あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

年の瀬に咲き出した紅梅とロウバイ

2015-12-30 17:02:00 | 所沢だより
 2015年12月30日(水)

 今年もあと1日余りとなりました。このところ、1月前の山下りで痛めたの右足首背後
付近の筋肉痛が回復せず、整形外科に通って治療していたのですが、昨日で年末の治療は
終ってしまいました。

 まだ市内を往復5㎞くらい歩くのが限度で、それ以上になると痛みが増えそうなので自
粛している毎日であり、家の周囲を巡るだけなので、ブログにするものもありません。

 そこで今日は、同じ町内で見かけた、年末にしては少し早目の花などの紹介に留めます。

 毎年、新年になって1月中旬頃だったか、ほかより早めに咲き出す古くからの民家の紅
梅が、暖冬の今年はもう咲き出しました。




 この木が咲き出したことを教えてくれたのは、数日前にわが家に届け物に来たZさんか
らでした。
    



         
 ここを通れば、しばらくは紅梅の彩りが楽しめそうです。

 こちらも、毎年どこよりも先に開花したことを知る、近くの民家のロウバイ。今年もや
はりトップで、まだ葉がたっぷり付いたままで咲き出しました。


    



          

 さらにわが家に近づくと、黒い実は落ちてしまいましたがさやの残るゴンズイが。
    

 その横には、あちこちで見られるピラカンサの実が、ここでもたくさん見られます。


    

 こんな話だけで今年の締めとなりそうな、ちょっとさびしい私の年末です。




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JR武蔵野線吉川駅の南側、中川沿いを歩く(埼玉)

2015-12-21 21:25:00 | カタツムリ歩行
 2015年12月20日(日)

 JR武蔵野線の沿線とその周辺を歩く「続カタツムリ歩行」の第30回例会に参加した。
集合はJR武蔵野線の吉川駅、快晴の駅南口を9時58分にスタートする。

 10月18日(日)の前々回の例会後、私はこの吉川駅まで歩き、南口の駅前広場にあ
る金の大ナマズを紹介したが、今日のスタートは、ナマズの前から南側の木売(きうり)
二丁目へ。


 まず、すぐ近くの住宅に囲まれた熊野山神社に参拝する。


 南に進むと公園があり、近くのW家の道路際に見事な松の古木が見えた。市の文化財に
しても良さそうな木だが、標示などはない。


 その先の清浄寺(しょうじょうじ)へ東側から入ると、境内はそう広くはないが樹木の
多い正面にどっしりした本堂が立っていた。

 親鸞聖人が、弟子の西念(親鸞二十四輩の一人)に命じて造立したと伝えられていると
いう。

 道路際で、小さな「親鸞聖人御幼少の像」が迎えてくれる。
   

 その先には、古い本堂に上がっていたらしい大きな鬼瓦が保存されていた。


    本堂の右手に、散り始めたモミジが残り、暖かな日射しを受けている。
    

 本堂の左手手前の墓地際には、埼玉県指定記念物(史跡)という「南無仏板碑」が立っ
ていた。
        
 正安3年(1301)の建立で高さ2.2mあり、吉川市で最大の板碑とか。薬研(や
げん)彫りといわれる方法で彫ったもので、鎌倉時代の特徴を良く現した禅宗風板碑だと
いう。

 道路を挟んだ東側は清浄寺史跡公園で、「おむくの池」と呼ぶ石柱に囲まれたところに
は、「親鸞聖人御木像出現池」の標石が立っていた。


 そばの道路の街路樹はハクモクレンだろうか、つぼみがかなりふくらんでいる。
         

 吉川駅前郵便局の前を進んで南側の高富一丁目に入ると、蕎高(そばたか)神社が祭ら
れていた。

 境内は少なく、樹木も松1本のほかに目立つ木は無い。神社の祭神は高木大神と呼ばれ、
商売繁盛の神とされ、高木の神とも記されているが、標札の文字がかすれていて、それ以
上ははっきりとは判読しがたい。

 拝殿上部には2つの掲額があり、こちらは右手で、明治15年(1882)2月に奉納
されたもの。
    

         
 拝殿の前には小さな猿田彦神社が祭られていた。中をのぞき込んだIさんが、祭られて
いるのはお猿さんのようだという。これがその石像。
         

 高富一丁目にも公園があり、2日後が冬至なので10時40分頃でも、木の影が長く延
びている。


 さらに南進して高久(たかく)一丁目に入る。ここにも高久蕎高神社が祭られていた。

 祭神はやはり高木の神で、本社は千葉県佐原市大倉の蕎高神社。古来から香取神社と深
い関わりを持つとか。境内には長禄4年(1460)の板碑があるというが、見つからな
かった。

 町内の住宅地を南西に進んで、中川左岸堤に近い密厳院(みつごんいん)に行く。すで
に葉は落ちているが、境内中央に立つ大イチョウがまず目に付いた。
     
 埼玉県指定天然記念物で、高さ約30m、太さ5.34m、根回り12.05m、樹齢
約800年と推定され、雌木で数多くのギンナンをつける大イチョウとしては関東一とさ
れ、古来から「子育てイチョウ」として親しまれているという。

 本堂は、鉄筋コンクリート2階建ての堂々たる造り。

 密厳院の開創は800年以前、檀林所(だんりんしょ・仏教寺院における僧侶の養成機
関)として末寺4か寺、門徒寺12か寺を支配したとのこと。 

 慶長6年(1601)、徳川家康から新田開発の命を受け、成功後の慶安元年(1648)
には徳川家光から御朱印を受領し、本堂には徳川家歴代の位牌が安置されているとか。

 本尊の地蔵菩薩は恵心僧都(えしんそうず・942~101)の作、子育て安産の地蔵
尊として広く尊信を受けているという。

 境内南側には所願成就と健勝祈願のため、四国八十八か所、西国三十三ヵ所、坂東三十
三ヵ所、秩父三十四か所と京都東寺、高野山奥之院などの「お砂ふみ百九十ヵ所霊場」が
設けられていてたので、時計回りに一巡して祈願した。


 境内南東側に堂々と立つ鐘楼。


 ここから折り返して北に向かう。密厳院墓地の北側に接して観龍院(かんりゅういん)
がある。

 開山は天文年間(1532〜1555)と伝えられ、堂内には阿弥陀如来、正観世音菩
薩、六観世音菩薩が安置されているとのこと。

 寺は、元禄10年(1697)から開かれている武蔵国新西国三十三ヶ所霊場の第8番
札所になっており、新四国箇領八十八ヵ所霊場の58番札所でもある。

 ちなみに、新四国四箇領八十八ヵ所霊場とは、中川の両岸沿いにある四ヶ領(葛飾郡東
葛西領、葛飾郡二郷半領、足立郡淵江領、埼玉郡八条領)の弘法大師像を巡礼する霊場で、
天保12年(1814)に開創されたという。

 本堂右手前には、金刀比羅宮(左)と七福神(右)を祭る小さな社が並んでいた。


 境内には、ぼけ除けおさすり地蔵も安置されていた。頭をおさすりるとぼけないような
ので、ゆっくりとおさすりしてお祈りした。
         

 中川左岸沿いの県道67号に出ると、これから渡る新中川水管橋の4連アーチが近づく。


 太い水道管の上を歩道とした橋で、ゆったりと流れる中川が見下ろせる。

 上流に見えるのは、JR武蔵野線の橋りょう。

 こちらは右岸下流側。


 流れの右手南方には、東京スカイツリー(634m)が望まれる。


 渡り終える辺りからは、南西に畑や雑木林が見下ろせる。


 橋を下りて越谷市に入り、真っ直ぐに進むと東町五丁目の古くからの住宅地に、珍しい
名の伊南理神社がある。狛犬(こまいぬ)の代わりにキツネが並んでいたので、やはり稲
荷神社と関わりがあるようだ。


 境内の北東側には、標高4.6mの三角点が残っていた。


 南西に少しで、小さい流れの橋を渡って草加市柿木町に入る。やはり古くからの住宅地
で、その中央部にある東漸院(とうぜんいん)の山門を入った。

 禅宗風の装飾を施し四脚門になっている山門は、明和以降(1764~)の建築と推定
され、保存状態が良く、越谷市指定有形文化財である。

 寺の創立年代は不明だが、室町時代(1500年ごろ)に定範という僧によって開山さ
れたと伝えられる市内最古の寺院。天正19年(1591)には、徳川家康より朱印地3
石を賜ったという。
 
 元禄年間(1688~1704)及び寛政年間(1789~1801)に2度の火災に
あい、現在の本堂は、寛政10年(1798)に再建されたといわれるとか。


 鐘楼は、山門とともに2度の火災からは焼失を免れているようだ。


 本堂の西側には、ケヤキらしい高木が並び立っていた。


 山門の前には、万治2年(1658)の造立で、高さ167㎝、幅70㎝の板碑型六地
蔵が高さ48㎝の台石に乗っていた。やはり市指定有形文化財である。
         
 板碑には、地蔵を3体ずつ2列に陽刻され、碑面左右の縁と下部には蓮華を陽刻してあ
るようだが、ややすり減っていて良くは認識できない。市内にある六地蔵37例の中では
最も古く、板碑型の碑面に6体をおさめた例は他になく、近世の歴史を知る上で貴重な歴
史資料といえるようだ。

 正午を過ぎたのでゴールに向かって急ぎ南下し、途中の白連寺には寄らずに通過した。
その東南側、広い敷地に豊富な樹木の茂る住宅の横を通過する。


 ゴールの八坂神社には、12時13分に入った。


 拝殿の横で昼食をして、写真撮影とミーティングとなる。社殿前には、この後でもらえ
る今年の観歩賞の副賞が並べられた。


 事務局のDさんから、今年の例会10回全部に参加したパーフェクトの観歩賞が5人ほ
どに授与され、次に9回の準パーフェクト以下、参加回数順に賞状が授与され、受賞順に、
並んだ副賞の中から欲しい品物を選んでいただける。


 私は9回参加の準パーフェクト、賞品はデジカメのメモリーに使える8GBのSDHC
メモリを選んだ。

 13時10分に散会となり、皆さんはスタートの吉川駅方面に向かったが、私は西側の
そうか公園を経て、隣の越谷レイクタウン駅に回ることにした。

 少し南下して西へ、南行と北行とが別線になっている国道4号・東埼玉道路を横断して、
広い園地のそうか公園に南側から入った。正面にメタセコイアの並木が続いている。



 左手に延びる、葉の落ちた桜並木の方に入って、修景池と呼ぶ池の南面から公園の西側
に向かう。


 池には、カモなどの水鳥がたくさん泳いでいた。




 2つある池の南側の池の、南西端辺りからの眺め。


 北側の細長い池の西側広葉樹林には、モミジが少しだけ残っていた。


 その近くまで行ったら、3週間前の山下りで痛めた右足首の裏側辺りが、また痛んでき
た。この先駅まではまだ2㎞余りあり、困ったと思うが歩くしかない。

 ゆっくりと進むことにして、公園の西側を流れる八条用水沿いの未舗装の車道を行く。


 県道380号に出て八条用水と分かれ、東に少しで、北に延びる広々とした田園地帯を
貫く道を北に向かう。

 田んぼの真ん中に、2万5千分の1地形図「越谷」にも記されている、携帯電話のアン
テナ塔らしい高い電波塔が立っている。
     

 周辺には、はるかに田んぼが続く。


 用水を越えた北側一帯も地図上は田んぼマークだが、柵が巡らされた雑草地になってい
た。越谷レイクタウンの市街地を、拡大するための用地として確保したのだろうか…。

 県立越谷高校の南側を走る用水路の北東側には、新しい街並みが出来ていた。


 越谷高の東側を進んで、JR武蔵野線の越谷レイクタウン駅南口に、14時25分に着
いた。


 ここで2か月前の例会の時のことを思い出し、南口と北口にあった近辺の観光地図を確
かめる。
    
 この地図の中央部に記された「越谷市指定有形文化財 旧東方村中村家住宅」のところ
について、何かお気づきでしょうか…。

 実はここが間違っていたことを、10月18日の例会の時に気付き、帰宅後に越谷市役
所にメールして指摘したところ、「違っていたので修正します」との返信メールを担当の
都市計画課からもらっていた。

 ここは、当日の地図では「越谷市指定有形文化財 旧東邦村中村家住宅」となっていた。
正しいのは旧東方村(ひがしかたむら)なのに、それを地図では村名も音読みした上で間
違えて「東邦村」にしていたのだ。

 旧村名などのところを切り貼りしたので、このように修正したことが分かるという次第。
これからも誤った地名表示などを見つけたら、関係機関に修正を要望することにしたい。

(天気 快晴、距離 ゴール4㎞、越谷レイクタウン駅通算8㎞、地図(1/2.5万)
 越谷、歩行地 吉川市、草加市、越谷市、歩数(通算)15,200)




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道路も線路も走れるショベルカー(埼玉・所沢)

2015-12-18 17:18:56 | 鉄道
 2015年12月18日(金)

 先月末頃からだろうか、西武池袋線西所沢駅構内下り方向の踏切際に、道路も線路も走
行できるショベルカーが留置されている。

 左側に駅に向かう道路があり、そこから線路上に置かれた仮設の古枕木上を走行して、
ここに入ったらしい。



 現在は道路を走るキャタピラーで地面に着いているが、前後にある鉄輪を下げれば線路
上を移動できるようだ。


 (株)富士交通研究所と書かれているので、西武鉄道がこの会社から借用して試験して
いるものらしい。

 用途は、線路を固めている砕石を交換する時にでも使うのだろうか…。

 アームには、移動式クレーン 1.7tと記されていた。

 ちなみに西武鉄道では、架線作業軌陸車というのが実用化されていて、やはり移動する
ときはゴムタイヤで道路上を進み、架線の交換や修理など現地での作業時は、線路に入っ
て鉄輪で移動するようになっている。

 これは道路走行状態。

 線路上を走行できる状態の軌陸車。


 作業時は屋根上の作業台が上下して、架線作業に良い高さに調整するようだ。


 この架線軌陸車は、昨年と今年8月の西武新宿線南入曽(みなみいりそ)車両基地での
「電車夏まつり」と呼ぶ公開日に撮ったもの。

 もし、この両用ショベルカーが西武鉄道に導入されれば、来年の南入曽基地での電車夏
まつりに公開されるかもしれないと思ったが、富士交通研究所のWebサイトを見たら、同
社は西武鉄道などの鉄道線路の建設や保守その他を請け負っている会社で、車両もこの会
社で作業用に所有していて、「軌陸バック・ホー」と呼ぶようだ。




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皇居東御苑の紅葉(続)(東京)

2015-12-15 16:26:12 | 江戸・東京を歩く
 12月13日(日)に歩いた靖国神社から皇居東御苑、そして皇居外苑のレポートは前
回アップしましたが、このうち皇居東御苑では、ほかにもたくさんのモミジを撮ったので、
今回はその何枚かを紹介します。

 皇居東御苑の北部、天守台の東側には桃華楽堂(とうかがくどう)という音楽堂の建物
がありますが、建物の南側に色づくモミジの古木。


 南側には広い芝生地が広がり、その西側には桜の島、竹林など木々が豊富で、その一角
にもモミジの古木が色づいていました。
      



 広い芝生地は2つに分かれていて、その中間を抜ける遊歩道際には、黄色く色づいたリ
ュウキュウカンヒザクラが1本だけ立っています。


 竹林の先には石室があり、さらに進むと富士見多聞と呼ぶ建物があります。その周辺の
モミジなど。


 広い芝生地の間を東に抜けて本丸休憩所で昼食を済ませ、そばの展望台に向う上り口に
は3色のサザンカが花開いていましたが、背後のモミジの色にはかないません。


 展望台のそばの石垣下にもモミジが…。後から下る汐見坂から見えたのもこれらしい。


 展望台を下りて、北側の楽部のそばを回って汐見坂に向かう途中の木は何だろう?


 汐見坂を下りた白鳥濠(はくちょうぼり)付近。




 白鳥濠の東側は、豊富な広葉樹林が色づく二の丸雑木林です。




 二の丸雑木林を北東に進んで、諏訪の茶屋前を通過しました。


 その先の二の丸庭園は、モミジと松と池との彩りが豊富で、一番の見どころでした。












 池のそばには菖蒲田もあり、初夏にはショウブの花が見られそう。


 二の丸休憩所周辺の雑木林の彩り。


 近くの大手門から皇居東御苑を出て、皇居外苑に向かいました。




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靖国神社から皇居東御苑、皇居外苑を巡る(東京)

2015-12-14 18:12:39 | 江戸・東京を歩く
 2015年12月13日(日)

 カントリーウオークグループの、今年最後の第229回例会に参加した。前月に続いて
雨になったが、本降りにはならない。集合は、東京メトロ半蔵門線、東西線、都営新宿線
の九段下駅。今回も組み分けはせず、10時ちょうどに3a出口付近からスタートした。


 都道302号・靖国通りを緩やかに上がり、大鳥居をくぐって靖国神社境内へ。参道の
両側に並ぶイチョウはちょうど見ごろ。



 拝殿に参拝後、気象庁が東京の桜の開花を発表するソメイヨシノの標本木を確認した。


 九段坂上交差点から都道に出て、紅葉が見頃なモミジや子爵品川弥二郎の銅像前を通り、
高燈籠(たかとうろう)と呼ぶ建造物↓の横を進んで、田安門(たやすもん)から北の丸
公園に入った。
      




 すぐ先の、日本武道館周辺のイチョウもよい彩り。幹から枝分かれしたイチョウの大木
が、石垣の上で存在感を見せる。
     

    
 たくさん咲くサルビアレウカンサ↑の横を進んで、千鳥ヶ淵(ちどりがふち)の内側沿
いを巡る「千鳥ヶ淵さんぽみち」と呼ぶ1.65㎞の遊歩道へ。


 春の花見で知られるソメイヨシノは落葉し、淵を見下ろしている。南側に回ると、広葉
樹林のモミジなどがちょうど見ごろ。鮮やかなモミジを背に記念撮影をした。






 700m余り進むと、右手に赤レンガ造りの建物が見えた。

 現在は東京国立近代美術館工芸館だが、明治43年(1910)に造られた旧近衛師団
司令部庁舎で、国の重要文化財に指定されている。


 皇居の北の入口、乾門(いぬいもん)↑前を通過して、近くの北桔橋門(きたはねばし
もん)から皇居東御苑に入った。


 小雨に煙る乾濠(いぬいぼり)の向こうの木々も色づきを見せる。



 すぐ南側の天守台↑に上がると、東方から南へ大手町から丸の内さらに↓日比谷方面に
かけての高層ビル群が望まれる。


 南側の広い芝生地には、江戸城の大奥から中奥、表御殿など、ビッシリと建物が続いて
いたようだが、今はとうてい想像も出来ない。


 本丸最初の天守閣は2代将軍秀忠の1607年に完成し、その後3代将軍家光が1638
年に外層5層、内部6階、高さ58mという国内最大の天守閣が完成したが、19年後の
1658年、明暦の大火の飛び火により全焼し、以後は再建されなかったようだ。



 天守台の南西の緑地の大きなタチバナに、たくさんの実が付いていた。周辺のモミジや
ドウダンツツジがきれいな彩り。



 竹林の周辺の広葉樹も鮮やかな彩りだ。その先の石室は、非常の際の大奥用の調度など
を収めたところと考えられ、伊豆半島の安山岩で造られているという。


 二つの広い芝生地の間を東に向かう。中ほどにあったリュウキュウカンヒザクラの葉は、
普通の桜と違い黄色に色づいていた。
    

 振り返り眺める天守台方面。




    
 咲き出したフユザクラの前を通過して、本丸休憩所に12時05に着き、ベンチで昼食
にする。


 そばのサンシュユが赤い実を付けていた。


 ミーティングを終え、12時45分に本丸休憩所を出た。すぐ東側、東御苑の中央にあ
る白鳥濠(ぼり)の上にある展望台に上がり、二の丸雑木林やその向こうに並ぶビル群な
どを眺めた。


 展望台を下りて北側に回り、楽部(がくぶ)横を通過して汐見坂を下る。

 本丸と二の丸をつなぐ坂道で、その昔は近くまで日比谷入江が入り込み、海が眺められ
たという。

 東側の二の丸雑木林に入った。ここが都心とは思えぬ豊富な落葉広葉樹が色づき、雨に
しっとりと濡れる。



 明治期に再建されたという諏訪の茶屋↑前を通過して、二の丸庭園へ。



 松と紅葉とのコントラストが良く、静かな池の周囲を半周する。



 雨に濡れる池畔の彩りも穏やかで多彩、自然とシャッターを押す手が増えて足が止まる。


    





 池の東側を回って菖蒲(しょうぶ)田の横を過ぎ、茶室風の二の丸休憩所で小休止した。


 近くのツツジが狂い咲きで、葉の紅葉と見分けにくい。



 白鳥濠の南側から百人場所前を通り、大番所↑を確認して引き帰す。そばの巨大な石積
みと背後のビル群が、江戸から東京への時代の変遷を感じさせてくれる。


 番所とは警備の詰所のこと。百人番所↓は本丸と二の丸へ通じる大手三之門前に設けら
れた番所で、鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組の4
組が昼夜交代で詰めていたとか。


 三つ目の同心(どうしん)番所前を抜けて、三の丸尚蔵館(しょうぞうかん)前を過ぎ
る。近くのボケも狂い咲きのよう。
    

 東側の大手門から皇居東御苑を出た。


 桔梗濠(ききょうぼり)に沿って都道301号・内堀通りの歩道を南下し、巽櫓(たつ
みやぐら)↓を見ながら堀は右折する。


     堀には、ホシハジロ(右)など何種類かの野鳥が泳いでいた。
    

 次の蛤濠(はまぐりぼり)沿いに皇居外苑を南下して二重橋前へ。冷たい雨のためか、
二重橋前も人出は少ない。


 旧江戸城の南端、桜田門を出て、皆さんは有楽町に向かう。


 2週間前の山登りで痛めた右足の筋肉痛が残る私は桜田門外で分かれ、東京メトロ有楽
町線の桜田門駅に14時23分に着いた。

 国重要文化財の法務省旧本館↑西北の敷地際から、駅への階段を下る。

(参加 17人、天気 小雨、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地
 千代田区、歩数 11,500(距離6㎞の桜田門駅まで))




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飯能市郷土館と飯能市の中心街を巡る(埼玉)

2015-12-09 22:47:30 | ウオーキング
 2015年12月8日(火)

 会期が残り6日となったので、飯能市(はんのうし)郷土館で開催されている「西武池
袋線飯能池袋間開通100周年記念 武蔵野鉄道 開通」という特別展の観覧のため、西武
池袋線飯能駅北口を11時30分に出た。


 北に向かい、2つ目の信号のある東町交差点を左折して中央通りを西進する。この通り
とその先に続く大通りには、古くからの建物が幾つか残っていた。これは飯能織物協同組
合の建物。

 大正11年(1922)に建築されたもので、洋風建築ながら棟の両側にはシャチホコ
が上がっていて、内部にも床の間を持つ18畳の和室があるという。

 2つ目の広小路交差点際にあるのは中清商店。この先は大通りとなる。


 すぐ先に並ぶ銀河堂は蔵造り。


 飯能商工会議所の前辺りには吉田屋呉服店が。
 

 斜向かい、飯能市指定有形文化財の店蔵絹甚(たなぐらきぬじん)は、蔵造りの家並み
が並ぶ川越を思わせる、どっしりした蔵造り。


 仲町交差点の近く、南への通りを入ると木造3階建て、うなぎ料理店の畑屋がある。


 南側の建物が3階建てで、北に伸びる棟は木造2階建て。


 大通りの突き当たりには市立図書館があるが、すぐ手前の細い通りを北に入ると、八坂
神社が祭られていた。

 祇園祭(ぎおんまつり)で知られる京都・祇園町の八坂神社を勧請したものらしい。

 西側の広い通りへコの字状に折り返して、飯能河原交差点際から観音寺境内に入る。入
口付近に飯能鬼子母神の小さなお堂が祭られていた。
        

 背後のモミジが鮮やかな彩りを見せる。


    
 その先には、お地蔵さんや鐘楼堂に立つ白い象が目に付く。鐘楼堂の梵鐘(ぼんしょう)
は太平洋戦争で供出させられ、その代わりに白象を祭ったらしい。
    

 観音寺は、江戸時代の文化・文政期(1804~30)の頃には、高麗郡(こまぐん)
三十三か所霊場10番札所として庶民の信仰を集めたとか。如意輪観世音を本尊としてい
るが、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番観音の各本尊の写しを合わせた百観音
も本堂に安置されているとのこと。

 突き当たりに東を向いて立つ福聚殿には、文殊菩薩、不動明王、持国天、増長天、廣目
天など12神が安置されているという。


 境内の樹間からは、南側の名栗川に架かる割岩橋(われいわばし)が望まれる。


 福聚殿の横から墓地の間の小道に抜けて、諏訪沢と呼ぶ流れに向かって下って上がる。
沢の周辺は豊富なシラカシの自然林になっていて、埼玉県でも保存に力を入れている。


 上り坂の途中から左に上がったところは、諏訪八幡神社。拝殿は修復中のようで、青い
シートが掛けられていた。


 境内には幾つもの摂社があるが、そのひとつ丹生大明神。


 南側には何本かのモミジの古木があり、いずれもよい彩りを見せている。


    

        

    

 同じ境内の西端付近には、武蔵野七福神のひとつ、飯能恵比寿神社が祭られていた。


 その横を西北に抜けて西側にある飯能市郷土館に入り、今日の主目的である特別展を最
初に観覧する(特別展会場は撮影禁止)。




 「武蔵野鉄道」とは、私が何十年も利用している現在の西武池袋線の前身で、100年
前の大正4年(1915)4月15日に池袋~飯能間が開通した。

       

 この鉄道は、当時の飯能町や所沢町、保谷村、石神井村など沿線地域の協力により開業
にこぎつけ、その後、旧西武鉄道と合併して現在の西武鉄道となり、秩父まで延びている。

 会場では、武蔵野鉄道が隣接の青梅・川越鉄道に与えたインパクト関連資料、武蔵野鉄
道開通にあたっての申請書から起工式、開通式関連のもの、開通後の観光用リーフレット
類、車両台帳、割引乗車券、絵はがき、鉄道案内図、時刻表など、さらに武蔵野鉄道と飯
能との関わりの資料。

 西武鉄道となった後のリーフレット、ポスター、ヘッドマーク、行先表示板、改札鋏
(はさみ)や車掌鋏、エピローグとして近年の記念カードや記念乗車券、100周年記念
乗車券、西武鉄道車両のNゲージ模型など、実物資料が93項目、写真資料が99項目も
あり、貴重なものも多く、予想以上に充実した展示だった。

 残念だったのは、この特別展の図録が売り切れだったこと。会期は10月11日(日)
から2か月あったので、もう少し早く来ればよかった。

 このあと常設展示コーナーも巡る。入口近くにある、飯能の特産「西川材」と呼ぶ材木
をソリ(木馬)により搬出する様子。


 幕末の武州一揆や飯能戦争関連のコーナー。


 江戸まで、川を下って木材を運んだ筏(いかだ)の実物大模型。


 常設展示コーナーには、特別展関連で国重要文化財の「飯能駅停車場平面図」も展示さ
れていた。

 1時間余り観覧して、13時30分過ぎに飯能市郷土館を出た。北側には、飯能のシン
ボルともいえる天覧山(195m)が望まれる。


 郷土館の北側には市民会館があり、さらにその北側一帯は中央公園になっている。


 中央公園の北西端から市民会館入口交差点を渡り、広い境内の能仁寺へ。


 山門を入ったすぐ先左手のモミジ。


    

 能仁寺は戦国時代の創建、飯能地方の領主だった中山、黒田両家の菩提寺となり栄華を
極めた。慶応4年(1868)5月の飯能戦争の本陣になり、宝物や文書の多くを失った
という。寺には、中山家勝(いえかつ)、家範(いえのり)、照守(てるもり)3代の墓
と黒田家累代の墓がある。

 境内中心に構える大本堂。


 本堂前には、古い本堂に上がっていたらしい大きな鬼瓦が並んでいた。


 鐘楼もほかの寺より大きな構え。


 西側にあるお堂は何なのかは分からなかった。


 その横から本堂左手は意図の斜面を挙がると、少し盛りを過ぎたものもあるがモミジな
どがよい彩りを競う。
    





      

 そばの階段に沿って中山家3代の墓が縦列で並んでいた。これは中間の中山家範の墓。
         

 この辺りは高台なので、色づいた西南の山並みなどが望まれる。


 境内に戻ってふり返る開山堂の周辺。本堂はこの右手になる。


 境内を東に抜けて天覧山入口から東南へ、ニコニコ池際まで下る。この沿道のモミジも
鮮やかな色を見せていた。




 池の南側の車道を渡った中央公園の東北端付近には、手塚治虫の鉄腕アトム像がある。
         
 1983年、飯能青年会議所10周年記念事業の一環として立てられたもので、落成式
には手塚治虫さんも来られて除幕したという。

 公園の東北端から東南に延びる車道を進む。飯能一小の南側の細い路地に、出世稲荷神
社の小さ目な社殿があった。


 その通りを南下し、さらに2つ南の通りを東進する。この通りにも幾つか古い建物が残
っていた。蔵造りの店は酒田屋商店。


 昼食の出来る食堂を探しながら、午前中に通った飯能織物協同組合の建物横を南下して
銀座通りに入る。和菓子などを販売する伊勢屋の横に食事メニューも並んでいたので入り、
すっかり遅くなった昼食をする。


 注文したのは「ひもかわ雑煮」(630円)、ひもかわとは埼玉県内では昔から常食に
していた幅広いうどんのこと。私が太平洋戦争の戦中戦後に過ごした県内小川町では、母
が夕食によく作ってくれたものだった。懐かしく味わう。
    

 食事を終えたのは15時を過ぎていた。ここまで来れば駅は近い。15時22分に飯能
駅に戻り、来た時には気付かなかった出札所横の飯能駅観光案内所に入って市内のウオー
キング地図などを入手し、15時35分発上り池袋行き準急電車に乗る。


(天気 快晴、距離 4.3㎞、地図 飯能 駅からMAPシリーズ4「まちなかワクワク
 歩いてみんべえ~」、歩行地 飯能市、歩数 9,200)




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所沢航空記念公園のモミジがようやく見ごろに(埼玉)

2015-12-06 17:06:39 | 所沢だより
 2015年12月6日(日)

 今年の秋の紅葉や黄葉の彩りはいまひとつかなと思っていましたが、12月に入ってよ
うやくよい色になってきました。

 今日の市内ウオーキングの中心は、所沢航空記念公園です。公園の西側中心部にある日
本庭園に入ってみたら、茶室「彩翔亭(さいしょうてい)」の前に、クリスマスを迎えに
行くのか、トナカイが待機していました。
    

 日本庭園と茶室にトナカイではちょっと場違いな感じもしますが、木製なのでその不自
然さを忘れさせてくれます。
         

 茶室の西側、塀際のモミジの彩り。


     

          塀際に1本ポツンと立つハゼ。
         

 その南側、葉の落ちた桜など、広葉樹の多いエリアには何本かのモミジが色を競ってい
ました。
      



    

        

    

         

 一昨日見た、新宿御苑のようにたくさんではありませんが、近くの斜面のスイセンが咲
き出しています。
     

 日本庭園の中心部にある池を西側から眺めると…。


 池の北側の茶室南面。


         東側に回って、池の周辺のモミジを眺めます。
        







    

    池の東側や南側にある数本のミツマタは、花芽がかなりふくらんでいます。
    

 日本庭園を東北に抜けて、航空記念公園の中央部にある放送塔下から南に緩やかに下る
幅広い遊歩道へ。両側のケヤキやモミジなどもよい彩りに。


 東側、花の丘付近の大きなドウダンツツジ。


 その南西側のイチョウ。


 南側、梅園際のモミジ、向こうは子ども広場です。


    

 中央の遊歩道を下った国道463号線際に管理事務所があり、その横にもモミジがあり、
「これも見てよ」と招いてくれました。


    

 中央の遊歩道を国道際の歩道から眺め、公園を後にして所沢の中心街に向かいました。




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21世紀の朝鮮通信使 友情ウオーク写真展と新宿御苑へ(東京)

2015-12-05 09:14:31 | ウオーキング
 2015年12月4日(金)

 快晴ながらやや風の強い今日、東京・四谷4丁目の韓国文化院ギャラリーで12月5日
(土)まで開催中の、「21世紀の朝鮮通信使ソウル-東京 友情ウオーク写真展」に出
かけました。この写真の多くを撮影された金井三喜雄さんから、ご案内をいただいていた
からです。

         韓国文化院の玄関に掲示されていたポスター
         

 このウオーキングは、2007年4月に第1回を開催して以来、2年ごとに開催されて
います。

 今年の第5次は、4月1日(水)にソウルを出発して韓国南東部のプサンまで歩いた後、
フェリーで対馬、壱岐を経て博多に上陸し、バスで中国地方の呉、鞆の浦、牛窓など朝鮮
通信使ゆかりの地に立ち寄り、大阪から東海道を歩いて東京・日比谷公園に5月22日
(金)にゴールしました。

 歩行距離は、韓国内はソウルから忠州、安東、慶州を経て釜山まで22日間525㎞、
日本国内は大阪から京都、名古屋、静岡などを経て東京まで30日間633㎞でした。

     会場を入ったところに掲示されていた今回のゼッケン。
    

 その横には、全コースの行程図が。


 金井さんの写真を中心に、行程に従い各地で撮られた写真が順次展示されています。




 写真の下には、現地での様々なエピソードなども紹介されていました。




 ゴールの東京・日比谷公園での記念撮影も見られます。


 会場には、以前の中山道ウオークのメンバーで今回も参加されたKさんが受付におられ、
観覧しているうちに金井さんや、やはり中山道ウオークのメンバーだったSさんやKさん
も来られ、毎回このウオークに参加されているSさんからは、今回の模様や新しいウオー
キングの企画なども教えていただきました。

 1時間ほど会場で過ごし、14時30分頃会場を出ました。

 なお、金井さんが現地から順次投稿された写真は、こちらのブログでご覧になれます。
会場に展示されていた写真の多くが、このブログに掲載されています。

 新宿駅方向に向かう帰路、近くの大木戸門から新宿御苑に入り、御苑内の初冬の彩りを
見て回ることにしました。


 大温室の南側にある細葉のモミジ。






         





    

 その南側、広い芝生地のイギリス風景式庭園からの新宿周辺方向の眺め。


 東南に進むと、プラタナス並木は間もなく落葉しそう。


 南側の中の池に向かう樹林の下では、たくさんのスイセンがもう見ごろに。


         

 中の池の周辺でも紅葉・黄葉が見られます。






 池の南西側に回って見上げる対岸の木々。


     日影になった池の南岸で泳ぐカモなど。
    

 池の周辺を少しずつ切り取って眺めると…。




         

    



 ケヤキなどの高木は、もうかなり落葉しています。




 冬の装いに近い広葉樹の幾つか。
 

 公園中央部辺りに立つイチョウ。


 広い芝生広場の北東に見えるビル群。


         クヌギの高木だろうか。
        

 陽が傾いて風も冷たいので帰路につくことに。新宿門に近い木陰のモミジ。




    

 15時35分頃、新宿門を出ました。





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高崎の観音塚考古資料館と観音塚古墳へ(群馬)

2015-12-04 11:09:15 | ウオーキング
 2015年12月2日(火)

 今日は、連れ合いの希望により、高崎市郊外にある高崎市観音塚考古資料館と近くの国
史跡 観音塚古墳を訪ねました。

 8時20分に自宅を出て、秋津、大宮、高崎など西武線とJRあわせて4回乗り換え、
11時27分にJR信越本線の群馬八幡(やわた)駅に着きました。


 最初の目的地である観音塚考古資料館までは、西北西に約2㎞のところです。
  

 線路の北側に平行する通りを西に少し進むと、観音塚考古資料館への案内板があり、そ
の先にも曲がり角などに幾つも案内板が立っていて、迷わずに行くことが出来ます。
        

 最初の三差路際にあった神社の名は、拝殿上部をのぞき込んだら「開運大天」の掲額
で判明しました。


 近くの市道に埋め込まれていた、お祭りを形どった高崎市のマンホールのデザイン。
    

 道路沿いには、古くからの敷地の広い民家と近年建築されたらしい比較的狭い新興住宅
とが混在しています。


 取り残して熟した実の残る柿の木も、あちこちで見られました。


 600m余りのT字路で広い道路に入り北に向かうと、古い道しるべ石に「向右けんさ
き道」と記されていました。北東にある現在の剣崎町への道標のようです。
        

 通りの正面には、台地の中腹にある八幡八幡宮(やわたはちまんぐう)が望まれます。


 2つの神門をくぐり、石段を上がった正面が八幡八幡宮の拝殿。


 八幡八幡宮は、元徳元年(957)、京都の石清水(いわしみず)八幡宮から勧請(か
んじょう)して創建したという古社。

 上野国一社八幡宮(こうずけのくにいっしゃはちまんぐう)ともいわれ、源氏一門から
崇敬され、さらに新田氏(にったし)、足利氏、武田氏などの崇敬も受け、徳川幕府から
は朱印地100石を寄進されたようです。

 敷地面積は約9,000坪あり、現在の社殿(随神門、拝殿、本殿)は文化11年
(1750)~宝暦7年(1757)の再建とされるとか。

 拝殿の天井には、色落ちがありますが天井絵が描かれていました。


       拝殿の両側には2枚の大きな掲額があり、こちらは左手のもの。
      

 「大々御神楽」と書かれていますが、現在も祭日に奉納されている神楽は、宝暦4年
(1754)に京都の神祇官領職に出願して復元した、能形式を取り入れた古式ゆかし
いもので、高崎市重要無形文化財第1号に指定されているようです。

 拝殿の背後の本殿には、精巧な木彫や色あせてはいますがきれいな彩色が施されていま
す。


    

         

 境内には、稲荷社や山王宮、疫斎神(えきさいじん)↓などの境内社が幾つか祭られて
いました。
        
 
 建物は神仏混合式のようで、仏殿様式の建物も残っています。最初にくぐった石段下の
の神門も、もとは仁王門だったとか。東側にポツンと立つ、もと本地堂だったというりっ
ぱな天満宮↓や鐘楼もそうらしいと分かります。


        

 高台にあるので、境内からは南側の展望が広がります。


 西側に出て、広い道路に分かれて西に延びる住宅地の中の旧道を進むと、民家の庭先に
大きく伸びた皇帝ダリアが咲き残っていました。


 近くの広い空き地の南側は八幡二子塚古墳のようですが、説明パネルはありません。


 高崎観音塚考古資料館のパンフレットに記載されていた、八幡二子塚古墳の説明。


 すぐ先、戸建て住宅団地の直線道路の向こうに、高崎市観音塚考古資料館がありました。


 考古資料館を囲む植え込みの、狂い咲きのツツジ。


 高崎市観音塚考古資料館は昭和63年(1988)に開館し、昭和36年(1961)
2月に国の重要文化財に指定された、近くの国史跡 観音塚古墳からの出土品関連の資料を
保存・公開しています(入館料 一般100円、65歳以上や身体障害者などは無料)。

 12月6日(日)まで、「石室開口70周年~観音塚古墳の世界 巨石の来た道」とい
う企画展を開催中で、国指定重要文化財300余点という観音塚古墳の副葬品のすべてが
見られるというので、連れ合いが誘ってくれたのでした。

 館内は撮影禁止なので、入館時にもらったパンフレットの中から、展示されていた副葬
品の一部を紹介します。


       

           

       

  

 これら300点を超える出土品はどのようにして発見されたのかというと、太平洋戦争
末期の昭和20年(1945)3月10日(東京大空襲があった日)、観音塚古墳の後円
部に共用の防空壕を掘っていた近隣世帯の人々の前に、突然目の前に巨大な空間と豪奢
(ごうしゃ)な副葬品が現れたので驚嘆したようです。

 これらたくさんの副葬品は、古墳時代のこの地の文化、技術の高さを示すものだと実感
し、大変興味深くじっくりと解説を読みながら観覧しました。

 1時間余り観覧していたら13時半過ぎとなり、館の前の冷たいコンクリート台に腰を
下ろして遅い昼食をしました。

 構内北東側には、「八幡遺跡20号墳」と呼ぶ、直径12mの円墳が復元されています。


 発見当時、円墳の上部は失われていたので、そのまま復元したようです。


 このあと北側200mほどにある観音塚古墳を見に行くことにして、資料館で貸し出し
している懐中電灯を借りて古墳に向かいます。

 途中の民家の庭には、数えきれぬほどのピラカンサの実が。


 観音塚古墳は、復元全長105m(現状は95m)の前方後円墳で、主軸をほぼ東西に
とり、前方部が西側、後円部が東側に位置していて、6世紀末頃の築造とされ、群馬県域
では最期の前方後円墳と考えられるとのこと。下図は、考古資料館のパンフレットから。


 この古墳で特に注目されるのは石室を構築する自然石の巨大さで、最大重量は55トン
にも及び、「群馬の石舞台」と呼ばれているようです。

 観音塚古墳の南面からの後円部。


 左にカメラを振った前方部はこちら。


 後円部の南側に、この古墳で特に注目の石室があり、奥の玄室を囲む巨石の大きさに驚
かされます。


 考古資料館で借りてきた懐中電灯を点けて、石室に入りました。

 最大重量55トンといわれる巨石があり、奈良県明日香村の石舞台古墳に匹敵するもの
として「群馬の石舞台」といわれるのもうなづけます。


 石室の奥から見た入口。


       パンフレットに記された石室測量図
      

 石室を出て、中央部から古墳に上ります。こちらは後円部


 西側の前方部


 北東側、街並みの向こうに赤城山が望まれますが、霞んでいました。


 懐中電灯を返戻して観音塚考古資料館を出て、駅に向かうことにしました。戸建て住宅
団地の西側に回り、平塚公園に入ります。

 公園には埴輪が立っていて、背後の盛り上がりが平塚古墳と分かりますが、ここにも説
明板はありません。
    

 やはり考古資料館のパンフレットが参考になります。


 住宅団地の南側は崖になっていて、崖上に遊歩道があったのでその道を東に向かいます。
崖地の斜面にナシ畑があり、葉はすでに落ちていました。


 西方をふり返ると、夕暮れが近づき霞む妙義山が望まれます。


 遊歩道が終わって団地からの車道に合し、信越線の踏切際に下ると上り電車がやってき
ました。あと20分くらい早ければ、この電車に間に合ったのに残念…。


 次の上り電車は1時間後なので、ゆっくりと駅に向かいます。

 少し進むと、堀口商会の倉庫や庭先にたくさんのダルマが並んでいました。正月のだる
ま市で知られる少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)は、群馬八幡駅の南側1㎞余り
のところにあり、正月にはそこで初売りされるもののよう。




 八幡八幡宮に延びる車道に合して駅への往路へ。民家のサザンカは、もう盛りを過ぎて
いました。
    

 農家の古い納屋には、干し大根が。


 往路では気付きませんでしたが、八幡東公民館前の街灯に福だるまのデザインを発見。
        

    やはり少林前達磨寺にちなんで造られたようです。
    

 15時47分に群馬八幡駅に戻りました。駅の出入口横でも、新しいだるまさんが迎え
てくれました。 
         

 座布団の敷かれた待合室で30分余り待ち、16時22分発の上り電車で高崎駅に向か
い、途中の武蔵浦和駅構内の店で夕食を済ませ、20時過ぎに帰宅しました。

(天気 曇、距離 4.5㎞、地図(1/2.5万) 下室田、歩行地 高崎市、歩数
 8,700)


 なお、高崎市観音塚考古資料館の企画展関連の催しとして、11月28日(土)に実施
した「古墳の石を運んでみよう! こどものための修羅引き体験」の模様が、12月5日
(土)午前7時30分~8時のNHK総合TV「おはよう日本」で放映されるようです。




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新ハイキング社から『東京近郊 七福神めぐり』発刊

2015-12-01 15:49:23 | 七福神めぐり
 2015年12月1日(火)

 いよいよ今年も残り1か月になりました。そろそろ年賀状の用意をと考えている方も居ら
れるかと思いますが、さらに、お正月になったらどこの七福神めぐりに出かけようかと思案
されている方も居られるのではないでしょうか…。

 そんな方に都合の良いガイドブックが、11月下旬に発売されました。それが新ハイキン
グ社の『東京近郊 七福神めぐり』です。

       

 本書は、月刊のハイキング誌「新ハイキング」に掲載されたコースを中心に、東京近郊に
ある昔からの七福神から、あまり知られていない新しい七福神まで、全部で43のコースを
紹介しています。

 本書にて紹介しているコースは以下の通りです。

 〇山手線圏内と下町の七福神
 
  谷中七福神、小石川七福神と日本橋七福神、山ノ手七福神、雑司が谷七福神、

  麻布七福神、亀戸七福神、板橋七福神、新千住七福神

 〇横浜・湘南方面の七福神

  荏原七福神、池上七福神、羽田七福いなり、横浜七福神、横浜金澤七福神、

  横浜磯子七福神、横浜瀬谷の八福神、湘南(逗子・葉山)七福神、三浦七福神、

  鎌倉・江ノ島七福神

 〇武蔵野・秩父地方の七福神

  武蔵野吉七福神、東久留米七福神、日野七福神、八王子八福神、武蔵五日市七福神、

  青梅七福神、武蔵野七福神、与野七福神、小江戸・川越七福神めぐり、

  武蔵越生七福神

 〇下総方面の七福神

  習志野七福神、佐倉七福神、印西七福神、とりで利根川七福神、

  三郷七福神・八木崎戸ヶ崎めぐり、草加七福神、伊興七福神

 〇足を延ばして

  足利七福神、伊豆長岡温泉の源氏山七福神、伊東七福神、箱根七福神、小幡七福神、

  くりはし八福神、中山道本庄宿街歩き、奥久慈大子七福神

 いかがでしょうか。いや、もう全コースを回っているよという方がおられたら敬服です。
私は、ざっと数えたところ19コースくらい訪ねていました。

 各々のコースについては、すべて執筆者が足で歩いて記したコースの詳細な情報のほか、
歩行時間、寺社間のコースタイム、費用(交通費)、必要な地図、問い合わせ先や社寺の
電話番号、そしてコース全体の略図、社寺や七福神のカラー写真なども掲載されています。

 さらにプラスアルファの情報として、七福神の由来、七つの神について解説したコラム、
七福神持ち物クイズ、新ハイキングクラブで実施している「七福神めぐり」、首都圏中心
のINDEX MAPも記されているなど、七福神についての盛りだくさんの情報がこの1冊に
盛り込まれています。

 そろそろ書店の店頭に並んでいるかと思いますので、手にとってご覧いただき、興味が
ありましたら入手され、本書を参考に新しい年の七福神めぐりをお楽しみ下さい。

(A5版251頁、編集・発行 新ハイキング社、本体1,700円(税込み1,836円))


 ちなみに、本書に掲載の43コースのうちの7コースは私の執筆したものです。執筆者
割引により税込み1,377円で購入できますので、購入を希望される方は12月15日
(火)までにメールいただければ、まとめて購入後、直接お渡しするか郵送いたします。




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