民謡 2006.8月~総集編民謡ブログ

吉岡 都の民謡Weblog 「民謡は心のふるさとです。」

私の原点

2010-09-18 | 吉岡 都の民謡日和


4年間書き続けた民謡ブログを休憩して感じたこと。


◇本年度の第31周年民謡発表会(2010.7.19)を終えまして◇
生まれ育ったふるさとの富山の民謡
「越中おわら」(節)を今年も勉強させていただきました。

師匠
設営、運営に携わった皆様、会の皆さま
会場にお越しいただいたお客様
そして、家族
すべての方に感謝申し上げます。

恥を承知で打ち明けますが、、「おわら」を一息(ひといき)で唄うことに
今回の発表会では..怖くなり危機感を抱きました。
結果、「上句」の唄尻が「ひと息すれすれ」状態に。。

まだまだ「修行が足りない」と、反省頻りでございます。

過去、何回も自分のブログで自責の念や

不甲斐ない事象を拙い文章で記述してまいりましたが...。

口(くち)だけ達者の「自分の怠慢・傲慢・稚拙さ」を直していきたいと強く思いました。

・逆境や苦境を糧に、バッドトラックからグッドトラック(好機)へチェンジする
・何事も素直に捉え正していき乗り越えていく

今回の30th記念発表会で、強い心を授けていただく契機となりました。

「慢心は成長にならず」ですね。(私のケースです)。

民謡を通して人生の修行、精進あるのみが自己の成長に繋がると至極痛感いたしております。

ありがとうございました。

 


小さい頃から、民謡や三味線 踊り(日舞も)を習わしてくれた両親に感謝です。

特に父親の無類の民謡好きは異常?と思っていた幼少時の姉妹。

いや~現在は素直に、素敵だと、誇りに、思います。

そして民謡と無縁だった母親は私たち姉妹の運転手として仕事を中断してまで、

送迎してくれたので民謡を続けられ、本当に感謝。 感服の一言に尽きます。



当時、我が家経営の店「ホームラン軒」と「シルクロード」は、大変忙しかったのにね。


富山断酒のぞみの会」を、発足したばかりの母は毎日が忙しくて
家の仕事や『のぞみの会』の会場にわが家を解放し、ハードスケジュールをこなし
日本各地 東奔西走と多忙極めていた時期でした。

おまけにただでさえ暇なしなのに
名門と名高い(マニアックな内容ですみません)、
明治鍼灸・柔整学校に40代半ばで入学し、尊敬します。


当時、京大と同志社に入学した姪っ子の高校の教科書を借り、
朝から晩まで母は受験勉強していた記憶があります。
小学生だった私たち姉妹はリアルに覚えてないですが(ごめんなさい)。

出願の際に提出する「高校の成績表」と
「数学」「化学」「生物」と「国語」の筆記試験や
受験当日に学校側から出され「論文」のテストが受験科目でしたが、
なかでも、「論文」がつらかったと(テーマがわからないので勉強の仕様がない)。
以上の結果の優劣が受験の合否すなわち明暗を分けます


母の入学から何10年後に私も同じ道に進む運命に。


一応書いておきましょう(笑)
まあ、、うちの経緯を何も知らない私の娘にと。


母の高校3年の二学期の通知表が「オール5」だったとか
凄いな、中部高校でねえ…(聞いて、奥さん、それもあの在郷の和合中学からよ~)。


補足) 出願の際に、「高3二学期の成績表」が必要
あっ!そういえば、私、明治でクラス委員長で特待生でしたわ(えっへん、唯一母に(^^;..苦笑)。

 



わが家のヒストリーの話題になりましたが
実は特筆すべきことであります。

民謡から心が豊かになると教えてくれた今はなき父(享年52)
手に職を持たなければと私に仕事の道を示唆してくれた母

一見、対峙しているようですが1つの線(結果)に繋がっているのです。
ゆえに、今の、現在の、私があります。

小さい頃は 民謡が好きではなくイヤイヤ行っていましたが
「とんかつ」と「カツカレー」と「焼き肉」が毎日食べられるという素敵なオプション付きでしたので、
大好物だった食べ物の誘惑に駆られ民謡をやりました。汗。


「民謡」と「とんかつ」と「野球」
富山県民なら周知の事実(?)深い関係ですね。

 

民謡と、とんかつと野球が「部屋とYシャツと私」 風に..。