あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

所沢メンネルコール第33回定期演奏会で練馬文化センターへ(東京・練馬)

2019-07-28 22:58:02 | 所沢だより
 2019年7月28日(日)

 今日は、所沢市を活動拠点としている男声合唱団「所沢メンネルコール」の第33回定
期演奏会に出かけました。
     
 会場は、いつもの所沢市民文化センター「ミューズ」が改修工事で休館しているため、
西武池袋線の練馬駅北口正面にある練馬文化センターです。



 12時45分開場なので駅周辺で昼食を済ませ、開場後間もなく入館しました。・


      受付でもらった今回の演奏会用パンフレットの表紙
     

 演奏会場は練馬文化センターの大ホール、座席数は例年の会場・ミューズの大ホールの
2002席には及びませんが、1階864席、2階610席、合わせて1486席です。

 開演中は撮影禁止なので、開演前に2階最前部近くの座席からステージを。


 演奏会は13時30分から始まりました。今日のプログラムです。
      

 第1ステージ「ラテン歌曲」と第3ステージ「宇田川ワールド」は、所沢メンネルコー
ルのメンバーのみ、40人余りの演奏でしたが、第2ステージ『男声合唱組曲「尾崎喜八
の詩から」』と第4ステージ『男声合唱のためのカンタータ「土の歌」』では、公募出演
者19名と賛助出演の男子合唱団「リーダーターフェル ジルヴァーナー」の皆さん18名
も加わり、70数人による力強く見事なハーモニーでの演奏でした。

 昨年の演奏会の模様をプログラムから。


 指揮をされた岩佐義彦さんと、ピアノ伴奏の大下さや香さんをプログラムの写真から。
    

 休憩を挟んだ後の第3ステージの冒頭では、プログラムとともに配られた「夏の思い出」
(作詞 江間章子、作曲 中田喜直)の歌詞を見ながら、会場の皆さんもステージの出演
者とともに大声で合唱しました。

 プログラムとともに6頁になる全曲の歌詞集も配布され、曲の理解が容易でした。

 時には繊細に、時にはダイナミックに、そしてコミカルな曲もあり、見事なハーモニー
の演奏を楽しみ、アンコールの「この町で」の演奏を最後に、15時35分過ぎに演奏会
は終了しました。

 終了後の1階玄関ホール付近

 
 ここで私も、チケットをいただいたセカンドテナーのIさんを探してお祝いとお礼を申
し上げ、Iさんから紹介いただいた、当ブログをご覧いただいているというバリトンのY
さんともお会いし、少しの時間を過ごして会場を後にしました。

 文化センター前の緑地には、2017年の練馬区独立70周年記念樹「希望(のぞみ)
の桜」が植えられ、その下には区内在住の松本零士さんが記された記念碑がありました。
     

        

 練馬区独立というのは板橋区から分離独立したもので、練馬区の独立により現在の東京
23区制ができあがったのでした。

 蛇足ながら、私はその練馬区独立の5年後から15年間、練馬駅南口から10分ほどの
ところに住んでいたのですが、その頃この練馬文化センターの場所は鐘紡の工場でした。

 現在の練馬区民でも、このことを知っている人はもうわずかかもしれません。 


 練馬駅から16時08分発下り電車に乗り、帰路につきました。


 ちなみに、男声合唱団 所沢メンネルコールのサイトはこちらを
 
 





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イタリア8日間の旅④ パドヴァ、フェラーラ、ラヴェンナ観光後サンマリノへ(1)

2019-07-26 21:31:28 | イタリア旅行
 第4日 2019年5月31日(金)
 == パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(1/3・パドヴァ) ==



 イタリア北東部、パドヴァの北郊にあるクラウン プラサ ホテル パドヴァにて5時40
分に起床した。3階の部屋から外を眺めると快晴である。6時50分からホテルのレスト
ランでバイキング朝食をした。


 7時58分にホテルを出発して、パドヴァ市内の観光に向かう。今日の最高気温予想は
25℃とのこと。

 パドヴァ(Padova)も、昨日回ったベローナやトレヴィーゾなどと同様ヴェネト州にあ
り、パダナ平野に位置する活気あふれる商工業の中心地。

 周辺地域を含む人口は約21万人でパドヴァ県の県都であり、州都ヴェネツィアの西約
34㎞にある。

 郊外に広がる農業の中心地であり、服飾、繊維、食品などが主要産業で、世界的な見本
市が開かれることでも知られ、1222年開設のパドヴァ大学はイタリアで2番目に古い
大学で、ガリレオ・ガリレイやダンテなどが教授を務めているという。

 8時40分にパドヴァ中心街の北側、アレーナ市民公園のそばでバスを下りた。

 待っていた英語ガイドのフティアーナさんに従い、緑豊富な公園を南へ進むと左手に見
えてきたのはスクロヴェーニ(Scrovegni)礼拝堂。

 礼拝堂の場所が、古代ローマの競技場(アレーナ)跡に隣接しているので「アレーナ礼
拝堂」とも呼ばれ、堂内は1305年にスクロヴェーニが奉納した、ジョット・ディ・ボ
ンドーネが描いた西洋美術史上もっとも重要な一連のフレスコ絵画で覆われているという。

 そばに銅像があるが、誰の像かは分からない。
 

 公園を出て、トラムの走る通りに面してズッカーマン邸がある。

 19世紀初めに起業家ズッカーマンのために建てられたもので、現在内部は現代彫刻や
装飾、貨幣や家具などの博物館になっているようだ。


 その先には郵便局らしい建物があった。


 さらに進んで城門をくぐり広場に出た。
 




 その一角にあるカフェ・ペドロッキ(Pedrocci)に入る。

    
 1831年創業の老舗カフェで、入口にライオン像がある。

     
 2階はイタリア統一運動とファシズム時代の町の歴史を伝える小博物館のようだが、1
階の入口とカフェを少しだけのぞくに留める。



 すぐ南西側には市庁舎↑があり、相対して建つパドヴァ大学前↓を通ってエルベ広場へ。
     


 たくさんのテントに野菜や果物などの露店が並び、人出も多い。




 広場の北西側の大きなアーチの目立つ建物は、この街の人々に最も親しまれサローネ
(Salone)とも呼ばれるラジョーネ(Ragione)宮。

 パドヴァの行政府の法廷として1218~19年に建てられ、周囲を飾るアーチの続く
柱廊と竜骨状の屋根は1306年に改築されたとのこと。


 2階の広いサロンには宗教と占星術を題材としたフレスコ画で飾られている。

     
 1階のアーケードと柱廊には50以上の商店が並び、かつてはヨーロッパ最古の商業セ
ンターだったという。

 1階の食料品店を見ながらアーケードを進み、広場のテントに並ぶたくさんの商店も眺
めながら進む。






     

     
 壁面に宗教画が描かれた教会のような建物があるが、何なのか分からない。

     
 エルベ広場から細い通りを南に向かって進み、イタリアでも最も有名な聖地というサン
タントニオ(S.Antoni)聖堂前へ。
     
     

 パドヴァの聖人、サンタントニオの墓のために建てられたものとか。


 正面はゴシック様式で、ビザンチン様式の8つのドームと尖塔も付いた回教寺院風な巨
大な聖堂で、1232年に着工し16世紀に完成したという。聖堂の正面は長さ37m、
高さ28mあるとか。

     
 正面中央の入口↑から聖堂に入り内部を拝観したが、撮影は禁止なので、わずかの寄付
を納めてもらった日本語ガイドからその一部を紹介する(印刷品質はいまひとつ)。
       
      大聖堂内部
     

 聖人の墓とチャペル


 聖アントニオの伝記から「欲深い男の心臓の奇跡」


 同じ伝記の「溺死した女性を生き返らせる奇跡」


      後光の礼拝堂が並ぶ部分
     

           聖ヤコブ礼拝堂の十字架画の一部
          

      本祭壇と内陣
     

     
 その後、聖堂に接する修道院の5つある中庭に入り、回廊から堂内の建物などを眺める。


     



 中庭のひとつには、樹齢200年というタイサンボクの古木が立っていた。
     

 聖堂前の広場には、ガッタメラータ(Gattamelata)騎馬像がある。
     
 ヴェネツィア共和国の傭兵隊長ガッタメラータの騎馬像で、傭兵隊長としてフィレンツ
ェ教皇庁に仕え、1434年にはヴェネツィア共和国下級司令官となり、ヴェネツィア防
衛やヴェローナの征服に成功するなどして総司令官にまで出世し、1443年パドヴァに
て没した人だという。


 そばの、尖塔の立つ建物はサン・ジョルジョ礼拝堂で、1377年に建てられ内部は一
面フレスコ画で覆われているという。


 サンタントニオ聖堂前から西南へと進んで、楕円形の広大な公園(広場)に行く。周囲
の一部には露店も並んでいた。



 プラート・デッラ・ヴァッレ(Prato della Valle)で、古代にはローマ劇場があった
場所で、18世紀に建造されたよう。

 緑豊富な公園の中央に堀が巡らされていて、彫刻が80点も縁取っている。
     










 南東側には複数のドームのサンタ・ジョスティーナ(S.Giustina)大聖堂が望まれるが、
工事中のようで塀に囲まれていた。

 これでパドヴァ観光を終えた。10時09分にバスは出発して次の観光地、南南西へ約
90㎞のフェラーラに向かう。(続く)





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イタリア8日間の旅③ バッサーノ・デル・グラッパとトレヴィーゾ観光へ(後半)

2019-07-21 20:45:26 | イタリア旅行
 第3日 2019年5月30日(木)
 == バッサーノ・デル・グラッパとトレヴィーゾ観光へ(後半) ==


 午前中のバッサーノ・デル・グラッパの観光を終え、次の観光地トレヴィーゾに向かう。


 沿道にはトウモロコシ畑が多く、トレヴィーゾに向かうルートでサイクルレースが行わ
れているようで、バスは何か所か迂回させられる。


 迂回路で道が分からなくなり、ドライバーのカルメーロさんは途中で問い合わせたりし
てさらに遅れ、同じ道みもう一度回ったりもした。


 トレヴィーゾ空港前を通過して市街が近づき、何本もの線路が走る鉄道の上を陸橋で越
えてトレヴィーゾ駅前を通過する。




 市街地に入って橋を渡り15時50分に中心街の北東部にあるバス駐車場に着いた。


 トレヴィーゾ(Trevio)は、ベローナやバッサーノ・デル・グラッパと同じベネト州の、
トレヴィーゾ県の県都で人口は約8万3千人。アパレル会社ベネトンや電機メーカーのデ
ロンギの本社があり、ティラミス発祥の地。


 水路が多いため「陸のベネチア」とも呼ばれ、愛知県一宮市と友好都市になっていると
いう。


 市街地を進んでセニョーリ広場に出た。時計塔のあるのはポデスタ宮のよう。


     
 細い通りを進み、さらに平行する細道に回ると「おっぱいの泉」がある。
     
 豊満な女性の乳房から噴水が出ていて、飲むことができるとのこと。ちょうど来た女性
が手を洗ってから飲んでいた。
     

 さらに進んで「ドゥオーモ」とも言われるサン・ピエトロ大聖堂前へ。
     
 ローマ時代後期に建てられた小さな教会が、後に多くの手が加えられ、ローマ時代から
残るのは門のみという。ここにも時計塔があった。
     

    
 ドゥオーモの内部に入って拝観することにした(無料)。入口にはライオンの像がある。
     

 祭壇の上にティツィアーノの「受胎告知」がある。ティツィアーノは、ベネツィア派の
画家の中で最も有名かつ重要なルネッサンス期のイタリアを代表する画家とのこと。
     

     
 ほかにも壁面や天井などに幾つもの絵画が描かれていた。


     

          

     

     

          


 一巡して祭壇や飾り物、パイプオルガンなども眺める。


     

     

          

          


 ドゥオーモを出た後は、建物の周囲も見ながらアーケードになっている商店街へと進む。





 ドゥオーモの裏手だったろうか。
     





     

     
 トレヴィーゾの地図が入手できなかったので、どこをどう歩いたかがはっきりしない。





 

 歩いた順に撮った、目につく建物などを並べる。
     







 セニョーリ広場に17時に戻ってバス駐車場に行き、17時10分に出発した。



 高架の道路に上がって通りやトレヴィーゾ駅周辺などを見下ろし、郊外に出て今日の宿
泊地、南西に約60㎞のパドヴァに向かう。



 夕方のラッシュ時なので道路は一時かなりの渋滞となる。

 パドヴァ中心街の北郊約5㎞、A4高速道路の出口パドヴァ・オヴェストにある、今日
の宿泊地、クラウン プラサ ホテル パドヴァ(Crowne Plaza Padova)には18時10分に
着いた。
 

(天気 ベローナ 晴、バッサーノ・デル・グラッパとトレヴィーゾ 曇、歩数 11,900)





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イタリア8日間の旅③ バッサーノ・デル・グラッパとトレヴィーゾ観光へ(前半) 

2019-07-19 22:49:05 | イタリア旅行
 第3日 2019年5月30日(木)
 == バッサーノ・デル・グラッパとトレヴィーゾ観光へ ==



 ベローナ南郊のホテル、ベスト ウェスタン CTC ベローナにて、6時45分に起床した。
今朝は晴天である。7時20分からホテルのレストランにてバイキング朝食をする。


 ホテルの中庭には、きれいなアジサイが咲いていた。


 8時44分にバスでホテルを出て、北東へ約98㎞の今日最初の観光地バッサーノ・デ
ル・グラッパに向かう。今日の最高気温予想は21~22℃という。

 バス車中では、添乗員の福原さんからイタリアの歴史について説明があったが、メモは
せずに聞き流してしまったのが残念。


 バスは、ブドウ畑などの広がる沿道を進む。北方には残雪の残るドロミティアルプスの
山並みらしいも望まれた。



 9時50分から10時05分まで、「AUTOGRILL」の看板のあるところでトイレ休憩
する。


 10時43分にバッサーノ・デル・グラッパ旧市街南側のバス駐車場に着く。

 バッサーノ・デル・グラッパ(Bassano del Grappa)は、ベローナと同じベネト州のヴィ
チェンツァ県にあり、県内2番目の人口約4万人の基礎自治体とのこと。バッサーノ・デ
ル・グラッパとは、グラッパ山の麓という意味。

 特産品は、蒸留酒のグラッパやホワイトアスパラガス。北イタリアの有名な陶器生産地
のひとつでもあり、17世紀に始まった彩色陶器グラッパ焼で知られているという。


 駐車場の近くにはヴォティヴォ(Votivo)教会が建っている。



 北に延びる通りを進んで、旧市街中心部のガリバルディ(Garivaldi)広場へ。たくさん
テントの露店が並び観光客も多い。高い塔は時計塔のよう。







 野菜や果物を売る店には、特産のアスパラガスも並んでいた。
    

        

 広場に面した教会らしい建物は、サンフランチェスコ教会だろうか…。


 西側に接するリベルタ(Libelta)広場から西南西に緩やかに下り、ブレンタ(Brenta)川
左岸沿いの通りを北に進んで、町のシンボルともいえる木製屋根付きのポンテ・ヴェッキ
オ(Ponte Vecchio)橋際へ。
     


 橋は何度か架け替えられていて、現在の橋は1948年に架け直されたとか。その橋も
老朽化したようで改修中だった。


 橋を渡って対岸・右岸の建物の間から橋を眺める。大雨の後のようで、水量豊富で急流
になっている。対岸の旧市街の建物も眺めた。


 ここでフリータイムとなり、昼食も各々でということになったが、不安な人は添乗員の
福原さんがお勧めのピサ店に行くため、12時30分にガリバルディ広場に集合すること
になる。


 さらに上流側に少し進むと、幅広く川の周囲を眺められる場所があり、橋や対岸の建物、
上流の山並みなどがよく見えた。






     
 橋のそばには、2010年に造られたらしい若い男女の抱擁像がある。
    


 工事中の橋を抜けて左岸に戻る。橋からは下流の橋が望まれる。


     
 リベルタ広場を経て集合場所のガリバルディ広場へ。


     
 銀行らしい建物には装飾が施されていた。


     
 昼食場所についてはほとんどの人が福原さん頼りに集まり、広場に面したピザ店に入る。


     
 ここではお勧めの、特産アスパラガスと卵を細かく切り刻んだものをピザにのせていた
だく。
    
 この地しか味わえない新鮮なアスパラガスの味だというが、細かく刻まれているのでそ
の良さは分からなかった。

     
 13時38分にピザ店を出て、南に進んでヴォティヴォ教会のそばの駐車場に戻る。

 13時54分にバッサーノ・デル・グラッパを後にして、午後の観光地、東南東へ約50
㎞のトレヴィーゾに向かう。(続く)





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イタリア8日間の旅② シルミオーネとベローナ観光へ(後半)

2019-07-17 22:38:57 | イタリア旅行
  第2日 2019年5月29日(水)
 == シルミオーネとベローナ観光へ〈後半〉 ==



 イタリア北部の古都ベローナには15時30分過ぎに着いた。

 ベローナ(Verona)は、ミラノやシルミオーネのあるロンバルディア州の東側、ヴェネ
ト州の西端近くに位置し、周辺地域を含む人口約25万人の基礎自治体でベローナ県の県
都。

 周囲を緩やかな丘に抱かれた町の中心部をアディジェ(Adige)川がゆったりと蛇行して
流れ、古代ローマ時代から芸術、文化、農業、商業の中心地として北イタリア繁栄の鍵を
握る町だったという。

 いまも古代ローマ時代の円形競技場が残り、町の象徴になっているほか、中世の町並み
がよく残っていて、2000年には「ベローナ市街」として町全体がユネスコの世界遺産
(文化遺産)に登録されている。

 また、シェイクスピアの戯曲『ベローナの二紳士』『ロミオとジュリエット』の舞台と
しても知られている。


 バスを下りて現地ガイド・クロサキさんの案内で、アディジェ川にかかるスカリジェレ
(Scaligero)橋を眺めながら進み、橋に続くカステルヴェッキオ(Castelvecchio)城に向
かう。

 「カステルヴェッキオ」とは古い城という意味で、城は14世紀半ばに建てられ、中は
美術館になっているという。


 城からは、豊富な流れのアディジェ川が望まれる。



 対岸に見える塔はサン ゼーノ マッジョーレ教会。

 城門をくぐって旧市街に入り、南東に少し進んでブラ(Bra)広場へ。
     









     
 この広場はイタリアで一番広い広場のようで、大勢の人で賑わう。




 広場の南東側には市庁舎がある。




 広場の一角に騎馬像があった。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像のよう。
     
 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世はサルデーニャ王国の最後の国王(1849~61)
で、イタリア王国初代国王(在位1861~78)でもあり、統一イタリアの象徴として
国民から敬愛されてるという。

 近くの噴水は、ベローナの姉妹都市・ミュンヘンから寄贈されたもので、「アルプス噴
水」と呼ばれているとか。


 市庁舎の左手、広場の東北側に目につくのがローマのコロッセオをひと回り小さくした
ような建物、アレーナ(円形闘技場)。

 古代ローマ時代の1世紀に城壁外に建てられたが、3世紀に防衛の目的でここに移され
たとのこと。最初の頃は人と人の闘技が行われ、2世紀頃からは人間対猛獣の闘技が行わ
れていたよう。

 アレーナは、コロッセオより小さいが長径約140m、短径約110mもあり、保存状
態が良く音響にも優れていることから18世紀以降には曲芸、バレエなどの様々な用途に
使われるようになる。
     
 1913年に野外オペラ・フェスティバルが行われ、有名なオペラ歌手のマリア・カラ
スがイタリア・デビューを飾り、以後夏の野外オペラフェスティバルなどの催しが開催さ
れているようだ。でも、外から見る壁面はかなり崩れたところが見られた。

     
 観光客などで賑わう細い通りを進んで建物のゲートをくぐり、ベローナ人気の観光スポ
ット、ジュリエットの家の前へ。
          

     





     
 シェークスピアの名作「ロメオとジュリエット」の舞台といわれる13世紀建造のスカ
ラ家である。

 2階のバルコニーが、ジュリエットがロメオと愛を交わしたところ。その下にはジュリ
エットのブロンズ像があり、胸に触ると幸せな結婚ができるといわれ、たくさんの人に触
られ光っていた。
     
  

 北に少しで、周囲を建物に囲まれたシニョーリ(Signori)広場へ。その中で南側の目立
つ高い塔はラジョーネ(Ragione)宮のランベルティ(Lamberti)の塔。
     
 ベローナで一番高い建物で、途中まではエレベーターもあるが全部階段で上がると368
段あり、街全体が世界遺産のベローナの素晴らしい街並みが一望できるという。


 広場には白いテントの露店がたくさん並んでいて大賑わい。








     
 広場の一角には、スカラ1世のもと、この地で亡命生活を送ったというダンテの像が立
っている。

 背後の建物はコンシリオの回廊で、ベネツィアン・ルネッサンス初期のフラ・ジョコン
ドの秀作とか。かつてはここに議会が置かれたこともあるという。


 それに接した右手はベローナ県庁舎で、スカラ家により13世紀に建てられたらしい。

     
 広場の南側にあるラジョーネ宮の壁面は、たくさんの彫刻に彩られていた。


     

     
 シニョーリ広場の東側のゲートを抜け、サンタ・マリア・アンティカ(St.Maria Antica)
教会の前に行く。

 そこにある独特の建造物はスカラ家の霊廟で、ベローナの領主たちの墓碑として建てら
れたとか。スカラ家は、1260~1387年にベローナを支配したという。
     
    
     
 霊廟を囲む鉄柵には、スカラ家の紋章(階段)が形取られており、霊廟の最上部には、
カングランデ1世の騎馬像がある。ただ、こはレプリカで、本物はカステルヴェッキオ城
の博物館にあるという。
     

          
  

 ここでフリータイムとなり、教会を外から眺めてからシニョーリ広場広場に戻り、開催
中の市場をのぞいたりして、17時15分に広場の隅にある塔の前に集合する。




     

     

 
 これでベローナ観光を終え、旧市街を進んでアディジェ川沿いに出る。
          









     


 橋の向こうの建物群やかなりの流量の川の流れなどを眺めながら橋際のバス駐車場まで
戻り、17時30分に出発した。





 バスは郊外に出て高みに上がり、高台から左右に移りゆく田園地帯や新しい住宅地を眺
めながら進む。


 ベローナ中心部から南南東に約6㎞、宿泊するホテル、ベスト ウェスタン CTC ベロー
ナには18時10分に入った。           (天気 曇、歩数 14,500)





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久しぶりにつゆ空の高尾山へ(東京)

2019-07-14 21:45:54 | ハイキング
 2019年7月7日(日)

 しばらくつゆ空が続き、カントリーウオークグループの例会の今日も小雨模様で気温も
20℃前後で涼しい。そのためか、集合地の京王高尾線の終点、高尾山口駅に集まったの
は6人だけだった。


 今回はこの時期を考慮してカントリーウオークではなく、ケーブルで高尾山に上がり、
林間を下ろうというのが担当のTさんの企画である。

 駅前広場には高尾山の大きな案内図がある。



 駅前の観光協会で高尾山マップやコースマップなどもらう。霧雨模様だが傘を差すほど
でなく、10時10分頃スタートした。沿道のアジサイが雨模様でみずみずしい。


== ケーブルで中腹まで上がって高尾山頂へ ==

 西へ200m前後進んでケーブルカーとエコーリフトの上り口、清滝駅に行き、10時
30分発ケーブルカーに乗る。

 私は高尾山には6回ほど来ているが、ケーブルに乗ったの初めてかもしれない。


 標高201mから高低差270mを最大斜度31度という日本一の急勾配でちょうど1
㎞の距離を上がり、標高472mの高尾山駅に6分ほどで着いた。



 駅前広場からは北側の展望が開ける。遠望は利かないが、周辺の山並みや中央道と圏央
道との八王子ジャンクションなどが望まれる。


 この先は、山頂への主要路、1号路を約1・8㎞の緩やかな上り道。しっとりした沿道
にヤマユリが咲き出す。
         
  

 すぐ先で今度は南側の展望が開け、ガスで霞む八王子の市街地が見下ろせ、ガスの上が
る重畳たる周辺の稜線が望まれる。


     




 その先も沿道にはアジサイがあちこちで花を見せ、アカショウマも多い。
         


 少し進んでサル園・野草園前を過ぎると杉の古木が増える。その中に、八王子市天然記
念物で高さ37m、目通り幹囲約6m、樹齢約450年という「たこ杉」があった。
     






  

 山門を入ると左手に古い社殿があり、柱に「腰痛平癒」と「健脚祈願」と記されていた
ので手を合わせる。その先、道の両側に朱塗りの灯ろうが立ち並ぶ。




    
 下草には、オオバジャノヒゲと呼ぶ白い小さな花が咲いている。

     
 Y字路となり、左手は男坂か直線の急階段が伸びているので右手の緩傾斜の道を進む。
          



 両側の国有林は「高尾山自然休養林」で、レクリェーションの森に指定されている。樹
齢千年近いのも残る「高尾山杉並木」は東京都指定天然記念物でもある。
     


 それら杉並木は多くの人たちの杉苗志納金により維持し植え続けられているようで、志
納者の名札が延々と続き、地元八王子に住む歌手・北島三郎さんの名もあった。
     


 間もなく高尾山薬王院の大きな仁王門を入る。


 独特の風貌の「高尾山の天狗さま」が並び、手洗い所には金色の八大龍王が立ち、隣接
のお堂には結縁の願をかけたたくさんの鈴が吊されている。
     

          

  
 修行大師堂と御札所の間を抜けた背後の高みには、薬王院の本堂↑や鐘楼、愛染堂、聖
天堂などが配置され、鐘楼の四隅の柱には龍の精巧な木彫が施されていた。




         

 延宝5(1677)年の薬師堂炎上による類焼後後に再建されたと推定される大師堂は、
都の有形文化財。



 少し上がって左手に立つ本社は飯縄権現堂とも呼ばれ、向拝(こうはい)や虹梁(こう
りょう)、海老梁(えびはり)などの精巧で色鮮やかな絵模様彫刻が素晴らしい。やはり
都の有形文化財である。


 さらに1号路の石段を上がる。最奥の奥の院・不動堂は17世紀後半頃の建立と推定さ
れ、こちられも都有形文化財。


 その先は少し下りとなり、この辺りではガスが濃くなり周辺も霞んできた。
     

 最後の石段を上り、高尾山頂十三州大見晴台の広場に11時55分に着いた。

 標高599.2mの二等三角点があり、高尾山頂の標柱も立っている。よく晴れた日な
ら、富士山をはじめ相模湾や房総の山々など十三州が望めるというが、今日は全く無理。

 晴天の休日には外国人を含めて大変な人で埋まるはずだが、今日はわずかなグループの
み。西側の高尾ビジターセンター横のテーブルとベンチが空いていたので昼食としたが、
霧雨模様となる。

 40年前のこどもの日、勤務先の有志で来た時には、ここでくさやを焼いて皆で食べた
ことを思い出す。来訪者の激増している現在では考えられないことだろう。


 ベンチ横にもアジサイが咲き、「富士までに およぶ雲海 平けつゝ 大見晴らしの 朝鳥の
こゑ」と刻まれた日本野鳥の会創立者、中西悟堂の歌碑もある。

 昼食を終え、記念撮影をして12時32分に下山にかかる。


 == ぬかるみの稲荷山路から谷間の6号路を下る ==


 下りは、幾つかのルートのうちで最南端の稜線を下る稲荷山コースを下ることにした。

     
 いきなり急傾斜の木の段が続き、慎重に下る。木の段が終わりやれやれと思ったら、そ
の下はぬかるみ道となる。木道も少しだけあったが、木の根や水溜まりが多く、傾斜もあ
るので滑らぬよう慎重に足を運ぶ。

 少し下ると谷間の6号路へのトラバース路があるが、倒木があるとの表示も。でも、ぬ
かるみ道よりもと6号路に回ることにした。


 倒木はすぐ近くだったが切断してあり、難なく越えることができ、間もなく谷筋に下り
た。
     

     
 ぬかるみからは解放されたが、こちらにも岩や木の根がむき出たり、小さな流れを横切
るなど、歩きにくいところが何か所かある。




 それらをクリヤして下るうちに、次第に歩きやすくなってきた。雨に濡れてしっとりし
た樹林、たっぷりとフィトンチッドを感じながら下って行く。
     
  
     
 かなり下って行くと、左下に琵琶滝が見えてきた。滝のそばにお堂があり、お堂の前に
は綱が張られていて、滝のそばには行けない。



 傾斜が緩んでさらに下り、水量の増えた流れを見下ろしながら進む。


 古いお地蔵さんがたくさん並ぶ前を過ぎて間もなく、乗車したケーブルカーの清滝駅前
に出た。


 ゴールの京王高尾線高尾山口駅には14時38分に戻る。

 この日の八王子市の最高気温は21.4℃。梅雨時とはいえ季節外れの涼しさで、霧雨
に少しは濡れたとはいえ、7月例会としては歩きやすい一日だった。

(参加 6人、天気 曇一時小雨、距離 6㎞、地図(1/2.5万)、八王子、歩行地
 八王子市、歩数 12,400)





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NHK総合TV「逆転人生」で話題の三富今昔村へ(埼玉・三好町、所沢市)

2019-07-11 21:06:02 | 所沢だより
 2019年7月5日(金)

 「絶体絶命の危機から奇跡の大逆転!」というドラマチックな人たちを紹介する番組が、
4月からNHK総合TVで始まった。

 月曜夜10時からの「逆転人生」で、その7月1日(月)の放映は、所沢のダイオキシ
ン問題と、その後に起きた奇跡の逆転劇が紹介された「ヤマユリ咲き誇るゴミ処理場」だ
った。

 所沢の野菜がダイオキシンに汚染されているという報道をきっかけに、住民から立ち退
きを迫られた産廃処理場社長・石坂産業の石坂典子さんがこの日の主人公。

 16億円をかけて作ったダイオキシン対策もしている焼却炉を解体する大改革に打って
でたが、住民運動は収束しなかった。

 しかしゴミの清掃や里山保全活動を始めると、次第に住民との関係が好転。やがてヤマ
ユリが咲き、ホタルが飛び交う産廃処理場に生まれ変わったという。

 番組終了後ネットで検索したら、その場所は「三富今昔村(さんとめこんじゃくむら)」。
会社に隣接した里山(平地林)を利用した五感で感じて楽しめるところで、東京ドーム約
4個分の敷地に三富の昔ながらの里山風景が広がっていると分かり、4日後の今日、さっ
そく訪ねてみた。

 西武池袋線・新宿線所沢駅東口の埼玉りそな銀行前から、10時30分発の無料送迎バ
スに乗る。乗客は私一人だった。

 予定より10分早い10時50分に三富今昔村のクヌギの森交流プラザバス停に着き、
正面にあるその「クヌギの森交流プラザ」に入る。

 受付で「楽しく安全に過ごしていただくためのお願い」を読んで了解する。ほかの説明
も聞き、入村料500円を支払い、「専用パス」と「三富今昔村散策MAP」などをもら
う。入村料は森の保全費として使われるという。
 


 交流プラザには受付のほか、お土産SHOPやEATスペース、トイレなどがある。

 村内は、香、風、陽、光など九つのヤマ(エリア)に分かれていて、それらを「五感で
感じて楽しもう!」という構成になっている。
  




 もらったMAPに従い、まずはプラザ裏手から出て、北側のワークショップエリアを抜
けて「風」エリアに向かう。

    
 村内あちこちに道標があり、地図と対比してどの方向に進めばよいか、その都度確認で
きる。

          
 かなりの高木の広葉樹林の間を進み、ゲートを抜けるとワークショップエリア。
     
 自然の素材を使って物づくりをするなどのワークショップが体験できるという。


 その先が「風(かぜ)」エリアで、ここは風の通り道とか。樹齢30~40年の高木も
あり、主な樹木にはその木の説明板が付いている。
     

    


 少しの広場には、椎茸栽培のほだ木のような丸木が積まれていた。

     
 ループ状の散策路が幾つかあり、豊富な落葉広葉樹林の中の緑陰散歩が楽しめる。

     
 途中に三つの「ジャンク・アート」と呼ぶリサイクルの廃材で作った作品があるようだ
が、二つしか確認できなかった。
          


 林の中の公道を横断して、東側の「香(かおり)」エリアへ。「HANAテラス」とも
呼び、一年を通じて花の香りを感じる場所のよう。


         
 ユリやアジサイなどがたくさん咲いているがまだ小ぶり。先日訪ねた「ところざわのゆ
り園」で花盛りのユリの大群を見た目には少し寂しいが、3~4年すると見ごろになるか
と思われ期待したい。
    




 東側の公道を横断し、「やまゆり鉄道」と呼ぶミニ鉄道の踏切を渡り「結(むすび)」
エリアへ。人と人を結び縁をつなぐ場所で、しあわせ神社もあり、人々を見守るという。
     
 やまゆり鉄道の線路は「結」と南側の「集(つどい)」エリアをぐるっと囲んでおり、
12時からミニSLが運行される予定。


 入ってすぐにツリーハウスがあり、その先には蓮池や「こどもの水辺」と呼ぶ池などが
設けられていた。







 ここには「しあわせ神社」と呼ぶ四つの神社もある。東北側の少し高い一角に「北之神
宮社」、近くに「くぬぎ鎮守神」と「苦脱(くぬ)ぎ神社」、が、南西側の滝のそばには
「豊受大御神」と、何れも小さい社殿の新しい神社が祭られていた。


     

     

    

  
 神社の周辺には、フィールドアスレチックを体験できる木製の用具も幾つかある。



 しあわせ神社の高みの横から西側に下ると、東西に長い「陽(あかり)」のエリアで、
柔らかな木もれ陽が差し込む静かで穏やかな時間が流れる場所とか。



 その一角に「アーシング体験」という、板で仕切られた一周約200mの素足で直接地
面に触れて歩ける場所がある。エリアの中央部には、木もれ陽ベンチが設けられていた。



 12時近くになったので、南側の「集」エリアへ。人々が集い語らい、笑顔にふれあう
場所で、たくさんのテーブルと椅子が並ぶ広場の隅には、カフェやパン工房、ピザ小屋な
どがある。



 その広場の南西端あたりが、やまゆり鉄道のいこい広場前駅。

 12時から運行されるミニSLには、入村の時にもらった「やまゆり鉄道きっぷ」で大
人も乗れるというので、乗車した。


 最初の運行に乗ったのは、女性親子と私の3人。運転手のほか、最後尾に説明を兼ねた
車掌も乗車して4分ほどで一周する。

 鉄橋やトンネルを抜けると中間に「ヤマのまんなか駅」があり、ここで途中下車もでき
る。



 一周して下車すると次の列車には大人3人が乗車し、その後も何度か運行された。

 このミニトレインは太陽光発電から得た電気で自走しており、持続可能なエネルギー資
源を利用して、環境に負担をかけない仕組みが体験できる。

 下車後MAPを見て、回ってなかった西側の「育(はぐくみ)」エリアに戻ってみるこ
とにした。

 HANAテラスの南側一帯が「育」エリアで。鉄道の枕木を活用したのか散策路には厚
い木板が敷き詰められ、豊富な落葉広葉樹林下を一巡できる。


 このエリアにはテレビで紹介されたヤマユリも植えられているが、まだつぼみだったの
が残念。来週以降が見ごろになりそうだ。
         

 東側の公道を南に進み、「集」エリアの南側の「光(ひかり)」エリアへ。

 クヌギを主とした植栽に太陽が降り注ぐ暖かい場所で、野菜ガーテンや「オークリー」
と呼ぶお土産ショップも隣接しており、植木などを販売している。


 東側のポートリーガーデンと呼ぶ小屋には、たくさんのニワトリが餌をついばんでいた。



 12時30分を過ぎたので昼食をすることにして、北側の「集」エリアに戻る。自販機
で食券を求め、くぬぎの森カフェで冷やし坦々風うどん(980円)を注文して味わう。
    

 なお、入村時のお願い事項の中に、「ここでは手作りではない弁当(コンビニの弁当や
おにぎり、ファーストフード等)のお持込みはご遠慮ください。くぬぎの森ではペットボ
トルの廃棄を減らすため自販機でのお飲み物の販売はいたしておりません。お飲み物は水
筒をご持参いただくか、カフェの手作りドリンクをお買い求めください。」ということも
含まれている。


 ほぼ全エリアを回ったので、くぬぎの森交流プラザに戻って退村することにした。

 中間の「育」エリアの南側は石坂産業の大きなプラントの建物があり、ゴーゴーと産廃
物を処理する動力の音が聞こえる。ここは、予め予約すれば見学もできる。


 「くぬぎの森交流プラザ」を出て、最後に道路の南東側にある「くぬぎの森環境塾」と
「三富今昔語りベ館」も訪ねることにする。

 石坂産業本社ビル前から、南に延びる生け垣の長いアーチを進んで、くぬぎの森環境塾
そばへ。

 案内図があり、二つの建物のほかに、水車小屋やつるべ井戸、三富今昔おもしろ語りベ
館などがあることが分かる。

 竹林の南側が、くぬぎの森環境塾の建物だが今日は閉館中。その先が水車小屋で、粉挽
き用の石臼(いしうす)があるが、今日は水車だけが回っていた。



 母屋ともいえる三富今昔語りベ館前↑に、つるべ井戸や水琴窟(すいきんくつ)、二つ
の室(むろ)、堆肥作りの場などがある。



 三富今昔語りベ館に入ると、1階には懐かしい家具や器具、衣装、養蚕具、鳥獣のはく
製、などがたくさん展示されている。







 急階段を上がった2階にも、数10年前の暮らしを体験できるようなものが配置されて
いた。



 三富今昔語りベ館の東南側隅は「おもしろ語りベ館」で、江戸時代から昭和時代にわた
る道具が時代別に展示され、直接触れて楽しめるようになっている。







 中には大八車、オート三輪車、軽自動車なども保存されていた。

     
 ちなみに、この辺り一帯は「三富新田(さんとめしんでん)」と呼ばれ、江戸時代の元
禄年代に川越藩主柳沢吉保による大規模な新田開発により生まれたところで、その説明パ
ネルも立っていた。
   

 東側には足湯の建物もあったようだが気づかず、そろそろ帰路に着くことにした。


 長い生け垣のアーチを道路際に戻ると、石坂産業の業態や環境への取り組みを示す大き
なパネルが並んでいる。


 帰りの、所沢駅東口への無料送迎バスは14時30分だが、歩いて帰ることにした。

 14時に三富今昔村を後にして、南西に向かう。今昔村に接した車道はダンプトラック
の通行が多く、歩道も無いので少し先で一つ南側の下富通りに回る。


 三富新田の上富(かみとめ・三芳町)、中富(なかとめ・所沢市)、下富(しもとめ・
所沢市)の三つの集落のひとつ下富集落を西南端の下富片側交差点まで進む。


 南側の神米金(かめがね)から中新井を経て、いつもの市内ウオーキングルートになっ
ている、航空記念公園に近い並木や美原町の町並みなどを通り、15時50分に帰宅した。

(天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 三芳町、所沢市、歩数
 12,200)


 なお「三富今昔村」のサイトはこちらを
 





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イタリア北部8日間の旅② シルミオーネとベローナ観光へ(前半)

2019-07-08 23:13:53 | イタリア旅行

 「イタリア北部8日間の旅」のレポートがなかなか進みません。このあとも、あいだに別
のレポートを入れることが増えそうで、通してご覧いただけるようになるのはかなり先にな
るかと思われます。

=========================================

 第2日 2019年5月29日(水)
 == シルミオーネとベローナ観光へ ==



 ミラノ市の北西郊外、チェッロ マジョーレのホテル、ウナ マルペンサで6時に起床した。

 天気は曇天だが今にも降りそう。7時からホテルのレストランでバイキング朝食をする。

 ツアー用バスでホテルを8時15分に出発して、ミラノの東方約150㎞のシルミオー
ネに向かう。ドライバーはカルメーロさん、今日の予想最高気温は16℃という。

 ミラノやシルミオーネはイラリア北部のロンバルディア(Lombardia)州にあり、ヨーロ
ッパアルプスの南側裾野、湖水地方の緩やかな起伏の丘陵地帯。イタリアの週の中では最
も人口が多く、州内の半数近くが州都のあるミラノ県に集中しているという。


 ミラノ周辺の高速道は朝のラッシュ時で少し混雑したが、そう渋滞もなく抜ける。


 9時45分~10時05分にサービスエリアでトイレ休憩する。


 毎日利用したツアーバス


 北イタリア湖水地方にある最初の観光地シルミオーネ(Sirmione)の駐車場には10時
40分に着いた。

 シルミオーネはイタリア最大の湖・ガルダ湖の南岸から突き出た細長い岬にあり、人口
は約8,100人とか。古代ローマ時代最古からの温泉保養地で、現在もヨーロッパで人気
のバカンス地という。


 バスを下りて北に延びる岬の突端に向かう。少し進むとスカラ家の城塞が現れた。13
世紀にスカラ家のマスティーノ1世が建造したものとか。スカラ家は13世紀に、この後
訪ねるヴェローナを支配した領主で、その勢力は近郊一帯に及んでいたようだ。



 城の西側は港になっていてその間に橋が架かり、城塞は湖と結ばれた堀で囲まれている。
    


 ゲートを入って旧市街に進むと、アクアリア(Aquaria)と呼ぶ大きな温泉施設の入口が
あった。

 屋内外のプールやサウナ施設があり、温泉源は69℃あり、関節炎や気管支炎、外傷治
療などに効果的のようで、屋外プールからは湖の展望が素晴らしいという。

     
 その先、左手の高台に建つ家は世界的なオペラ歌手マリア カラス(Marua Callas)が
1950年代に夫メネギーニ氏とともに過ごした別荘だったとか。





 近くの木々の茂る一角はマリア カラス公園と呼ばれている。

 公園を抜けて少しずつ高台に上がると、東側にガルダ(Garda)湖が一望できる展望地
に出た。

 ガルダ湖はイタリア最大の湖で、面積は琵琶湖の約半分の370㎢とか。今にも降り出
しそうな空なので、遠方は霞んでいた。

 オリーブ畑の横を進んで岬の突端まで行く。ここには「カトッロス洞窟(Grotte di
Catullo)」と呼ぶローマ時代の別荘跡がある。

 北イタリアで発見されたローマ時代の遺跡としては極めて重要なもののひとつで、有料
にて公開されていて敷地面積は2㏊あるという。

 11時27分に洞窟の入口に着きでフリータイムとなり、13時に城塞のそばの広場に
集合となった。多くの人は洞窟に入場したが、私たちはそのまま戻ることにした。
         


 近くのビワが実をたくさんつけている。


    
 戻る途中には大きなクワの木があり、実が熟し始めている。沿道に咲く花を眺めたりし
ながらゆっくりと戻る。
         



     
 旧市街に入り、細い路地の両側に並ぶ店のウィンドウショッピングや窓に飾られて花鉢
などを眺めながら進む。
         



     

         



     



     

     

     

             


 12時30分前には集合場所の広場に戻ったので、周辺の商店や城を囲む堀に遊ぶ野鳥
を眺めたり、西側の港周辺にも回ってみた。




    







 少し雨が落ちてきたので店の屋根下で待っていたら、12時40分過ぎに添乗員の福原
さんが、早めに近くにある昼食するレストラン「ラ・ルーコラ(La Rucola)」に案内して
くれた。
     
 13時前には全員揃い、今日の昼食はマスをメインディッシュとしたもので、みな美味
しくいただいた。

 ちなみにラ・ルーコラはミシュランの一つ星の店で、創作料理が評判という。



 14時15分にレストランを出てバス駐車場に戻り、14時32分に出発する。次の観
光地ベローナまでは東方に約45㎞である。

                                    (続く)





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