父が亡くなって、しばらくした頃、妹が友人と二人で蕎麦屋に行ったときのこと。
その店は、父が生前贔屓にしていたので、
「ここはお父さんが好きでね、よく一緒に来たよ」
と、軽く父の思い出話などをしているところに、お店の人が注文した蕎麦を乗せたお盆を持ってやってきた。
「お待たせしましたー」
友人に一つ、妹に一つ、そしてお盆には蕎麦がもうひとつ。
「あれ」
お店の人は動揺していて、その動揺ぶりに妹たちも動揺した。
「し、失礼しました・・・・」
残った蕎麦を持ったまま、あわてて厨房に小走りで去っていった。
「お父さん、そこにいたんだねー」
その話を聞いて、私が言った。
「うん、いたんだと思う。お店の人には見えたんじゃないのかな」
父は生涯、痩身で、ふっくらした父を見たことはなかったが、食べることが好きだった。
そうはいっても、グルメだとか食べものについてうるさいということでは全くない。
好きなものは毎日でも食べ続けられるタチで、それがオジヤであったり、うどんであったり、会社の隣りのコンビニで買ってくるジャムパンだったりと、中身はB級、C級である。
ただ、一人で食べることを嫌い、食べるときには本当に美味しそうに食べた。
父の晩年、私たちが帰国するとよく実家の近くの蕎麦屋に出かけた。
一応、メニューを見る。そしていつも頼むのは天南。
車いすを2個、車に積んで、伊豆の桜を見に両親を連れて行ったときも、蕎麦屋に寄って、父は天南を食べていたっけ。
その日、妹の隣りで、天南を待ってニコニコとしている父の姿が目に浮かんでくる。