HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

最速は価値になるのか?

2017-04-26 07:26:52 | Weblog
 日本一の商業地、銀座。高校の時に初めて訪れ、社会人になってからもよく出かけた街だ。高級ブランドや老舗専門店には縁がなかったが、伊東屋のステーショナリーやマツヤギンザのデパ地下は御用達だった。だが、バブル景気が弾け、さらにリーマンショックに晒されると、ユニクロやニトリなどの低価格の業態が進出した。それでも、街の雰囲気は変わらず、ここに来て高級店が戻って来ている。その代表格が4月20日にオープンした「GINZA SIX/ギンザシックス」だ。

 国内外のラグジュアリーブランドから有名デザイナーの新業態、アート&カルチャー、飲食までとフルラインの品揃え。ヨウジヤマモトの「グラウンドワイ」、ヘアアクセサリーの「アレクサンドル・ドゥ・パリ」、英国のアウトドアブランドの「バブアー」、アメトラの「フリーマンズ・スポーティング・クラブ」など、注目店にも事欠かない。それだけ銀座という街に期待が集まる証左だろう。

 小売り業界はデフレが解消したとは言い難く、個人消費は依然として低迷が続く。いくらネット通販が伸びていると言っても、実店舗は苦戦を強いられている。差し引きすれば、プラス成長とは言い難い。その意味では、日本一集客力のある街に誕生した新店だから、お客を「行ってみよう」という気持ちにはさせるはずだ。筆者のように地方に住みながらも、銀座への思い入れが強い人間なら、なおさらである。

 今から20年ほど前、米国ニューヨークのあるレストランオーナーはこう言った。「人間は外出したい。だから、お客さんはやって来る。要は工夫次第だ」と。買う買わないは別にしても、ギンザシックスでは実店舗というリアルな空間、接客を受け試着できる環境、肉声と人膚によるふれあいなど、お客は買い物の原点に立ち返ることができる。すっかり死語となった「銀ぶら」を復権させるきっかけに、なってほしいものだ。

 運営するJ.フロントリテイリングにとっても、百貨店がジリ貧状態にあるだけに、ギンザシックは生き残るための最後の砦かもしれない。不動産業として手当り次第にブランドをかき集め、日本初、旗艦店、新業態といった冠をつける陳腐なやり方だが、これ以外に目新しい方法が見つからないからしょうがない。だからこそ、最上級の銀座コンシェルジュという価値提案で、百貨店を超える業態に育てていかなければならない。



 現実に目を向けると、ひとつ気になることがある。ギンザシックス6階に出店する蔦屋書店が取り扱う洋書の価格だ。すっかりネット通販のamazon.comが浸透した中で、内外価格差があり過ぎるのは、競争力としてどうなのだろうか。
 同書店では5月4日、ニューヨークのメトロポリタン美術館で開幕する「Rei Kawakubo/Comme des Garcons Art of the In Between」に合わせて、特別編集した洋書のアートブック(同タイトル)をオープン初日から「世界最速」と銘打ち「先行販売」している。価格は8,424円(税込)だ。



 コムデギャルソンからすれば、Tシャツ1枚程度の価格だが、アートブックの次元からすれば、決して安くはない。たぶん、ブランドファンの若者なら真向かいユニクロ裏のドーバーストリートマーケットで、ウエアや靴を選ぶだろう。アートブックに興味があるのは、筆者のようにデザインに携わる人間か、カメラマンやスタイリスト、ディスプレイとして楽しむギャラリーや店舗のオーナーくらいだと思う。

 でも、どれほどが「世界最速」「先行販売」に惹かれるかである。特に洋書やアートブックに興味がある人間ほど、amazonを利用すると思う。発行部数が限定され、シリアルナンバーがつくような書籍なら、希少価値を想定し転売目的で購入する人間がいるかもしれない。おそらくネットオークションでは倍掛けくらいで出品されるはずだ。ただ、4月25日の時点でamazonのマーケットプレイスも、ヤフーオークションも出品はされてはいなかった。

 筆者もそうだが、多くが買いたいアートブックは、amazon.com、amazonジャパン 、国内の洋書店で、価格を比較するのではないか。amazon.comは送料がかかり、マーケットプレイスに出品されるものは、中古品でもレア価値の載っけられる。それを考慮しながら、このRei Kawakubo/Comme des Garcons Art of the In Betweenの価格を調べてみた。

 まずamazon.comでは5月30日の発売で37ドル54セント。仮に4月25日の為替レート(終値)110.30円/ドルで計算すると、日本円で4140.66円。送料無料となっているが、海外発送で仮に日本まで10ドルかかっても5200円程度だ。amazonジャパンはそれよりやや高い5596円(送料込み)。蔦屋書店代官山店のサイトでは、ギンザシックスの店舗と同じく8424円(税込、送料無料)となっている。



 amazonは本国、ジャパン社とも予約販売になので、現物は5月30日以降にしか手に入らない。それでも、蔦屋書店よりも3000円〜4000円程度は安くなる。つまり、 世界最速、先行販売ということに、どれほどの価値を見いだすかである。逆にamazon他が発売した後、蔦屋書店は値下げするのか。おそらくそれはないと思う(数年後には在庫消化でディスカウントするかもしれないが)。

 コムデギャルソンという世界的なブランドが発行するアートブックが「レア価値」を生むには、「VISIONAIRE」なんかと同様に数年はかかるかもしれない。とすれば、この価格差はかなり厳しいのではないか。

 蔦屋書店を運営するカルチャーコンビニエンスクラブは、自社のコンセプトをライフスタイル提案としている。増田宗昭CEOも今の日本人は何かが足りないと感じている。それは自分らしさとは何かという欲求で、そんな人が自分らしさを探す場がTSUTAYAだと。TSUTAYAにある音楽や映画、本には、様々なライフスタイルのイメージが散りばめられている。その中から、人々は自分らしさを見出していくというニュアンスを語っている。

 だから、コムデギャルソンのアートブックを世界最速、先行販売することも、その一環ということだ。付加価値で3000円〜4000円を割り増ししても、十分通用するという心づもりなのだろう。もっとも、ビジネスを考えると、銀座という一等地に店を構える以上、相当のコストがかかる。同店のプレス写真を見たが、カネのかけ方が違う。そのコストを吸収するためには高めの価格設定にしていると考えられる。では、本当に付加価値だけで書店として競争に勝てるのだろうか。

 子供の頃、「同じ商品でも銀座は値段が高い」という話を聞かされた。立地がそうさせるのだろうと子供心に感じていたが、バブルが崩壊すると銀座にも価格破壊や低価格業態が押し寄せた。今回のケースではギンザシックスという立地、ハード面の充実はあるものの、純然たる付加価値としては世界最速、先行販売でしかない。ただ、amazonの他に丸善や青山ブックセンターが発売した時点で、その価値はなくなる。この1ヵ月が勝負だが、果たしてどこまで書籍は売れるのだろうか。

 2012年、代官山に進出した蔦屋書店は、緑の中のゆったりしたオープンモールで、書籍の他にDVDやCDを作り込まれた什器で展開し、軽食やワインまで楽しめるなど、これまでにないブックストアとして登場した。東京出張の度に必ず訪れるが、一度も書籍、特にアートブックは購入したことはない。重くて荷物になるというより、価格が高いからだ。ここでも相当コストが載っているだろうと思う。銀座店はビルインでスペースも限られるから、なおさら高コスト構造ではないか。



 2014年11月に発売されたアートブック「YAMAMOTO & YOHJI」は、映画「愛の嵐」で一世を風靡した官能女優シャーロット・ランプリングも寄稿しているので、せひ購入したい1冊だった。発売当時、代官山店では16220円(税抜)。だが、amazon.comは71ドル27セント(Free Shipping)だったので、結局こちらで購入した。念のために昨日、代官山店に問い合わせると、まだ在庫は残っていた。価格も発売当時のままだ。現在、amazon.comでInternational Shippingに対応する書店で一番安いところでは、新品で66ドル29セントまで下がっている。送料を入れても9000円もかからない。内外価格差に利益が上乗せされ、なんと7000円以上もの開きがある。一般の商品なら転売やドロップシッピングがあってもおかしくない。

 蔦屋書店はアートブックがメーンではなく、売れ筋は一般書籍やDVDやCDになるは十分承知の上だ。ただ、それとて、どこまで収益を生んでいるのかと思う。店舗作りやロケーションに拘る以上、初期投資は相当なはずだ。さらに店舗を運営していくにはランニングコストもかかるわけで、ペイしているのかは甚だ疑問が残る。

 同社が総務官僚出身の樋渡啓祐元武雄市長と組んだ「武雄市図書館」のリニューアルは話題を呼んだ。しかし、中古のガイドブックなど市立図書館にふさわしくない書籍がリストアップされているのが指摘された。また蔵書費用として1万冊を1958万円で購入すると見積もりながら、実際には756万円分しか購入していなかったのは、市民から提訴されている。穿った言い方をすれば、都市型店舗の高コスト分を地方の書店作りで回収しているのではないかとも、考えられる。
 
 銀座だからショールームで十分。もはやそれは通用しない。ましてギンザシックスにとっても、売れなければ歩率家賃は入って来ない。リアル店舗のブックストアがネット通販と勝負する上で、価格差を超える価値提案は簡単なことではないと思う。
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破滅が忍び寄るのは誰。

2017-04-21 16:44:08 | Weblog
 昨年、11月から始まったZOZOTOWNの「ツケ払い」サービス。(http://zozo.jp/later-payment/)価格が「税込5万4000円」までの商品では、注文日から最大2カ月先まで支払いを「猶予」する仕組みだ。これが若者の自制心を奪い、金銭感覚を麻痺させる可能性があると言われ始めている。最初に警鐘を鳴らしたのは、週刊新潮4月6日号の「ZOZOTOWN ツケ払い2カ月 CMが言わない破滅リスク」である。

 記事を引用すると、

ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイ側は、こうした問題について

 「未成年者がご利用する場合は、保護者の同意が必要です。登録する前に利用規約を確認して頂いています」

と、一応は若者の購買欲求に歯止めをかけている。ただ、一方で同社の広報担当者が

 「クレジットカードを持たない若年層にすそ野を広げた」
 
「状況次第ですが、カード破産を経験された方でもご利用頂けます」


と、発表しているところを見ると、お客の問題より自社の売上げ追求を優先していると思えなくもない。しかも、ツケ払いは支払い方法の変更で選択するだけで、未成年の親が同意した根拠を示す箇所は見当たらない。カード破産者の与信(相手を信用して金銭を貸すこと)についても、決済代行会社の「GMOペイメントサービス」が行うとされているが、詳細な内容はわからない。



 かつてクレジット破産が社会問題化した時、国は法改正を行った。過剰な与信規制を行い、支払い能力による限度額を厳格にした。また消費者に過量(度を超えた数量)の商品を販売し、多重債務に追い込んだのであれば、商品を売った販売店、審査を行ったクレジット会社の共同責任とした。

 クレジット会社は、原則として顧客の総債務残高が年収の3分の1を超えるような過剰与信をした場合には、請求権の一部ないし全部が制限される。さらに年間支払い総額が年収を超えた場合は契約自体が無効となり、未払金の拒絶の他、既に支払ったお金の返還も認められる。クレジット会社に対して悪質な販売防止義務を負わせたのである。

 ところが、ZOZOTOWNのツケ払いは、法律の網の目をうまくすり抜けている。「割賦販売法」では「2ヵ月を超える場合」に利用者の与信審査が必要と規定されている。ツケ払いは2カ月以内なので、ZOZOTOWNはお客の信用=支払い能力に関係なく、商品を販売できるのである。

 ツケ払いと言っても、実際にはZOZOTOWNが個人に掛け売りをすることはあり得ない。間に決済代行会社のGMOペイメントサービスが入っているので、ZOZOTOWNから手数料をとり、お客が購入した商品代金を立て替えしているはずだ。GMOペイメントサービスは2ヵ月以内にお客から回収できるので、債権が焦げ付くリスクは低く、ZOZOTOWNとってもそれほどのフィー負担にはならない。まあ、理屈ではそうなるのだが。

 また購入できる限度額は「税込5万4000円」なので、未成年でもアルバイトをすれば払えなくはないだろう。仮にお客が支払いできなかったとしても、 GMOペイメントサービスが債権回収なども行ってくれるから、ZOZOTOWNにとっては痛くも痒くもないのである。実にうまく考えられた仕組みと言える。

 ただ、親に内緒でも商品を購入できることや成年でも支払いが滞るリスクはある。なぜなら、実店舗は販売スタッフがいるから、お客は「売りつけられる」という畏れや抵抗感を感じる。それが逆に購入への躊躇い、販売の難しさを生んでいるのだ。言い換えれば、そうした障壁を取り払ったのがネット通販で、新たに「消費者に過量の商品を販売する」危惧が生じるのも、また事実なのである。

 スタートトゥデイは1998年の創業から右肩上がりで成長し、2007年には東証マザーズに上場。12年には東証一部に変更した。ファッション通販の新興ベンチャーとして、IT業界はもとより、海外の通販企業、投資家などからも注目を一心に集めている。

 今回のツケ払いもそうだが、人気ブランドやアイテムの着こなしが探せるアプリ「WEAR」など、次々と新しい施策を打ち出している。売上げ伸長と株価維持のためなら、四の五の言ってられない企業事情なのだろう。そんなことを考えていると、ツケ払いにも通じる生々しい話を思い出した。

 筆者がアパレルにいた頃、高い販売力を誇るスタッフは「1億円プレーヤー」と呼ばれ、彼女たちは必ず何名かの上得意客を抱えていた。それはいいことだ。得意客が自分の収入の範囲内で商品を購入してくれる。それも全く問題ない。しかし、優秀な販売スタッフでも顧客と情が通じ合うと、必ずルール違反に発展するケースがある。当時聞いた話は販売スタッフと顧客が起こしたようで、おそらく実例が下敷きになっていたと思う。

 「ある店舗では、クレジットの控えの伝票を信販会社に渡すのを先送りしていた」

 これはどういうことか。顧客に商品を販売して渡したものの、クレジットの控え伝票を信販会社に渡すのを先に延ばしていたのである。こんなことができるのか。この話を聞いたときは、耳を疑った。さすがに今はカードが電子化されているので無理だが、インプリンターで紙の伝票に印字していた時代はできたのかもしれない。

 伝票を先送りした理由。考えられるのは2つ。

 「顧客の購入可能額が限度いっぱいで、決済が済まないと次の買い物ができない」

 「販売スタッフが上顧客への配慮=自分の売上げ維持のために行った」


どちらかである。

 店長がチェックしたり、本部が確認すればすぐにルール違反が発覚するはずだが、「優秀な販売員」ということで目をつぶらざるを得ない事情もあったのか。 他のスタッフにしても、「あのお客さんは資産家」「親からお小遣いをもらっている」から「大丈夫」とのイメージが摺り込まれていたのか。

 となると店舗、会社ぐるみで信義に反していたことになるわけだ。あくまで推測だが、売上げのためには組織的にルール違反をリークしにくい状況だったのだろう。しかし、姑息な手段で売上げを稼いだところで、それは優秀でも上得意でもないのである。

 翻って、ZOZOTOWNのツケ払いは法律には触れていないし、ルール違反でもない。ただ、決済を「先送り」している点では、このケースと酷似する。また未成年者の自制心を奪うことも危惧させる。膨大な数の若者が利用することを考えると、社会問題化する怖れがあり、企業としてのモラルが問われるのは言うまでもない。

 ネットショッピングでは、商品を購入するかしないかを判断するのは自分しかいない。しかも、実際に商品を見たり触ったり試着したりするわけではないので、判断能力を低下させることは十分にあり得る。それが未成年となればなおさらだろう。ZOZOTOWNに出店する1店舗での買い物なら数万円で済む。でも、未成年者に対し簡単に信用を与えるのは、金銭感覚を麻痺させる危険性があるのだ。

 ツケ払いは今払う金がないからそうするわけで、2ヵ月後に払えるという証明でも何でもない。法律的に保護される未成年はともかく、収入が少ない若者が支払えないケースも出てくるのではないか。借金は少額が積み重なっていつの間にか膨れ上がる。そうなると取り立てに追われたり、返済のために身を滅ぼしかねないとも限らない。

 売上げは購買と販売という関係で成り立つが、背景にお客の信用があってこそ、店舗にはキャッシュが入って来る。業界は商品が売れなくなったと憂う一方で、度を超えた買い物で多重債務を抱える人間を生み出していく。それは個人責任だからしかたないと片付けるのなら、企業がCSRを口にするのもおかしいことになる。

 DCブランド全盛期に販売スタッフが高額なローンを抱え、「夜霧のハウスマヌカン」と揶揄されたが、現実問題は決して笑い話で済まされないのだ。

 ZOZOTOWNに出店する店舗は1000近くに及び、ブランド数は3800を優に超えている。スタートトゥデイは若者を破産に追い込むリスクをどう考えているのだろうか。それとも上場企業だから、ステークホールダーの利益しか考えないのか。

 いくら次々に商品が発売されると言っても、個人的にはZOZOTOWNが扱うテイストは大手セレクトを中心に似通って来ていると思う。ならば、ブランドの専用サイトで十分だということにもなる。また差別化のために新サービスの導入を図れば、運営コストが上がるのは避けられない。amazonといった海外勢の攻勢もあり、販売手数料やポイント付与の競争に晒されると、一人勝ちは難しくなる。

 ネット通販もそろそろ壁にぶつかりつつあるのかもしれない。オムニチャンネルが浸透していけば、逆に自社で店舗を持たない弱点が出てくる。目先の売上げしか考えないのは、企業にも利用者のお客にも破滅が忍び寄る黄色信号かもしれない。

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環境が味覚を磨く。

2017-04-19 07:05:51 | Weblog
 今回は業界ネタではない。ある経営者の訃報と在りし日を偲ぶ話だ。経営者とは、イタリアンレストラン「ピエトロ」の創業者、村田邦彦社長である。村田社長は4月9日、肺がんで亡くなった。75歳だった。(http://cowtv2.jp/c3/pietrotv/?id=23)



 ピエトロについては正直、全国ブランドになるまでほとんど知らなかった。創業は1980年、場所は福岡の天神3丁目ということだが、筆者がこの年の夏休みにこの界隈をうろちょろしていた時は、まだオープンしていなかった。

 創業翌年の1981年には、同社を一躍有名にするドレッシングの生産を始め、85年に(株)ピエトロを設立。89年、福岡市の湾岸エリアで開催された「アジア太平洋博覧会」を契機に、ピエトロは拡大路線を歩んでいった。それは1970年の大阪万博で、マクドナルドやロイヤルが成長軌道に乗ったのと同じ流れだ。

 レストランは80年代の後半からFCで多店舗化され、1993年には東京の渋谷にもオープンした。ただ、殺到するFCオーナー希望者に対し、村田社長は簡単に加盟させることはなかった。2店舗を経営していたオーナーが急死した時には、「あとを引き継ぐ方に加盟金を返すから、1店で頑張りなさい」と忠告するほど慎重だった。

 ドレッシングについては、価格勝負の量販品にするつもりはなく、まずはブランド力をつけるために百貨店を主な販路にした。今は九州産の玉葱や醤油を使った高級ドレッシングが北野エースや成城石井でも買えるようになった。しかし、当時は伊勢丹や高島屋に並ぶこと自体が異例だっただろうし、わざわざデパ地下まで行かないと、目にすることもなかったわけである。

 そんな話が経済紙誌を少しずつ賑わせても、筆者はドレッシングを使うことも、店舗に行くこともなかった。仕事の打ち合わせを兼ねてたまに利用したのは、ロイヤルが別会社で運営する「ランチャン青山」だった。渋谷の国連大学ビル横の路地を入ったアライブ美竹の1階にあり、店構えはそれほど派手ではなく、価格もリーズナブルだった。

 ロイヤルは福岡が発祥で、子供の頃から味に親しんでいたので、同じお金を出すなら知った店の方が安心感があった。またランチャン青山はキャンペーンの度に内容告知や優待チケットをファックスで送ってくれるなど、顧客管理も徹底していた。青学の大学院に通っていた友人や学生にご馳走したこともあった。東京に進出して数年目のピエトロは、まだまだそこまでレベルには達していなかったと思う。



 ところが、実際にピエトロの仕事をすると、村田社長の人となり、あるいは企業としての考え方に触れることができ、実に感心した。気づかされたのはスカイラークやデニーズのように、そこそこの味を低価格で売るモデルをパッケージ化し、店舗を増やしてくのとは、対極にある発想だ。料理という創造力が不可欠な商材において、独自のノウハウを徹底して突き詰めながら、統一的なブランド戦略を行使していたこと。だから、FC展開に乗り出しても、決して数は追わなかったのである。

 主導していたのは村田社長であり、村田社長でないとできなかったと思う。昨今、外食産業を取り巻く環境はますます厳しさを増しており、企業の多くが業績低迷に悩んでいる。現状の閉塞感を打開するといっても、国内市場は飽和状態で目新しい新業態を海外から持って来るくらいしかない。抜本的な攻め手を欠いているのだ。

 人手不足で企業側の採用意欲は旺盛だが、人材が確保できなければ出店戦略にも狂いが生じる。外国人労働者で簡単に穴埋めするというわけにもいかない。肝心な経営陣は外部から招聘されるケースも多く、ローソン会長を退いた玉塚元一氏のように一時の再生やテコ入れで終わるのがほとんどだ。経済紙誌はそのことだけ評価し、株価回復に注目するが、そこには先行きの展望など無いに等しい。

 でも、村田社長は違った。創業者であり、オーナーシェフである。料理人のクリエイティビティに加え、時代や社会に対する先見性、アーティスティックな感性まで持ち合わせながら、地道な経営努力も重ねていた。

 それを確信したのは2002年頃、ピエトロで雑誌タイアップの企画を手掛けた時だ。わざわざ東京から某出版社の編集長が来福し、村田社長と対面した。筆者も随行し、二人の対談を通じて誌面構成から原稿作成までを任せてもらった。そのとき、村田社長が語った話の一つ一つが筆者には点頭されることばかりだった。

(筆者が作成した記事より)

 「サラリーマン時代、先輩が原宿のパスタレストラン『壁の穴』に連れて行ってくれました。ここのスパゲティのおいしさたるや。高校時代に親父に連れて行かれた博多中洲のカレー屋『湖月』以来のカルチャーショックでしたよ」

 村田社長は創業に際し、壁の穴の成松孝安社長から「うちのFCをやれ」と言われたが、断っている。FCで店舗が繁盛しても、他に同じ店があれば何にもならないからだ。自分でメニューを開発して看板商品にするべく、食材から調理、味、盛り付け、見せ方まで徹底してこだわった。もちろん、店づくりの内外装、ロゴマーク、キャラクター、ドレッシングのパッケージなど、ピエトロのブランド構築におけるすべてにである。

 こうした背景には村田社長が育った環境が影響している。実家は食堂で子供の頃から職人的な味づくりを経験し、大学を卒業後にサラリーマンとしてビジネスの戦略立てもやっていた。カレー屋の「湖月」は筆者も子供の頃に食べたことがあるので、良く知っている。味はまさに絶品で、これを超えるほどのカレーには東京でも出会うことはなかった。そうした体験は味の探求においても、なおさら生きたはずである。

 また食堂が忙しいからと言って、村田社長の母親はわが子に買い食いをさせることを嫌い、カルメ焼きなどのおやつを必ず作ってくれていたそうだ。父親が厨房で料理づくりに腕を振り、母親はお菓子作りにも手を抜かない。両親が作ったおいしい料理で味覚を磨き、料理人としての感性を研ぎ澄ませた。食育とは身を置く環境で、食に対する能力が養われるということ。これを服育に置き換えると、アパレル業界にも言えるのではないか。

 「元来、福岡はうどんをはじめとして麺は柔らか目が好まれます。最初の頃に出していた麺はお客さんから『煮えていない』とずいぶん言われてました。お金を払うのはお客さんだから、『本格的なスパゲティは麺は硬めです』とも言えません」

 ピエトロもご多分に漏れず、順風満帆だったわけではない。タモリも何度か語っているが、「食べていて麺がぷちぷち切れるのが博多うどん」だ。最初の3年間はお客さんがおいしいと言われるままの硬さに合わせ、あえてオーバーめにボイルしていた。それでも満足していたわけではないので、セットメニューなどでアルデンテを提案している。

 「オープン当初からドレッシングにも人気があって、近所の奥さんたちが『これなら主人や子どもが野菜を食べるので、分けてほしい』と言ってきたんです。挙げ句には食料品店の方が卸してくれとやってきたり、日曜日のたびに買いに来る人が増えてきて…」

 ピエトロを全国ブランドに押し上げたドレッシングは、まさに村田社長の料理人としての技と味覚が凝縮された結晶と言える。夜の11時に店を閉め、それから作るので明け方の4時くらいまでかかっていた。とにかく作るのがたいへんだったようだが、この時にじっくり製造ノウハウを積んだことがブランドのベースになったのは言うまでもない。

 「85年に出店したFC店は、雰囲気が全く違っており、これではダメだと思いました。それでFCはピエトロの魂がわかってもらえる個人オーナーにやってもらうことに。展開としては福岡市内は自分が行い、市外と他県は他の人に任せることにしました」

 味や店づくり、看板がみなピエトロであっても、どこかが違う。だから、自分の感覚を大事にし、それに気づかない人には任せない。それも経営手法である。ピエトロは2001年にダイエーとの取引で公正取引委員会の排除勧告を受け入れた。しかし、それは株式の上場を控えていたため、無意味な争いを避けるためだ。



 むしろ、村田社長は商品と価格に対する見解の相違について、徹底して議論していいというスタンスだった。一度でも安売りがまかり通れば、ブランド価値は一気に落ちていく。ダイエーはドレッシングの安売りで稼ぐつもりだったのだろうが、自身はイオンに買収され既にない。創業者として、企業のDNAを守るのはこういうことかもしれない。

 他にもいろんな話を聞いた。ちょうど2002年頃、俳優の小林薫を起用したドレッシングの全国CMがオンエアされた。「おいしいサラダを食べていますか」というキャンペーンの一環で、独身役の小林薫が転勤先の福岡でピエトロのドレッシングに親しむ設定だ。

 屋台編では、 離婚した友人役の岩松了が「お前、ずっと独りだろ。食事とかどうしているのか」と聞き、小林が「ピエトロって知っているか。これでサラダを食べると美味いんだ」と語るシーンがあった。このシーンで屋台の大将役を村田社長自身が演じていたのだ。このCMは数々のヒット作を生み出したディレクター川崎徹が設立したマザースの制作で、広告賞を受賞している。

 ピエトロでは、村田社長と担当部署の責任者がパスタ料理の本場イタリアに出向く視察旅行を行っていた。社内規程では役職によって出張手当ての額が違い、宿泊するホテルのグレードも変わってくる。しかし、村田社長は「星の付いたいいホテルに泊まり、美味しい食事をしないと、いい企画は立てられない」と、課長以下のスタッフには自らのポケットマネーで、グレードの高いホテルに泊まらせると話していた。

 既にあるイタリア料理というカテゴリーに、直感やイメージ、柔軟な発想をもってクリエイティビティを追及していく。そのためには拘りという投資が欠かせないということだ。まさに貧すれば鈍す。社員がいいアイデアが出せるのは、こんなことも関係していると思う。

 とかく価格やオペレーション、システムばかりで語られる外食産業において、何を企画し、そのためにはどんな手順で進めていくか。村田社長なりの創造力に基づいたやり方があったのだと思う。それによってピエトロという会社も「サラダスパゲティ」などのメニュー、「ピエトロ・バルコーネ」「ピエトロ・コルテ」「ピエトロ・エミーオ」といった業態など、瀟酒で秀逸なものを生み出し続けて来たのである。

 創業者として上場益が入ったら、「おしゃれなバスを買って、幼稚園をまわり、食育もしたい」と語っていたが、「おしゃれな」と言うところが村田社長らしい。でも、これについては本人は志し半ばではなかったかと思う。心からお悔やみ申し上げます。合掌

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これから問われる真価。

2017-04-14 16:03:57 | Weblog
 先日、JR博多シティの平成29年3月期の概要が報告された。メディア各社は「過去最高を更新」「1,061億円で過去最高」などと、業績が右肩上がりで伸びているように伝えている。確かに平成23年の開業から28年3月期まではそうだった。

 しかし、昨期は「JRJP博多ビル」飲食街の24億円分が加わっており、ベースが違う。その分を差し引けば1037億円。つまり、既存施設だけでは28年3月期の1035億円からわずか2億円しか増えておらず、業績はほぼ横ばいと見るべきだろう。

 施設別に見ると、ショッピングセンターの「アミュプラザ博多」が389億円(対前年比1.7%増)、百貨店の「博多阪急」が444億円(同1.3%増)で、どちらも増収はわずか1%台でしかない。明らかに売上げが鈍化している証左でもある。

 逆に「アミュエスト」「博多デイトス」「デイトスアネックスコンコース」などは202億円で、こちらは対前年比4.9%減となっている。デベロッパーの(株)JR博多シティが「熊本地震の影響で一時、インバウンドを中心に観光客が減少した」と語っていることからも、お土産や飲食、トラフィックの売上げ減がもろに響いたと言える。それくらい観光客頼みでは、反動が大きいということだ。


 昨期はKITTE博多、JRJP博多ビルの開業で、JR博多シティ2階部分のペデストリアンデッキが両ビルまで延伸されている。地下1階も地下街でJP博多ビルの地下飲食店街とつながった。ハード面の整備で回遊性が良くなり、飲食需要の24億円(計画比32%増)が上積みされたのである。

 観光や出張でやってくるお客は、アミュプラザ博多「くうてん」の高級レストランでもいいだろう。JRJP博多ビル2階の「俺のフレンチ」「ハードロックカフェ」にしても、非日常のニーズになる。ビジネスマンやOLが気軽にランチをとれる飲食店街は、JR博多シティではこれまで「博多一番街」「博多デイトス」くらいしかなかった。

 食については新店がオープンすれば、食べに行ってみようという消費者心理が働く。このことからも、JRJP博多ビルの地下飲食街が計画比32%増となったのは、ある程度予測されたことと言える。

 ただ、デベロッパー側は「飲食店急増の影響で大型飲食街はボリュームゾーンで苦戦した」と言う。日常のお客を取り込むには価格帯は重要だから、気軽に食事ができる飲食店を誘致すれば、既存店が苦戦を強いられるのは当然だ。

 例えば、くうてんの9階にある広東炒麺・南国酒家は「あんかけ焼きそば」の専門業態になる。フランチャイジーで運営するのは、地元メガFC「BUNコーポレーション」だ。デベロッパー側は「南国酒家」というブランドからくうてんに配置したのだろうが、経営する側からすれば、ゆったり座ってゆっくり食事をするとなると回転が落ちるから、どうしても客単価を上げなければならない。

 BUNコーポレーションとしては、フルメニューの中華では調理スタッフの育成が不可欠で、名板貸しでの運営は難しい。駅ビルという立地を考え麺類に特化して早く食べられることで、回転を上げる方を選択したのである。しかし、この手の業態はランチ向けの新店が増えると、影響は避けられないということである。

 回転のいいメニューは麺飯を中心に限られているし、飲食は和洋中、ファストフーズと顔ぶれはほぼ決まっており、新業態といっても半年もすれば飽きられてしまう。博多一番街の因幡うどんなどは旧博多駅時代からの地元テナントで、入れ替えは容易ではない。特に和食ファストフーズは忙しいビジネスマンにとっては不可欠だ。

 むしろ、外食はブームを追いかける方がダメなのだ。「クリスピードーナツ」が典型と言える。JR博多シティでも長蛇の列が続き、ドーナツでは例を見ない1ヵ月で1億6000万円を稼ぎ出している。しかし、ブームは終わるし、その通り閉店した。飲食業態の浮き沈みがいかに激しいかをうかがわせる。日常のニーズを大事にしながら、息の長い店舗を育てていくしかないだろう。



 一方、ファッションなどの物販は、アミュプラザ博多の主力テナントであるセレクトショップが好調で、衣料品に限っては対前年比3.9%と堅調のようだ。でも、トータルで対前年比1.7%増しかないところを見ると、雑貨の巨人「東急ハンズ」もそろそろ足踏み状態ではないのだろうか。

 博多阪急は周囲に競合が少ないメンズ、キッズが開業からの好調を維持している。しかし、レディスフロアは苦戦気味だ。ヤング向けの「HAKATA SISTERS」はブランドごとの好不調や衰退をもろに受けるし、キャリアやミセスは百貨店系アパレルの不振で回復のきっかけをつかめていない。売れる商材が見当たらないのである。

 全体的にみても、外商は顧客開拓で知名度や地域4番店がネックになるだろうし、インバウンド消費(売上げ構成比6%)の減退が続けば、今期は対前年比でマイナスになってもおかしくない。

 博多駅はJRの他に地下鉄空港線が乗り入れ、1日の乗降客は34万人を超える。JR博多シティはこうしたインフラを生かして売上げを積み上げたわけだ。今後も売上げを伸ばしていくには、いかに魅力あるテナントを集め、売れるブランドを誘致し活性化を図っていくか。セオリーとしてはそうなのだが、地方でリーシングできるブランドは限られており、立地で優位に立つ「天神」も立ちはだかる。

 飛ぶ取りを落とす勢いのネット通販がここに来て、配送という課題を抱え始めた。まだまだ売上げは伸びるとは思われるが、同時に返品も増えているという皮肉な話もある。それでもアパレル各社はECに注力すると言っているし、オムチャンネルの時代がやってくるのは時間の問題だ。

 JR博多シティはそれまでにどういった手を打つか。マーケットには必ず揺り戻しがあるから、来年にかけて「店舗販売の復権」があり得るかもしれない。これは何も全国チェーンや有名ブランドが担うとは限らない。ファッションを扱うデベロッパーの使命として、テナントのインキュベーションという原点を見つめ直さないといけないのである。

 今回の概要では「JR九州のハウスカードJQカードの有効会員数がアミュプラザ博多で3万人を超えた」「会員は常時5%オフに加え、年間数回実施する10%オフセールで衣料品売り上げを支えた」という点もアピールされている。

 裏を返せば、テナントにとってこの5%は粗利益を削る要因であり、ボディブローのように効いて来ている。全国チェーンなら全体売上げでカバーできるが、中小の小売店では厳しい。現に個店の中には堪えられず撤退したところもあるくらいだ。JR九州全体で会員数が55万人に達したからと、喜んではいられないだろう。

 まあ、これまでが良過ぎたのかもしれない。プロモーションに起用したタレントが駐車禁止の反則金を70回も踏み倒したなどの醜聞が出たのは、降板後だった。今期起用のタレントも不倫問題のほとぼりは、十分に冷めたようである。

 インバウンド消費の減退が懸念材料くらいで、他に不安要素は見当たらない。ただ、既存施設の売上高が対前年比で1%台まで落ちた現状をどう捉え、次の施策を打ち出していくか。JR九州は上場企業となったわけで、投資家は売上げ動向を注視している。不動産事業の一つとしての駅ビルの真価が問われていく。

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ストアレスは正論なのか。

2017-04-12 07:22:49 | Weblog
 昨年から言われてきたネット通販に対する配送事業者の対応。いよいよひと区切りつきそうである。宅配最大手のヤマト運輸がネット通販アマゾンの「当日配送サービス」から撤退する方針を固めたのだ。

 一般にはヤマト運輸が人出不足から、当日配送サービスを受託できなくなったと言われる。ただ、ドライバーの頭数が足りていても、何度も配達するのはその分のコストがかかるわけだ。アマゾンと契約している配送料金(通常平均単価578円の半額程度)では、コストが吸収できなくなった証左だろう。

 ヤマト運輸は当日配送の縮小だけでなく、運賃の引き上げも要求している。アマゾン側が値上げに応じなければ取引停止も辞さないようで、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長して来たアマゾンも新たな対応を迫られるだろう。ただ、課題は配送の問題だけに止まらない。通販事業者は差別化のために「返品自由」にも目を向けているからだ。

 ネット通販にとって不変の課題は、「現物を見ない」「試着をしない」で購入する顧客の心配や不満である。デジタル技術の発達で写真の解像度が上がり、サイト掲載商品の色や質感は現物と遜色なくなっている。しかし、ファッション衣料や靴といった身につけるものは、サイトから受けた印象と「現物は違っていた」のは、往々にしてあることだ。

 試着をしないのだから、現物を購入するまで感触や着心地、フィット感はわからない。それを買う前に体験することは、現状のシステムではできない。というか、バーチャルである以上、どだい無理な話。だから、買って失敗したというお客は少なくないはずだ。

 そこで、取り入れられたのが「返品自由」である。通販サイトによって「◯日以内返品可能」「サイズ交換OK」「返送料無料」を導入している事業者もいる。これらを利用して、サイトガイドや仕様表示、レビューだけでは詳細がわからない場合には、2型や2サイズを購入して合わないものは返品するお客も増えている。

 さらに◯日以内が「20日程度」なら、実際に着てから返品するお客もいるようだ。これについての是非は、ここでは言及しない。むしろ、利用客にとってのネックは、返品するための梱包や返送に手間がかかることだ。日本における通販の返品率が2〜3%(https://matome.naver.jp/odai/2139582466197413501/2139589181536030503)に止まるのは、そうした理由もあると思う。

 問題は返品自由が当たり前になってくると、顧客の中には配送スタッフを玄関先で待たせておいて、その場で試着して合わない商品は「持って返ってよ」という強者が現れないとも限らない。また返品自由を利用するお客が梱包を丁寧に行うとは思えないし、ネット通販事業者側もそれを想定し少しでも返送を楽にしようとするだろう。

 しかし、梱包に不備があり、荷物が破損して商品が汚れたり、傷ついたりすれば運送約款上、運送業者が責任を取らなくてはならないケースもある。 返品ルールがあったにしても、ネット事業者が返品商品を受け取るわけではい。あくまで運送業者が対応しなければならず、返送品の受取から梱包チェックなど、新たな負担が生じるのである。

 衣料品はともかく、靴は試し履きをしないとフィット感はわからない。革靴では履き始めて何日か経って初めて足に合う、合わないがわかることもある。「20日以内なら、使用されていても返品自由」となれば、着たり履いたりして合わなければ返せばいいとか、レンタル感覚で楽しむなど、返品率は3%どころかさらに増えることも考えられる。

 ネットビジネスの経営者やECコンサルタントの中には、「全額返金保証制度」を導入すればそれが担保となって返品率が下がると語る諸兄もいらっしゃる。しかし、それは返品の手間がかかることや通販事業者との信頼関係が前提でのことだ。競争激化や返品自由の状況では、手間や関係性などなし崩しになっていくのではないか。

 第一、1日でも使用された商品は正価での再販が不可能で、返金すれば売上げはゼロで商品ロスは発生する。顧客から返品自由の年会費をとったにしても、収益が圧迫されることに変わりはない。ブランド力やサービスを訴えたからといって解決する問題ではないだろう。ネット社会の民衆に日本古来の慎み深さを求めても、仕方の無いのだ。

 米国ではネット通販の利用客は衣料品の30%を返品すると言われている。(https://www.bloomberg.com/news/articles/2015-12-29/online-surge-leads-to-many-not-so-happy-returns-for-retailers)おそらく、靴になるともっと多くなるのではないか。日本も遠くない時期にそうなると思われる。となると、ECには配送だけでなく、返品まで含めた新たな施策が必要になってくる。

 個人的には「減らすべき無駄がある。」(http://blog.goo.ne.jp/souhaits225/e/9e27305c47537cadfba8bc3a185ac318)でもユニクロが抱える課題として書いたが、店舗にあれだけ膨大な在庫を積み上げ、仮に50%しか消化していないのなら、残る50%の商品運搬費、管理に当たる人件費、在庫展開の不動産賃貸料はムダと考えられる。ならば、店には在庫を置かずにコストを削減した分で、EC顧客への配達や返品などのサービスを充実させてはどうだろうか。

 ECで流通するような商品には、お客の側が出向いていく「受取拠点」の拡充も不可欠だと思う。都市部ではコンビニや駅のロッカーがその役割を果たすようになって来ている。嗜好に左右されない商品ならそれでもいいだろうが、衣料品や靴ではどうしても試着が必要で、返品するには梱包の手間がかかる。

 筆者は現在、福岡市の天神が生活圏のため、こうした受取拠点としてヤマト運輸の福岡舞鶴センターか、福岡中央郵便局を利用している。仕事をしている時は事務所での受け取りもできるが、「午前中配達」を指定していても、ヤマト便は正午ギリギリにしか届かない。それほど福岡でも荷物が増えているのだろう。午後から打ち合わせで出かけることもあるので、フランスや米国からの荷物は舞鶴センターや中央郵便局に留め置きする。こちらの方が出先から受け取りに行けるので、非常に便利だ。

 その意味で、ネット通販については、街中や郊外SCにEC専用の倉庫型の「デポ」や「スポット」を設けてはどうだろうか。そこに注文品を配送し、顧客が受け取りに行って返品対応まで任せられるのであれば、好都合だ。配送事業者にとっても再配達や返品受付の手間が省け、荷物が汚損、破損するリスクもなくなる。もちろん、商品をきちんと受け取り、返品処理も自分で行える人はこの限りではない。

 ユニクロのような商品こそ、店には試着用のサンプルだけ置いてあとは、デポで対応すればいいのではないか。こうした考え方を詳細に詰めてシステム化すれば、ファッション衣料や靴を含め通販商品全般で対応できるのではないか。ゆくゆくは専門のスタッフが常駐して、顧客はそこで試着して接客を受け、それでも気に入らなければ返品を受け付けてもらえばいいわけだ。ECの課題はそこまでやらないと解決できないと思う。

 当然、そのコストを誰が持つのかである。店舗を持ちたくないアパレルメーカーや小売業者、ECをさらに拡大したいネット事業者、そして顧客。三者が負担しなければならないだろう。こうした仕組みはオムニチャンネルを浸透しさせていく上では、避けられないサービスになると思う。

 店舗販売はマーケットが限られ、ECは現物が見られず試着できないと、それぞれ一長一短がある。ネット通販が登場したときは、ストアレスを主張にする方々も少なくなかった。確かに店舗はあっても欲しい商品が見つからないという課題はあった。それをボーダーレスのECが解決してくれたかに思えた。しかし、ECが浸透するに従って、今度は配送や返品という新たな課題が生じたのである。

 つまり、どんな優れたビジネスモデルやシステムも完璧ではないのだ。これからは店舗の役割をデポやスポットといった受取拠点が担っていく可能性もあるわけで、ストアレスが正論か否かはそこが機能するかにかかっていると思う。

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FRはフェイク止まりか。

2017-04-08 14:17:33 | Weblog
 ユニクロを展開するファーストリテイリングが先日、ニューヨークで初めての展示会を開催した。当地がもつ世界への発信力に期待し、プレスプレビューを通じてグローバルメディアでの露出効果を狙ったようである。

 同社がこれまでに語ってきた「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」。昨年からは「今までのアパレルブランドとはまったく異なるライフウエア」「世界唯一の新しいカテゴリーの服を追求し続ける」と、訴えている。企業理念やスローガンはフランスだろうが米国だろうが、どこのアパレル企業も掲げている。要はそれが示す通りの商品を提供し、お客を満足させられるか。それがいちばん難しいのである。

 同社が掲げる理念やスローガンを見ると、もっと早くニューヨークで情報発信しても、良かったとみる向きもあるだろう。ただ、ここまで後ろ倒しになったのは、情報の中身である「商品企画」がまだまだ米国レベルに追いついていないと、柳井会長は判断していたのではないか。

 実際、ユニクロの商品はベーシックで、最先端のトレンドを追いかけるものではない。価格に対して品質が良く、機能性が優れていることが売りだ。だが、ファッションの場合、メディア受けのポイントは第一印象。ヴィジュアル面でのインパクトが重要で、デザインで存在感が無いのはハンディになる。そこをメディア側も見逃すはずがない。

 同社ははるか以前からニューヨークにデザインルームを置いているが、本部サイドが世界中でコンスタントに売れる企画を重視するため、提案面で特段の成果を発揮してきたとは言い難い。しかも、米国事業は赤字が続いている。柳井会長のことだから、その辺をメディアに突っ込まれないように満を持してのNY展示会だったのではないか。

 時系列でいけば、先にジル・サンダーやクリストフ・ルメールとコラボして話題性を振りまく。昨年からはルメールのデザインチームによる「Uniqlo U」をスタートし、アパレル関係者に「縫製が微に入り細にわたって丹念」と言わしめるほど、商品づくりに磨きをかけている。こうして幾重にも実績を積み重ねることで、ユニクロの価値はグローバルメディアに対しても十分に通じるという自信がついたのだと思う。

 展示会では「デニム」「Uniqlo U」「エアリズム」など、ユニクロ注目のカテゴリー別に展示がなされ、それをモデルに着せた2017-2018秋冬コレクションも行われている。どんな商品が企画されたのか。米国単独の企画があったのか。メディアの反応はどんなものだったのか。報道を見るだけでは、詳細はわからない。

 ここはプロとして商品を見た印象をストレートに書いてみる。プレス写真を見る限りでは、少しはニューヨークでの売れ線を意識したように見える。特に筆者が注目するのは、フェイクレザー(たぶん合成皮革)を使ったジャケットやコートである。

 従来のユニクロでは秋冬の定番はフリースやダウンだった。ただ、ニューヨークに限れば真冬の気温は氷点下になる厳しさ。インナーはヒートテックで賄えるとしても、アウターには防寒用のアイテムが必須になる。ただ、ダウンは他社も作っているので別に珍しくなく、それに代わる目新しいものを提供できれば、ヒットの可能性は高い。それを自社の素材開発力を生かせるフェイクレザーで試したいのではないか。

 「人工皮革に注目を向けさせよう」と考えても不思議ではない。ユニクロの得意技が発揮できるのでブランディング戦略にも好都合と言える。ヒートテック以降、ヒットアイテムが出ていないだけに、何とかしたい思いは強いはずだ。

 柳井会長は「ファストファッションをやるということでは決してない」「良い情報を集めて自分たちに適した商品はどういうものかを見極め、それに沿った商品を作っていくことに尽きる」と語った。それは単に「安い」「早い」を重視して、品質や完成度を犠牲にするファストファッションには与しないということだ。

 しかし、米国市場で苦戦が続くのは、ベーシックな服だけでは通用しないからだ。特にユニクロの存在感を示すにはニューヨークでの評価は重要で、ファッションにこだわりをもつニューヨーカーに対し、流行を起こすようなアイテム提案が不可欠になる。個人的にはフェイクレザーのライダースジャケット、 ムートン風のコート、一部使いのウールコートなどで、まずは都会的な「着こなし提案」をしたいのではないかと考える。

 モデルにコーディネートした写真を見ると、ライダースのインナーにロングのダウンベストやロングスカート、レギンスを合わせている。冬のニューヨークはフェイクレザー1枚ではあまりに寒い。かといって、カジュアルで重たいコートはありえない。これならヒップ回りのボトムが野暮ったく見えず、マンハッタンを颯爽と闊歩できる着こなしになる。さらに寒くなれば、ムートン風などカジュアルなコートに着替え、ロングパンツを穿けばいいのだ。

 ファッション性、機能性、MD上という3つの条件をクリアする意味では、レイヤードスタイルという企画に落ち着きやすいと思う。販売戦略でもまとめ買いを促せるので、客単価のアップにつながる。逆にカリフォルニアは冬でも温暖だから、Tシャツの上にライダースでも十分いけるだろう。

 ユニクロは6〜7年前にレディス企画で、フェイクレザーを手掛たと記憶している。1型か2型程度でそれほど露出することもなく、1シーズンで終了している。2012年にアンダーカバーとコラボした「UU」でも一部見られたが、春の企画では合皮が本革のように伸びないためか、隅の始末でステッチの入れ方がいびつな商品が堂々と並んでいた。これは現場から柳井会長の耳に入っていたはずである。それが理由かどうかはわからないが、それ以降、レギュラーのアイテムではフェイクレザーは見かけていない。

 ユニクロのプライスラインでは、「本革」の使用は無理だ。低所得者が多い米国市場を攻略する上でも、投入は考えにくい。前回はベーシックなデザインが企画され、レザー特有のカッコ良さはなかったから、売れなかったという反省もあるだろう。縫製上の課題もある程度はクリアされたのではないか。だから、今回はライダースやムートンなどを仕掛けて来たと思う。ただ、これを日本に逆上陸させるとなると、どうだろうか。

 おそらく日本でフェイクレザーは売れないのではないか。ライダースはここ数年のトレンドで、合皮にしてもファストファッションが先行する。ムートンは量販系がすでに売り出している。今の日本では本革のライダースですら2万円以下で買えるし、オークションやユーズドのサイトではブランド品が格安で出回っている。大手ファッション通販では、未成年でも5万円以下はツケ払いが可能だ。若者はそちらに目がいくと思う。

 逆に所得に余裕がある大人は本革を購入できるから、フェイクレザーは支持しない。そこからもれている低所得者層を狙うなら、むしろGU向きのアイテムかもしれない。言い換えれば、それほどユニクロの企画がグローバル市場では頭打ちだとも言える。フェイクレザーは本革仕様の商品開発に踏み切れないユニクロの限界を写し出す。でも、それはユニクロが一番わっているはずだ。

 ニューヨークで売れないものは日本でも売れないだろうが、ニューヨークで売れたからと日本で売れるとは限らない。解決策は大陸ごとにマーケティングし、独自で企画をすることだろうが、そうなるとヒットアイテムは出にくくなる。かと言って出退店計画や店ごとに品揃えを変える程度では、米国事業における黒字転換にはほど遠いと思う。

 柳井会長はトランプ政権が進めている税制改革に言及し、国境調整による輸入関税を課し、企業に米国内での生産を求めるような要請があれば、「ユニクロはアメリカから撤退する」と発言した。「米国の消費者のためにはならない」との理由もつけたが、それは真意なのだろうか。筆者は「米国事業はいつ黒字化するのか」「できなければどう責任をとるつもりか」と、株主総会で投資家から突っ込まれた時を想定し、あらかじめ撤退するニュアンスをほのめかすことで、予防線を張ったのではないかと思う。

 ユニクロが商品企画において「ベーシックで上質」を売りにする限り、米国市場で今以上に売上げを伸ばせる理由は見つからない。NYでの展示会ではそれを超える何かを提案しようとしたのだろうが、グローバルメディアは商品を見た第一印象で、特にインパクトは受けなかったと思う。

 つまり、ユニクロの商品企画は米国市場攻略では完全に行き詰まっていると見ることもできる。人一倍プライドが高く、鼻息が荒い柳井会長が弱みを見せるとは思えない。企業ブランドにダメージがないようにうまく理由を付けていくはずだ。その意味でトランプ政権をヒールにすれば、自社も自分も傷つかないということである。

 柳井会長が語った「自分たちに適した商品はどういうものかを見極め、それに沿った商品を作っていく」は、商品づくりで答えが出せないことの裏返しともとれる。

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外から見れば当たり前。

2017-04-05 07:14:45 | Weblog
 大西洋三越伊勢丹HD社長の辞任について、ルミネ前会長の花崎淑夫氏がWWDのインタビューに答えている。 https://www.wwdjapan.com/405880

 大西氏が辞任しようが、解任されようが、部外者がどうのこうの言える立場ではない。また、百貨店グループの経営者に誰がなろうと、興味はない。関心があるのは経営の中身であり、何をどう実践していくかなのだ。その意味で、この記事で花崎氏が語った「百貨店としてやるべきこと」は、非常に共感が持てる。

 花崎氏は1968年に国鉄に入社し、民営化では経営側として労使交渉で辣腕を振るった。2001年6月に駅ビル「ルミネ」の社長に就任すると、従業員満足度(ES)に力を入れ、スタッフ専用の休憩所にソファーやフットマッサージを完備するなど、最高のコンディションで接客に取り組める環境を整備。05年には接客ロールプレイングコンテストの「ルミネスト」をスタートさせ、スタッフのモチベーションアップにも尽力した。

 とかく東大卒の国鉄マンと言えば、官僚膚でビジネスではつぶしが利かないイメージがあった。しかし、ルミネにおける花崎氏の施策をみると、当時から「この人は経営者だ」と思っていた。国鉄の総務部長時代に血の気の多い国労動労の連中と渡り合い、民営化にスムーズに移行させた経験がルミネの人心掌握でも生きたということだ。そんな人物だから、三越伊勢丹HDの大西社長解任にも、苦言を呈したい気持ちはわかる。

 報道では、大西社長解任に労働組合の関与が取り沙汰されている。だが、百貨店における労組の関わりなど業界で働く中で伝え聞いた程度でしかない。だから、解任理由であろうとなかろうと、筆者には論評するほどの知識もない。むしろ、経営が立ちいか無くなっている百貨店をどう立て直すべきか。そちらの方には非常に興味がある。それについて花崎氏が語ったことは、筆者がずっと考えていることとも共通する。

花崎氏は、大西前社長の取り組みについて、

 「大西さんが陣頭指揮を執って構造改革に取り組んでこられましたが、これは短期間でできるものではありません。しかも、経営企画を実行させるのは取締役や執行役員全員の職務であり、企画を作るだけで、あとは大西社長一人の責任、なんてことはあり得ません」

 と社長一人に責任を負わせることは不適当だと語る。確かに大西元社長は異業種との提携など、独断専行した面はある。その前提として、日本型経営では根回しという内部調整が不可欠だから、それに沿わなかった面があるのだろう。しかし、経営陣がそうしたやり方に反対なら、ハッキリと意義を挟むべきだろうし、きちんとした対案を出すべきだったのではないか。

 批判だけなら誰でもできる。それは民進党の能無し議員を見れば、火を見るより明らかだ。それ以上に水面下で解任にもっていくのは卑怯なやり方で、そんなことでは改革などできるはずもないと、花崎氏は言いたいのだと思う。

 執行役員に名を連ねている諸氏は、自分の肩書きの意味を理解していたのだろうか。会社の重要事項や方針を決定するのは、取締役の仕事である。執行役員は経営陣が決定した重要事項を実行しなければならないのである。百貨店改革で結果が出せないのは、自分たちにも責任があるわけで、それを差し置いて社長のみに責任を負わせるようでは、経営に携わる資格はないと思う。

 その意味で、今は現場を離れているといっても、花崎氏がインタビューで語った百貨店改革の手段は、非常に前向きで建設的な内容である。

 「百貨店の一つの方向として、大丸松坂屋のように、一部にユニクロやニトリ、ファストファッションまで専門店を導入してSC化したり、不動産を活用することは一つの方向性です。そこに加えて、自らモノを作っていくこともあるべき方向だと思います」

 他社の成功例は参考になるが、それを真似るだけでは競争力にはならないし、レッドオーシャンに飲み込まれるのは時間の問題である。花崎氏は、では何をすればいいか。「自らモノを作っていくこともあるべき方向」ということをしっかり提言する。

 筆者もここが重要だと思う。補足すると、改革の手段の一つはイノベーションを起こすことでもあるからだ。大西元社長は、旅行事業やブライダル事業との提携を進めたが、それらは既にあるビジネスで人口減少社会で急激に伸びるとは思えない。まして、提携程度では大きな収益が得られるはずもない。百貨店の業績回復には厳しいのはもちろん、とてもイノベーションにはなり得ないのである。

 三越伊勢丹という日本の百貨店をリードしてきた企業体なら、やはり新しいことにチャレンジしなければ、改革への道筋はつかないということもできる。これには経営側と対峙する労働組合に対しても、そのイデオロギーが「革新」であるなら、「自らの雇用を守るためにも前向きに考えろ」という花崎氏のリストラへのアンティテーゼが込められているのではないか。

 どちらにしても、経営陣に対しては、百貨店がジリ貧になっている現状を考えると、「仕入れて売ること」に特化していては限界がある。また、マーケットを見れば、お客が求めているのに、百貨店が商品を提供できていないこともあるだろう。だったら、「自らモノを作っていく」ことも必要ではということである。

 従来から百貨店は「メーカーが作らない」「問屋が持たない」「仕入れルートがない」との理由で、商品を揃えられない言い訳をすることが多々あった。平成不況で高額品が売れなくなると、今度は原価率を圧縮して自らの利益を確保していった。それをお客に見透かされて、一転、売れなくなったのである。

 それを受け止めた上で、どんなイノベーションを行うか。それが自ら商品づくりにチャレンジすることではないかということだ。

 「アパレルが疲弊している今、そこに頼りきることはできません。2~3割程度は自分で作らないと地方店を中心に商品調達もままなりませんし、同質化からも脱却できません」

 百貨店系アパレルが力を無くしている現状を考えるし、ラグジュアリーブランドや雑貨だけでもお客を捕捉できない。目の肥えたお客を再び百貨店に呼び戻すには、ファッションビルにも郊外のショッピングモールにもないような大人好みの商品。それを三越伊勢丹全店を販路にして仕掛けてはどうだろうか、と筆者なりに解釈する。

 ラグジュアリーや国内ブランドのハコを補完する従来の平場のような商品。新宿、銀座、三越のような旗艦店では売場を確保して、常時展開できるかもしれないが、地方店は定期的なイベント催事などで販売対応する。ブランド名のバッティングが許されないなら、タグを変えればいい。当然、在庫を抱えないといけないから、ネット通販にも対応して消化していけばいい。

 「これには時間がかかる。人作りや在庫などの投資やリスクも伴う。専門の大手アパレルでさえうまくいっていないのだから、そうそううまくいくわけはありません。それでも、覚悟を持ってやらなければならないものなのです」

 できるかできないかわからないことには挑戦できないとか、人を育てる時間がないとか、言い訳ならいくらでもできる。しかし、最初にビジネスに取り組むことは誰であっても未知なるものだ。やってみなければ成功はありえないし、イノベーションも起こせない。

 「メーカーが作った商品に売場を提供するだけ」「問屋が扱っている商品の販路を確保するだけ」「マイナーブランドの孵化を感じればハコ出店を促すだけ」。もうすべてが通じなくなっているのである。経営陣が二の足を踏んでいるなら、若手社員が立ち上がってプロジェクトを考えてもいいのはないか。

 外から見れば当然のことが内部にいると気づかない。百貨店という企業体は、変革を恐れるがゆえに組織の論理が優先され、ものを言わず行動もしない空気が蔓延しているように感じる。組織から一歩引いたところにいるアパレル経験者としては、いろんなアイデアが出せるし、チャンスがあれば企画提案することは厭わない。経営者も社員も覚悟に勝る決断はないのだから、ぜひ行動してほしい。

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素人に駆逐されるプロ。

2017-04-03 12:52:39 | Weblog
 仕事柄、カメラマンとの付き合いは長い。主にスチールだが、かれこれ30年以上になるだろうか。アパレルではスタジオ撮りからモデル撮影のロケまで頼んでいたが、プレスプロモーションの仕事をし始めてからは置撮りから取材やインタビューにまで広がり、私的なクリエイティブワークを含めると、あらゆるケースでお世話になって来た。

 今でも年に何度かは一緒に仕事をする。ただ、昔に比べると隔世の感がある。 カメラはデジタルに変わり、フィルムを現像する必要がない。カメリハからずっとパソコンでチェックでき、撮影は手間暇かからなくなった。撮った写真データはPhotoshopでレタッチもトリミングも行え、そのままIllustratorでレイアウトできる。

 極端に言えば、撮影はカメラマン一人でも可能だ。カメラそのものが家電化し、大まかな調整はプログラムされたシステムが自動的にやってくれる。人間は構図を整えて撮影を管理しながら、微調整するだけでいい。カメラマン自身が「求められるのは撮影の技術より、写真を加工できる能力だ」と言う。

 WEBデザインに使用する写真は印刷物ほどの画素数は必要ない。卓越した撮影技術も求められなくなっている。アマチュアでも撮影の仕事ができる反面、その影響が撮影費に及び値下げ圧力となっている。デジタル加工まで受けるとか、スチールだけでなくムービーまでこなさないと、プロとして食えなくなっているのだ。

 カメラマンは撮り貯めた写真をライブラリーに委託し、貸し出している。国内外の四季折々の景色・風物からポートレート、スティルライフまで、ロイヤルティフリーの写真を1枚当たり数千円から数万円で貸せるので、これが副収入になっている。

 ところが、今ではタダで使える写真がネットに転がっており、企業サイトなどの制作ではこれが使われるケースが多い。大手代理店がグロスでアカウントをもつ物件ならいざし知らず、Webデザイン会社が直で受ける仕事は、グラフィックに比べ端から「取り」=制作費が少ないせいか、利益を出すには「払い」=外注費をかけられない。

 そのため、Webデザイナーはどうしても写真やイラストカットはフリー素材で賄ってしまう。ネット全盛の現代においてカメラマンやイラストレーターの仕事が少なくなるはずだ。ただ、ネット事業者の中にはフリー素材を使うことさえ面倒なのか、他人が撮った写真を平気で借用(盗用)しているところがあると、あるカメラマンは言う。

 昨年、それを裏付ける不祥事が発覚した。DeNAのキュレーションサイトで、他人が書いた記事の引用が「盗用」にあたるとして謝罪会見を開いたことだ。経営陣は「知らなかった」という善意の釈明に終始したが、記事だけでなく写真までが無断で転用されている事実も明るみに出た。ネット社会の発展で情報の受信が完全にボーダーレス化した中、著作権管理は完全に形骸化してしまったことになる。

 大手ネット事業者は資金を出したベンチャー(DeNAのケースでは50億円で買収したMERY)に新種のビジネスを興させ、それで荒稼ぎさせればいいのだろう。あとは上場して投資したカネを回収すれば片付くのだ。そこではプロのカメラマンの「力量」や写真の「価値」まで尊重しようという発想は、無いに等しいと思う。

 ワールドワイドで、無尽蔵にアップされているWebサイトにおいて、いちいち著作権侵害をチェックしようものなら、電通の社員を自殺に追いやった残業どころの騒ぎではない。お上が残業時間を規制したことが、なおさらチェックの厳しさを助長していく。

 DeNAのケースを見ると、ネット事業者が生産性が上がらない部分に多くのコストを割くとは思えない。盗用されたと思われる投稿元の制作者には、 DeNA側が被害者に金銭の支払いを提案しているという。迷惑料として画像の転載1カ所あたり1000円程度を提示したようだが、金額の根拠を説明しないことに反発の声があがっている。収益を上げるためには倫理観どころか、オリジナリティなどどこ吹く風のようである。

 そんなこと考えていると、この道12年のキャリアを持つ、米国のファッションフォトグラファーの記事がネットにアップされた。「カメラマンはインフルエンサーに仕事を奪われている」:あるファッションカメラマンの告白である。

http://digiday.jp/publishers/confessions-of-a-fashion-photographer-i-dont-know-anyone-who-isnt-owed-thousands-of-dollars/


 これによると、米国のファッションメディアでも仕事がどう変わり、見合うギャラが得られているかの背景が明確にわかる。とかいうか、世界中どこも同じようである。

 「業界自体が変わった。…いまは予算が本当に厳しい」とのこと。

 かつて大手印刷会社の下請けで、チラシの撮影をしていたカメラマンは、「商品1カットが2000〜3000円だから、数をこなしても割に合わない」と言っていた。今はその半分以下だと思う。設備投資はかかっているわけで、そんな撮影単価では仕事として成り立たないのである。

 単価が下がっただけではない。ネット通販を個人でも行えるように、ホリゾントや照明まで揃えた格安のキットまで売り出されている。ネット通販を考える商店主もこれを使えば、店頭の片隅で物撮りが可能になる。その規模を拡大したのが「ツケ払い」まで始めた某ファッション通販サイトだろうか。それさえ模倣し、さらにコストダウンできると訴えた宮崎の業者も登場したくらいだ。撮影コストをかけないのだから、予算が計上されるはずもない。


 フォトグラファーへの支払いはしっかりしている点については、

 「未収金の額が2万7000ドル(約300万円)に達している。…表紙を含む4回の撮影の料金を払ってくれないクライアントに対しては、集団訴訟まで起こしている」

 知人のイラストレーターから聞いた話では、発注元である制作会社が倒産し債権者会議に参加すると、そこにはカメラマンやコピーライターも来ていたという。ネットを含め格安の料金を売りにする事業者との取引ではどうなのか。大きな利益は得てないことを前提に考えると、仕事は受けないことが自衛策なのかもしれない。


 もっとも、この記事で最も注目すべき点は以下の2つ。これがネットを中心にした今のビジネス環境を指し示す。まず「プロのカメラマンに対する見方」が変わったことだ。
 
 「インスタグラムと、写真を撮れるスマートフォンの存在が、この業界を大きく変えた。影響力のあるソーシャルメディアやブロガーもだ。質の高いコンテンツの制作よりも、コンテンツを早く作ることの方が大事であり、知り合いに誰がいて誰にコンテンツを届けられるかの方が、実際にどんなコンテンツを制作しているかよりも重要になった」

 プロのカメラマンが撮ったということより、写真原稿がどれだけ早く多くの人間に「いいね」「リツィート」されるかが重要なのだ。知り合いにSNSで月刊のブログアクセス数を公表されている方がいらっしゃるが、カメラマンもいかにお友達を増やしてアップした写真のアクセス数を稼ぐか。それが「評価」であり「価値」なのである。


 もう一つは、ソーシャルのインフルエンサーに仕事を奪われていることである。

 「数千人規模のフォロワーを抱えるインフルエンサーに仕事を奪われて、…クライアントの関心はいまはインフルエンサーにある」

 インフルエンサーとは、「インターネットの消費者発信型メディアにおいて、他の消費者の購買意思決定に影響を与えるキーパーソン」である。まあ、巷の解釈ではネット上で強い影響力を持つ個人ブロガーなど、消費者目線に近い人間ということだろう。

 ファッションはマスメディアのフィルターを通した情報が発信されても、すでにそれほどの反響はない。雑誌がほとんど売れなくなっているのがそれだ。メディア子飼いのカメラマンには受難の時代でもあり、淘汰は確実に始まっている。

 個人同士のつながりが重視されるネット社会では、業界慣れしてない方が多くの人間に共感を持たれるのは間違いない。それがインフルエンサーやブロガーに市民権を与えたのだろうが、その情報を鵜呑みすることは諸刃の剣でもある。情報発信に対する責任の所在が曖昧だし、側面にネット事業者が押し付けた価値観を感じられるからだ。

 なぜなら、ネット事業者はDeNAの不祥事のようにタダに近い記事を集めて、SEOでアクセスを増やしてバナー広告で収益を上げたり、取り上げた商品とは関係ないクライアントの通販サイトに誘えばいいからである。ビジネスの本流が「商品を作って売る」のとは違うところにあるのだ。

 コレクションを観覧しているインフルエンサーやブロガーがどこまでアパレル、糸へんの知識があるのか。まして撮影経験どないずぶの素人だ。すべてがそうだとは言わないが、多くが自分が生まれ育った環境、知識や学習の積み重ねでもたらされる知見はないだろう。実態は周囲を含めた狭い世界での価値観で生活しているのに、それでもアクセスが多ければ、あたかもそれが「正論」と他には何も言わせないし、言われない。

 ファッションの撮影はエディターとカメラマンが幾多の経験値のもとで、アパレルメーカーが企画した商品、デザイナーが創ったクリエーションに対し、「どこにスポットを当てる」「どこをどう見せる」なら、「写真はどう撮るのか」と、阿吽の呼吸でのもとで仕事をこなしてきた。だから、客観性があって事実がストレートに伝わるのだ。

 プロが撮った写真はテーマが違うし、カット一つ一つでクローズアップの仕方が違う。素材、色、質感、デザイン、カッティングと、ライトの当たり方で撮り方を変え、デザイナーの無言の主張をまるで言葉ように伝えてくれる。そこにエディターの文章が加わるから説得力がつき、誌面にレイアウトすれば、見る人に対しネットより格段に正確な情報が事実として伝わるのだ。

 単にファッションが好きで情報をタレ流し、それを多くが読んでいるから評価されるのは、いかに全体のレベルが低くなっている証拠ではないのか。そんな素人の情報発信にド素人が共感するのは異常なことだ。あくまで商品を評価するは、プロが発信した情報をもとに市場で実際に購入した消費者で、インフルエンサーやブロガーは単なる情報発信元の一部に過ぎない。 それはモデル崩れの三流タレント見たさに客が集まるガールズコレクションにも共通する。

 それをネット事業者があたかも正論と喧伝すれば、あまりに恣意的な情報がまかり通ってしまい、カメラマンはもとよりエディターさえ存在価値はなくなる。経験や実績は何の意味も持たなくなってしまうのだ。

 糸へんという環境に身を置いたこともないインフルエンサーやブロガーが自ら知識を付けようとすることもなく、錬磨されてない感性のもとで素材もクリエーションも技術も無視した自惚れな論説、業界知らずの評論でアクセス増やしたからと、なんぼのものかという気持ちでいる。

 だから、リスペクトと言えばおこがましいが、しっかり撮影してくれるカメラマンに対してもギリギリの状況まで付き合うし、自らコスト負担してギャラを出すように心がけている。誰かがやらないと、ファッションを伝えるプロは育たないからである。

 ファッションの情報発信に携わり、現場で経験を積み重ね、卓越した技術と見識をもつ仕事をして来たカメラマン、エディターというプロが報われるのが当たり前だし、ド素人の評論を利用して稼ごうというネット事業者こそ、そう遠くない時にまた新たなビジネスにとって代わられるかもしれない。

 ネットの隆盛はしかたない。マスメディアが衰退していることも事実だ。しかし、俄評論家のSNSのみでファッション市場が動かされることには、賛同はできない。そもそもマスで流れる情報にも商品にもあまり関心がないからだが。30年以上ファッション業界に携わって来たが、今はわかってもらえる人だけにメッセージが伝わればいいかと思っている。

 だから、レスポンスがどうのといったマスに対する責任も感じていない。それは自負でもなければ、やせ我慢でもない。同じ視点をもつカメラマンと仕事をすれば、「いいアングルじゃん」「ピンがばっちり」と会話も弾むし、あがった写真は情報としてすごく意味をもつと思うからだ。

 上質な生地で作られた芳醇な香りがする服が好きな人間は、そうでない人間よりも少しだけ心にゆとりが持て、垢抜けて見える。それに共感してくれる人たちにわかってもらえる写真や記事を伝えて行く。これからどうなろうが、それで十分だと思っている。

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伊勢丹騒動の余波と影。

2017-03-29 07:30:05 | Weblog
 ニュースとしては旬を過ぎた大西洋三越伊勢丹ホールディングス社長の辞任。一般紙はじめ、経済紙誌、流通系メディアの多くがその経緯と行く末を論じているので、ここで改めて語ることもないと思う。

 ここは福岡の百貨店に絞り、社長辞任騒動の余波と忍び寄る影を考えてみたい。主人公はまず「岩田屋」である。同社は長らく地域1番店として君臨してきたが、拡大路線で有利子負債が300億円に膨れ上がり、2002年に経営破綻した。

 2009年、三越伊勢丹HDが同社の株式を取得して完全子会社にしている。10年にはその岩田屋が三越グループの「福岡三越」を吸収合併し、(株)岩田屋三越が誕生。店舗は岩田屋、福岡三越に分かれ、営業している。

 岩田屋が破綻したきっかけは、流通戦争に巻き込まれたことだ。福岡は博多を中心に商業発展したことから専門店の力が強く、岩田屋のシェアは意外に低かった。ところが、大型商業施設が開業する度に、域外資本の専門店、専門業態が続々と進出し、それらに対抗するために岩田屋がとった拡大路線が裏目に出てしまったのである。

 NTT福岡ビル再開発事業に核店舗として出店した「Zサイド」の失敗がそれだ。1989年、岩田屋の社長に就任した創業者中牟田喜一郎氏の長男、健一氏は、西日本鉄道が進める再開発事業「ソラリア計画」で、新福岡駅ビルへの出店に失敗。地元ではこれが岩田屋凋落の元凶だとの見方が多数を占める。

 中牟田健一社長は、喜一郎氏から「俺の頃は日本の小売りがどうなるかわからなかった。お前は自分の店だけ考えればいいんだ」と言われ、全幅の信頼を得ていたわけではない。それゆえ自分の力を示すには、どうしても独断専行になってしまう。西日本鉄道との関係がこじれたことは、むしろZサイド出店に突き進む格好の理由になり得たのである。


すべての施策で成果を出せない

 Zサイドは1996年秋に開業した。店舗はファッションを主軸に置き、MDはブランドではなくライフスタイル・テースト別の編集で、主要ターゲットは「25歳から39歳までの働く女性」。中核をなすキャリアゾーンでは、95年から実施している「買取・自主販売」がほぼ100%導入された。いろんな面で新基軸が打ち出されていたのである。
 
 ただ、キャリア畑出身である筆者の目には百貨店系アパレルをむりやり集積し、手当たり次第に取引可能なブランドをかき集めたとしか映らなかった。単にメーカー企画の商品を買い取っているだけだから、素材やデザイン、仕様におけるオリジナル提案がない。目の肥えた大人の女性に対し、価値訴求の弱さは一目瞭然だった。

 筆者はその年の年末、東京出張した時に中牟田社長と同じ飛行機に乗り合わせた。モノレールも同じ便だったため、浜松町に着く間に「Zサイドの状況はどうですか」と聞いてみた。すると、「洋品やバッグが売れている」との答えだった。「服はどうですか」と再度聞くと、「まだまだ」と返答された。

 角度を変え、「ミラノのセレクトショップから独自で導入したという『クラン』は、テイスト、サイズ感で岩田屋の顧客層に合わないのでは」と、直球で質問した。「クランは売りにつなげるというより、セレクトショップのシステムを研究するために導入した」との返答だった。プレスプレビューの時から「あれがセレクトショップなのか」と懐疑的だったが、その疑問に対する明確な答えは中牟田社長から聞き出せなかった。

 もっとも、キャリアゾーンで買取・自主販売を貫くには、プロパーで売り切らなければならない。その場合、建値消化率は70%は必要なのに、ふたを開けてみるとそれも達成できず仕舞い。「まだまだ」がそれを表している。ターゲット設定も、買取・自主販売も、Zサイドには重荷になったということである。

 セレクトショップについても、当時はユナイテッド・アローズやビームスが伸び始めていた時期だ。しかし、クランはコンテンポラリーなアイテムばかりで、サイズがタイト。フラットなMDでUAやビームスのような奥行きはない。研究するといっても、自前でマーチャンダイザーやバイヤーを育成していないのだから、売れるはずもないハコを置いてもしかたないわけだ。

 中牟田社長はZサイドのロケットスタートが失敗したため、今度はコンサルタントを入れて人時管理に手を付けた。LSP(レイバー・スケジューリング・システム)というもので、過去1年の実績から集計した日別・時間帯別の「予測来店客数」に対し、「販売員1人あたり何人接客できるか」という基準をもとに必要な販売員数を割り出し、効率よく配置していこうとした。

 確かに業績悪化で安易にコスト削減に走るのは、短絡的な考え方だ。しかし、販売態勢が整備されたからと、急に「販売力」がつくものではない。そこで並行してSIP(セールス・インプルーブメント・プログラム)という販売力強化プログラムをスタートさせた。3カ月単位で販売員のスキル分析から教育トレーニング、成果・検証を行い、次ぎの目標設定まで段階的な教育指導を行った。

 ところが、どちらも実効性を発揮したとは言い難い。買取・自主編集を導入する前は、メーカーや問屋から商品を持ってこらせ、販売までさせていたのが実態だ。凝り固まった百貨店の因習が1年や2年で激的に変えられるはずもない。中牟田社長がいくら号令をかけたところで、辛うじて伊勢丹系の恩恵でブランドを確保してきたわけで、マクロでファッションを見ることなどできるはずもない。

 流通戦争を勝ち抜く上で、その程度の施策では非常にお粗末なのだ。でも、三代目のボンボンにそれを助言する取り巻きがいなかったこともあるだろう。結局、一番稼ぎ頭のファッションで、収益を上げられないなら、破綻の道を歩んでもしかたない。実際、その通りになってしまった。


1000億円超えのJR博多シティは脅威?

 岩田屋は伊勢丹主導による再建策で、旧来の委託販売にシフト。Zサイドを本館にラグジュアリーブランドを集めた新館を加え、全方位的MDで売上げを回復させた。80年代に実施されたCIのロゴマークはかつての「角岩」に戻され、三越伊勢丹HD傘下でも岩田屋の暖簾は存続された。創業家の中牟田家にとっては、全く皮肉な結末である。

 岩田屋の業績(三越伊勢丹HDデータバンク)は、 2013年度が715億円、14年度が699億円、15年度が739億円。こちらはインバウンド消費の影響が色濃く出た形だが、おそらく16年度決算では反動減が現れるだろう。ただ、岩田屋が躓き、破綻に追い込まれた流通戦争に終わりはない。侮れないのは11年に開業した「JR博多シティ」の存在である。

 同館はショッピングセンターのアミュプラザ博多、トラフィック業態、飲食専門店街を集めたアミュエスト・博多デイトスやデイトスアネックス・コンコース、百貨店の博多阪急からなる。平成27年度の昨期は売上高1035億円(アミュプラザ博多382億円、アミュエスト他214億円、博多阪急439億円)で、過去最高の売上げを達成。今期も増収増益は間違いないと思われる。

 博多駅はJR、地下鉄を加えると、1日の乗降客が34万人を超える。こうした状況を追い風に開業5年目での1000億円超えは快挙とも言える。ただ、JR九州は分割民営化の時、三島会社として鉄道事業は期待をされず、現在も赤字のままだ。経営安定基金も低金利の影響で運用益に依存できない。残る不動産事業に軸足を移したことで、ようやく好業績を上げることができ、昨年には株式上場にこぎつけた。

 つまり、JR九州がデベロッパーとして、駅ビルに核店舗とテナントをバランス良く配置し、福岡で1000億円市場を開拓したのは、岩田屋三越はもちろん、三越伊勢丹HDとしても決して無視できないはずだ。にも関わらず、岩田屋も福岡三越も階上のファッションフロアでは休日でさえ客数が少ないことをみれば、現状のアパレル部門で売上げを伸ばし、挽回するのは無理に近いと思う。

 三越伊勢丹HDとしても一等地に店舗を構えて、年商1000億円程度で御の字とはいかないはずだ。最終的には同社の経営判断になるが、J.フロントリテイリングや高島屋が不動産事業をしっかり収益基盤としていることを考えれば、地方百貨店に対してとるべき戦略は自ずと限られてくる。

 杉江俊彦三越伊勢丹HD新社長は、「不動産部門できちんと収益目標をもってやっていく(流通ニュース3月13日)」と語っている。福岡の場合、岩田屋も福岡三越も他社物件の店子だから、この方向性には該当しない。しかし、デベロッパー事業も含まれると拡大解釈すれば、「場所貸し」に徹して収益を高めるという「英断」もあり得るはずだ。

 そう考えると、対象となるのは岩田屋より「福岡三越」の方が先かもしれない。天神には他にJ.フロントリテイリング傘下の福岡大丸があり、ジリ貧の百貨店が3つというのはオーバーストアと見られるからである。


天神に百貨店は3つも必要なのか?

 福岡三越は1997年秋に開業した。最上階の9階に催事場、ギャラリー、書店を置いてお客を階下に下ろすお得意のシャワー効果に期待されたが、福岡では当時から大した効果を発揮していない。リニューアルでは9階に「コムサスタイル」を導入したものの、これも失敗し、インバウンド消費に期待した免税品販売も先行きは不透明だ。地下1階のファッションフロアの3分の2を雑貨とインテリアのコーナーに変え、1階の南側にシーズン雑貨とシューズを充実させて、何とか持ち堪えている状況と言える。

 西鉄福岡駅という立地で集客の優性性はあるが、三越というブランドは支店経済の福岡と言えど、それほどの力は無い。単体の売上高は2013年度が328億円、14年度が304億円、15年度が309億円。こちらは閉鎖された千葉三越の2倍程度を誇るものの、雑貨や靴頼みのせいか売上げは下降気味だ。百貨店ビジネスが陳腐化している中で、構造改革の本筋に照らし合わせるなら、対象にならないとも限らないのである。

 理由はいくつか考えられる。一つは、当初、西日本鉄道が福岡駅ビルを開発した時、岩田屋が出店を断念した一番の理由が「家賃」と言われる。それは福岡三越とて変わらないはずで、年商300億円程度では重荷で利益率のアップは見込めないのではかと思う。

 二つ目は、テナント契約の条件が「百貨店」となっているにしても、 西鉄にとっては家賃収入が増えた方が良いということ。人口減少で鉄道事業が厳しくなるのは、西鉄も同じだ。ならば現有不動産を有効に活用するのは当然のことだろう。福岡三越が場所貸しに徹底しようが、西鉄が直接テナントビルを運営しようが、ルミネやアトレといった駅ビルの事例を見ると、現時点での正攻法は限られてくる。

 三つ目は、中間層の没落や若年層の貧困などで百貨店を取り巻く環境が厳しいことだ。天神には他に岩田屋の他にJフロントリテイリング傘下の福岡大丸があり、さらに福岡三越まで必要なのかは疑問が残る。宝飾品や服飾、コスメ、菓子や惣菜、雑貨を集めるなら、テナントビルでも十分に対応できるからだ。

 天神は西鉄福岡駅と地下鉄福岡駅があり、それぞれ1日の乗降客は13万人、12万人を超える。さらに西鉄福岡駅ビルは路線バス、高速バス、高速道路のネットワークも充実。福岡市の人口が150万人を突破する中、マンションが増え続ける南部、西部から短時間でアクセスできることなどを考え合わせると、博多駅以上の集客力をもつ。こうした市場特性を考えると、陳腐化した業態ではポテンシャルを生かしきれないと思うのだ。

 また筆者のように天神が生活圏になれば、わざわざ博多駅に買い物に行く必要はない。そんなお客は意外に多いと思う。100円ショップからドラッグストア、スーパー、家電と日常の買い物は何でも揃い、飲食含めたサービス機能は博多駅より格段に優れている。目下、手に入らないのは高感度なファッションや趣味的な商品である。だから、もっぱら海外のサイトを含めネットに頼らざるを得ない。

 地方百貨店は三越伊勢丹HDにとって子会社に過ぎず、組織的な商品調達力などは皆無だ。高感度なファッションや趣味的な商品を求める潜在的な客層を岩田屋や福岡三越が取り込むとはとても思えない。人口減少、競争激化、業態衰退という中で、杉江新社長が大西洋前社長の構造改革を踏襲する以上、岩田屋も福岡三越も決して安穏とはしていられないはずである。

 おそらくそう遠くない時期に地方百貨店の流通は完全に細り、百貨店系アパレル共々追い込まれるのは間違いないと思う。岩田屋や福岡三越が看板を下ろそうが、業態転換しようが、ファッションを求めるお客は確実にいるわけで、需要がなくなるわけではない。だからこそ、どんなアパレル商材を提供して生き残っていくのか。そのための施策を業界を含めて今から考えておかなければ、岩田屋や福岡三越も百貨店としての存在は、危うくなると思う。


 
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ノベルティにみる戦略差。

2017-03-22 07:12:35 | Weblog


記念品1号はクロワッサンのペン

 今ではすっかり少なくなったが、中小のアパレルメーカーでも記念品やノベルティを作っていたことがある。といっても、狙いは顧客にブランドバリュを浸透させ、シーズン商品の販促につなげるグッズの感覚だ。そのため、数枚セットの「ポストカード」が定番で、製袋したオリジナル封筒に入れたDMにした。これを商品期初注文分の納期時には、パッキンに同梱して取引先に配っていた。

 筆者は重衣料が主体の秋冬シーズンで、このポストカードを何度か制作した。簡単なラフスケッチを描き、撮影用の絵コンテに落とし込む。モデルを選定し、カメラマンやヘアメイクを手配して、ロケをした。ラボから届けられたポジフィルムをヴュワーで選定し、使うフィルムにはダマトで印をつける。写真をトリミングし、タイトルやコピーを付けて入稿指示する。後はフィニッシュ、印刷に回せばOKだった。

 ポストカードはカッコ良く言えば、ファッションフォトである。初めてモデル撮影のロケを見たのは高校生の時だ。スタッフ陣がカメラのフレームに入らないよう脇に控えるのが印象的だった。アシスタントはレフ板を持って被写体に当てる光を調整する。ヘアメイクは風でセットが乱れるとすぐに直し、モデルの肌に少しでも汗が滲むとすぐに押さえる。「ファッション雑誌の写真はこうして撮影しているんだ」と知った。

 日曜早朝の表参道は、ほとんど人通りがなく撮影隊のメッカだった。その光景を見て、いつか自分がやってみたいと思っていたら、アパレルメーカーで運良く実現するチャンスを得た。ただ、仕事でやるとなると、大違いである。中小アパレルにとっては、あくまで洋服そのものの企画が秀逸であることが前提で、カッコいいイメージビジュアルはその次になる。記念品やノベルティを配布する以上、経費負担がバカにならないからだ。

 販促費はシーズンの売上げ予算から弾き出される。その枠で最高のパフォーマンスを上げるのがクリエイティブワークだ。デザインは自分で行っても、撮影や印刷は外注になるから、経費はかかる。コスト管理は重要で、経費抑制のためにモデル撮影をやめ、インスタレーション風にしたり、ボディ着用に切り替えたシーズンもあった。写真をモノクロにすれば印刷費は押さえられるが、カードの紙質を変えてもコストカットは高が知れ、かえって質感が落ちることも学んだ。
 
 ブランドの売上げ予算を多く見積もっても、販促費以外に営業などの経費が嵩むと、利益率は下がる。だから、筆者が記念品やノベルティの制作に携わることができたのは、3シーズンほどだった。販促をそれほど意識しないでいい春夏シーズンには、純然たるノベルティとしてブランドロゴを入れた「ブロックメモ」を作ったり、こ洒落た「シートソープ」をDMに同封したこともある。こちらは自社の商品を仕入れてくれるショップやバイヤーさんには好評で、それなりにいい経験となった。

 一方、本格的にプレスプロモーションの仕事を始めると、アパレル関連の広告制作やパブリシティに加え、取材依頼も舞い込んだ。広告制作だけなら雑誌の入れ広がメーンだから、記念品やノベルティの企画には携わらない。でも、ブランドショップが新店、小売業が新業態、デベロッパーが新物件をオープンする時には、プレスプレビューに参加する。これはアパレル側にいるのとは違って、別次元の体験となった。

 意外にも、初めて新店オープンのプレビューに行けたのは学生の時だった。大学3年の夏、博多で同窓会があり、同級生の女の子が南仏料理と豆腐を融合したパブレストランに連れて行ってくれた。そこで、後に福岡で「フレンチ雑貨店」をオープンするオーナーのY氏と知り合った。

 Y氏は飲食業の傍らフランス文化にも造詣があり、独自業態を開発する前に雑誌クロワッサンが手掛ける「クロワッサンの店をFCで経営しようと思う」と言っていた。そして、1981年、東京町田の東急百貨店に出店される1号店を見学するから、一緒に行かないかと誘ってくれたのだ。その時、どんな記念品をもらったかは記憶にないが、Y氏はめでたく福岡の新天町に開店した時、オリジナルの「ボールペン」を送ってくれた。



 Y氏が作ったのは真鍮製の重厚なものだが、三角形で持ちやすく、長時間使っても疲れない。フレンチ雑貨につながるセンスには感激で、ノベルティと言えど決して手を抜かないこだわりに敬服した。2000年頃、雑貨と豆腐料理を組み合わせた新店をオープンされた時にその話をすると、「スタイリストの吉本由美さんも同じようなことを言ってたよ。うちの商品を気に入って雑誌でも、取り上げてくれたし」と話していた。


お香からカステラ、鬼瓦、ギフト券まで

 1989年頃から雑誌の仕事を始めると、プレビューに行く機会が増え、プレスキットと一緒に何らかの品をいただくようになった。東京では89年の東急文化村、94年の恵比寿ガーデンプレイスなど、そしてニューヨーク滞在を挟んで、九州でも96年のキャナルシティ博多を皮切りに都市部、郊外を問わず個店から百貨店、駅ビル、ショッピングセンターまであらゆる業態に伺った。この30年近くで書いた記事と並行して、もらった記念品やノベルティも相当の数、種類になる。

 もちろん、筆者は記者が専門でも本職でもないし、もらった物で書く記事に手心を加えたことなどない。まあ、本業の記者さんもそうだろうが。ただ、記念品やノベルティの内容で、商業施設がどんな戦略を描いているかは想像できた。例えば、1996年秋にオープンした「岩田屋Zサイド」では、スタイリッシュな「インセンス(お香)」をいただいた。その時は「選り抜いた記念品が象徴するような店にしたい」のだろうと思った。



 岩田屋は来るべき天神流通戦争を勝ち抜くために、MDをライフスタイル・テースト別に編集し、買い取り・自主販売という画期的な取り組みに挑戦した。ところが、思うように売上げは伸びず、Zサイドオープンから6年後の2002年には私的整理ガイドラインのもと、伊勢丹に傘下入りして再建の道を歩むことになった。

 記念品を選定した担当者のセンスと裏腹に、商品政策はお客のマインドをつかみきれなかったのだ。ただ、筆者の目には成りもの入りのMDも、百貨店系アパレルをむりやり集積し、手当たり次第に取引可能なブランドをかき集めたとしか映らなかった。品揃えは豊富でも、これといって買いたいものがない。

 アテンドしてくれた担当者は「バーニーズを目指す」と宣っていたが、前年にニューヨークに居た人間からすれば「どこが?」って印象だった。 岩田屋Zサイドは単にメーカー企画の商品を買い取っているだけだから、素材やデザイン、仕様におけるオリジナル提案がなく、ブランドショップと比べても価値訴求が弱い。結局、昨今の惨状をみれば、必要なノウハウを蓄積していない中で、かけ声だけの戦略ではなかったのかと思う。

 開業がZサイドの翌97年秋だから、それが影響したのではないと思うが、「福岡三越」のプレスプレビューでは、某老舗菓子舖の「高級カステラ」をいただいた。メディアを集めたレセプションパーティでは、司会を務めた岩田屋のN社長がえらくカステラを自慢していたが、三越という百貨店の格式に合わせただけで、百貨店としての戦略はそれほど感じなかった。

 その後、三越は伊勢丹と経営統合して持ち株会社制に移行したが、大西洋元HD社長が構造改革に乗り出す中で、福岡三越はターミナル百貨店としての収益性からか、リストラの俎上には上がってはいない。ただ、カステラ同様に特別に珍しくもなく、そこそこの味わいというだけで、可もなく不可もない百貨店のままである。

 同じ年に開業したショッピングセンター「ダイヤモンドシティ熊本南」(現イオンモール宇城)は、いかめしい形相の「鬼瓦」が記念品だった。ダイヤモンドシティは当時、三菱商事とイオンが共同出資しており、施設開発では地域密着を貫く意思を表明し、地元テナント、地元産品に販売にも注力していた。出店先の小川町は瓦の産地でもあることから、記念品に採用したと広報担当者は語っていた。



 99年に開業した「トリアス久山」は、ダイエーの副社長、九州ダイエーの社長を歴任した平山敞氏がコンサルタントに転身し、開発を手掛けた物件である。団子三兄弟を唄った女性歌手の実父らをパトロンにして資金を集め、テナントにはコストコ日本1号店やヴァージンシネマを誘致するなど新機軸を打ち出した。

 内見会は冒険家で有名なリチャード・ブランソン・ヴァージン会長が来日するなど盛大なもので、記念品の次元をはるかに超える5000円の「JCBギフト券」をいただいた。デベロッパーとして、参列者には本気度を見せたかったようである。でも、1社1枚という決まりがあったようで、東京からも多くのメディアが駆け付け、複数の記者、報道スタッフが受け取ろうとした時、広報担当者があわてて回収する一幕もあった。


公開は顧客となる住民やカード会員を先に

 他にも、ゆめタウン筑紫野、セキアヒルズ、博多リバレイン、ソラリアステージ、ゆめタウン博多、リバーウォーク北九州、モラージュ佐賀、ダイヤモンドシティ・ルクル(現イオンモール福岡)、ゆめタウン佐賀、ミーナ天神、天神VIORO、福岡パルコ、イオンモール筑紫野、JR博多シティ、木の葉モール、イオンモール福津、博多マルイ等々、毎年のように商業施設が開業した。そのほとんどで、いろんな媒体からの取材依頼があったものの、とてもすべてに伺うことはできなかった。

 もっとも、近年では施設側が顧客を囲い込むためにメディアより先に地元住民やカード会員に公開する傾向を強くし、プレスプレビューはあまり重視されなくなったように感じる。そのため、プレビューに参加した施設の記念品やノベルティが何だったかは、ほとんど記憶にない。端からプレスキットのみのところもあったと思う。

 ミスターマックスは、新店オープンの記念品にはPB商品を活用しており、消耗品の乾電池などをもらうと、非常にありがたく印象にも残る。中には新開発の試供品もあり、H社長自らメディアから利用者の意見を聞かせてほしいと語るなど、マーケティングの参考にする狙いも受け取れた。

 2011年に開業したJR博多シティでは、「ロディア」のメモ帳とレザーカバーをいただいた。一番小さいサイズだったが、地元九州はもちろん、東京からもテレビ、雑誌が取材に来ており、その数は優に100社を超えていたのではないか。 ロディアの調達先はたぶんキーテナントの東急ハンズだろうし、JR九州としては上場益を見越してのプレ配当感覚とすれば、高く付かないとの判断だったのかもしれない。

 昨年オープンした「博多マルイ」では、粋な記念品をいただいた。テナントとして入居するビルが日本郵便が運営する「KITTE博多」ということで、丸井は自社のロゴマークと博多織をモチーフにした「記念切手」を作成。これがメディア関係者に配られたのである。記念切手は単なるノベルティとは違い、受け取る相手には実用性とプレミアが同時に伝わる。郵便で使用すれば消印が押されるものの、デザイン的に独特の趣きが生まれる。嵩張らないので、ずっと残しておくのも可能だ。

 筆者は丸井で数々の買い物経験がある。その丸井に再び博多で出会い、記事を書かせてもらったのも何かの縁である。コレクターではないが、その思い出として切手は大事にとっておこうと思う。ただ、記念品やノベルティはあくまで「心づかい」の域を出ないし、相手方のご厚意にもらう側がとやかくいう立場ではないのは承知の上だ。

 されどである。 丸井は百貨店からテナントビルに戦略転換しただけに、没個性にならないようにとの狙いもあったのだろう。やはり記念品やノベルティにも企業戦略における考え方や方向性が滲み出るのだ。だからではないが、自分の立場に当てはめると、いただくよりも企画する方が性に合っている。
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