あの郵便ポストの横に石造りの道標が見えます。
「でんしゃのり」「はりみ」途中で切れています。
その先にも石造りの道標が見えます。
近づいてみると「はりみち」「でんしゃのりば」とあります。
大正3年(1914)に南海平野線が開通した際、
中野駅から中野鍼灸院まで320mの間に、
7基の道標「はりのみち」が辻の角々に建てられました。
その後、平野線は廃線になりましたが、
現在でも2基の道標が残っています。
その角を右に曲がるとこの一帯が「中野鍼灸院」です。
中野鍼灸院は平安時代の延歴(782~805)頃に出来た。
「中野降天鍼療院」は(屋号)です。
平安時代から一子相伝を守り、男児が生まれない時は
女性も当主として鍼灸術を習得して現在に至っている。
初代は延歴20年(801)に生まれ、
弘法大師が布教の途上、当家に宿を借りたお礼として
当時最も進歩した鍼術とつぼを示す「遂穴偶像」(木造)
と金針を授与された。
その木像は今も中野家に伝えられている。
その曲がり角の反対側にお地蔵さんがあり
近所のおばさんが綺麗に掃除していた。
針中野駅、近鉄南大阪線の駅。
大正時代に鍼灸師の中野家第41代目が、
大阪鉄道の開通に尽力し、そのお礼として
1923年の開通時鍼灸院の最寄り駅の名前を
「針中野」にしたと言われている。
針中野駅の前に全長730m(東西190m、南北540m)の駒川商店街がある。
天神橋商店街、千林商店街、十三本一商店会などとともに
大阪を代表する商店街である。
ちょうどお昼、ここで昼食になりました。