NHK BS hi 2008年9月3日
わたしが子どもだったころ
張本勲
プロ野球解説者
……8月6日に広島へ。
悔しくって行けなかったという。
大事な姉を原爆でとられた……。
学生時代、猿猴川の堤で、バッティング練習していた。
右手が悪いので、練習を賢明にしたようだ。
右手には小指がないという……。原爆以前の事故でそうなったという……。人には見せないという。
いずれドラマ化されるのではないか? と思うので、ここでの紹介は原爆関連にしようと思います。
--張本さんは、現在のプロ野球界でただひとり被爆者手帳を持っている。

原爆投下から63年、心の傷はいまだに癒えない。
■原爆ドームへ■
これまで原爆ドームを訪れることができずにいた。
じっと見つめたのははじめてだという。見たくないものだという。

index
■原爆平和記念資料館■

張本「こんな小さな……」涙声になる張本

張本「もうさわりたくなるわな……苦しかったろう……痛かったろう、熱かったでしょうと……」

展示物にたいして感想をのべた……。
index
--原爆投下・当日、姉は街で奉仕活動。
張本は姉から、いちじくをもらった……。
手を振る姉……。
玄関から出た瞬間、ピカと光ってドーン!
爆心地から自宅までわずか2.5キロの距離。
--比治山(標高80m)
当時、一家はこの小さな山のそばに移り住んでいた。
山が原爆の熱線をさえぎり張本さんは奇跡的に助かった。
離れているところがやられていたという……。
家はバラックでぺしゃんこ、母が体でおおっていてくれたという。
ぶどう畑に逃げたという……。そして……。
意味のある番組でした。
子どもたちにも見てもらいたいと思いました……。
--積極的平和は、構造的暴力をなくしていくもの……。
そのうえでも、貴重な番組であったと思います……。
再現ドラマも活きていたと思います。
index
目 次



わたしが子どもだったころ
プロ野球解説者
……8月6日に広島へ。
悔しくって行けなかったという。
大事な姉を原爆でとられた……。
学生時代、猿猴川の堤で、バッティング練習していた。
右手が悪いので、練習を賢明にしたようだ。
右手には小指がないという……。原爆以前の事故でそうなったという……。人には見せないという。
いずれドラマ化されるのではないか? と思うので、ここでの紹介は原爆関連にしようと思います。
--張本さんは、現在のプロ野球界でただひとり被爆者手帳を持っている。

原爆投下から63年、心の傷はいまだに癒えない。
■原爆ドームへ■
これまで原爆ドームを訪れることができずにいた。
じっと見つめたのははじめてだという。見たくないものだという。


■原爆平和記念資料館■

張本「こんな小さな……」涙声になる張本

張本「もうさわりたくなるわな……苦しかったろう……痛かったろう、熱かったでしょうと……」

展示物にたいして感想をのべた……。

--原爆投下・当日、姉は街で奉仕活動。
張本は姉から、いちじくをもらった……。
手を振る姉……。
玄関から出た瞬間、ピカと光ってドーン!
爆心地から自宅までわずか2.5キロの距離。
--比治山(標高80m)
当時、一家はこの小さな山のそばに移り住んでいた。
山が原爆の熱線をさえぎり張本さんは奇跡的に助かった。
離れているところがやられていたという……。
家はバラックでぺしゃんこ、母が体でおおっていてくれたという。
ぶどう畑に逃げたという……。そして……。
意味のある番組でした。
子どもたちにも見てもらいたいと思いました……。
--積極的平和は、構造的暴力をなくしていくもの……。
そのうえでも、貴重な番組であったと思います……。
再現ドラマも活きていたと思います。




