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磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

原水爆禁止運動のあゆみ-戦後日本の証言-

2008年09月19日 | 読書日記など
『原水爆禁止運動のあゆみ-戦後日本の証言-』
   守田義典・著/日本青年出版社1971年

「戦後日本の証言」という感じがしました。
--原水爆禁止運動だけに限らず書かれてあります。



アメリカ軍も日本軍と同様……。下「」引用。

「いまベトナムでおこなわれている“殺しつくし”“焼きつくし”“破壊しつくし”てしまう残虐な侵略戦争は、「核兵器をいつでもちゅうちょなく使用」できる、帝国主義者、侵略主義者の危険な思想にもとづいて強行されているのです。」

栗原貞子の「生まれしめん哉」が「地下室の夜」と題されて掲載されていました。

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残留放射能について、アメリカのラジオ。終戦の日。下「」引用。

「一方、八月一五日直後のアメリカのラジオは、放射能の害を強調し「広島は七五年間、人畜の生存を許さぬ土地となった。また被害調査のための学者を派遣するような行為は自殺にひとしい」とのべました。このことは日本の新聞でも大きくとりあげられました。」

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ファーレルは嘘をついた。それを続けるアメリカ政府。下「」引用。

「アメリカ軍が、日本にはいるとファーレル代将を中心に「原爆災害調査団」がつくられました。九月のはじめ、彼らは広島・長崎の現地に行く前に、東京で記者会見をおこない「広島や長崎では、原子爆弾で死ぬものはみな死んでしまったから、九月上旬現在、原爆の放射能で苦しんでいるものは一人もいない」と発表しました。
 有名なジャーナリストであるバーチェットがこの記者会見に出席していましたが、アメリカ軍のその発表に「それは事実と違う」と反論しました。バーチェットは被爆直後の広島をみてきたばかりでした。
 広島をおとずれた外国人記者はバーチェットでした。」

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ABCCのことがわかりやすく書かれてあります。下「」引用。

「アメリカは、このABCCをつかってきたるべき核戦争の準備をすすめるために調査・研究をつづけてききました。日本の厚生省国立予防生研究所もこれに協力しています。
 -略-ABCCの活動は、一口でいえば、加害者が被害者を標本あつかいして調査の研究し、核戦争の準備をおこなうというおそろしい行為です。それが、アメリカ軍の直接占領の時期には、とくに恥知らずにおこなわれました。学校の帰り道、むりやりに誘拐同様にジープにつれていかれた子供-略-」

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そして、安全装置も安全ではない……。下「」引用。

「安全装置の研究もすすみ“電子のカギ”というものまで開発されましたが、事故はあとをたちません。現に本年二月二○日にも米国で「核戦争誤報事件」がおこりました。
 朝日新聞ニューヨーク特派員田中記者は次のようにその事件の様子を報じています。-略-」

『これはテスト』と前書きのテスト用のテープを流すのを忘れていて、大混乱だったという。
--人間だから、笑い話のようなことも起きるが、こんなことは笑い話ではすまない……。

第五福竜丸事件につて、阿川が語る。下「」引用。

「作家の阿川弘之さんは「久保山さんがなくなれたというのは、ただ不幸な事件だというだけでなく、日本の将来を暗示しているように思える。発病以来アメリカのいうことは楽観的であり、ほかの原因があるなどと、日本の発表とはくいちがった説を流した。われわれは太平洋のむこうでいう推測より、日本の医者のことばを信ずる。アメリカは被害を大きく見せまいと努力しているようだ。そういう政策的な考えをもっている人は別として、大多数の善意のアメリカ国民に久保山さんの死というこの現実を、むきだしに知らせたい。もう一つの問題は、わたしも広島の出身だからよく知っているが、広島・長崎にも、久保山さんと同じケースの患者が、悲惨な状態のまま置かれている現実を、もう一度思いだしてほしい」と語ったのでした。」

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第五福竜丸だけではなかったのに、小さく見積もらせたようです……。

もうひとつのビキニ実験  1000隻をこえる被災船を追う

ビキニの海は忘れない 核実験被災船を追う高校生たち

隠されたヒバクシャ 検証=裁きなきビキニ水爆被災








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封印されたミッキーマウス-美少女ゲームから核兵器まで抹殺された12のエピソード-

2008年09月19日 | 読書日記など
『封印されたミッキーマウス-美少女ゲームから核兵器まで抹殺された12のエピソード-』
   安藤健二・著/洋泉社2008年

核兵器というのが見出しにあったので、手にした本です。



この本について。下「」引用。

「この本で取り上げた一二のエピソードの多くは、すでに世間に流布しているものだ。あなたも、どこかで目にしたことのあるネタが混じっているだろう。「ミッキーマウスの絵を描いた子どもたちに、ディズニー社が抗議して消させた」「タイタニック号から生還した日本人がいた」「ウルトラセブンには見ることのできない幻のエピソードがある」などなど……。いずれも、ネット上で時たま話題になる、定番のトリビアである。」

なつかしい絵本も……。下「」引用。

「九一年、大人の応募者を退け、わずか六歳で第八回福島正美記念SF童話大賞を受賞。岩崎書店から出版された絵本『天才えりちゃん』シリーズは百万部を越えるヒット作となった。」

あんなことを書かれてしまった妹のことは書かれてなかった……。
--がんばって生きるんだよ!

『キャンディ・キャンディ』の著作権の抗争劇についても書かれてあった。そして、水木杏子に取材しようとする著者。下「」引用。

「キャンディの本は、早くファンへ届けたいと思っています。ただ、これまでも雑誌に事実を歪められかかれたために、いがらしは傷ついています。『新潮45』に掲載される記事の全文を印刷前にチェックさせて頂かない限り、取材はお断りします」
 さすがにそんな条件を飲むわけにはいかず、取材は泣く泣く断念した。」


核兵器に関連するのは、『ウルトラセブン』だった。下「」引用。

「封印のきっかけは、差別問題が多い、作品中の表現に「差別を助長する」と市民団体が糾弾した結果、封印されたというパターンだ。特に有名なのが、『ウルトラセブン』第一二話「遊星より愛をこめて」(六七年)。被爆星人というニックネームの宇宙人「スペル星人」が登場したことで、七○年に被爆者団体が猛抗議した。制作元の円谷プロは「今後一切、スペル星人に関する資料の提供は差し控える」と存在抹消を約束。それ以降、この作品は一度も再放送されていない。東宝の特撮映画『ノストラダムスの大予言』(七四年)も同じような理由だ。ラストシーンに登場する、未来人の姿が原爆被害の後遺症「小頭症」の子どもをまったく逆にしたものという理由で抗議を受けたのだ。東宝のプロデューサーは被爆者団体を前に「悪かったー!」と泣いて謝ったという。」

ネットで検索してみると、小学館に問題があったそうです。
--記事を読んでもよくわかりません……。


大津市光が丘、市立晴嵐小で、プールにディズニーのキャラクターの絵をかいた。
--ディズニーが塗りつぶさせたという。

ディズニーは古い映画(例 : ファンタジア)の著作権は主張していないという。下「」引用。

「もし、映画の著作権が切れているのなら、そこに出演するミッキーマウスの絵は、日本では誰もが自由に使えることになる。小学生がプールの底に描くのだって、何の問題もないはずだ。」

ディズニーはまともに対応しないという。

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戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集

2008年09月19日 | 読書日記など
『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』
   福島菊次郎(著)/小林久太郎(装幀)/
        社会評論社1987年、1987年2刷

自衛隊についてとりあげられているもののようです。自衛隊というのは英語ではやはり軍隊といわれていますね……。



主な目次

I 天皇陛下バンザイ      5
II 戦争への道         33
III 侵略戦争の末路      71
IV いちばん弱い者たちが   111
V 戦争の生け贄       155
VI 日本の原罪        175
VII 警察国家復活      213
あとがき-僕の昭和史-    252



戦後の昭和も、天皇陛下バンザイ! という方は多かったと思います。

今は少なくなったように思います。

しかし天皇陛下バンザイ! という言葉がすべて戦争につながるかは疑問。

戦争への道は、差別の道と思います。

一番、戦争で苦しむのは弱者。

そして、戦争の傷をひきずっていくのも、弱者……。
--その視点は、この作者は素晴らしいと思う。

三島由紀夫について。
五木寛之の文章を読んで、すごい人かと思いました。

司馬遼太郎の文章を読んで、それは見事に変りました。
司馬遼太郎さんがリベラルと思います。




日本の神道もいろいろだと思います……。

このように神主さんの団体って、写真にしてもそうないことと思います。









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写らなかった戦後2 菊次郎の海

2008年09月19日 | 読書日記など
『写らなかった戦後2 菊次郎の海』
    福島菊次郎・著/現代人文社2005年

『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』に続く本です。



表紙の裏にかかれてあります。下「」引用。

「大正から昭和、平成に至る時代の変遷と
カメラとともに生きた流浪の旅路。
前著『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』の出版を契機に、
二○○五年、「写真で見る日本の戦後」は
ピースボートで世界を一周し、日本の各地を巡回する。」

ピースボートというイメージとはかなり違うような気もしました。

こてこての日本人。
この部分でとても個性的です。

河野雅子「無人島に去ったカメラマン」(『創』1983年)より。下「」引用。

「しかし戦後四○年の間に雑誌も右傾化してマスコミは彼の写真を必要としなくなった。夢中になってシャッターを切っているうちに気がついたら時代に取り残されていた彼はしかし、食うための写真を選ばず、瀬戸内海の無人島に入植し、この国と文明社会を見直そうとしてる。妥協のないその選択に打たれる。
 六二歳の彼が船出をしようとしている海は果たしてどんな海なのだろうか。」

写真家協会の退会は、「会費未納につき除名」。
そして、こんなことも書かれてありました。下「」引用。

「官僚の天下り同様、カメラ雑誌でちょっと有名になれば、メーカーや写真大学から顧問や講師の口がかかってくる。僕のところにもきた。作家が教師になったとき、その作家的生命は終わる。作家と教師は別世界で生きる人間だからである。」


コロという愛犬、貨物受け付けで飛行機。
それで大変こわい目にあったという。

無人島入植。
けっこうお金もはじめはかかるようだ。
僕には無理だ……。

若いころ、母親に国に逆らう仕事をしていると、縄付き(逮捕者)がでるのを母は恐れたという。


夏休みに、原さんが引率した広島の市民グループが片山に上陸。
孤島の「ピカドン展」を著者は開く。内容。下「」引用。

「全紙、半切二四○点、壁面四○メートルの巡回展用のパネル」



自殺未遂されたことが、わりと詳しく書かれてあります。
まきこまれた犬がとてもかわいそうに思えました。
それを嘆き苦しむ著者。

「祝島漁民、反原発二○年の闘い」、「天皇裕仁の死、「戦争責任展」」なども書かれてありました。









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原爆と人間の記録

2008年09月19日 | 読書日記など
『原爆と人間の記録』
   福島菊次郎・著/社会評論社1978年

この本の特色は限界ぎりぎりまで
表現されようとしています。
ある人によっては限界をこえている
かもしれません。



この著者の戦時中のことが書かれてあります。下「」引用。

「背中に爆弾を背負い、タコツボ壕に身を潜め、体ごと米軍戦車に飛びこむ激しい訓練が毎日続き、その来るしさに三名の分隊員が井戸に飛びこんで自殺した。そうでなくても死は目前に迫っていた。七月末、私たちの部隊は、南九州の人家もない海岸線に配備され、タコツボ壕を掘りはじめた。」


セレモニーと関係ない被害者たちを取材しつづられたようです。

著者は精神病にも入院されたようです。

長崎原爆病院小児科のことも書かれています。下「」引用。

「長崎原爆病院小児科 長崎だけでも約七万人の被爆二世がいる。ある学校では、全校児童の四○%が被爆二世で、昭和四十三年の文部省全国調査では、その三○~三八%が身体に何らかの異常を訴えている、という」


戦後、困窮しているとき、原爆ドームはバタ屋の巣だったそうです。当時、原爆ドームを見にこようという人はいなかったそうです。

心中した方のお墓がうつれさていました。下「」引用。

「あと追い心中 昭和三十九年、原爆症で死亡した婚約者のあとを追って、ひとりの女性が自殺した。彼女は木原敏夫の「妻」として同じ墓に葬られた。」


バーバラ・レイノルズについても書かれてありました。下「」引用。

「昭和二十九年、アメリカのビキニ水爆実験水域にヨットフェニックス号を乗り入れて抗議したレイノルズ夫妻は、その後広島に移住して国際的な原水禁運動を続けたが、夫が日本人女性通訳のもとに走って離婚した。バーバラ夫人はその後フレンドシップセンターの活動を続けたが、広島市民や核禁団体から疎外され日本での活動を断念して傷心の帰国をした。」
「私たちは歴史の事実を正確に知ったとき、はじめてすべての惨劇、すべての人間的苦しみの中から新しい時代を開くことができる……」夫と愛人が住んでいるフェニックス号の前で、クェーカー教徒である彼女は静かに語ったことがあった。」




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畠中百合子は24歳で認定されたという。下「」引用。

「畠中百合子ちゃんはそれにより、二四歳のときはじめて原爆症と認定され、特別手当一万円、介護料一万円、医療手当六千円、計二万六千円を支給されるようになった。」

プロローグでこんなことが書かれてあります。下「」引用。

「私が三十年間つづけてきた原爆キャンペーンはこれで終る。-略-それに加えてどう考え抜いても、絶対に発表してはならないフィルムが多すぎた。仕方なく文章でその部分を埋めようとしたが、プロの物書きでない私には苦労ばかりが多くてやはり意が尽せなかった。そのたびに、もっと有能な写真家や、歴史学者、医学者、ルポライターが、この問題を掘りさげてくれたら……と悔みばかりが残った。」








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