数年前に、一緒にいてとても嫌な思いをした人と、
再び近しくつきあわねばならない状況になった。
自分にとって都合のいい人ばかりに出会い、都合のいいことばかりが起きたら、
どんなにか楽しいだろうと思うけれど、実際には、
都合の悪いことたちのおかげで、人生の楽しさが増すのである。
ただ、そのことが、あとになってからわかる、というだけだ。
私たちは、いろんな宿題をこなしながら生きていく。
それが宿題とは気づかず、単なる災難だとか、
運の悪さだということにしている人もいるだろう。かつての私のように。
2+3=?という問題が出たとする。
「4」と書く。
すると、正しい答えが書けるまで繰り返し、同じ問題がついてまわる。
正しい答えが書けるようになると、10÷2=? という、同じ答えでも
アレンジされた問題が出てくることもある。
同じ状況が繰り返す理由は、答えが書けていないから、
あるいは、以前とは違う解き方を求められているのだと思う。
その人と、以前にかかわったとき、私は友人らの力も借りて必死に取り組んだ。
一方で、その人と過ごす時間のいたたまれなさに、へつらってみたり、気にしない努力をした挙句、
もうどうにでもなれと開き直ったとたん、
その人は、現実に私の世界から出て行くことになり、私は正しい答えを書けたのだと思った。
そうしたら、また出会ってしまったのである。
これは追試か。
私は、人を嫌ってはいけない、
嫌な仕打ちをした相手にも、砂をかけるようなことをしてはいけないと言われて育った。
誰かを嫌いな自分を認めるのがいやだったから、「好きじゃない」という言葉を使った。
嫌なことをした相手に、嫌な態度で返す自分も、許せなかった。
そうしない自分に誇りをもっていたけれど、本当の私は地団太を踏んでいた。
再びその人とかかわることになったときに、
「その人のことが好きじゃない」と言った私に、友人が言った。
「嫌い、でいいじゃん?」
そのとき、胸にあった栓が、ぽっこりと外れて、
「嫌いでいいんだ!」感情があふれだした。
嫌いなままでいい、好きになれなくてもいい。良い人にならなくてもいい。
私は、その人が嫌い、と思う自分の気持ちが嫌だったことに気づく。
そして、私は今現在のその人の上に、昔のその人を重ねていたことにも。
この追試の、正しい答えが書けるだろうか。
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再び近しくつきあわねばならない状況になった。
自分にとって都合のいい人ばかりに出会い、都合のいいことばかりが起きたら、
どんなにか楽しいだろうと思うけれど、実際には、
都合の悪いことたちのおかげで、人生の楽しさが増すのである。
ただ、そのことが、あとになってからわかる、というだけだ。
私たちは、いろんな宿題をこなしながら生きていく。
それが宿題とは気づかず、単なる災難だとか、
運の悪さだということにしている人もいるだろう。かつての私のように。
2+3=?という問題が出たとする。
「4」と書く。
すると、正しい答えが書けるまで繰り返し、同じ問題がついてまわる。
正しい答えが書けるようになると、10÷2=? という、同じ答えでも
アレンジされた問題が出てくることもある。
同じ状況が繰り返す理由は、答えが書けていないから、
あるいは、以前とは違う解き方を求められているのだと思う。
その人と、以前にかかわったとき、私は友人らの力も借りて必死に取り組んだ。
一方で、その人と過ごす時間のいたたまれなさに、へつらってみたり、気にしない努力をした挙句、
もうどうにでもなれと開き直ったとたん、
その人は、現実に私の世界から出て行くことになり、私は正しい答えを書けたのだと思った。
そうしたら、また出会ってしまったのである。
これは追試か。
私は、人を嫌ってはいけない、
嫌な仕打ちをした相手にも、砂をかけるようなことをしてはいけないと言われて育った。
誰かを嫌いな自分を認めるのがいやだったから、「好きじゃない」という言葉を使った。
嫌なことをした相手に、嫌な態度で返す自分も、許せなかった。
そうしない自分に誇りをもっていたけれど、本当の私は地団太を踏んでいた。
再びその人とかかわることになったときに、
「その人のことが好きじゃない」と言った私に、友人が言った。
「嫌い、でいいじゃん?」
そのとき、胸にあった栓が、ぽっこりと外れて、
「嫌いでいいんだ!」感情があふれだした。
嫌いなままでいい、好きになれなくてもいい。良い人にならなくてもいい。
私は、その人が嫌い、と思う自分の気持ちが嫌だったことに気づく。
そして、私は今現在のその人の上に、昔のその人を重ねていたことにも。
この追試の、正しい答えが書けるだろうか。
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