あるきメデス

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新撰組のふるさと 日野七福神めぐり(東京)

2018-01-08 21:15:10 | 七福神めぐり
 2018年1月4日(木)

 以前参加していた「関東百駅巡礼歩行」の常連メンバーだった宇都宮のNさんから、日野
七福神めぐりのお誘いがあったので、出かけることにした。

 スタート地は京王線の平山城址公園駅、9時半前に着いて宇都宮などからの皆さんを待
ち、全員揃った9時57分に出発する。


 駅の近くにあった日野市のマンホールは、市の鳥であるカワセミのデザイン。
    

 南側を走る北野街道に出て東に少し、七福神ののぼりの立つ細い通りを多摩丘陵の山す
そへと上がり、布袋尊の宗印寺の山門を入る。


 宗印寺の開創は慶長4(1599)年の頃とされるとか。 


 布袋尊は、本堂右手のお堂に祭られていた。


 その横には、鎌倉初期の東国武士で一ノ谷の合戦に名をはせた、平山末重(ひらやます
えしげ)の墓があり、都の旧跡に指定されている。 
        

 高台にある境内からは北方の展望が開け、JR中央線豊田駅周辺と思われる建物などが
望まれる。


 北野街道を東に向かい、次の信号のある交差点を左折して北へ、多摩川の支流、浅川の
平山橋からは奥多摩の山に下部を隠された富士山が望まれた。


 橋の欄干にも、市の鳥カワセミがデザインされている。


 こちらは下流側の展望、眼下の流れには大きなコイが何匹も泳ぐのが見られた。


 平山橋を渡り終えて緩やかな坂を上がり、最近開通したらしい都道159号・豊田高幡
線を1㎞ほど東進し、ひとつ北側の流れ沿いの道に回る。

 豊田小の先を左折して北に入り、突き当たりの大黒天の善生寺へ。 


 本堂


        本堂前に並ぶ七福神
       



 大黒天を祭る大黒堂


 大黒堂の横には、七福神めぐりの人のためのテントがあり、飲み物や土産物などを販売
していたので、暖かい甘酒(100円)でのどを潤した。


 本堂の右手背後には、高さ約4.8mという露座の釈迦大仏が祭られている。


 善生寺を後にして南へ、近くの夏ミカンだろうか、たくさんの実をつけていた。 


 都道159号を東進して500m余り、川辺堀之内にある延命寺に南側から回り込む。


       山門を入って右手のロウバイが花を見せ始めていた。  
       

 延命寺の開基時期は不明だが、南北朝時代の創始とも新田義貞の鎌倉攻めで落武者となっ
た内藤一族が帰農し、戦死者や先祖をとともらうために堂宇を建立したとも伝えられるとか。
本尊は延命地蔵菩薩だという。
 

 七福神の寿老尊は、山門を入って真っ直ぐのお堂に祭られていた。 


       

 境内に接した南側には日枝神社があり、日野市指定天然記念物で樹齢300年というり
っぱなムクノキが目についた(社殿の向こう側)。
     

 神社の東側から浅川左岸堤防に回り、下流(東)に見える高幡橋に向かう。


 振り返ると、先ほどより雲は増えたが再び富士山が望まれた。


 高幡橋からの下流の眺め。


 渡り終えてすぐに左折して都道41号・稲城日野線に入り、右カーブすると高幡山金剛
寺の仁王門(国重要文化財)の前に出る。


 高幡山金剛寺は古来から関東三不動のひとつに挙げられ、高幡不動尊として親しまれて
いるところ。

 約1,150年前の平安初期に、慈覚大師円仁が清和天皇の勅願により当地を東関鎮護
の霊場と定め、不動明王を安置したのが始まりという。

 仁王門を入った正面にあるのが不動堂で、やはり国の重要文化財。境内は参拝客で混雑
していたが、とりわけこの辺りが一番ごったがえしていて迷子になりそう。


 皆さんは近くの開運そば店で昼食をするというのでいったんここで分かれ、私は境内の
無料憩所に入り、地階の広い休憩室のいすに腰を下ろして弁当を広げた。

 休憩室の奥には金色の釈迦三尊像が祭られていたので、食事を終えてから参拝した。


 不動堂の左手には五重塔が立ち、不動堂背後の奥殿の裏手に回って講堂にある朱印所で、
七福神の四つ目になる弁財天の御朱印を先にいただいた。
       

          
 五重塔の手前には、地元出身の新選組副長、土方歳三(ひじかたとしぞう)像があり、
その前を進んだ中の島の弁天堂に弁財天が祭られている。


 仁王門の左手の総門から高幡不動を出て、参拝客の多い参道を高幡不動駅前まで進む。

 そば店前も通過したが、いつ頃皆さん食事が済むか分からぬので、この後は一人で残り
の七福神めぐりをすることにして、次の真照寺まではひと駅電車に乗って時間の短縮を計
ることにする。

 高幡不動駅13時35分発京王線上り普通電車に乗り、次の百草園(もぐさえん)駅で
降りた。
     

 駅前の都道41号・稲城日野線を東に少し、交番の先で七福神ののぼりに従い右折して
緩やかに上れば、恵比寿天の真照寺門前に着く。山門は元禄15(1702)年の建立の
よう。


 真照寺の創建は長和年間(1012~16)頃といわれ、開基の弘意僧都は長元9
(1036)年3月入寂と記録されているという。


 山門を入った正面が本堂で、恵比寿天は手前右手の新しいお堂に祭られていた。


 本堂の左手には観音堂がある。


 参拝を終えた頃にNさんから電話があったので、午後は一人で回ることにしたことの了
解を得る。

 百草園駅まで戻り、駅の左側の踏切を渡って落川集落の家並みを北西に進み、落川の百
草橋を渡る。


 北側にあった広い邸宅のK邸の門前には、石像や正月飾りなどが目につく。


 さらに住宅地を北西に進んで浅川の右岸堤防に上がると、行く手の新井橋やその上を走
る多摩モノレールなどが望まれる。


 新井橋からの下流の眺め。


 上流側の中層住宅の向こうには、奥多摩の山の目印、大岳山辺周辺の山並みが望まれる。

                    大岳山


 橋を渡って東部会館の横を東に向かう。近くの住宅地に薪をたくさん積んだ作業場のよ
うなところがあった。


 日野高校のグランド北側で、北に折れれば福禄寿の石田寺(せきでんじ)である。



 福禄寿は、本堂前の小さいお堂で迎えてくれた。


         

 境内には、市の天然記念物で樹齢400年というカヤの古木が豊富な枝を広げて立って
いる。
     


 カヤの木と福禄寿堂の間には十一面観音堂が祭られ、背後の墓地には当地出身の新選組
副長、土方歳三の墓がある。
         
 この地、石田(いしだ)地区には土方姓が多いようで、目についた墓石のほとんどが土
方家だった。

 門前から水再生センターに沿って北西へ、国道20号バイパスに出て左折してスーパー
いなげやの西端でモノレールの走る都道503号の交差点を渡る。

 交差点の途中で向こうから来たIさんなどとすれ違い、急ぎ御礼を交わして分かれた。

 すぐ北側のモノレール万願寺駅横から西に400mほど進めば、最後の七福神、毘沙門
天の安養寺に突き当たる。


 安養寺は高幡不動・金剛寺の末寺とか。本堂は元禄時代(1688~1704)初期の
田村氏の書院の一部を使って建立されたよう。


 本堂の右手の庫裡(くり)(客殿)は、さらに古い約400年前に建立されたと推定さ
れているという。


 本堂前に、延命地蔵が立っていたので延命をお願いし手を合わせた。


 藤原時代の造立という毘沙門天像や、都の重宝に指定されている本尊・阿弥陀如来像、
鎌倉時代の大日如来像などは、山門に近いコンクリート製のお堂に祭られていたが、撮
影は遠慮した。


 これで全ての七福神をめぐり終えた。手前にあった八幡神社にも参拝する。開放的な境
内にはすっかり葉を落としたイチョウの古木が立っていた。
     


 往路を戻って15時33分に多摩モノレールの万願寺駅に着き、15時41分発上北台
行きに乗る。

(天気 快晴後晴、距離 10㎞、地図 2万5千分の1・武蔵府中、日野七福神めぐり
 地図、歩行地 日野市、歩数 23,100)

 いただいた日野七福神の御朱印色紙(色紙300円、朱印 各寺300円)
   



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