「ふるさとの話」 平成27年11月号

2019年11月09日 | ふるさとあれこれ
今日のNさんちのクロス張替えは、見事な出来栄えで仕上がっていました。
取り外したスイッチなどの再取り付けに、
『どんな素晴らしくできたが見たいから、父さんも行くわ」と言いながら伺いました。

奥さんの、
「本当に素晴らしい仕上がり、クロスの色も期待以上だったわ。作業中は全く見なかっ
たの。さっき初めて仕上がった壁見て ”わ~ステキ” と声が出ちゃうくらいに嬉しか
ったのよ」の声です。

こんな素晴らしい仕事を世話できたこと、感謝感謝の一日でした。




ふるさとの話 ⑨ 十一月号

今月はふるさとの「峠」の話、名前が不思議な峠の話です。
日高町八代の「カサノフタ峠」と、竹野町阿金谷(あこんだに)の「鋳物師戻峠(いもじ
もどしとうげ)」の名前の由来の話です。

クイズのヒントも隠れています。

ふるさとの峠
ふるさと但馬は山ばかりの地形です。小さな峠大きな峠が、数え切れないくらいあります。
さらに、なぜこんな名前が付いたのだろうかという不思議な峠もあります。
今回は二つの珍しい名前の峠を紹介します。

カサノフタ峠
日高町八代の一番奥を真っ直ぐ進むと、木立で暗い坂道があります。
ゆるやかなカーブの坂道を上がると視界が開けます。日高町河江との間の「カサノフタ峠」
です。
 
カサノフタ峠を漢字で書きますと。
「瘡(かさ)の痂(ふた)嶺(とうげ)」なのです。
どうして峠の名前が、傷口が治ったときに出来る「かさぶた」なのでしょうか。

雅成親王(まさなりしんのう)
4月号のふるさとの話で、松岡のばば焼のことを書きました。
但馬に配流された夫君の跡を追って、松岡村の里までたどり着いた妃の幸姫が、意地悪な
老婆のため蓼川(円山川)に身を投げた話です。
その夫君が、後鳥羽天皇の第四皇子雅成親王です。

大岡山の薬師仏
雅成親王は豊岡市高屋に配流され、出家の身でした。
親王は重い瘡(かさ)「できもの」を患われました。
 
大岡山の薬師に祈られ、一七日間も参籠されたのですが治りません。
帰りの道で「南無薬師諸病間悉除の願たてて、身より仏の名こそ惜しけれ」と口ずさまれ
ます。
病気の治らないわが身より、仏さまの名声に傷が付きはしないか気がかりですと歌を詠ん
だそうです。
 
峠の名前の由来
薬師仏は、「村雨は ただひと時のものぞかし 己が蓑笠(みのかさ)そこにぬげおけ」
と返歌があり、親王の瘡(かさ)の痂(ふた)はたちまち落ちて、親王は平癒されたと言
います。
その場所が現在の「カサノフタ峠」であると言う、峠の名前の由来です。

鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)
城崎温泉の一番奥をずんずんと進みますと、竹野町阿金谷へ抜けます。
坂道を登りきったところがとても不思議な名前の「鋳物師戻峠」です。
現在の峠は、昭和六十一年にトンネルが完成し、大変便利な道路で車ですいすいと通行で
きます。

天を突く巨岩
その昔、城崎・竹野間の往来は細い山道が延々と続きます。
峠道の頭上には巨岩がありました。山肌に天を突く大きな巨岩と、その上に大きな岩が乗
っています。
 
今から1280年ほど前の天平6年の頃のことです。
この地を大地震が襲います。たまたま峠を登っていた鋳物師(平安時代のころ、銅や鉄を
使って仏像や梵鐘を造る技術者)が、突然の地震で巨岩の上の大岩がゆらゆらと揺れるの
を見て、怖くて先にけず来た道をもとに引き返してしまいます。

鋳物師が戻る
鋳物師が戻ってしまったということから、この地を鋳物師戻しと呼ぶようになったと伝え
られています。
現在のトンネルの手前が、「鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)」と名付けられたと言う
由来なのです。現在ももちろん旧道の頭上には、奇岩・大岩が不安定な姿で乗っているの
です。

(地名大辞典や、日高町史を参考に書きました)