今年は夏目漱石生誕150年だそうな。世に文学作品は多かれど、そも文学とはなんじゃいなぁ?
うちの芝居は少し文学が香る傾向がある。作家の神原くみ子の文学性ゆえである。何だこのセリフは!?とか、誰だこいつは!?何てこともざらで、その度にこの匂いは何だと考えると、どうやらそこに文学が潜んでいたりするのである。じゃあ神原の台本は文学作品かというと、これが微妙なのである。あんな暴力的でぶっ飛んだものを文学と言っていいのか?という意見があっても仕方ないほど好き放題やっているので…。
しかし、作品に詩歌が多く使われているから、歴史上の人物の扱いや民俗学的な考察に長けているからというような理由だけではないのである。
私は「人の、心底深い溜息は文学である」という持論を持っている。言葉だけではなく、人の佇まいや仕草・生活にも文学は確かにあると信じている。神原の作品の文学たる所以は、文学的な知識・見識もさることながら、行間の、登場人物や物語の意識が台本から見えてくるところにある。これを実感することができるのは、最初に台本を手にできる我々役者の特権である。ただ、果たして観客にまでそれがうまく伝わっているかどうか?それは演出家神原と我々俳優陣の責任ということになる。
「文学が香る」は少し言い過ぎかもしれぬ。「文学が匂う」「文学臭」くらいか。とにかく、「そこはかとなく漂ってくる」のだよBUNGAKUが。