毎月5日は「ふるさとの話」 令和2年1月号

2020年01月05日 | 日記


ふるさとの話 一月・62号

 赤木八々山人という人物を知っていますか?。ちょっとおもしろい名前ですね。
今月は、日高の先人名簿(各界で活躍した人々)に測量家として名を残している上郷出
身の人物・赤木八々山人(あかぎはちはちさんじん)の話です。
クイズのヒントも隠れています。

但馬の伊能忠敬
 誰でも知っている伊能忠敬(いのうただたか)は、日本で初めて実測による精巧な日本
地図を作製した人物です。もう一人、間宮林蔵(まみやりんぞう)は、江戸時代の探検家
で樺太(サハリン)が島であることを確認し、間宮海峡を発見した人物です。
 
但馬の伊能忠敬であり間宮林蔵であると言われた人物が、気多郡上郷村にいました。
赤木八左衛門勝之、隠居後の居宅を八々洞と名づけ、八々山人と号していた人物です。
いずれも江戸時代後期の話です。

赤木八々山人
 赤木八々山人は、享和二年(1802)に丹波佐治村の中島家に生まれます。
27才の時に上郷村の赤木家へ養子として入り、家名を継いで赤木八左衛門勝之と名の
ります。
家督を譲ってのちは八蔵と改め、八々洞とも紅蓼軒とも称する居宅で、八々山人と号し
て多岐にわたる趣味・余芸に没頭します。

旺盛なる好奇心
 山人の人となりは、非常に厳正にして真面目、世の事物に興味を昂ぶらせる性格で
す。晩年には、仏教哲理に興味をもち深く信仰し、仏教哲理と囲碁理論を併説した「一
眼識八巻」という書を著すほどです。
謡曲、狂歌もたしなみ「国宝狂歌の千店」と名づけた狂歌集を発刊したり、「但馬図誌」、
「八々堂雑話」、「寝さ兎物語」、「臍車雑誌」などを書き上げています。

八々山人の最大の事業は、但馬全域を詳しく調べて作図した「但馬新地図」の作製で
す。

国内(但馬の国)踏破
 安政二年(1855)の夏に「但馬国新図」を著します。八々山人53才の頃です。
但馬の全域を徒歩で、あるいは駕籠で矢立をたずさえ、村落、山野、沼沢を踏破して測
量し続けます。
ただ一人の力で方角地理を徹底的に測量するとともに、寺社、名所旧跡、歴代の興廃古
跡、奇石怪松のたぐいまで調べ、由来を考える作業です。しかも、それを全部木版に彫
りこんだ労作です。

但馬新地図
 伊能忠敬が幕府の命を受け作製した日本地図は、海岸線を正確に測量した日本列島
の形です。
完成は文化十三年(1816)、山人14才の頃です。もちろん機密の図面なので目にする
ことなどあり得ません。
     
そんな時代に、八々山人一人で作った但馬新図は、海岸線はもちろん内陸部の詳細な
すべてを現す、現在のナビゲーションのような精巧なものです。
     
測量のため、日夜山野を一人で抜渉する姿は、探検家の間宮林蔵を思わせる異常なも
のだったと伝えられています。
木版刷りで出来上がった三尺四方両面7枚の地図には、高名な学者に添文や叙を書き
添えてもらい「但馬新地図」として発刊、大いなる賛辞が寄せられました。

名声は全国に
 生野、久美浜両代官、出石、豊岡両藩主をはじめ、湯島に入湯逗留中の阿波の殿様
の目に留まります。さらに、江戸や水戸の殿様にも伝わります。但馬が生んだ勤皇の
志士・田中河内介の紹介で、中山大納言にも献上され、大納言を通じて天皇にも御覧
あそばれるまでになりました。
 
一介の村人の好奇心が高じて著した地図が、非常に珍重賞賛され、大名諸侯や公卿
をはじめ、天覧にまで供せられたことは、山人の新図作製がいかに偉業だったかを物
語っています。

江戸時代後期に、上郷には但馬の地図を精巧に作ったという人物がいたというお話で
す。

(国府村誌人物編を参考に書きました) 

縁(えん)って、「ありがとう」とつながってるわ

2020年01月04日 | 家族に感謝



縁て不思議なものですね

家内が長男のお嫁さんに話します。
正月に里帰りしてくれた長男のお嫁さんに話します。

「〇〇さん、縁(えん)って不思議なもんですね」、

「遠く離れた処の者同士が、こうして縁あって結ばれるって不思議なもんですね」、

「かわいい孫たちも、縁あって一緒に遊べるなんて。ほんとうに本当にありがたいこと
です」とミカンを食べながら話します。

私は、
『縁(えん)ってね、ありがとうにつながってるんよ。感謝の言葉 ”ありがとう〟 に
つながってるんよ』と話します。

物に感謝する、人に感謝する時、 ”ありがとう〟 と誰でも口にします。
「ありがとう」の意味ってどこから来たのでしょうか。

仏教の本には「盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)と、優曇華(うどんげ)の花」と云う
話がのっています。

100年に一度海上に首を出したとたん、漂う一本の木の穴に首が挟まった盲目の亀の
話。3千年に一度咲くと云われる、優曇華の花に出逢うという話です。

どちらもあり得ない確率、有り難い確率、有り難い出来事、
「有り難い事」、「有り難いことだ」=「有難う(ありがとう)」なんですね。

人は万劫の時空の中で、盲亀の浮木のような奇跡の偶然の巡り会わせの中で生まれ、
そして、遠くに離れていた者同士が結ばれるのです。

劫(ごう)とは、天女の羽衣がス~っと岩をなでて、その岩が擦り減ってなくなる時間で
す。あり得ない確率、万劫の時空での出会い、ほんとうに縁は ”ありがとう〟 の感謝の言
葉です。



石田梅岩に学ぶ
「五倫の道」

【自堕落になる民を憂慮して、聖人は「五倫の道」を教えたの。人倫の道を教えることは
学問の功徳なの。古(いにしえの)の人たちの教えを知ることは「君子は、本(もと)を務む(論語)」
といってとても大切なものだよ】
   都鄙問答より

「彼は異端だ」、
「性(せい)だ本性(ほんしょう)を知るだの、心を知るだの、聖人でもないものが」、
「人を惑わかすのは、山賊や強盗より罪が重い」という学者からの批判を受けた梅岩は、
「五倫の道」を説く大切さから、自分が商人から教えの道に入った動機を述べたのです。

五倫とは、
父子間の親愛、君臣間の礼儀、夫婦間の区別、長幼間の順序、朋友間の信義を説いた
ものです。

百姓から身をおこし、商人から人の道を学び、人の道を教える立場になっていく梅岩に、
時の学者たちは批判をします。
しかし、梅岩は教えの道に進んでいったのです。

今に生きる多くの経営者に、
「梅岩の都鄙問答は座右の書だ。経営の時々にこの書から学ぶ」と言わしめた、
石田梅岩の教えが始まるのです。

城崎温泉

2020年01月03日 | ふるさと地域に感謝



一の湯

長男家族と一緒に、城崎温泉に泊まります。地元にいながら、泊まることはそうそうしま
せん。ましてや、下駄をカランコロンと鳴らしながらの外湯巡りなんてしたことはあ
りません。

いつも、温泉街を仕事の軽トラックでソロリソロリと通り過ぎる時、「いっぺん浴衣姿で、
外湯巡りしたいものだ」と眺めるばかりでした。

正月の温泉街は、ものすごい人々人のにぎわいです。
一の湯に入ってビックリしましたよ。

入口ホールも人々人、脱衣場も大入り満員、浴場も人々でぎっしり、大きな浴槽はずらり
と人が浸かり、入る隙間もないくらい、自慢の洞窟風呂もぎっしりと人々で湯の中に入れ
ず、もちろん洗い場の椅子は空いていません。

これぞ、芋の子を洗うようなものでした。
宿に帰って聞きました。

「なに言っとられるんですか。もっと多いい時は入湯制限待ちで、一の湯の前は人だかり
でいっぱいなんですよ」と聞きました。

最近の城崎温泉は、とても人気で大繁盛なのです。
ふるさとの観光地・城崎温泉がこんなににぎわうなんて、なんだか嬉しく誇らしく思います。



石田梅岩に学ぶ
「各々性命を正すなり」

【大いなるかな乾元(けんげん)、万物資りて始む。乃ち天を統ぶ。雲行き雨施し、
品物形を流く。乾道変化して、各々(おのおの)性命を正すなり】
  都鄙問答の最初の言葉よ


のっけから難しい言葉で恐縮なのですが、石田梅岩の教えの根本なのです。

「乾(けん)」とは、易経の教えに出てきます。
「乾」は天地自然の全てのもの、「乾元」は全てのものを生み出す元と言う意味だそうで
す。

すべての自然の物事は、形を与えられて天から流れ落ち、正しき命を宿してこの世に現
れるということです。
天地自然の摂理とか、天地自然の理法とかいう意味です。

天地万物は、自然の摂理に従って物事が決まるという、商売で言うならば自然体の経営
に通じる思想です。

石田梅岩の都鄙問答は、こんな言葉から人としてどう生きるのか、商いの道をどう正直
に進むのかを教える話で始まるのです。

石田梅岩

2020年01月02日 | 家族に感謝



家族に感謝

仕事先でいつも言われます。

「あんたのとこの息子さん電気屋さん継いで、よ~出来たええ子だね」、
「いつも息子さんには、よ~してもらって」と言われます。

お客さまから感謝の言葉です。

いやいや、親のこちらこそ感謝感謝の息子です。

正月で帰省した長男家族と一緒に、出石を巡って城崎温泉に泊まります。
幸せそうに孫娘と三人家族、親元に感謝と笑顔の帰省です。

いやいや、親のこちらこそ感謝感謝の息子です。



都鄙問答(とひもんどう)

石田梅岩は、亀岡の一百姓から身をおこし、江戸中期一番の倫理思想家となり、
今に続く石門心学の開祖です。

門人と連れ立ち、城崎温泉に籠もり書き上げたものが「都鄙問答(とひもんどう)」
です。

人間生きる上での大切な倫理思想を説いています。
商人の心構えの神髄も説いています。

その都鄙問答の言葉一つ一つを学んで、
わが人生の、わが商売の先を照らすともし火にしたいと考えます。

とても大切な、石田梅岩の「都鄙問答」を学びます。











感謝

2020年01月01日 | 日記



感謝のことを書こう

初日の出はまだです。
元旦の朝も、真っ暗なうちから歩きます。

歳を一才重ねたこの日の朝も、元気に歩けることに感謝です。

歩きながら思います。
今日から、どんなブログを書こうかと考えました。

そうだ、感謝の元となる話を書いてみようと考えました。
40分間歩いたころに、東の峰は真紅に染まります。

真紅の稜線がすっと消えて、輝く旭日が昇ります。
令和2年の初日の出です。



石田梅岩のことを書こう

昨年、ある小冊子を書きました。

その中で、石田梅岩のことを、二宮尊徳のことを、松下幸之助のことをほんの少し書きま
した。感謝の神髄を説いた、それぞれの経営理念をほんの一行書きました。

そうだ、三人の先人の思想について学んで書こうと考えました。

まずは明日から、石田梅岩の「都鄙問答」について、学んで書いていこうと思います。






明けましておめでとうございます

2020年01月01日 | 日記





謹賀新年

令和二年一月一日 新年おめでとうございます。

本年も、「街の電気屋ブログ」よろしくお願いいたします。