あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

昭和30年代前半の石神井公園の風景(東京・練馬)

2018-09-29 18:15:49 | アーカイブ
 2018年9月29日(土)

 前々回、9月16日(日)に石神井公園周辺を歩いたレポートの最後に、半世紀以上前
のことを少しだけ記したときに、当時の写真があるはずだと思い出しました。

 そこで、引っ越し用段ボールにしまったままになっていたアルバムを探してみたら、見
つかったので紹介することにします。

 時期は、昭和31(1956)年6月から33(1958)年3月までのわずかな期間
ですので、アルバムの掲載順に従ってご覧いただきます。

 初めは昭和31(1956)年6月中旬のもの。アルバムのタイトルは「新緑の石神井
公園」となっています。
     
      石神井池の東北端にあるボート乗り場周辺

 
 石神井池は、当時は「ボート池」と呼んでいたように思います。

 中の島の南側にかかる太鼓橋(たいこばし)は現在も同じよう見えるので、改修などは
してないのかもしれません。
     

           太鼓橋付近からの東方の眺め。
          

      三宝寺池の植物
     

           三宝寺池の弁天堂
           


 アルバムには「石神井グランド」と記されていますので、三宝寺池の北側台地上、現在
は区立石神井公園松の風文化公園になっている、当時の日本銀行石神井グランドではなか
ったかと思われます。

 次は、昭和32(1957)年2月24日撮影の三宝寺池弁天堂。

 三宝寺池の南西側、現在は厳島神社と呼ばれる建物のはず。 

 当時、夏になると「石神井公園灯籠流し花火大会」があり、たくさんの観客で賑わいま
した。昭和32年7月24日です。

 「各町競う灯籠群」となっています。


 その中の2つ、オランダ風車(左)と「夢よもう一度」と名付けられた大きな灯籠(右)。

      夜の打ち上げ花火も人気でした。
     

 最後は雪の石神井公園風景、以下の3枚は昭和33(1958)年2月28日と3月2
日撮影のもの。


 石神井池ボート乗り場周辺



 ボート乗り場付近から南西側の眺めと思われます。

 以下の4枚は日にちが記されていませんが、「雪の石神井公園(第二部)」となっいて、
かすかな記憶では同じ昭和32年の3月下旬か4月上旬だったはず。


 この2枚は、やはりボート乗り場付近からのよう



 こちらは、石神井池東端近くの南側、現在の「ふくろう広場」と「くつろぎ広場」と呼
ぶ辺りと思われます。


 さらに別頁に貼ってあった以下の3枚も、3月下旬か4月上旬のはず。

 ボート乗り場に近づく石神井公園駅行きのボンネットバス

 
 石神井池の南東側、現在の「くつろぎ広場」辺りから北側の眺めか。


 現在の「ふくろう広場」辺りから見た西側方向のよう。

 当時は三宝寺池はもとより、石神井池の周辺もボート乗り場以外には人工の構造物はな
く、自然のままの開放的な空間が広がっていました。

 テレビ放送が始まって2~3年の頃、まだ家庭にテレビ受像機を持っていたのは裕福な
家だけで、多くの家では情報や娯楽はラジオと4頁くらいの新聞、それに映画館での映画
観賞などに限られた時代です。

 〈参考〉現在の石神井池(上)と三宝寺池(下)の地図







 (公益財団法人 東京都公園協会発行のものの一部)

 







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大宮スケッチ会作品展を見て大宮公園を巡る(埼玉・さいたま市)

2018-09-26 10:35:44 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2018年9月22日(土)

 カントリーウオークの仲間、Tさんから案内をいただいていた「大宮スケッチ会作品展」
の会期が明日までとなったので、観覧に出かけました。


 JR高崎線や京浜東北線、東北・上越・北陸新幹線などの一大ターミナルである大宮駅
に11時半頃着き、東口から会場に向かいます。

 一の宮通りを抜けて、約2㎞ある氷川神社参道の途中の二の鳥居から参道に入りました。
     
 この鳥居は、もとは明治神宮の第2鳥居で、高さ13mの台湾産ヒノキとのこと。昭和
51(1976)年に竣工したようです。

     

 三の鳥居の手前、右手が会場の「氷川の杜(もり)文化館」。毎年開催されているので
おなじみの場所です。


 門を入ると両側はモウソウ竹の林になっていて、気持ち良い緑陰です。
     

 正午近くに会場に入り、「第11回 大宮スケッチ会作品展」を観覧しました。 



 このグループは埼玉県内のスケッチを楽しむ会で、会場でもメンバー18人の方々が、
埼玉県内を中心の作品など各々2点ずつ出展していました。、
    

        


 ウオーキングなどで訪ねたところが多く、思い出しながら拝見しました。
    


 20分余りで文化館を出て、竹林の北側を氷川神社参道に戻ります。


 来た頃は雲が多かったのですが、青空が増えて気温も上がってきました。


 すぐ北側の敷地は、古い屋敷のたたずまい。


 この後は、いつものように氷川神社に参拝して背後の大宮公園を一巡することにします。

 三の鳥居をくぐって武蔵一宮の氷川神社境内へ。



 右手の建物は神楽殿でしょうか、今年は2部に落ちた地元サッカーチーム・大宮アルディ
ージャの優勝祈願額が奉納されています。


 そばにある末社のひとつ松尾神社、酒造の神として信仰されているよう。


 朱塗りの橋で渡る山門前の池は、水が抜かれて干上がっていました。いつも岩の上で甲
羅干しをしていたたくさんのカメさんは、やはり真ん中の岩の上に集まっています。



 山門を入って舞台の背後の拝殿に参拝しました。




 もう、11月が本番と思われる七五三参りの受付をしているようで、何組かの家族が見
られました。
    

 東側の門を出て背後の大宮公園に入り、花の時期は賑わう桜の木々の間の園路を北へ、
この先もいつものコースです。


 猛暑のこの夏は賑わったと思われるかき氷屋さんも、今日は暇そう。



 ボート池の南側に下り、池の縁の園路を西側から回ります。
     

 北端近くまで進むと、池の向こうにある県営水泳場のスタンドが望まれました。

  
 池の北端を回って松林を上がり、「県立歴史と民俗の博物館」へ(入館料 300円)。


 歴史、民族、美術を総合的に扱う美術館で、常設展示室では「埼玉における人々のくら
しと文化」メインテーマとして展示しており、おもに年代に従った10の展示室を順次回
りました。

 第1室「旧石器~弥生時代 -狩りから稲作へ-」と第2室「古墳時代 -鉄剣は語る-」
は撮影可なので、その一部を紹介します。












 このあと第3室から第10室まで、順次回りました。このうちの第6室「板碑」と第
10室「民族展示室」も撮影可なので、その幾つかを。

 第6室「板碑」

 一番右の板碑は長瀞町(ながとろまち)にあり、応安2(1369)年造立の国指定史
跡の複製で高さは5.37m、わが国最大の板碑です。



 第10室「民族展示室」

 川で魚を捕る筌(うけ)。

 和紙づくりの道具など



 農家の間取り
    


 観覧を終えて館内の食堂で遅い昼食を済ませ、14時20分過ぎに博物館を出ました。
大宮の豊富な樹林下の園路をボート池の南側に戻ります。

 
 南岸のソメイヨシノの葉の一部には秋の彩りが。


 ソメイヨシノのたくさん並ぶ辺りに戻ると、スマホを持ったたくさんの人が何かに誘わ
れるように集まってきました。


 スマホゲームのキャラクターがこの辺りに出現しているよう。


 それらの人と行き違いに戻って日本庭園へ。


       
        ハギやヒガンバナが咲いていました。
        


      
     


 氷川神社境内に戻って三の鳥居に向かう左手、天津神社のそばにご神木の夫婦クスノキ
が。何度もこの辺りを通過していたのに気づきませんでした。
     


 ケヤキなどの参道を戻って一の宮通りを抜けて、JR大宮駅に15時6分に着き、埼京
線で帰路につきました。往復約5㎞の散歩です。
 





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カタツムリ歩行同窓会散会後、三宝寺池の周辺を歩く(東京・練馬)

2018-09-25 11:03:44 | カタツムリ歩行
 2018年9月16日(日) 午後

 カタツムリ歩行同好会の散会後は、南側の「区立池渕(いけぶち)史跡公園」と「石神
井公園ふるさと文化館」に入り、さらに西側の二つの寺や三宝寺池(さんぽうじいけ)な
どを回り、石神井公園駅に向かうことにした。

 池渕史跡公園は、練馬区の登録史跡「池渕遺跡」を埋め戻して整備したもの。遺跡では
旧石器時代の石器ブロックや縄文・弥生時代の竪穴住居跡、炉跡などが発見され、旧石器
から縄文、弥生、古墳、中世にいたる複合遺跡であることが分かったとか。

 園内で目につくのは、移築復元されたかやぶき屋根で区の指定文化財の「旧内田家住宅」。

 旧内田家は練馬区中村にあった民家で、明治20年代(1887~)初めの建築と推定
され、一部には江戸時代の古材も使われているという。





 園路沿いには、縄文時代の竪穴住居跡↑、区内にあった庚申塔や馬頭観音、力石(ちか
らいし)など江戸時代の石造物が配置されていた。
     
      庚申塔(元禄16(1703)年)

              
         馬頭観音(享和3(1803)年)と庚申塔(享保5(1720)年)          

 階段を下り、隣接する区立「石神井公園ふるさと文化館」に入る。

 練馬区の歴史や伝統文化、自然などを体験しながら学ぶことができ、観光情報も得られ
る博物館である。


 最初に常設展示室に入り、古代の出土品から現代に至る区内の歴史的な資料や産業など
の展示を一巡して観覧した。










    
     東映動画スタジオの第1号カメラ

 その後、2階の企画展示室で、開催中の特別展「鳥瞰図ー空から見る大正昭和の旅ー」
を見る(一般 300円、高・大学生 200円、65~74歳 150円、中学生以下
と75歳以上 無料)。


 会場では、吉田初三郎や金子常光など大正から昭和期の代表的作家の、おなじみの作品、
約120点が展示されていた。

 ここは撮影禁止なので、リーフレット掲載の鳥瞰図の一部を紹介する。









 14時25分頃、ふるさと文化館を出た。

 西側の都道444号・井草道を南進し、区立図書館そばの交差点を右折して所沢道に入
り、すぐ先の道場寺(どうじょうじ)へ。

 道場寺は曹洞宗の寺で、文中元(1372)年に当時の石神井城主・豊島景村の養子輝
時が建立し、豊島氏の菩提寺としたようだ。

     
 クロマツやモミジなど豊富な緑陰を見せ、山門を入ると左手樹間に三重塔が望まれる。


 その先右手には鐘楼があり、正面の奈良・唐招提寺を模した大本堂前にたくさんの白ハ
ギが花開く。




 西側すぐ先には、やはり豊富な樹木に覆われて広い境内の三宝寺がある。手前にある長
屋門は、勝海舟の屋敷門を移築したという。



 御成門を入ると右手に鐘楼が、左手に大黒天堂があり、そばに「ねりまの名木」のサル
スベリとアカマツが目に入る。




     

                      
   
 入母屋総欅造り(いちもやそうけやきづくり)銅板葺きの本堂は、大正3(1914)
年の再建計画以来、関東大震災や太平洋戦争などによるたびたびの中断を経て、昭和28
(1953)年に再建されたとか。


        
 本堂前に白いヒガンバナがたくさん咲き出した。
            

     
 西側の大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、天明元(1781)年の建立。大正
12(1923)年の関東大震災で倒壊後、御成門近くから現在地に移築したという。

     
 その西側には大きな根本大塔が立ち、背後の樹間には四国八十八ヶ所お砂踏霊場が設け
られていて、最奥には奥の院の大師堂がある。


 大師堂


     
 境内を一巡後、御成門を出て少し戻り、道場寺の三重塔横の細道を北に下り、三宝寺池
の東端付近に出た。

 三宝寺池は、石神井川有数の水源地。豊富な湧水のもとに氷河期から生息してきた湿性
植物群が、昭和10(1935)年に「三宝寺池沼沢(しょうたく)植物群落」として国
の天然記念物に指定されている。

 しかし戦後、周辺地域の急速な都市化で湧水が減り、湿性植物の種類や数が激減したの
で、東京都は平成5(1993)年から水質改善や希少植物の保護増殖に取り組んでいる
という。

 南岸沿いの周遊路を西に進むと、「石神井城址」碑と「石神井城跡」の説明板がある。
    
 石神井城は、中世武士の豊島氏の居城の一つ。築城は鎌倉末期と考えられ、文明9
(1477)年に太田道灌に攻められて落城し、廃城になったとか。

 城は、三宝寺池の谷と石神井川の低地に挟まれた台地に築かれ、全体で約9㏊の規模だ
ったと推定されているらしい。一帯ははうっそうとした木立に覆われ、周遊路があるが今
日は巡るのは省いた。


 池を見ながら南岸沿いの遊歩道をを進むと、中の島に2羽のアオサギがじっと立つ。




     

 さらに進んで、池の西南端近くの弁天島に祭られた厳島神社に参拝する。


     
 厳島神社などを眺めながら西岸を北西端まで進む。



 紅白のヒガンバナ咲く林間を上がり、北側の「練馬区立石神井松の風文化公園」に南西
門から入った。旧日本銀行石神井グランドを練馬区が取得して、4年前に開園したもの。

 園内には花と木立の広場、芝生の広がる多目的広場、松林の広場や、庭球場と管理棟な
どがある。

     
 花と木立の広場の西北端には、気象庁の「アメダス練馬観測所」の設備があり、気温、
風向、風速、降水量と日照時間を観測している。
  


 多目的広場の南側を進んで管理棟に入る。


 中に、先ほど観覧したふるさと文化館の分室があり、練馬区ゆかりの「絵本作家・さと
うわきこ展」を開催中。
     

 ほかに常設の「練馬区ゆかりの文化人」展示室、五味康介ゆかりの資料室、檀一雄の部
屋などがあり、ひととおり回って観覧した(撮影禁止)。

 庭球場横の正門から公園を出て、北側を真っ直ぐ走る都道8号・富士街道を石神井公園
駅の方向へ。

 この通りの駅近くには、私が半世紀以上も前に5年余り勤めた最初の職場があったのだ
が、通るのは何10年ぶりだろうか。当時とは全く様変わりした沿道である。

 その頃、今日のスタート地の練馬高野台駅などは無く、駅周辺や午前中に歩いた南田中
団地など、石神井川沿いは田んぼだった。

 西武池袋線も確か4両編成くらいで、石神井公園駅発上り電車の発車時刻は、毎時 0,
15,30,45分発の4本だけだったことを覚えている。

 職場では窓口に来る来客応対もしていて、わずかな収入の中で釣り銭がなくなると、通
りを挟んで北側にあったお茶屋さんでよく両替をしてもらったので、残っているかと探し
ながら進む。職場のあったところは、どうやらマンションになっている場所のよう。

 その前に、建物はビルに変わったが「創業明治40年」の茶店があり、今日は閉店して
いたが店名から間違いなさそう。当時を思い出し、懐かしく通過した。


 そばの練馬区役所石神井支所前には、「ロバと少年」像と「環境都市練馬区宣言」パネ
ルがあった。


 ゴールの、西武池袋線石神井公園駅には16時5分に入り、下り電車で帰途につく。

【午前午後通算】(天気 曇後晴、距離 8.4㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、
 歩行地 練馬区、歩数 18,400)





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カタツムリ歩行同窓会で石神井公園周辺を歩く(東京・練馬)

2018-09-21 17:16:06 | カタツムリ歩行
 2018年9月16日(日)

 4月15日(日)以来半年ぶりの、カタツムリ歩行の第2回同窓会に参加した。集合は
西武池袋線の練馬高野台(ねりまたかのだい)駅。今回の担当のZさんから地図をもらい、
9時55分にスタートした。


 北口広場にある花屋さんの前には鉢植えのきれいな花が並ぶ。


 西側を南北に走る都道443号・笹目通りを北に少し、長い参道を進んで東門から長命
寺(ちょうめいじ)へ。


 長命寺は、慶長18(1613)年に小田原北条氏の一族、増島重明が弘法大師像を祭
ったのが始まり。甥(おい)の増島重俊が紀州高野山の構えにならい、堂宇を建造して長
命寺と命名したとか。

 その後、徳川3代将軍家光から朱印地を賜るなどして、「東の高野山」と呼ばれる関東
有数の霊場として信仰を得たという。


 広い境内の中心にある金堂↑は明治37(1904)年の再建。左手背後の観音堂には
本尊の十一面観音が安置されている。
     

 さらに奥には弘法大師像を安置する奥の院にあたる御影堂(みえどう)がある。



 境内にはほかに、姿見の井戸、たくさんの石仏や石像、「ねりまの名木」であるシラカ
シやイチョウ、木遣(きやり)塚、地蔵堂、新しい十三仏、鐘楼など見るべきものが多い。


      「ねりまの名木」のイチョウ
     

 木遣塚

 

 南側正面の南大門を出た。西武池袋線の高架下を南に抜けると剣道の東松館道場がある。

 かなり前から西武池袋線の車中から見ていた建物だが、そばに行くのは初めて。右手植
え込みに、創設者らしい「剣道範士 榎本松次之像」の胸像があった。
         

 そばの東台野球場の西側を南進して石神井(しゃくじい)川の南田中(みなみたなか)
橋を渡る。流れの両側は、桜並木の下に遊歩道が延びている。


 中層集合住宅の南田中団地の南側斜面林は「南田中稲荷憩いの森」で、イヌシデ、エゴ
ノキ、シラカシなどの斜面林になっている。
     
 「塚越の森」の標柱もあり、段丘上に向かって階段を上がる。斜面にはヒガンバナがい
くつか咲いていた。
         
  
 西側に回り込んで南田中五丁目の稲荷天祖神社に入る。毎年7月には、盆踊り大会が開
かれ賑わうようだ。境内の鉢に白いヒガンバナが花開く。


 住宅地を南東へ、南田中四丁目に入ると榎本家長屋門があった。江戸時代末期の建築の
ようで、「練馬の文化財」に指定されている。


     
 南側の道を西に少しで、広い境内を様々な樹木や花に埋め尽くされた観蔵院(かんぞう
いん)である。




         
  
     
 観蔵院は真言宗智山派の寺で、豊島八十八か所第81番札所。北側の庫裡(くり)の隣
に「曼荼羅(まんだら)美術館」↓があり、六道曼荼羅などが観覧できるようだ。


 背後の道路を西へ400mほどで、広い境内に幼稚園を併設し樹木も豊富な善生寺があ
るが、門は閉ざされて入れない。


 下石神井三丁目を西進して北西へ、石神井川の豊島橋を渡りバ↑ス道路の北側の禅定院
(ぜんじょういん)に行く。


 禅定院も真言宗智山派の寺。約600年前に願行上人により開山されたようだが、文政
年間(1818~30)の火災で建物や記録などは消失しているらしい。


 本堂前の織部(おりべ)型灯籠は寛文13(1673)年刻で、「キリシタン灯籠」と
呼ばれ、区内でも珍しい石造物として区登録文化財である。
         

     
 鐘楼はかやぶき屋根、キリシタン灯籠を覆うヒヨクヒバ↓は「ねりまの名木」。
         

 現在の石神井小の前身の豊島小は、明治7(1874)年に区内初の小学校としてここ
に創立されたとか。そのことを記した「わらべ」の石彫がある。
             

 バス通りを北東に少しで、豊富な樹林に覆われた「石神井公園記念庭園」に入る。


 ここは、石神井村元収入役で地元の資産家だった豊田銀右衛門が大正5(1916)年
頃に造成した第二豊田園の跡。東京都が取得して都立石神井公園の一部として再整備し、
昭和53(1978)年に開園したという。

 モミジやソメイヨシノなど、緑に囲まれた静かな池を中心に遊歩道が巡らされている。
池の西側を上がって広場を横切る。北に下り東西に長い石神井池の南東側へ。



 池に浮かぶスワンボートなどを眺めながら西進し、メタセコイヤとラクウショウの林の
横を過ぎる。



 野外ステージの上部を通過して、ゴールの稲荷諏訪合神社に11時58分に着いた。



 参加の皆さんもあい前後して着き、境内で昼食をする。食事を終えて記念撮影後にミー
ティングをして、前回から半年経過後の各々の近況報告などする。13時20分過ぎに散
会した。 

(参加 15人、天気 曇後晴、距離 4.7㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、
 歩行地 練馬区、歩数 9,400)


 なお、散会後の帰路の行程については別途アップします。






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鉢形城公園から五百羅漢の少林寺と円良田湖へ(埼玉・寄居)

2018-09-19 17:37:34 | カントリーウオーク
 2018年9月15日(土)

 7~8月は猛暑でウオーキングは夏休み状態だったが9月に入って気温も下がり、2か
月ぶりのカントリーウオークグループの第256回例会に参加した。


 集合池はJR八高(はちこう)線の折原(おりはら)駅。久しぶりのウオーキングだが
あいにくの雨。雨具を付けて10時6分に無人の駅を出た。
 
 == 二つの寺を巡って鉢形城公園へ ==


 北側の踏切を渡り線路沿いを北へ、大きく実ったクリ畑の先の畑にキジのつがいが。再
度線路を渡り返してすぐの畑にもいた。
 

 立原集落を北西に進み、折原小の東側の実聞寺に入る。無住のようで開放的な境内で、
桜の他は植栽も少ない。


 右手の覆屋に「たわし地蔵」が祭られ、背後にはたくさんのたわしが奉納されていた。
         

 雨に濡れる集落を東進して3度目の踏切を越え、少し下って吉定寺に行く。ここも無住
で、境内も実聞寺同様に開放的である。


 本堂前の鐘楼に下がる銅鐘は、この地の代官、日下部定好が文禄2(1593)年に自
ら開基したこの寺に寄進したものらしい。

 県内では近世以前の銅鐘として貴重で、日下部氏の奉納銘があるなど歴史資料としても
興味深いものとして、県指定史跡になっている。

     
 墓地奥の大ケヤキ下にヒガンバナが咲き出し、県指定史跡の「日下部博貞墓」がある。
       
 博貞は万治元(1658)年生まれ。日下部定好の曾孫、正直の婿(むこ)養子となり、
桑名藩の引き渡し役や長崎奉行を勤め、享保19(1734)年に77歳で病死したとか。


 踏切に戻って北へ、道路際になぜかたくさんの石臼が捨ててある。


 県道294号を横断し、またまたJR八高線の線路の東に渡ると、すぐ北側に諏訪神社
が祭られている。


 この辺りは鉢形城(はちがたじょう)公園の南西部で、諏訪神社は、武州日尾城主(小
鹿野町)の諏訪部遠江守が鉢形城の家老として出仕したとき、信州の諏訪神社を守護神と
して分祀したとのこと。

 天正18(1590)年の鉢形城落城で北条の家臣が去った後は、城下の立原の人たち
が鎮守様として崇敬しており、本殿は宝暦年間(1751~64)の造営という。

 そばの空堀、御手洗池のほとりにアオサギが立っていた。


 ちなみに、鉢形城は戦国期の平山城で関東屈指の名城といわれたが、豊臣秀吉の小田原
城攻めに伴い大軍に攻められ、天正18(1590)年6月に開城された。

 鉢形城跡は戦国時代の代表的な城郭跡として国指定史跡となり、現在は堀、土塁、門な
どが復元整備されて鉢形城公園になっている。


 園路を北東へ、三の曲輪(くるわ)から二の曲輪の稲荷神社前へとV字状に折り返す。
さらに北東に進んで車道を横切る。




 深沢川の深い谷に向かって下る右手に、寄居町天然記念物で樹高18m、根回り6.5m、
樹齢150年と推定され、この3月に「氏邦桜(うじくにざくら)」と命名されたエドヒ
ガンが見事な樹形をみせていた。



 谷底に下って橋を渡り、対岸の斜面を上がって「鉢形城歴史館」に入り、鉢形城の歴史
や構造などについて短時間ながら観覧する。


 歴史館を出て深沢川の東側を少し北進し、外曲輪の南端付近から西南に下って深沢川を
渡る。


 氏邦桜の横を戻って車道を少し北へ、左手(西)の林間を上がって本曲輪の田山花袋
(たやまかたい)碑のそばまで行く。
       

 西側樹間から、眼下に荒川の名勝、玉淀(たまよど)の流れが見下ろせる。


 車道に戻って南へ、近くのY字路を右に入る。南西に下る途中からも荒川の流れが見下
ろせた。



 鉢形城公園を出て、西側の下郷の集落を進むと、路傍にキバナコスモスやヒャクニチソ
ウ、オミナエシなどが咲き競う。
    


 JR八高線の踏切を越えてすぐ、地図上の田んぼマークの一帯はソバ畑で、秋ソバの花
が咲き出していた。
    

 その先の民家のガレージ前に、自然石に彩色しただるまが二つ並んでいる。


 細い流れの橋を渡って上郷集落に入り、昼食地の常光寺には12時23分に着いた。

 常光寺は、真言宗智山派の寺で江戸中期の開山。厄除けの不動明王像は、大きさでは日
本の五指に入るとか。

     
 武州寄居七福神の寺で、にこやかな大黒天像は本堂左手にあり、庫裡(くり)前の草地
には大きな清滝不動像が立っている。
        

         
 地蔵堂横には「しらず地蔵」が祭られ、そばのギンモクセイ↓の芳香を感じながら、地
蔵堂の屋根下を借りて昼食をした。
     

 == 五百羅漢の少林寺から円良田湖へ ==

 
 雨は降り続く中、ミーティングと記念撮影をして13時17分に常光寺を出た。車道を
300mほど西進して北への旧道へ。すぐの空き地にもキジが散歩していた。



 小さい流れを越えて雨に煙る上郷集落を西進すると、折原橋の向こうに架かる国道
140号バイパスの末野大橋が近づく。



 荒川に架かる折原橋からは、下流に玉淀の流れが、上流側は末野大橋の向こうに玉淀湖
の堰堤が望まれる。


 末野交差点で国道140号を横断し、すぐ先で西側の旧道に回る。

     
 北へと緩やかに上がって山腹の緑あふれる少林寺に着き、本堂の屋根下で小休止した。

 少林寺は永正8(1511)年の開山で、慶安年間(1648~52)に寺領15石を
与えられているとか。

 当寺24世時代の文政9(1826)年から浄財を募り、寺の背後山中に十六羅漢や五
百羅漢の石造などを天保3(1832)年に安置し、信仰の道場として今日に続いている
という。

 雨はようやく小ぶりになった。本堂左手からその五百羅漢の並ぶ背後の山道をジグザグ
に上がる。

 顔の落ちた羅漢、傾いた羅漢、様々な仕草の羅漢などが続き、斜面の草木と一体化して
歴史が感じられる。羅漢像が終わり峠に着いた。
    



 上り同様に標高差60m前後を下り、周囲を山に囲まれた円良田湖(つぶだらこ)の南
東端に出た。

 湖面にはヘラブナ釣り用のデッキが幾つか連なり、数人の釣り人も見える。ようやく雨
も上がった。湖面沿いを北西に少し進んで東屋で小休止した。




 さらに進んで湖の西端の堰堤(えんてい)へ。北側には食堂など幾つかの建物が点在す
る。堰堤の西北端には、湖の建設に尽力した「栗原政寛翁之像」の胸像があった。
       

  
 円良田湖から出る逆川の流れ沿いの車道を南に下る。擁壁のツタが色づき路傍のススキ
も花を見せ、秋の近いことが感じられる。
    
  
 関根集落まで下ると秩父鉄道の線路が近づく。末野神社際のT字路を右折して西北へ。


    
 雨に濡れたヒガンバナがたくさん咲き競い、カキの実も色づく。
        

 逆川にかかる橋際に「西行戻り橋」の由来が記されていた。西行は秩父への修行に向か
う途中にこの橋で少年少女に会い、彼らが難しい歌をたやすく作ることを知り、自分は恥
ずかしいと戻ってしまったという。


 すぐ先の三差路で今日のゴールとなり、皆さんは北側斜面上の↓「かんぽの宿寄居」で
の日帰り入浴に向かう。



 明日も予定のある私は直帰することにして別れ、秩父鉄道の波久礼(はぐれ)駅に15時
25分に着いた。

(参加 11人、天気 雨後曇、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 寄居(よりい)、
 歩行地 寄居町、歩数 21,800)






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台風21号の強風で、わが家のゴーヤーカーテンが崩落(埼玉・所沢)

2018-09-05 18:39:44 | Weblog
 2018年9月5日(水)

 昨日は台風21号が正午頃徳島県に上陸し、夜には北陸に抜けて急速に日本海を北上し
て北海道西方へと進みました。

 今回の台風では、関西空港の浸水や高潮の被害などが報じられましたが、とりわけ各地
で強風による様々なものの倒壊や落下などの被害が目立ちました。

 皆さんのところでは被害はなかったでしょうか。被害にあわれた方にはお見舞い申し上
げ、あわせて早い復旧をお祈りいたします。

 この台風の影響は首都圏でもありましたが、わが家でも強風により1階和室前のゴーヤ
ーカーテンが崩落するという被害を受けました。

 強風といっても、所沢市では18時30分の12.3mが最高で、これは埼玉県内の最
高でもあったようですが、関西空港の58m強に比べればはるかに弱いものでした。

 それでも強風の予報が報じられていたので、雨の小降りになったのを見計らい、昼食後
に和室前のゴーヤーカーテンを撮っておくことにしました。
     

 その頃からかなりの南風が吹き荒れてはいましたが、まさか落下するとは思ってもいま
せんでした。

 ところが、夕刊を取ろうと17時20分頃玄関を出てみたらビックリ! 2階のベラン
ダから吊ってあったネットに沿って春から伸びていた、ゴーヤーカーテンが見事?に落下
していました。  上の写真とほぼ同じアングルで撮ったもの。 
     

 本当は、このカーテンより、東側に植えた↓3本だけのゴーヤーカーテンの方が風当た
りが強いので、この方が飛ばされるのではないかと心配していたのでしたが、こちらは何
とか持ちこたえてくれました。
     

 アメダスのデーターによれば、所沢では16時40分に11.3mの最大風速を記録し
ており、その頃の強風で落下したのではないかと思われます。

 このゴーヤーカーテンのためのネットは、2011年6月に張ったものでした。以来8
年間、毎年ゴーヤーを9本ずつ植えていたのですが、今年は最も勢いが良かったのと、昨
年のこぼれ種から伸びた数本のアサガオも今年はよく育って例年以上の重量がかかり、そ
の上にこの8年間で最強の南風に耐えきれずに切れてしまったようです。

 崩れ落ちたゴーヤー群を玄関側から撮ったもの。どのように処理しようか考え中です。
     

 ちなみに、3回前の8月14日に投稿したゴーヤーの収穫模様の後も何回も収穫できま
した。そのうちの幾つかです。

     8月26日(日)
    

     8月28日(火)
    

     8月31日(金)
    

 ほかの日にも何回か収穫しており、この夏のわが家の食卓はゴーヤーチャンプルーが続
いています。
    

 台風一過、まだ残暑が続きそうですが、ゴーヤーカーテンが落ちたので和室の日よけが
無くなってしまい室内温度が少し上がるかもしれず、エアコンに少し余計に頑張ってもら
わないといけないかもしれません。






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