2006年2月
【慶視点】
「はじめは、慶が一緒にいってくれたらって思ったんだよ」
ケニアに旅立つ前日、浩介はそういっていた。
あの時のおれは、まだ卒後丸3年で、先輩方に助けてもらいながら、何とか仕事をやっているような状態で、とても着いていくことなんてできなかった。
あれから3年弱……。少しは経験を積んで、後輩もできて、少しは周りから頼られるようになったけれど……
(理想とする医師からは、まだ遠い……)
おれの理想の島袋先生は、実家の小児科病院を継ぐために、何年も前にこの病院を辞めてしまった。去年の夏に初めて先生の病院に遊びに行ったのだけれど、ビックリするくらい長閑な病院で、入院施設もなくて驚いた。入院手術を要するような病気の場合は、転院することになるそうだ。
「先生の腕がもったいなくないですか?」
思わず、失礼ながら言ってしまったら、先生はニコニコと笑って、
「ここの子供達を守ることが、今のオレの仕事だから」
そう、言い切った。やっぱり島袋先生はかっこいい。昔から変わらない。
島袋先生おすすめの「流れ星スポット」で一人星空を眺めながら、ボーっとしていたら、頭の中は当然、浩介のことでいっぱいになって……
(本当は、浩介と来るはずだったのにな……)
旅行を予定していたのに、直前に浩介が交通事故にあったため、やむなく中止にしたのだ。その翌年は予定が合わず、断念して……
(その次の年は、浩介はもうアフリカで……)
…………。
どうしてもっと一緒にいなかったんだろう。
病院の暗黙の決まりなんか無視して、社宅には入らず、一緒に住めばよかった。浩介は一緒に住みたいって言ってたのに。そうしたらもっと一緒の時間が取れたかもしれないのに。そうしたらあんな風に、浩介が日本を離れることを秘密裏に進めることもなかったかもしれないのに……
後悔ばかりが、頭の中を渦巻く……
本当は心奪われるはずの美しい星空も、今のおれには何の感動も呼んではくれなかった。
***
「わ~~こうすけ君、すごい量のチョコだね!」
「…………っ」
看護師の早坂さんの言葉に、ほんの少し、ドキッとする。
先日入院してきた中学生の男の子。「光輔」という。「こうすけ」という名前自体、別に珍しくはないから、今までも患者にいたことはあったのだけれども、この「光輔」は、わりと背が高くて痩せ気味で、しかもバスケ部で……、どうやっても、おれの「浩介」を連想してしまう子なのだ。でも……
「いや~まだまだ! 本番は明日だから! 明日は女子が行列作っちゃうからね!」
…………。
でも、性格は全然「浩介」とは違う。喋り方も何もかも、笑ってしまうくらい、違う。
「渋谷先生だってたくさんもらうでしょ?」
「いや……」
軽く首を振ると、光輔は楽しそうに言葉を継いだ。
「ウワサ本当なんだ? 別れた彼女をウジウジと思い続けてて、チョコも全部断ってるとかいう……」
「…………」
別れてねーし。しかもウジウジって……誰だ、そんなこと言ってるのは。……って、みんな言ってるんだよなあ……。
「もったいないじゃーん。さっさと次行きなよー」
「…………」
無視して診察をはじめる。が、光輔は黙っていない。
「この病院の看護師さん、結構レベル高いよね? ビックリしちゃったよ。みんなわりと若くて可愛くて」
「シー」
人差し指に手を当てると、ようやく口を閉じた。
が、終わった途端に、「ねえねえねえ!」とおれの腕を叩いて、
「ほら、早坂さんなんてどう? 二人お似合いだよ?」
「ちょ……っ、やだ、光輔君!」
こんな子供の言うことに、早坂さんがアワアワしている。
「そんな渋谷先生に失礼……っ」
「なんでー」
「光輔君」
ピシッと軽くオデコを叩いてやる。
「セクハラ」
「えー」
光輔がぶーっと口を尖らせた。そういう顔はちょっと浩介に似てる……
「だって先生、せっかくカッコいいのにもったいないじゃん。なんでそんな一人の女にこだわってんの?」
「……………」
なんでと言われても……
おれにはあいつしかいなくて……いなくて……
「こうすけ、君」
久しぶりにきちんと声に出して言う「こうすけ」の四文字が、愛しくて愛しくてたまらない。
「明日、行列作られたとしても、あまり無理はしないようにね」
「………はーい」
嫌そうに肯いた光輔の頭を軽く撫でてから、病室を後にする。「こうすけ」という甘美な響きの4文字が、おれの中でグルグルと回る。
(浩介……浩介。お前の名前を呼びたい)
お前の名前を呼んで、お前の頭を撫でて……
(浩介……)
思いきり抱きしめて、それから、それから……
「渋谷先生?」
「!」
早坂さんの声で我に返って立ち止まった。
しまった……早坂さんの存在を忘れて、何も言わずに階段を下りはじめてしまっていたのだ。
「ごめん、考え事してて……。これで終わりだったよね?」
「あ……はい」
「おれこのまま昼行ってもいいかな?」
「はい……」
うなずいてくれた早坂さんに手を挙げ、階段の続きを下り……
「………渋谷先生っ」
「え」
再び呼ばれ、立ち止まった。振り返ると、早坂さんが真剣な表情でこちらに下りてきていて……
(あ、まずい)
その少し紅潮した頬をみて、反射的に思う。
(これ、告白される)
経験上、この雰囲気はそういう流れだと瞬時に気がついた。これは避けなくては。仕事仲間との恋愛のイザコザは絶対に嫌だ。回避。回避。回避。
「ごめん、おれ、いそいでて……」
慌ててその場から逃げ出そうとしたのだけれども………
「渋谷先生!」
逃げる間もなく、早坂さんに詰め寄られてしまった。
「明日、チョコ受け取ってもらえませんか?」
「う」
案の定だ……
たじろぐおれに構わず、早坂さんは、真っ赤なまま、叫ぶように、言った。
「私、渋谷先生のことが好きなんです!」
「え……」
ビックリするくらい、清々しい真っ直ぐな告白。
(うわ……)
まるで小学生みたいだ。いつも元気いっぱいの早坂さんらしすぎて………思わず笑いそうになってしまう。
この子、おれと5歳しか変わらないよなあ。なのになんでこんなに若々しいんだ。微笑ましすぎる……
「…………先生、笑ってます?」
「あ」
早坂さんがムッとしている。
「なんで笑うんですかっ。私、真剣に……っ」
「ご、ごめん」
降参、というように両手を軽く上げる。
「若いなあと思って……」
「………それは子供っぽいということですか?」
「………」
苦笑してしまうと、「ひどい」と早坂さんがプウッと頬を膨らませた。
「こんな子供じゃ、恋人候補にはなりませんか?」
「…………」
かわいい。かわいい子だな、と思う。
いつでも一生懸命だし、誰に対しても親切で明るくて、本当に良い子だと思う。
けれども……
「………ごめん」
ゆっくりと頭を下げる……
「早坂さんがどうとかじゃなくて……おれ」
「彼女のことが忘れられない、ですか?」
「…………」
早坂さんの黒目がちな瞳がジッとこちらを見つめてくる。
「私だったら、ずっと先生のそばにいます」
「…………」
「そんなさみしい目させません。絶対」
「…………」
さみしい目……って……
「さみしい目、してる? おれ」
思わず聞くと、
「え? 自覚ないんですか?」
それはビックリ、と早坂さんは口に手を当てた。
「すっごくさみしそうですよ? みんな言ってますよ?」
「…………」
「まあ、そのさみしそうなところが憂いがあっていいって評判なんですけどね」
「………なんだそりゃ」
普通にしているつもりなのになあ……
「でも、先生。私と付き合ったら絶対毎日楽しくなりますよ? おすすめですよ?」
「………………」
毎日楽しく……か。
「そっかあ……」
「そうですよ?」
「そう……」
「そうですよ!」
「……………」
ニコニコの早坂さん。
そうだろうな。こんな子が彼女になったらきっと楽しいだろう。
でも……でも。
「でも………ごめん」
真摯に頭を下げる。
「おれは……」
あいつのことしか愛せない。
***
売店でおにぎりとパンを買って、外のベンチに行く。
行き止まりと勘違いする先にあるため、めったに人がこないベンチ。浩介が日本にいた頃は、時々ここにお弁当を持ってきてもらって一緒に食べたりしていた。
「…………いない、か」
いるわけないのに、ほんの少し期待してしまうアホな自分に毎回笑ってしまう。
今日も寒いけれど、日射しが暖かい。
「さみしい目、だってよ」
ベンチに座っておにぎりを食べながら、先ほど言われた言葉を、空白の隣に報告する。
「そりゃ、さみしいもんなあ……」
お前がいない。
そのさみしさは隠しようがないということだ。
「早く帰ってこねえかなあ」
空に向かって呟く……
『押しかけ女房しちゃえば?』
正月に妹の南に言われた言葉がよみがえってくる。
『浩介の意思を尊重してる』
と、行かない理由を答えたおれに、
『行って拒否されるのがこわいってことでしょ?』
ズバッと言い放った南。
あいかわらず容赦なく、真実をついてくる奴だよな……
一昨年、ほんの少しだけ、アフリカにいる浩介に会いにいった。
浩介は喜んでくれたけど………でも、おれは気がついてしまった。おれは今のお前には必要のない人間だということに……
「……だから、待ってる」
いつか……お前が再びおれと一緒にいたい、と思ってくれる日を。
そんな日は、一生こないのかもしれないけど……でも、待ってる。
その日が来たら、今度こそちゃんと「一緒に」いられるように、今度こそ後悔しないようにする。だから……だから。
「帰ってこい」
帰ってこい。浩介……
ぎゅっと胸を押さえて、強く強く念じる。
帰ってこいよ……
***
翌日のバレンタイン……
『義理』
と、デカデカと書かれた箱を、看護師一同からもらった。
早坂さんは、昨日の告白の後、「明日からは普通の看護師に戻ります」と言ってくれた通り、少しも変わらず、明るく元気。
だけれども、周りはそうではなかった。
「早坂ちゃん、告ったらしいね?」
「そうそう。でも『あいつのことしか愛せない』って振られてたよっ」
昨日の告白の様子、見られていたようで、早坂さん以外のスタッフが噂話をしている……
「うわー渋谷先生、ナルシストっぽーい」
「自分に酔ってる系」
「ありえないわー早坂ちゃんかわいそー」
………………。
一応、皆さん隅でコソコソ話しているけれど、丸聞こえだ。せめて本人のいないところで話してくれ……
「先生、早坂さんのこと振ったんだって?」
「え」
回診の際、光輔にまで言われてビックリする。入院患者にまで知れ渡ってるのか?
「それは……」
「先生、そんなに彼女のこと好きなんだ? すごいねえ一途だねえ」
「……………」
中学生に感心されても………
「オレもそんな相手に出会いたいなあ」
「…………」
夢見るように言う光輔。
おれと浩介の出会いは奇跡だ。でも、偶然じゃなく必然。奇跡だけど、必然。必ず会う運命だったから出会えた。
「こうすけ、君」
おれの運命の相手と同じ名前の彼だからこそ、余計に幸せになってほしい。いつの日かこの子にも運命の相手が現れるといい。おれがお前と出会ったように。
「会えるといいね」
言うと、光輔はエヘヘと笑って、「先生も早くヨリ戻せるといいね」と言った。
………………。
だから、別れてねーっつーの。
と、いう心の声は口に出さないでおこう。
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お読みくださりありがとうございました!
光輔とのやり取りや早坂さんの告白は、私が高校生の時に書いた「翼を広げて」が元になっているため、青臭いのはそのせい!ということでっ
次回、金曜日は3年目その7です。
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今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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