもらえば言い訳だから、アパレルメーカーほどの商品政策は必要ない。フロアにコスメやバッグなどの関連商品を組み合わせれば、比較的回遊性も増し、滞留時間も増える。「服を買おうと思って訪れたけど、バッグや靴を買ってしまった」という衝動買いのお客も出てくる。特別なキャリアゾーンというわけではなく、通勤、街着の延長線でのコンサバテイストであれば十分なのである。

 そこで思ったのが「キャリア」の解釈である。筆者が大学を卒業後、アパレルの業界に入って最初に携わったのもキャリアの商品だ。キャリアとは職業的、社会的な経験を積んで、自信と分別を備えた専門職をもつ女性を指す。筆者が業界に入った頃は、マインドエイジで分類すると、ヤング(18〜22歳)、ヤングアダルト(23歳〜29歳)、 アダルト(30歳〜45歳)と呼称が変わり、ヤングアダルトの中で仕事をもつ層をキャリア、花嫁修業中や結婚している層をミッシーやヤングミセスと分けていた。もちろん、アダルトの中にも働いている女性はいるから、そうした層もキャリアゾーンに該当した。

 テイストで分類すると、年齢に関係なくコンサバ、コンテンポラリー、アバンギャルド(これがデザインが奇抜だから、キャリア服にはならない)があり、流行に左右されない保守的なコンサバ、流行を適度に取り入れ今の感覚にフィットしたコンテンポラリーにもキャリアはある。さらにクラスターで分ければ、コンサバではキャリアエレガンス、コンテンポラリーではセンシティブ・キャリアが当てはまるだろうか。

 また具体的な客層をあげると、コンサバのイメージは丸の内のOLに代表され、コンテンポラリーのシンボルは新宿や渋谷のワーキングウーマンだった。トランスキャリアは直訳するとキャリアを超えるという意味だが、業界の解釈はOLとキャリアの中間を指していたと思う。これは今回のWWDでは言葉こそ出ていないが、アパレルや百貨店もかなり意識しているように見受けられる。一般にはキャリアと言うと、オケージョンで分けた「オフィシャル」のイメージがあるが、マーケットが広がる中でキャリアの概念も拡大してきたと思う。

 かつてはキャリアと言えば、コンサバと対極にあるコンテンポラリー色が強かった。イメージされるターゲットも精神的に自立、経済的に自活し、男性に甘えないで生きるカッコいい女性だ。だから、着る服も都会的で大人の雰囲気とエッジの利いたスタイリッシュなデザインが主流。レディスウェアらしいフリルやペプラム、レーシーなどの装飾は一切排除され、シャープなカッティングと直線的なラインが特徴だった。

 ところが、こうしたキャリアテイストはいつのまにか、影を潜めてしまった。変わって台頭したのはコンサバの中でのキャリアである。以前にも書いたが、土屋耕一氏が書いたコピー「キャリアウーマンにあたる日本語ってなんでしょう」は、伊勢丹が販売したカルバンクラインの広告で登場した。それは着やすくて自由で飾り立てがないけど美しい。当時はキャリア服を表現するには代表的だった。

 その後、ダジャレコピーの名手、真木準氏は百貨店のキャリアを「コンサバけてる」と表現した。おそらく企画会議で担当者が商品のテイストにおいてコンサバを連呼したことが下敷きになったと思う。

 百貨店の広告の通り、ずいぶん前からキャリアテイストは、大都市で男に混じってバリバリ働く骨太な仕事中心の女性から、職場ではあくまで女らしく控えめな立場を意識しつつ常に優雅に振る舞う管理職や秘書的な女性に変わって来ている。キャリアウーマンというのは和製英語で、正確にはワーキングウーマン、またはワーキングガールだ。アパレルでは長年、働く女性向けの服をキャリアと称してきたから、そちらの方がしっくり来るのだと思う。個人的にはキャリアと言えば、どうしても着る人を選ぶカッコいい服をイメージしてしまう。

 今回のタブロイド版はWWD側の営業が絡んでいるようで、記事広告の企画枠の中でのブランド、業態のラインナップとなったと思われる。百貨店や駅ビル、大手チェーンとそこにリーシングされるNB、オリジナル、PBが対象となっており、タイトルが煽るほどクールな顔ぶれではない。キーワードを見ても「女性らしいシルエット」「着回し可能な」「他人から好感を」「オンオフで働く」「きちんと感」と、無難な路線を行っている。売れることを考えたら、そこに行く着くということだろう。

 言い換えれば、これがNBアパレルや百貨店、駅ビル、大手チェーンの限界で、これ以上の進化はないとも言える。数年前からラグジュアリーブランドと国内キャリアブランドの中間に位置する「ドメコン」、いわゆるドメスティックコンテンポラリーにスポットが当たっている。背伸びして高級ブランドを買いたいというキャリア層は少なくなり、身の丈にあった手が届くモデレートなプライスラインで十分だと意識が変化。トップスが2〜3万円、アウターが5〜10万円という買いやすい価格帯になっている。

 9月9日、バロックジャパンリミテッドがニューヨークのウエストビレッジに出店する「エンフォルド」はその代表格と言われる。他にはユナイテッドアローズの「アストラッド」、WWDにも登場しているジャパンイマジネーションの「ソフィラ」だろうか。キャリアの定義は仕事をする時のスタイルだけでなく、いろんな服を着て来た層が選り抜くゾーン、ポジショニングでもあると思う。

 とすれば、ニューヨークなどのコンテンポラリーブランドと対峙する服でなければならないのではないか。これにコンサバキャリアやキャリアエレガンスは当たらない。その意味で、コンテンポラリーに適度なモード感を加味したエンフォルドは、コシのある生地を使用したエッジの利いたデザインが特徴で、ニューヨークという大都会で勝負したいのはごく自然の成り行きと思う。

 2013年に日本に上陸したH&Mの上級ライン「COS」もコンテンポラリーラインだ。クオリティではドメコンよりも1ランク下がるが、適度なモード感があってユーロブランドらしい洗練されたデザインが特徴だ。公式サイトもアイテムそのものをクローズアップするスチルライフが多用され、さながらギャラリーにいるような感覚に陥る。これもキャリアマインドをくすぐるのではないか。

 店舗展開はH&Mに比べると、多店舗化が遅れ、全国的な知名度はいまいちだが、価格帯的には値ごろなのでコンサバ、エレガンス系に飽き足りないキャリア層は捉まえると思う。ネットである程度の仕事がこなせるIT関係やデザイナー、イラストレーターなどのクリエイティブキャリアには向きそうだ。筆者が女性なら日常の仕事着には迷わず選ぶ。

 ドメコンがモード感を維持するエッジとスパイスのきいたテイスト、色柄、素材、デザインでの差別化、エンフォルドのようなドレスやコートといったキーアイテムにより磨きをかけていけば、進化型キャリアとして一定のマーケットを確保していくと思う。この手のアイテムがもっと増えていってもいいのではないか。

 もっとも、それができるのは百貨店系NBではなく、専門店系アパレルの出番かもしれない。WWDの編集サイドもそれを十分にわかった上で、今回は営業絡みで中小アパレルがクライアントにならないため、しょうがなかった面はあるだろう。でも、もう少し掘り下げてくれないと、読者にとってはつまらない。350円でも買う気は失せてしまう。まあ、筆者は買ったが。
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とりあえずスポンサーを。

2016-07-27 07:26:16 | Weblog
 日本ファッション・ウィーク推進機構(JFW推進機構)は、今年10月に開催する17年春夏の東京コレクションから アマゾンジャパンと冠スポンサー契約を結んだ、と発表した。アマゾンはすでにニューヨークのメンズファッションウィークのスポンサーも務めており、日本のデザイナーズファッションにおいても、アマゾンの影がひたひたと忍び寄ってきたといっても、過言ではないだろう。

 報道によると、アマゾンジャパンのジェームズ・ピータース副社長兼ファッション事業部長は、ECプラットフォームの活用で「日本のデザイナー認知を、外国でも高めることができる。消費者とブランドが直接つながる場を提供できる」と語った。とすれば、アマゾンのスポンサードは、東コレに出展するデザイナーズアパレルとの直接取引を視野に入れる狙いも伺える。

 アマゾンの前には12年春夏から16〜17年秋冬まで、メルセデスベンツが冠スポンサーについていた。東京ファッションウィーク(TFW)はメルセデスベンツのスポンサードで、高感度なイメージ発信が可能になったと言われる。だが、メルセデス側とすれば、それがベンツ車の販売につながったのか。結果的に見れば、そうではなかったようだ。

 前にこのコラムでも書いたが、 TFW期間中に開催される東京コレクションを見にくるお客はメディア関係者を除けば、国内外のショップバイヤーが大半である。デザイナーズ系ブランドの服が好きで、自店で販売している人たちだ。コレクションは販売する商品の仕入れを検討する場でもある。さらにバイヤーは自らも服に投資する比較的感覚の若い客層だから、ベンツのような高級車にまで投資する人間はごく限られてくる。経過を見れば、マーケティングや販売促進には、それほどつながらなかったというのが実情だろう。

 JFW推進機構側にしても、国(経済産業省)からの補助金がカットされたことで、イベントウィークの開催が八方ふさがりになりかけていた。その時、名乗りを上げたのがスポーツマーケティング会社のIMG(インターナショナルマネジメントグループ)であり、スポンサーとして連れて来たのがメルセデスベンツだったのだのである。今回のアマゾンのケースにIMGが関わったかは目下調査中だが、JFW推進機構にとって継続的にスポンサーを確保できたという点では、安堵したというのが本音ではないか。

 アマゾンは「ECとしてファッションとの親和性も高い。東京のデザイナーブランドは、卸し先の獲得に苦戦しているケースが多いので、その補完が期待できそうだ」と前向きに語っている。デザイナーアパレル側としては、アマゾンが大量に仕入れ売り捌いてくれれば、生産量や売上げの見通しが立って、好都合だろう。またすべてとは言わないまでもショップの中には、アマゾンがデザイナーズアパレルの専用コーナーを設けることで、売上げアップ、市場拡大に期待して出店しようというところが増えてくるかもしれない。

 海外のコレクションでは、バイヤー発注会という形ではなく、商品を消費者が即座に購入できるという試みも始まっている。ショップを通じて半年先に買うのではなく、コレクションがオンシーズンに近づくという地殻変動が起きつつあるのだ。アマゾンがスポンサードはそうしたデジタルビジネスの要素がファッションに加味されるわけで、お客にとってリアルタイムで「今はコレです」とトレンドを見せられると、買うしかないってことになる。アパレルメーカー側の生産態勢にも影響は必至であるのは言うまでもない。

 一方で、デザイナーズアパレルの中にはネット販売する小売店とは取引しないところがあった。小売店の中にもネット販売を嫌うところがあるのも確かだ。アパレルメーカーは小売店が自社のブランドを気に入ってくれ、責任をもって販売してくれるから卸していると自認する。それはショップが対象とするエリア内で、他の取引先の市場は侵さないという暗黙のルールを作り上げてきた。例えば、東京なら渋谷と郊外に数店舗、他は埼玉に1店や千葉に1店と取引するといった感じで、卸先エリアを分けていくというものだ。一方の小売店側もそうした売り方を守る形で、アパレルを口説いたり、取引を可能にしたりして、自店の商売を維持して来たのである。

 アマゾンのデザイナーズアパレルへの参入は、これまでアパレルメーカーと小売店の間で長年に渡って取り組まれてきた「バッティングさせない」という不文律を形骸化させることになる。ECの浸透により販売エリアはグローバル化し、事実上、意味を持たなくなってしてしまったということだ。

 バッティングさせなことは、ある意味、アパレルメーカーと小売店を共存共栄させてきた面はある。しかし、グローバルな自由競争が激化した今、こうした規制、談合のような古典的ルールは、かえってアパレル、小売りを弱体化してしまうとのご意見もあるだろう。しかし、デザイナーズアパレルを地道に自店のエリア内で売って来た中小零細の小売店としては、アマゾンの登場は死活問題になる。おそらく、アマゾンがポイントの導入などを進めていけば、小規模小売店の販売力など駆逐されるのは目に見えている。デザイナーズアパレル側も、取引先1社あたりの売上げはそれほど高くないわけだから、アマゾンの参入は救いの神として好意的に受け取らざるを得ないところか。

 もっとも、ことはそう簡単にはいかない。確かにアマゾンのセールスパワーは偉大だ。しかし、ネットにアップされる画像はサイズ、点数など決まっており、スペックや商品説明なども画一化されてしまう。ショップ独自サイトのようにセールスポイントや着心地などの訴求することはできないのだ。それに出店する店舗数は莫大な数に及ぶから、現状の検索機能程度では小規模なセレクトショップなど埋没してしまわないとも限らない。出店数が多い分だけ、お客がお目当てのデザイナーズブランドにヒットする確立も低くなるということだ。

 また、筆者がECでいつも指摘する「試着ができないこと」である。特にデザイナーアパレルは、服づくりに凝ったものが多く、お客の好き嫌いが激しくなる。着心地、素材感や色合いなど、実際に現物を見て試着してみないとわかりづらい。価格もそこそこ高いので、試着無しに購入するのはお客にとっては相当なリスクのはずである。つまり、アマゾンがデザイナーズアパレルを扱うことによって、どれほど売れる環境が活性化するのかは、まだまだ未知数だということである。

 ECに参入しない中小零細の小売店が唯一活路を見出すとすれば、肌感覚の対面販売ができることではないだろうか。ショップバイヤーは売場で常日頃から顧客とコミュニケーションし、好みやサイズを知り得ている。だから、東京コレクションの観覧、その後の個別展示会では、データに基づく仕入れ勘が働く。仕入れの段階で「この商品なら、あのお客さんが好むだろう」と、売り逃しや在庫過多のロスを抑えていけるのである。思いきって仕入れもできれば、今回は止めとこうともなるのだ。

 アマゾンでもレビューなどデータ分析することはできなくはないが、リアルな売場で得るきめ細かな顧客データではない。小売店はアマゾンに出店すれば、ネットの向こうに莫大な市場、顧客がいると考えがちだ。しかし、それはバーチャルやポテンシャルであって、実際のところはどうなのかわからない。特に小売り店にとっては顧客の顔が見えないのに市場規模ばかりに目がいってしまう。そこではかえって仕入れの感覚が麻痺し、余分な在庫を持ち過ぎ、ロスを生む可能性がなきにしもあらずだ。結果バーゲンすれば、ロスを生むのは言うまでもない。

 筆者周辺のアパレル関係者では、アマゾンのTFWスポンサードについて、「当面、JFW推進機構にとっては資金確保を優先した」との見方が支配的だ。とりあえず、カネを引っ張ってくるためのスポンサーに過ぎないということだろう。デザイナーズアパレルにとっても、アマゾンに直出店するもしくは取引先の小売店を通じて出店してもらうとなれば、EC部署の開設やスタッフ配置など新たな業務が増えてくる。販路が世界中に拡大する、売上げが増えるは、捕らぬ狸の皮算用かもしれない。

 おそらくJFW推進機構は、色めき立つデザイナーズアパレルに対し、「それほど簡単に売上げは伸びない」とクギを刺すとも考えられる。 アマゾンだって売上げ最重視の外資だ。売れない商品を好んで仕入れるとは思えない。その時にデザイナーズアパレルとしてどう対処していくのか。アマゾンのTFWスポンサードは、ビジネス面での新たなハードルになる諸刃の剣でもあるのだ。

 契約期間については明らかにされていない。報道によればジャパン社のジャスパー・チャン社長は「ロングタームの契約だ」と語ったようだが、短期に結果(効果)を求める外資系企業だけにいつ心変わりするかはわからない。デザイナーアパレルには、アマゾンへの出店の有無に関わらず、スポンサード中に売上げを積み上げるのは、ロングタームにする条件だと肝に命じるべきだろう。

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軟弱な教育では無理。

2016-07-20 08:12:18 | Weblog
 先日、業界での鋭い考察で有名な某プロフェッサーのコラムに「販売員の心得」が取り上げられていた。(http://www.apalog.com/kojima/archive/1772)業界では販売員不足を解消するために、様々な意見やアイデアが飛び交う中、「おもてなしの精神論」では店舗運営には実効性を欠くとのご意見である。

 販売員という職業が少なくとも安定するには、報酬を上げなければならないわけで、そのためには「客数と売上げを確実に向上させることが不可欠になる」。これはある意味、当たり前のことだ。その心得として、4つをあげられている。

1.顧客の購買プロセスを誘導するVMDのセッティング

2.売場のみならず後方ストック、他店やDC(商品配送センター)の在庫の掌握

3.顧客の購買労働負担を最小化し、購買利便を最大化する配慮

4.顧客が快適に購買できるクレンリネスと身だしなみの徹底

 とのことである。業界コンサルの重鎮であり、プロフェッサーの称号を裏づける理論家として、明快で説得力のある見解と言えばそうだろう。でも、これを若者の夢を煽るファッション専門学校、販売員を採用するアパレルの小売り部門、大手チェーン店やセレクトショップが、教育の目標や就職の条件、指導育成や戦力化の目的として、切実にとらえているかである。

 また、筆者がルポを書いて来た業界誌でも、こうした心得をテーマとする特集は定期的に組まれている。しかし、それは経営者や店長レベルの購読に止まり、小難しい内容をペーペーのスタッフが学習し理解し、売場で実践して来たかと言うと、それほど多くないだろう。だから、販売員の地位が向上しなかったとも言えなくはないが、正論だからと言って全てに納得、理解されるとは限らない。学生から就活生、新人、2〜3年目、中堅&チーフクラスとそれぞれの段階で、最終目標であるこの心得をよく咀嚼して、わかりやすく教育していかなければならないと思う。

 では、具体的にどうすればいいのだろうか。まず、専門学校では用語の意味からして、18歳、19歳で学習意欲が高くない学生にはほぼ理解不能だ。現状の授業で行われているものも1ないし4の基礎の基礎くらいで、それも知識学習の域を出ない。おそらく2年間在籍しても、VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)とディスプレイの区別もつかないまま卒業しているはずである。プロフェッサーが解説するIP(アイテムプレゼンテーション)やLP(ルックプレゼンテーション)という用語すら、授業では取り上げられていないのではないか。ましてそれらを実践して、お客を誘導し購買意欲(デザイアー)を喚起する陳列方法を教育する授業なんて、知っている限りのファッション専門学校では見たことが無い。

 ある学校で学生に手持ちの服を持ってこらせ、数体のボディにトップからボトムまでコーディネートした授業課題を見たことがある。プロフェッサーがこれを見ると「全くLPになっていない」と酷評しそうなものだ。学生は自分の趣味嗜好で服を買っているわけだから、そんな手持ちの服でIPやLPを理解させようという講師、授業の方に問題があると言わざるを得ない。1を教育するには、アパレルや小売りとタイアップするなりして、実際の売場で販売する自分の嗜好と関係ない商品を使って、実践しないと無理である。

 4のクレンリネスは、美容系の専門学校が力を入れており、定期的に授業前の早朝に地域の清掃に取り組む姿を見かける。ただ、それが学生にどれほどクレンリネスへの認識をもたらしているかというと、いたって漠然としているだろう。まあ、インターンや見習いで店の掃除をやらされるのは、依然として徒弟制度が残る美容業界では当然だ。また、自分が美容師の仕事をするなら、店が汚くては話にならない。ただ、学生側はまだ「やらされている」という意識だろうし、きれい好き、ものぐさなど個人の性格もあることだからやらないよりも、やった方がいい程度のものかもしれない。

 ファッション専門学校では「クレンリネスの啓蒙」なんて、まず無いに等しい。掃除をさせる行為は、学生にとっては懲罰的な意味合いの方が強い。その程度の次元なのである。身だしなみのチェックにしても、せいぜい就職指導や模擬面接で行われている程度。これもかつては金髪でピアスをした学生が堂々と面接指導を受けていたし、学校側にも「学生の自覚に任せる」「そこまで深く指導しない」なんて妙な相互理解があるように感じた。最近はどうなっているかわからないが、就職指導における身だしなみチェックは、学校ごとでかなりの温度差があるのも事実。専門学校ではプロフェッサーが言うところの販売員の心得なんて、ほぼ習得させていないというのが実情ではないか。

 2、3はそもそも専門学校教育では限界だし、学生には理解不能と思う。

 では、業界ではどうなのだろうか。筆者は小売りの経験がほとんどないから、あくまで仕事で売場を訪れた時に触れたもの、経営者や店長との会話の中で見聞きしたことから、個人的な印象を述べてみたい。お客さんに商品を買ってもらうためのVMDは、百貨店や大手チェーン店での新人研修のカリキュラムには入っている。専門スタッフや担当部署でもキャリア教育として導入されている。それを社員募集のパンフレットやHPで訴えている企業も少なくない。

 しかし、一個人の教育目標としての販売員の心得で、ここまでを目指している企業がどれくらいあるのだろうか。どうしてもセールトーク偏重、売ることの能力や技術の教育に一生懸命で、VMDのセッティングは疎かになっているのではないかと思う。ただ、中堅企業や個店も同様にVMDに関心が無いかと言えばむしろ逆だ。指導に力を入れているところは意外に多いと感じている。3年ほど前にある企業の雑誌広告を制作したとき、そこの社長から聞いた話がある。数店舗を展開するセレクト業態で、クリスマス商戦の時にバイヤーが売上げ拡大を狙い、一気に商品を投入した。

 ところが、売場は在庫で溢れかえり、VMDはグチャグチャ。とても顧客を購買プロセスに誘導するような状態にはなっていなかった。たまたま店まわりをしていた社長は、それを見て激怒。「あんなに商品を詰め込んで、売上げや利益を得るのは目的なのか、手段なのか、どっちなんだ。12月はお客様の気持ちが一番華やぐ時だから、ウィンドウから人を楽しませてあげないと」と、店長やスタッフを叱咤したという。この話には続きがある。VMDのセッティングができない店があった一方、きちんとできていた店もあり、この社長はさっそく写真を撮らせて、VMD修正のために全店に送付させたそうだ。

 まさにプロフェッサーが言うところの基本原理は、店のお得意さんを買いたくなる過程に誘い、買おうという気持ちを起こさせる陳列なのである。それを自店なりの売場づくりの中で解釈し、商品分類をいかにわかりやすく安定的に配置していくか。店は一販売員にまでも会得させていくことが重要ということである。

 2の売場のみならず後方のストック、他店やDCの在庫の掌握は、大手チェーンではかなり浸透してきている。100店舗近くを展開するあるSPAは、商品の機会ロスをなくし、消化率のアップを目指すために売場単位でタブレットを導入した。これが販売スタッフのストックの棚割り整理、在庫把握にも貢献。何より接客中にタブレットを操作できることで、どこに在庫があるかわかり、客注は一番近隣の店舗から移動させている。お客に入荷予定が明確に伝えられ、時短にもつながっている。

 逆にお客からすれば、ネット通販を利用することで在庫状況の把握が当たり前になっている。「残りわずか」の情報が発信されると、購買に対するお客の切迫感を刺激する。こうした手法が良いか、悪いかは別にして、検索の時点でお客が在庫状況を確かめるのが当たり前になっていることを考えると、スタッフがストックや他店、DCの在庫までつかんでいるのは、販売におけるメリットだ。一方で、個店レベルでは取引メーカーとの在庫情報の共有がどこまでできるか。まだまだそれができるスタッフが多い状況ではない。機会ロス、販売ロスを低減し、消化率をアップするためにも、今後の課題になるのかもしれない。

 3の顧客の購買労働負担を最小化し、購買利便を最大化する配慮とは何か。購買労働とは店の中でのコーナー移動とか、フィッティングなどだろうか。セレクトはハイクラスではグルーピングが行き届いているから、それほどの負担には感じない。でも、ファストファッションはじめ海外ブランドの大型店舗、SPA化したセレクト、GMSの衣料品売場は結構商品を探すのに苦労する。特にGMSは在庫が多い割りに単品中心の配置で、スタッフも少なくサイズの適切なアドバイスを欠く店もある。そもそもがセルフサービスの売場づくりと「これください」的な対応だからしかたないと言えばそれまでだが、それならもう少し商品が探しやすい売場にしても良いのではないかと思う。これはグローバルSPAでも感じることだが。

 また、中国人旅行客の増加で売場では、置き引きの被害も増えていると聞く。かつて有名専門店では視線の配り方などかなり教育されていたスタッフが見受けられたが、最近は教育が行き届かず、無頓着な人が少なくないと感じる。百貨店では男性スタッフがフォローする光景も見られる。まさかお客の自己責任しているわけではあるまいが、もう少し注視することも必要ではないか。まあ、これもオムニチャンネルが浸透し、売場がショールーム化する一方、店舗の力を見せつけるにはそうした対応が行き届くところが求められるわけだ。やはりこれは指導教育の成せる技ではないかと思う。

 顧客の利便性という意味では、店舗のショールーム化、 ECサイトで販売している商品の試着、店舗受け取り、店舗購入の無料宅配などがあるだろう。顧客はすでにできるだけ手間とコストがかからないサービスを半ば当たり前のように感じている。これは販売員の心得というより、企業の方針、店舗の考え方になると思う。だが、服はまだしも、靴は試着をしないと、購入は難しい。こうした対応をしてくれるようなシステムが充実してくれば、オムニチャンネルも一気に浸透していくのではないかと思う。

 クレンリネスについては、ダメな店舗はあまり見かけない。たまにパッキンがそのまま放置されている店はときどき見かけるが、これはクレンリネスの問題とは違う。筆者が企画に携わるアパレルの取引先セレクトショップは、社長がクレンリネスを啓蒙している。定期的に抜き打ちチェックをして、気づいた点を自らレポートし、改善を促しているのだ。それを見せていただき、印象的だったのは、「ハンガーラックのパイプやバーまで奇麗に磨こう」という社長の指示。ラックのパイプはフックが接触して擦れ、光沢を失うからだろうか。拭くだけではなく、「磨く」という点がクレンリネスの奥深さなのだろうと、改めて感心した。

 身だしなみについても、洋服が好きで業界で働いている人がほとんどだから、不快にさせるようなら、周りのスタッフが先に気づくはずだ。筆者が業界に入った頃は、髭があまり快く思われなかった。それから20年くらい経って、百貨店でも髭のスタッフが増えて来たと、日経MJが特集した。最近の髭はあまり伸ばさないが、好感か不快かは接客を受ける方の価値観、年代でも違う。髪型も七三がトレンドになるなど、正統派が復活している。これらは企業側の指導教育というより個人の意識によるものではないか。そもそも売場が汚く、スタッフの身だしなみも悪い店は、販売員の心得以前の問題で、お客も寄り付かないと思う。

 昨今、ほとんどのアパレル企業、小売業で経営者はデジタルシフトを公言している。一方で、「店を鍛える」という観念論は聞こえてくるが、具体的にどうするのかは見えてこない。大手セレクトショップを訪れても、特段に接客、対応は変わっていないからだ。講演会やシンポジウムでは、ECをテーマにするところは枚挙に暇がない。それはぞれで時代なのだろうが、どうも真意は違ったところにあるのではないかとさえ感じる。

 売場のマンパワーに頼るビジネスはすでにコスト吸収が限界。だからいっそうのことそうした部分をカットし、デジタルに資源を集中して収益を上げた方が良い。 EC礼賛者の中には、そんな狙いがあるように思えてならない。でれじゃ、その分商品のクオリティが上がればいいのだが、お客は現物を見るわけでも試着するわけでもないのだから、その点はお客にはわからない。商品論が議論されないところをみると、コスト削減以外のどんな目的があるのかと問いただしたくなる。だからデジタルへの不信感は、くすぶり続けているのだ。

 これからデジタルシフトがどんどん進めば、当然、中途半端な販売員を抱えている店舗は駆逐、淘汰されていく。逆に店が生き残るとすれば、販売員の力によるところが大きいということだ。システム化、マニュアル化された販売員の心得を、自分の感性、能力で実践に移していけるか。アナログとデジタルを使いこなしていけるのは販売員という生き物にしかできないことだからである。
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実を取る決断の先には。

2016-07-13 06:51:19 | Weblog
 夏のセールも今イチ盛り上がりに欠け、秋物の第一弾を待つばかり。先日はユニクロがクリストフ・ルメールをアーティスティックディレクターに起用した「ユニクロU」を発表した。この新ラインはコラボレーションとは異なり、「あくまでユニクロのテイストで、デザイン、素材選び、縫製など、あらゆる面で既存の商品にない新しさを吹き込んだ」とか。そのため、シャツが2,990円、アウター3,990円〜1万2,900円と、通常の商品より多少高めの価格設定なのだという。

 ユニクロはここ1年ほどは値上げによる売上げダウン、その結果をみての値下げ、6月には業績を回復したものの、秋以降の売上げ動向がどうなるか、予断を許さない。今回発表のユニクロUにしても、デザインは「既存の商品にない新しさ」を謳うわりに、プレス写真を見る限りでは特に変わった感じはない。はたしてテイストはユニクロのままで、新しいデザインになるのか。現物を見てからでないとディテールまではわからないが、ジルサンダーとコラボした+J、滝沢直己をデザインディレクターに起用した2011年春ラインと、それほど差異はないと思う。
 
 もっとも、ユニクロがデザインで冒険すれば、縫製・加工で新たな技術を必要とする。そのため、既存の工場、技術スタッフが対応するには、それらを学習するか、新たにできる工場、スタッフを確保することが必要になる。これまで生産効率を追及して来たユニクロがそこまで深入りすると思えない。第一、ユニクロを求める大多数のお客は、奇を衒ったデザインなんて期待していないし、縫製もあの値段なら十分だと思う。素材はアイテムによってペラペラなものもあるが、レベルを上げたからといって急激に売上げが伸びるとは思えない。

 結果、テイストはユニクロのままだが、どこかに値上げする根拠が必要なことから、ユニクロUという新たなブランド、新たな価値創造ということではないか。陳腐化した既存MDを多少は活性化できるのかもしれないというのが本音だろう。効率優先というユニクロの遺伝子を考えれば、デザイナー入れ替えによる話題性とテコ入れしか、活性化の手だてはないような気がするのだ。

 ファーストリテイリンググループとしては、まだまだ売上げを伸長する目標を掲げている。しかし、ユニクロ業態でこれからどこまで達成できるのかは未知数だ。独立した別会社を作り、新規プロジェクトとして1からブランドを立ち上げる戦略。FR本社からすればできなくはないだろうが、単期で収益を上げないといけない上場企業として、成功が見えない冒険は許されない。結局、社内のデザインチームの人事をいじくり、多少の違いを打ち出すしかない。かといって、「ユニクロのテイスト」を大きく外すことも不可能だ。ディレクターとしては非常に難しいテーマで仕事に向うことになる。


 ただ、業界全体を見渡しても、そうそう思いきって「変化」できる環境にはない。大手企業の新規プロジェクトは、大半がメジャーブランドを活用し他メーカーとのコラボくらいに落ち着いている。スニーカーのダブルネームなんかがそうだろう。既存の「型」「デザイン」を活用して、ブランド名だけ変える程度のものだ。それで価格は上げられるのだから、ブランドバリュとは結構なものである。しかし、非上場企業とは言え、あまりにおざなりな企画ばかりだと、「ブランドって何」「もの作りの意味って」と思ってしまう。

 青山商事がこの秋にスタートするビジカジブランドの「モアレス」にもそんな一面を感じる。これは何といってもビームスのノウハウをもつ「ビームスデザイン」が企画監修にあたることだ。青山商事はこのブランドをSC向け業態の「ネクストブルー」、都市部の「洋服の青山」で販売するという。青山商事としてはスーツでは日本一の売上げを誇るが、少子化や人口減少などで需要が落ち込む中、ビジカジに舵を切り新たなマーケットを掘り起こす狙いのようだ。

 確かにド・カジュルな商品は履いて捨てるほどある。だから、チェーン店自ら新規に開発する意味はあまりないだろう。青山商事は「キャラジャ」という業態を展開しているが、リーバイスやコンバースなどのブランド編集で、他のシーンズショップなどと差別化できていない。店舗数も伸びないままだ。「ド・カジュアルではないが、スーツスタイルほどの型苦しさは必要ない」。マーケットはそんな良い塩梅のオケージョンの商品、テイストの服を求めているのは間違いない。ただ、青山商事が自社でブランド開発するのは難しいことから、若い世代に人気のあるビームスに白羽の矢を立てたということか。

 一方、ビームスは本丸ではないにしても、堂々とブランド名がつく子会社が参画する。自ら小売り業態を出店するわけではないが、相手方店のコーナー展開だろうから在庫や家賃の負担がなく、ビームスは一定のロイヤルティ収入が受け取れる。MDの基本路線はトラッドテイストだろうし、特別な企画・デザインのノウハウは必要とせず、ブランドバリュを背景にリスクを避けられると踏んだのだろう。当然、ファッション雑誌などは特集を組むだろうし、ネットメディアも食いつくはずだ。ただ、現時点では異色の組み合わせだけに、どう転ぶかは見当がつかない。

 従来なら郊外中心のスーツ量販店、特に価格破壊で規模を拡大した洋服の青山と、東京・原宿生まれで、インポート&国産の上質なブランドを仕入れてきたビームスがタッグを組むとは考えられなかった。量販店とセレクトショップは、そもそものコンセプトでも、販売スタイルでも接点はない。しかし、今の若い世代は洋服の青山をマイナスイメージでは捉えておらず、ビームスに対してもそれほどプレステージ性は感じていないのかもしれない。

 突き詰めて考えると、そんな時代になったというよりも、今回の協業は企業同士の思惑が色濃く出た結果だと思う。青山商事にすれば願ったりだっただろうが、ビームスにすればブランドイメージの低下から建前は協業したくないが、若者の服離れで既存業態が頭打ちの状況を考えると、背に腹は代えられない。セレクトショップのプライドもかなぐり捨てざるをえないわけだ。果たしてマーケットの反応はどうなのか。

 洋服の青山とビームスの提携は、戦略としては企業の本音が垣間見えるケースと言える。他にもブランドという体面は維持しながら、本音では売上げ重視を道を進んでいる顕著な例がある。パルコだ。同社が2017年2月期までの中期経営計画で掲げた事業戦略には「主要都市部での深耕」があるが、その戦術としての「都心旗艦店舗と周辺の開発推進」は、まさに売上げ重視を意図するものと言える。

 平たく言えば、店舗が古く情報発信機能が鈍化した渋谷パルコの建替えと、浦和や津田沼などの地方店のテコ入れを進めることと言える。渋谷店は日本で一番の尖った店として今後どんなテナントリーシングで、どんな情報発信機能を有していくのか。ファッション、服離れが深刻な中でいちばんの課題と言えば課題だ。一方、地方店は『ご当地初」などの冠を付けられるテナントが集めやすく、比較的リーシングは容易である。 牧山浩三社長が言う「若い感性を持つ人のスキルや力を活用した」福岡パルコ新館は別にしても、地方店では足下商圏にあったテナントを入れて収益を稼ぎ、それを原資に渋谷店に投資してチャレンジすると考えれば、戦略としてはわかりやすい。

 その証拠に浦和パルコや津田沼パルコのテナントを見ると、グローバルワークあり、ザラあり、カルディコーヒーファームあり、TKあり、ニコアンドありと、収益を稼げるテナントが目白押しだ。駅ビル系セレクト&ヤングブランドを除けば、郊外のリージョナルSCと、テナントは顔ぶれはほぼ共通する。戦略で謳う「主要都市部での深耕」とは、「RSCまでお客を行かせない」とも解釈できるのだ。

 とすれば、2012年にマーケットを賑わせたイオンによる敵対的買収の阻止は何だったのか。パルコは都市型ファッションビルとしてのブランドバリュを維持するために百貨店系のJフロント傘下入りしておきながら、売上げ伸張のためのマスマーケット攻略ではイオンと競合する。まあ、大株主のJフロントは脱百貨店を公言しており、パルコのビジネスモデルを喉から手が出るほど欲しかったわけだ。また、収益アップについてもシビアで、経営陣の交替すら容赦ないからわからないでもない。しかし、8.5%の株を所有するイオンとしては、ずいぶん舐められたものである。

 とどのつまり、ファッション販売に従事する全小売業、全てのデベロッパーがキラーコンテンツとなるブランド不足、混沌としたマーケットの中でパイの奪い合いを先鋭化させていると言える。そこではセレクトショップも量販店もファッションビルも無い。あるのは売れてなんぼ、利益がとれていくらである。ビームス+青山商事しかり、パルコの中のRSC系テナントしかり。仕掛ける側はブランドのロイヤルティ維持より、売上げという実を優先する。果たしてこうした経営判断の先にあるものとは成功なのか、失敗なのか。ここはアパレルがデベロッパーや小売りに振り回されるのではなく、本当に納得がいく商品をしっかり作る。そうした原点をじっくり注視していかなければならないと思う。
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三文イベントの陰に政争あり?

2016-07-06 07:20:29 | Weblog
 さる6月24日、東京ガールズコレクション(TGC)の実行委員会は、福岡県北九州市のホテルで昨年に続き「TGC KITAKYUSHU2016」を10月9日に、小倉北区の西日本総合展示場で開催すると発表した。会見には、出演を予定するモデルの他に北九州市の北橋健治市長、福岡県の小川洋知事も同席したが、この手のイベントが改めて行政とべったりで、公金頼みでしか収益が安定しないということを示すような会見だった。

 同日には福岡アジアファッション拠点推進会議も、オフィシャルサイトで来年の3月19日に開催する「福岡アジアコレクション(FACo)2017」の出展ブランド、デザイナーの募集を開始。要項には「福岡を拠点とするブランドと、FACoをプロモーションの場にしたいデザイナー」に参加を促す旨が記されているが、これまでのFACoを見る限りでは地場ブランド、デザイナーが増える様子は一向に見られない。

 FACo自体が終日近くダラダラ続くのだから、尺を埋めるためのNB(ナショナルブランド)もフリーパスで多数参加している。イベントプロデュースにあたるRKB毎日放送は、そうした姑息さに触れことはなく、福岡県をはじめ福岡市、福岡商工会議所からも多額の補助金をもらっているため、便宜上「福岡ブランド」を強調しているに過ぎない。実に白々しい限りである。

 ところで、北九州市がTGC KITAKYUSHU2016を支援するのは、別の見方もできる。大袈裟に言えば、北九州市と福岡市の対立、福岡県知事と北九州市長の政争である。俯瞰して見ると、両者の構図は先鋭化する。TGCに代表されるガールズコレクションは、モデル崩れのタレントなどを起用した「客寄せ興行」だ。代表的なものでは他に関西を拠点にする「神戸コレクション」がある。現在、TGCはキャラクター制作のディー・エル・イーが商標権を持ち、神戸コレクションはテレビ局のMBS毎日放送が主催者を成している。つまり、コレクションを謳っていても、アパレル、ファッション業界が主催するクリエーション発信の場ではないのだ。

 主催者側はそうしたビジネスフォーマットを「町おこしイベント」「賑わいの創出」として、全国の自治体に売り込んでいる。福岡でも2009年から福岡アジアコレクション/FACoが開催されているが、これも神戸コレクションを下敷きしたものだ。プロデュースするRKB毎日放送はMBS毎日放送の系列会社であり、広告収入に限りが見えているローカルテレビが、新たな収入確保のためにこの手のイベントを「事業」として指南されたと見れば、実にわかりやすい。

 そこでは自治体から公金を拠出させるために、「地元ファッション産業の振興」「情報発信」「人材育成」という公共事業としての大義が打ち出されている。福岡の場合は、2008年のスタート時は麻生渡知事が県の首長で、事業を推進する福岡アジアファッション拠点推進会議も県知事主導、福岡商工会議所が参画する形になっていた。こうした事業構造も神戸コレクションが前例なっている面を見れば、背景ではいろんなことが画策されていたようだが、コピー事業の詳細は(株)ぜんまいT社長のSNSを見れば、なるほどと思える箇所が随所に出てくる。福岡県と福岡商工会議所は事業開始から3年間はメーンの支援者として年2,000万円程度の資金援助したが、「その後は独自で事業化しろ」と、事業実行者であるRKB毎日放送に伝えていたのは、多くの関係者が語るところだ。

 ただ、ガールズコレクションは客寄せ興行だから、メーンの収入はチケット代になる。あとはスポンサーに頼るしかないが、これにも限界がある。RKB毎日放送として事業利益をひねり出すには自治体からの継続支援が欠かせないわけだ。そこで救いの神となったのがタレントの顔を持って福岡市長となった高島宗一郎である。就任後、福岡市の経済観光文化局の予算のうち、「コンテンツ関連産業の振興」費を使えるように、FACoの他、これもRKB毎日放送が事業実行者になった事業に、年2,000万円弱が振り向けられた。

 コンテンツとはいったい何か。コレクションと言っても客寄せ興行だから、「観光インフラ」の一つと位置づけたようである。ご当地タレントなんかと並んで、「福岡に集客するコンテンツ」とでも言いたいのだろう。まあ、こじ付けでしかないのがよくわかる。その証拠に福岡県では堂々とファッション産業の振興、 情報発信、人材育成を目的とした公共事業と位置づけて公金を拠出し、今も助成を継続している。それに対し、福岡市は全く別の目的で事業予算を出したということ。一つの事業なのに税金の使い途としては全く違うのである。

 言い換えれば、RKB毎日放送からすれば、縦割り行政をうまく活用して事業資金を確保できたのだから、高島市長誕生はまさに渡りに船だったと言える。まあ、FACoのスポンサーには福岡市の税収源である「福岡ボート」がついた年もあった。福岡市の事業だけで予算を確保するには限界があるから、高島市長が市の息がかかる公営ギャンブルの販促費を振り向けさせたと言っても不思議ではない。つまり、RKB毎日放送がやることは、どんな形でも行政から事業費を引き出す。それがFACoを自社事業として継続していくカギとなるわけだ。福岡県が事業の大儀、目的にした地場アパレルの振興、人材育成など全く眼中にないのがよくわかる。

 一方、こうした客寄せ興行が町おこしイベントとして行政のお墨付きを得ると、今度は自治体同士のせめぎ合いという構図も生まれてくる。それが北九州市がTGC KITAKYUSHU2016の開催を始めた理由と言えるだろう。福岡県が福岡市のFACoに対して予算的に一歩引いたとは言え、補助金を拠出し続けている点は変わらない。北九州市の北橋市長、市の関係者からすれば、福岡市ばかりが福岡県の恩恵を受けるのは面白くないはずである。

 それ以上に福岡県知事と北九州市長の間には二代に渡って同じ学閥出身者が就任するという対立軸がある。麻生渡前福岡県知事は京都大学卒、末吉興一前北九州市長は東京大学卒。現在の知事と市長も同じ大学出身なわけで、京大のライバルである東大卒の北橋市長が小川知事に噛み付かないわけがない。ソフトな言い方をすれば、「北九州市の町おこしイベントにも福岡県は支援すべきだ」と、言い出すのは想像に難くない。

 北橋市長は兵庫の甲陽学院高校から東京大学に進学。1986年に北九州市がメーン地盤の旧福岡2区から衆議院議員に出馬し当選した。当時の所属政党が民社党ということを考えれば、新日鉄労組などの支援を受けたわけで、東大エリートの中に一定層はいる社会主義思想の一人であるのは間違いない。一方、 小川県知事は名門の県立修猷館高校から京都大学に進学した。同世代の東大入学組には東京都知事を辞職した舛添要一、急逝した元法務大臣の鳩山邦夫など錚々たるメンバーがいる。時は70年安保闘争が盛んなりし頃で、小川県知事は東大が全共闘にジャックされている最中に受験を迎えた。そのため、政済界では東大を避けたのではと目されているほどだ。

 だから、革新系の北橋市長が保守系の小川県知事と真っ向対峙しているかはわからないが、東大卒の北橋市長からすれば自分が年下でも学歴は上だと、首長の力を誇示したい気持ちは無きにしもあらずだ。結果、「福岡市で開催されるFACoが3月の開催なら、北九州市のTGCは10月に開く。春夏、秋冬とイベントが重ならないから町おこし、集客などで競合せず文句はないはず。北九州市にも県から補助金を拠出してほしい」。両者の間でこうした談合、いや密約が交わされたと言っても不思議ではない。でなければ、わざわざ北橋市長と小川知事がTGC KITAKYUSHUの記者発表に同席する必要はない。両名がカメラの前で並立したという点から、メディアも何らかの手打ちがあったと推察していると思う。

 もっとも、FACoとTGC北九州の分離開催には続きがある。FACoの元になっている神戸コレクションと本家の東京ガールズコレクションの提携話があることだ。神戸コレクションを主催するMBS大阪毎日放送は、「神戸コレクションは、関東では『東京ランウェイ』という同様のイベントを企画してきたが、同様のファッションイベントが同じ地域でいくつもあることに、非効率を感じるようになり、互いの力を結集させれば、ビジネス含め、更に新しい展開ができるのでは考えた」と、企画提携の理由を語っている。



 これはFACoと言おうが、TGC北九州と付こうがイベント内容はほとんど変わらないと、主催者が認めたようなものだ。両者が春夏、秋冬開催に分かれたのは、単に出展、登場する商品のシーズンで分けたと言うこともできる。そこで問題となるの当事者の利害だ。TGC北九州はTGCをそのまま持ってくるだけだから、北九州市の関係者がプロデュースする立場ではない。しかし、FACoは違う。RKB毎日放送の収益事業になっている。冠につく「福岡アジア」は行政から公金拠出を受けるための手段で、本家の神戸コレクションがTGCと企画提携しても、自分たちの利権を守るために是が非でも、名前は残したいはず。だからこそ、福岡アジアファッション拠点推進会議のサイトで「福岡を拠点とするブランドと、FACoをプロモーションの場にしたいデザイナー」に参加を呼びかけているのである。

 地場からアパレルやデザイナーの参加者がなくNBだけで開催すれば、福岡アジアの冠は意味を持たない。行政は補助金を減額することも考えられる。RKB毎日放送としてはそれは何としても避けなければならないわけだ。問題は他にもある。FACoはTGCを始動させたゼイヴェル運営の通販サイトを真似て、楽天市場にオフィシャルショッピングサイト「MODEL STREET」を出店し、外部企業に運営委託している。サイトを運営する企業は地場でTGCなどに出展するNBの通販を一手に手掛ける某社で、 MODEL STREETで販売する地場ブランドは、リンクイットの「ブージュ・ルード」くらいしかない。



 アパレルメーカーは卸売りが基本なので、商品は小売店を通じて販売される。業界の不文律からしてSPA化しない限りは直販できない。しかし、昨年度のFACoに出展した地場ブランドはたった5社6ブランド。そのうちSPA化して小売り機能を持っているのは、レディスハトヤが出かけるラトカーレ、サリアくらいだ。O'sps.Creativeのプリパルプリは、独自のプリーツ技術を生かした商品を販売している。だが、母体のOEMメーカーオザキプリーツはスタッフの給料遅配があるなど厳しい経営環境にあり、他社サイトまでの商品供給には疑問符がつく。ロイヤルチエはファー系のプレタブランドなので、MODEL STREETの客層とターゲットが違いすぎる。小売り機能がなければ単なるPRしかできないのは当然だが、他はすべてNBが顔を揃える中で卸が地場ブランドとして情報発信することに何の意味があるのか。しかも「15万円もの費用を負担しろ」というのだから、唖然とする。

 いったいMODEL STREETがどれほどのアクセス率があり、コンバージョンレートはどれくらいなのか。そうした媒体資料さえ公開していないのだから、サイトの価値はたかが知れているだろう。運営会社にとっては自社サイトが主力だから、MODEL STREETはプラスαくらいにしか思っていないと思う。第一、MODEL STREETのアップされているブランドのほとんどが自社の通販サイトを持っており、イベントの来場者以外がわざわざアクセスして、購入する理由などない。ブランドのファンならなおさらだろう。地元ファッションなどMODEL STREETでは埋没してしまいかねず、ファッション情報の発信力などほとんどないと見る方が妥当だ。

 RKB毎日放送を含めた利害関係者は、FACo事業に福岡県や福岡市、福岡商工会議所から毎年数千万円もの公金を拠出してもらいながら、委託先企業がサイトを運営しているとは言え、FACoは地場のアパレルからは堂々と出店料をせしめようとする。本来は資金力に乏しいアパレル関係企業を支援するために税金が事業に投入されたはずである。オザキプリーツはその典型だろう。

 福岡市が予算拠出する「コンテンツ事業」を見ても、いつのまにか利害関係者によって都合の良いように事業がねじ曲げられているのがよくわかる。まあ、来年のFACoにどれほどの地場アパレルが出展し、フリーのデザイナーが賛同するのか。昨年の参加デザイナー8名のうち2名ほどは北九州市で活動する人間だった。この両名がTGC北九州に参加すれば、秋冬とは言えFACo、TGCの関係が問われることになる。あの企画運営委員長はFACoとTGCの「連携」を口にするかもしれないが、これこそご都合主義でFACoに中身がないことを言っているようなもの。ファッション業界から失笑を買うのはいうまでもない。
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ライセンスで回復は難しい。

2016-06-29 07:31:44 | Weblog
 三陽商会が2016年6月中間期の純損益見通しを15億円の赤字に下方修正した。昨年6月にバーバリー社との契約が切れたため、同年12月期決算では売上高が12%減の974億円、 純利益も対前期比59%減の25億円まで落ち込んだ。本年度も売上げ回復の道筋は立たないようで、立て直しのために全従業員の2割弱にあたる約250人の早期退職者を募集する。さらに複数ブランドの廃止も打ち出すというから、バーバリーを失った後遺症は経営陣の思惑を超える深刻な状況と言えそうだ。

 そもそも、三陽商会はバーバリーを失うことで、売上げ減になるのは想定済みだった。それを少しでも緩和しようと、英国のマッキントッシュ社とライセンス契約を結んで昨年秋には「マッキントッシュ ロンドン」を立ち上げ、主軸ブランドに位置付けた。またバーバリーのセカンドラインでも、新デザイナーに三原康裕氏を起用しヤングレディス向けのブルーレーベルを「ブルーレーベル・クレストブリッジ」に、メンズのブラックレーベルを「ブラックレーベル・クレストブリッジ」に転換した。その他、マッキントッシュフィロソフィー、ポール・スチュアート、エポカなど、7ブランドを基幹ブランドと位置づけて育成・強化するなど、矢継ぎ早に対策を打っていた。

 しかし、実際にはバーバリーの穴を埋めるどころか、すべてが輪をかけて凋落の一途を辿りそうな様相である。根本原因はいったい何か。やはりアパレルブランドのライセンスビジネスが時代、マーケットに合わなくなっているのではないか。マッキントッシュフィロソフィー、ポール・スチュアート然りである。経営陣は「百貨店との取引を継続すれば、ある程度売場を維持できる。あとはブランドさえ確保すれば、バーバリーファンの受け皿にはデザインをそのまま踏襲し、ライセンス生産でも十分行けるだろう」との目論見ではなかったかと思う。だが、中間決算をみる限り、あまりにお客を甘く見ていたことになる。

 なぜなら、ブランドライセンスという手法がすでに前近代的だからだ。バーバリー社が三陽商会との契約を解消したのは、「本物」を本社直轄でグローバルに展開し、ブランドバリュを確固としたものにしたいからである。その意味では、ライセンスは本国からすれば邪道であり、ブランド価値を下げる意外の何ものでもないのである。

 そもそも、ブランドのライセンスビジネスがなぜ生まれたか。発展途上にあるアパレルブランドがグローバル展開を試みる上では、店舗展開や広告投資など莫大な資金を要する。またサイズや志向の違いなどで各国、各人にきめ細かく対応することは難しい。だから、地域別で市場を知るアパレルや商社とライセンス契約を結び、ライセンシーにはその市場にあったブランドに焼き直させたのである。こうして本国のブランド側はライセンサーとしてロイヤルティを徴収して資金が潤沢になり、ビジネス展開が容易になるのと並行してブランドの知名度を世界中に浸透させていったのである。当時はお客の側にしてもブランド品に手が届くのなら、ライセンスでも構わなかったのだ。日本におけるバーバリーはその典型だろう。

 ところが、ブランド側が名実ともに実力をつけ、ビジネス展開に必要な資金を証券市場から調達し、コングロマリット化するようになると、ロイヤルティでちまちま稼ぐ必要は無くなる。グローバル戦略をしっかり構築し、商品政策から店づくり、広告展開まで一括して行った方が効率が良いし、何よりブランドバリュは上がっていく。特に市場、お客が成熟した地域では、何よりそうした戦略が有効になってきた。要はお客がカネを持てば、皆が「本物」を求めるようになるから、ライセンスなど必要ないのだ。

 マッキントッシュは真逆のケースを辿ったのである。このブランドはもともとアパレル商社の八木通商がインポート商品として開拓し、専門店、いわゆるセレクトショップと一緒になって日本市場に浸透させた。販売拠点がセレクトショップだから、売り方は百貨店とは全く異なる。代表的なゴム引きのコートは価格が20数万円もする。確かにクオリティは高いが、単品そのままでは売りづらい。だから、バイヤーはキーアイテムに位置付けながら、別ブランドのインナーのニットやボトムのパンツ、ブーツまでコーディネートすることで、アイテムそのもの良さを際立たせたのである。これは単品組み合わせの編集力をもつセレクトショップだから、成せる技だったのである。

 つまり、マッキントッシュが日本市場で売れ、浸透したのはこうしたセレクトショップ、バイヤーの地道な努力があったからだ。現在ではこうした市場もすでに成熟し、リピーターは親から子に移っている。コアなマッキントッシュのファンからすれば、マッキントッシュはインポートであって、ライセンスではないのである。コートはマッキントッシュロンドンが発売されるはるか前に某SPAによってコピーされた商品が出回り、こちらも一定のボリューム市場はつかんでいた。だから、なおさら「本物」の価値は際立ったと言える。

 三陽商会はこうしたマッキントッシュが売れた背景を細かく把握することなく、単にブランドネームが浸透したことだけに着目したのではないか。「うちのコート縫製の能力、販路としての百貨店ルートがあれば、ライセンスでも十分行けるだろう」と踏んだのだと思う。マッキントッシュ社がライセンス契約に応じたのは、日本の八木通商が経営権を握っているからに過ぎない。同社にとってはロイヤルティが入ればいいからである。

 しかし、ふたを開けてみると違った。バーバリーの顧客はライセンスでもバーバリーを好んだ。ところが、トレンチやステンカラーのデザインをコピーし、マッキントッシュで焼き直したところで、ロンドンはバーバリーではないから、バーバリーファンは簡単にはなびかない。逆にマッキントッシュのファンからすれば、ロンドンのコートは紛い物でしかないのである。

 もっとも、バーバリーはライセンスと言っても、アイテムはポロシャツ、子供服までに広がって一定のマーケットを作り上げ、売りやすい方向ではあったと思う。ワンポイントマークもブランド好きな中国人の爆買いを誘ったわけだから、契約解消前には駆け込み需要となったのは当然のことだ。しかし、それは伝統あるブランドの力があればこそだ。コアなファン以外知らないマッキントッシュになると、百貨店を拠点にしたところで、成熟した日本の市場を簡単に開拓できるとは思えない。

 ましてマッキントッシュロンドンがバーバリー同様にアイテムの裾野を広げたところで、こうしたMD戦略は従来通りのやり方で目新しさは感じない。アパレルお得意の効率主義が裏目に出てしまったということでもある。それはマッキントッシュフィロソフィー、ポールスチュアートにも言えることではないか。フィロソフィーは本家マッキントッシュとは全く異質なものだから、ショップやコーナーだけで完結してしまって新規客は呼び込めないし、ポールスチュアートもファンが歳をとればブランド離れしていく。

 マッキントッシュのコアなファンとライセンスであるマッキントッシュロンドンの客層は異なる。これは八木通商も三陽商会の承知の上で、スタートしたはずである。ただ、ロンドンが苦戦しているのは、ライセンスという中間層を攻略して来たビジネス手法がすでに通用しなくなった面もあるだろう。時代、市場の変化を三陽商会の経営陣は見間違ったのだ。同社を良く知る人の話では、経営の実権をプロパーの人間に代わり商社出向組が握っていることもあるそうだ。ゼロからもの作りを行うアパレルではなく、でき上がったものを買い付けて卸すだけのノウハウしかなければ、ブランドもアイテムもあり溢れている今のマーケット攻略では非常に厳しいのはわかる気もする。

 他のブランドにしても、メーン販路は百貨店のハコだ。店づくりはフラットで、品揃えもセレクトショップのように奥行きがない。トップスからボトムスまで揃っていても、単品がハンギングか、たたみで展開されるだけで、編集力からしても今の嗜好には合致しない。それが若い客層を呼べない根本的な要因だろう。 商品力のカギとなる素材や縫製についても、原価率の圧縮から低下は否めない。大人の洋服好きから見れば、いい加減辟易している。もし、マッキントッシュファンがロンドンのコートを見ると、一目でクオリティの低劣を見抜くはずだ。それほどお客の目は肥えているのである。

 三陽商会はコートづくりでは歴史もあるし、独自の縫製ノウハウをもつ。ならば、これを生かして独自の企画でブランドを作るか、デザイナーにノウハウを提供してコラボレーションに注力すべきではないか。その意味で、クレストブリッジは実験的な取り組みなのだろうが、バーバリーセカンドレーベルの受け皿にするには、あまりに無謀すぎる。メーンターゲットの若者はカネを持たないから価格的に手が出ず、逆にカネに余裕のある大人からすればデザインが若すぎで安っぽい。バーバリーのセカンドレーベルが軌道に乗ったのは、バーバリーチェックというデザインアイコンとブランドバリュの浸透があったからだ。業界人以外はほとんどその名を知らない三原康裕氏には、あまりに荷が重すぎるのである。

 どちらにしても、売上げ回復が図られなければ、リストラは今後も続くはずである。そして百貨店アパレルの一角としての存在すら危うくなっていくかもしれない。

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垂直連携のバリエーションを増やそう。

2016-06-25 15:22:30 | Weblog
 「ファッション業界の再建のカギは、産地?クリエーター?それとも若者?」について、コメントしてみたい。

 先日、経産省の施策についてのコラムでも多少触れたが、筆者はファッション業界再建のカギは産地、クリエーター、若者といった断片的なものではないと考える。

 業界は川上の産地から川中のアパレル、川下の小売りまでが上手く機能して成り立って来た。ところが、景気低迷による消費不振やグローバル競争の影響を最初に受けるのは小売りだ。そんな小売りが売上げ不振で喘げば、仕入れ先であるアパレル卸にも波及する。さらに卸が利益をとれなくなると、影響は製造現場にまで及んでいく。このようなバーチカルなビジネス構図を考えると、どこか一端だけが革新し覚醒すれば、ことは解決するものでもなさそうだ。

 そもそも、ファッション業界がここまで衰退したのは、景気低迷や競争激化もあるが、それを根本原因にして皆がリスクを取らなくなったこともあるのではないか。例えば、小売りの代表格である百貨店は、デフレで低価格な商品が売れなくなっても、粗利益だけは確保したいからアパレルに歩率の積み上げを要求した。

 もともと、委託販売や消化仕入れでリスクを取らない商売を長年やって来ておきながら、売上げが低迷すれば取引業者に高圧的な態度で臨む。また販売管理費を下げるために人時配置を見直すLSP(レイバー・スケジューリング・プログラム)などを取り入れたものの、結局、売上げはメーカー派遣社員の販売力に左右される。収益回復はそんな簡単ではないとわかると、数字の論理に走らざるをえないのだ。あまりに虫が良すぎると言わざるを得ない。

 取引するアパレルとて、百貨店に要求されると、業者の立場から飲まざるを得ない。だが、今度はそのしわ寄せが素資材メーカーや下請けの縫製業者にかかっていく。大元が作った大きなツケを末端の弱い事業者が背負わされているだけで、誰かが責任を放棄しているだけに過ぎない。こんな不条理なことはないだろう。

 元来、日本のファッション業界は各事業者がもつ専門性のもとで仕事をし、それ以外のカテゴリーには乗り出さずにやってきた。皆があまりに良い時代を知っているだけに、良く言えば餅屋は餅屋に徹する、悪く言えばガラパゴス化していたのである。ところが、時代が移ろい、環境が変われば、嫌が上でも皆に自己変革を求められる。ただ、各自がバラバラのベクトルで変わろうとしても、実効性はないと思う。

 だから、川上から川下までの事業者が変革について一つの方向性を共有化し、パートナーシップを組んで(膝を突き合わせて)取り組まなければならないのではないか。そのヒントはマーケットにあると思う。業界が衰退し始めた根本原因は、皆が右に倣えしたことだ。同じシステムのもとで、同じようなテイスト、同じ価格帯の商品を販売すれば、競争は激しくなるし、価格は下がっていく。何より商品が同質化、陳腐化すれば、客離れが進む。

 であれば、今の市場にないような商品、お客を惹き付ける商品とは何かを考え、皆で作り出し、マーケットを開拓しなければならないということである。テイストや価格帯が似通ってきたことの反省に立てば、解決の糸口はテキスタイルなのか。素材感なのか。それともデザインなのか。それらすべてが関係する企画なのか、である。

 デザイン感性が若くても価格が高いと若者には手が出ない。でも、お金に余裕がある大人からずれば、デザインが若すぎると買うのに二の足を踏む。かといって野暮ったい従来のデザインでは物足りない。つまり、企画によって生み出される商品価値と価格とのバランスを見直すことではないか。考えられるケースをパズルのように組み合わせて検討してみる。それが企画であり、出て来た答えを具現化するのがクリエイティビティであるはずだ。

 筆者はDC世代の人間だが、当時から奇抜なデザインを好んだわけではない。テキスタイルがもつ可能性を最大限に生かしたデザイン。素材の持ち味を最大限に引き出すパターンが良かったから、というか店頭で見た時にそれらを瞬時に感じられたからこそ、好んで着て来たのである。ところが、今のマーケットを見ると、往年のデザインや素材感で培われた大人の感性にフィットする商品がほとんどない。あれだけ百貨店がブランドを入れ替え、SCが開発され、駅ビルがリニューアルしようともだ。これだけ客離れが起きていることを考えると、筆者だけが特別なのではないと思う。
 
 別に毎日、毎月、服を買うわけではない。1シーズンにコレってアイテムを1着買えば良い方だ。それだけなのに、そうしたウォンツにさえ応えてくれるアイテムがほとんど見当たらない。特にメンズファッションを見ていると、彼女や奥さん、娘さんはお洒落でいてほしいのだろうが、それを演出するアイテムのバリエーションがあまりに少なすぎる。もう少しテイスト、価格帯、そしてグレードを広げてもいいのではないか。その辺に閉塞した業界が再建するヒントがあるのではないかと思う。

 ファッション全体にも言えることだが、マーケットを冷静に分析して、どんなテイスト、どんな価格、どんな素材、どんなデザイン、どんなグレードが必要なのか。それに基づいて、川下から川上までがひとつのサプライチェーンを構成し同じ企画軸でもの作りを考えていく。同じベクトルの企画軸により川下のターゲット設定、川中にある与信力、川上がもつ技術や特性で垂直連携を組めば、いくつかのサプライチェーンが生まれるはずだ。それがバリエーションになっていくし、個性になるのではないか。そうすることで、お互いが自らの仕事の範囲内で、「責任」と「リスク」を分け合う。自らのカテゴリーで生じたツケは決して他社に負わせない。互いが切磋琢磨することで、業界全体に抵抗力がついていくと思う。真の意味の「協業」であって、強いと思い込むところが無理強いする「強要」ではない。

 少なくとも、こうしたビジネスモデルがよりブラッシュアップされることで、中間業者が入る余地がなくなるかもしれない。無駄なコストがカットされれば、仕事量にそった利益が責任とリスクをもつところに配分されていく。 個人的には原価率を45%程度までにあげていけば、今の市場にないクオリティと感度の量産服が生まれるのではないかと考える。体力がつけば、最初は点でしかない市場でも、それを線にし、さらに面へと広げることができるかもしれない。

 当然、資金力に限界があるだろうから、どこをセーブし、どこでリスクを取るのか。派手なイベント仕掛ける。広告に金をかける。展示会や地道な営業にマンパワーを割く。とにかく実店舗を出す。店はビルインか、路面にする。キャリーバックや包装資材の質は落とさない。これらは原材料や縫製、企画デザイン以外では当たり前のことだったが、どこかを削ぎ落として服づくりそのものの、素材や縫製、仕様にコストをさかなければ、変革はないと思う。すっかり陳腐化してしまった言葉だが、真の意味で選択と集中で個性を際出させないと「変わったな」と思えないのではないか。

 今までは一人で一つの仕事で済んだだろうが、特殊性がない部分では2つ3つは掛け持ちしないといけないかもしれない。例えば、企画担当者ができる範囲で営業に参画するとか。労務管理の問題も絡んでくるので難しいことは十分承知だ。

 最近、ファクトリーダイレクトSPAというシステムに注目が集まっている。アパレルメーカーを抜きにしてダイレクトに卸、小売りに取り組むものだ。一見すれば、産地や職人の技に注目する画期的な仕組みとしてメディアも礼賛しているが、それはアパレルメーカー分の利益がカットされるだけで、営業費や配送、売れ残りロスを考えると、工場出荷の原価は小売価格の33〜35%に抑える必要があるとの意見もある。確かに地方発を謳っても、銀座にショールームを設けてたんでは相当なコストがかかるのは当たり前だ。

 つまり、どこかをセーブし、カットし、リスクを取らないと、原価率は上がらないし、商品の魅力もアップしない。最初はキツいかもしれないし、我慢もしなけれなならない。となると体力とやる気がある若手(若者という意味ではない)がチャレンジする価値はあるだろう。ただ、経験がある大人が人任せにしていいわけがない。従来のビジネスフローにメスを入れ、コスト管理というか精査を行って、クオリティの高い商品づくりに取り組まなければならない。キツいことは十分承知だが、「いい商品だね」と言われるためにもやらないと変わらないのだ。
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