あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

鎌倉街道上道を歩く⑦ =北府中から町田まで=(東京)

2023-09-30 17:49:18 | 鎌倉街道上道を歩く
 2002年9月14日(土) 〈北府中から町田まで〉

 予報は雨だったが曇り空。気温も20℃前後と歩きやすそうな日和である。JR武蔵野
線北府中駅に集まった6人は、一応雨具を付けて9時40分にスタートした。

 
 == 府中の寺社を回り多摩ニュータウンへ ==

 府中街道を南へ進み、京王線を越えて府中市の中心部に入る。


 大きな高札場のある交差点を東に回り大国魂(おおくにたま)神社へ。



 京王線府中駅まで続く参道には大ケヤキが並ぶ。源頼義・義家父子が奉納したのが始ま
りとか。太いケヤキのそばに源義家像が立っていた。
     

 大国魂神社は、武蔵国の国府だった府中の中心にある。立派な社殿に参拝。


 嘉永7(1854)年再建という鼓楼(ころう)や、国の重要文化財に指定されている
子供を乗せた狛犬↓などを見て西に抜ける。
     

 JR府中本町駅の北西、南武線の北側にある善明寺に寄る。建長5(1253)年に造
られたという国重要文化財の阿弥陀鉄仏座像は、収蔵庫にあり拝観できない。

 アカマツ、ツツジ、ソテツなどの間に灯篭や自然石を廃した日本庭園が素晴らしい。


     
 鎌倉街道を挟んだ西側は高安寺。足利尊氏再興の寺で、徳川家から御朱印十五石を拝領
していたという。広い境内に立派な総門、山門↑、本堂↓、鐘楼、観音堂などが立つ。
     

 背の高く重厚な山門の四方に、さまざまな楽器を持ち、羽を付けた楽士などの精巧な彫
刻が施されており、目を奪われる。
     

 境内には、「府中市百選」のタラヨウジュやクスノキ、台湾桜、枝垂れ松、コウヤマキ
などの樹木が多い。サルスベリが花盛りだった。

 二つの寺を挟んだ鎌倉街道は遊歩道になって南に延び、中央自動車道の先で街道と分か
れ、多摩川北岸にある「郷土の森公園」まで続いている。

 府中市南町1丁目にて


 遊歩道から多摩川左岸のサイクリング路に出て、関戸橋を渡ると多摩市である。

 新大栗橋交差点から右斜めの旧道に入る。大栗川の先、関戸五丁目の地蔵堂のそばに
「関戸古戦場跡」の碑があり、「元弘3(1333)年5月、幕府軍と新田軍が合戦、新
田軍が勝利した」と記されていた。

 すぐ先の観音寺は刑場跡だったといわれ、墓地には板碑がたくさん集められていた。
     

 観音寺は、多摩川三十三観音と多摩八十八か所札所で、江戸時代狩野派の絵師・柳沢五
流と、華道の一派の創始者である柳沢伴主父子の墓もある。

 その先の熊野神社は、鎌倉時代の建暦3(1213)年に設けられた霞の関木戸柵跡。
約45㎝間隔に丸柱の痕跡が残っていた。


 多摩市役所前を通過し、多摩ニュータウンの住宅群に入る。13時25分、乞田川(こ
ったがわ)と京王線の間の小公園に入り、昼食にした。

 食事の半ばから雨が落ちてきたが、なんとか傘は差さずに済んだ。

 == 多摩ニュータウンを抜けて小野路へ ==

 ニュータウンの豊ヶ丘住宅群を抜けると、町田市東北部の丘陵地帯。恵泉女学園大の東
側で雑木林の林道へ。静かな土の道は、多摩ニュータウンとは対照的に鎌倉街道らしさを
残している。

 途中、東南に少し回り道はしたが、休耕田沿いの草の道で、思いがけずのカントリーウ
オークを楽しんだ。

 林が終わると小野路(おのじ)町の集落。宿場町の雰囲気が残る家並みが続くが、車の
交差が出来ない狭い街道は交通量が多い。注意しながら進み、小島資料館の先で三差路に
出てホッとした。

 右折した山際に小野神社があった。小野篁(おののたかむら)の子孫、小野孝泰が武蔵
国府として天禄年間(972~)に赴任し、小野篁を祀ったという古社。

 ちょうど年に一度の秋祭りの日で、本殿、神楽殿、囃子舞台などを飾って、夜の神楽の
準備中。御輿(みこし)所をのぞくと、大小2基の立派な御輿が鎮座していた。

 神楽殿を見下ろす芝生で休憩する。


 神社から200mくらい、坂の途中で旧道へ。野津田公園の駐車場そばに「大山道一里
塚」の案内標がある。
  
 一里塚は、元和3(1617)年、駿河の久能山に埋葬した徳川家康の遺骨を、日光東
照宮に移したときに造られたとのこと。
 
 == 野津田から町田市街へ ==

 街道は、谷間にある野津田公園の陸上競技場横を抜けているが、右に回り南多摩外科病
院前に出て、公園の西側で小休止。台地上なので、眼下の競技場や東側に広がる緑の丘陵
などの展望がよい。


 桜並木を野津田高から日本聾話(ろうわ)学校前に進み、林の中を下って県道に出た。
小田急と神奈川中央バスの大きな車庫が並ぶ。車庫の先で右折、鶴見川の丸山橋を渡る。

 七国山の北斜面を、オミナエシや秋ソバの花などを見ながら上がる。七国山ファマーズ
センターの先で10数戸の新興住宅地を抜け、七国山の稜線に出た。東側に広いソバ畑が
あり、白い花がじゅうたんのように広がっている。


 その先500mほどは、薄暗くなってきた林。中ほどに鎌倉井戸がある。新田義貞が北
条泰家を追ってここを越えた時、馬に水を使わせたという。木枠があるのでのぞいて見た
が、水は見えなかった。

 今井谷戸交差点の少し先から恩田川沿いへ。日蓮上人が佐渡流罪の途中、ひと息入れた
という宏善寺で最後の休憩。本堂はコンクリート製。シダレザクラやよく手入れされたツ
ツジなどの庭がよい。

 暗くなってきたので先を急ぐ。養雲寺の先で恩田川の西に出て、県道Y字路の西側にあ
る菅原神社に寄る。菅原道真ゆかりの神社で、境内裏手は「井戸の沢古戦場跡」だという
が、54段の石段を上がって参拝しただけで出た。

 神社西側の裏道から県道3号に出るつもりが、町田郵便局の通りに出て回り道してしま
う。18時35分にゴールのJR横浜線・小田急小田原線の町田駅に着いた。

(参加 6人、天気 曇、距離 21.5㎞、地図(1/2.5万) 立川、武蔵府中、
 原町田、歩行地 府中市、多摩市、町田市)



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2023年 今年の中秋の名月は満月で

2023-09-29 21:34:18 | Weblog
 2023年9月29日(金)

 今日は旧暦の8月15日の「中秋の名月」で、ちょうど満月のお月様が見られました。

 18時23分頃の満月、薄雲がかかっていたためか、赤みがかったお月様です。

 まだ高度が低く、電線が横切ってしまいました。

 旧暦では「秋」は7月~9月の間を言うようで、8月15日はその真ん中にあたるので
「中秋」と呼ばれているとのこと。

 昨年もそうでしたが、今年も中秋の名月と満月がちょうど重なりましたが、必ずしも毎
年重なるわけではないようです。

 それは、月の公転軌道が楕円形なので、新月から満月までの日数が13.9日から
15.5日と年により変化しているからのよう。

 今年も、2021年から3年連続で中秋の名月と満月の日がちょうど一致したようです
が、次に一致するのは7年後の2030年になるそうです。


 21時15分頃、東の空高くまで上がった満月です。




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鎌倉街道上道を歩く⑥ =東村山から北府中まで=(東京)

2023-09-26 17:39:55 | 鎌倉街道上道を歩く
 第6回 2002年7月13日(土) 〈東村山から北府中まで〉

 鎌倉街道も東京都に入り、今回はほぼ府中街道沿いの商店街や住宅地。緑や展望はあま
り期待できず、曇っているが蒸し暑い。西武新宿線 東村山駅を9時45分にスタートした。
 
 == 府中街道を恋ヶ窪へ ==

 祭りの準備が進む東口広場を出て、府中街道を南に向かう。東村山の中心街を通過、新
青梅街道の先で、西側の八坂神社に寄る。


 屋台が店を開け、氏子がちょうちんを吊して夏祭りの準備中。


  ヤマブドウのつるを輪にした「カマエビ」というのが並べてあった。玄関に吊して疫病
の侵入を防ぐという古い信仰のひとつ。Toさんは一輪分けてもらい、頭にかぶる。

 本殿には、金色の大きな獅子頭の雌雄と大太鼓が飾ってあった。

 西武多摩湖線の八坂駅南側は、「九道の辻」と呼ばれるところ。いまは七差路だが、昔
は九差路だったようだ。
     
 野火止用水の橋際に、その標柱が立っていて、「前橋から十八里(七十二㎞)、鎌倉へ
十八里(七十二㎞)」と記されていた。

 700mほど続くブリジストン東京工場の周囲は、豊富な樹林で囲まれている。西武国
分寺線小川駅入口で府中街道を離れ、東側のブリジストンの社宅団地へ。南側に公園があ
ったので休憩。蒸し暑くてのどが渇くので、水分補給した。

 小平市小川町2丁目の古い民家の土蔵


 鎌倉街道はその先2㎞ほど、青梅街道や たかの街道を横切り、小平市の住宅地を真南
に進む。わずかに残るカボチャ、ジャガイモ、サトイモなどの畑、梨やブドウの果樹畑の
横を抜け、津田塾大の東で玉川上水の鎌倉橋に出た。

 玉川上水は江戸時代の開削なので、鎌倉時代には無い橋。緑に覆われた上水の水量は少
な目だが、大きなコイがたくさん泳いでいた。

 五日市街道に出て西へ、府中街道との交差点の南西に公園があったので休憩。太陽が出
ていっそう蒸し暑く、冷たい飲み物がのどにしみる。


 車の多い府中街道を1㎞ほどで、西武国分寺線を越える。線路沿いに東南に入ると熊野
神社があった。


 境内に、室町時代、京都聖護院の准后(じゆごう)道興が文明8(1486)年から翌
年、関東を行脚して記した「廻国雑記(かいこくざつき)」に詠んだ、この地、恋ヶ窪を
歌った歌碑が立っていた。
       

 神社に近い東福寺には、「傾城(けいせい)の墓」と、三代目「一葉の松」がある。

 傾城は、畠山重忠と恋仲になった遊女。近くの姿見の池に身を投じた。それを知った村
人が松を植えたが、その葉は不思議にも一葉の松になったという。三代目の松にも、一葉
だけの葉が見られた。
      
          上は「傾城碑由来」碑、下は傾城の墓
          

 == 武蔵国分寺から北府中へ ==

 姿見の池があるという森の横から府中街道に戻り、西国分寺駅前でJR中央線を越える。
都住宅供給公社の集合住宅群の横を抜け、次の交差点で街道の東に回り、12時15分に
武蔵国文寺に入った。

 府中街道は暑いが、国分寺はうっそうとした森に囲まれ、木陰が暑さを和らげてくれる。

 国重要文化財の木造薬師如来坐像を祀る薬師堂↑から本堂↓に下って参拝。


 本堂前で今日の記念撮影




 境内には、万葉集に歌われたたくさんの植物が並ぶ。宝暦年間(1751~64)建立
という仁王門の軒下に、ザックを下ろして昼食にした。






 雲が厚くなり、食事を終える頃には雨が落ちてきた。傘を出して13時35分に出発。
南側の国史跡・武蔵国分寺跡に回る。

 広い芝生地に、国分寺の説明板や金堂址の石柱などがある。


 府中街道を越え、JR武蔵野線の西に出て、黒鐘公園にも寄る。公園一帯は国分尼寺跡。
雨が本降りになってきたので、公園の北にあるという鎌倉街道遺構の切り通しには回らず
に先を急ぐ。

 高い塀と監視カメラに囲まれた府中刑務所横を通過して、14時12分に北府中駅に着
いた。

 今日は皆、夜のホタル観賞ウオークに参加するため、ここまでとする。14時19分の
JR武蔵野線下り電車で岩槻に向かった。

(参加 11人、天気 曇後雨、距離 10.5㎞、地図(1/2.5万) 所沢、立川、
 歩行地 東村山市、小平市、国分寺市、府中市)



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久しぶりに航空記念公園へ(埼玉・所沢)

2023-09-24 18:26:28 | 所沢だより
 2023年9月21日(木)

 市役所で開催中の『みどりのカーテンコンテスト』を観覧した後は、いつものように南
側の所沢航空記念公園へ。

 梅雨明けの日の7月22日(土)に、市役所へ県知事選の期日前投票に出かけたとき以
来なので、ほぼ2か月ぶりです。

     
     日本庭園の西側、正面入口近くのハギの花はあまり花が付いていない感じ。


 園内西南側の樹林は、まだ緑がいっぱい。


     樹林下のヒガンバナは2,3カ所しか見られません。
     

     
          築山を反時計回りに回って流れの横から池の西側へ。
          


 東屋から池を見下ろすと、コイが集まってきます。




     
     茶処・彩翔邸(さいしょうてい)前に咲き残るサルスベリ





 池のスイレンは数輪咲き残るのみ


     池の東側のハスは花どきを終えて種を付けています。
     

     
     風も無く、ススキは真っ直ぐに。今年の中秋の名月は9月29日(金)のよう。
          
  

 日本庭園を北西側出口から抜けました。北側の航空発祥記念館前の広場には、遠足に来
た園児がたくさん。


 C46輸送機の背後、ソメイヨシノやイチョウもまだ緑のまま。


 市役所の上空には怪しい雲が。


 公園の中央部に立つ放送塔は工事中のようで、足場が組まれて工事する人の姿も見られ
ます。
     


 放送塔を囲むロータリーの西側、フジ棚のそばに少しまとまったヒガンバナが。


     
 近くのイチョウの葉はわずかに色づき、下にはたくさんのギンナンが落ちていました。





 
     公園の中央部を南に延びる、広い園路沿いのトチノキも色づき始め。
     

 近くに1輪だけの白花のヒガンバナ。


     
 広い園路の南西端、公園の管理事務所前のヒガンバナが草地を彩っていました。







 放送塔側をふり返り公園を後にして、所沢駅方面に向かいました。 

 



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市役所での「みどりのカーテンコンテスト」へ(埼玉・所沢)

2023-09-23 12:24:49 | 所沢だより
 2023年9月21日(木)

 昨日は、16時前後に39㎜の激しい降雨があり、その後は気温も下がり今日は30℃
にはならない予報なので、午前中に久しぶりに市役所に行き、昨日から開催中の「みどり
のカーテンコンテスト」の観覧と投票をしてきました。


 会場は、1階中央部の市民ホールです。

 このコンテストは、所沢市内の建築物や工作物に設置したみどりのカーテンの出来映え
を、観覧者の投票により選ぶもので、応募部門は個人部門、事業者・団体部門、公共施設
部門の3部門に分かれています。


     最初のコーナー昨年(令和4年度)の大賞作品の展示が。
     

          

     

 その横には、今年の応募作品のうちの「公共施設部門」、応募は11の公共施設から。




     

          

     



 背面には事業者・団体部門と個人部門があり、入口側は事業者・団体部門の作品5点。


     

          

     

          

     

 その左側に個人部門があり、私を含めて10点の応募でした。


     

          

     

          

 各部門で一番と思われるみどりのカーテンの番号を投票箱に入れて、隣のパネルへ。


 すぐ横は、所沢市みどり自然課のもの。
     

          

     

          



     
 所沢の自然について、多角的に紹介されています。





 次は、市内三ヶ島地区にキャンパスのある早稲田大学人間科学学術院の、市内での研
究成果の紹介。
  
  貴重な研究のようですが説明文が多いので、ゆっくりと読むゆとりはありません。
    









     展示の中央部分の両端には、市内の植生を集めたコーナーが。
     

         中には実の付いた木も。
         


 市立所沢図書館吾妻分館は、自然に関する児童書などを並べていました。





 その奥は、来週で終わるNHK総合TVの朝のドラマ「らんまん」の主人公のモデル、
牧野富太郎に関するパネルです。
   

          

 さらに別のコーナーには、市域の南西部、都県境の近くにある「埼玉県狭山丘陵 いき
ものふれあいの里」と、「さいたま緑の森博物館」のパネル。



 「みどりのカーテンコンテスト」のパネルの奥は、日本鳴く虫保存会が会員が自作した
さまざまな虫籠と、秋の虫が展示されていました。









 35分ほどで全体の展示の観覧を終えたので、東南側の出口から市役所を後にしました。
この後は、いつものように航空記念公園に向かいました。


 なお、この展示は9月28日(木)まで開催されます。




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残暑が続いたが 彼岸入りで秋の気配も(埼玉・所沢)

2023-09-20 13:15:03 | 所沢だより
 2023年9月20日(水)

 今日は彼岸入りの日、ずっと続いていた残暑も明日からは少し治まるとの予報で、外歩
きもチョットは楽になるのではないかと期待しています。

 暑いとはいえ、木々や草花は少しずつ季節のうつろいをを感じ取っているようで、昨日
通院した病院の近くの栗の木は、まだ緑いっぱいながら実が大きくなっていました。






 今年の栗は、猛暑のためか実の付きがよくないところもあるようですが、甘さは強いと
のニュースも聞かれます。


 遅れていたヒガンバナも、彼岸に入って咲き出しました。これは市内上新井の神社の境
内に咲き出したもの。


     





     


 境内のフヨウは、まだつぼみもあるのでこの先も花が見られそう。



 近くの川の岸辺にあるハナミズキの葉は、少し色づいてきました。





 川に近い民家の白ハギも咲き出しました。


 残暑でザックにしまい込んだままだったデジカメも、これからは出番を増やさねば・・



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鎌倉街道上道を歩く⑤ =武蔵高萩から東村山まで=(埼玉、東京)

2023-09-17 17:52:38 | 鎌倉街道上道を歩く
 第5回 2002年6月22日(土) =武蔵高萩から東村山まで==

 明け方に激しい雨のところもあったが、JR川越線 武蔵高萩駅に着いたら、ほぼ雨の
心配は無くなった。気温も20℃以下か、歩くには絶好の日和となった。

 地図を配ろうとザックを開けたが無い。忘れてしまったようだ。しばらくは、Kaさんが
用意してくれた絵図だけで歩いてもらうことにして、9時42分に出発する。
 
  ==智光山公園から狭山市内へ==

 駅前の桜並木を下って県道を横切る。以前の例会でも歩いた住宅地を抜けて霞野神社へ。
     


「女影ケ原古戦場の記」があり、「建武2(1335)年に北条時行が幕府軍の足利直義
などに撃破された古戦場だ」との説明が記されている。


 近くの交差点には、鎌倉街道の案内板も立っていた。


 第二小畦川に沿って、緑が色濃くなった水田が広がる。川の先、道の東側に「鎌倉街道
上道碑」と説明板がある。






 この辺りは緑が多く、気持ち良い道筋である。


     
 坂を上がった国道407号線との十字路↑は「鎌倉街道」交差点。日高カントリーの南
端沿いに進み、圏央道をくぐると智光山公園。一時間余り歩いたので休憩する。

 狭山工業団地に入り、コンビニで地図をコピーして皆さんに配る。工業団地を抜けて、
入間川に向かう下り道は信濃坂。信濃に通じていたことから名付けられたようだ。

     
 坂の下、七差路の手前に陰隠(かげかくし)地蔵が立つ。木曽義仲の子、義高が源頼朝
の刺客から身を隠したが捕らえられたという。


     地蔵は高さ1m余りしかなく、発見されるのも当然と思われた。
      

      そばに、道しるべにもなっていた安政5(1858)年の石橋供養塔もある。
           


 街道は真っ直ぐに入間川を渡しで越えたようだが、我々は左に入り、↓水天宮の石碑の先
で昭代橋を渡る。
      

 狭山市の市街地となり、市民会館の先から右折、裏手から天満天神社へ。
 
 「新編武蔵風土記稿」にも記された社。表に抜けて、西側の交差点を左折して徳林寺へ。

 徳林寺は、新田義貞が入間川合戦の際の本陣だったところ。境内にはお願い地蔵という
のがあり、こぶし大くらいの石がたくさん奉納されている。
     

 武蔵野三十三観音霊場の第十七番札所でもある。

 西武新宿線の狭山市駅前に出て南側の踏切を渡る。踏切の手前に200年前の庚申塔が
立っていた。

 この先は所沢市内まで、鎌倉街道は交通量の多い県道50号線になっている。車を避け
て東側を平行する住宅地の道を進む。

 狭山工業高校の先にある富士見公民館に13時に着き、遊歩道のある東側の林で昼食に
する。今日も、Ktさんが美味しいコーヒーを沸かしてくれた。


 ここで、思いがけない出会いが起きた。この歩きに参加されているIkさんのお姉さん、
Skさんと、Kfさんが30数年前、同じ職場の同じ部にいた同期生と分かり、皆ビックリ!
世の中は広いようで狭いとは本当にこのこと。今回の歩きでの大きなトピックとなった。
 
 ==所沢を通過して東村山へ==

 13時45分に出発。県道に出て500m足らずの不老川(としとらずがわ)の北側に、
「七曲井(ななまがりのい)」があった。

 建仁2(1206)年が起源といわれ、平安中期に武蔵国府により掘られたと推定され
る井戸。周囲70m余り、直径18~26mのすり鉢状で、10m下に井桁があり、周囲
は金網で囲まれている。

 川の南側には、県指定文化財の「入曽(いりそ)の獅子舞」が奉納される入間野神社。


 神社前には、「鎌倉街道(上道)」の大きな案内板が立っていた。

 再び車を避けて狭山市水野では西側の住宅地を、所沢市北岩岡では東側に平行する畑の
中の細道を進む。畑にはサトイモやカボチャ、トマト、大豆などが多く、畑の境に茶の木
が植えてある。排気ガスや騒音から解放されてホッとする。

 霜よけの換気ファンの並ぶ広い茶畑を過ぎると住宅地になり、新所沢駅北側の踏切に出
た。商店街に入り、新所沢団地の中心にある緑町中央公園で休憩。もう一度、Ktさんのコ
ーヒーをいただく。

 峰の坂交差点を南に下り、東川(あずまかわ)のそばにある新光寺に寄る。竜宮門のよ
うな入口や奥の六角堂が珍しい。


 建久4(1193)年に源頼朝が那須野へ狩りに行く途中立ち寄り寄進した寺で、元弘
3(1333)年の鎌倉攻めの際、新田義貞が戦勝祈願をしている。武蔵野三十三観音第
十番札所でもある。

 南小の先で西武池袋線下を抜けて、住宅地の中を少し回り道して長久寺の前に出る。寺
の創建は戦国時代といわれ、開山した玖阿上人は、この先にある徳蔵寺の「元弘の板碑」
を造った人とか。庫裡前のミッキーマウス


 境内に豊川稲荷があり、地形図上では神社だけが記されていた。

 少し先、柳瀬川に架かるのが勢揃橋(せいぞろいばし)。新田義貞の軍勢が勢揃いして
鎌倉を目指したところのようだが説明板も無く、言われなければ通り過ぎてしまう平凡な
橋だ。ここで、もう一度記念撮影を。


 南側の林は、八国山(はちこくやま)と呼ぶ狭山丘陵の東端。薄暗くなってきた林に入
り、遊歩道を上がると将軍塚があった。
     
 新田義貞が鎌倉攻めの時に、白旗を立てたところだという。「元弘青石塔婆所在碑」も
立っていた。

 八国山は、かつて上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の8つの国を望む
ことができたことから名付けられたが、現在は樹林に囲まれていて展望は得られない。


 この稜線が都県境で南側は東京都東村山市。稜線を少し進み、濡れた笹に覆われた遊歩
道をもぐるようにして南に下る。

 前川の東に回ると徳蔵寺がある。新田義貞が鎌倉攻めの陣を置いたと伝わる場所。文化
年間(1804~)に八国山の廃寺に放置されていた元弘の板碑を保存した。板碑は現在、
国宝となり立派な板碑保存館に収蔵されている。

 西武新宿線西側の住宅地や商店街を進んで、18時17分に今回の終着、東村山駅に着
いた。

(参加 9人、天気 曇、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 飯能、川越南部、所沢、
 歩行地 日高市、狭山市、所沢市、東村山市)



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鎌倉街道上道を歩く④ =武蔵嵐山から武蔵高萩まで=(埼玉)

2023-09-13 22:10:17 | 鎌倉街道上道を歩く
 第4回 2002年5月18日(土) 〈武蔵嵐山から武蔵高萩まで〉

 鎌倉街道上道も4回目となり、埼玉県の中央部にかかった。明け方の激しい雨で午前中
は傘が必要かと思ったが、東武東上線 武蔵嵐山駅に下りたらほぼ止んでいた。

 橋上駅に代わった新しい駅舎の天井に、かわいいツバメの子が見える。一応雨具を付け
て9時50分に、7人がスタートした。

 ==笛吹峠を越えて鳩山町へ==

 駅前を南進して国道254号線に出る。200mほどで国道に分かれて右折、国道バイ
パスを越えて都幾川の学校橋に下る。川原にはコサギやゴイサギが見えた。雨に濡れた新
緑の山々がみずみずしい。

 大蔵集落に入り、まず向徳寺に寄る。鎌倉時代に創建されたと伝えられる古寺。

  宝治3(1249)年に造られた銅造阿弥陀如来像及び両脇侍立像は、国の重要文化財。
以前は墓地にあった正応6(1293)年銘を初めとする板碑群は、山門横の建物に保存
されていた。

 かやぶきの家の先で十字路を西に進むと、源為義の次男、義賢の館であった大蔵館跡。
義賢は当地で武威を高めたが、久寿2(1155)年8月、甥の悪源太義平に討たれた。

 当時2歳の次子、駒王丸は畠山重忠に助けられて斎藤別当実盛により木曽に預けられ、
のち木曽義仲となったという。現在は大蔵神社↓があり、周辺に土塁、空堀が残っている。


     大倉神社の南側斜面に咲く黄色いツツジ
     

 不動坂の林にはエゴノキの白い花が満開。この先にもたくさんのエゴノキの花が咲いて
いた。左手林の中にある日吉神社に寄り、将軍沢集落を抜ける。日吉神社入り口付近にあ
った石碑
       


 広葉樹の新緑溢れる坂道を上って行くと両側は桜並木となり、笛吹峠に出た。


 「正平7(1352)年2月、新田義貞の三男義吉などが武蔵野の小手指ヶ原(こてさ
しがはら)古戦場で足利尊氏と戦い、最終的に決着がついたのがこの峠。尊氏は以後、関
東を完全に制圧した」などの説明板が立っている。


 峠を横切る東西の道は、板東十番札所岩殿観音と九番慈光寺を結ぶ巡礼街道である。大
蔵館跡といい笛吹峠といい、この辺りまさに鎌倉街道の中枢とも言えるところ。



 峠を下りきった左側の山の斜面に、「新編武蔵風土記稿」にもその名の由来が記されて
いるという、羽黒堂と呼ぶ小さい地蔵堂がある。
        

 ダイサギが悠々と飛ぶ大橋川沿いに出て、大橋集落に入る。
     
 橋の北側、駐輪場のそばに安永6(1777)年↑と↓文化3(1807)年刻の、苔
むした青面金剛や馬頭尊が並んでいた。
                

 「三差路近くの大橋家裏に板碑があった」と案内書(注)にある。車で帰ってきた人に
聞くと、以前は林だったが最近整地したとか。4基の板碑がきれいに揃えてあった。


 鳩川を越え、木造校舎時代は校舎の下を鎌倉街道の掘割が残っていたという、鳩山中の
先を入る。中央公民館に13時15分に着き、昼食に。

 雨の心配も無くなったので、雨具をしまって14時過ぎに出る。

 (注)「鎌倉街道夢紀行 上道コース」さきたま出版界発行

 ==毛呂山の街道跡から日高へ==

 県道を隔てて保健センターの東側は、「街道杉」と呼ばれた一本杉があったところ。近
年植え替えたという杉の木↓を確認し県道に戻る。
    

 鳩山町赤沼辺りに並ぶ石塔
 

 今宿の複雑な交差点を抜けて毛呂山町(もろやままち)に入る。越辺川(おっぺがわ)
沿いに出ると展望が開け、奥武蔵の山並みがよく見えてきた。

 ブック牧場という馬の牧場や、田んぼの中に出来たリプラ川角と呼ぶクリーンセンター
の横を抜け、以前の例会で寄った大類グランドで休憩。Koさんがコーヒーを入れてくれた。

 グランドの南の林から毛呂山町歴史民俗資料館を左に入る辺りは、昔ながらの土の道。
主要地方道39号との交差点に、「鎌倉街道(上道)」の大きな説明板がある。


 交差点を越えた左手に、街道筋には似つかわしくない黄と緑色で塗られた新しい家が見
える。ちょうど車で帰ってきた奥さんに声をかけられた。染色関係?の仕事をされている
Fuさんのアトリエ。東側の新しい二階家は、28匹の猫の住まいだという。

 拝見すると、野良猫だったというが行儀のよい猫が、四つの部屋にたくさんいる。こん
な立派な家に住まわせてもらえる猫君は幸せ。Fuさんから、「安曇野に別荘があるので、
ぜひお使い下さい」とも言われた。



 寄り道で思わぬ時間が過ぎ、16時半となる。この先も500m余り街道らしい雰囲気
の残る土の道が続いている。

 市場集落の市場神社には、背の高いイチョウや太いケヤキが立つ。集落を抜け、再び田
園地帯出ると高麗川(こまがわ)が迫り、土手で雄のキジが悠々と草を食べていた。

 高麗川にかかる森戸橋は、1車線分しか橋幅がない。こちらと向こうに10数台の車が
溜まり交互通行。我々もその間をすり抜けて渡る。

 橋の先で、車を避けて田んぼの中を貫く東側の道へ。1本の木の下に地蔵さんが立って
いる。外秩父の山並みの辺りが晴れてきた。


 きれいな流れを見せる小川を過ぎ、東武越生(おごせ)線 西大家(にしおおや)駅に
近い秋葉神社にて最後の休憩を。



 駅の南側に流れる掘割は、鎌倉街道の跡だとの説明板があったが、最近はコンクリート
板で整備され、面影が失われている。

 町屋の住宅地を抜けた広々とした畑作地帯では、雌雄のキジが歩いていた。駒寺野新田
を過ぎ、東西2㎞、南北1.5㎞ほどを整然と区画した道路が走る旭が丘の畑作地帯を抜
けた。

 薄暗くなった18時41分、今回のゴールとなるJR川越線 武蔵高萩駅に着いた。

(参加 7人、天気 曇後晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 武蔵小川、越生、
 飯能、歩行地 嵐山町、鳩山町、毛呂山町、坂戸市、鶴ヶ島市、日高市)



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残暑続く二百二十日の雲の表情(埼玉・所沢)

2023-09-11 13:09:32 | 所沢だより
 2023年9月11日(月)

 今日は早くも二百二十日ですが、今週も残暑が続くという首都圏の予報で、あいかわら
ず近くのスーパーへの買い物を兼ねた気温上昇前の短距離のウオーキングのみです。

 そのような日々なので新しいレポートのアップが出来ず、今日もわずかの歩きの帰路で
目にした雲の表情を中心に。






 今日の関東地方は天気が不安定との予報の通り、上空の雲も変化に富んでいます。




     


 口を開けた動物のよう
 
     


 真ん中の雲は、左向きの白蛇にも見える




 
 怪しい雲と秋空の雲とがあちこちに








 上の3つの雲全体を引いてみると








 住宅の庭先に咲く花も数少ない感じで、ノウゼンカズラももう終期で頭を垂れています。


 地面に落下した花


     


 サツマイモ畑では、葉をいっぱいに広げて一生懸命に大きな芋造り中


       
          モロヘイヤも良く葉が伸びました。
          


 ヒマワリももう花どきはかなり前に過ぎました。


     
     わずかに残る花



 サルスベリも終期です。




     
     市民農園の一角に実るナス



 少し高みから眺めた西の空




 秋の彼岸ももう間もなく、早く残暑が落ちついて欲しい。
   



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鎌倉街道上道を歩く③ =用土から武蔵嵐山まで=(埼玉)

2023-09-09 22:18:29 | 鎌倉街道上道を歩く
 第3回 2002年4月13日(土) 〈用土から武蔵嵐山まで〉

 スタートのJR八高(はちこう)線 用土〈ようど〉駅に、10時01分着で下りたのは
8人。JR埼京線が遅れて、4人は次の列車との携帯での連絡がある。待ち合わせ場所を
決めて10時33分に出発した。


 ==花園大橋で合流、今市へ==

 駅前から県道に出て左折すると諏訪神社がある。本殿は新しいが、創建は応和年間(961
~4)という古社。江戸時代から続く獅子舞は、町の無形文化財という。

 踏切の少し先に、文政12(1830)年と記された馬頭観音など、3基の古い石塔が
並んでいた。


     
 その先の十字路には、「川越街道脇往還」と記された↑2mくらいある石の道標が立ち、
そばに文化元(1804)年銘の大黒天や庚申宝塔などが並んでいる。そばの畑のコバン
ソウが、もうすぐ咲きそう。


 住宅の庭に咲き競うハナミズキ、ヤマブキ、ボタン、桃などを見ながら花園町に入る。
この辺りは「武蔵野」という字名(あざな)の通り、麦畑でヒバリがさえずり、二つ煙出
しをつけた大きな農家などの見える、のどかな農村風景である。

 中郷集落の中心にある常光寺に寄る。開いていた本堂の隅に、2mくらいの大だるまが
あった。本堂横の自然石の石塔に、象形文字のような珍しい字が刻まれている。古い馬頭
観音や庚申塔も多い。
     

 南西に接する八幡神社前に「鎌倉街道上道道しるべ」の案内板が立つ。


 主要地方道62号に出て、県道と分かれて真っ直ぐ進む。桑畑のあぜ道の先で、秩父鉄
道の線路を越えて工業団地を抜ける。国道140号線とそのバイパスを越えると、荒川を
見下ろすところに、「お茶々が井戸」というのがあった。

 鎌倉時代、旅人が休息する茶店があり、於茶々という美人の娘がお茶の接待をしたとこ
ろだという。いまは無粋な四角いコンクリート造りの井戸だが、どんな干天でも枯渇した
ことはないとのことで、濁ってはいたが確かに水はあった。

 お茶々が井戸の東側の民家


 荒川左岸の河川段丘上の道を東に向きを変えて進む。川に近い道に入ったが行き止まり。
細い流れを渡って上の道に出たりして時間を食い、後着の4人を花園大橋で1時間以上も
待たせてしまった。11時38分に無事合流する。

 橋を渡り、「あらかわ紀行」で歩いた荒川右岸の道へ。ナノハナの咲く気持ち良い道を
500mほど進むと、1947年まであったという赤浜の渡し跡。目印になった、獅子岩
とも川越岩とも呼ばれる大きな岩がある。

           中央の岩が獅子岩↑



 カワラヒワがたくさん飛び、新吉野川を渡った坂道の三差路には、「鎌倉街道山王の渡
し」の道標が立つ↓。この北側にも山王の渡しというのがあったようだ。
     


 坂道を南に上る。左手の竹やぶに鎌倉街道跡が残っているはずだが見当たらない。その
まま進み、13時25分に赤浜の普光寺に着き、遅くなった昼食とする。




 寺の山門にはだるまが吊してある。庫裡の駕籠寄玄関は天保14(1843)年のもの
で、柱上部に見事な狛犬の彫刻が施されている。


 庭の隅には屋根付きの板碑群が並ぶ。中央の五輪塔は大同4(809)年と読め、文化
2(1265)年の板碑もある。


     
 本堂裏の杉林に回り、鎌倉街道の名残という掘割を確認して、14時20分に寺を出た。

     寺の東側に立つ史跡の標柱
     

 ==のどかな里道を市野川沿いに==

 中世には鎌倉街道の宿場として「塚田千軒」と呼ばれるほど栄えたという、塚田の三島
神社の東で畠山からの鎌倉街道と合し、南に向かう。

 神社には、南北朝末期から室町初期に当地の塚田鋳物師が鋳造したと考えられる鰐口が、
御神宝として残っているという。

 今市(いまいち)集落の西端にある十字路に、寛政2(1790)年11月と刻まれた
大きな百万遍供養塔や、二十一夜塔、札所供養塔などが並んでいた。


 次の十字路南の畑の中には、宝永5(1708)年と享保15(1730)年の庚申塔
がある。小さいがきれいに磨かれていて、とても江戸時代のものとは見えない。


 左折して東南に進む街道からは、市野川(いちのかわ)の向こうに淡い新緑の里山が広
がり、のどかにニワトリが鳴く。ガードレールが無ければ鎌倉時代そのままとも思われる
光景だ。

 葉桜となった桜並木の先に、杉やカシで覆われた今市集落の鎮守、児泉(こいずみ)神
社があったのでひと休みする。境内南側の杉林にも、鎌倉街道跡と思われる掘り割りが残
っていた。

 市野川沿いに進んでクリーンセンターの先で、私が小中学校時代を過ごした小川町に入
る。鎌倉時代に高見城があった四津山(よつやま)が、名のように四つの山並みを見せて
いる。


 能増(のうます)の十字路を左折して、市野川のそばにある八宮(やみや)神社に入る。
明日の春祭りのため、集落の人が4、5人で境内の清掃中。
     

 私は、この神社の社務所に中三の時、両親や弟はその後も15年住んでいた。35年ぶ
りに訪ねたのだが、社務所も開けてあったので見ることが出来て、大変懐かしかった。


 ここで今日の記念撮影を。



 十字路に戻り、少し西側の道を入って鎌倉街道の標柱に従い南に進む。草に覆われた土
の道は、チゴユリの咲くヒノキの林を抜けて、田んぼに出る。


 小さい流れを回り道して再び林の中に入ると、諏訪神社奉祀遺跡という小さな祠が残っ
ていた。この辺り、昔ながらの街道の雰囲気の残るところだ。
     

 八和田(やわた)神社への道標に従い、新屋敷(あらやしき)の丘陵を下って行くと古
い馬頭観音があった。
     

 奈良梨の十字路に出て、長い境内を北に戻り八和田神社で最後の休憩。本殿の東側に、
樹高30m、樹齢800年という見事な杉が立っている。
     
 子供の頃、屋台が並びささら獅子が舞う八和田神社の秋祭りは楽しみだったが、この大
杉の記憶はない。

 奈良梨の十字路から県道を進み、新川(しんかわ)の高橋(たかばし)を渡る。すぐ先、
下横田の集落裏手を流れる小川の土手に、4基の小さい馬頭観音が欠けた1基とともに並
んでいた。


     
 県道沿いの満開の八重桜の下には、もっと大きい馬頭観音もある。昔は、農耕の主役と
して馬が大切にされていたことがうかがえる。

 鎌倉街道はこの先、県道を嵐山町(らんざんまち)まで続くのだが、我々は車を避けて
市野川の東に出て、山すその越畑(おつぱた)集落を結ぶ道を進む。

 杉山城跡に近づいた辺りで、西の山並みにオレンジ色の夕日が落ちて一瞬のうちに沈ん
だ。静かな山里の幻想的なひとときである。

 陽が落ちたのにそばの林でウグイスが盛んに鳴く。先を急ぎ、すっかり暗くなった嵐山
町むさし台の住宅街に入り、18時49分に東武東上線武蔵嵐山駅に着いた。

(参加 12人、天気 晴、距離 22㎞、地図〈1/2.5万〉 寄居、三ヶ尻、武蔵
 小川、歩行地 寄居町、花園町、小川町、嵐山町)



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