あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

JR東日本駅からハイキング① 遠野物語の舞台、遠野を巡る(岩手)

2014-06-30 18:10:40 | JR東日本駅からハイキング
 一昨年6月に続き、今年もJR東日本の「大人の休日倶楽部パス」(1万7千円で4日間
有効)を利用して、北東北3県の「JR東日本駅からハイキング」に出かけた。

 ①2014年6月25日(水)

 6時26分に自宅を出て、JR大宮駅7時42分発東北新幹線はやて111号で新花巻駅
まで行き、釜石線に乗り換えて11時2分に遠野(とおの)駅に下車した。

 遠野駅の2つ手前、岩手二日町駅付近での列車からの眺め。


                  JR遠野駅  


 駅前の遠野市観光協会↓で受付を済ませ、11時15分にスタートする。

 コースのテーマは「遠野物語と遠野拾遺(しゅうい)物語の話の舞台を巡って、物語に
浸ろう!」である。

 線路に平行して駅の南側を走る道路を東に少しで、大型スーパー「ショッピングセンタ
ーとぴあ」がある。食料品が中心だが、入手するものも無いのですぐに出た。


 その先の三差路を左折し、駅の東で線路を越える桜木橋を渡りながら遠野駅を見下ろす。


 次の交差点を左折して西へ、駅の北側、材木町の住宅地を西進する。途中に、「亀の湯」
と呼ぶらしい公衆浴場があった。
    

 三差路に突き当たり、もう一度左折して遠野駅西側の踏切を越えて南に向かう。古い住
宅などの残る落ち着いたたたずまいの通りで、歩道には木の板が敷かれている。
    

 間もなく、最初のコースポイント、どっしりした本堂の見えた萬福寺へ。

 元亀2年(1571)の創建と伝えられ、境内には遠野地方の漢文学の中興に貢献し、
弘化4年(1847)に没したという久子翆峰(くすすいほう)の墓がある。
        

 松やツツジの多い境内の一角には、五葉松かと思われる古木も見られた。


 「遠野物語拾遺」第152話は、この墓地が舞台だという。

 板張りの歩道を少しで、山門や本堂など最近改築したらしい善明寺があった。

 最初は八戸で開山、延宝7年(1679)にここに移転したとのこと。山門を入り左手
には、鎌倉時代のものでこの地方最古という五輪塔が立っていた。
        

 古い洋風3階建て、増田旅館の角を鍵型に曲がる。


 川沿いに出て新橋の手前の道へ。すぐ先は随王院(ずいおういん)。

 遠野南部氏22代直義(なおよし)公が娘の菩提を弔うために承応2年(1653)に
草創したとのこと。本堂内の「うぐいす張り」や古式を保持した「おなりの間」の書院造
りなどは、当地方の貴重な文化遺産だという。

    
 次の橋、木橋の柳玄寺(りゅうげんじ)橋を渡り正面の柳玄寺へ。

 山門は端正な木彫の施された独特の造り。


 寺は慶安4年(1651)の創建、境内には「遠野物語」第27話「池の端の石うす」
にまつわる墓があるというが、確認しなかった。


 川沿いを新橋まで戻って西に向かう。和風建物の遠野新町郵便局のそばに「まちなか・
ドキ・土器館」があり、遠野で発掘された土器などが、少しのコーナーに展示されていた。


    

 通りには、幾つかの古い民家などが見られた。


 次の三差路際に、江戸時代遠野一の豪商だった近江屋兵右衛門家の一部を移築した「村
兵(むらひよう)屋敷」↓と「外川酒店」が並んでいる。



 村兵屋敷は「遠野物語拾遺」第88話など3つの話に、外川酒店↑は第194話の「外
川のきつね」に登場しているという。

 県の合同庁舎前の公衆電話は独特の造りだ。


 すぐ先のカーブを曲がり、東側斜面にある多賀神社に向かって上下の石段を上がると、
うっそうとした杉木立に囲まれた社殿がある。

 拝殿は簡素な造りだが、鍋倉城の西方鎮護のために建てられた社で、遠野郷最古のも
のといわれ、「遠野物語拾遺」第193話「多賀のきつね」の舞台である。


 二つの石段の中間から斜面をトレースする道があった。遠野の町並みを見下ろしながら
少し進むと、知恩寺の中段に出た。石段を上がり、うっそうとした広葉樹に囲まれた本堂
に参拝する。

 知恩寺は明治18年(1885)に、当時の遠野南部氏34代行義(ゆきよし)が鍋倉
城跡の一部を寄進して建立されたもの。昭和21年(1946)には南部実長の650年
遠忌に当たり、山梨県の身延山久遠寺(くおんじ)から「北身延」の公称を許され、市指
定文化財「日蓮真筆曼荼羅」を所有するという。

 下の道路に下りて市民体育館の前を右折し、流れ沿いに出る。対岸の小公園で小さい水
車が回っていた。
    


 流れに沿って進むと、対岸に黒づくめの大きな建物が見える。

 地図で確かめると、「とおの物語の館」と呼ぶ建物らしい。【続く】




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JR東日本駅からハイキングで青森の三内丸山遺跡を巡る

2014-06-28 13:54:22 | Weblog
6月28日(土)、新青森駅に8時26分に着く。観光情報センターで受付を済ませて
8時45分に出発した。
南に伸びる東北新幹線の西側を南に進み、広い三内霊園を回り、東北新幹線の下を
南東に進むと三内丸山遺跡である。
まずは縄文時遊館に入り、チェックポイントの印をもらう。それから館内の展示などを
見た後、遺跡に向かう。
広い遺跡、三内のシンボルともいえる大型掘立柱建物、いくつもの竪穴住居などを
一巡して眺めた。
近くにある青森県立美術館に回り、常設展示と企画展示を観覧する。
およそ2時間の三内丸山遺跡周辺の観覧を済ませ、11時35分に帰路に向かう。
三内霊園の近くまで往路を戻り、東北新幹線に平行する道路を北進して、12時09分
に新青森駅に戻る。
早くスタートできたので、予定よりかなり早い12時39分発車の東北新幹線はやぶさ
20号に乗れた。
いま盛岡駅を出る車内から。
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JR東日本駅からハイキングで秋田県能代を歩く

2014-06-27 16:27:43 | Weblog
6月27日(金)は、弘前を出て奥羽本線で東能代駅を経由して能代駅に降りた。
駅からハイキングの受付を済ませ11時07分にスタートする。
駅前大通りを北に少しで能代バスケットミュージアムがあった。
能代のバスケットは強いことが全国的に知られている。それらの展示を少しだけ見た。
能代橋から米代川は眺め、市街地に戻り、大きなけやきの並ぶけやき公園で小休止した。
西に進んで能代公園に行き、緑豊富な公園の東やで昼食とする。
街中に戻って、国登録有形文化財の旧料亭の金勇を観覧し、
天然秋田杉をふんだんに使った豪華な建物を一巡した。
隣の八幡神社に参拝して、南側の通りを進んで、13時55分に駅前にゴールした。
往路を弘前に戻る奥羽本線の車内からの投稿。今日の宿泊は青森駅前である。
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JR東日本駅からハイキングで太宰治ゆかりの五所川原市金木を歩く

2014-06-26 17:00:06 | Weblog
6月26日、盛岡から新青森、川部経由で津軽鉄道の金木駅に着く。
10時55分にスタートして、受付の太宰治記念館に行き、広い館内を観覧した。
近くの3つの寺を訪ね、津軽三味線会館を観て、そばの八幡宮にも寄る。
町並みを抜けて北へ、チェックポイントの次の駅、芦野公園駅の旧駅舎を
活用した喫茶店『駅舎』に行き、チェックを受け、昼食にした。
線路の北側に広がる芦野公園に入り、桜や松林などの間を進み、
津軽三味線発祥の地碑や、太宰治銅像、太宰治記念碑などを見る。
公園内の大きな池を一周して公園を離れて、ゴールの太宰治記念館に戻った。
金木駅には14時29分に着き、14時41分の津軽鉄道で五所川原まで戻り、
快速列車『リゾートしらかみ』で今日の宿泊地の弘前に15時51分に着いた。
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JR東日本の駅からハイキングで遠野を歩く

2014-06-25 16:37:05 | Weblog
今日、6月25日(水)から4日、JR東日本の駅からハイキングで北東北を回ることにした。
初日の今日は、釜石線の遠野駅からのハイキング。11時15分にスタートした。
駅の回りを東から北へ、さらに西に回り、4つのお寺を経て多賀神社に上がる。
その後、高台の南部神社の背後の鍋倉展望台に上がって、遠野の町並みを見下ろす。
町並みの中心部の古民家を活用した食堂で、遅い昼食を済ませた。
あとは市街地を通過して、14時35分に遠野駅に戻る。
15時08分発の快速列車で盛岡駅に向かう。
まもなく到着の車内から。
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東村山菖蒲まつりへ(東京)

2014-06-17 17:50:17 | ウオーキング
 2014年6月16日(月)

 東村山市のwebサイトで確認して、北山公園のハナショウブが見頃になったようなので
出かけました。
     

 北山公園はわが家からは南の方向にあり、都県境を走る狭山丘陵の八国山緑地を越えて
すぐのところ。歩いて往復約10㎞ですが、ほぼ毎年出かけています。

 八国山緑地を抜けて北山小のそばに下り、公園の西から入りました。




 菖蒲田には、約8,000本のハナショウブが植えられているとのこと。見ごろの花を見
ようと、月曜にかかわらず近在の人達で賑わっていました。



    
 色とりどりの花が、豊富な水の中で生き生きと咲いています。


    

    

 幾つもに分かれた菖蒲田の間に巡らした遊歩道を、少しずつ東に進みました。


 ところどころに池もあり、アクセントを付けています。


    



    




 八国山緑地を背にした北側には、菖蒲まつりの期間だけの見晴台が設けられているので、
上がってみました。






 見晴台の近くも、見頃の花が咲き競っています。




        

    

        

    

 花びらの細い花も


    

        

 東屋の近くの池では、スイレンが咲き出していました。




    

    


 ほぼ一巡し、多くの人達が入ってくる東南端の入口から帰ることにしました。

 記念撮影用のパネル。


 花菖蒲まつりは、22日(日)まで開催されますが、ここ一両日が見ごろかと思われます。


 ちなみに、東村山菖蒲まつりの公式ホームページはこちらから




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初雁公園から本川越駅へ(埼玉)

2014-06-16 20:15:44 | カタツムリ歩行
 2014年6月15日(日)

 続カタツムリ歩行が、ゴールを移動した初雁公園で昼食後に解散となり、私はスタート
した本川越駅に向かうことにしました。

 その前に、公園内の初雁球場のそばにある川越城本丸御殿に回ります。


 川越城は長禄元年(1457)の築城で、この本丸御殿の造営は嘉永元年(1848)。
現在は玄関、大広間などと移築復元された家老詰所が残っていて、県の文化財に指定され
ています。                    ↓玄  関



 公園の北側の広い通りを西へ、市役所の方向へ進むと川越市立博物館のすぐ先に「道灌
まんじゅう」の看板の出て和菓子店があり、なぜか店の前に大きなウサギが…。
        


 郭町(くるわちょう)交差点の先には、川越城中ノ門堀跡がわずかながら復元されてい
ました。


 川越城へ西大手門(市役所方向)から敵が攻めてきたときの攻撃を防ぐ堀で、構築当初
の勾配を考慮して平成20~21年(2008~9)にかけて復元されたようです。


 近くの交差点際に残る古い洋風建築。


 市役所前や札の辻交差点を通過して、少し先から菓子屋横丁に入りました。


 昭和初期には70店、現在は20数店が石畳の路地に軒を連ねていて、昔ながらのハッ
カやニッキ飴、せんべい、団子などの店があり、川越観光で賑わうところの一つです。


    

 川越銘菓の店もありました。


    

 菓子屋横丁に続く路地を南に進むと、古い木造家屋が見られました。




 蔵造りの通りへ出る曲がり角には、大きさでは比べものになりませんが、奈良の唐招提
寺のような鴟尾(しび)の上がった本堂の長寿院があります。


 庫裡(くり)と思われる建物も、趣ある造りでした。


 その角を曲がって、午前中通過した蔵造りの続く県道に出ました。県道とのT字路際の
蔵造り建物の重厚な屋根瓦。
    

 マンホールのふたは、蔵造りの建物と時の鐘がデザイン。



 蔵造りの町並みが終わり、さらに同じ県道39号を南下して、14時02分に西武新宿
線本川越駅に戻り、上り電車で帰路につきました。




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続カタツムリ歩行で川越市内を巡る(埼玉)

2014-06-15 23:46:03 | カタツムリ歩行
 2014年6月15日(日)

 梅雨の中休みで快晴となった今日、FIFAワールドカップ予選初戦の日本-コートジ
ポアール戦が行われている頃、私たちは「続カタツムリ歩行」の第15回例会で、川越市
内を巡っていました。

 10時7分に、集合地の西武新宿線の本川越駅をスタートしました。駅前広場では、古
書市を開催中。


 東武東上線とJR川越線の川越駅に伸びる「クレアモール」と呼ぶ、いつも賑わうショ
ッピングストリートを少し進み、車の少なそうな通りを東に向かいます。


 600mくらいで、中院(なかいん)の北側に着き、緑陰豊富な境内に入りました。


 モミジの新緑。秋の紅葉の頃は、どんな彩りが見られるのでしょうか…。


 東向きの本堂も、木々に囲まれていて全体はよく分かりません。


 中院は、慈覚大師により天長7年(830)に創立されたとのこと。

 境内南側には、川越に生まれた島崎藤村夫人の加藤みきさんのために、藤村が贈ったと
いう「不染亭」と呼ぶ民家が移築されていました。
    
 加藤みきさんの墓も、この寺の墓地にあるようです。

 寺院の東側は川越総合高校。その間の通りを北に向かうと、次の交差点の角に本堂の無
い墓地だけの一角がありました。


 すぐ近くが、川越の代表ともいえる寺院、喜多院(きたいん)の広い境内です。寛永
10年(1633)頃の建立と考えられている随神門から境内に入ります。

 仁王門のつくりですが、両側の仁王様が立つ場所は空っぽでした。

 境内には、江戸時代の建物が幾つも残っています。こちらは正面高台にある東照宮の拝
殿と弊殿。国の重要文化財です。

 正面には、創建当時の寛永10年(1633)12月に、後水尾天皇の御真筆の勅額が
掲げられているようですが、確認しませんでした。

 境内にある「葵庭園」と呼ぶ池には、5月下旬から7月上旬にかけてホタルが飛び立つ
とか。池の周りを囲むアジサイが咲きだしていました。


 こちらは慈眼堂。寛永20年(1643)に天海僧正が寛永寺で入寂して慈眼大師とな
り、3年後に徳川家光の命によりこの慈眼堂が建てられたとのことです。


 この鐘楼門も国の重要文化財。元禄15年頃の建立と推定されているよう。


 「慈覚堂」とも呼ばれる本堂。ほかの堂塔とは比べもにならない大きさです。


 境内北側にある多宝塔の横を北に抜けて、喜多院を後にしました。


 喜多院の駐車場前にあるのは、川越銘菓で知られる亀屋の売店。


 そばの小さい交差点際には、川越のシンボル「時の鐘」に似た塔が…。

 「寿庵」と呼ぶおそば屋さんでした。

 次の交差点際には川越歴史博物館がありますが、時間が無いので入館は省略しました。


 同じ交差点の手前側は、成田山川越別院です。


 成田山の南側の通りを西に向かいます。古そうな店は、天明3年(1783)創業とい
ううなぎ屋さん。


 連雀町交差点に出て、スタートした本川越駅から北へ、蔵造りの町並みに延びる県道
39号に入り、すぐ右手の川越熊野神社へ。


 今日は毎月第3日曜の縁日なので近隣の方が参詣に来ていて、露店も出ています。


 県道を挟んで西側は、川越七福神、福禄寿尊の連馨寺(れんけいじ)。
 

 天文18年(1549)に創建された浄土宗の寺院。本堂前には、なでると御利益が高
いと人気の、おびんづるさまが鎮座していました。
        
 私もあちこちをなでて、身体の健康を祈りました。

 県道の仲町交差点の北側から、蔵造りの町並みが続きます。

 交差点際は、川越の銘菓で知られる亀屋の本店。

 県道に相対する建物。 


 川越観光の代表的な場所とあり、多くの観光客で賑わっていました。


 国の登録有形文化財となっている、埼玉りそな銀行川越支店。

 第八十五銀行本店として大正7年(1918)に建てられた近代金融史のシンボル的な
洋風建築で、現在も営業中です。


 こちらの店は、箸(はし)置きの品揃え日本一とか。あなたの欲しい箸置きが見つかる
かもしれません。
    

 さらに続く蔵造りの建物。
  

 服部民俗資料館の看板が下がっていました。


 通りの反対側も、蔵造りが続きます。


 通りの東側、路地を少し入ったところに「時の鐘」が見えました。
    
 寛永年間(1624~44)の創建から約390年間、美しい音色で「時」を告げてき
た川越のシンボル。4代目といわれる現在も、6時、正午、15時、18時に鐘の音が響
きます。

 釜めしの店など。


 川越まつり会館。秋の川越まつりで実際に曳(ひ)かれる山車2台を展示し、大型スク
リーンでまつり当日の約6分間の映像が見られ、日曜や祝日にはお囃子の実演もあるとか。


 レトロな彩りのボンネットバスが通過しました。


 川越まつり会館の少し先、札の辻交差点で蔵造りの町並みは終わり、次の三差路の信号
を右折して東へ、裁判所の先にある川越氷川神社がゴール。12時ちょうどに入りました。


 境内にあった戌(いぬ)岩。姿が本殿に向いた犬の形をしていることから名付けられ、
安産祈願の参詣者が多いようです。
    

 太田道灌手植えという矢竹もあり、道灌が読んだという歌も記されていました。
        

 次々の参加の皆さんが到着しましたが、赤ちゃんの初参りなど神社への参拝者が多くて、
食事できそうな場所が無いので、南東方向にある初雁(はつかり)公園に行くことにしま
した。

 川越市立美術館と市立博物館↓の前を入ると初雁公園です。


 12時15分頃に着き、高校野球の県大会も行われる初雁球場に入り、中学生の試合を
見ながら昼食をしました。



 食事を終えて記念撮影をして、12時50分頃流れ解散となりました。

 (天気 快晴後晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 川越北部、歩行地 川越市、
  歩数 7,200)

 この後私は、通過していない通りを回って本川越駅に向かうことにしました。その行
程は次回に。



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雨の中 ときがわ町の里道を巡る(埼玉)

2014-06-09 20:28:09 | カントリーウオーク
 5月末の35度前後の猛暑に続き、6月5日(木)の梅雨入り後は毎日かなりの雨が
続き、当ブログもしばらく休眠状態が続きました。

=======================================

 2014年6月8日(日)

 梅雨入りから4日間、連日雨だったが、カントリーウオークグループの第214回例
会のこの日も一日中雨の予報。集合地のJR八高線(はちこうせん)明覚(みょうかく)
駅のあるときがわ町は、この日の朝6時までに関東で最多、平年の6月、7月の2か月
分を越える385㎜の降雨が記録されていた。

 その雨のためか参加者は少な目の10人なので、いつものようなグループ分けはせず、
「関東の駅百選」に選定された駅舎を背に記念撮影をして、10時20分に出発した。
    
 

 == ときがわ花菖蒲園から雀川沿いを ==

     
 線路際を進んで県道172号に出て、八高線のガードをくぐって東へ。「ときがわカ
ヌー工房」の先で北側の細道に入って都幾川右岸段丘の住宅地を回り、町役場の西にあ
る「ときがわ花菖蒲園」を訪ねる。

 今日は「第12回ときがわ花菖蒲まつり」の日。地元農産物や飲食物を販売するテン
トが並び、あいにくの雨にもかかわらずかなりの人が訪れていた。
    

 休耕田を活用した菖蒲田には約8,200株のショウブがあり、木道で回遊できる。


    
 花はまだ3~4分咲きくらいだが、来訪者はショウブやショウブ娘にカメラを向け、
木道を巡っていた。


 そばを流れる都幾川はかなりの水量である。



 下流の橋を渡り、玉川小そばの十字路を右折し、県道171号と交差する次の交差点
際にある「ふれあいの里たまがわ」に寄り、20分ほどの買い物タイムに。

 「地元産の安心・安全な農産物や地域加工品を提供する地域おこしの拠点施設」の一
つとか。
    
 野菜や果物、麺類や地元の加工食品、花などを求めて、マイカーで来た多くの人で賑
わっていた。私も、地元の方手作りのそぼくな弁当を求める。

 北に少しで都幾川の支流、雀川の橋を渡る。橋のそばに「木の町ときがわ」らしい、
木材を簡単に加工した手作り作品が並ぶ。


 川沿いから根際集落の山すそに回って龍福寺へ。

        
 東側道路際に古い地蔵菩薩像などが並び、本堂の左手、やや荒れた阿弥陀堂に県指定
有形文化財の阿弥陀如来座像が安置されている。

 鎌倉前期の12世紀末~13世紀初頭の制作と考えられるようだが、堂内は暗くて全
体像は認識しにくい。お堂の前のボダイジュが、目立たぬ花をいっぱい付けていた。
    

 墓地の前を西進するとすぐ、うっそうとした広葉樹に覆われた斜面に春日神社がある。


春日神社の森はスダジイ、アラカシ、タブノキ、ヤブツバキ、サカキなどが多数繁茂し
ていて、県の「ふるさとの森」に指定されている。



 ゴウゴウと激しく岩をうがって流れる雀川を渡り、ウグイスさえずる根際の小集落を
西に抜ける。


 植えて間もない水田や雨に煙る集落などを眺めながら進み、次の集落のところで雀川
左岸の草付きの道へ。草がかなり伸びたところもあり、足もとが少し濡れる。

 「基盤整備事業完成記念碑」横の橋を渡り、舗装された右岸沿いに回る。植えたばか
りなのか濁った水田や、これから田植えのために代(しろ)かきしている田んぼもある。


 一時小降りになった雨脚がまた少し強まってきた。雀川がJR八高線の南に回るとこ
ろで線路沿いの車道へ。


 次の踏切を渡って再度雀川左岸沿いに進み、12時5分に昼食地の「ホタルの里公園」
に着き、東屋(あずまや)に入って昼食とする。
    

 == 本郷を抜けて体育センターへ ==

 
 昼食後にミーティングを済ませ、12時50分に出発した。咲き残る公園のツツジを
背にもう一度記念撮影して、500mほどは往路を戻る。

 線路の向こうにキジがいて、そばに近づき立ち止まっても逃げない。線路があるので
安心と分かっているのだろうか…。
    

    
 花の咲くズッキーニ畑があり、線路沿いを500mほど進んで踏切を渡り、中の原集
落へ。「村制百年記念 平成の碑」があり、旧玉川村が平成元年(1989)に村制百
年を迎えたことが記され、記念に植えたという傍らのクスノキが、かなり大きくなって
いた。
    

 近くの四差路際の十王堂には、奇怪な形の自然石に刻まれた庚申塔などが並んでいる。
        

 愛宕山(160m)西麓の小さい峠に向かって緩やかに上がる。下り始めた辺りには
咲き出したアジサイが雨に濡れ、下った本郷のビール麦畑は麦秋で色づいていた。


 Y字路際に「木の駅ときがわ」の看板が下がる木工品直売所があった。中に入り大小
様々な木の加工品や原木などを見せてもらう。
    
 ご主人が、誰も分からないだろうと木の香をかがせてくれたのは、白檀(びゃくだん)
の厚板。確かに、かいだことの無い芳香だった。


 建物の横から無住の観音寺の境内を抜け、雨に濡れる水田の間を進んで都幾川の橋を
渡る。





 緩やかな斜面を上がって田中集落に入り、「せせらぎホール」と呼ぶ大きな体育セン
ターの広場に入った。

 県道172号に面した北側広場は「せせらぎセンターバスターミナル」で、町内や近
隣の武蔵嵐山駅、小川町駅、越生駅などへのバスがある。


 14時に着き、待合所そばの武蔵嵐山駅行きバス時刻を見たら9分後にある。雨は止
みそうに無いので予定の明覚駅まで戻るのは止め、今日はここをゴールとしてバスに乗
る。14時39分に東武東上線武蔵嵐山駅に着き、間もなくの上り電車で帰途についた。

(参加 10人、天気 雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 武蔵小川、歩行地
 ときがわ町、歩数 14,500)




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