1日の終わりに ~森真理マンドリン教室~

マンドリンと共に暮らす日常のあれこれを、ほぼ毎日綴っています。

かさもこ・3

2005年09月13日 | Weblog
今日は腰を落ち着けて練習ができる、と思ったら、期末試験中の息子が昼間からピアノを弾きまくっています。ピアノのある部屋は私のレッスン室でもあり(パソコンの部屋でもあり、夜は夫の寝室でもありますが)、とにかく共存できないんです。

試験中くらい勉強したらと思うんですが、最近彼は、やけにピアノにはまっています。
幼稚園の頃レッスンに行っていた時は、5分ピアノの前に座るのがやっとだったのにー。
何にでも時期があるってことでしょうか。


9月のマンドリン連盟誌を改めて読んで、かさもこ問題について考えました。

引用ができないので、正確に伝えられるか自信がありません。
連盟誌をお持ちの方は、「そこは違うよ」等、コメントしていただけると助かります。

まず、ドイツマンドリンとイタリアマンドリンというのは別物である。
何がきっかけかはわからないけれど(たぶん、イタリアマンドリンはだめだ、ということになったんだと思う)、1980年頃にドイツマンドリンの最初のタイプが作られ、新しい方向性によって、伝統から大きく離れていった。

その方向性が、
「トレモロは使わない。全て丸く柔らかく響かないといけない」
「ロマン派の曲は良くない音楽」
ということで、古典と現代曲だけが演奏されていた時期があった。

その後、ロマン期の作品も全てが良くないわけではないと気付き、良質のものは弾くようになった。イタリアの音楽はイタリアマンドリンでもいい。
大事なことは、どうすれば真正に再現できるか、ということ。
どの楽器で、どの弦を張って、どのピックで弾くのか。それを研究しなければいけない。

ドイツでは以前他の奏法を疎外した時代があったが、最も重要なのは音楽そのもの。
演奏が素晴らしければ、どの楽器をどの奏法で弾いているのかは本来どうでもいいこと。


まとめると、こういう結論になっていました。
ふむふむ。

どの楽器を使うにしても、常にその作品を真正に再現することを心がけ、尖った鋭いだけの響きだけではなく、豊かで音色に富んだ音を出すように工夫することが大事ということですね。

いつも家で強く感じるのは、同じピアノを弾いても、娘が弾くのと息子が弾くのでは、音色がまるっきり違うということです。
私は娘の弾くピアノが大好きです。ほんとうに自然に心に沁み込んでくるような気がします。
息子は、まだうまくないせいもありますが、とにかく音がきつい。
長く弾かれると動悸がしてくるような・・・。
でも、一所懸命やっているので一切口出しせず、好きなように好きなだけ弾かせています。

こんな風に、自分のマンドリンも、もっともっといろいろな音色が出る可能性があるんだと思います。
AかBかではなく、できることならAもBも、A寄りのBも、とか。
うまく書けないけれど、工夫する余地はたくさんあると思います。

トレッケル氏も審査員をつとめる大阪国際コンクール、行きたいなぁ。
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5 コメント

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工夫する余地はたくさんある (masakichi)
2005-09-13 22:02:46
最近ふとしたきっかけでドビュッシーを少し聴きかじろうとしていますが、作曲家の育った環境や時代の背景によっても、同じピアノ曲でも全く雰囲気が違ってきますよね。息子さんもいろいろと豊かなピアノ曲の違いや音色の奥深さを心で感じ取り、想像の翼を膨らませる楽しさにはまってもらえれば、情感のこもった音が出せるようになるかも知れませんね。



音楽の歴史も、絵画や文学が辿った歴史と少し似通っているのかもしれないなぁと興味深さを感じました。歴史というのは、面白いというか知れば知るほど、現代に生かされる活路のようなひらめきを秘めていますよね。ちょっと大げさですが、「歴史を制する者、デザインを制す!」とは、私が何年か前に突如ひらめいて叫んだ言葉です。
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謎解き (Taj)
2005-09-13 23:34:50
 時々しゃしゃり出てすみません。ちょっと謎めいていたので、私なりに謎解きしてみました。



 書かれているキーワードを組み合わせると古楽の復興運動に結びついているように思えます。アーノンクールの「古楽とは何か」が書かれたのは1980年頃ですから。ともあれ、この運動、当時は相当なセンセーションだったようです。



・後世の色めがねを通さず、当時の音楽観、演奏習慣に則って演奏することが必要。

・一見、西洋音楽の伝統は連続的に発展を重ねてきたように見えるが、実はフランス革命の時点で一度破壊されている。つまり、フランス革命以降の音楽教育のみではそれ(バロック)以前の音楽理解は不可能。

・フランス革命以降の音楽は単なる響きの美しさや華やかな技巧のみを求めるようになってしまった。修辞学の伝統に則った「音による会話」のもたらす美しさを復権させたい。

 おおよそ、こんな主旨だと思います。で、結果としての音楽が多くの人に受け入れられたことで、この運動はある程度の成功を収めます。ただ、全てが正しいかはまた別問題ですね。要点の3つ目は



「ロマン派の曲は良くない音楽」



 と通じるところがあるかなぁ、と思います。ついでに、



》大事なことは、どうすれば真正に再現できるか、ということ。

 このことは1つ目の要点と符合しそうですね。



・・・と、こんな主旨なのかなぁ、と想像したのですが、どうでしょうか?





》ドイツでは以前他の奏法を疎外した時代があったが、最も重要なのは音楽そのもの。

》演奏が素晴らしければ、どの楽器をどの奏法で弾いているのかは本来どうでもいいこと。

 いわゆる、古楽センセーションの時代は音楽が知性にシフトしていたと言えるかも知れません。その反動で情熱やヴィルトゥオジティが見直されてきているのかも知れませんね。

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大変ですね (BB)
2005-09-14 02:02:19
初めて投稿します。

いつも楽しく読んでます。

シルベスさんのブログだけじゃなく、常連さんのコメントも合わせて楽しませてもらってます。

クラシック畑ではない私が思うに、「純音楽」をやるのって大変ですね。「軽音楽」の私はもっと気楽に音を出して楽しんでいます。まあ、どちらも自分が納得する音が出せるかどうかが問題ですが。電気楽器は色々操作してどうにでもなるように思われがちですが、どうしてどうして非常に大変ですけどね、エレキも。いかにノイズをコントロールするかや、アンプ(増幅器)やアタッチメントや楽器自体の相性など、その人の弾き方や好みにあったマッチングはなかなか出来るもんじゃありません。あれ、「軽音楽」も突き詰めれば同じように大変ですねえ。クラプトンやチャーなら音聴いただけで判りますからね、自分の音を持っているんですね。プロはやはりすごいっすね。

ところで、正樹っちゃん、「歴史を制する」ってどういう意味ですか。デザインを制御するのはなんとなく判るのですが、歴史をどうやって制御するんですか。「左を制するものは、世界を制す」みたいでかっこいいけど、ちょっと変じゃないですか。「歴史を学ぶことにより、デザインをコントロールできる」でいいんじゃないでしょうか。あっちょっとまって。「左を制するものは、世界を征す」だっけ・・・・・とすると、「歴史を征するものは、デザインを制す」となりますね。これもきっと正解。気を悪くしないでね、ちょっと突っ込んでみたくなりました。
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大御所現るか? (masakichi)
2005-09-14 06:02:24
BBさんはモチ利哉さんやろか?「制する」と「征する」の意味を新明解・国語辞典で調べてみました。おぉ、どっちも自分がニュアンス的に把握してた意味と違ってた!でも自分が感覚的に思っているのは、「歴史を学んできちんと把握した者」は「デタラメ的なおざなりのデザインをアウトプットしないから誰に見られてもいいかげんなデザインだと思われない迫力が滲み出ているよ」つまりインチキ臭くないっていうことを感じてそれを伝えたかったんです。イソしかり、アンタダしかり、ありとあらゆる本物と目される連中は、歴史的意匠の時代背景的解説をあちこちに書いてるという事がありますし。っていう事をその時周りにいた若い人達に伝えたかったんですが、私ももう少し漢字や語句にある"縛り"にも気を配って使い方をコントロールしなければ。。。浅香先生が教えてくれた言葉、「まず直感、しかるべき後、論理の構築」の「直感」が生来強すぎて。。。BB兄、まいどおおきにです。

「純音楽」と「軽音楽」かぁ。どっちも好きだなぁ。「軽音楽」も時には「重音楽」だし。「芸術」っていうのも「純粋芸術」とは一線を画する分野に生きていても「純粋芸術」を意識する場面は多々あって、それでもあくまで自分がやってるのは「純粋芸術」じゃないっていう社会的自負もありますよね。

チャーは最近でも凄いっすよね。スピリット熱いよなぁー。語るし。語れるところまで行き着かないと音楽も薄っぺらいものにしか聴こえてこない。でも BILL EVANS のように敢えて語らない人達もいて、インタープレイなどの伝説を残して周囲が熱く代弁するってのも更に謎めいて面白いです。
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大変ですよね (シルベス)
2005-09-15 22:57:36
みなさん、コメントありがとうございます。

大作ぞろいで、どうレスしていいか、うまいこと書けそうもありません・・・。



「自分の音を持つ」っていいですね。

どんな歌を歌っても声を聴いただけで「あの人だ」とわかるように、「自分の音」があったらな。
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