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磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

広島文化叢書5 広島の文芸  -知的風土と軌跡 小説・評論-

2008年09月10日 | 読書日記など
『広島文化叢書5 広島の文芸
  -知的風土と軌跡 小説・評論-』
     岩崎清一郎・著/広島文化出版1973年

原爆文学に関するものだけではなく、広島の文学的土壌も書かれてあります。
--広島の文芸でから、当然だと思いますが、原爆文学に多くの枚数が使われていた……。



「刊行のことば」下「」引用。

「私達の郷土広島県は、過去多くの文化遺産を生み出してきました。それらは、様々な分野で現代の私達に継承され、今なお、新しい郷土文化を創造する上で重要な礎石となっています。しかし、他方、生産分野における機械化、合理化が進むにつれ、自然と文化財は破壊され、民衆の共同体意識と秩序は解体し、「広島のこころ」もまた中央直輸入による物質文化の洪水の中に没し去ろうとしています。今こそ、郷土広島県の文化が、全ゆる分野で再認識されるべきでしょう。広島文化叢書がそのための一助ともなれば、これに優る喜びはありません。」

第5師団のことも書かれてありました。下「」引用。

「明治一九年(一八八八)広島に設置された第五師団は、その後の日清・日露戦役を経て更に拡大された。広島は大陸への前線基地として重要な役割を果すことになったし、日支戦争から太平洋戦争にひろがったときには、市街地の広範囲に軍事施設をもち、昭和二○年四月(一九四五)には、第二総軍司令部が置かれるに到った。この司令部は当時敗色の濃厚だったこから本土決戦に備えるため、日本列島を三重県鈴鹿で二分し、第一総軍司令部を東京に、第二総軍司令部を広島に置くとした政府決定によるものだった。西日本の軍事的拠点という性格はここにおいてきわまったというべきかもしれない。」

鈴木三重吉は、明治15年9月、広島市猿楽町(現在の大手町一丁目)に生まれ。

夏目漱石からの手紙が残っているという……。下「」引用。

「漱石の戒め 漱石の三重吉にあてた手紙は明治三九年一○月二六日の日付をもち、三重吉は「千鳥」を出して次作の「山彦」にとりかかりながらも苦心している時期だった。
《苟も文学を以て生命とするものならば単に美といふ丈では満足が出来ない。丁度維新の当時勤王家が困苦をなめた様な了見にならなくては駄目だろうと思ふ。間違ったら神経衰弱でも気違でも入牢でも何でもする了見でなくては文学者になれまいと思ふ。文学者はノンキに超然とウツクシがって世間と相遠ざかる様な小天地ばかりに居れぬ。進んで苦痛を求める為めでなくてはなるまいと思ふ。君の趣味から云ふとオイラン憂ひ式でつまり、自分のウツクシイと思ふ事ばかり書いて、それで文学者だと澄まして居る様になりはせぬかと思ふ。》」

夏目漱石らしい文だと思う。
--むかしの作家は短命だったのを思い出す……。

鈴木三重吉は「赤い鳥運動」をすすめた。
--宮沢賢治が投稿してきたが、方言が多いのでボツにされていたという。

かくしマイクが使われていたという。下「」引用。

「大政翼賛会が発足して明確に国家体制のめざすものがさし示され、急速に突き進み始めた昭和一五年から一六年暮にかけて、緊迫した空気が社会全体を覆い、広島では、県詩歌協会設立大会が開かれたその会場に官憲がかくしマイクをしかけて発言をチェックし、これを更なる検挙の口実にする、という陰険さである。」

大田洋子批判をする栗原。下「」引用。

「『新椿』は昭和二一年四月の創刊で、大田洋子の「青春の頁」は七月号で連載中絶となっている。「屍の街」を書き始める一方で書かれていた「青春の頁」は、戦争中の恋愛や結婚の問題を描いたものだったといわれる。『中国文化』誌で栗原貞子はこの小説をとりあげて、こう批評した。《ただ面白くて、はらはらして、退屈しなくて、ご婦人向きの甘さがあって、時代が多少出ていればそれで小説だとは言えない。》」

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小説にもいろいろあるようだ……。

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--志条みよ子 『中国新聞』夕刊(昭和28年1月25日)
原爆ものは当たるから、功利主義への反撥だったという、この本の著者は書くが……。
引用をよく読んでも、そんなふうにとれない……。下「」引用。

「《だからわれわれは真剣になってわれわれの愛のことを振りかえり、恋を思い、男女の限りない悲しみを考えるのが大切である。人生の本質に向って美しく突き進むことのみが文学なのだ。この上、地獄絵なんか見たくも聞きたくもない。原爆は科学であり、政治であり、何かへの一つの道具であるが、芸術ではない。『屍の街』よりも『一人の生涯』の方が、『広島悲歌』よりも『人生劇場』の方が私には興味ふかい。》-略-論理よりも主情を先行させた志条みよ子のエッセイは、逆に反撥を招いたのであった。」

芸術というものも、ただの嗜好品と思っている人たちもいる……。
--傷ついた心には、麻薬のような作品も時には必要だろうとボクは思うが……。

漱石の手紙が文学者らしいなあーと、やはり思う。

闇教育のような文学は御免だ!

殺人幇助のようなこともしたくないことだ。
--人間として、社会人として……。

ナチスの台頭を望むような人間にはなりたくないものだ……。

男女の愛も社会を抜きにして語れないし、科学をぬきにして近代を語ることもできない。

--そういう人が真実だろうとボクも思う……。

文学ですら、そうであるのに、ジャーナリストが……。







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ハヤカワ・ノヴェルズ 世界の小さな終末 A small Armageddon

2008年09月10日 | 読書日記など
『ハヤカワ・ノヴェルズ
  世界の小さな終末
    A small Armageddon』
      M・ロシュワルト(著)/
        志摩隆(訳)/早川書房1964年

--ヒロシマを勉強してもらいたいと思う。
脅すにしても、ヒロシマをもっての脅しという卑劣極まりない狂気の人物たちを克明に描写してほしかった……。



書き出しはこうである。下「」引用。

「原子力潜水艦ポラー・ライオンの副艦長であり、副司令官でもあるジェラルド・ブラウン海軍少佐は、パーティの準備をしていた。食堂のテーブルの上にある包みを開きながら、彼は決然たる口調で「ほんもののパーティだ」とつぶやいた。それから、カチャカチャ音をたてている中の品物を流しにおいた。」

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ポラリスをもっているという……。下「」引用。

「いつでもミサイル発射できるように準備をととのえていた。各々にTNT換算百万トンの破壊力のある核弾頭をつけた、十六基のポラリス・ミサイルが待っていた。ライオン号は、ロシアの十六の軍事目標、産業の中心地を破壊することができた。レニングラードも、モスコーも、この潜水艦の意のままだった。」

この作品には、ストリップがよく出て来る……。
脅しの見返りとして、ストリッパーを要求する……。

こんな悪党でも神などという……。

『原爆神話』などを信じている人の神など、それはどちらにしても悪魔か、魔神だろう。


「あとがき」ではこう書かれてある……。下「」引用。

「その意味では、第二作の『世界の小さな終末』は、風刺の面をさらに強烈におしだした完全に真面目なようで滑稽な作品であり、核抑止戦略理論を利用してとっぴなアイデアを盛り込みながら現代政治の痛烈な批判を行っている。」

あまりにも滑稽すぎるが、ユーモアがないのが淋しい……。

犯罪者と同様のことをアメリカはしているといいたかったのだろう……。

しかし、アメリカだけではない、国連の常任理事国すべてが核兵器保有国であり、「死の商人」の国家である……。

脅しのせめぎあいで、ならず者国家のチャンピオンリーグで平和はつくられているという、あまりにも滑稽すぎる世界平和という、戦争集金システム……。

--環境問題としても、こんなのに寄生されている余裕なんてないという意見。
……ボクは否定することはできない。








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原水爆禁止世界大会宣言・決議・勧告集 第1回~第14回(1955年~1968年)

2008年09月10日 | 読書日記など
『原水爆禁止世界大会宣言・決議・勧告集
   第1回~第14回(1955年~1968年)』
     原水爆禁止日本協議会・編/原水爆禁止日本協議会1969年

世界大会と書かれてあるが、開催場所はすべて日本。
--海外からお客さんを招けば、世界大会というのだろうか?
システムとして見られるような記録ではなかったが……。



■目 次■

第一回原水爆禁止世界大会 (1955年・広島)  7
第二回原水爆禁止世界大会 (1956年・長崎)  9
第三回原水爆禁止世界大会 (1957年・東京)  13
第四回原水爆禁止世界大会 (1958年・東京)  23
第五回原水爆禁止世界大会 (1959年・広島)  33
第六回原水爆禁止世界大会 (1961年・東京)  47
第七回原水爆禁止世界大会 (1962年・東京)  59
第八回原水爆禁止世界大会 (1963年・東京)  73
第九回原水爆禁止世界大会 (1964年・広島)  79
第十回原水爆禁止世界大会 (1965年・京都・大阪)  85
第十一回原水爆禁止世界大会 (1966年・東京)  105
第十二回原水爆禁止世界大会 (1967年・広島)  125
第十三回原水爆禁止世界大会 (1968年・東京)  141
第十四回原水爆禁止世界大会 (1969年・東京)  155
 総目次  172


軍国主義復活の阻止……。下「」引用。

「原水爆禁止運動を押しすすめましょう。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニの悲劇を、決してくりかえしてはなりません。おどかしや、ごまかしでわたしたちの行動をしばりつけた軍国主義を復活させないために、日本国憲法が保障する国民の諸権利を守りとおさなければなりません。そして、平和をかちとることこそ、憲法で世界に約束した日本国民の義務なのです。」

核武装は憲法違反ではないという長官……。下「」引用。

「伊能防衛庁長官は三月の国会で「現内閣は核武装するつもりはないが、原子弾頭のついたオネストジョンを持っても憲法違反ではない」と言いましたが、本当は核武装の計画がないのなら何故こんなことをいう必要がありましょうか、同じ自民党の吉田内閣が「原爆をもてば憲法違反だ」といっているのを何故このように変える必要があるのでしょうか、本当に核武装するつもりがないならばこの言葉をとり消すべきではありませんか。」

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こんなタイトルがある……。
「二、私たちはわが句にに原爆のもちこみがすすんでいるのを知っています」
「三、私たちは自衛隊を海外派兵して米軍と共同作戦を行なう準備がすすんでいることを知っています。」
--後者はイラク戦争で証明されましたね。

「米国原子力潜水艦「寄港」阻止」
--願いはかなわず、今も日本の海を汚染している……。

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ABCCはモルモットという……。下「」引用。

「広島に最初の原爆を投下した張本人アメリカ帝国主義は、その後、ABCCを通じて被爆者をモルモット扱いにする、非人間的行為をつづけたばかりでなく、ひきつづき現在ベトナムでナパーム弾、毒ガス、ボール爆弾など非人道的武器による、大量無差別虐殺や、病院、学校の爆撃など、犯罪的軍事行為を行ない、ジュネーブ協定をやぶり非武装地帯に侵入するという、無謀な侵略戦争拡大を急速におしすすめています。」


しかし、被爆者は「モルモットでも、餌をもらっている」という。

政府や自治体にも責任がある……。下「」引用。

「ABCCの非人間的なやり方、政府当局の怠慢、地方自治体の誠意の欠如に深い憤りを感じます。」

ABCCは戦争のための組織……。下「」引用。

「この間、アメリカ政府は、その犯罪行為を認めないばかりか、ABCCを使って被爆者にたいする脅迫的な強制調査を行ない、被爆者をモルモット代りにし集めた資料を極秘扱いにし、あらたな戦争準備のために利用するという二重、三重に許すことのできない非人道的行為をつづけています。」

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ヒロシマの声を世界へ-第5回原水爆禁止世界大会討議資料-

2008年09月10日 | 読書日記など
『ヒロシマの声を世界へ-第5回原水爆禁止世界大会討議資料-』
   原水爆禁止日本協議会・編/原水爆禁止日本協議会1959年

これで、抑止になっているのだろうか?
--そんな疑問を持ちました……。



ダレス国務長官。下「」引用。

「ダレス氏は、原水爆でソ連や中国をおどかして戦争ギリギリの所まで押して行けばソ連中国は凹んでおとなしくなると主張し、台湾海峡へ原爆機動艦隊(第七艦隊)をくり出しました。ダレス氏の主張通り行けば中国は米国に頭を下げるはずでしたが、実際には、米国の第七艦隊の方がなす所なく引き上げました。」

また、ソ連も……。下「」引用。

「もしも台湾海峡事件のときに米国が中国へ原子攻撃を加えていたら、逆に米国はソ連から手ひどい打撃をうけたでしょう。ソ連のフルシチョフ首相も米国が台湾海峡へ原子攻撃部隊を集中していた十月五日に声明を出して『中国に原子攻撃を加えるならばソ連は米国に水爆攻撃を加える』といいました。」

脅しだけにしか使用できない武器を、何十回も人類滅亡させてしまう量も持っているという。
危険極まりない戦争システムであり、また多くのエネルギーや資源を消費している。

中東でも、脅しがきかなかった……。下「」引用。

「ダレス氏らは原子戦部隊で民族運動をおさえつけようとしてきましたが、この局地原子戦計画も失敗をつづけています。
 去年の七月イラクで革命がおこった時に、米国と英国はレバノンとヨルダンへ原子部隊を送りましたが、世界の世論の反対にあって十一月に引きあげなければ鳴りませんでした。インドネシアの内乱の時には反乱軍を応援しましたが反乱は失敗しました。」

アメリカによって、脅しがきくのは、日本・韓国の政治家くらいのものか……。

その上、戦場と想定されるのは、アメリカではなく日本など……。下「」引用。

「どうしてこのようなことがされるのでしようか? それは中ソ両国周辺の基地を強化しておけば、万一戦争のときは、中ソ両国が周辺の基地に原水爆攻撃をかけざるを得なくなる。したがって米本土への原水爆攻撃はその分だけ減るだろうという計算なのです。」

集金システムであるため、冷戦システムを今も残して、原潜は放射能漏れ事故などで環境破壊をしている。

「平和憲法はたなあげ」の日本政府。下「」引用。

「安保改定は“憲法のワクのはんい内”でやるという殺し文句もつかわれていますが、さきほどからくりかえしのべてきましたように、憲法のワクは過去十何年間とどまるところを知らないで拡張され、自衛のためなら原爆をもってもよいし、外国の基地を攻撃してもよいと政府は公言しています。また自衛隊を海外に派遣しても、武力行動でもなければ海外派兵でもないといっているのですから、“憲法のワクのはんい”という言葉は実際にはごまかしにすぎないことになります。
 もし本当に憲法に従うとすれば、砂川事件の東京地裁判決もいうように、現行安保条約そのものが不法であり、憲法違反なのです。だが、政府はこの道理を否定し、地裁判決をくつがえすため最高裁へもちだしました。
 これをみても政府の考えかたがわかるでしょう。」

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原爆句抄-句集-

2008年09月10日 | 読書日記など
『原爆句抄-句集-』
   松尾あつゆき・著/文化評論出版1975年

句集だけではなく敗戦までの日記も掲載されています。
タイトルは「爆死証明書」。下「」引用。

「ついに妻と三児をうしなった。今日は妻を焼かねばならない。-略-近くの小学校の校庭で火葬に付してよいと言い、四枚の爆死証明書を呉れる。チャンと印刷してある用紙に、姓名と生年月日を書き入れ、記事事項は「昭和二十八年八月九日爆死」とし、ペタリとハンコを捺して呉れた。至極簡単である。これで役所は処理済とするのであろう。」

長崎ではラジオ放送があったようです。下「」引用。

「「島原半島上空を西進中」
-略-八月九日と言えば暑い盛りである。私は用があって十一時頃まで階下ですごし、階段をもどる途中、この「敵機西進中」を聞いたのであった。広島の惨害はよく判らないながら、僅か二機によって四里四方破壊され、死傷七、八万を出した、という程度のことは商売柄知らされてあったので、連日南方から波状攻撃を加えているのに、「西進中」とは、なんとなく異様に感じた。それで、室に入ると、余念なく事務をとっている人達に向って、大声で叫んだ。
「島原半島上空を西進中と言っている。来るぞ」
 言いおわらぬうち、あちこちで半鐘がなりだした。空襲だ。私はあわてて上衣を着ながら、机の上の書類を非常袋に入れる暇があるかしらん、と考えていた。と、そのとき、パッと黄色い光りがあたりを包んだと思うと、開けてあった窓から、ふわーッと熱いものが流れこんできた。同時にどかーんと、すさまじい音。-略-」

何の問題もなかろうと思う句が発禁。下「」引用。

「原爆の句が出来上った。私はまず、運命を共にした長崎の人々に見てもらいたかったので、戦前からあった「長崎文学」に原稿を送った。しかし、間もなく返送されて来た。田舎に住んでいた私には事情がよく判らなかった。
 のち、昭和三十年に発行された「句集長崎」の序文を見て、はじめて、当時の俳句が占領軍当局によって発表を禁止されたことを知った。「句集長崎」は七二五人、二二○○句を収録したアンソロジーで、これによって私の句は一般に知られ、今日に至るまで屢々他誌に転載、引用されている。」



『原爆句抄 A-bomb-haiku』
   松尾あつゆき・著/緑川真澄・訳/新樹社1995年

英文併記です。

目 次

「訳者あとがき」に書かれてあります。下「」引用。

「-略-この「原爆句抄」を日本語であれ、英語であれ、どれだけ多くの人々に読んで頂けるかはわからない。しかし私はこのあつゆきさんの魂の叫びである句と日記がひとりでも多くの方の目にふれて、戦争の愚かさと核兵器の恐ろしさを知って頂きたい。
 そんな願いをこめて、この英訳は出来るだけ簡単な単語と平易な文章で、英語を母国語としない国の人々にも楽に理解して頂けるように努力した。-略-」








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