ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

過ぎ去りしことの記録のために(2)

2017年09月25日 | 研究余話
S先生
  先ほどは電話にて乱暴な物言いがあったこと、お詫び申し上げます。ただ、歴史研究をなさっている先生が史料の扱いについて、あまりにも自我意識のみに従って語られたことに、驚愕し、悲しみを覚えた、ということは申し上げたく存じます。
 「貸金庫に預けるべきだ」と何度も私の所蔵する史料についてご教示下さる先生が、史料保管の場所に自らが出かけるというのではなく「郵送をお願いするつもりだ。」と言われました。信じられないお話でした。先生が私に「これは自分が収集した貴重資料だから郵送ではなく必ず持参して返却すること」と申されたことと、大きく矛盾します故。史料に対する尊厳さを感じることができず、歴史研究をなさっているお方だとは信じられませんでした。
これは私の主観だけのことなのかもしれませんけれど。日本社会は「公」の概念が少ないですから、その社会傾向に先生も乗っかっておられるのかな、とも感じられました。
 話のはじめは「いただいたコピーを幾つか所有しているが、現物を見たことがないので、それを見たいと思っている。」ということでした。ところが、当事史料(現物)が必要なのではなくコピーで十分だ、と言われました。そうすると、先の郵送の話に加え、コピーという問題が生じ、史料の保全に対する清水先生の厳粛な哲学を感じることができませんでした。
 何年のことでしたか、『童詩教育』のコピーは持っているはずなのでありましたらご覧いただくことができます、と先生にお伝えしております。今回の研究室の引っ越し準備でそれらが出て参りましたので、自ら発した言葉の責任を取って、先生にお貸しすることはできます。ただし、責任感・義務感からのみです。以前のように喜んでという気持ちになりません。それがなぜなのか、先生にお考えいただきたいと思います。
 フランスで公文書等に接した時、すぐに現物を手中にしじっくり読みたい、具体的にはアパートに数日持ち帰り読みたいと思いました。もちろん叶うはずはありません。「ノン、これしか(あるいはわずかしか)世の中にないのだから。」次に、それらをコピーを取りたいと願い、その旨を申し出ました。回答は否でした。コピーは史料を傷めますから、という理由が付きました。続いて、写真に撮りたいと願い、その旨を申し出ました。三脚使用厳禁、フラッシュ厳禁を命じられ、やっとの思いで公文書を複写することができました。2000年滞在の折から変わることのない情景です。
 普通、歴史研究者というのは、私の上記の経験を全く普通のこととしているのではないでしょうか。どうか、他者所有の史資料保全保管にお心配りをお願いいたします。(2009年4月)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。