磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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チェルノブイリの惨事 tchernobyl,une catastrophe

2008年11月28日 | 読書日記など
『チェルノブイリの惨事 tchernobyl,une catastrophe』
   ベラ・ベルベオーク、ロジェ・ベルベオーク(著)/
     桜井醇児(訳)/緑風出版1994年

この本の著者はフランスの物理学者夫妻だという。
--フランスも日本同様にひどい有様です。
科学者とは、良心をうしなって出世できるとしたら、そんな社会がひどくなっていくのは当然のことと思えます……。



広島原爆で歓喜した人たち……。下「」引用。

「原子力産業は原子力災害が起こり得る可能性を無視し、あるいは、これを実に否定することにより、育成され、発展してきた。原子力技術の危険などありうる筈がないという言うのだ。広島と長崎が原爆によって壊滅した時には、科学者達はこの新しいエネルギーを問題視したのではなく、熱狂してこれを祝福したのである。この核兵器使用に関する危険に人々が気付き始めると、一九四五年八月の原爆投下の悲劇は、原子力を「平和のための原子力」として変身させるための記念碑へと姿を変えた。
 一九八六年四月のチェルノブイリ原子力発電所の大規模な災害は、原子力に批判的な人々を含めて、多くの人にとって、大きな驚きであった。しかし、このような規模の事故が絶対に起こらないという保証は存在していなかった。」

『ルモンド』が伝えた原子力神話と広島……。下「」引用。

「一九四五年八月八日付の『ルモンド』紙は、「科学革命--アメリカが原子爆弾第一弾を日本に投下」という記事を載せている。どの新聞も、ほぼ、異口同音であった。生ける者は一秒の何万分の一の短い時間の内に蒸発してしまい、壁の上にその者の陰だけが残ったというような、このおぞましい大惨事は、恐怖と憤慨を引き起こしたのではなかった。そうではなく、原子爆弾は人類をついに労働の制約から解放し、輝かしい未来を約束するものだとして、受け取られたのである。物質が、どこでも、際限なく、苦労も危険もなく、自由に使うことが、すぐ近い将来、人々の手の届くものになるだろうとして、真面目に提案された科学者の熱狂は絶頂に達した。-略-」

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そして、広島の放射線傷害の評価は大きく欠落しているという。下「」引用。

「二、日本の原爆被曝残存者の調査結果では、放射線被曝の効果は急性障害と晩発の癌死亡者だけに限られると結論しているが、スチュワートが指摘するように、放射線被曝によって感染症による死亡、および、いろいろの病気の罹病率増加を生むという仮定。
三、日本の原爆被曝生存者の調査研究では、原爆以来、調査開始まで五年間のブランクがあった。この間に罹病率の増加などの障害が発現していたのだが、この研究結果では、これが欠落しているという仮定。」

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フランスと日本は原子力大国であるという……。下「」引用。

「フランスと日本の原子力の政治・経済ロビーの強さは肩を並べている。フランスでは原子力計画を正当化するために、「日本を注目しよう。日本では原子力が推進されている。フランスではこれを減速しなければならない理由はない」との声が出ている。しかし、日本でも他の国と同じように、原子力事故が起らないとする絶対的な保証はなく、また、企業間の競争は激しい。」

しかし、チェルノブイリ事故が起きる。
--事故を過小評価しはじめる。

メディア支配……。
日本はひどいものですが、フランスも同様だという。

そしてメディア操作?……。下「」引用。

「灼熱地獄となった原子炉の上空で、放射性雲の中をヘリコプターで飛んだ英雄パイロットの一人は米国に運ばれた。彼は、急性白血病になったのだ。移植されるべき骨髄は、フランスの小さな村からも提供されることになった。急を有する。骨髄を運ぶための緊急輸送手段が講じられる。西側社会の人間愛は証明され、国際連帯は勝利した。しかし、数週間後、パイロットは死亡した。専門家達は骨髄移植を行なっても、成功のチャンスはないことを知っていたのだ。初めから成功は期待できなかったことを、ソビエトの専門家がウィーンの一九八六年八月の報告書の中で言及している。科学専門家によるこの演出は、マスメディア対策としてなされたのだ。」

アメリカの得意とする、惨事がおきても原因を追及せず、ヒーローをつくりだして「めでたし、めでたし」とする……。

自殺した物理学者バレリ・レガノフが残した遺書。下「」引用。

「物理科学者バレリ・レガノフはソ連の科学アカデミー会員で、ソビエトの原子力計画の創始者、発案者の一人である。彼は事故発生後、二十四時間以内に派遣された政府委員でもあり、現地で事故管理を行なう科学技術者グループを指導した。-略-レガノフの遺書は特に重要である。事故直後の処置が、当初伝えられていたものからほど遠いものであったことを、彼は遺書で言及している。実際の被害は、ソビエトの初期の被害評価算定値よりも大きくなるのだという証拠を、この遺書に見いだすことができる。-略-原子力界で彼が行なおうとした改革は失敗に帰し、チェルノブイリ災害の記念日を選んで、彼は自殺した。」

この著者はエコロジストであるという……。下「」引用。
「フランス放射線防護中央局(SCPRI)局長ペルラン教授がペラルーシの科学アカデミーの放射線防護基準の会議で述べた参考意見は問題があった。教授は生涯被曝が一○○レムに及ぶ強い放射線汚染地域に住んでいても非難には及ばないという意見を述べたのである。-略-夫妻はこのような悲観的、厭世的な立場をとらない。夫妻はペルラン教授に激しく抗議し、他のグループの人々とともにSCPRIの元締めであるフランス保健大臣に抗議の手紙を出すのである。」

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