鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

宿泊所でも教え続けた

2018年01月24日 | 政治見識のための政治学





前回の続きです。

イエスが教え続けたのは、徒歩移動中だけではないようです。

宿泊所についても、即座に教え始めた。

そう推定させる出来事が、新約聖書の『ルカ伝』10章に記されています。

だが、その前に、イエスの支援者のことを考え、想像しておきましょう。


   


<金持ちの支援者も多かった>

イエスの一行は野宿もしましたが、金持ちの家に宿泊することも少なくありませんでした。

イエスをサポートする金持ちは多かったのです。

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最初の動機が、「こういう人とは近しくなっておこう」というケースもあったでしょうね。

この人は、三年半に渡って人の病をただちに癒やし続けたのですよ。

子どもが死んでも生き返らせてくれるのですよ。

「この人とは頼み事をしやすい状態に自らをおこう」と、金持ちならほとんどが思うでしょう。

鹿嶋がその時代の金持ちだったとしても、最初はそういう動機が働いて支援者になったと思いますよ。




<アリマタヤのヨセフ>

だが、自己利益を主動機にするような支援は長続きはしません。

やはり、イエスの教えに打たれ、受容して賛同者にもならねばならない。

そういう金持ちは結構聖書に出ていますよ。

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イエスが十字架刑死したのち、その死体を受け取らせてくれと、ローマの総督に願い出た人が「ヨハネ伝」の終盤に記録されています。

名は「アリマタヤのヨセフ」と記されている。

彼もその一人で、聖書には~

「イエスの弟子ではあったが、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」
(「ヨハネ伝」19:38)

~とあります。

体制側の人だったからでしょう。

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彼は死体を受け取った後、入手してあった新しい墓に葬ったようです。

聖句では~


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「イエスが十字架に付けられた場所に園があって、そこには、まだ誰も葬られていない新しい墓があった・・・」(「ヨハネ伝」19:41)
・・・・・・・・・・・・・


~とあります。

アリマタヤのヨセフがあらかじめ入手していたものでしょうね。

持ち主でもないのに、そこにあったお墓に勝手に葬ることなど、出来ませんからね。

この墓は、岩山を横にくりぬいて作った一室になっていた。

入り口を大きな岩盤を転がして塞ぐようになっていました。

そんなものを、普段から保有している、というのは金持ちでないと出来ないことです。





<ニコデモも最後まで支援者だった>




また、そこに~



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「没薬(もつやく)とアロエを混ぜたものをおよそ30キログラムばかり持ってきた」(「ヨハネ伝」19:39)
・・・・・・・・・・・・・・・・・


~という人も来ます。

ニコデモです。

聖書を読む人にはおなじみのユダヤ教の指導者(高僧)ですね。


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彼は前々からイエスに傾倒していました。

この人が、夜闇に紛れてイエスの所に質問に来る場面が「ヨハネ伝」の3章に記されています。

彼はまた、議会でイエスが不利にならないような発言をしたりして、ひそかにイエス支援をしています。

その彼が、この葬りの時にも、没薬や香料、亜麻布をもって登場した、とヨハネは記しています。

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当時のユダヤ教の高僧といえば、みな、資産家ですよ。

彼もイエス支援者の一人でした。






<「最後の晩餐」の場と「マルコの部屋」の提供者>


城郭都市、エルサレムの内部にも支援者はいましたよ。

イエスが「過越の祭」の日にいわゆる「最後の晩餐」をした、とあります。


エルサレムには、その部屋と食物を提供した人もいたのです。

また、イエスが殺されて復活した後、弟子たち200人以上が一堂に会して祈っていた部屋は「マルコの部屋」とされています。

こんな大きな部屋を提供した人もエルサレムにはいた。

資産家に決まってますよね。

彼らは立場上、身分を隠して支援しますが、こういう金持ちは、ガリラヤ、サマリア、エルサレムなど、イスラエルの全土にいたのです。





<マルタとマリアという姉妹>


さてそれで「ルカ伝」10章です。

ここにはエルサレムから徒歩1時間ほどの所にいたイエス支援者の話が出てきます。

マルタ(姉としておこう)マリア(妹としておこう)という、資産家の娘です。


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そこでもイエスは到着後、ただちに教えを述べています。

待ちわびていた近所の人々は、すぐイエスを取り囲んで教えを乞うたでしょう。

妹のマリアはその中に混じって教えを聞いていました。

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姉マルタは、人々をもてなすために家事にいそしんでいました。

だが、彼女はついにイエスに訴えました。

「妹も、手伝うように言ってください!」と。

これに対するイエスの応答は有名です。

「マルタ、人生で大切なことは、そんなに多くないんだよ。マリアはそのままにさせておきなさい」





~でも、こんな疑問が生じませんか。

イエスは何を無責任なことを言ってるのか。

イエスのいうように姉もイエスの講義を聴き始めたらどうなるか。

一行をもてなす食事が出来あがらなくなってしまうのではないか~と。


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~けれども、現実はそうならないでしょうね。

近所の他の女性たちがマルタの意図した食事を作り始めたでしょう。

また、マルタがマリアと、講義が一段落してから作ることもできますしね。

少し待ってもらうだけのことです。


現実はそんなものです。






<宿泊所についてもイエスは語り続けた>


が、ともあれ本題です。

これなど、イエスが、支援者の家についても常に聖句解読をレッスンしていたことを示唆しているのです。

イエスは、旅をしながらも、支援者の家に於いても、常に聖句を教え続けました。

唇の休まることはなかった。

弟子たちが、宿泊所でも、学びまた、議論していたこともこの事件から推察できます。

まあ、想像できない人は、ゲートボールしてた、スマホしてた、トランプしてた、世間話してた、など、なんでもイメージしてください。









コメント
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