ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガン話 第1回

2014年09月15日 | 日記
ごあいさつ
 これ、結構まじめな話になりますんで、読むのにしんどいかもしれませんが、まあ、そこらは勘弁したっておくんなさい。ネタはいつも集める努力はしますけど、尽きてしもうたら、この話は終わりになります。せやよって、何回続くかという約束はできません。これも勘弁しとくんなさいな。
んなら、始めさしてもらいますな。

氏素性(うじすじょう)のこと
 父親が役場に届けた名前はエドゥアール=オネジム・セガンといいます。この話ではただの「セガン」とだけ呼ばせてもらいますな。1812年1月20日生まれ、フランスのナポレオン第一帝政の時代でんな。ところはニエーヴル県クラムシー・コミューン。フランスの中部で東寄りになります。ヨンヌ川とブブロン川との合流地点で、中世に築城された城郭都市を街の起源にしています。人口は今で3000人ほどの小さな地方都市です。産業は今はこれというものがありませんので「村おこし」に必死になっていますが、セガンが生まれた頃はけっこう賑わっていたんだそうで。その賑わいの話は後に回させてもらいますな。
 父親の名前はジャック=オネジム・セガン、母親の名前はマルグリット・ユザンヌ。ずいぶんと歳の差のあるご夫婦だったようです。ジャック=オネジムさんは医学博士さま!小さな村の博士さまですから、そりゃあもう、名士ですね。こんな小さな村でも上級役人や元貴族、金持ち、そして学者・お医者さまたちハイソ・グループはよく晩餐会を開いていたようです。ジャック=オネジムさんはこの村の生まれ・育ちの人ではなかったし、奥方のマルグレットさんも他の土地から嫁いできた人ですから、古い昔のこと、村八分にされかねませんよって、晩餐会みたいにお金のかかることは、勢い込んで主催したんやないですかね。この晩餐会がセガン家で開かれてます。会費制?冗談じゃございません。どれだけ豪華に演出できるかが、その地域での評判になるのですから、もちろん、主催側の持ち出しですよ。まあ、暇と金、それとダンス・パーティーができるほどで、しかもきらびやかな装飾が施されている広間(ホール) がなけりゃ、できませんね。ついでに言っときますが、行政主催のダンス・パーティーもあるんですね、それに呼ばれるかどうか、呼ばれなかった日にゃ、名士集団からドロップアウトさせられるわけです、そうならないためにも、市井の晩餐会の主催や参加はせっせとしなければならないわけです。クラムシーが生んだセガンより10年上の世代のクロード・ティリエという文学者がこういうことを名文で書いておられます。
街の新規参入者は本当に必死だったでしょうね。いくら医学博士という肩書きを身につけていても、街の医者として受け入れられなければ、なんにもなりません。上流階級の社交界がまだまだ大きな力を持って地域を動かしていた時代に、つまりなんですな、父母が地域に溶け込むために汗水流して社交に勤しんでいたその時代に、結構、言ってみれば因習的な時代社会に、セガンは生まれたんですわ。
こぼれ話でっけど、1840年9月5日の日付ですから、セガンがとっくにパリで一働きしている時のことですが、セガン家で晩餐会が開かれています。その様子をせっせと綴っていた、これまたクラムシーのコミューン長を勤め上げたことのある名士がおりますんや。彼のひ孫がかの有名な文学者で民主主義闘士のロマン・ロランです。セガンより50年後の時代の人なんですがね、ロマン・ロランは。この記録魔名士、名前はなんと言いましたかな、名字はロランではありません。なかなか名物男だったようで、ロマン・ロランの作品『コラ・ブリニヨン』の主人公老家具師のモデルだったそうです。話をちょっと戻させてもらいます。
セガン家で晩餐会が開かれた。それをせっせと記録した名物男がいた。その男はロマン・ロランの曾祖父、つまり、ひ爺さまだった、そしてロマン姓ではない。もちろん、ロマン・ロランはまだ生まれていない。ね、あなた、こういう関係を、「セガン家とロマン・ロラン家は親交があった。」って、言うんですかね。いや、そういうふうに言う人がいらっしゃるんですよ。何で、なんのためにそういうことを言わなきゃいけないのか、そのこともよく分かりませんけれど、要するに、セガンは、ロマン・ロランと同じクラムシーの生まれである、ということだけですね、共通するのは。でも、クラムシーの宣伝になっても、セガンの人生史にとっては、なんの意味もない。ね、そう思いません?
そうそう、兄弟は2つ下の弟と10歳年下の妹とがいたこと、弟はパリに出て医学を学んで医学博士になったことは分かっていますが、後のことは、分かりません。それから、セガンの父母は、1870年、1871年に相次いで亡くなっています。土地家屋は、死後直ちに、オネジム=エドゥアールに財産分与され、これまた直ちに、他者の手に売却されています。クラムシーのセガン家は、いろんな人が、この地域の由緒ある名門医師の家系だと言ってきましたが、みーんな、嘘八百。クラムシーの名士で医学博士のジャック・オネジム・セガン家はたった一代限りのことでありました。それにしても、初代ジャック=オネジム、長男オネジム=エドゥアール、次男ジュール、セガンの息子エドワード=コンスタンス、この人たちみんな医学博士さま。すごすぎますね。 (この項終わり) 

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