メランコリア

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始皇帝と万里の長城

2010-02-08 17:36:57 | 
『学習漫画 世界の歴史(3)始皇帝と万里の長城~古代インド・中国』
監修:木村尚三郎 漫画:久松文雄

ブッダ:シャカ族のシッダールタ王子。生まれてすぐ東に7歩進み「天上天下唯我独尊」と言ったという。ヤショダラ姫との間に息子ラーフラもいたが、ある日、門の外で老人、病人、死者を見て、修行者と会い29歳で出家した。菩提樹の下で「人生の苦しみを乗り越えるには、欲望を捨てなければならない」と悟る。鹿野苑では「この世が常に移り変わることを知り、正しくものを見、正しく考え、正しく語り、正しくふるまい、正しく暮らし、正しくつとめ、正しい心を持ち、正しい道を進むこと」と説く。80歳で亡くなった後、弟子たちが「仏教の経典(お経)」をまとめた。7世紀後半から衰退するが、東南アジア、中国、日本にまで広まり、キリスト教、イスラム教とならぶ世界三大宗教として残る。

●アーリア人:カースト制を定め、バラモン教を信仰。
●アショカ王:侵略戦争を繰り返し国が乱れ、仏教にめざめダルマ(法)により治め、各地にストゥーパを建てた。
ガンダーラ美術:ギリシア式の仏教美術。それまで像になっていなかったブッダの姿がギリシアの神像をまねてガンダーラで造られた。
●ヒンズー教:バラモン教にアーリヤ人以前の信仰などを加えて広まり、インドの宗教の主流となる。
●モヘンジョ・ダロ:栄えたインダス文明が突然滅びた遺跡。
●アジャンタの石窟寺院:インドの岩壁を掘りぬいて造った仏教寺院。さまざまな壁画がある。


黄河文明→殷→周→秦→前漢→新→後漢→三国時代へ

●呂尚(りょしょう):周の文王の父(大公)が待ち望んでいた人という意味で太公望と呼ばれた。釣りをしている時に周王と出会ったことから、釣り人のことを太公望というようになる。政治で活躍。
●武王:諸国と手を組んで乱れた殷を滅ぼした後、家臣の太公望に斉、周公に魯を与えた。

「衣食足りて礼節を知る」:衣食が満ち足りて初めて礼儀に心を向けることができるの意。斉の大臣・管仲が言った言葉。

孔子:魯の大臣。儒学のもとを作った思想家。「人を愛し(仁)、人から愛される人格(徳)を持ち、礼儀を尽くして(礼)国を治めなければならない」と説いた。死後、弟子たちにより「論語」としてまとめられた。「学びて思わざればすなわち暗し」(勉強してたくさんの知識を得ても、それについて深く考えなければ、物事の本当の意味は分からないの意)

●戦国時代:楚、斉、燕、韓、魏、趙、秦の7国が争った時代。孟子、荀子、墨子、荘子、韓非子など多くの思想化が現れた。

始皇帝:13歳で秦の王についた政王。初めて中国を統一した後、全国に郡県制をしき、度量衡・貨幣・文字を統一。咸陽に阿房宮という大宮殿を建て、巨大な墓も造った←後に発掘され「始皇帝陵兵馬俑」として世界遺産になる。匈奴(モンゴル高原の遊牧民族)の侵入に備えて万里の長城を築く。逆らう儒者を大勢生き埋めにし、書物をすべて焼き捨てた「焚書坑儒」。BC210年、50歳で死去。

●項羽と劉邦:始皇帝亡き後、楚軍を率いて秦を倒す。項羽は西楚の覇王を名乗り、劉邦は巴・蜀・漢を与えられ漢王となる。次第に人々の心は項羽から離れ(「四面楚歌」)、戦いに敗れて長江で自殺。項羽の側にいたのは虞美人
●高祖:劉邦が皇帝となり長安を都に定め、400年以上もつづく漢王朝の基礎を築く。

●武帝:16歳で漢王朝7代目皇帝につく。儒学を国の学問とする。シルクロードが開かれる。
●張騫:匈奴制圧のため張騫は大月氏国に赴くが捕らえられ、遊牧生活した後、大月氏国に助けてもらえなかったが、13年後長安に帰ってきた際、それまで知られていなかった西域文化を伝えた。
司馬遷:古代~前漢にいたる中国の歴史書「史記」を書き、後の歴史書のもとになる。


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