みう と 青

ピエロな「みう」と寂しがり屋で人間嫌いな「青」の共同ブログ。
恥ずかしげもなく私的な事をダラダラと綴ります。

ムーンライト

2017年04月10日 00時26分02秒 | みう・映画とか本とか音楽とか
こんばんにゃ。
ムーンライト、見てきました。
(2017のアカデミー賞作品賞受賞)



前情報では、黒人で片親でゲイというマイノリティの盛り合わせみたいな主人公が、いじめられてて〜という、ゴリゴリの社会派みたいに聞いていたのですが、実際に見てみたら、すごく普通の映画でした。いい意味で!!

彼の置かれている状況は確かにどちらかと言えばレアだけど、彼が感じているであろうことは、すごく普通で、平々凡々な私でも容易に共感できました。

少数派とか多数派とか性別とか国籍とか貧富とか関係なく、一個人として「分かるよ」って思いました。

そういう意味で「普通の映画」だなと。


でも、金歯がオシャレって感覚はわからなーい(>_<)

あと、黒人の肌の表現がすごくキレイでビックリしました。
メイクなのか照明なのか、薄く油を塗ったような つややかな質感にウットリだにゃあ
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牯嶺街少年殺人事件

2017年03月29日 19時01分49秒 | みう・映画とか本とか音楽とか
こんばんにゃ



牯嶺街少年殺人事件
と書いて
クーリンチェ少年殺人事件
と読むです。

14歳の少年が、同い年の少女を殺した。
という新聞記事を見かけて、
そこから勝手に物語を作ったとの事。
知らんけど。

きっと、分かることを書いたんじゃなくて、
分からないから、知りたいから、書いたんじゃないかなと思う。


25年前の35mmのデジタルリマスター版とのこと。
2200円と、妙に高いが行ってきた。
しかも二回(笑)

行って良かった!
大正解!

画の感じ、すごく好き。
ちょっとした瞬間も美しくて意味ありげで、キュッとなる。
主役のシャオスー、どストライクのビジュアル。大人にならないで〜。
ヒロインのシャオミンはじめ、少年少女が、上手下手はともかく、みんな魅力的でキラキラしてる。

緻密・精密な感じと、
フレッシュ・生ものな感じが、
ギリギリで同居してる感じで、
サラッサラの砂で作ったお城、
プルップルの氷でできた彫刻、
みたいな、
緊張感?あやうさ?
がヒタヒタしてて、
とても良かった。

てか、全然説明できない。
日本語の下手さ、語彙の少なさに絶望orz


最後は「せつない」とか「やるせない」とか「かなしい」に似てるけど違う、名前のつかない感情がヒタヒタしてきて、これまた名前のない涙がツツーーーッと流れるのであります。

ちなみに4時間の長編でした。


ここまで褒めといてアレですが、実は1回目は寝ました。

眠くなるところなんて1秒も無かったのに寝てしまったのは、体調不良&集中しすぎが原因かなと。

よく調べもせず
「2時間ちょいかな?」と思い込み、
「体調イマイチだけど、今日で終わっちゃうし(@川崎)」と強行軍。
始まってすぐ、心掴まれつつも、
当時の台湾情勢がチラつけば「池上さんが解説してた!」とか、
役名のフリガナを見るたびに「四と書いてスー。麻雀読みで良いのね」とか、
「あれ?この人って、さっきの人?」とか、
「今の絵面最高!」とか、
右脳と左脳がフル回転。
そして唐突に寝る。

イメージとしては、ディズニーでテンションぶち上がって遊びまわり、プロジェクションマッピングの直前に寝ちゃう子供orz

二回見て分かったけど、本当に最後の20分くらいだけ寝てたorz

すでにこの映画に人生の中で8時間を割いてるけど、もう一回見に行きたい!
人にオススメはしないけど、いい映画だった。
嗚呼、幸せ
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艱難辛苦の原因論

2017年03月20日 02時33分15秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ

いま、めっちゃ恋人とか欲しいのですが、いません。
てか、長年いません。

それを
外見のせいだと思いたくない反面、
外見のせいであってほしいと思っています。

自分の場合、外見も内面も決して褒められたものではありませんが、
世の中には、同じような方々もたくさんいると思いますし、
それでも素敵なパートナーと、ハッピーライフを楽しんでる方も、大勢いると思います。

結局は運なんだ。
そう思いたいし、
実際、そういう部分もあると思います。

分かっているけど、
それでも外見や内面の事を無視することはできません。
そして、無視できないからこそ、若干の惨めさや虚しさを感じます。


これは、いじめられっ子などにも共通する思考回路だと思うのですが、
「偶然」とか「運が悪かった」では納得できないのだと思います。
今の辛さや寂しさが、「運」で片付けられるなんて理不尽だし、
もしそうなら、自分の力で脱出できる可能性がとても低く感じられてしまいます。

「いじめられても仕方がない」
そう納得したくて、
少しでも理不尽を解消したくて、
わざわざ理由を見繕うのです。
「自分に至らない点があるのだろう」と。
そして、いじめられても仕方がないと、自分を納得させるのです。
いわば、因果関係の捏造です。

余力があれば
「そこさえ直せば状況は変わるかも」と、しなくていい努力を始めることもあるでしょう。

余力がなければ
「でもそれは自分ではどうしようもない事だ」と、諦めるでしょう。
そして、理由があることを理由に、この状況を受け入れて、どんどん傷ついていくのでしょう。


本当は、今自分の身の上に起きていることの大半は、「運」であり「偶然」なんだと思います。

その理不尽さを受け入れてしまうことが、強さと幸せへの近道なのかもしれないんだにゃあ。

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楽しい会話

2017年03月19日 01時31分24秒 | みう
こんばんにゃ。

最近、誰とも共通の話題がないことに気づきはじめています。

より厳密に言うと、
誰とも「同じくらいの熱量で話せる」話題がないってことですかね。


研究熱心な性格でない上に、右脳派というか、感覚派?なので、
映画や読書や旅などの趣味的トークも、
知識量バトル的な様相を帯びてくると、
参加できないし、聴いててもあまり楽しくない。
感想でもディスカッションでもなく、
「自分の方がすごいんです大会」になっちゃってる気がして、
まぁ嫉妬も含めてなんだろうけど、
なんだか疲れてしまって苦手。

自分がいかに人よりも詳しいか、賢いか、珍しい体験をしているかという話より、
純粋な感動やトキメキや驚きや、ときには憤りや不満なんかを話したり、そこから深めたり、一緒に考察したりするのが好き。

しかし、そういう会話にハマれることって、案外難しいんだにゃあ。
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海は燃えている

2017年03月09日 00時29分20秒 | みう・映画とか本とか音楽とか
船が浮いて見える!って事で有名な、イタリアのランペドゥーザ島。

イタリア領最南端の島で、要するにアフリカにめっちゃ近いヨーロッパ。
年間に島民の10倍の難民が流れ着く島。

その島を舞台にしたドキュメンタリー映画「海は燃えている」
見てきた!

カメラは、島民の静かな日常と、難民の厳しい非日常を交互に映し出すけど、この2つの世界が最後まで交わらないのがすごい。

印象的だったのは、
島のお医者さんの
「悲惨さに慣れることはない」
「世界みんなで救うべき人たちだ」
って言葉。

それから難民が歌ってるシーンでの
「アフリカ人だから助けてもらえない」
って言葉には、トリコロールにばかり染められていった時のやるせなさを思い出してしまった。

島民(漁師)も難民も「生きるために海に出る」わけだけど、言葉にすると同じなのに、その意味合いのギャップが重い。

象徴的だなと思ったのは、島民の少年の弱視。

右目はちゃんと見えていて、大好きなパチンコ遊びでもよく使ってる。
ところが左目はすごい弱視。
けど、使わないから見えなくなっていることにも気づいてない。

その左目は、意識して使うことで、脳に刺激が与えられて視力が回復するとの事で、映画の中の少年は、左目でも物を見る練習を始め、ジワジワと視力が回復してくる。

こんな象徴的な出来事が起こるもんだろうかと思うと、ドキュメンタリーと言いつつ、実は台本でもあるのではないか?とついつい勘ぐってみたり。
(ノンフィクションってのとも違うのかな?)

難民の過酷さや、上陸させる側の手続きなども見られて勉強になった。

この映画を見にきた人たちの中には、そういう部分を主に期待してきた人もたくさんいると思う。
「島民パート、長くない?(いらなくない?)」的な。

でも、もし、この映画が難民パートばかりだったとしたら、
「今世界で起きていることを知りたい」という問題意識の陰にある「悲惨なものを見てみたい」というような(悪趣味だけど多くの人が少しは持っている)好奇心を満たして、泣いたりして、そんな優しい自分に酔って、それでおしまいだったかも。

それだけで終わらずに、こちら側に「当事者意識」を自覚させるのは、島民パートがあるからこそかなと。

寝てる人もいたし、数年前の自分ならウトウトしてたかもだけど、この対比が、この映画を特別なドキュメンタリーにしているんだと思う。

興味のある人には、フラットなテンションで見に行って欲しいなと思う映画でした。

http://www.bitters.co.jp/umi/
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右手首骨折

2017年02月26日 23時00分57秒 | みう・怪我と病気と入院生活
こんばんにゃ

右手首骨折です。
6年ぶりの骨折です。
前回は左手首です。
その時のことが、そこそこ細かくブログに残っててありがたい。

ありがとう!6年前の自分!
だにゃあ



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足跡姫 〜時代錯誤冬幽霊〜

2017年02月19日 01時41分28秒 | みう・しばい
こんばんにゃ

木曜日に、野田MAPの
足跡姫 〜時代錯誤冬幽霊〜
(ときあやまってふゆのゆうれい)
見てきた!!!





昨年の「逆鱗」は雷に打たれるような、身悶えするような「ウォォォォッ!」ってなる激情が走ったけど、今回は最後の最後に「じわわわぁぁぁ〜ん」ときた。

4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
って事で、やはりというべきか、東京芸術劇場に花道、回舞台、すっぽん、下座がある。
音響も、生音の拍子木や鼓などなど多用。
色合いは淡いけど、定式幕っぽいものも使われてる。
そういう、いかにも歌舞伎なものが、とってもキレイに野田MAPの舞台と調和してたと思う。



物語は江戸時代(から、まさかのノージャンプ!信じられない!)、幕府の目をかいくぐり、禁止されてる女歌舞伎を上演する一座に、蘇る死体?売れない幽霊小説家と、由井正雪を慕う戯けた浪人と、死体の腑分けを目論む医者が加わり、いつかはお城で演じたいと願う看板踊り子の三、四代目出雲阿国の弟サルワカは、踊りに筋をつけて芝居にしようにも、若き日の野田氏のごとく難解な本しか書けず、幽霊小説家がゴーストライターとして作品を乗っ取り、大衆受けする芝居に書き換え、ついにお城の舞台にたどり着く頃には、足跡姫に半分自分を乗っ取られかけてる三、四代目出雲阿国。
徳川家ナントカの前で踊るためにきた出雲阿国と、その体に宿った家ナントカの命を狙う足跡姫。どーなるどーなる!?
みたいな話。たぶん。

4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
と銘打っているけど、勘三郎の「か」の字も出ないまま物語は進みます。
が、最後の最後にはちゃんとたどり着く。それが、力技みたいなセリフだけど、そのセリフに到達させる伏線もちゃんとある。
力技なんだけど、御都合主義にならない脚本の妙と、始終跳ね回る野田の舞台で、身じろぎもしないで、そこに「いる」「しゃべる」だけで、そのセリフを昇華させてる妻夫木聡がすごい。

出雲阿国を演じてる宮沢りえさんも、良い舞台役者になってきたなぁ。と、どこ視点かわからない視点でシミジミにやにやしとるんじゃ。
が、もっとすごいりえさんを見ているので、千秋楽までに、まだまだ出雲阿国と足跡姫は極まれる気がする。
こんなもんじゃないはず!

鈴木杏ちゃんが、期待してたけど、思った以上によかった!
無邪気だけど透明感はない。バカだけど計算高い。あけすけなのにエロイ。パワフルだけど力んでない。役としても、役者としても、色んな要素が絶妙に乗ってて、複雑なのに真っ直ぐによく届く。
今後がますます楽しみ。

池谷のぶえさんも、野田で見るの久々だったけど、立つとこ立って、馴染むとこ馴染んで、この座組の中で適度な存在感。また出てほしいな〜。

佐藤隆太さんは、もうちっと濃い役で見てみたいかな。
最近テレビでも演じる役の幅が広がってきたので、この2〜3年の過ごし方で、今後が大きく変わりそう。

中村さんは、自分の見た回では、ちょっと調子がイマヒトツだったかなぁ(^_^;)

アンサンブルの人たちも良かったと思う。もう少し前の方の席なら、もっと群衆の中の個性がよく見えたかなぁ〜と思うとじれったい。

古田新さんはまるでコンマスだった。舞台上にいながらにしてみんなを引っ張ってる感じ。オラオラ前に出てくるわけじゃなく、力が抜けてて、遊んでるのにダラけないで、器が大きくて、こういう人が舞台上にいてくれると、周りも安心して全力出せそう。
指揮者の野田さん、ソリスト的なりえさん&妻夫木くんとはまた違った形で、この座組みを引っ張ったりまとめたりしてるんだと思う。
顔ブッサイクだけど、存在がカッコいい!

4年前に亡くなられた18代目中村勘三郎へのオマージュです。
と銘打っているけど、テーマは歌舞伎だけじゃなかったと思う。
もっと広く、「いのち」とか、「舞台芸術」とか、限りある、今だけの、とじこめられない、その瞬間だけの、絶対消えちゃう、のこせないもの。
そういうことだったと思う。
(流行りに乗ってレガシーとか言ってる人たちとは、向き合い方が違うと感るわ。)

あの日に見た、あの桜吹雪が素晴らしくって、写真や動画には写らない、花びらが舞う時の空気の振動とか、木の幹のザラザラした手触りとかも大事で、来年も咲くけど同じじゃなくて、いつかはこの木も死ぬけれど、同じじゃ無くても何か遺したくて、繋ぎたくて、枝を手折って挿し木をして育てる。どうかキレイに咲いてほしい。
みたいな。

そういう意味では、幕に描かれていたり、足跡姫の足跡で描かれたり、最後に壁一面に現れたり、メタファーとして「桜」の使い方が素晴らしかった。



裏テーマ的には、野田くんらしく「虐げられる者」ってのがあったと思う。
大衆・強者の都合で奪われ潰されていく少数・弱者に光を当てずにはいられない性なんだろうな。
ただ、1〜2代目出雲阿国の病が癩病とまでは言わないにしても、タタラ場のシーンに近現代の戦争の映像を重ねるのは、個人的にはやりすぎかなと。
そこまでやらなくても伝わるって信頼を、我々観客が得られてないのが少し悲しくもあり、現実的な判断って気もする。


そして、少しだけ個人的な話を。
自分は数年前までアマチュアで芝居をやってました。
生来の怠け精神と、様々な限界と、新たなライフワークになるかも?と思えるものに出会い、今は身を引いています。
新たなライフワークとして旅を始めました。
と言っても、何もかも捨てて世界一周とかでは無く、普通に仕事して、図々しく連休とって、行けるところに行ってるだけですが。
1人の旅先では、ホントに元気になれるし、我ながら生き生きしてると思う。
だけど、少しだけ、ほんの少〜しだけ、物足りない気がする時もある。
芝居、やりたいな。
もしかしたら、いつの間にか、私にとって地球上で一番遠い場所は、ブラジルじゃ無くて、南極でもなくて、板の上になってしまったみたいです。
(実際問題、その気にさえなればブラジルと南極は行けちゃうし)


カーテンコールの最後の最後、野田さんが1人で舞台に出てきた時、いつもと違って、正座してお辞儀をされてたのがとっても印象的だった。
芝居とはまた違った形でこころを動かされた。

とにかく幸せな2時間半だったんだにゃあ
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2016年を振り返る

2017年02月10日 15時17分40秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ

毎年恒例なので、遅ればせながら
2016年を振り返っておきたいと思います。

1月
・初の初日の出キャンプ



2月
・野田地図「逆鱗」鑑賞
最近の野田の中でも個人的に大ヒット!


・森美で五百羅漢図などを鑑賞


・寿司アカデミーで食い倒れ


・蔵王でスノボ


3月
・友達の結婚を祝って牡蠣を喰らう
・金八ごっこからのシュラスコ




・寒中鍋大会

4月
・フィリピンから友達来日
東京&鎌倉を全力でご案内!




・いざ、モロッコへ

5月
・モロッコ旅、最高!























6月
・紫陽花狩り
・香川の島巡り
大好きだけど全然会えない友との邂逅!
アートとトークでフル充電!






・森美からアフガニスタン展のハシゴ
・梅雨時バーベキュー
・東大ツアー

7月
・入笠山登山




・赤城山登山






・浅草散策からのあだちの花火大会




・キャンプ会


8月
・第4回 北北東に進路をとれキャンツー





















9月
・餃子会
・埼玉地下神殿見学からの塩ホルモン




・箱根ツー

10月
・蒲郡への船旅




・伊豆でダイビング
一年ぶりはドキドキだった。


・あの大鴉さえも 鑑賞
・富士山ツー


・女川フェスのお手伝い

11月
・東京ディズニーランド
パキスタン人と仲良くなるというまさかの展開


・タイ旅行
プーケットでダイビング&チェンマイでランタンフェスティバル










・滋賀&京都 紅葉狩り




12月
・健康診断
・清水へ船旅




・クリスマスに東京ジャーミィ





本33冊
映画45本

2017年がより良い一年になれ!
にゃあ!
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沈黙 〜サイレンス〜

2017年02月06日 17時46分18秒 | みう・映画とか本とか音楽とか
こんばんにゃ。
沈黙 〜サイレンス〜
見てきた。

小説を読んだのが、約20年前だったので、理解力が全然足りてなかったらしく、当時はとにかく「キリシタンを弾圧する日本のお上は酷い!」ってことばっか感じてた。
けど、今回の映画を見て、色々な事への印象が変わった。

やり口は本当に最悪だけど、日本の言い分もそれなりには理解はできる。
「キリスト教そのものが悪だとは思わないんだけど、国をまとめていく上ではちょっと邪魔なのよね〜。
だって、キリスト教の布教を足がかりにして、ヨーロッパの国々が日本の覇権争いとか始めちゃうんでしょ?
そういうのは困るんだわ。
本気で信仰を捨てろとか言わないから、形だけでもいいから棄教、お願いできないかな?」
全部が本心とも限らないけど、そっちの立場じゃそういう考えにもなるかもね。と、ある程度の理解は示せる感じ。

それに対して、パードレがすごく図々しく見えることがある。
「キリスト教は真理だ!真理はいついかなる時も絶対正しい!」
って、おいおい(^_^;)

キリスト教は布教に熱心な宗教ってイメージがある。
「積極的に布教すべし」って教えが(後付けかもだけど)あるようなので、まあ仕方ないのかも?
でも、
「素敵な教えをありがとう」
となるか
「押し売りやめてー!」
となるかは紙一重。
で、やめて派の人達を勝手に憐れんだりしてくるし。
これって、ちょっとウザい。


パードレはさておき、密かに静かに信仰を続けている村のキリシタン達の美しさは妙に染みた。
清潔感皆無で、文化的な雰囲気からは程遠いんだけど、それだけに朴訥で、純で、一途で、静かで、悲しいような美しさがある。
綺麗な着物を着て、巧みに英語を操るお上より、ずっと上品に見えた。

映画を見ていて
「信仰は勝ち負けじゃないし、見せつけるものでもない」
と強く思ったし
「信仰は心の問題」
「人の心に干渉してはならない」
というセリフはしみじみ染みた。

映画の前半は「ひっどいことするなぁ」という感じで、この時代のこの場所でキリスト教を信仰・布教することが、いかに危険で恐ろしいことかを、ビジュアルで見せつけてくる。
が、後半は割とロジカルな展開。
(拷問は相変わらずネチネチと最悪だけど)
ゆえに左脳活動活発で、エモーショナルな展開ではない。はず?

なのに、音楽は一切なく、虫の声、波の音、風の音だけっていうエンドロール見てたら、てか聞いてたら、ぶわーーって目から目水、鼻から鼻水が溢れてきた。
その時ですら左脳活動活発で、頭は色々考えてる。
なのに、体は勝手に反応してる感じ。
なかなかの映画体験。


それにしてもキチジローのキリスト感がハンパない。
窪塚くんって聞いた時から予想してたけど、ほんとビジュアルからハマってる。

開始早々の「あいつはいつもいない」っていう言われようにも「神かよ」と突っ込みたくなる始末。


こういう映画は見る人の背負ってる物によって感想はけっこう変わるのかな?
個人的には何気に普遍的なテーマな気もしたけど。
色んな環境の人たちの感想、聞いてみたいんだにゃあ。
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篠山紀信展 写真力

2017年01月23日 00時38分01秒 | みう・映画とか本とか音楽とか
こんばんにゃ。

「篠山紀信展 写真力」
に行ってきました。




自分は写真を撮るのは好きで、撮ってもらうのも割と好きです。

でも、

カメラは凶器に、写真は暴力に
なることもある。

ってことも忘れちゃいかんと思ってます。

けど、今回の写真展は、
嫌な気持ちになるものは
一枚もありませんでした。


今回の写真は、どれも被写体に対する尊敬の念みたいなものに溢れてるなと感じました。
それは、相手がヌードでも、子供でも、有名人でも、一般人でも変わらない。

そのせいか、写ってる人たちが
みんな自分自身を肯定的に捉えてるように感じて、
そこがすごくグッときた。
不覚にもウルリ。
別に悲しい写真とかじゃないのに。

歳をとって、感性の瑞々しさみたいなものは薄れてきたと感じるけど、経験値と想像力は増してきているみたいで、たまに自分でもビックリするような反応を、自分自身がするのが面白い。

展示枚数は多くないけど、そこも含めて良かったなと。
こっちも全力で観れますね。



それにしても、美術館っていつもお腹すく。
ゆえに、その後のパフェは至福だにゃあ

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東京ジャーミィonクリスマス

2017年01月05日 14時10分48秒 | みう
こんばんにゃ

昨年の12月25日は、キリスト教徒の皆様がクリスマスをお祝いする最中、無宗教の自分はモスクに行って参りました。

世の中には同じような事を考える方がいるもので、他にもチラホラと信者っぽくない人たちがいました。

今回は説明会も何もない時間にフラッと行きましたが、様々な展示会や(前日はモハメド・アリ展)、トルコ料理教室なんかも開催する事があるそうなので、また行ってみたいです。

ちなみに
ビックリするようなラッキーに見舞われた時、
ホッコリするようなサプライズに出会った時、
心のどっかで、五感では感じられない何かに感謝してる自分は、無宗教だけど、たぶん無神論者ではないんだなぁと感じる次第であります☆

からの、森美での宇宙展。
この流れだからこそ感じられた、考えさせられたモノコトもあった気がする。
なかなか良い組合わせだったにゃあ♪

I went to Tokyo Camii (Islamic mosque)on 25th December.
It was very beautiful and solemn building. miaou.




































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「育ち」について

2016年12月25日 01時35分50秒 | みう・つれづれ
こんばんにゃ。
ネットニュースをまとめて見られるアプリを登録してから、たまにポチポチと眺めていると、なんだか目につく「育ち」という言葉。

「育ちのいい人が絶対やらない7つのこと」
「恋人の育ちを疑う瞬間あれこれ」
というような記事を、結構な頻度で目にする。
世の人たちがこんなにも「育ち」というものに興味を持っていたとは!


「育ちがいい人(または、良さそうな人)」というのは、

・言葉使いがキレイ
・食べ方がキレイ
・身のこなしがキレイ
・身だしなみがキレイ

などなど、その人の色々な美しさを指標としてる事が多い気がする。

美しい人って素敵だなと思うし、
自分もそうなれたらいいなと思う。

ただ、他人の「育ち」や、それに付随する色々について、あーだこーだ話してる様子は、残念ながら素敵に見えないのよね。
それがどんなにお育ちの良さそうな人であっても。

お育ちの良さと美しさの関連は、まだ謎に包まれている部分も多いけど、
「お育ちの良さを測る指標に、心のキレイさは含まれていない」
ってことは、自分の中では確信になりつつあるんだにゃあ
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ファンタスティック・ビースト

2016年12月09日 22時38分00秒 | みう・映画とか本とか音楽とか
こんばんにゃ

ファンタスティック・ビーストを見てきた。

実はハリポタ、一個もちゃんと見たことない。
いや、一個ぐらいはテレビで通しで見てるかもしれない。
けど、全然ハマらなかった。

映画館では基本的に、吹替版をやってるものは字幕版でも見ない。
自分の中で「吹替版をやってる=お子様向けの作品」と思ってるから。

なのに、なんで今回、ファンタスティック〜を見に行ったんだろ。さっぱり分からない。

が、損した〜(´Д` )とかは全然感じてない。
むしろ、ガツーン!とやられている。
しかし、ガツーン!の正体が分からない。
大事な何かを取りこぼしてるような気がする。
ちゃんと自分で考えなきゃいけない何かを、こっそりポケットに入れられた感じ。
今、自分のポッケから自分の知らないような知ってるような何かが出てきて、「あれ?これって・・・あれ?あれれ?」ってなってる感じ。

ファンタジーだったけど、形而下的現実世界や形而上的自己(って日本語大丈夫?)にすっごくフィードバックしてくるっていうか、鏡写しっていうか、裏表っていうか・・。

考えなきゃいけない何かがあるのに、手がかりに触れられないような、このもどかしさはなんなの?

嗚呼、誰かと話したい。
同じように「あれ?むむ?」ってひっかかってる誰かと、ともに思考試行錯誤で答え探しの旅に出たい。

しかし、あと15分短いと嬉しいにゃあ(^◇^;)

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この「マナー」からの卒業

2016年12月01日 19時48分55秒 | みう・ばいく&国内旅行
こんばんにゃ

先日、生まれて初めて「写真撮影のための旅」に行ってきました。
to京都&滋賀

景色もキレイで、自分史上最高の紅葉写真が撮れたと思うし、すごく楽しかった。



けど、楽しい話は後回し。
モヤモヤすることがありました。

今回の旅では、非常に多くのカメラマンさん達を見ました。
みなさん「素敵な写真を撮るぞ!」と一生懸命でした。

目的というのは、達成されれば嬉しいし、旅や人生を豊かにしてくれることも多々あると思います。

だけど、目的意識が強すぎると、それに対するハードルが増える。
端的に言えば、邪魔(と感じるもの)が増える。

写真を撮る人は、基本的には無人の状態&良いアングル(場所取り)を好むように思います。

早朝に訪問したお寺は、写真を撮る人たちだけが集まっていました。
そこには暗黙の了解、不文律とも言えるルールがあって、みんながそれを理解しているし受け入れているので、わりと上手く回っていました。

だけど、そういう場所ばかりじゃない。
写真を撮るためにきた人と、観光のためにきた人たちが混ざってる場所も沢山あります。
写真を撮る人同士でも、気合いや国籍などによって認識が異なります。
さっきまで通用してたルールはもう効かないのです。

「カメラを構えている人がいたら邪魔しない」などの理屈は、カメラマン側の主張するマナーでしかありません。

ゆっくり観光したい人からしたら、狭い道いっぱい広がってカメラを構えたまま動かないカメラマンこそマナー違反に感じるかもしれません。

それなのに、自分の目的を(結果的に)阻む人を「マナー違反」と決めつけて、割と本気で邪魔者扱いしてるカメラマンが多数いました。

人にどいてもらう時にも
「すみませんが・・・」
「恐れ入りますが・・・」
などの一言を添えられない人もいました。

カメラマンと観光客の双方に、少数ながら怒鳴る人、他人の傘にわざとぶつかったり、叩いたりする人もいました。(されてる人も悪かっんだけどね)

あの人たちの、あの傲慢さはなんだろう?と考えると、なんとなく
「自分はマナーを守っていますよ」という、妙な自信があるように思えます。

そして、そういう人たちは「マナー」の両脇を「普通」とか「常識」で固めているように見えます。

それは、自分とは違う価値観、違う目的の人たちがいることを想像できなくしてると思います。
あるいは、想像しても「自分の価値観や目的が、より有意義である」と信じて疑わなくさせてしまうのかもしれません。
なんせ「普通」で「常識」ですから。
ゆえに、とても傲慢になる。

そういうのを見てて、すごく嫌な気持ちになりました。

まぁ、自分の目的や価値観を脅かす存在を、あっさり「邪魔」と分類できてしまうマインドは、今の世界の流行にガッツリ乗ってると言えるのかもしれないけれど。


今回、一部の人たちにとっては、マナーってものが、いつの間にか「自分の権利を守るための武器」みたいに変わってしまったように感じました。

それはマナーで、
それは常識で、
こちらはマナーを守ってて、
だから相手も守るべきで、
そうじゃないと不平等で、
そうじゃないと損をさせられる。
ふざけるな。
マナーを守れ!

そんな思考回路?

マナーって言葉がなんだかとても浅ましく感じたのです。


もう「マナー」から卒業して、
そろそろ「思いやり」に移行したいのです。
てか、それってむしろ原点回帰?


マナーの全てが悪いって思ってるわけではなくて、
マナーって言葉を振りかざす前に、少しだけ
「自分だけの正義を拠り所にしてないか」
「自分に都合のいいマナーを押し付けてないか」
省みることが必要だなと思いました。


そのためには、思いやりと一緒に、ちょっとした気持ちの余裕が必要かなと思いました。

今回の旅の中で言うなら、
北野天満宮のもみじ苑で「紅葉とレトロな欄干」という画を狙っていたときのこと。
「無人チャンス到来!」
とシャッターを切った瞬間に、子供が画角に走りこんできたときは、思わず
「ア、アアーーーッッッ!」と声が出て、
ヘナヘナァ(*´Д`*)っと腰砕けになり、
最終的に友達と
「声出ちゃったよ〜」「あははは」
と笑っちゃうような、そんな余裕。

思い通りに撮れない時、おかしなハプニングに見舞われた時、それを笑っちゃえる余裕。

そういう心の余裕のあるお友達と回れて、とっても楽しい写真旅行になったんだにゃあ( ^ω^ )

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豊島美術館

2016年10月20日 15時52分49秒 | みう・ばいく&国内旅行


足の裏にサラリとした石の感触がよりそう。目の前に広がる石の空間は、独特の音響効果を発揮し、かすかな物音もよく響かせ、それが静けさを拡大していく。靴を脱いだ時に鎧まで脱いできてしまったのか、目の前にあるもの全部が内側に入ってきて乱反射が止まらない。
 
 
豊島美術館(てしまびじゅつかん)は瀬戸内海の豊島にある美術館だ。
美術館というと、絵や彫刻を展示する建物というイメージだったけれども、豊島美術館はそれ自体が作品といえる。
建物の中では「母型」という名前の作品を展示していることになっているが、それは床の上の水滴や水たまりなどによる作品で、この建物ありきで成立している。
やはり、豊島美術館そのものが作品という捉え方がしっくりくる。
 
建物の外観は、流線型の白い大きなボウルを、緩やかな斜面に伏せて置いたような形で、内側は約40×60mの広さ、天井は高いところで4.5mほど。柱は一本もなく、角も直線もほとんどない滑らかなドーム型。天井には二つの大きな丸い穴が開いていて、そこから外の風や鳥の声、蝉の声、雨、雪、落ち葉、日光などが入ってくる。
 
足元には、小さな白いお皿や、丸い玉のようなものがぽつぽつと置いてあったり、床に開いたあちこちの小さな小さな穴から水が沁みだしてきて、その水滴は徐々に膨らみ、自重に耐え切れずわずかな傾斜を滑り出し、細い穴に落ちてコロコロと水音を響かせたり、別の水滴と合流しながら、窓の下の大きな水たまりに集合したりする。
 
写真で見る豊島美術館は、どこか未来的でひんやりとした印象だったけれど、実際に入ってみると、光も床もどことなく柔らかい。
 
 
その日は人もまばらで館内はとても静かだった。友人と二人で訪れたけれど、中では別行動。それでも、目の端に映る友人の姿がどうしても気になってしまい、けっきょく交代で鑑賞することに。
 
改めて一人で入ってみる。
入り口から見ると何もない空間のようだけれども、ひたひたと歩いていくと、足元の水滴やお皿や玉などが目に入る。天井から糸が垂らされていたりもする。迷い込んだアリンコとすれ違いながら空間を一巡り。お気に入りの眺めのところで静かに腰を下すと、ポケットの中の鍵が小さくシャリンと鳴って、一瞬「しまった」と思うけれど、思いのほか音はふわりと広がって、その響きまで作品の一部になったよう。
 
キラキラした水滴を眺めていたら首が疲れてきたので、その場で横になってみた。水滴の光が目の高さにギュッと圧縮されて透明感が増したみたい。
目の前で湧き出る水に誘発されたのか、自分の目からも勝手に涙が出てくる。そのしずくが、作品の水のようにみんなと合流できないことが寂しいような、作品の水が代理で合流してくれて安心するような、空気に溶けて最後は全部一緒になれるような、不思議な感覚。
 
そのままコロンと仰向けになると、その日は晴れていて、窓から入った日光が、大きな水たまりで反射して、天井に波の模様を描いていた。
少し離れたところで同じように仰向けになっていた外国人と「キレイだね」と目だけでやりとり。短いけど、とても豊かな交流だった。
 
いつの間にか、内側の乱反射もしずまっていて、あとはひたすら緩やかな時間が過ぎていった。
 
 
豊島美術館の中ですごした時間は、とても特別な時間になった。
今は、自分の中にあの美術館がある。
「また行きたい」よりも「かえりたい」、そんな言葉がぴったりくる場所。

だにゃあ
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