あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

15年ぶりに地球に大接近した火星を見る

2018-07-31 21:29:10 | Weblog
 2018年7月31日(火)

 今夜は、火星が地球に大接近するとのことで、夕食後東の空を見上げたらいつもより大
きい赤い星が見えています。

 そこで、20年以上使わずにしまってあった古い三脚を出してデジカメを取り付け、2
階から撮ってみました。最大ズームでは少しぶれてはいますが何とかとれたので、2枚だ
け紹介します。1枚目は画面中央部ですがおわかりでしょうか…

 下には、東側のマンションなどの明かりなどが少しだけ入っています。
 

 デジカメのズームを25倍最大でもこの程度、三脚を完全に固定しにくかったのでぶれ
てしまいました。

 肉眼で見た感じでは、もっと赤い色に見えました。皆さんもご覧になられましたか?
20時30分過ぎの東側での撮影です。

 この後、23時12分頃には南東方向に移動し、月も高くなったのでそれぞれをデジタ
ルズームを加えた30倍で撮ったもの。月と火星との大きさの比較です。

 手持ちで窓枠に手を固定した程度だったので、火星↓は少しぶれています。

 まだ月と火星とは離れているので一緒には撮れませんでした。

 今夜は地球から5,759万㎞に近づいていて、約3億㎞離れていた1月と比べると、見
た目の大きさはおよそ5倍で、明るさは1等星より数10倍輝いているとか。

 地球と火星の距離が6,000万㎞を切るような大接近は、2003年以来の15年ぶり
のよう。

 次の大接近は17年後の2035年9月11日とのこと、私の年齢では見ることは不可能
でしょう。




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熊谷が41.1℃の今日、所沢も39.8℃の猛暑に(埼玉)

2018-07-23 22:28:15 | 所沢だより
 2018年7月23日(月)

 猛暑の続く日本列島ですが大暑の今日は全国的にさらに気温が上がり、埼玉県熊谷市で
は国内最高記録の41.1℃を記録しました。

 これら2枚のJR熊谷駅前の写真は、3月24日(土)に出かけたときに撮ったもので
すが、今日の暑さでは熊谷次郞直実公も愛馬も↓さぞかし暑くてたまらなかったことでし
ょう。


 今日、同じ埼玉県内では各地とも気温が上がり、わが所沢市も14時04分に39.8℃
を記録しました。これは多分、所沢としても最高気温の新記録になったのではないかと思
われます。

 私は、所沢市に転居したのは昭和44(1969)年ですが、それ以前から自宅の朝と
夜の温度を記録しており、その中に記録的な暑さ寒さや積雪などの場合は、公式記録もメ
モしてあるので、過去の高温記録を調べてみました。

 それによれば、過去の7月の最高気温は昭和52(1977)年7月6日の39.6℃
で、この日は所沢が全国で1番の暑さを記録したと記されていますが、今日はこの記録を
やはり更新しています。

 なお、8月の記録も見たところ、平成19(2007)年8月16日に、熊谷と岐阜県
多治見市が当時の国内最高気温である40.9℃を記録した日、所沢も38.7℃だった
のですが、それ以上の高温はメモされていません。 

 今日は、埼玉県内の7か所あるアメダス観測地点のうち6か所が39℃を超えています。
高温順に並べると

 熊谷 41.1℃  寄居 39.9℃  所沢と鳩山 39.8℃
 さいたま 39.3℃  越谷 39.2℃  残る久喜は38.6℃ でした。

 このように埼玉県内はどこも猛暑だったことがわかります。

 私は、正午前後に自宅から所沢駅周辺まで往復6㎞近く歩いてきました。数日前から使
い始めた日傘を差して歩いたのですが、少し歩くと汗が目に入りそうで、数分ごとに日陰
を選んではハンケチで汗をぬぐいながら往復しました。

 まだこの後、1ヶ月以上は本格的な暑さが続きそうで、この先が思いやられます。

 気持ちだけでも涼しくなればと思い、テンプレートを変えてみました。






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銀座の富士フォトギャラリーでの写真展へ(東京)

2018-07-19 18:05:23 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2018年7月18日(水)

 今日も猛暑日となる予報でしたが、案内をいただいていた写真展が後半になってきたの
で出かけることにしました。

 会場は東京メトロ有楽町線の銀座一丁目駅の7番出口から1分という「富士フォトギャ
ラリー銀座」です。

 北東から南西に走る銀座通り(中央通り)に出て、北側を走る東京高速道路の手前にあ
るサクセス銀座ファーストビル4階が会場で、2つの写真展を開催していました。

 その奥の会場が、もとの職場時代の知り合いだった石橋さんの所属されている「フォト
倶楽部G」の第13回写真展『私旬季』です。


 このグループの写真展は毎年1回開催されていて、いつも石橋さんから案内をいただく
ので観覧に行っていますが、この会場になったのは昨年からです。

 グルプノメンバーは12人で、主宰されている儀同正勝さんと指導されておられる花畑
日尚さんを含め、26点の作品が展示されていました。

 今回は多くの人に知らせたいとのことで撮影可だったので、デジカメで撮らせてもらい
ましたが、皆さんの作品はフィルムサイズ4X5インチから8X10インチの大中判銀塩
写真なので、現地で見なければ作品の素晴らしさは理解いただけないかと思います。


   

        



   

         

     

 

 石橋さんは居られませんでしたが、冬山や桜、紅葉、新緑、群生する花など、皆さんの
とらえた素晴らしい作品をゆっくり鑑賞させてもらいました。

 この会場では1週間程度の会期で、風景写真を中心に次々に写真展が開催されており、
会場入口周辺にはそれらの案内がたくさん並んでいました。


 会場のある4階エレベーターホールから眺めた南側細い通りの眺め。
 

 会場を出て西側の外堀通りに回って北東へ、東京駅八重洲口方面に向かいます。八重洲
口周辺のビル群や交差点の表情。


    

       

    



      

 あるビルのウィンドウに、笠間焼の作品が3点展示されていました。その中の2点。
         

    

 解説もありますが、ガラスの反射でチョット読みにくいかも。
     


 東京駅八重洲口が近づき、八重洲ブックセンターに入りました。
     
 地階の地形図コーナーで、今月1日発行の最新の2万5千分の1地形図・赤羽と浦和を
購入します。ここでは、当月発行の地形図をいち早くそろえてくれますので重宝します。

 さらに北側、日本橋方面の高層ビル
     

 普段なら周辺のアンテナショップなどを巡るところですが、気温はもう34℃前後はあ
りそう。暑くてたまらないので、正午近くに東京駅八重洲口から帰ることにしました。


 今日の所沢市の最高気温は12時57分の37.6℃で、ちょうど私が自宅の最寄り駅
に下車した頃でした。

 全国では岐阜県多治見市と美濃市が、5年ぶりに40℃を越えました。どうぞみなさん
熱中症にはくれぐれも注意されてお過ごしください。
 




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植木の町 安行周辺と見沼通船堀を歩く(埼玉・川口/さいたま)

2018-07-12 09:48:05 | カントリーウオーク
 2018年7月8日(日)

 西日本11府県に大雨特別警報の出た天気は回復したが、被害は拡大している最中の今
日、カントリーウオークグループの第255回例会に参加した。


 集合は埼玉高速鉄道の戸塚安行(とづかあんぎょう)駅。地下の改札口を出た近くに、
このような駅には珍しい椅子とテーブルが用意されている。


 地上に出て、10時8分にスタートした。


 == 安行の樹木畑の間を花と緑の振興センターへ ==

 地下の改札口から地上に上がり、まずはどの方向に向かうか確認する。西進して県道
103号を南東へ少し、西立野の住宅地の旧道を進んで西福寺に入る。

 西福寺は、弘仁年間(810~24)に弘法大師が創建したと伝わる古寺。境内の三重
塔は、3代将軍家光の長女千代姫が奉建したものとか。高さ33mあり、県内で一番高い
木造建造物だという。
     
  

 正面の観音堂には西国、板東、秩父札所の百の観音像が安置され、参拝すれば百か所の
観音霊場を参詣したと同じ功徳があるとされるので、皆で参拝した。

       
 境内にはほかに、大きな常念観世音菩薩立像↑や延命地蔵堂、鐘楼童、川口市保存樹木
のチャボヒバの高木↓などがある。
  


 植木畑や樹木園の多い一帯を南南東へ。東京外環道川口東ICの東で外環道の下を横断
し、さらに少しで安行氷川神社に寄る。
     
 拝殿は元禄13(1700)年の造営とか。参道の狛犬のうち右の一つは、東日本大震
災で倒れたのか、頭が欠けて横になっていた。
       


 こちらも沿道には樹木畑が多く、造園業者の看板もいくつか見られる。安行領家の細い
十字路際には、りっぱな犬猫之墓が立っていた。
     

     
 県道103号を横断して興禅院に入る。興禅院は、天文15(1546)年創建の曹洞
宗の寺院。境内は豊富な樹林に覆われていて、暑さを忘れさせてくれる。




       
 本堂前にキキョウやアジサイなどが咲き、左手お地蔵さんの横を進むと、墓地際の大き
なスダジイの下部のほこらに包まれるように、「抱かれ地蔵」が祭られている。
     

         
 20~30年前に石屋さんが、お地蔵さんをスダジイの根元に動かしたところ、木が生
長して取り囲んでしまったのだという。


 庫裡(くり)の横からアジサイの咲き残る道を背後の斜面林を下ると、小さい池に弁財
天が祭られ、その先の周遊路には十三仏の観音像が配置されていた。




 うっそうと茂る斜面林はここが川口市内とは思えぬ様相で、「川口市野鳥の森」になっ
ている。
     

 寺域は「安行八景」に選定され、春の桜、秋の彼岸花と紅葉、ほかにアジサイ、シャク
ナゲなど季節ごとに花の名所になるようだ。

 県道の西側に回り、県の「花と緑の振興センター」の正門を入る。

 センターは、植木や果樹などの生産出荷の指導、盆栽等の輸出振興などに努めており、
約2.3㏊に約4,600本、2,000種の植物を展示していて、四季折々の草花が楽し
めるという(入園無料)。


 本館に入り背後に抜けて、池の周辺に咲く花や、実の大きくなったブルーベリーなどを
眺める。
         

    



 県道をまたぐ歩道橋で東側に回り、日本庭園の先にあったベンチのところに正午ちょう
どに着き、昼食にした。


 == 新井宿からバスに乗り見沼通船堀を東浦和へ ==
 
 記念撮影とミーティングをして、13時過ぎに午後のコースに向かう。


 犬猫の墓のある交差点まで戻って南東へ、交差点の南側の家はかやぶき屋根だった。


 中道西集落でV字状に折り返してさらに南へ。「川口市野鳥の森」になっている、うっ
そうとした木々に覆われた長い参道を東側から入り、金剛寺に行く。


       
 かやぶきの山門の手前には、大きな「植木の開祖 吉田権之丞翁記念碑」が立っていた。
安行苗木の開発者で、墓地にある墓は県指定旧跡になっているようだ。


 山門近くには、市の保存樹木に指定されたキャラボクの古木がある。


 金剛寺は、越生町(おごせまち)の龍穏寺(りゅうおんじ)の末寺で、室町中期の明応
5(1496)年に、この地を支配していた豪族、中田安斉入道安行(やすゆき)により
開創されたとか。この人の名が、当地安行(あんぎょう)の地名の由来になったと伝えら
れているという。

 江戸時代、3代将軍家光から御朱印10石を賜り、門派は10数か寺に及んだよう。山
門は約400年前の構築で、市内最古の棟門とのこと。正面の大本堂に参拝後、古木のフ
ジ棚の下で小休止した。


 南下して安行吉岡交差点でV字状に折り返し、首都高川口線の側道を北西へ。路傍の畑
にブルーベリーが実り、近くにはブラックベリーだろうか、赤い実もたくさんある。
    

        
  
 安行慈林交差点で西側の旧道に回るが地図上の抜け道が無く、首都高の側道に戻る。赤
山交差点で左折して県道101号に入り、すぐ横のグランド際の木陰で小休止して水分補
給する。


 源長寺上知集落の中ほどに「摂政宮殿下御小憩所」碑が立っていた。
     
 大正13(1924)年3月26日、摂政宮(後の昭和天皇)が越谷鴨場に行啓した際、
小休止した場所のようだ。隣の民家の前に、熊を形取った植木が並んでいた。



 新井宿駅バス停に14時26分に着き、14時46分発東浦和駅行きバスに乗る。

 戸塚安行駅方面から伸びる県道103号の、木曽呂バス停で14時57分に下車した。

 少し先で見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)の山口橋を渡る。橋際には
赤鳥居の稲荷神社が祭られていた。

 寛政3(1791)年に京都伏見大社から分霊されたよう。


 見沼代用水東縁沿い↑を北にすぐ、東西の見沼代用水と中間の芝川とを結ぶ見沼通船堀
の東縁東端へ。そばの休憩舎に、通船堀や見沼開拓と見沼代用水路の説明パネルがある。

 見沼通船堀は、享保16(1731)年に井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)
によりつくられたわが国最古とされる閘門(こうもん)式運河。

 東西の代用水路と芝川戸との水位差が3mあるので関を設け、水位を調節して船を上下
させ、周辺の村々から江戸への年貢米輸送などに利用したという。

 そばに近年復元したらしい関があるが、水は涸れていた。少し進むと水が流れていたが
流量は僅かである。


 芝川の左岸に出ると、南側の県道際に水神社がある。水神社は、享保17(1732)
年の創建とか。この周辺には河川輸送に携わる人たちが住んでおり、水難防止を祈願して
祭ったという。
     

 神社の西側には、井沢弥惣兵衛に従い見沼開拓事業に参加し、完成後は幕府から通船堀
の差配役に任じられた鈴木家住宅があり、現在は国指定史跡となっている。



 主屋(おもや)以外は公開されていたので主屋の背後に回り、納屋と米蔵、別の建物に
展示されていた「ひらたぶね」の復元模型を観覧する。



 芝川右岸↑に戻り、通船堀の西縁を進む。こちらの方が樹木が多く、暑い日差しを遮っ
てくれる。
     

     
 西端近くまで進んで流れの南に回り、竹林の間の遊歩道を行く。
        
  
     
 西端にある竹林公園で通船堀西縁が終わり、南北に流れる↑見沼代用水西縁を少し北へ、
ゴールのJR武蔵野線の東浦和駅に15時56分に着いた。


 この日のさいたま市の最高気温は、ゴール間近い15時42分に32.5℃。熱中症に
はならなかったがかなりの倦怠感だったので、散会後すぐに帰途につく。

(参加 13人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 川口市、
 さいたま市緑区、歩数 20,300)






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オスプレイらしいのが先ほど所沢市上空を飛行した(埼玉)

2018-07-11 18:30:13 | 所沢だより
 2018年7月11日(水)

 暑さもやや治まった日暮れ前、庭に出て日よけにしているゴーヤーなどに水やりしてい
たら、18時05分から10分の間の頃、上空にヘリコプターにしては少し重々しい音が
聞こえてきた。

 上を見たが機影は見えない。でもだんだんと音が近づき真上に見えた機影は、どうやら
オスプレイのよう。カメラを取りに家に入っても間に合いそうにないので見上げていたら
東から西へとほぼわが家の上空を過ぎ去った。

 つばさの両翼に縦に回るプロペラが付いていたので、多分オスプレイだろう。

 数日前、オスプレイが通知も無く米軍所沢通信基地に降りて、すぐに横田基地に向けて
飛び立ったという情報が新聞の埼玉版にも掲載されていたが、今回も米軍所沢通信基地か
ら横田基地に向かったのではないかと思われる。






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JR東日本駅からハイキングで縄文遺跡の里 一戸を歩く(岩手・一戸)  

2018-07-06 14:09:32 | JR東日本駅からハイキング
 2018年6月26日(火)

 宿泊した弘前駅前のビジネスホテルを7時過ぎに出て、JR弘前駅7時26分発奥羽本
線下り電車に乗る。

 新青森駅から東北新幹線上りはやぶさ12号で二戸(にのへ)駅へ。

 さらにIGRいわて銀河鉄道の上り電車に乗り換え、次の一戸(いちのへ)駅に9時
44分に着いた。


 駅の出札口で駅からハイキング「一戸町並みアートを巡る」の受付を済ませ、9時52
分にスタートする。


 ちなみに、一戸町は岩手県内陸北部に位置し、北上山地と奥羽山脈に囲まれた丘陵地。
総面積三百㎢中のうち山林・原野が61%とか。一級河川馬淵川が町のほぼ中央部を北に
向かって貫流し、市街地はその河岸段丘上に発達しているという。
       
 一戸の由来は諸説あるようだが、平安末期から名馬の産地として知られ、その牧場を一
から九の戸に分けたことからといわれているようだ。

 線路に沿って東側を南北に走る県道二戸一戸線の、すぐ東を平行する旧道に入って南へ。
家並みの間から学校の尖塔やその近くのドーム屋根などが望まれる。



 細い十字路際にあった「フードショップまつだ」には、交通安全の大きなカエルが立っ
ていた。
       


 近くの民家の庭には、どこも花が咲き競っている。



 旧道は県道に合してすぐ先で馬淵川が近づく。

           
 県道とのT字路にかかる碧(みどり)橋には、田村史郎氏作のブロンズ像「春夏秋冬の
像」が橋桁の四隅に立っていた。
        



            
  
        

 一戸町は美術の町なのだろうか、近くの掲示板には近く開催される「一戸美術展」のポ
スターがある。
       

 信号のある交差点で県道を離れて東へ。すぐ先、一戸南小のコンクリート造りの建物は
安藤忠雄氏の設計とか。

 離れて見る場所がないので全体像は分かりにくい。


 道路を挟んで北側の狭い境内には関屋大日堂が祭られていた。鎌倉後期から南北朝時代
のものと考えられる板碑が2体あるというが、どれなのか確認できなかった。


    


 学校の東で馬淵川の岩根橋を渡ると緩やかな上り道となり、Y字路で帰路となる道と合
する。少し先に、古くから地元の人に親しまれていたと思われる理容店がある。



 周辺の庭先にアジサイやバラなどがきれいに咲き競う。


 道路下の民家はもう冬の準備だろうか、まきがたくさん積み重ねられていた。



 国道4号線の下を四角いトンネルで抜けて、さらに緩やかな上りが続く。左手急階段上
に見える稲荷神社を過ぎると住宅が減り、ウグイスがしきりにさえずる。

 墓地と町営火葬場の間を進み、御所野縄文公園の入口に10時45分頃着いた。

 御所野縄文公園は、縄文時代中期後半(4000~4500年前)の大規模な集落跡で
ある御所野遺跡につくられたもの。

 御所野遺跡は、7万5千㎡に及ぶほぼ全面にわたり800棟以上の竪穴住居が見つかり、
平成5(1993)年に国指定史跡になったという。

 御所野遺跡や青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡など、岩手、青森、秋田3県
と北海道の「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」は、世界文化遺産の暫定リストに
登載されている。


 2003年にグッドデザイン賞を受賞した木造の長い釣り橋「きききのつりはし」を進
むと、御所野縄文博物館の入口に着く。

 今日一番の見どころを思われるので観覧することにした(300円)。


 1階の展示室1「焼けた住居の発見」では、ガラス張りの床下に4000年前の焼失住
居跡を展示し、さらに国内外の復元した竪穴住居や遺跡から出土した土器などを展示して
いる。




 展示室2「御所野縄文ワールド」では、季節ごとの縄文人の生活の紹介と、出土した土
器や石器など生活道具、まつりの道具などが展示されていた。




 2階の展示室3「火とまつり」は、町内の蒔前(まくまえ)遺跡と山井遺跡から出土し
た、縄文晩期の精巧な亀ヶ式土器などが並ぶ。

    
     蒔前遺跡から出土した鼻曲り土面(国重要文化財)




 その横の展望室からは、遺跡公園内に広がる遺跡などが展望できる。


 30分ほど観覧して博物館を出て、西側一帯に広がる公園内を一巡することにする。


       


 博物館に近い「東むら」のエリアには、いくつかの竪穴住居と掘立柱建物が復元され、
各々の内部も見られる。



 南側には「縄文体験施設」と呼ぶ大きな竪穴式の建造物もある。



 広い芝生地を中央部に進むと「中央むら」で、復元住居も一番多く、掘立柱建物も幾つ
か並んでいる。



 復元住居の周囲には大きな栗の木が何本もあり、豊富な花を見せる。








 南側の周遊路沿のヤマボウシも白い花がいっぱいで、遠くからも目についた。



 西端近くの「西むら」には、平成11(1999)年の縦穴建物の火災実験跡↑がその
まま保存されていた。ここにも数棟の復元建物が並んでいる。




 正午近くなったので、西むらにあった木のベンチに腰を下ろし、間近にウグイスの声を
聞きながら12時まで昼食をした。



 公園の北側の周遊路を博物館前まで進んで「きききのつりはし」を入口に抜けて、12
時10分に御所野遺跡公園を後にした。

 往路は下り道、国道4号のトンネルの先まで戻ってY字路を右に上がり、沢田集落を北
へ進む。

 T字路で広い町道に出てすぐに左折してさらに北へ、町内で比較的開けたエリアのよう
で、薬王堂と呼ぶ薬局や県立一戸病院↓など大きな建物が続く。



 一戸病院の北側の花の丘公園には、舟越保武氏作の「春」と「濤」と呼ぶ若い男女のブ
ロンズ像が立っていた。
   

        

 すぐ先、十字路の北西側には図書館と一戸町コミュニティセンターの入るドーム屋根の
独特なデザインの建物が目につく。建物は木造のよう。



 広い道路を北東に向かうと一戸小が近づく。スタート直後見えたのが、この小学校の尖
塔とコミュニティセンターだと分かる。

 時計を見て次の下り電車に間に合いそうなので、少し近道をすることにした。一戸小の
手前の細道を下り、馬淵川の西方寺橋を渡り、一戸駅に12時50分に着いた。


 13時発IGR岩手銀河鉄道下り電車で次の二戸駅まで戻る。二戸から東北新幹線上り
はやぶさ20号で盛岡駅まで行き、次のはやぶさ22号に乗り換える。大宮駅に16時6
分に着き、自宅には17時30分に帰宅した。

(天気 曇、距離 6㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 一戸)、
 歩行地 岩手県一戸町、歩数 13,000)





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JR東日本駅からハイキングで りんごの里 板柳を歩く(青森・板柳)

2018-07-04 22:33:14 | JR東日本駅からハイキング
 2018年6月25日(月)

 JR盛岡駅7時59分発東北新幹線下り、はやぶさ95号に乗る。


 新青森で奥羽本線、弘前で五能線直通列車↑に乗り継ぎ、五能線の板柳(いたやなぎ)駅
に10時51分に着いた。
   

        



 今日は、JR東日本「駅からハイキング」の「りんごの里板柳・岩木山眺望コース」を
歩く予定である。駅員に受付場所の「板柳町ふるさとセンター」を聞くと、駅前の交差点
を左折して15分くらいとのこと。駅からハイキングで、そんなに離れた受付場所は初め
てだが、地図など駅には用意してない。

 幸い、自分で用意した2万5千分の1「板柳」にふるさとセンターの表示がある。それ
を頼りに、10時55分に駅を出た。

 駅前の交差点を左折して南へ、ニセアカシアの街路樹の続く通りには歩道があり、交通
量も少ない。少し進むとりんご畑が現れ、小さい実が赤く色づいていた。
    


 沿道に板柳りんご商業協同組合や民間の有津川りんごセンターなど大きな建物が現れ、
りんごの里であることが実感される。


    

 700mほどで変則十字路を左に入ると、広いエリアに幾つもの建物が目につく「板柳
町ふるさとセンター」である。

 ちなみに、板柳町は津軽平野のほぼ中央に位置するりんごの里。西に津軽富士・岩木山
を望み、岩木川水系の沖積土壌で形成された豊穣な土地を利用した米とりんごの町のよう。
     

 町の約3割がりんご園で、生産量3万2千トンを誇る国内有数のりんご生産地。全国初
のりんご専門市場「津軽りんご市場」があり、りんご産業をより活性化させているという。

 ふるさとセンターは、①りんごによる地場産業起こし、②体験農業の推進、③新しい
農業技術の提供の三つを目的に、町の経済活性化拠点として昭和61〈1986〉年に建
設されたようだ。


 高い塔の目立つ本館の前にある観賞池の横から南側に進むと、りんご園の向こうに日本
百名山で青森県最高峰の岩木山(1,625m)が望まれる。


 中央部にある総合案内所が、駅からハイキングの受付場所。


 受付を済ませて地図をもらうが、曲がり角などの目印は無く、方位や距離もかなりラフ
なもの。初めて来た人には何となく心許ない地図だ。

 案内所に近い青柳館には大浴場があるらしい。



 南東側の「Ringo Work」と書かれた建物はレストランのある工芸館で、売店と喫茶室
もある。建物の前に止まっていた、りんごカラーの板柳町のバス。


 駅からハイキング参加者には、売店でりんごジュースのサービスがある。ジュースをい
ただき、11時38分に出発した。



 芝生広場で休むのは保育園児だろうか、近くに「ニュートンのりんごの木」があった。
17世紀、ニュートンが万有引力を発見した英国のニュートン生家の木の、接ぎ木の孫の
木のよう。


 ふるさとセンターを南端から出て国道339号を横断し、北に流れる岩木川の右岸堤防
に出る。広々としたりんご畑の向こうに岩木山が一望である。


 堤防上は向かい風がかなりあり、半袖では涼しいくらい。少し進むと岩木川の堤外(堤
防に挟まれて水が流れている側)にもりんご園が続いている。

 駅前から伸びる通りの幡龍橋の近くまで進むと、堤外の一帯は岩木川河川公園で、スポ
ーツイベント広場↓やピクニック広場、駐車場などがある。


 ソメイヨシノやクロマツの多いピクニック広場に11時58分に下り、岩木山を眺めな
がらベンチで昼食にした。



 12時20分に出発し、堤防上からその先の花の広場にある日時計を見下ろす。橋を横
切りさらに堤防上を進む。


 河口の十三湖から42.1㎞の標識の立つ辺りで流れは左に離れ、その先堤防の両側は
りんご畑が続く。西北に望む岩木山の山容も少しずつ変わってきた。






 受付でもらった地図では、板柳警察署近くで堤防から離れるようになっているが。それ
らしい建物は見えず地図がかなりあいまいで目印など何も記されてない。

 41.8㎞点の先で堤防を下りて折り返す土道があったので、この道を行くことにする。
その道沿いのりんごの古木は、かなり実が大きくなっていた。


    


 国道に出て少し戻ると大蔵町バス停があるが、そのT字路には警察署はない。反転して
進むと、次の交差点際に板柳警察署があった。


 T字路から町道を東に少し、小さい流れ沿いに2.1㎞伸びる「中央アップルモール」
と呼ぶ板柳町歴史の散歩道の北端の表示があったので入る。

 赤レンガ色に舗装された散歩みちには、「りんごの歌謡曲」、「りんごの品種紹介」、
「りんごの家庭料理」などの紹介パネルが立ち、ところどころにりんごを形取った水飲み
場もある。
       
 

 東屋(あずまや)のある船岡公園を過ぎ、左に90度カーブして東に向かい、日本庭園
風のところで再び右にカーブして南に進む。








 右手に見えた大善寺と長延寺には寄らずに過ぎ、駅から伸びる県道の北側にある町役場
横まで行く。

       
 カエデだろうか、やわらかな黄緑の若葉の彩りが青空に映える。人工の池にりんごのモ
ニュメントが並び、与謝野鉄幹・晶子夫妻の石造の歌碑や寄棟屋根の休憩所が設けられて
いる。


       

 板柳町の沿革をきめ細かく記した大きな石碑もあるが、石に刻まれた文字は光の反射で
読みにくくく、金をかけた設備と思われるが丹念に読む人は少なそう。


 コースもほぼ半ばのようで、県道の南側は公園のような広場になっていて、トイレもあ
る。


 ここでいったんアップルモールを離れ、コース外だがその先の正林寺に寄るため西側に
平行する通りに回ることにした。


 役場の前に「りんごまるかじり条例制定の町」のパネルがある。
             

 岩木山の見える商店街をすぐ、次の十字路を南に入って正林寺へ。

 正林寺は、万治2(1659)年弘前の真教寺により開基されたとか。山門を入ると大
本堂が正面に構える。

     
 境内には松の高木が目につき、本堂前の何本かのモミジが秋のような彩り。
  

       
  

 通りは古くからの街道のような雰囲気で、かやぶき屋根にトタンをかぶせた民家が2棟
残っていた。





 突き当たりは海童(かいどう)神社で、豊富な鎮守の森に覆われている。拝殿の横から
入ったので西側の鳥居に回り、改めて正面の石鳥居から参道を進む。



 海童神社は、文禄2(1593)年に弘前藩初代藩主、津軽為信が秀吉の朝鮮征伐軍を
派遣したとき、海上安全国土繁栄の祈願のため宝量宮と名付けて建立され、現在地には承
応元(1653)年に遷宮したという。

 石鳥居を入ると左手に池があり、中の島に龍頭観音が祭られている。


      
 朱塗りの二の鳥居の近くには、板柳出身の出羽部屋の力士で相撲道の哲人と呼ばれた桜
錦利一関(1916~62)の胸像があった。
         

 拝殿左手の平和観音堂近くには、「月夜見命」と「猿田彦大神」と刻まれた大きな石碑
が並んでいる。


 東側のアップルモールに戻ると、間もなく家並みが途切れて両側はりんご畑となる。


    
 「りんご栽培の四季」のパネルがあり、りンゴ畑のりんごはかなり膨らみ、摘果をして
いるりんご畑も見られた。






 車道を斜めに横断して間もなく、中央アップルモールのゴールとなるふるさとセンター
に戻った。


 池の横やアップルモニュメント↑、工芸館の横などを通過して総合案内所に14時15分
に入り、ゴールの報告をする。



 ふるさとセンター内の施設の一つ「とれたて市」と呼ぶ農産物直売所を少しだけのぞく。


 板柳駅には14時39分に戻った。


 14時55分発JR五能線下り弘前行きに乗る。15時24分に弘前駅に着き、今日宿
伯する駅前のビジネスホテルに早着した。

 この日、関東などは35℃を超す猛暑日の地が多く厳しい暑さだったようだが、板柳は
21℃前後で爽やかな北からの風が気持ちよく、終始岩木山を眺めながらのりんごの里歩
きを楽しんだ。

(天気 快晴、距離 7㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 板柳)、
 歩行地 青森県板柳町、歩数 15,600)





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JR東日本駅からハイキングで武家屋敷の角館を歩く③(秋田・仙北)

2018-07-03 16:47:04 | JR東日本駅からハイキング
 2018年6月24日(日) 〈続き 下〉



 青柳家の北側の石黒家は、角館に現存する6軒の武家屋敷では最も古い約200年前の
建築とか。間取りは当時とほとんど変わらず現在も子孫が住み続け、一部を公開している。


 石黒家は、佐竹北家の勘定役(財政担当)を努めていた最上級武士の家でもあり、唯一
座敷に上がって係員から随時説明を受けることができる(入館料400円)。



 屋敷内で明治・大正期に増築した土間や蔵が展示室になっていて、解体新書の挿絵など
古文書、武具刀剣や甲冑類、江戸末期の町割絵図、雪国の生活用具などが展示されていた。










    


 石黒家の西北の十字路から北が表町上丁で、この辺りには何台かの人力車が観光客を案
内していた。


     
 十字路の北西側は、アカマツなど太い樹木が残る佐竹北家重臣の屋敷跡で、旧制県立角
館中学校のあった場所でもあるとか。その西側部分に平福(ひらふく)記念美術館がある。

 平福とは、近代日本画の巨匠といわれた郷土画人の平福穂庵(すいあん)・百穂(ひや
くすい)父子のこと。館は平福父子を始め多くの郷土画人の顕彰施設として建てられたと
いう。どのような作品か入館して観覧することにした(300円)。
     
 展示室では「郷土画人展~秋田が誇る作家たち~」を開催中で、仙北市出身の画家が描
いた作品が中心。角館出身の平福穂庵や百穂父子とその弟子たちの近代日本画の作品が展
示されていて、いずれも見応えのある作品ばかりだった。

 会場内は撮影禁止なので、もらったリーフレットから4点の作品を紹介する。


         



             

 ここで国の伝統的建物群保存地区のエリアが終わり、北側の国道341号・角館街道を
西へ、すぐに桧木内川(ひのきないがわ)の古城橋を渡り右岸へ。

 両岸には桜並木が続き、花の見頃は4月下旬~5月上旬のよう。今歩いてきた武家屋敷
の家並みは、桜並木に隠されていた。





 右岸を南へ、次の横町橋まで進んで橋を渡り、桜並木の下をさらに進んで内川橋際で川
を離れた。



 折り返すように少し北進して東へ進んだT字路際の本明寺↑に入ったが、説明板などは
ない。コース外だがT字路を北に300mほどの薬師堂↓まで行く。

 角館城主・戸沢能登守の眼病がこの薬師に祈願したことから治癒し、その霊験が薬師信
仰として民衆に広まったとされるよう。隣接する報身寺↓にも参拝した。


 戻る途中、少し奥まった常光院へも立ち寄る。佐竹家の菩提寺で、本堂は明和2(1765)
年の建立とか。


 墓所は非公開のようだが、一般墓地の南東端に市史跡「戊辰(ぼしん)戦役戦没者墓地」
があった。

 慶応4(1868)年の戊辰戦争で秋田藩は新政府側の立場をとって奥羽諸藩と戦い、
常光院は戦時病院の役割を担ったとか。その際の角館戦線の犠牲者、平戸藩7名、長州藩
1名、薩摩藩1名などが戦没者墓地に埋葬されていた。
         
  

 T字路に戻って東へ、次の車道との交差点の南西際には学法寺があり、日蓮聖人立像の
下に、「お勉強じぞう」が祭られている。
         

 東進して次のT字路を南進し、赤れんが造りの安藤家に立ち寄る。安藤家は嘉永6(1853)
年創業で、味噌・醤油の醸造元として知られ、れんが蔵は東北最古とか。


    
 店の前には、味噌・醤油の醸造に使われている「仕込水」と呼ぶ井戸水が掛樋(かけひ)
から流れ出ていて、飲めるようになっている。


 れんが造りの蔵座敷の内部も無料公開されていたので観覧する。

 特に蔵の扉の重厚さや飾り絵、端正で直線的な座敷や家具などに商家の古い歴史が感じ
られた。






     
  

 一つ東の田町武家通りで折り返して北へ、旧角館製糸工場↑や鬼川医院前↓を過ぎる。





 往路の最初に通った駅通りの角まで戻ると、蔵造りの新潮社文学館↑と武家屋敷の一つ
西宮家があるが、西宮家の門前から大きな屋敷を望む↓のみとする。



 駅前通りを逆行して、角館駅には16時45分に着いた。予想以上に見どころが多く、
もう少し時間をとりゆっくり観たいところもあったが、主なポイントは巡ることができた
のでほぼ満足した。

 16時59分発、秋田新幹線こまち32号に乗る。


 今日の宿泊地盛岡駅に17時48分に着き、駅前のビジネスホテルに入る。

(天気 晴、距離 6㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 角館)、
 歩行地 秋田県仙北市、歩数 16,500)





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JR東日本駅からハイキングで武家屋敷の角館を歩く②(秋田・仙北)

2018-07-02 22:46:01 | JR東日本駅からハイキング
 2018年6月24日(日) 〈続き 中〉

 角館伝統的建造物群保存地区の中央部にある角館樺細工伝承館の観覧を終え、北に延び
る表町下丁に入り、天正8(1580)年から続く角館武家屋敷の最も代表的な武家屋敷
で、「角館歴史村」とも呼ぶ青柳家に入る(入村料500円)。






 3千坪あるという屋敷内は種々な草木に覆われ、その中に資料館になっている武器蔵、
解体新書記念館、秋田郷土館、武家道具館、ハイカラ館をはじめ、幾つもの建物が散在し
ている。


 門を入った正面の主屋(おもや)は、かやぶき屋根。



 最初に門の左手の「武器蔵」に入ると、数々の甲冑や刀剣などが展示されていた。
     





     

 その先のシンプルな建物は「解体新書記念館」。

 解体新書は、安政3(1774)年に日本最初の本格的な西洋医学の翻訳書として発行
された。その附図を描いたのが角館の武士で青柳家の親戚にあたる小田野直武。

 ここでは直武の偉業と解体新書の附図などを紹介している。




     






 屋敷内から出る神明水の周辺は豊富な緑に覆われている。


 その横を奥に進むと小田野直武の胸像がある。小田野直武は寛延2(1749)年にこ
の地で生まれ、安永9(1780)年にこの地で謎の死を遂げたという。
         


 背後には、「小田野直武秋田蘭画の歩み」という絵とその説明を記したパネルが並んで
いた。
  

       
  

 屋敷の北東端付近に進んで「秋田郷土館」へ。



 展示室は2階で、幾つかの部屋に郷土資料や幕末から明治時代の貴重な写真、古いレコ
ードや蓄音機など、興味深いものが多い。
    
     スフィンクスを背にしたサムライ 

        

          
           徳川慶喜公 

    

         
          浅草十二階塔








   
     

           


 1階では、庭を眺めながら抹茶を楽しめる茶楼や、伝統工芸品樺細工の紹介や直売をし
ている。
     
  

 小さい流れを横切り南側に回る。「葉桜庵」と呼ぶ小さい小屋には、農具や家具、竹製
品などが並ぶ。


     
  

 西側の蔵造りの建物は「武家道具館」。青柳家に代々伝わる文献書籍、押絵、焼物、絵
皿など、当時の武士の生活様式を伝える武家道具が展示されている。











 敷地の南東端付近の建物には「稲庭古来堂」の看板がかかり、秋田の食文化300余年
の伝統を伝える稲庭古来うどんが味わえるよう。



 独特な土蔵造りの建物は「ハイカラ館」。
     

      
 平賀源内や小田野直武など角館ゆかりの先人の先取的思想とハイカラ思考を受け継ぐア
ンティークミュージアムのよう。





 たくさんの掛け時計や蓄音機、カメラなどに目を奪われた。そばには、小さな社殿の青
柳神社が祭られている。
     


 一巡し終えて敷地の南西側に戻り、主屋の前から50分近くかけて観覧した青柳家を後
にした。〈続く〉







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JR東日本駅からハイキングで武家屋敷の角館を歩く①(秋田・仙北)

2018-07-01 21:45:56 | JR東日本駅からハイキング
 毎年梅雨どきに発売されるJR東日本全線乗り放題の「大人の休日倶楽部パス(東日本)」
を利用して、JR東日本「駅からハイキング」の「東北応援コース」に参加し4年ぶりに
北東北3県のコースを歩いた。


 2018年6月24日(日)
 == 角館の武家屋敷通りと桧内川堤を歩く ==


 自宅を6時24分に出て、JR大宮駅8時6分発秋田新幹線こまち49号に乗り、角館
(かくのだて)駅に11時18分に下りた。


 JR角館駅



 駅前の蔵造り風建物にある仙北市(せんぼくし)観光情報センター「角館駅前蔵」で受
付を済ませ、11時30分にスタートする。コースのタイトルは「文化、歴史の武家屋敷
通りと原風景の桧内川堤を歩く」である。


 駅通りを西北から西へ、600mほどにあった松庵寺に入る。参道横に「小田野直武
(おだのなおたけ)碑」が立っていた。
       
 日本初の西洋医学書の訳本「解体新書」の挿絵を描いた人で、碑の題字は徳富蘇峰だと
いう。


 山門を入った境内はそう広くはなく、その一隅にたくさんのお地蔵さんの並ぶ地蔵堂が
ある。



 中心街に入り、角館町中町のT字路際にある郵便局は蔵造り風。右折して北へ、「外町
(とまち)史料館たてつ」が公開されていたので入る。

 田鐵(たてつ)家は藩政時代から続く商家で、建物左手に緑豊富な庭園が長く伸びてい
た。
     
  
 庭園を奥まで進むと江戸末期に建てられた蔵を活用した史料館があり、江戸末期から昭
和初期に至る趣味の所蔵品や生活用品などが展示されている。







 通り側にある店の建物では、角館の土産物などを販売していた。


 ちなみに外町とは、この先の武家屋敷を「内町(うちまち)」というのに対し、商家の
エリアを外町(とまち)というらしい。


 和風建築の北都銀行前を過ぎ、次の横町十字路際にあった「食彩町家館」に正午近くに
入る。



 2階の「かくのだ亭」で「稲庭冷がけうどん(1100円)」を注文して昼食にした。
    

 

 1階は土産店になっている。


 横町十字路の北側一帯、本町の表町・東勝楽丁の武家屋敷の町並みが、国の伝統的建造
物群保存地区に選定された「仙北市角館伝統的建造物群保存地区」である。
  
 角館は中世以来の城下町だが、元和6(1620)年に当時の城主芦名氏が、古城山北
麓からこの地に移転したのだという。

 新しい城下町は、四囲を丘陵と河川に囲まれたた要害の地に整然と造られ、中央部に広
場(火除け)を設け、北側を内町と呼ぶ武士居住区域、南を外町と呼ぶ町人町とする町割
りをしており、現在も当時の町割りをとどめている。


 市役所角館庁舎横から北に伸びる東勝楽丁に入ると、両側に緑豊富な武家屋敷が並び、
背の高いモミの木やシダレザクラの古木、黒塀いの続く独特の景観が目に入る。
     

 右手最初の武家屋敷は小田野(おだの)家で、松庵寺にあった解体新書の挿図や蘭画で
名高い小田野直武の家とか。小田野家は武芸に秀で、また眼科医としても名をなしている
という。




     
    

 次の河原田家は、主屋の改修工事中で公開してない。


 小田野家の前や河原田家の横には稲庭うどんの店があり、そばに角館武家屋敷史料館が
目に入ったので入館した(300円)。


     


 館内には佐竹北家本陣の旗、藩主佐竹義厚の書、佐竹義宣公肖像、秋田家の古文書、駕
籠(かご)、武具、諸道具などが展示されていた。
       








 その先で公開されていた岩橋家の建物は江戸末期に改造され、屋根もかやぶきから木葉
(こば)ぶきに変わったようだが、角館の武士の生活の雰囲気をいまに伝え、屋敷内には
仙北市天然記念物で樹齢約280年というカシワをはじめ、アカマツやクリなど豊富な樹
木に覆われている。




     


 岩橋家の先で東勝楽丁の家並みが終わり、鍵の手で西にずれて次の東丁の家並みに続き、
その入口に「角館樺細工(かばざいく)伝承館」がある。


 昭和53(1978)年、角館の伝統工芸品である樺細工の振興と観光拠点の役割を担
って開館したとのこと。樺細工や工芸品、歴史資料などを展示しているようなので入館す
る(300円)。


 ホールには、ユネスコ無形文化遺産に登録された角館祭りやま行事のミニチュアが展示
されていた。


    
 展示室には、「型もの」と呼ぶ煙草胴乱(どうらん)や印籠(いんろう)など、「木地
(きじ)もの」と呼ぶ文箱や硯箱(すずりばこ)、宝石箱、テーブル、茶たんすなど、
「たたみもの」と呼ぶ胴乱(どうらん)や値付け、ブローチ、ペンダントなどが展示され
ている。


    



  ちなみに樺細工とは、山桜の木肌を用いて造る工芸品。200百年以上前に武士の手内
職として、修験者の御処野家(北秋田市)から伝承されて始まったよう。戦前には民芸家
・柳宗悦から情熱的な指導を受け、現在もものづくりの大きな支えになっているという。


 奥の展示室では、武具、甲冑(かっちゅう)、塗り物、古文書など武家資料、佐竹北家
ゆかりの品や民芸品、民俗資料などが展示されていた。


     
  

 樺細工や地元物産を中心の売店もある。〈続く〉




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